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2018年1月

2018年1月28日 (日)

真実の日本国誕生史・37

 ●要約と結論・3
■楷書と夏音文字の語が同義となる証明

◆この「真実の日本国誕生史・37」は前回(36)の続きである。今回のブログを読んで不明な点や疑問点があった場合には、前回を検索していただきたい
 前回で指摘したように、現存する最古の『古事記』写本の国宝「真福寺本(しんぷくじほん)」は『古事記』の「序」を「古事記上巻 序幷」と表記する。
 この「古事記上巻 序幷」という表記は(1)前回のブログで解説したように「古事記上巻 序幷」の冒頭おいて「紀元前2070年~紀元前2050年ころの中国の夏代(かだい)初頭=わが国の後期縄文時代初頭、わが国に夏音(かおん)文字が伝来し習得された」と説明するものであったが、夏音文字の学識を反体制側が習得すると革命に利用される可能性が高いゆえ、朝廷と国家が独占管理して厳重な機密を保持する文字であった。このため、夏音文字の存在を明らかにすることは禁じられていた、また夏音文字の学芸について長々と解説することも禁じられていた。ところが、『古事記』上巻の随所に〔音〕という注を付けて多数の夏音文字が記載された。この『古事記』上巻に多数記載されたタブーの夏音文字について「序」で解説することになったため、「古事記上巻 序幷」という表記になったのである。
 
 また(2)「日本国誕生史は時の朝廷が最も崇拝する皇祖・天照大御神の聖性を汚すため、絶対に後世に伝えてはならないと厳重に禁止されていた。ところが、編纂スタッフは『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付く夏音文字の字源・字形・字義をもって、日本国誕生史の秘密が解明できるように、『古事記』上巻を著作した。この編纂スタッフの企(たくら)みを『古事記』上巻の「序」で説明することになった」ゆえ、「古事記上巻 序幷」と表記されることになったのである。
 
 『古事記』は朝廷に歯向かって真実の日本国誕生史を記述した反逆の歴史書であった。これゆえ、『古事記』の「序」は『古事記』を構成する上巻・中巻・下巻の「序」ではなく、多数の夏音文字が記載されたは『古事記』上巻だけの「序」ということで、「古事記上巻 序幷」と表記されたのである。

◆漢字は紀元前3000年ころ、“漢字の始祖(しそ)”と崇拝される倉頡(そうきつ)によって発明された。倉頡は下に示す写真「文字作成銀河各部の形状」を「字源・字形・字義」とすれば【文字】となる漢字作成原理を発明した。 () 「漢字の起源の秘密」の詳細はわがブログ「真実の日本国誕生史」の3回と4回を検索していただきたい。

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 ▲文字作成銀河の写真

 現在の学者たちは、〔音〕という注がつく文字すなわち夏音文字は字音だけ有して、『古事記』が完成した8世紀当時の楷書と同じく字源・字形・字義を有さない文字であると思い込んでいる。しかし、〔字源・字形・字義・字音の4要素〕から成る楷書と同じく、夏音文字もまた〔字源・字形・字義・字音〕を有した。しかも、楷書の字源・字形・字義は倉頡の漢字の発明にもとづいて銀河各部の形状から成立し、夏音文字の字源・字形・字義もまた楷書と同一の倉頡の発明にもとづく銀河各部の形状から成立した。だから、夏音文字は正真正銘(しょうしんしょうめい)の「文字」であった。
 楷書は文字を書いた資料が出土するが、夏音文字は中国でもわが国でも夏音文字を書いた資料は倉頡が定めた掟(おきて)によって1点も出土しない。しかし、文字を書いた資料が出土したかあるいは出土しないかという、この両者の差違は「文字」の定義とは無関係である。というのも「字源・字形・字義・字音の4要素からなる記号」が「文字」と定義されるゆえ、楷書が文字ならば夏音文字もまた文字と定義されることになるからである。

 楷書では「漢字は銀河から作られた」という事実は不明となったが、夏音文字は「漢字は銀河から作られた事実」を明確に伝え、しかも「倉頡が発明した漢字作成原理を現在に伝える」という特徴を有する。
 というのも、わが国に伝来した夏音文字の学芸は倉頡が発明した漢字作成原理を正確に保存することになったからである。ゆえに、人名・小国名・官職名に用いられて夏音文字が記載される『魏志』倭人伝の【「東西南北」の方位を示す全15ヵ所の記事】は【倉頡が発明した漢字作成原理】を示すことになった。また、『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命神話冒頭の【淤能碁呂島聖婚(おのごろしませいこん)説話における5ヵ所に配置された〔音〕という注が付く夏音文字の語】も【倉頡が発明した漢字作成原理】を現在に伝えることになった。そして夏音文字の学芸を用いて作られた幾つかわが国に現存する遺跡や施設によっても、倉頡が発明した漢字作成原理は科学的に解明できる。

3 「日下」と「玖沙訶」はなぜ同義か?
 
 『古事記』序の末部は、「夏音文字」について「音を以()ちて連ねたる」あるいは「音」と表現し、数行後で「楷書〔日下(にちげ)〕と夏音文字〔玖沙訶(くさか)〕は同義、楷書〔帯(たい)〕と夏音文字〔多羅斯(たらし)〕は同義である」と指摘する。この同義の秘密は、A図を注目すれば察知できる。
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(C) 2017 OHKAWA
 

 A図は、前回の「真実の日本国誕生史・36」で解説した『古事記』上巻の「序」の冒頭記事に登場する「参神造化(さんしんぞうか)の首(はじめ)に作()す」という文の解説図である。「参神造化」とは「(1)前期縄文時代における天頂緯度線を示す・土器や土偶(どぐう)を作った芸術の神の天之御中主神(あめのみなかぬしかみ)(2)中期縄文時代における天頂緯度線で示す・土器や土偶を作った芸術の神の高御産巣日神(たかみむすひのかみ)(3)わが国に夏音文字の学芸が伝来した後期縄文時代初頭の天頂緯度線で示す・土器や土偶を作った芸術の神の神産巣日神(かむむすひのかみ)の三柱(みはしら)の神」である。
 A図の「(2)高御産巣日神」と「(3)神産巣日神」という神名に共通する[]は「東の水平線または地平線から出()ずる朝日」をあらわす「三つ輪の銀河」である。したがって、「三つ輪の銀河=日」となる。
 なお、倉頡は反体制側の人々が文字の学芸を習得して革命に利用すると、王朝は容易に滅亡滅することを心配した。ゆえに、倉頡は文字の学芸知識が反体制側の人々が習得されないように警戒して、文字を容易に習得するために文字作成銀河の各部に名称を付けた者は直(ただ)ちに神罰が下って死刑にすると定めた。この倉頡が定めた厳重な掟(おきて)のために、文字作成銀河の各部には名称が存在しない。字源・字形・字義を解説するのに文字作成銀河の各部の名称はどうしても必要であるので、わたくしは下記のごとく定めた。

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 ▲文字作成銀河各部の名称

 A図に示した「日=三つ輪の銀河」は、文字作成銀河各部の名称図」の左上「オス鹿の横顔に似る銀河内にあり、「十字の銀河」左側にある。
 B図に示すように、「三つ輪の銀河=日」の下にある「十字の銀河」は「日下」ということになる。
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(C) 2017 OHKAWA

 また、「三つ輪の銀河」は「玉」のように丸い。ゆえに、[]の偏[]となる。文字作成銀河各部の形状を見て字源・字形・字義を解説した“字書の聖典”の『説文解字(せつもんかいじ)』は[]の字源を「後ろよりこれを灸(きゅう)す。人の両脛(りょうけい)の後ろに距(ささへ)あるに象(かたど)る」と解説する。「十字の銀河の子宮」は「人の左右両方の足の右足(西側の足)の脛(すね)」のあたりに在()る。「十字の銀河」を「人の後ろ姿」と見立てると、「十字の銀河の子宮」は「後ろに距(ささへ)ある」ことになる。ゆえに「右足がある後方に向かって体がよろけるが、十字の銀河の子宮がつっかい棒となり体を支(ささ)えて転ぶのを防(ふせ)ぐ人の様子」に観()える。したがって、『説文解字』が解説する[]の字源は「十字の銀河の子宮」であった。その証拠に「十字の銀河の子宮」は「人の背後に、艾(もぐさ)に火をつけてするお灸(きゅう)」に観える。[]の下に[]を加えると[]、ゆえに[]の字源は「十字の銀河の子宮」であった。だから、『説文解字』は[]の字源を「後ろよりこれを灸す。人の両脛の後ろに距あるに象る」と解説したのである。
 B図に示すように、「三つ輪の銀河を形成する無数の星」は「沙(すな)」のようにきらめき、「十字の銀河」もまた「沙」のごとくきらめく。
 前回のブログ「真実の日本国誕生史・36」において、下に示す(2)今から約5000年前の高御産巣日神の世であった中期縄文時代初頭に作られた「縄文のビーナス」を取り上げた。
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▲日本最古の国宝・縄文のビーナス 中期縄文時代(5000年前)

 「縄文のビーナス」を所蔵する茅野市尖石(とがりいし)縄文考古館が作成した『常設展示図禄』(2001年発行)35頁は、縄文のビーナスについて「表面はよく磨かれて光沢があります。また、粘土は雲母(うんも)が混じっており、金色に輝いています」と説明する。前回のブログで証明したように、「縄文のビーナス」のモデルは「十字の銀河」であった。縄文のビーナスに用いられた粘土に混じる雲母は「きらめくところ」から「きら」「きらいし」とも呼ばれる。したがって、B図に示したように、[]は「砂粒のようにきらめく十字の銀河」を意味したことになる。
 『説文解字』は[()]を「斧(おの)の柄()なり」と解説する。
 C図に示すように、「十字の銀河の子宮」は「石斧 (せきふ/石の斧)の形」に相似し、「十字の銀河の子宮の上部にある四角い窓となる暗黒部」は「斧の柄を差し込む穴」に観える。
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(C) 2017 OHKAWA

 漢字の始祖(しそ)と崇拝された倉頡は、C図に示す「十字の銀河」を「文字作成銀河各部の形状から作られたすべての文字が生まれる母(母体)」と定めた。したがって、「すべての文字が生まれる子宮」は「石斧」に相似する「十字の銀河の子宮」と定めた。
 白川静著『字統』は「神意がこれを聴()くことを可という」と解説する。[]の偏[][]に変え、旁[]を加えると[]となる。ゆえに、[]は「神の言(ことば)。つまり、人の願いを聴く神意」であったことになる。[]の字義は「うた()」である。ということは「銀河各部の形状から作られたすべての文字が生まれる十字の銀河の子宮や妊婦のような腹部(おなか)から発せられる神の言は、人の心に響く歌のようだ」ということで、[]の字義は「うた()」となったのであろう。
 貝塚茂樹・藤野岩友・小野忍編者『角川漢和中辞典』(角川書店発行/1976年・162)[]について「
黒色の玉の意」と説明する。「石斧」の材料は“黒いガラス”とされる「黒曜石(こくようせき)」であった。黒曜石に上手に刃をつけると、「十字の銀河の子宮の形」に似る大型石器の石斧となった。したがって、「黒色の玉の意」という[]の字義は「宝玉と貴(とおと)ばれた王たちが持っていた切れ味するどい大きな黒曜石の斧」であったにちがいない。
 したがって、夏音文字「玖沙訶」の語源は、C図に示す「十字の銀河の子宮」であった。これゆえ、楷書「日下」の語源も「十字の銀河の子宮」であったことになる。

 D図に示すように、[]の字源は「十字の銀河の子宮と重なる、妊婦の腹(おなか)に観える部分から垂れる3本線」や「十字の銀河の右腕から人の横顔に似る銀河の額(ひたい)に垂れる3本線」であった。
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(C) 2017 OHKAWA

 前述したように、倉頡が発明した辞理(じり) =漢字作成原理によって、「十字の銀河」は「文字作成銀河各部から作られたすべての文字が生まれる母体」、「十字の銀河の子宮」は「すべての文字が生まれる子宮」と定まれた。このため、「十字の銀河」は「多数の文字の字源」となったゆえ、「十字の銀河」は「多羅斯」の[]の字源・字形・字義となった。
 『説文解字』は[]の字源を「糸をもって鳥を罟(あみ)するなり」と解説する。D図の右側の[]の契文形上部は[(もう)]を図案するものであり、下は「鳥」を図案するものである。ゆえに、[]の契文形は「网 ()で鳥を覆って捕獲する柄のついた手網」を図案するものとなる。
 E図に示すように、「十字の銀河の子宮」は「小鳥」に見立てられて[(すい)]となった。
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 E図において「十字の銀河の乳房と重なるM39」は肉眼でよく見える散開(さんかい)星団である。「M39」のおける〔乳房〕に相当する箇所は「小鳥の巣」、〔乳首〕に相当する箇所は「小鳥の頭」に相似する。このため、「M39」は「巣から頭を出す小鳥」に相似する。[][]が加わると[()][]の下に[]が加わると[]となる。
 D図に示したように、「十字の銀河」は「細い糸のような天頂緯度軸と子午線の経度軸が交わる網」となるゆえ、[]の字義は「あみ()」となった。
 『説文解字』は[]の字源を「柝()くなり」と解説する。D図に示した「十字の銀河の腹部から人の横顔に似る銀河の口部に垂れる3本線」は「十字の銀河から裂 ()ける3本線」となる。ゆえに、[]の字源「人の横顔に似る口部に垂れる3本線」が[]の字源となった。だから、楷書[]と夏音文字「多羅斯」は同義と、安万侶は指摘したのである。

 以上のごとく、「日下」と「玖沙訶」の語源は「十字の銀河の子宮」、「帯」と「多羅斯」は「十字の銀河の腹部から人の横顔に似る銀河の口部に垂れる3本線」であった。
 D図に示したように、「十字の銀河の子宮と重なる腹部」は「垂乳根(たらちね)の母の豊かな乳房」のような形をしているので「十字の銀河の乳房」にも観える。E図に示したように、「M39」も「垂乳根の母の豊かな乳房」のような形をしている。
 古語における「垂乳根(たらちね)」は「父」「母」「両親」にかかる枕詞(まくらことば)である。C図に示した「十字の銀河の乳房と重なる子宮」は〔斧〕に見立てられたゆえ、[]の下に[]が加わって[]の字となった。ゆえに、「垂乳根」は「父」にかかる枕詞となった。E図に示した「M39」は「母の豊かな乳房」に相似し、「十字の銀河の子宮が重なる乳房(妊婦の腹部に観える銀河部)」も「母の豊かな乳房」に相似する。ゆえに、「垂乳根」は「母」にかかる枕詞になった。したがって、「垂乳根」は「両親」にもかかる枕詞となった。
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▲枕詞「垂乳根」の図

 このように「垂乳根」の語源は〔乳房〕の形に見立てられた「十字の銀河の乳房と重なるM39」と「十字の銀河の腹部にも観える、十字の銀河の乳房」であったのである。
 以上のごとく、夏音文字の「玖沙訶」と「多羅斯」の6字は「文字作成銀河各部の形状を字源・字形・字義とする」ものであったゆえ――夏音文字は「字源・字形・字義・字音の4要素で構成される文字」であったことになる。

◆したがって、学者たちが「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀であった」と断定する定説は『古事記』上巻の「序」(古事記上巻 序幷)を誤読した空論、妄想(もうそう)であったことになる。
 学者たちは「文字を記した夏音文字の資料は中国でもわが国でも出土しないから、夏音文字は実在しない」と反論・主張するであろうが――このブログ冒頭で指摘したように、【文字】の定義は「字源・字形・字義・字音の4要素」を有すれば成立する。
 楷書「日下」と同義の夏音文字「玖沙訶」の3字、楷書「帯」と同義の夏音文字「多羅斯」の3字は、上記したように『古事記』が成立した当時に用いられていた楷書と同じく「字源・字形・字義・字音の4要素」から成る。だから、後期縄文時代初頭に習得された「夏音文字」は【文字】であったことになる。
 【文字】の定義には「夏音文字の資料は出土していない」という条件は必要としない。楷書も夏音文字も「文字作成銀河各部の形状」が「字源・字形モデル・字義」となり、「夏音文字の字源・字形・字義」は「文字作成銀河の形状」であった。したがって、夏音文字は【文字】であったことになり、また、「歴史上実在した文字」であったことになる。その証拠に、夏音文字は『魏志』倭人伝において「卑弥呼」を「ヒミコ」と読まれて存在し、他の人名・小国名・官職名にも用いられて実在する。また、夏音文字は『古事記』上巻の「序」の末部において「玖沙訶」「多羅斯」という語となって実在し、上巻の随所に〔音〕という注が付いて多数実在する。
 そして、殷代(いんだい)後半に出現した契文(甲骨文字)、西周初頭から出現した金文、その後に出現した大篆(だいてん)や小篆(しょうてん)などの篆文(てんぶん)、また隷書(れいしょ)、そして楷書の字源・字形・字義は文字作成銀河各部の形状から作られた――という事実は【科学】が成立して証明することができる。
 だから、学者たちが主張する「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀であると断定する定説」は、『魏志』倭人伝や『古事記』上巻の記事を誤読した空論であり、妄想であり、ウソ八百のデタラメということになる。

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2018年1月19日 (金)

真実の日本国誕生史・36

 ●要約と結論・2
■わが国における夏音文字の学芸習得史

◆この「真実の日本国誕生史・36」は前回(35)の続きである。今回のブログを読んで不明な点や疑問点があった場合には、前回を検索していただきたい
 前回で指摘したように、現存する最古の『古事記』写本の国宝「真福寺本(しんぷくじほん)」は『古事記』の「序」を「古事記上巻 序幷」と表記する。

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 ▲国宝・真福寺本『古事記』愛知・真福寺宝生院蔵

 『古事記』は上巻・中巻・下巻の3巻で構成されている。「『古事記』上巻だけの序」であって「『古事記』中巻と下巻の序ではない」とあらわして「古事記上巻 序幷」と表記された。
 また、「序」の作成目的を明確にあらわすために、「古事記上巻 序幷」と記された。『古事記』の上巻だけに限って、〔音〕という注が付く文字が多数記載されている。この音文字は紀元前2070年~紀元前2050年ころ、中国の夏代(かだい)初頭=わが国の後期縄文時代初頭にわが国に伝来し習得された原初漢字・夏音(かおん)文字であった――この夏音文字を解説するために、『古事記』上巻の「序」は作成された秘密をあらわして「古事記上巻 序幷」と表記されたのである。
 『古事記』上巻に〔音〕という注が付いて多数の夏音文字が記載されている。この夏音文字は上巻に記述された真実の日本国誕生史を科学的に解明できる方法であった。言いかえると夏音文字を無視して排除する、現在の学者たちの考え方だと歴史がまったく解明できない誤読の空論・妄想となる。
 ところが、夏音文字によって明確となる日本国誕生史は朝廷が最も崇拝する先祖の天照大御神母子の聖性をいちじるしく汚すものであった。このため朝廷は日本誕生史の真相を後世に伝えてはならないと厳重に禁止したが、編纂スタッフは朝廷の命令を無視し人間として実行すべき使命にもとづき〔夏音文字で解明できる・真実の日本国誕生史〕を作成した。
 『古事記』上巻の「序」は――漢字は銀河各部の形状から作られた。原初漢字の夏音文字はもちろん『古事記』が完成した8世紀の楷書の字源・字形・字義もまた銀河各部の形状から作られた。朝廷は国家の最高神の天照大御神の聖性を汚すゆえ「伊耶那美命(いざなみのみこと)と伊耶那岐命(いざなきのみこと)による日本国誕生史を後葉(のちのよ)に絶対に流(つた)えてはならぬ、即刻に死刑に処する」と脅迫した。このため、『古事記』上巻においては、夏音文字を銀河各部の形状に変換し、時には歴史を解明するに重大な楷書の語もまた銀河各部に変換すれば真実の日本国誕生史解明できる巧妙な仕組みを、編纂スタッフ一同は考えた。だから、編纂スタッフの企みをあらわして、『古事記』上巻の「序」は「古事記上巻 序幷」と表記されることになった――と、『古事記』作成の秘密を説明するものであったのである。
 要するに、『古事記』上巻の「序」で「夏音文字で真実(まこと)の日本国誕生史を解明できる方法」を解説することになった事情を示して、『古事記』上巻の「序」は「古事記上巻 序幷」という表記となったのである。
 
 したがって、「古事記上巻 序幷」は「『古事記』は真実の日本国誕生史を後葉(のちのよ)に流(つた)える反逆の歴史書」と表示するものであったことになる。
 
 以上のごとく、(1)わが国には原初漢字の夏音文字が伝来し習得されていた、(2)『古事記』上巻は時の朝廷に歯向かう反逆の歴史書であると、この二つの重大な秘密をあらわして『古事記』上巻の「序」は「古事記上巻 序幷」と表記されることになったのである。
 『古事記』編纂スタッフが〔真実の日本国誕生史を解明できる方法・手段〕と定めた夏音文字の伝来・習得について、「古事記上巻 序幷」は冒頭で説明する(この解説が、下に示す「2 『古事記』上巻の「序」の夏音文字の学芸習得記事」である)

2 『古事記』上巻の「序」の夏音文字の学芸習得記事
 
 『古事記』上巻の「序」の冒頭記事は、以下のごとく読む。
 「臣安万侶言(しんやすまろ まを)す。夫()れ混元 既(すで)に凝()りて、気象 未(いま)だ効(あらは)れず。名も無く為(わざ)も無し。誰(たれ)か其()の形を知らむ。然(しか)れども乾坤(けんこん)初めて分かれて、参神造化(さんしんぞうか)の首(はじめ)に作()す」
 現在の縄文の土器・土偶の研究を利用して、上記の記事で太(おおの)安万侶が言わんとしたことを容易に理解できるように現代語訳すると、下記のごとくなる。
 
「臣下の安万侶が陛下に申し上げます。縄文の土器・土偶を作った造化(芸術)の神の名が無かった草創期や早期縄文時代では天頂にめぐってきた銀河は混沌(こんとん)として既に凝固(ぎょうこ)した象(かたち)をしており、生命をあらわす気つまり兆(きざし)しの象(かたち)は未(いま)だあらわれていませんでした。このため、土器・土偶を造る神には名が無く天頂にめぐってきた銀河の形状を模(かたど)った土器・土偶を作る技術が無かったと思われます。というのも、草創縄文と早期縄文の天頂にめぐってきた銀河の形を神と明確に示した意匠や装飾をほどこした土器・土偶について誰もがその存在を知りませんので、多分この時代には天頂にめぐってきた神の姿を造化 (ぞうか/造形)することできなかったと思われるからです。しかし、前期縄文・中期縄文・後期縄文初頭においては天と地に分かれたイメージを有する印象深い銀河がめぐってきましたので、この参神の最後の後期縄文時代の首(はじめ/初頭)の神が天頂にめぐってきた中国の夏代初頭に、夏音文字が伝来し習得されました。」

 上記した『古事記』序冒頭記事最後の「参神造化の首(はじめ)に作()す」という語句が「わが国に夏音文字が伝来して習得された」と伝えていることになる。
 [][]が加わる字は[]となる。わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる白川静博士が著作した『字統』(平凡社発行)は、[]の字義は「かみ()」とし、[]の字源を「電光の走る形に象(かたど)り、神(しん)の初文(最初の文字)」と解説する。「電光の走る形」とは「雷(かみなり)」すなわち「神鳴(かみな)り」となる。わが国では、「神鳴り」は「神」であった。
 注目すべきは、A図の[]の契文形(けいぶんけい/紀元前1300年頃から出現する亀の甲羅に文字が刻まれた甲骨文字の字形)である。
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(C) 2017 OHKAWA

 この字形は「天頂緯度線と天頂緯度線に直角に交わる視線(垂直線)」をあらわす。というのも、2世紀前半に成立した“字書の聖典”と尊重される『説文解字(せつもんかいじ)』は[]の字源を「至高(しこう)にして上なし、一大に従ふ」と解説するからである。
 「一大に従ふ」つまり[]の下に[]が加わると[]の字となり、「至高にして(最も高くて)、それ以上の上が無い天体部」は、B図の右上に示す「天頂緯度線」である。
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(C) 2017 OHKAWA
 
 天頂緯度線をキャッチすると、1度の60分の11分の精度で緯度が測定できる。ゆえに原始以来、人類は精密に緯度と方位が測定できる天頂緯度線をキャッチして生命を保持できたので絶滅しなかった。彼らは遠くの地までを旅して往来することができ、大海をも往来することができた。したがって、前期縄文初頭以後、〔乾坤(けんこん/天と地)に分かれる形をした天頂緯度線が通過する銀河〕を「造化の神」と敬って崇拝したことになる。
 B図の右上に示すように、「天頂緯度線のキャッチ」は[(げん)]の字源・字形・字義となった。「天頂緯度線・子午線」の形を図案した[(とう)]の下に[(よう)]が加わると[]となり、『説文解字』は[]の字源を「小なり。子の初生の形に象(かたど)る」と解説する。ゆえに、[]の字源は「母体の子宮で育った胎児がこの世に初めて生まれたばかりの小さな子」であった。この[](初生の子)は上記した『古事記』序の冒頭文における「気象(生命の兆し)」をあらわす。
 だから、「参神造化(さんしんぞうか)の首(はじめ)に作()す」という文は、生命の兆しがあらわれた銀河の形状を貫通した縄文時代の天頂緯度線と土器造形革命の歴史を注目して考えるべきことになる。

◆わが国の土器・土偶における造化(芸術)革命は、前期縄文に関東地方から起きた。中期縄文になると、世界に類をみない豊かな装飾性と高度の芸術性が表現される土器・土偶が山梨県や長野県の八ヶ岳山麓で造られた。これらの土器・土偶は、下に示す写真の文字作成銀河の各部のイメージを造形するものであった。そして、夏音文字の学芸もまた文字作成銀河の各部のイメージを造形するものであった。

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 ▲文字作成銀河の写真

 C図は、〔歳差(さいさ)〕という天文現象にもとづいて再現した(1)前期縄文初頭、(2)中期縄文初頭、(3)後期縄文初頭の北緯36度の天頂緯度線図である。
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(C) 2017 OHKAWA

 『古事記』上巻の創世の神々の記事において「参神造化の名は、()天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)()高御産巣日神(たかみむすひのかみ)()神産巣日神(かむむすひのかみ)であった」と記す。ゆえに、(1)前期縄文初頭の神が天之御中主神、(2)中期縄文初頭の神が高御産巣日神、(3)後期縄文時代初頭の神が神産巣日神となる。
 前期縄文~後期縄文初頭までにおいて、最も芸術性豊かな土器・土偶は山梨県や長野県の八ヶ岳山麓や新潟県信濃川流域などの集落で造られた。この山梨県から新潟県信濃川流域までの中央に相当するのが北緯36度の長野県の八ヶ岳山麓である。
 ゆえに、C図は北緯36度の天頂緯度線であらわすことにした。

C図の銀河は、下に示す「文字作成銀河各部の名称図」の左上にある。

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 ▲文字作成銀河各部の名称図

 C図の(1)(2)(3)の北緯36度の天頂緯度線は、時代が新しくなるごとに南へ南へと下った。したがって、(1)の天頂緯度線より北側の「最北の輪の銀河」に、前期縄文初頭より以前の早期縄文と草創期縄文の天頂緯度線が貫通していたことになる。ゆえに、「最北の輪の銀河の形状」を見て、太安万侶は「混沌(こんとん)として既(すで)に凝固した、気象(生命の兆し)が未(いま)だあらわれない、名も無く為(わざ)も無い」と表現したことになる。
 そして、(1)の天頂緯度線が貫通する「三つ輪の銀河」を「天」、人の姿に相似する「十字の銀河」を「人が住む地」に見立てて、安万侶は「然(しか)れども乾坤(けんこん/天地)初めて分かれて」と表現した。
 D図に示すように、(1)(2)(3)の天頂緯度線が貫通する「十字の銀河の西側」には、〔乳房・子宮・妊婦の腹部(おなか/子宮が重なる西側の右足)〕に観える銀河部がある。
S924
(C) 2017 OHKAWA

 したがって、「十字の銀河」は「妊娠した女性」に観える。「妊娠した女性」は「気象(生命の兆し)」をあらわす。また、(2)「高御産巣日神」と(3)「神産巣日神」という名に共通する「産巣日」は、「三つ輪の銀河」が「鳥が卵を産む巣の形」と「東から昇る夏至・春分と秋分・冬至の朝日」に観えるゆえ、「気象(生命の兆し)」をあらわすことになった。

◆下に、縄文前期に作られた山梨県東八代郡・御坂(みさか)町の花鳥山遺跡から出土した深鉢(ふかばち)の写真を示した。
Photo_3
 ▲縄文前期の御坂町の花鳥山遺跡から出土した渦巻文深鉢

 この深鉢の器面には渦巻文(うずまきもん)がほどこされている。
 また下に、縄文中期に作られた御坂町の桂野遺跡から出土した深鉢の写真を示した。
Photo_4
 ▲縄文中期の御坂町の桂野遺跡から出土した渦巻文深鉢

 この深鉢の器面にも渦巻文がほどこされている。この両深鉢の目がまわるほどの渦巻文は、上に示したC図の「強力なエネルギ―が感じられる気象あふれる(生命力あふれる)三つ輪の銀河」を造化(造形)するものであったのである。
 次に、日本最古の国宝“縄文のビーナス”と呼ばれる妊娠土偶の写真を示した。
Photo_5
 ▲日本最古の国宝「縄文のビーナス」中期縄文時代(5000年前)

 妊娠土偶・縄文のビーナスは、C図の(1)(2)(3)の天頂緯度線となった(北緯36)の長野県茅野(ちの)市の八ヶ岳山麓の棚畑(たなばたけ)遺跡から出土した。縄文のビーナスはC図のおける(2)となる中期縄文初頭・約5000年前頃に作られた。
 下のE図
に示すように、縄文のビーナスの帽子の上には渦巻文が刻まれる。
S925
(C) 2017 OHKAWA

 真っ直ぐ立つ観察者の頭上に〔天頂〕が存在し、A図のごとく天頂緯度線をキャッチする人はE図左側の縄文のビーナスのごとく、つまりの妊婦のごとく腹部(おなか)を丸くして前へ突き出して仰ぐ。妊婦像の縄文のビーナスの帽子は天頂を仰ぎ見る人の頭の形に合致して斜(なな)めとなる。したがって、「縄文のビーナスの帽子の渦巻文」は中期縄文初頭の天頂緯度線(C図3(2))が貫通した「三つ輪の銀河」を表現するものとなる。
 縄文のビーナスの胸部は〔十字形〕である。だから、縄文のビーナスは「十字の銀河」をモデルにして「十字の銀河の子宮と重なる腹部」で「縄文人たちの天頂緯度測定のポーズ(A図の右図)」をあらわす妊娠土偶であったのである。
 そして、縄文のビーナスの腹部を抱え込むポパイの太い腕のような部分は、F図に示す「人の横顔に酷似する銀河の左手と右手に観える鬼の姿に似る銀河(十字の銀河の隣の銀河)」を造形したものと考えられる。
S931
(C) 2017 OHKAWA

 上に示した「文字作成銀河各部の名称図」の右下に「夏の銀河の西南部」がある。
 「文字作成銀河の写真」を撮影した藤井旭(あきら)氏が著作した『透視版 星座アルバム』(誠文堂新光社発行)115頁は「夏の銀河の西南部の形状」を「わが銀河系の中心方向に群がる無数の星と、入り乱れる星間物質が、わきあがる入道雲のような迫力に満ちた姿でせまる」と表現する。
 ゆえに、上に示した前期縄文の御坂町の花鳥山遺跡から出土した深鉢と、中期縄文の御坂町の桂野遺跡から出土した深鉢にほどこされた迫力に満ちた渦巻文は「無数の星と入り乱れる星間物質が渦巻く夏の銀河の西南部」をも表現するものであって、「三つ輪の銀河」だけを表現するものではなかった。
 したがって、縄文のビーナスもまた「入道雲が渦を巻いて湧きあがる圧倒的な形で迫る夏の銀河の西南部における胎児の姿に似る銀河」(文字作成銀河各部の名称図を参照)をも表現する妊娠土偶であったことになる。
 下に示す写真は縄文のビーナスが出土した長野県茅野市八ヶ岳山麓の中(なか)ッ原(ぱら)遺跡から出土した「仮面の女神」と名づけられた妊娠土偶である。

Photo_6

 ▲重文・仮面の女神 後期縄文時代(4000年前)

 
「仮面の女神」はC図の(3)の天頂緯度線の時代・約4000年前頃の、夏音文字が習得された後期縄文時代初頭に作られた。
 G図に示すように、「仮面の女神の顔」は「人の横顔に酷似する銀河」をモデルとし、「仮面」は「はくちょう座のε星・γ星・δ星・β星を連結した三角形」をあらわした。
S932
 
 そして、注目すべきは「仮面の女神の臍(おへそ)を中心とする同心円」である――この「同心円」は「夏の銀河の西南部の渦巻」をあらわす。また、「仮面の女神の太くどっしりとした両足」は「巨大な夏の銀河の西南部」をデザインするものであったことになる。
 
 このような事例からして、関東地方以外の地から出土した前期縄文初頭~後期縄文初頭までの土器にほどこされた渦巻文・渦巻がほどこされた土偶・妊娠土偶などもまた、文字作成銀河の「左上の三つ輪の銀河から右下の夏の銀河の西南部までの、文字作成銀河各部の形状」を表現するものであったことになる。
 前期縄文初頭からの約2000年間の土器・土偶作りの伝統を受け継ぐ後期縄文初頭の芸術家たちは中国から日本列島に移住した氏族が話す夏音語はチンプンカンプンで理解できなかったが、移住した氏族が文字作成銀河の各部を指差し地面に図を描いておこなう夏音文字の字源・字形・字義の解説は理解できた。だから、わが国では夏音文字の学芸を習得できたのである。

◆なお、夏音文字は“夏の始祖”の帝禹()の後を継いで帝となった益(えき)の孫の王子と益氏を継ぐ若者たちが大海を越えて、日本列島の東北地方の男鹿(おが)・米代川(よねしろがわ)縄文文化圏に定住したため、夏音文字の学芸が習得されることとなったのである。
 ゆえに中国から忽然(こつぜん)と消えて日本列島に移住した益氏について、司馬遷(しばせん)著『史記(しき)』世家(せいか)
六の陳杞(ちんき)世家は「帝王となった益の子孫は、中国のどこに封(ほう)ぜられたのか不明である」と記述する。
 帝益の孫の王子は『日本書紀』第三の神武(じんむ)天皇紀の初頭記事で「天祖(てんそ)」と称され、その名は「彦火瓊瓊杵尊(ひこほににぎのみこと)」と記され、「この世(日本列島)は野蛮で草昧 (そうまい/草深く未開)であり、蒙昧 (もうまい/無学無知)であった」という表現で「文字が発明されていなかった状況」が示され、夏音文字の学芸が習得された様子は「天祖とその子の尊(みこと)は、神ひじりのように徳高く、善政をかさね、恩沢(おんたく)も行きとどき、かくして年月が経過した」と説明する文で示される。
 『魏志』倭人伝は天祖と益氏の若者たちを「大夫(だいふ)」という語で示し、『万葉集』では「大夫」を「ますらを」と読み、今日では「大夫」は「益荒男(ますらお)」と表記される。この「益荒男」は「名門益氏の王子と若者たちのごとく、荒々しい高波を幾重にも乗り越えて大海を渡った雄々(おお)しい男性」を略した語であったのである。
 夏音文字の学芸に精通した夏代初頭に帝王となった益の孫の王子と若者たちが日本列島の男鹿・米代川縄文文化圏に移住した。そして、益氏は居住地周辺地域の氏族たちにこれまで列島の存在したどの発明よりもはるかに優る発明(夏音文字の学芸)を教え授けており、この発明によって強大な権力(ちから)・集落と氏族の繁栄・最高の尊敬を手に入れることができるであろうという噂(うわさ)は、遥か遠い関東地方まで達した。当時は、B図に示した[](天頂緯度線と子午線)をキャッチすれば益氏の定住地から遠い信州の八ヶ岳山麓までの道程(みちのり)を往復できたゆえ、縄文のビーナス芸術の伝統を受け継ぐ信州の芸術家たちは益氏の居住地を訪(たず)ねて益氏が説明する神聖な発明を学び習得することができたのである。
 また、列島各地に住む文字作成銀河から優れた土器・土偶を作った芸術家たちがいた氏族もまた、益氏が教える夏音文字の学芸が理解して習得できた。
 だから、わが国では夏代初頭(後期縄文時代初頭)に夏音文字の学芸が伝来して習得されていたことになる。
 したがって、学者たちが「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀であった」と断定する定説は、「古事記上巻 序幷」の冒頭記事を誤読した空想・妄想(もうそう)であり、『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付いて多数記載されて実在する夏音文字に「無い無いバアー」と呪文(じゅもん)をかけてことごとく存在しないことにしたウソ八百・偽りであったことになる。
 
 

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2018年1月11日 (木)

真実の日本国誕生史・35

 ●要約と結論・1
■他に事例が無い『古事記』の「序」の秘密
 
 あらかじめ「真実の日本国誕生史・34(前回)で終わりにしようと考えていた。しかし、「要約と結論」の6回を加えて、「真実の日本国誕生史シリーズ」は40回で終了することにした。

はじめに
 

 現存する最古の『古事記』の写本は、1372(応安5)に愛知県真福寺の僧侶によって書写された国宝の「真福寺(しんぷくじ)本」である。

Photo
▲国宝・真福寺本『古事記』愛知・真福寺宝生院蔵

 上に示すように、真福寺本の『古事記』の序は「古事記上巻 序幷(古事記上巻 幷 (あわ)せて序)」と表記する。このような「序」は他に事例がなく、極めて特殊である。
 朝廷は大和朝廷の基礎を築いた、朝廷が最も崇拝する最高の先祖である皇祖天照大御神(母子)にとって恥辱的な歴史となる日本国誕生史の真相を絶対に後世に伝えてはならぬと厳重に禁じた。しかし、編纂(へんさん)スタッフは抵抗して『古事記』上巻の随所に〔日本国誕生史の真相が解明できる仕掛け〕を仕組んだ。この〔仕掛け〕を『古事記』上巻の冒頭の「序」で説明しなければならなかった。だから、「古事記上巻 序幷」」と表記されることになったのである。

1 漢字は銀河から作られた

 『古事記』は上巻・中巻・下巻の3巻で構成される。このように3巻に分かれる書物の場合、ふつう「序」は「全3巻の序」ということになる。
 しかし、『古事記』の「序」は『古事記』上巻だけに限る「序」である。この秘密をあらわして「古事記上巻 序幷」と表記された。

 『古事記』の中巻と下巻には記載されずに、上巻だけの随所に〔音〕という注を付く文字が多数記載された。この音文字は、紀元前2070年~紀元前2050年頃の後期縄文時代初頭、中国からわが国に伝来した。後期縄文時代初頭は、中国の夏代 (かだい)初頭である。ゆえに、『古事記』の上巻だけに記載された〔音文字〕は「夏音(かおん)文字」であった。
 夏音文字は、下に示す写真「文字作成銀河の各部の形状」を「字源・字形・字義」とし、書いた文字が用済みになったならば即座に消さない者あるいは消し忘れた者は天罰がくだって死刑に処せられるという厳重な掟(おきて)が定められた原初漢字であった。

Ginga
▲文字作成銀河の写真

 
 このため、夏音文字が記された資料は中国でもわが国でもいまだ1点も発見されていない。
 これゆえ、学者たちは「夏音文字はわが国には伝来していない」と思い込み、「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」と断定した。
 でも、夏音文字は『古事記』上巻に多数記載されて現存し、『魏志』倭人伝にも幾つかの夏音文字は記載され、「卑弥呼」を「ヒミコ」と読むのは夏音文字の字音である。だから、学者たちの〔思い込みと誤読の空論〕で「わが国には夏音文字は伝来していない」と断定した定説に反して、わが国に後期縄文時代初頭に伝来した原初漢字の夏音文字は実在することになった。
 『古事記』上巻の序の末部において「楷書の〔日下(にちげ)〕は夏音文字の〔玖沙訶(くさか)〕と同義である、楷書の〔帯(たい)〕は夏音文字の〔多羅斯(たらし)〕と同義である」と解説する。
 学者たちは「玖沙訶」と「多羅斯」は〔音だけが存在するが、楷書のごとく字源・字形・字義は存在しないはずだ〕と思い込んだ。しかし、夏音文字「玖沙訶」と「多羅斯」の各字は楷書と同じく字源・字形・字義を有した。だから、夏音文字「玖沙訶」は楷書「日下」、「夏音文字「多羅斯」は楷書「帯」と同義という関係が成立したのである。
 つまり、『古事記』が成立した712(和銅5)当時の楷書より以前の夏音文字を含むすべての漢字は必ず文字作成銀河各部の形状を字源・字形・字義とした。ゆえに、『古事記』に用いられる夏音文字と楷書は文字作成銀河各部の形状から作られ、幾つかの夏音文字と楷書を連ねて組織される語(ことば)の語源は文字作成銀河各部の形状であった――この文字作成銀河各部の形状が「辞(語と漢字)の原理」となる事実を、『古事記』上巻の序の末部で「辞理(じり)の見えがたきは、注を以て明らかにした」という文で説明した。つまり、「文字作成銀河各部の形状を見て、夏音文字が連なる字の語の語源を楷書で表記できない場合は注を加えて明らかにした」という、この状況を「辞理の見えがたきは、注を以て明らかにした」と説明したのである。

 『古事記』上巻の序の初頭部には「陰陽斯(ここ)に開けて、二霊群品(にれいぐんぴん)の祖(おや)と為()る」と読み下(くだ)す文がある。この文は「陰の伊耶那美命と陽の伊耶那岐命の二人が、わが日本国のすべての生みの親となった」と意味した。ゆえに『古事記』編纂スタッフは朝廷の欲求を無視して「伊耶那美命と伊耶那岐命を日本国の思想・学術・芸術・産業・文化・風習の生みの親であり、二霊は日本国民が敬愛して最も尊んだ至上神(最高神)である」と後世に伝える役目を人間として実行しなければならない使命としたのである。
 いっぽう、朝廷にとっての最高神(最高の先祖)は天照大御神母子であった。
 大和朝廷が最も崇拝した天照大御神母子は【日本建国の〔愛〕の理念】を唱えた伊耶那美命と伊耶那美命没後に【日本建国の〔愛〕の理念】を継承した伊耶那岐命を憎悪し、人民が【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重することを厳重に禁じた。したがって、『古事記』編纂事業は、朝廷と国家に歯向かう抵抗運動(レジスタンス)であったのである。
 前述したように、伊耶那美命と伊耶那岐命によって築かれた日本国誕生史は天照大御神母子の聖性をいちじるしく汚すものとなった。ゆえに、朝廷は編纂スタッフに――天照大御神母子が日本国を誕生させた生みの親であると捏造(ねつぞう)する偽書の作成――を欲求した。言いかえると、朝廷は【日本建国の〔愛〕の理念】を後世に伝える史書は即刻に焚書(ふんしょ)・抹殺(まっさつ)すると脅迫していた。
 この朝廷の脅迫は、中国の正史『新唐書 (しんとうじょ)』日本伝に「後稍(のちやや)夏音を習う」と記述されて残った。『古事記』が元明天皇に献呈された10年前の702年に派遣された遣唐使は、中国王朝に「後稍夏音を習う」つまり、「壬申(じんしん)の乱(672)稍々夏音文字を復興することになった」と伝えていた。
 天照大御神母子は夏音文字の学芸(学術と芸術)を政権基盤にして、大和朝廷の基礎を築いた。ゆえに、夏音文字をまったく記載しないと天照大御神王朝が最も重視した政治基盤であった夏音文字の学芸が何時(いつ)しか滅びることになるので、朝廷は後世の天皇たちが天照大御神母子を模範(もはん)にして夏音文字の学芸を最も尊重すれば皇室は永遠に衰退・滅亡しないと考えた。ゆえに、夏音文字の学芸を朝廷と国家が独占管理して厳重に機密保持できるようにするために、朝廷は夏音文字を稍々(少しだけ)復興する偽書を作成するよう編纂スタッフを脅迫した。
 この朝廷の「後稍夏音を習う」という欲求がヒントとなって、編纂スタッフは夏音文字を〔稍(少し)〕ではなく〔多数〕記載すれば後人(こうじん)は夏音文字と楷書を銀河各部の形状に変換して真実の歴史を知ることができると逆発想したのである。

◆だから、『古事記』上巻に多数の夏音文字が記載された。
 『古事記』が編纂された8世紀初頭当時、絶大な権力を国家の柱とする天照大御神母子を崇拝する皇族・体制側グループと対立して、『古事記』編纂スタッフは伊耶那美命・伊耶那岐命を崇拝する、夏音文字の学芸に精通する皇族や学識者たちで組織されていた。
 編纂スタッフは――『古事記』上巻の随所に多数の夏音文字を記載すれば、後人(こうじん)たちは多数の夏音文字はいかなる文字かと必ずや注目して研究するようになり、やがて夏音文字の字源・字形・字義は文字作成銀河各部の形状であることに気づき、楷書の字源もまた文字作成銀河各部の形状である事実を解明するにちがいない――と考えた。この考えのもとに朝廷が欲求する通りの虚偽の歴史を書いたと偽装(ぎそう)した記事(伊耶那岐命の黄泉国訪問説話)を挿入(そうにゅう)して、『古事記』を天皇が献呈許可する正史にしようと編纂スタッフは企んだ。
 「銀河」の別称は「銀漢」であった。「漢字」という名称は「銀漢各部の形状から作られた文字」の略称であった。また「天に多数の文字がある」ため「天体」は「天文」と称され、「天にある銀河各部の形状が文字である学術に精通する大王」であるから「天皇」は尊敬されたのである。
 要するに、「漢字」は「銀漢から作られた文字」であるから「漢字」と呼ばれる語源の秘密に気づいた後人たちは、夏音文字と楷書は文字作成銀河各部の形状から作られた事実を察知することができるにちがいないと編纂スタッフは考えたのである。
 しかし、編纂スタッフの企(たくら)みは元明(げんめい)天皇に見破られて、『古事記』は献呈拒絶され、危険思想を育成する反逆書となって読むことを厳重に禁止された。
 というのも、『古事記』上巻にある多数の夏音文字を注目して反体制者たちが夏音文字も楷書も銀河から作られた秘密に気づいて研究すると、朝廷の最強の権力基盤は「銀河から作られた夏音文字の学芸」であると解明され、さらに伊耶那美命が〔愛〕を国作りの基柱(はしら)にした日本国誕生史も知られることになるので、反体制者たちが【日本建国の〔愛〕の理念】を旗印にして革命を起こすと皇室は容易に滅亡すると恐れたのである。
 「漢字」を「銀漢から作られた文字」と発想しないがために、夏音文字と楷書は文字作成銀河から作られた事実に気づかない新井白石 (16571725)以後の学者たちには上巻に記述された歴史がまったく解明できないことになった。
 しかし、夏音文字は朝廷の最も強力な権力基盤であることを知って夏音文字と楷書は共に文字作成銀河から作られた学術を密(ひそ)かに学んだ白石以前の人々は、『古事記』上巻の日本神話は真実の歴史を伝えていることを知っていた。しかし、「革命」は伊耶那美命が唱えた「【日本建国の〔愛〕の理念】に反する行為」であったために、朝廷の支配が長く続いた。
 ところが、源頼朝による鎌倉幕府の創設は【日本国の〔愛〕の理念】を旗印にして興した「革命」とは言い切れないが「革命に限りなく近い強力な反抗」であった。つづく足利氏の室町幕府も同様に【日本建国の〔愛〕の理念】を掲げる革命に限りなく近い強力な反抗政権であり、いわゆる金閣寺や龍安寺(りょうあんじ)の石庭などの室町文化は『魏志』倭人伝と『古事記』上巻に記述された夏音文字の学芸と日本国誕生史を表現するものであった。そして織田信長と徳川家康もまた夏音文字の学芸と【日本建国の〔愛〕の理念】の復興に一生を捧げ、この信長と家康の夢と情念を後世の人々が知ることができる遺跡や文化遺産が多数現存する。このように武士たちの夏音文字の学芸と【日本建国の〔愛〕の理念】への白熱と化した熱烈なる情念は、夏音文字の学芸遺跡はじめ文化となって現存する。したがって、彼らが【日本建国の〔愛〕の理念】へ傾倒した熱き魂は日本の学芸と文化の幽暗(ゆうあん)な秘め事となる夏音文字の学芸の存在に気づけば直(ただ)ちに鮮烈・明確に蘇(よみがえ)る仕組みとなっている。

 以上のごとく、『古事記』上巻の序の初頭部にある「伊耶那美命と伊耶那岐命がすべての生みの祖(おや)である」と伝える歴史の秘密となる日本国誕生史の真相を、朝廷は絶対に後世に伝えてはならないと禁じた。このため、『古事記』の「序」を書くことになった太安万侶(おおのやすまろ)は――上巻の随所の〔音〕という注が付く夏音文字の語句を文字作成銀河各部の形状に変換すれば、上巻の歴史が明確になるように――編纂スタッフが仕掛けた企(たくら)みを『古事記』の「序」では説明しなければならなかった。
 
だから、この事情を明確に示して『古事記』の「序」は他に事例が無い、世にも珍しい「古事記上巻 序幷」と表記されることになったのである。
 したがって『古事記』の冒頭(しょっぱな)の「古事記上巻 序幷」という表記は、『古事記』は朝廷が「後世に絶対に伝えてはならぬ」と厳重に禁止した真実の日本国誕生史を伝える文献であることを示す。要するに、「古事記上巻 序幷」は『古事記』は反逆の史書であったことを明確に示す証拠(あかし)であったのである。

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