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2018年3月

2018年3月26日 (月)

漢字習得定説のウソ・4

 ●倉頡伝説は荒唐無稽の空想ではなかった・4
■「黄帝の銀河」と「倉頡の銀河」の解説

◆「銀河」の別名は「銀漢」である。だから「銀漢から作られた文字」を略して「漢字」と呼ばれることになった。
 紀元前3000年ころ、黄帝(こうてい)につかえた倉頡(そうきつ)は漢字を作る銀河の範囲を定め、また漢字を作成する原理「鳥獣(ちょうじゅう)の足跡(あしあと)」も発明した。倉頡が定めた漢字を作る銀河の範囲は、下の写真に示す秋の銀河の西部と夏の銀河であった。この「銀河の範囲」を、わたくしは「文字作成銀河」と名づけることにした。

Ginga
 ▲文字作成銀河の写真
 
 
 
倉頡はみずからが考案した文字が最も強力な権力、莫大(ばくだい)な富、最高の名声を手に入れる方法であることに気づき、もしも反体制側の人々が文字の学芸を習得して革命に利用したならば王朝は容易・簡単に滅亡すると心配した。ゆえに、倉頡は下に列記する3つの掟(おきて)を破った人物には神罰(しんばつ)が下って直(ただ)ちに死刑にすると定めた。
●倉頡が死刑と定めた3つの掟
(1)
 文字作成銀河の各部の形状から文字が作られた秘密を暴露(ばくろ)した者
(2)
 文字を容易に習得するために、文字となる銀河各部に名称を付けた者
(3)
 書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消さない者または消し忘れた者

 紀元前3000年頃から始まる五帝時代の倉頡文字と、紀元前2070年頃から始まる夏代(かだい)の夏音(かおん)文字と、紀元前1600年頃~紀元前1300年頃までの殷代(いんだい)前半の原初漢字は、上記した倉頡が死刑と定めた3つの掟を厳重にまもった。このため、原初漢字(倉頡文字・夏音文字・殷代前半の文字)が記された史料が中国においてもわが国においても未(いま)1点も発見されないため、現在の学者たちは倉頡が漢字を発明したと説明する伝説は荒唐無稽(こうとうむけい)の空想と思い込んだ。
 上記した(3)の掟は紀元前1300年頃から始まる殷代後半に出現した亀の甲羅(こうら)に文字を刻んだ甲骨(こうこつ)文字によって破られた。しかし、甲骨文字は(1)(2)の掟については厳重に守った。だから、(1)の掟によって「漢字が銀河(文字作成銀河)から作られた事実」は現在においても不明となり、また(2)の掟によって「銀河(文字作成銀河)各部の名称」は存在しないことになり、この倉頡の(2)の掟の伝統は現在まで受け継がれている。

漢字の起源の歴史を伝える倉頡伝説は、一般的に――太古、黄帝の時代に、倉頡という四つ目の怪人がいて、鳥獣の足跡からヒントを得て、はじめて文字を作り、古代の結縄(けつじょう)の法に代えたので、天は祝福して穀物を降らせ、死霊(しれい)の感泣(かんきゅう)する声が夜()な夜な空に聞こえたというのである――と現代語に訳される。
 上記の倉頡伝説は――黄帝の時代に生存した“四つ目の怪人・倉頡”が文字を作成する銀河の範囲を定め、さらに漢字作成原理「鳥獣の足跡」を発明して漢字は起源することになり、古来(紀元前4000年頃から始まる
三皇時代)の占いに用いた記号であった結縄と代えた。(結縄では古来の三人の大王の氏族名をあらわすことができなかったので、倉頡が発明した文字によって三人の大王の名は包犧(ほうぎ)、女媧(じょか)、神農(しんのう)と定められた)。ゆえに、包犧、女媧、神農の各氏族たちの死霊は祝福して穀物を降らせ(つまり、雨を降らせて豊かな穀物を与え)、その死霊は感激して夜な夜な泣く声が空に聞こえるようになった(つまり、夜な夜な輝く文字作成銀河各部の形状が示す文字によって、三皇時代の歴史を知ることができた)――と意味するものであったのである。
 上記したように、倉頡伝説は「倉頡が四つ目の怪人」であったと伝える。
 これゆえ、学者たちは「とんでもない! 人間には目が四つも無い」と鬼の首でも取ったかのごとく得意になって、倉頡伝説を「荒唐無稽(こうとうむけい)な空想!」と決めつける。
 しかし、わがブログは前回の「漢字習得定説のウソ・1」にて、「四つ目の怪人」とは上掲した「文字作成銀河の範囲」をあらわすものであることを証明した。
 わがブログ「漢字習得定説のウソ」の2回と3回は、倉頡伝説の登場する「鳥獣の足跡」とは、倉頡が発明した「漢字作成原理の名称」であったことを証明した。倉頡は、A図の左側の「十字の銀河」はが女体(にょたい)のごとく「乳房」や「子宮」に観()える箇所(かしょ)があり、そして「腹部が妊婦(にんぷ)のごとく丸い」ので、「文字作成銀河各部の形状から作られたすべての漢字は、十字の銀河から生まれる」と定めた。この漢字作成原理の名称が「鳥獣の足跡」であった。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 また、「四つ目の怪人」とは、上記したように「文字作成銀河の範囲」をあらわすだけでなく、A図の右下の「鬼の姿に似る銀河」をあらわした。「鬼の姿に似る銀河」の首には両目があり、その横顔にも両目となる銀河部位があるゆえ、「鬼の姿に似る銀河の横顔から首にかけての銀河」は「四つ目の銀河」ということになる。ゆえに、「鬼の姿に似る銀河」は「倉頡」をあらわすと共に「四つ目の怪人」と呼ばれることになった。
 したがって「四つ目の怪人・倉頡」は「漢字は文字作成銀河各部の形状から作られた」と伝える役割(やくわり)を有した。だから、倉頡伝説は「荒唐無稽の空想」ではなく、倉頡伝説にケチをつけた学者たちの意見のほうが「荒唐無稽の空想」であったことになる。
 上記した倉頡が死刑と定めた(2)の掟のために、「文字作成銀河各部の名称」は現在においても学問上確立されていないため、存在しない。しかし、「倉頡が漢字を作成する方法を発明した事実」を証明するためには、「文字作成銀河各部の名称」がどうしても必要であるゆえ、わたくしは下に示すように各部の名称を定めた。A図の「十字の銀河」と「鬼の姿に似る銀河」は、下の「文字作成銀河各部の名称図」の左上にある。
Photo

 ▲文字作成銀河各部の名称図

倉頡がつかえた黄帝は、東洋最古の医学書『内経(ないけい)』を作ったと伝わる。『内経』の[]の字源・字形・字義は「女性の生殖器(せいしょくき)・子宮に宿る胎児(たいじ)や出産器官の産道」をあらわした。黄帝の医学研究は中国最初の事業であったので、三皇時代の結縄(けつじょう/易に用いる記号)では黄帝の研究をあらわすことができなかったので、倉頡が黄帝の医学研究をあらわすことができる文字を発明することになったのである。
 前々回のわがブログ「漢字習得定説のウソ・2」でも解説したように、天文における「歳差(さいさ)」という現象にもとづくと、紀元前3000年頃の五帝時代初頭、B図に示すように、北緯3536分の陝西省(せんせいしょう)の黄陵県(こうりょうけん)の黄帝を祭る廟(びょう)と黄帝の墓とされる黄帝陵と北緯31度の太湖(たいこ)南岸の天頂に、A図に示した「十字の銀河」と「四つ目の銀河」がめぐってきた。
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(C) 2018 OHKAWA

 したがって、黄帝と倉頡が生存した五帝時代初頭において、中国各地の天頂に倉頡が発明した「鳥獣の足跡」の「すべての漢字を生む母体の十字の銀河」と「四つ目の怪人」と呼ばれることになった「四つ目の銀河」がめぐってきたことになる。
 C図に示す「女性の生殖器官の側身形」は「鳥(水鳥)の側身形」に相似する。
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(C) 2018 OHKAWA

 D図に示す「獣」の「ジャコウウシ」は「第5週始め頃の胎児(たいじ)の姿」に相似すると見立てられた。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 E図に示す「獣」の「「フタコブラクダの離れた両目の配置」は「第7週の胎児の顔の両端(りょうはし)に離れた両目」に相似する。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 F図に示すように、「十字の銀河の西半身」は「東から西へ向かって歩く女性の姿」に観えるため、「鬼の姿に似る銀河」は「女性がこれから歩いて行く通路」に見立てられた。「十字の銀河の東半身」は「西から東へ向かって弓を手に持つ男性が歩く姿」に観えるゆえ、「鬼の姿に似る銀河」は「男性が東へ向かって歩いて来た通路」に見立てられた。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 そして「通路」となる「鬼の姿に似る銀河」には「十字の銀河の両足の足跡が、雨が降った後のやわらかい土や海岸の砂浜や湖岸の渚(なぎさ)の上には残る」と想像されることになった。
 したがって、C図の「鳥」にD図とE図の「獣」が加わり、さらにF図の「通路に残った足跡」のイメージが加わって、倉頡が発明した文字作成原理は「鳥獣の足跡」と呼ばれることになったのである。
 D図の「ジャコウウシ」とE図の「フタコブラクダ」は、倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」を象徴(しょうちょう)する聖獣(せいじゅう)となった。

◆G図は「黄帝」の[]の字源解説図である。
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(C) 2018 OHKAWA
 

 []の古代字形は女体に相似する「十字の銀河」を「矢の形」に図案して、「十字の銀河の腰のあたり」に「円形」を加えた図案である。この「円形」は「女性の骨盤」をあらした。
 というのも、D図に示した「ジャコウウシ」は「女性の骨盤」に見立てられたからである。つまり、G図における[]の古代字形における「十字の銀河の腰のあたりの円形」は「天敵(てんてき)のオオカミにおそわれると、子ども真ん中にかくすジャコウウシの群れが作る円陣」をあらわし、その「円形の真ん中の二又(ふたまた)に分かれる箇所」は「円陣の真ん中にかくすジャコウウシの子ども」をあらわした。ゆえに、「ジャコウウシ」は「胎児が宿る子宮をまもって円形に包囲する女性の骨盤」に見立てられたのである。
 黄帝は女性の生殖器を研究したゆえ、女体生殖器の解剖(かいぼう)に「火矢(ひや)」つまり「肉を鋭(するど)く切るメス(小刀)として、矢の先端に付く鏃(やじり)を火で焼いた火矢(ひや)」を用いた。だから、[]の古代字形の骨格(こっかく)は「メスとなった矢の先端の鏃」を示して[]の図案となった。というのも、「黄帝が中国各地に遠征して、天下を治めた」ゆえ、黄帝が天下を治めた事業は「武器の矢」で表現されたからである。
 司馬遷(しばせん)著『史記』五帝本紀(ごていほんぎ/第一)は「黄帝軍は黄帝陵付近から揚子江(ようすこう)や太湖(たいこ)付近まで遠征(えんせい)した」と記述する。ゆえに、B図の「北緯3536分から北緯31度までの太湖南岸までの黄帝軍の遠征」は「矢」であらわされることになった。
 あるいは、その「矢」の図案は――人間の背側にある脊髄(せきずい)は弓状に曲がり、矢を番える側(腹側)に内臓があること――をも示すものかもしれない。
 「矢と鏃を入れる匚(はこ/)」は「靭(ゆぎ)」であった。ゆえに、[]の中に[]を入れて[]の字が作られた。中国の医学は黄帝から始まったゆえ、「黄帝」の[]の古代字形は「黄帝は火で焼いた鏃をメスに用いて、女体生殖器を解剖した」と表現する図案となった。

[(うし)]]の原義(げんぎ/最初の文字の字義)は「ウシ」ではなく、[]の原義は「ジャコウウシ」であった。[]の原義は「ウマ」ではなく、[]」の原義はE図に示した「フタコブラクダ」であった。だから、『魏志』倭人伝には「倭国には牛と馬は無し」という記事があるが、この記事は「倭国には[]の原義のジャコウウシと[]の原義のフタコブラクダは生息しない」と意味したことになる。
 匈奴(きょうど)・ツングース族の人々にとって[]のフタコブラクダは「沙漠(さばく)の船」と呼ばれるほど、砂漠を往来するときに欠くことができない大切な家畜である。その二つのコブは脂肪の貯蔵庫で、数日間食物をとらずに働くことができ、3日間も水を飲まなくても平気である。フタコブラクダの足の指はじょうぶで砂漠を歩くのに都合(つごう)がよかった。ツングース族は深い穴を掘って死者を葬り、一匹のフタコブラクダを殉死(じゅんし)させてその血を墓の上に注(そそ)ぐ風習があった。翌年あるいは数年後に草がおおって茂って墓の場所がわからなくなっても、フタコブラクダは殉死したフタコブラクダの血を嗅()ぎあてることができたゆえ、墓の場所がわかったと言う。これゆえ、フタコブラクダはB図に示した天頂緯度線をキャッチできる優(すぐ)れた能力を有すると信じられることになり、漢字作成原理「鳥獣の足跡」を象徴する聖獣となったのである。
 H図に示すように、天頂点(てんちょうてん)と重なる銀河部位が天頂点を通過する時の46秒間における軌道が東から西へと移動する線は、人類にとって1度の60分の11分の緯度差を精密(せいみつ)に判定できる緯度線となった。人類には、原始の時から日々鍛錬(たんれん)すれば、1分の緯度差を測定できる眼力と本能が脳にそなわっていたのである。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 この眼力と本能は遠くの地へ行って家族が待つ家へ帰って来る人々や大海を渡る人々の命をまもる方法であった。この人類の命をまもった天頂緯度線をキャッチできる眼力と技術(わざ)と本能は、H図右上の[(げん)]という漢字となり、[(じゅ)][(じゅつ)][(じゅつ)]という漢字にもなり、「呪力(じゅりょく)」または「呪術(じゅじゅつ)」という語となった。したがって、H図右上に示す[]をキャッチする呪力を有する五帝時代の人々は遠くのツンドラ地帯に行ってジャコウウシの狩りをしても、家族が待つ家へ帰って来ることができた。また、黄帝軍は[]をキャッチできる呪術によって、B図に示した黄帝陵がある本拠地(ほんきょち)から遠くの太湖付近まで遠征しても帰還することができた。
 文字作成銀河を観察して2世紀初頭に著作された漢字の字源を解説する字書の『説文解字(せつもんかいじ)』は、I図に示す[]の字源・字形・字義を「至高(しこう)にして上なし。一大に従ふ」と解説して、五帝時代に中国各地の精密な緯度を示した「十字の銀河」であったと伝える。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 H図に示したように天頂緯度線は最も高くそれ以上に高い天体部は存在しないので「至高にして上なし」ということになる。B図に示した五帝時代に中国南部の土地の「至高にして上なし」すなわち天頂緯度線が通過した「十字の銀河の子宮」を『説文解字』は「一大に従ふ」と解説したのである。
 つまり、I図に示す「十字の銀河の子宮」は[]の字源・字形・字義となり、女性の子宮は胎児が出産する時に最大となるゆえ「十字の銀河の子宮」は「最大になる」を字義とする[]の字源・字形となった。そして、[]の上に[]を加えると「十字の銀河」が[]の字源・字形・字義となったことを示すことができたので「一大に従ふ」と解説したのである。

◆前回のわがブログ「漢字習得定説のウソ・3」で解説したように、長崎県北部の朝鮮半島と九州本土の中間にある対馬(つしま)は、『魏志』倭人伝に登場する小国・対馬国であった。J図の中央に示すように、「対馬」の[]の字義は原義の「フタコブラクダ」であった。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 というのも、K図に示す「三つ輪の銀河」が「降水量(こうすいりょう)を極端(きょくたん)に少なくする日照りの太陽」と「沙漠(さばく/三つ輪の銀河の無数の星が輝く様子は沙漠のイメージとなる)」をあらわし、「十字の銀河」は「沙漠」をあらわす「三つ輪の銀河」に隣接(りんせつ)するゆえ[]の字源・原義は「沙漠の往来に欠くことができない家畜のフタコブラクダ」となり、「十字の銀河」は[]「フタコブラクダ」の姿に図案されることになったのである。
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(C) 2018 OHKAWA
 

 K図の右図の亜字形(あじけい)は「雨が降らずに幾日も日照りが続く沙漠と3日以上水を飲まないためにコブが消えたフタコブラクダ」をあらわしている。
 この亜字形は「乾坤(けんこん)」という語の[(けん)]が「天」の字義となった秘密をあらわす。つまり、亜字形は「雨や雪がほとんど降らず、乾燥(かんそう)する日々が続く沙漠とコブが消えたフタコブラクダ」をあらわすものであったゆえ、J図中央の[]「フタコブラクダ」の字源となった「十字の銀河」はI図の「天」を意味することになった[]の字源をあらわすことになったのである。
 H図の[]をキャッチするには、K図の亜字形が示す雨や雪が降らない乾燥する晴れた夜が何日も続けば好都合(こうつごう)となる。しかし、このような乾燥の日々が続くと、地上の草木が枯れて災害がおこりまた禾(/穀物となる植物)が枯れて多くの人々が死亡する飢饉(ききん)がおきる。したがって、太陽の陽射しが強い夏には雷(かみなり)の電光(でんこう)がきらめいて大量の雨が降り禾を植える土地(田・畑)が泥(どろ)のごとくやわらかくなって原始的な木製のクワでもたやすく耕すことができるようになり、あるいは開墾(かいこん)して田を増やすことができて食糧が増産(ぞうさん)されるほうが好(この)ましいことになる。
 この「夏に雷光(らいこう)によって大量の雨が降って木製のクワでもたやすく耕すことができまたたやすく開墾できるようになる土地が泥のようにやわらかくなる状況」を「乾坤」の[(こん)]があらわすことになった。『説文解字』は[]の字源を「地なり。易(えき)の卦()なり」と解説する。つまり、易の占いにおける卦の「坤」は「雨乞いして、雷鳴(らいめい)が轟(とどろ)いて大量の雨が降り、土地が泥のようにやわらかくなる状況」をあらわした。ゆえに、「土地」をあらわす[]に「夏の日々の雷の電光」をあらわす[(しん)]が加わると[]の字となり、その字義は「地。土」となった。
 L図は「邪馬(やま)」の語源解説図にして[]の字源解説図でもある。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 『魏志』倭人伝には倭女王の卑弥呼が居住した王国の名は「邪馬壱(やまい)国」と記すが、学者たちは「邪馬壱国」は誤記で「邪馬台国」が正しいと主張する。この王国の他に、『魏志』倭人伝は倭国には「邪馬国」という小国もあったと記す。卑弥呼が居住した王国の名と
別の小国名で共通する「邪馬」の語源は、L図に示す「邪(なな)めすなわち[]の字源となる十字の銀河より南西にある、二つのコブとフタコブラクダの横顔に見立てられた[]の字源銀河」であった。この「邪馬」の語源銀河にある「激流の銀河」が「大量の雨で氾濫(はんらん)する河川(かせん)」をあらわし、「長方形の暗黒天体部」が「木製のクワでもたやすく耕すことができる泥のごとくやわらかくなった土地」の[]の字源となった。「人の横顔に酷似(こくじ)する銀河の額(ひたい)」には、天文学で「北天(ほくてん)の最輝部(さいきぶ)」と呼ばれる「北半球に住む人々が最も光り輝いて見える銀河」がある。この「北天の最輝部」が[]の旁(つくり)[]すなわち「太陽が最も光り輝く夏の日々に鳴り轟く雷の電光」をあらわした。
 その証拠に、M図に示すように、[]の字源範囲(はんい)は「人の横顔に酷似する銀河南部から[][]の字源となる十字の銀河」までである。
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(C) 2018 OHKAWA 

◆L図を再度、参照していただきたい。「邪馬」という語は「猪(イノシシ)」をあらわすことになった。というのも、[]の字義は「斜(なな)め」であり、猪の上下のアゴに生える犬歯(けんし)は大きく発達したフタコブラクダのコブのような・半月状の牙(きば)となり、上下の牙が擦()りあわさるようになっているため、常に研磨(けんま)されて非常に鋭(するど)い。ゆえに、「邪馬」は「馬・フタコブラクダのコブのように半月状となる上下の犬歯が邪めとなって大きく発達する鋭い牙となる猪(いのしし)」を意味することになった。
 N図に示す「激流(げきりゅう)の銀河」を「大量の雨が降って氾濫する激流」に見立てると、「邪馬」の「フタコブラクダの横顔と猪の上下の牙のように大きさが異なる二つのコブの銀河」の中間の「長方形の暗黒天体部」は「大量の雨が氾濫してできる泥(どろ)」をあらわすことになる。猪は泥の中をころげまわるのが好きで、猟師(りょうし)はこれを「ニタを打つ」と言い、「猪が泥を浴()びる場所」を「ニタ場()」または「ヌタ場」と言った。「長方形の暗黒天体部」は「猪がころげまわるのが好きな、泥を浴びる場所のニタ場」に相当するゆえ、「猪」をあらわすことになった。また「激流の銀河」を「岸に寄せる波」に見立てると、「長方形の暗黒天体部」は「渚(なぎさ)」をあらわすことになった。
 [猪]と[渚]の旁(つくり)は共に[者(しゃ)]の字である。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 『説文解字』は[告(こく)]の字源を「牛、人に触()れる。角(つの)に横木(よこぎ)を著()く。人に告()ぐる所以(ゆえん)なり」と解説する。
 O図に示すように、『説文解字』の[]の字源解説文における「牛」は「ジャコウウシの横顔」に相似する「鬼の姿に似る銀河・長方形の暗黒天体部」であり、「人」は「人の横顔に酷似する銀河」である。「牛の角に著()く横木」は「十字の銀河」であり、「ジャコウウシの角」は「鬼の横顔に似る銀河から[]の字源となる激流の銀河・長方形の暗黒天体部まで」である。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 「牛の角に著く」の[]という字は、草冠(くさかんむり)の下に[]が加わる。ゆえに、N図に示した「激流の銀河・長方形の暗黒天体部」が[]の字源であったことになる。  
 わが国の中国古代文字(漢字)研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字統(じとう)(平凡社発行)[(しょ)]の字形は「[(いつ)]の下に[]が加わる字である」と解説する。そして、『字統』は[]の字形は「筆(ふで)を手にもつ形」であり、[]の字形は「祝祷(しゅくとう)の器である曰(えつ)を土中に埋()め、その上を小枝や土で覆(おお)う形」と解説する。
 P図に示すように、[]の字源・字義の「筆」となる銀河は「十字の銀河」、「筆をもつ手」は「十字の銀河の胸から鬼の横顔に似る銀河の額(ひたい)までの3本線の銀河」ということになる。また[]の上部は、G図のおける[]の字形における円形部・骨盤部分となる。ゆえに、[]の上部の「小枝や土で覆って、土中に埋めて曰(えつ/祝祷の器具)を隠す」部分と、[]の字形円形部の「ジャコウウシの群れが円陣をつくって、その真ん中に子どもを隠す習性」は、共に「隠す」で合致する。[]の下の「土中に埋める祝祷の器である[]」の字源は「泥」・「猪」・「ニタ場」・「渚」などをあらわす「長方形の暗黒天体部」となる。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 猪の群れはジャコウウシの百頭以上にはおよばないが、40頭~60頭におよぶと指摘される。交尾期(こうびき)になると、オスどうしがたたかい、強いオスが多数のメスをしたがえるという。この猪の習性はジャコウウシに共通する。
 猪のメスは出産前や冬期には枯れ枝などの屋根のある巣を作り、地面を掘って作る窪地(くぼち)に落ち葉や枯れ葉などを敷いた巣()に隠して子どもを育てる。この猪の地面を掘る巣に子どもを隠して育てる習性は[]の上の「祝う時や祈祷(きとう)する時に用いる器具(土器)の曰を小枝や土で覆って土中に埋める」の、「曰を土中に隠す行為」に共通する。また、[]の上部の「小枝や土で覆って、祝祷する時に用いた土器の曰を土中に埋める行為」は、上記した倉頡が「書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消す」と定めた(3)の掟にも共通する。
 つまり、五帝時代の倉頡文字と夏代の夏音文字は倉頡が定めた(3)の掟をまもってしたがったが――殷代前半の原初漢字は祝い祈祷した後に用済みとなった文字は、曰の土器に入れて土中に埋めて隠したにちがいない。

◆Q図は、倉頡伝説にて語られる「四つ目の怪人・倉頡の秘密」の解説図である。つまり、「四つ目を有する鬼の姿に似る銀河」が[][]の字源となった。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 というのも、白川静著『字統』は[]の旁(つくり)[(けつ)]の字形について「顔を中心とした人の側身形」と指摘するからである。
 『字統』は[]の字形について「卜文(ぼくぶん/契文=甲骨文字)も金文(周代に用いられた漢字)はみな人の側身形(そくしんけい)」と指摘し、また「いくらか膝(ひざ)を屈(くっ)する形に作る」と指摘する。
 R図に示すように「だいぶ人らしくなる第8週以後、子宮に宿る胎児(たいじ)の側身形」は、[]の契文形(けいぶんけい/甲骨文字の字形)と金文形の図案と同じく「いくらかヒザを屈する(曲げる)形」となる。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 ゆえに、Q図の「四つ目を有する鬼の姿に似る銀河」は「だいぶ人らしくなる、ヒザを屈して子宮に宿る胎児」に見立てられて、[]の字源となった。そして[]の字源「四つ目を有する鬼の姿に似る銀河」は、上記したように白川静著『字統』が[]の旁(つくり)となる[]の字形説明、つまり「顔を中心とした人の側身形」という解説に合致する。また「鬼の姿に似る銀河」は「無事(ぶじ)に出産した吉なる(目出度い)子ども」にも見立てられたゆえ、[(きつ)]の字源・字形・字義となった。[][]が加わると[]となる。ゆえに、[]の字源銀河は「四つ目を有する鬼の姿に似る銀河」であったことになる。また、「四つ目を有する鬼の姿に似る銀河」は[]の字源であったゆえ、倉頡伝説では「四つ目を有する鬼の姿に似る銀河」を「四つ目の怪人・倉頡」と表現されることになったのである。
 学者たちが「人間には目は四つあるはずがない! 荒唐無稽(こうとうむけい)だ」と鬼の首を取ったかのごとくケチをつけて否定する「四つ目の怪人・倉頡」は「漢字が銀河から作られた事実」と「五帝時代から殷代前半までの原初漢字の字源・字形・字義は銀河各部の形状であった事実」を伝える役目を有していたのである。
 上記した倉頡伝説に登場する「
天は祝福して穀物を降らせ、死霊(しれい)の感泣(かんきゅう)する声が夜()な夜な空に聞こえた」という語りの部分の、「天から降る穀物を貯蔵する倉」は、Q図に示す「鬼の姿に似る銀河」であったことになる。『説文解字』は、[]の字源を「穀物の蔵(くら)なり。倉黄(そうこう)として取りてこれを蔵(おさ)む。故(ゆえ)にこれを倉と謂()う」と解説する。この解説に登場する「倉黄」という語は「あわてふためく」と意味する。というのも――G図の[]の字源の「十字の銀河」はI図の[]の字源であり、そしてQ図に示すように倉頡伝説では「穀物」と「雨」を共に「降る」と表現するゆえ――倉に貯蔵する穀物(石包丁で刈りとった禾の穂)を日干(ひぼ)していたときに、雨が降ってきて穀物を取り込むときにあわてふためく様子が、倉頡の[]の黄帝の[]が加わる「倉黄」という語になって「あわてふためく」と意味することになったのである。
 したがって、Q図に示すように「鬼の姿に似る銀河」が[][]の字源・字形・字義をあらわしたゆえ、「四つ目の怪人」は「鬼の姿に似る銀河」であったのである。

◆それゆえ、S図のごとく[]の字源「十字の銀河」は「黄帝」をあらわし、「鬼の姿に似る銀河」は「黄帝を敬って、跪(ひざまず)いて拝礼(はいれい)する倉頡の姿」をあらわした。
K85
 
 『魏志』倭人伝には、S図の形状に合致して下戸(げこ/身分の低い人)が大人(だいじん/身分の高い人)に跪いて拝礼して敬意を示す記事がある。この記事は「下戸つまり身分の低い人々が身分の高い大人と道路であったときには、しりごみして道端(みちばた)の草むらに入り、身分の低い人が大人に伝言したり説明したりするときには、あるいは蹲(うずくま)りあるいは跪いて、両手をついて敬意を示した」と説明する。
 S図の「黄帝」に見立てられた人の姿に相似する大字形の「十字の銀河」は[]の字源であったので「大人」となる。ゆえに、「倉頡」に見立てられた「鬼の姿に似る銀河」が「下戸」となった。「鬼の姿に似る銀河」は「人が道端の草むらに入って蹲りあるいは跪く姿」に観える。
 これゆえ、倭は文字作成銀河各部の形状が字源・字形・字義となった原初漢字の夏音文字を習得するものであったゆえ、その風習には銀河の形状に擬(なぞら)えるものが数多く存在したことになる。

 以上のごとく、『魏志』倭人伝に登場する対馬・邪馬壱・邪馬の小国名によって倉頡が「四つ目の怪人」と呼ばれた秘密が解明できることを証明した。また対馬・邪馬壱・邪馬の小国名によって「鳥獣の足跡」は倉頡が発明した漢字作成原理の名称であったことをも証明した。また、中国とわが国の上古における人々はH図に示した[]をキャッチする呪力(眼力と技術と本能)を日々鍛錬する修業(しゅぎょう)に励(はげ)んでいたことも証明した。さらに、倉頡が死刑と定めた3つの掟も明らかとなることを証明した。
 学者たちは【誤読】を自由自在にあやつって強引(ごういん)に夏音(かおん)文字はわが国に伝来していないことにしてしまったが、わがブログ「真実の日本国誕生史」の3回で証明したように、また「真実の日本国誕生史」の10回・11回でも証明したように、さらに「真実の日本国誕生史」の35回~40回まででも詳細に証明したように――わが国には紀元前21世紀末に、中国の夏代(かだい)初頭の夏音文字が伝来して習得されていた。文字作成銀河各部の形状を字源・字形・字義とし字音を楷書(かいしょ)であらわされた夏音文字は、『魏志』倭人伝と『古事記』上巻に多数記載されて残った。『古事記』上巻の「序」(古事記上巻 序幷)は、その全体を通して「夏音文字の字源・字形・字義を文字作成銀河各部の形状に変換すれば、上巻に記述された上古の歴史は鮮烈(せんれつ)に蘇(よみがえ)る」と、具体的に歴史解明方法を記述した。しかし、現在、『古事記』上巻の「序」の歴史解明方法の説明指示に従って、夏音文字を文字作成銀河各部の形状に変換して歴史を解明する学者は一人も存在しない。
 「銀河」の別名は「銀漢」であるゆえ「漢字」は「銀漢から作られた文字」であったという想像は学者ならば当然【たやすく】できるはずである。したがって、『古事記』上巻の「序」には上古史の解明方法が記述されたことは学者ならば【たやすく】理解できるはずである。にもかかわらず、学者の誰一人も『古事記』上巻の「序」の指示に従わず、すべての学者たちは【誤読】に熱中(ねっちゅう)する学者たちの空論の虜(とりこ)となって信用するため、両書に記述された上古の歴史はまったく解明できないことになった。
 こんなバカげた茶番劇(ちゃばんげき)に学界は支配されているので、『古事記』上巻に記述された日本人のいのちと魂の根源となった尊厳と真実(【日本建国の〔愛〕の理念】は学者たちの空論のなすがままにレイプ・強姦(ごうかん)されて辱(はずか)しめられている。こんなバカげた侮辱的(ぶじょくてき)で惨(みじ)めな状況は、今が今、さっさとケリをつけなければならない。

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2018年3月20日 (火)

漢字習得定説のウソ・3

 ●倉頡伝説は荒唐無稽の空想ではなかった・3
■倉頡伝説に登場する「鳥獣の足跡」の解説(2)

◆「銀河」の別称は「銀漢」、だから「銀漢から作られた文字」を略して「漢字」と呼ばれることになった。
 今から約5000年前の紀元前3000年ころ、黄帝(こうてい)につかえた倉頡(そうきつ)が、下に示す銀河の範囲から漢字を作成する原理「鳥獣(ちょうじゅう)の足跡(あしあと)」を発明して、漢字は起源した。この「倉頡が定めた漢字が作られた銀河の範囲」を、わたくしは「文字作成銀河」と名づけることにした。

Ginga

 ▲文字作成銀河の写真
 
 
 
倉頡はみずからが考案した文字が最も強力な権力、莫大(ばくだい)な富、最高の名声を手に入れる方法であることに気づき、もしも反体制側の人々が文字の学芸を習得して革命に利用したならば王朝は容易・簡単に滅亡すると心配した。ゆえに、倉頡は下に列記する3つの掟(おきて)を破った人物には神罰(しんばつ)が下って直(ただ)ちに死刑にすると定めた。
●倉頡が死刑と定めた3つの掟
(1)
 文字作成銀河の各部の形状から文字が作られた秘密を暴露(ばくろ)した者
(2)
 文字を容易に習得するために、文字となる銀河各部に名称を付けた者
(3)
 書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消さない者または消し忘れた者

 紀元前31世紀末頃から始まる五帝時代の倉頡文字と、紀元前2070年頃から始まる夏代(かだい)の夏音(かおん)文字と、紀元前1600年頃~紀元前1300年頃までの殷代(いんだい)前半の原初漢字は、上記した倉頡が死刑と定めた3つの掟を厳重にまもった。というのも「原初漢字は、つまり厳しく罰するあるいは祟(たた)る鬼神(かみ)」であったからである。このため、原初漢字(倉頡文字・夏音文字・殷代前半の文字)が記された史料が中国でもわが国でも未(いま)1点も発見されないため、現在の学者たちは倉頡が漢字を発明したと説明する伝説は荒唐無稽(こうとうむけい)の空想と思い込む。
 上記した(3)の掟は紀元前1300年頃の殷代後半に出現した亀の甲羅(こうら)に文字を刻んだ甲骨(こうこつ)文字によって破られた。しかし、甲骨文字は(1)(2)の掟については厳重に守った。だから、(1)の掟によって「漢字が銀河(文字作成銀河)から作られた事実」は現在においても不明となり、また(2)の掟によって「銀河(文字作成銀河)各部の名称」は存在しないことになり、この倉頡の(2)の掟の伝統は現在まで受け継がれている。だから、現在、「銀河(文字作成銀河)各部の名称」は学問上確立されていない。
 甲骨文字によって(3)の掟は破られたため、その後の金文・篆文(てんぶん)・隷書(れいしょう)を経て、6世紀の隋代(ずいだい)に楷書(かいしょ)が完成した。楷書は(3)の掟からすっかり解放されて原初漢字と違って(3)の掟によって神罰として祟(たた)られることがない「言葉をあらわす記号の文字」となった。

漢字の起源の歴史を伝える倉頡伝説は、一般的に――太古、黄帝の時代に、倉頡という四つ目の怪人がいて、鳥獣の足跡からヒントを得て、はじめて文字を作り、古代の結縄(けつじょう)の法に代えたので、天は祝福して穀物を降らせ、死霊(しれい)の感泣(かんきゅう)する声が夜()な夜な空に聞こえたというのである――と現代語に訳される。
 上記の倉頡伝説は――黄帝の時代に生存した“四つ目の怪人・倉頡”が「鳥獣の足跡」をもって始めて文字を作り、古来(紀元前4000年頃から始まる
三皇時代)の占いに用いた記号であった結縄と代えた。(結縄では古来の三人の大王の氏族名をあらわすことができなかったので、倉頡が発明した文字によって三人の大王の名は包犧(ほうぎ)、女媧(じょか)、神農(しんのう)と定められた)。ゆえに、包犧、女媧、神農の各氏族たちの死霊は祝福して穀物を降らせ(つまり、雨を降らせて豊かな穀物を与え)、その死霊は感激して夜な夜な泣く声が空に聞こえるようになった(つまり、夜な夜な輝く文字作成銀河各部の形状が示す文字によって、三皇時代の歴史を知ることができた)――と意味するものであったのである。
 上記したように、倉頡(そうきつ)伝説は「倉頡が四つ目の怪人」であったと伝える。
 これゆえ、学者たちは「とんでもない! 人間には目が四つも無い」と鬼の首でも取ったかのごとく得意になって、倉頡伝説を「荒唐無稽(こうとうむけい)な空想!」と決めつける。
 しかし、わがブログは前回の「漢字習得定説のウソ・1」にて、「四つ目の怪人」とは上掲した「文字作成銀河の範囲」をあらわすものであることを証明した。
 また、「四つ目の怪人」とは、A図の右下の「鬼の姿に似る銀河」を指すものであった。「鬼の姿に似る銀河」の首には両目があり、その横顔にも両目となる銀河部位があるゆえ、「鬼の姿に似る銀河の横顔から首にかけての銀河」は「四つ目の銀河」ということになる。そして、「鬼の姿に似る銀河」は「人(子どもの姿)」に見立てられた。だから、「鬼の姿に似る銀河」を「四つ目の怪人」と呼ばれ、また「鬼の姿に似る銀河」は「倉頡」をあらわすことになった。
K21
(C) 2018 OHKAWA 

 したがって「四つ目の怪人・倉頡」は「漢字は文字作成銀河各部の形状から作られた」と伝える役割(やくわり)を有するものであった。ゆえに、倉頡伝説は「荒唐無稽の空想」ではなく、倉頡伝説にケチをつけた学者たちの意見のほうが「荒唐無稽の空想」であったことになる。
 上記した倉頡が死刑と定めた(2)の掟のために、「文字作成銀河各部の名称」は現在においても学問上確立されていないため、存在しない。しかし、「倉頡が文字作成銀河各部の形状から漢字を作成する原理を発明した事実」を証明するためには、「文字作成銀河各部の名称」がどうしても必要であるゆえ、わたくしは下に示すように各部の名称を定めた。A図の「十字の銀河」と「鬼の姿に似る銀河」は、下の「文字作成銀河各部の名称図」の左上にある。
Photo
 ▲文字作成銀河各部の名称図

一般的には、上記した倉頡伝説に登場する「鳥獣の足跡」について「鳥や獣が残したドロや雪の上の足跡がヒントとなって倉頡は漢字を発明した」と解釈されているが、前回のわがブログ「漢字習得定説のウソ・2」で解説し証明したように、「鳥獣の足跡」は「倉頡が発明した漢字作成原理の名称」であったと考えるべきことになる。
 倉頡がつかえた黄帝は、東洋最古の医学書『内経(ないけい)』を作ったと伝わる。『内経』の[]の字源・字形・字義は「女性の生殖器(せいしょくき)・子宮に宿る胎児(たいじ)や出産器官の産道」をあらわした。黄帝の医学研究は中国最初の事業であったので、三皇時代の結縄(易に用いる記号)では黄帝の研究をあらわすことができなかったので、倉頡が文字を発明することになったのである。
 A図左側にある「十字の銀河」は――B図に示すように「十字の銀河」の西側には「乳房」と「子宮(生殖器)」また「妊婦(にんぷ)の腹部(おなか)」に相当する箇所(かしょ)があるゆえ、「女体(にょたい)」に相似する。
K41
(C) 2018 OHKAWA 

 前回のわがブログ「漢字習得定説のウソ・2」でも解説したように、天文における「歳差(さいさ)」という現象にもとづくと、紀元前3000年頃の五帝時代初頭、C図に示すように、北緯3536分の陝西省(せんせいしょう)の黄陵県(こうりょうけん)の黄帝を祭る廟(びょう)と黄帝の墓とされる黄帝陵と北緯31度の太湖(たいこ)南岸の天頂に「十字の銀河」と「四つ目の銀河」(鬼の横顔に似る銀河の両目と首に付く両目の四つ目)がめぐってきた。
K42
(C) 2018 OHKAWA 

 したがって、黄帝と倉頡が生存した五帝時代初頭において、中国各地の天頂に「十字の銀河」と「四つ目の銀河」がめぐってきたことになる。
 ゆえに、倉頡は中国各地の天頂にめぐってくる「十字の銀河」を「文字作成銀河各部の形状から作られたすべての文字を生む母」、「十字の銀河の子宮」を「すべての文字を生む子宮」と定めた――このように倉頡が考えた漢字作成原理(方法)の名称が、倉頡伝説に登場する「鳥獣の足跡」であった。
 その証拠に、D図に示すように、黄帝が研究した「女性生殖器の側身形」は「鳥(水鳥)の姿」に相似する。倉頡が漢字を発明したヒントは黄帝が研究した「側身形が水鳥の姿に相似する女性生殖器」であった。したがって、「鳥獣の足跡」は倉頡が発明した漢字作成原理の名称であったと考えるべきことになる。
K24
(C) 2018 OHKAWA

 E図に示すように、「獣」のジャコウウシの側身形は第5週初め頃の胎児の姿に相似すると見立てられた。
K31
(C) 2018 OHKAWA
 
 F図に示すように、「獣」のフタコブラクダの離れた両目の配置は第7週ころの胎児の離れた両目に相似する。
K32
(C) 2018 OHKAWA


 G図に示すように、「十字の銀河の西半身」は「東から西へ向かって女性の歩く姿」に観()えるゆえ、「鬼の姿に似る銀河」は「女性がこれから歩いて行く通路」に見立てられた。また「十字の銀河の東半身」は「西から東へ向かって弓を手に持つ男性が歩く姿」に観えるゆえ、「鬼の姿に似る銀河」は「男性が東へ向かって歩いて来た通路」に見立てられた。
K33

(C) 2018 OHKAWA

 そして「通路」となる「鬼の姿に似る銀河」には「十字の銀河の両足の足跡が、雨が降った後のやわらかい土の上や海岸の砂浜や湖岸の汀(みぎわ)に残る」と連想されることになった。
 したがって、D図に示した「鳥」にE図とF図の「獣」が加わり、さらにG図の「通路に残った足跡」のイメージが加わって、倉頡が発明した文字作成原理は「鳥獣の足跡」と呼称(こしょう)されることになったのである。

◆中国の漢字学者の許慎(きょしん)は、文字作成銀河を観察して漢字の字源を解説する字書『説文解字(せつもんかいじ)』を121(後漢の建光元年)に安帝(あんてい)に上呈(じょうてい)した。『説文解字』は[(こく)]の字源を「牛、人に触()れる。角(つの)に横木(よこき)を著()く。人に告()ぐる所以(ゆえん)なり」と解説する。
 H図に示すように、『説文解字』の[]の字源解説文の「牛」は「鬼の姿に似る銀河と長方形の暗黒天体部」であり、「人」は「人の横顔に酷似する銀河」であり、「牛の角に著()く横木」は「十字の銀河」ということになる。ゆえに、「牛の口」は「人の頭に触れる」ゆえ、H図に示した銀河イメージは「牛が人に告げる様子」のごとくに観える。
K43
(C) 2018 OHKAWA
 
 H図における「鬼の姿に似る銀河と長方形の暗黒天体部」と「人の横顔に酷似する銀河」は、E図の上図の「ジャコウウシの横顔」に似ている。
 上掲した「文字作成銀河各部の名称図」の右下に「夏の銀河の西南部」がある。
 この「夏の銀河の西南部」の中央部に、I図に示すように「ジャコウウシの横顔に似る銀河」がある。
K44

(C) 2018 OHKAWA
 
 だから、文字作成銀河内には「三ヵ所のジャコウウシの横顔に似る銀河」が存在するゆえ、「ジャコウウシ」は漢字作成原理「鳥獣の足跡」を象徴する聖獣となった。

 紀元前1世紀に成立した司馬遷(しばせん)著『史記(しき)』五帝本紀(第一)には「黄帝軍が駐屯(ちゅうとん)する時、ぐるりに軍兵をめぐらして自衛(じえい)した」という記事がある。黄帝軍はジャコウウシの習性を真似(まね)して自衛していたのである。
 天敵のオオカミにおそわれると、ジャコウウシは子どもを真ん中にかくして円陣(えんじん)を作って自衛する。この「ジャコウウシの円陣」を『史記』は「黄帝軍は駐屯する時、ぐるりに軍兵をめぐらして自衛した」と記述したのである。
 ツンドラ地帯に生息したジャコウウシは群生し、太古においては、100頭以上の群れをなしていた。しかし、おそらく夏代末期や殷代において中国北方のツンドラ地帯に生息していたジャコウウシは絶滅したと考えられ、現在はもちろん絶滅した。現在は、ジャコウウシは北極地方で生息している。
 ジャコウウシは吹雪(ふぶき)でその姿が幽(かす)かに見える冬の昼間の薄明りのなかでも餌(えさ)を探して動きまわる。その「吹雪の中でジャコウウシの姿が幽かに見える様子」は、J図に示す「十字の銀河の腰のあたりにある、幽かに見える目と眉(まゆ)に似る銀河」に見立てられた。「十字の銀河の子宮」は「ジャコウウシの鼻」と「ジャコウウシの子ども」に見立てられた。
K45
(C) 2018 OHKAWA
 
 また「ジャコウウシの目と眉に見立てられた銀河」は「女性の骨盤(こつばん)」に見立てられた。女性の生殖器の大部分は骨盤内にある。ゆえに、「十字の銀河の子宮」は「骨盤にぐるりと((つつ)まれて衛(まも)られる女性の生殖器」に見立てられて、黄帝の「女性生殖器の研究」をあらわすことになった。
 だから、H図とI図に示した「ジャコウウシ横顔に似る銀河」にJ図の「目と眉に見立てられた銀河」が加わって、「ジャコウウシ」は漢字作成原理「鳥獣の足跡」を象徴(しょうちょう)する聖獣(せいじゅう)となった。
 「ジャコウウシ」は[]の字源となり、[]の部首(ぶしゅ)が付く多数の字の字源となった。ゆえに、『説文解字』が「万物なり」あるいは「牛は大物と為()す」と解説する[]の字源・字形・字義となり、また『説文解字』が「宗廟(そうびょう)の牲(せい/いけにえ)なり」解説する[(/)]の字となり、また『説文解字』が「牛、完全なるなり」と解説する[(せい)]の字となった。つまり、ジャコウウシは祭祀(さいし)の時に神にささげる犠牲(いけにえ)として、最も完全なる獣とされた。ゆえに、三皇時代初頭に栄えた氏族名の「包犧」は「天敵のオオカミにおそわれると群れが円陣を作って子どもを真ん中に包(つつ)みかくす神秘的な習性を有する、祭祀の時の犠(いけにえ)となるジャコウウシ」をあらわすものであったことになる。
 ジャコウウシはウシよりはヤギやヒツジに近い動物で、「ジャコウウシ」の別名は「ジャコウヒツジ」である。ジャコウウシは大きな羊(ヒツジ)であるゆえ、[]の下に[]が加わる[]の字源も「ジャコウウシ(ジャコウヒツジ)」であった。ゆえに、「美味い」の[]は「調味料が無かった太古、鹿やイノシシや鳥などの生臭い肉と違って、麝香(じゃこう)の香(かおり)がするジャコウウシの肉は大変旨(うま)かった」と現在に伝えていることになる。

◆F図に示した「フタコブラクダ」もまた、漢字作成原理「鳥獣の足跡」を象徴する聖獣となった。
 
フタコブラクダは「砂漠の船」と呼ばれるほど、砂漠を往来する時や砂漠に住む人々にとって欠くことができないたいせつな家畜である。ラクダにはヒトコブラクダとフタコブラクダの2種があるが、中国の北部のゴビ砂漠の生息するフタコブラクダのほうが、重量、強さ、大きさなどの点ではるかに優(すぐ)れている。二つのコブは脂肪の貯蔵庫で、数日間食物をとらずに働くことができ、3日間も水を飲まなくても平気(へいき)である。フタコブラクダの足の指はじょうぶで砂漠を歩くのに都合(つごう)がよく、乳は飲料に適し、肉は食用になり、毛皮は織物に用いられる。
 匈奴(きょうど)・ツングース族の人々は深い穴を掘って死者を葬り、一匹のフタコブラクダを殉死(じゅんし)させてその血を墓の上に注(そそ)ぐ風習があった。翌年あるいは数年後に雑草が墓をおおって墓の場所が判らなくなっても、フタコブラクダが殉死したフタコブラクダの血を嗅()ぎ当てたゆえ、墓の場所が判ったと言う。ゆえにフタコブラクダは、C図に示した天頂緯度線をキャッチできる優(すぐ)れた能力を有すると信じられて、漢字作成原理「鳥獣の足跡」を象徴する聖獣となったのである。

 K図の右上に示す[(げん)]つまり「約46秒間で測定する天頂緯度線」をキャッチすれば、1度の60分の11分の緯度の相違と南北の子午線を精確(せいかく)に測量できた。
K46
(C) 2018 OHKAWA
 
 人間の目は鍛錬(たんれん)すると1分の緯度差が測定できる[]の象(ぞう)つまり「天頂緯度線と子午線」をキャッチできる能力が脳に本能としてそなわっていた。このため、原始において移住に明け暮れる日々にあっても、天頂緯度線となる銀河部位をキャッチして緯度(位置)と経度(方位)を知って、人類は自らが迷っていないと認識できたので人類は滅亡しなかったのである。現代、北極圏を冒険する人々がもしも位置と方位が測量できなくなくなって迷ったと感ずる時には、死を覚悟する。
 人間の脳には「迷った!」と感じるとパニック(恐怖)状態におちいる本能もそなわっていた。だから原始の時代、大海を渡るバンド(一団)が「迷った!」と感ずると一気に恐怖のどん底におちいって狂乱(きょうらん)・絶望して集団自殺するような状況となった。しかし、人間にはK図に示した[]をキャッチできる眼力と本能がそなわっていたので、原始や最後の氷河期(ひょうがき)を経()た太古、さらに時代が下って上古の人々は広大な海原(うなばら)を渡ることができたのである。

◆『図詳ガッケン・エリア教科事典』第7(学習研究社)は「緯度の測定」と題して、緯度を測定する方法は二つしかなく、L図に示す「北極星で緯度測定する方法」では、太古・上古の人々は遠くの地へ旅しても家族が待つ家に帰ることができずに死滅(しめつ)することになった事実、また彼らは大海を渡ることができなかった事実を、下記のごとく説明する。
K51

(C) 2018 OHKAWA
 
 「緯度は天の北極の高度だから、簡単な方法は北極星の高度を測定すればよい。日付・時刻が決まれば、北極星の天の北極からのかたよりが計算できるので、精密ではないが天の北極の高度で緯度を換算(かんざん)することができる。もっと精密に測る方法は、天頂緯度線と子午線による測定である。」
 L図に示すように、天の北極の位置は25,800年で一周する。このうち北極星が最も近づくのは五帝時代(わが国の中期縄文時代)の紀元前2790年のりゅう座α星と、現在から82年後のこぐま座α星である。天の北極を中心に円を描くこの二つの北極星の直径は、約1.5(90/満月の3個分)である。ゆえに、上記のごとく「日付・時刻を決まれば」という条件に適(かな)う正確な日付を示す暦と時刻を示す時計が太古と古代には存在しなかったので、りゅう座α星とこぐま座α星でも90分の直径の中心となる天の北極の高度を1分の精度で測定できなかったことになる。だから太古・上古のすべての時代、北極星では精密に1分の差が測量できないゆえ、大海を渡って日本列島に到着する人々は存在しなかったことになる。
 しかし、太古・上古において、大海を渡って日本列島に移住する人々が存在した。というのも、緯度を測定する方法は北極星・天の北極の他にもう一つあり、人類はK図に示した1分の緯度差を測量できる天頂緯度線・[]をキャッチする能力を有していたからである。
 黄帝や倉頡が生存した五帝時代初頭の北極星は天の北極を中心にして直径約100分の円を描いていたゆえ、黄帝軍は北極星で緯度を測定する方法だと遠く離れた揚子江附近まで遠征することができなかったことになる。ところが、司馬遷著『史記』五帝本紀は「黄帝軍は南の揚子江まで遠征した」と記述する。K図に示した精密に1分の差を測量できる[]をキャッチして、黄帝軍は黄河中流から出発して南の揚子江まで遠征して帰還することができたのである。
 『魏志』倭人伝の冒頭は「後漢時代、倭国の使者は大海を渡って中国の天子に拝謁(はいえつ)する者がいた」と記述し、末部では「3世紀(247年頃)、倭国の使節は大海を越えて魏の朝廷(ちょうてい/洛陽)に参内(さんだい)した」と記述する。
 L図の上部に示すように、2世紀~3世紀の北極星は天の北極から半径が約10度・600分で円周していた。したがって直径20度・1200分の円を描く北極星では精確に1分の緯度差の測定が求められた大海の往来は不可能であった。しかしわが国の使者や使節は、K図に示した[]をキャッチして大海を往来していたのである。

◆前述したように、F図の「フタコブラクダ」はK図に示した[]をキャッチできる眼力を有すると信じられて、漢字作成原理「鳥獣の足跡」を象徴する聖獣となった。
 「フタコブラクダ」は[]の字源となった。
 前述したように、「ジャコウウシ」は[]の字源となった。
 ゆえに、『魏志』倭人伝には「倭国には牛(ジャコウウシ)と馬(フタコブラクダ)は無し(生息していない)」という記事がある。
 『魏志』倭人伝には名に[]の字を用いる小国は、対馬(つしま)国・邪馬壱(やまい)(学者たちは「邪馬台国」であったと主張するが、『魏志』倭人伝は「邪馬壱国」と記す)・投馬(つま)国・斯馬(しま)国・邪馬国など5ヵ国であったと記す。また、[]の字を用いる官職名は、兕馬觚(しまこ)・伊支馬(いきま)・弥馬升(みまそ)・弥馬獲支(みまかき)などがある。
 また、『魏志』倭人伝は「対馬国から南千里を渡る一大(いちだい)国まで間の海は瀚海(かんかい)という名であった」と記述する。この「瀚海」という漢字名は「馬・フタコブラクダが往来するゴビ砂漠」を意味した。
 M図に示す長崎県の「対馬」における上県(かみあがた)郡の地図の形は「フタコブラクダ()の正面形」に相似すると見立てられ、下県(しもあがた)郡の地図の形は「じょうぶな指を有するフタコブラクダ()の足底、またはフタコブラクダ()の足跡」と見立てられた。
K52
(C) 2018 OHKAWA
 
 そして、「十字の銀河」は[]の字源「フタコブラクダの姿」に見立てられた。
 というのも、N図に示すように、「十字の銀河」の東となりの「三つ輪の銀河」が「砂漠」のイメージとなるからであった。
K53
(C) 2018 OHKAWA

   M図中央の[]の字形となった「十字の銀河」は、O図に示すように「東半身が弓を持つ男性の姿」となり、「西半身が乳房・妊婦のまるいおなか・子宮を有する女性の姿」となって、「男女一対(いっつい)」となる。
K54
(C) 2018 OHKAWA
 
 つまりO図の「男女一対となる十字の銀河の正面形」は[]の字源であった。「対馬の上県郡の地図の形」は[]の字源「フタコブラクダの正面形」に相似すると見立てられ、「男女一対となる十字の銀河の正面形」は[]であるゆえ、M図の左側の「地図の形」にもとづき、南北の二つの島の小国は「対馬」と名づけられたのである。
 前述したように、「対馬の下県郡の地図の形」は「じょうぶな指を有するフタコブラクダの足底」に相似するゆえ、小国・対馬国から南千里渡る小国・一大国までの中間の海の名は「瀚海」すなわち「ゴビ砂漠」を意味することになったと――『魏志』倭人伝に記述されることになったのである。
 P図の示す銀河の範囲も「フタコブラクダの姿」に相似すると見立てられて、[]の字源銀河となった。
K55
 
 P図の[]の字源銀河は「十字の銀河の邪(なな)め西南に位置する」ゆえ、[]の字義「ななめ」を示すことになった。この[][]が加わると「邪馬(やま)」となり、倭女王が居住した小国の地図の形の特徴(とくちょう)から「邪馬壱国」と名づけられ、また別の小国はその地図の形の特徴から「邪馬国」と名づけられることになったのである。
 P図の[]すなわち「フタコブラクダ」の解釈は、空想あるいは強引なこじつけと思う方々がいるかもしれないが、この解釈が正しいことの証明は次回でおこなう。

 以上のごとく『魏志』倭人伝には、倉頡が「文字作成銀河各部の形状から作られたすべての漢字は十字の銀河を母体にして生まれる」と定めた漢字作成原理「鳥獣の足跡」に関する記事が幾つか存在する。また、『魏志』倭人伝には「四つ目の怪人・倉頡」と関連する記事も存在する。

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2018年3月17日 (土)

漢字習得定説のウソ・2

 ●倉頡伝説は荒唐無稽の空想ではなかった・2
■倉頡伝説に登場する「鳥獣の足跡」の解説(1)

◆わが国の古代史学における「科学における不正行為」といえば、2000年におきた藤村新一が30年ほど前から発見していた旧石器なるものは捏造(ねつぞう)であったことが暴露された事件、いわゆる「旧石器発掘捏造事件」が真っ先にあげられる。
 この旧石器捏造事件よりも数段勝(まさ)って悪質な欺瞞(ぎまん)は、学者たちが(1)「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」と断定する漢字習得の定説はじめ、(2)新井白石(あらいはくせき/16571725))からはじまる立論方法に使う【誤読】を今日では学者たちが「文献批判」と呼んで空論同志が争う永遠に決着がつかない邪馬台国畿内説と九州説であり、(3)本居宣長(もとおりのりなが/17301801)が著(あらわ)した注釈書『古事記伝』を教科書とする、現在の学者や作家たちが発表する日本神話説、この三つの説である。
 最後の三番目に挙げた学者たちが教科書とする『古事記伝』は『古事記』上巻の「序」(古事記上巻 序幷)が全体を通して「上巻の随所(ずいしょ)に記載された〔音〕という注が付く原初漢字の字源・字形・字義を銀河各部の形状に変換すれば、『古事記』上巻に記述された上古の歴史を解明することができる」と説明する方法を徹底的(てっていてき)に排除(はいじょ)する【誤読の空想の産物】である。つまり正しい日本神話解釈は、『古事記』上巻の「序」が「原初漢字の字源・字形・字義を銀河各部の形状に変換せよ」と説明する、この方法に則(のっと)って『古事記』上巻に記述された歴史を解明する意見ということになる。したがって本居宣長著『古事記伝』の注釈は――『古事記』上巻の「序」の説明に反して〔音〕という注を付く原初漢字の字源・字形・字義を銀河各部の形状に変換するものではないので――【歴史がまったく解明できない誤読の空論】となる。にもかかわらず、『古事記伝』の解釈を「空論、空想」と指摘して、『古事記』上巻の「序」の説明するとおりの方法で上古史を解明する学者や作家たちは、現在、一人も存在しない。
 『古事記』上巻と同様に、『魏志』倭人伝もまた「卑弥呼」を「ヒミコ」と読む原初漢字の字源・字形・字義を銀河各部の形状に変換すれば真実の歴史が解明できた。というのも、『魏志』倭人伝の人名・国名・官職名には原初漢字が用いられているからである。

 だから(1)漢字習得の定説・(2)邪馬台国学説・(3)『古事記』上巻の日本神話学説は、日本古代史学のおける最も悪質な【科学】に反する三大不正行為である訳は、この三つの学説が【誤読の産物】だからである。再度くりかえす、漢字習得の定説・邪馬台国学説・日本神話学説の三学説に共通するパラダイム(理論的枠組み)は【誤読】である。三学説の理論基盤は【誤読】であるから【科学】に成立せず空想・妄想となる。【誤読】を駆使(くし)して正しい意見を手に入れることができたと思い込んで疑わない三学説を唱える学者たちは――三つのストライクでアウトになることを知らないプロ野球選手と同じであり、マグロとタイの区別ができない寿司屋の職人と同じことになり、古代史学の基本理論・基本原理をまったく知らない御仁(ごじん)たちということになる。
 そして、【誤読】を立論原則とする三学説の内の特に日本神話学説は日本人にとって最も大事な日本人の命と魂の根源【日本建国の〔愛〕の理念】をレイプ(強姦)して辱(はずかし)める暴力である。だから、漢字習得の定説・邪馬台国説・日本神話説は、わが国の古代史学における【科学】に反する最も悪質な三大不正行為ということになる。
 (1)漢字習得の定説、(2)邪馬台国学説、(3)日本神話学説は三者独立して並び立つものではなく、漢字習得の定説が誤読の空論であるが原因で、邪馬台国学説と日本神話学説も【誤読】の空論となる。したがって、「わが国が漢字を最初に習得したのは、5世紀もしくは6世紀であった」という定説は明確に【誤読の産物】であった。したがって、漢字習得の定説のウソを暴(あば)けば自動的に邪馬台国学説も日本神話学説も誤読の空論となり、『魏志』倭人伝と『古事記』に【誤読(学者たちが用いる別名・文献批判)】を加えずに忠実に読解(どっかい)すると上古における
出来事つまり歴史が真実となって蘇(よみがえ)る。
 日本上古史における特に重大な失われた史実とは――(1)『魏志』倭人伝に記述された「卑弥呼が立論した転回日本列島地理」と、(2)『古事記』上巻の伊耶那岐命(いざなきのみこと)と伊耶那美命(いざなみのみこと)神話冒頭の淤能碁呂島聖婚(おのごろしませいこん)説話に記述された「日本国誕生史」である。この「卑弥呼が立論した転回日本列島地理」と淤能碁呂島聖婚説話に記述された「日本国誕生史」は、誰もが想像しない“漢字の始祖”と尊重された倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成原理「鳥獣(ちょうじゅう)の足跡」に則(のっと)る出来事であった。
 だから、卑弥呼が立論した転回日本列島地理と『古事記』上巻の淤能碁呂島聖婚説話に記述された日本国誕生史も事実であったことを証明するためには、学者たちが荒唐無稽(こうとうむけい)の空想と断定した倉頡伝説に登場する「鳥獣の足跡」の秘密を真っ先に解明する必要がある。

◆上記した『古事記』上巻の「序」(古事記上巻 序幷)が「その字源・字形・字義を銀河各部の形状にせよ」と説明する原初漢字は「夏音(かん)文字」であった。
 わが国には紀元前2070年~紀元前2050年頃の中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)、夏音文字の学芸が伝来して習得された。この歴史については、前回の「漢字習得定説のウソ・1」にて解説した。また、わがブログ「真実の日本国誕生史」の10回と11回で詳細に解説し、さらに詳細に「真実の日本国誕生史」の35回~40回の6回をもって解説した。ゆえに、今回のブログでは、紀元前21世紀に習得された夏音文字の学芸の解説は省略させていただく。
 『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付いて多数記載される文字が「夏音文字」である。だから、夏音文字はわが国の国語として残されている原初漢字であり、学者たちが主張する漢字習得の定説は【誤読(学者たちが用いる別名・文献批判)】を使って捏造(ねつぞう)した真っ赤なウソということになる。

 わが国に夏音文字の学芸が伝来した約950年前の紀元前3000年頃、中国の五帝時代初頭の黄帝(こうてい)につかえた史官(記録官)の倉頡(そうきつ)が、漢字を発明した。
 倉頡はみずからが考案した文字が最も強力な権力、莫大(ばくだい)な富、最高の名声を手に入れる方法であることに気づき、もしも反体制側の人々が文字の学芸を習得して革命に利用したならば王朝は容易・簡単に滅亡すると心配した。ゆえに、倉頡は下に列記する3つの掟(おきて)を破った人物には神罰が下って即刻(そっこく)死刑にすると定めた。
●倉頡が死刑と定めた3つの掟
(1)
 銀河(文字作成銀河)の各部の形状から文字が創られたことを暴露した者
(2)
 文字を容易に習得するために、文字となる銀河各部に名称を付けた者
(3)
 書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消さない者または消し忘れた者
 
 したがって、紀元前31世紀末頃から始まる五帝時代の倉頡文字と紀元前21世紀から出現した夏音文字は「厳しく罰するあるいは祟(たた)る鬼神(かみ)」であった。このため、倉頡文字と夏音文字を習得した人々は上記した(3)の掟を厳重に守った。ゆえに、文字が記された史料が中国でもわが国でも未(いま)1点も発見されないため、学者たちは倉頡が漢字を発明したという伝説は荒唐無稽(こうとうむけい)の空想と思い込んだのである。
 上記した(3)の掟は紀元前1300年頃の殷代(いんだい)後半に出現した亀の甲羅に文字を刻んだ甲骨(こうこつ)文字によって破られた。しかし、甲骨文字は(1)(2)の掟については厳重に守った。だから、(1)の掟によって「漢字が銀河(文字作成銀河)から作られた事実」は現在においても不明となり、また(2)の掟によって「銀河(文字作成銀河)各部の名称」は存在しないことになり、この倉頡の(2)の掟の伝統は現在まで受け継がれている。だから、現在、「銀河(文字作成銀河)各部の名称」は学問上確立されていない。
 甲骨文字によって(3)の掟は破られたため、その後の金文・篆文(てんぶん)・隷書(れいしょう)を経て、6世紀の隋代(ずいだい)に楷書が完成した。甲骨文字・金文・篆文・隷書・楷書は字源・字形・字義・字音の4要素から成る文字である。
 倉頡が定めた(3)の掟のために文字を記された史料が未だ1点も発見されない夏音文字もまた字源・字形・字義・字音から成る文字であったことは下記のごとく証明できる。
 楷書「日下」は「くさか」と読むが、この「くさか」は夏音文字で「玖沙訶」という3字の楷書で記される。夏音文字の[][][]3字の字源・字形・字義を銀河各部の形状に変換すると「くさか」と読む楷書[][]2字の字源・字形・字義となる銀河各部の形状が解明できて、「日下」と「玖沙訶」が同義であることが証明される。ゆえに、楷書[][]が字源・字形・字義・字音の4要素から成立するものであると同じく夏音文字[][][]も字源・字形・字義・字音の4要素から成立するものであることが証明され、楷書も夏音文字も銀河から作られた事実が判明する。したがって、「楷書が文字である」ならば「夏音文字も文字である」と言うことになり、夏音文字は実在した確かな文字であったことになる。
 さらに、『魏志』倭人伝には「倭の卜占に用いる文字は令亀(れいき)の法すなわち甲骨文字の字形のごとくであった」という記事が証言するように――用済みになったならば夏音文字は必ず消された文字であったが、必要な時(消される前)には字形が書かれて明示された文字であったことになるので、夏音文字は実在した文字であったことになる。

◆倉頡は、下に掲載する銀河範囲の各部の形状を字源・字形・字義とする方法を発明した。この倉頡が漢字を発明した「銀河の範囲」を、わたくしは「文字作成銀河」と名づけた。

Ginga
 ▲文字作成銀河の写真

 漢字の起源の歴史を伝える倉頡伝説は、一般的に――太古、黄帝の時代に、倉頡という四つ目の怪人がいて、鳥獣の足跡からヒントを得て、はじめて文字を創(つく)り、古代の結縄(けつじょう)の法に代えたので、天は祝福して穀物を降らせ、死霊(しれい)の感泣(かんきゅう)する声が夜()な夜な空に聞こえたというのである――と現代語に訳される。
 上記の倉頡伝説は――黄帝の時代に生存した“四つ目の怪人・倉頡”が「鳥獣の足跡」をもって始めて文字を創り、古来(紀元前4000年頃から始まる
三皇時代)の占いに用いた記号であった結縄と代えた。(結縄では古来の三人の大王の氏族名をあらわすことができなかったので、倉頡が発明した文字によって三人の大王の名は包犧(ほうぎ)、女媧(じょか)、神農(しんのう)と定められた)。ゆえに、包犧、女媧、神農の各氏族たちの死霊は祝福して穀物を降らせ(つまり、雨を降らせて豊かな穀物を与え)、その死霊は感激して夜な夜な泣く声が空に聞こえるようになった(つまり、夜な夜な輝く文字作成銀河各部の形状が示す文字によって、三皇時代の歴史を知ることができた)――と意味するものであったのである。
 上記したように、倉頡(そうきつ)伝説は「倉頡が四つ目の怪人」であったと伝える。
 これゆえ、学者たちは「とんでもない! 人間には目が四つも無い」と鬼の首でも取ったかのごとく得意になって、倉頡伝説を「荒唐無稽(こうとうむけい)な空想!」と決めつける。
 しかし、わがブログは前回の「漢字習得定説のウソ・1」にて、「四つ目の怪人」とは上掲した「文字作成銀河の範囲」をあらわすものであることを証明した。
 また、A図の右下の「鬼の姿に似る銀河」に――その銀河の首に付く両目とその横顔に付く両目で計四つの目となり、「鬼の姿に似る銀河」は「人(子どもの姿)」に見立てられた。
K21
(C) 2018 OHKAWA 

 つまり「鬼の姿に似る銀河」は[]の字源・字形・字義となったので、倉頡が「四つ目の怪人」と呼ばれた秘密をわがブログ「漢字習得定説のウソ・1」にて証明した。
 だから倉頡伝説は「荒唐無稽の空想」ではなく「漢字は文字作成銀河各部の形状から作られて起源した歴史」を伝えていたことになるので、倉頡伝説にケチをつけた学者たちの意見のほうが「荒唐無稽の空想」であったことになる。
 上記した倉頡が死刑と定めた(2)の掟のために、「文字作成銀河各部の名称」は現在においても学問上確立されていないため、存在しない。しかし、「倉頡が文字作成銀河各部の形状から漢字を作成する方法を発明した事実」を証明するためには、A図のごとく「文字作成銀河各部の名称」がどうしても必要であるゆえ、わたくしは下に示すように各部の名称を定めた。A図の「十字の銀河」と「鬼の姿に似る銀河」は、下の「文字作成銀河各部の名称図」の左上にある。
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 ▲文字作成銀河各部の名称図

◆天文における「歳差(さいさ)」という現象にもとづくと、紀元前3000年頃の五帝時代初頭、中国の天頂にめぐってきた銀河の様子を再現することができる。
 B図に示すように、五帝時代初頭の黄帝時代、北緯3536分の陝西省(せんせいしょう)の黄陵県(こうりょうけん)の黄帝を祭る廟(びょう)と黄帝の墓とされる黄帝陵と北緯31度の太湖(たいこ)南岸の天頂に「十字の銀河」と「四つ目の銀河」(鬼の横顔に似る銀河の両目と後頭部とアゴに付く両目の四つ目)がめぐってきた。
K22
(C) 2018 OHKAWA
 
 したがって、中国各地の天頂に「十字の銀河」と「四つ目の銀河」がめぐってきたことになる。
 黄帝は、東洋最古の医学書『内経(ないけい)』を作ったと伝わる。『内経』の[]の字源・字形・字義は「女性の生殖器(せいしょくき)・子宮に宿る胎児(たいじ)や出産器官の産道」をあらわした。黄帝の医学研究は中国最初の事業であったので、三皇時代の結縄(易に用いる記号)では黄帝の研究をあらわすことができなかったので、倉頡が文字を発明することになったのである。
 C図に示すように「十字の銀河」の西側には「乳房」と「子宮(生殖器)」また「妊婦(にんぷ)の腹部(おなか)」に相当する箇所(かしょ)があるゆえ、「女体(にょたい)」に相似する。
K23
(C) 2018 OHKAWA

 ゆえに、倉頡は中国各地の天頂にめぐってくる「十字の銀河」を「文字作成銀河各部の形状から作られたすべての文字を生む母」、「十字の銀河の子宮」を「すべての文字を生む子宮」と定めた――このように倉頡が考案した漢字作成原理(方法)の名称が、倉頡伝説に登場する「鳥獣の足跡」であったのである。
 一般的には、倉頡伝説に登場する「鳥獣の足跡」について「鳥や獣が残したドロや雪の上の足跡がヒントとなって倉頡は漢字を発明した」と指摘(してき)される。しかし、倉頡が漢字を発明したヒントは黄帝が研究した「女性生殖器や子宮で育つ胎児」であった。したがって、「鳥獣の足跡」は倉頡が発明した漢字作成原理の名称であったと考えるべきことになる。
 その証拠に、D図に示すように、黄帝が研究した「女性生殖器の側身形」は「鳥(水鳥)の姿」に相似する。
K24
(C) 2018 OHKAWA
 
 E図に示すように、「獣」のジャコウウシの側身形は第5週初め頃の胎児の姿に相似すると見立てられた。
K31
(C) 2018 OHKAWA
 
 F図に示すように、「獣」のフタコブラクダの離れた両目の配置は第7週ころの胎児の離れた両目に相似する。
K32
(C) 2018 OHKAWA

 G図に示すように、「十字の銀河の西半身」は「西から東へ向かって女性の歩く姿」に観()えるゆえ、「鬼の姿に似る銀河」は「女性が歩いて来た通路」に見立てられた。また「十字の銀河の東半身」は「東から西へ向かって弓を手に持つ男性が歩く姿」に観えるゆえ、「鬼の姿に似る銀河」は「男性が西へ向かって歩くことになる通路」に見立てられた。
K33
(C) 2018 OHKAWA

 G図の「十字の銀河の子宮」と重なる部分は「十字の銀河の右足」と解釈できる(C図を参照)。歩く女性と男性の「足跡」は「鬼の姿に似る銀河」に残る。
 H図に示すように、「十字の銀河」は[(べん)]の字源・字形・字義となり、「足跡が残る鬼の姿に似る銀河」は「胎児や出産する赤ン坊」に見立てられて[]の字源・字形・字義となった。[][]が加わって[]の字源・字形・字義が成立した。
K34
(C) 2018 OHKAWA

 I図に示すように、「文字」の[]の金文形(周代に用いられた文字の字形)は「十字の銀河」を「胎児が宿る妊婦の正面形」に見立てて、「妊婦の正面形と子宮に宿る胎児」を表現する図案となる。
K35

 したがって、I図の[]の金文形は――黄帝の女性生殖器研究がヒントになって倉頡は「十字の銀河」を「文字作成銀河から生まれた(作られた)すべての文字の母体」と定め、「十字の銀河の子宮」を「すべての文字が生まれる子宮」と定めた漢字作成原理「鳥獣の足跡」を考案した秘密を今日に伝えている。
 また、H図の[]の金文形も黄帝の子ども(胎児)の出産研究がヒントになって倉頡は漢字作成原理「鳥獣の足跡」を考案した秘密を伝えている。
 だから、倉頡が発明した文字作成原理の名にはG図で解説した「十字の銀河の右足」があらわすイメージから「足跡」が加えられた。また、H図では「足跡」のイメージとなる「3本線の銀河」が[]の字源「十字の銀河」と[]の字源「鬼の姿に似る銀河」を繋(つな)げるため、倉頡が発明した文字作成原理の名には「足跡」が加えられることになった。
 したがって、D図に示した「鳥」にE図とF図の「獣」が加わり、さらにG図の「足跡」が加わって、倉頡が発明した文字作成原理は「鳥獣の足跡」と呼称(こしょう)されることになったのである。

◆「獣」の「ジャコウウシ」と「フタコブラクダ」がなぜ漢字作成原理「鳥獣の足跡」と関係することになったのか、この秘密について――次回においてさらなる追究をおこなう。というのも、『魏志』倭人伝が【誤読(文献批判)】を1点も加える必要がない史料であることを証明するには、「鳥獣の足跡」について、このブログの解説だけで終わると説明不足となるからである。 

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2018年3月10日 (土)

漢字習得定説のウソ・1

 ●倉頡伝説は荒唐無稽の空想ではなかった・1
■倉頡伝説に登場する「四つ目の怪人」の秘密

◆現在、「わが国が漢字を最初に習得したのは、5世紀もしくは6世紀であった」という定説によって、重大な日本上古史の真相が不明となる。
 この上古史における重大な失われた史実とは――(1)『魏志』倭人伝に記述された「卑弥呼が立論した転回日本列島地理」と、(2)『古事記』上巻の伊耶那岐命(いざなきのみこと)と伊耶那美命(いざなみのみこと)神話冒頭の淤能碁呂島聖婚(おのごろしませいこん)説話に記述された「日本国誕生史」である。
 しかし、学者たちが「真実」だと思い込む漢字習得の定説は〔誤読〕で捏造(ねつぞう)した空理空論であり、真っ赤なウソである。

3世紀後半に成立した『魏志』倭人伝には「2世紀末~3世紀半ばのわが国には漢字があった」と証言する記事が2ヵ所ある。
 その最初の記事を要約すると「倭の卜占(うらない)に用いられる辞(文字とことば)は、〔令亀(れいき)〕つまり〔亀の甲羅に文字を刻んだ甲骨(こうこつ)文字の法(原理)の如(ごと)し」と証言する。
 もう一つの記事を要約すると「魏の都・帯方郡・諸韓国が用いる楷書と卑弥呼が文書に用いる文字は差錯(ささく/相違)していたので、倭の小国伊都(いと)国の港では点検し、確認し、魏と朝鮮半島で用いる楷書と卑弥呼が用いる文字を正しく変換していた」と証言する。
 したがって、わが国には5世紀より以前の2世紀末~3世紀半ばにおいて既(すで)に漢字が習得され、この文字は紀元前1300年頃に出現した甲骨文字のごとくであったことになる。

 わがブログ「真実の日本国誕生史」の1回~40回をもって詳細に証明したように――紀元前21世紀、中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)、わが国に原初漢字の夏音文字が伝来して習得されていた。
 ゆえに、『魏志』倭人伝には「2世紀末~3世紀半ばにおいて、わが国には紀元前14世紀末頃に出現した甲骨文字の字形ごとき文字があった」と記述されることになったのである。
 わがブログ「真実の日本国誕生史」の10回・11回、あるいは35回~40回で詳細に証明したように――「古事記上巻 序幷」と表記する『古事記』上巻の「序」の冒頭の「臣安万侶(しんやすまろ)(まを)す。夫()れ混元既(こんげんすで)に凝()りて、気象未(いま)だ効(あらは)れず。名も無く為(わざ)も無し。誰(たれ)か其()の形を知らむ。然(しか)れども乾坤(けんこん)初めて分かれて、参神造化(さんしんぞうか)の首(はじめ)に作()す」までの文は、「紀元前21世紀の夏代初頭、わが国は夏音文字の学芸を習得した」と説明していたことになる。
 上記した『古事記』上巻の「序」の「臣安万侶言す。(中略)。神造化の首(はじめ)に作()す」までの文は――中国から夏代初頭に夏音文字の学芸が伝来した。夏()王朝の始祖・帝禹()の後を継ぐ帝益(えき)の孫の王子と益氏の若者たちは大海を越えて、日本列島の男鹿(おが)半島・米代川(よねしろがわ)縄文文化圏に移住して夏音文字の学芸をもたらした。名門益氏が話す夏音はチンプンカンプンで理解できなかったが、わが国では前期縄文時代初頭以来の約2000年に及んで夏音文字の字源・字形・字義となる銀河各部の形状イメージをデザインする土器・土偶(どぐう)が造られていたので、この土器・土偶を造った芸術つまり参神造化の伝統を受け継いだ芸術家たちによって、後期縄文時代初頭に夏音文字の学芸は習得された――と歴史を説明するものであったのである。
 ゆえに、『古事記』上巻の「序」の末部において――楷書「日下(にちげ)」と夏音文字「玖沙訶(くさか)」は同義、楷書「帯(たい)」と夏音文字「多羅斯(たらし)」は同義である。この『古事記』上巻が作成された時に用いられる8世紀初頭の楷書と紀元前21世紀に習得された夏音文字で構成される語が同義となる秘密は、両者の辞理(じり/文字とことばの原理)が前期縄文以後に造られた土器・土偶の造形テーマとなった銀河各部の形状であったからである――と説明されることになった。
 『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付いて紀元前21世紀に習得された夏音文字が多数記載される。ゆえに、字音を楷書で表記される夏音文字の字源・字形・字義は銀河各部の形状であった。したがって、夏音文字は字源・字形・字義・字音の4要素から成る実在した文字であった。
 だから学者たちが絶対視する「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀もしくは6世紀である」という漢字習得の定説は、『古事記』上巻の「序」が「夏音文字は実在した」と証言する記事を無視し削除(さくじょ)する、また『古事記』上巻の随所(ずいしょ)に〔音〕という注が付いて多数実在する夏音文字を無視し排除(はいじょ)する誤読の空理空論であり、虚偽(ウソ)であったことになる。
 わが国では、紀元前21世紀に夏音文字を習得していた、これは歴史上の事実であった。その証拠に、わがブログ「真実の日本国誕生史・40」で詳細に解説したように、夏音文字が実在したと科学的に証明できる夏音文字の学芸遺跡や遺物が幾つか存在するからである。
 夏音文字の学芸遺跡は――(1)秋田県鹿角(かづの)市に所在する国の特別史跡の大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)(2)2008年に発見された東日本最古で最大の前期古墳である静岡県沼津市に所在する高尾山(たかお)古墳、(3)高尾山古墳の主体部が作成された約10年後の260年頃に作成が開始され30年後の290年頃に完成した静岡県浜松市北区の細江(ほそえ)町の行政区域を表示する地図の形として現存する1千万坪の大鳥の地上絵(わたくしはこの大鳥の地上絵を「卑弥呼の地上絵」と名づけた)(4)徳川家康の命令によって1603年から着手されて20年後の1622年に井伊藩が完成した、現在の滋賀県彦根市の行政区域を表示する地図の形として現存する「未だ夏音文字の学芸は復興せず」と設計された3千万坪の鳰(にお)・大鳥の地上絵、(5)徳川幕府の命令のもとに小堀遠州が1623年から着手して23年後の病床に伏す1645年まで情熱を傾けて作った桂離宮(かつらりきゅう)の庭園、(6)江戸幕府が1655年頃から着手して1659年に完成させて後水尾(ごみずのお)上皇に献上した修学院離宮(しゅうがくいんりきゅう)の上御茶屋(かみのおちゃや)の浴竜池(よくりゅういけ)などが存在する。
 また、(1)沼津市に所在する高尾山遺跡の後方墳主体部から出土した「上方作系浮彫式獣帯鏡(しょうほうさくけいふちょうしきじゅうたいきょう)」の破砕鏡(はさいきょう)(2)後水尾上皇が作った「窮邃(きゅうすい)」の篇額(へんがく)(3)1738年に本格的に復興した、皇室最大の神事(しんじ)である大嘗祭(だいじょうさい)における天皇即位式に用いる王冠「菅蓋(かんがい)」など、これらは夏音文字の学芸をあらわす確かな遺物である。
 ゆえに、わが国には夏音文字の学芸は実在したことになる。
 したがって、学者たちが「真実である」と何ら疑わない漢字習得説は『古事記』上巻の「序」と『魏志』倭人伝の記事はじめわが国に夏音文字が習得されていたと伝える諸々(もろもろ)の古文献の記事を誤読して捏造(ねつぞう)した空理空論、虚妄(きょもう)であったことになる。

◆漢字は、わが国で夏音文字を習得した約950年前の紀元前3000年頃の五帝時代初頭・黄帝(こうてい)の時代に起源した。
 黄帝につかえた史官(記録官)の倉頡(そうきつ)は、下に掲載する銀河範囲の各部の形状を字源・字形・字義とする方法を発明した。この倉頡が漢字を発明した「銀河の範囲」を、わたくしは「文字作成銀河」と名づけた。

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▲文字作成銀河の写真

 『古事記』上巻の「序」の冒頭記事にある「参神造化」すなわち「前期縄文、中期縄文、後期縄文初頭に造られた土器・土偶の形や装飾」は、倉頡が漢字を発明した文字作成銀河の各部の形状イメージを表現するものであった。だから、わが国では夏音文字が習得されることができたのである。
 漢字の起源について、倉頡伝説は――黄帝の時代に生存した“四つ目の怪人・倉頡”が〔鳥獣の足跡〕をもって始めて文字を創(つく)り、古来(紀元前4000年頃から始まる
三皇時代)の占いに用いた記号であった結縄(けつじょう)と代えた。(結縄では古来の三人の大王の氏族名をあらわすことができなかったので、倉頡が発明した文字によって三人の大王の名は包犧(ほうぎ)、女媧(じょか)、神農(しんのう)と定められた)。ゆえに、包犧、女媧、神農の各氏族たちの死霊は祝福して穀物を降らせ(つまり、雨を降らせて豊かな穀物を与え)、その死霊は感激して夜な夜な泣く声が空に聞こえるようになった(つまり、夜な夜な輝く文字作成銀河各部の形状が示す文字によって、三皇時代の歴史を知ることができた)――と伝える。
 倉頡はみずからが考案した文字が最も強力な権力、莫大な富、最高の名声を手に入れる方法であることに気づき、もしも反体制側の人々が文字の学芸を習得して革命に利用したならば王朝は容易・簡単に滅亡すると心配した。ゆえに、倉頡は下に列記する3つの掟(おきて)を破った人物には神罰が下って即刻(そっこく)死刑にすると定めた。
●倉頡が死刑と定めた3つの掟
(1)
 文字作成銀河の各部の形状から文字が創られたことを暴露した者
(2)
 文字を容易に習得するために、文字となる銀河各部に名称を付けた者
(3)
 書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消さない者または消し忘れた者
 
 紀元前21世紀に習得した夏音文字は「厳しく罰するあるいは祟(たた)る鬼神(かみ)」であった。このため、夏音文字を習得した人々は上記した(3)の掟を厳重に守った。だから、文字が記された史料が未だ1点も発見されないために、学者たちは実在する夏音文字を実在しないと思い込んだのである。
 上記の(3)の掟は〔令亀(れいき)の法〕つまり〔甲骨文字〕によって破られた。しかし、甲骨文字は(1)(2)の掟については厳重に守った。だから、(1)の掟によって〔漢字が文字作成銀河から作られた事実〕は現在においても不明となり、また(2)の掟によって「文字作成銀河各部の名称」は存在しないことになり、この倉頡の(2)の掟の伝統は現在まで受け継がれている。だから、現在、「文字作成銀河各部の名称」は学問上確立されていない。
 甲骨文字によって(3)の掟は破られたため、その後の金文・篆文(てんぶん)・隷書(れいしょう)を経て、6世紀の隋代(ずいだい)に完成した楷書は鬼神への畏(おそ)れが消滅して単に言葉をあらわす記号と化した漢字であった。このため、楷書は夏音文字の〔音〕をあらわすことになった。そして、夏音文字の表記にもちいられる楷書の字源・字形・字義はそのまま夏音文字の字源・字形・字義をあらわし、その字源・字形・字義は文字作成銀河各部の形状から成立するものであった。だから、表記に用いられた楷書は夏音文字の字源・字形・字義をあらわすので――夏音文字は実在したということになる。
 さらに、夏音文字は用済みになったならば必ず消された文字であったが、上記したように『魏志』倭人伝は「倭の卜占に用いる文字は令亀(れいき)の法すなわち甲骨文字の字形のごとくであった」と記述するゆえ、必要な時には字形が書かれて明示された文字であったことになるので、夏音文字は実在した文字であったことになる。
 さらに、楷書で表記されて夏音文字は『魏志』倭人伝の人名・小国名・官職名に用いられ、『古事記』上巻の随所には〔音〕という注が付いて多数の夏音文字は記載されているために現在において実在すると目で見て確認できる。だから、『魏志』倭人伝と『古事記』上巻に記載されて現存する夏音文字は疑う余地もなく確かに実在する文字ということになる。

◆紀元前3000年頃から始まる五帝時代の起源漢字、紀元前2070年頃から始まる夏代(かだい)の夏音(かおん)文字、紀元前1600年~紀元前1300年頃までの殷代(いんだい)前半期の漢字。これらの原初漢字は倉頡が定めた(3)の掟を厳重に守ったため、文字を記した史料が中国でもわが国でもいまだ1点も発見されない。ゆえに、新井白石(あらいはくせき/16571725)以後から現在までの学者たちは、上記した『魏志』倭人伝の重大な記事を無視し排除して「わが国には2世紀末から3世紀半ばには、漢字は存在しなかった」と断定した。
 五帝時代初頭に生存した黄帝は、東洋最古の医学書『内経(ないけい)』を作ったと伝わる。『内経』の[]の字源・字形・字義は「女性の生殖器・子宮に宿る胎児の成長や出産器官の産道」をあらわすものであった。黄帝の医学研究は中国最初の事業であったので、三皇時代の結縄では黄帝の研究をあらわすことができなかったので、倉頡が文字を発明することになったのである。
 上記した倉頡が定めた(2)の掟によって「文字作成銀河各部の名称」は学問上確立されていないため、存在しない。しかし、「倉頡伝説は事実を伝える」また「倉頡は文字作成銀河各部の形状から漢字を作った事実」あるいは「文字作成銀河各部の形状が字源・字形・字義であった事実」を証明するには〔文字作成銀河各部の名称〕がどうしても必要であるので、わたくしは下に示すように各部の名称を定めた。
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 ▲文字作成銀河各部の名称図

 上記した倉頡(そうきつ)伝説は、「倉頡」は「四つ目の怪人」であったと伝える。
 学者たちは「とんでもない! 人間には目が四つも無い」と鬼の首でも取ったかのごとく得意になって、倉頡伝説を「荒唐無稽(こうとうむけい)な空想!」と決めつける。
 このように「四つ目の怪人」を根拠・理由にして学者たちは「倉頡伝説は事実を伝えない空想」と断定した。
 しかし、倉頡伝説末部の「天は祝福して穀物を降らせ、死霊の感泣(かんきゅう)する声が夜な夜な空に聞こえたという」と伝える部分は「夜な夜な輝く銀河(文字作成銀河)の各部の形状を文字とする倉頡の発明によって、三皇時代に栄えた包犧(ほうぎ)・女媧(じょか)・神農(しんのう)の氏族の歴史を伝えることができるようになったので、包犧氏・女媧氏・神農氏の死霊は感激して泣き、祝福して恵みの雨を降らせて地上に豊かな穀物を与えた」と説明していたことになる。
 「銀河」の別称は「銀漢」である。ゆえに「銀漢から作られた文字」を略して「漢字」と称されることになった。したがって「夜な夜な天に輝く文字作成銀河各部の形状は多数の文字の字源・字形・字義」となったため、「天体」は[]と「文字」の[]で「天文」と呼ばれるようになった。そして「天子」または「天皇」は「銀河各部の形状から作られた文字の学芸に精通する大王」と意味するものであったのである。
 712年に『古事記』が成立した。『古事記』成立以前のすべての漢字は文字作成銀河各部の形状から作られた。したがって、『古事記』に用いられた楷書以前のすべての漢字の字源・字形(字形の原形)、字義は文字作成銀河各部の形状であったのである。

「文字作成銀河各部の名称図」に左上に「十字の銀河」と名付けた銀河がある。
 黄帝時代、中国の各地の天頂に、A図の「十字の銀河」がめぐってきた。
S961
(C) 2018 OHKAWA

 「十字の銀河」の西側には「乳房」と「子宮(生殖器)」また「妊婦(にんぷ)の腹部(おなか)」に相似する箇所があるゆえ、女体に観える。ゆえに、倉頡は「十字の銀河」を〔文字作成銀河各部の形状から作られたすべての文字を生む母〕、「十字の銀河の子宮」を〔すべての文字を生む子宮〕と定めた。
 ゆえに、B図に示すように、「文字」の[]の金文(きんぶん/周代の出現した漢字)は「十字の銀河」を「妊婦の正面の姿と子宮に宿る胎児(たいじ)」に見立てて、その字形が図案された。つまり、[]の金文形は上記した「黄帝の女性の生殖器と子どもの出産の研究」を表現するものであったことになる。
S962
(C) 2018 OHKAWA
 
 C図の「すべての文字を生む母体」をあらわす「十字の銀河」は[(べん)]の字源・字形・字義となり、「鬼の姿に似る銀河」は〔子(胎児、出産児、幼児など)〕に見立てられて[])の字源となった。[][]が加わって[]となって、B図の[]と同じく[]という字もまた「黄帝の〔女性の生殖器と子どもの出産の研究〕をあらわした。
S963
(C) 2018 OHKAWA

 D図における「鬼の横顔に似る銀河」には〔両目〕に観える箇所があり、「鬼の横顔に似 る銀河の首」にも〔目の形をした銀河部〕が二つある。したがって、[]の字源銀河の顔・首には「四つの目」がある。
K14
(C) 2018 OHKAWA  

 D図に示す「十字の銀河」は「人の姿」に観え、「鬼の姿に似る銀河」も「赤ン坊。また、天を見上げる人の姿」に観える。
 また、E図に示す「人の横顔に酷似(こくじ)する銀河」によって、「夏の銀河の西南部における胎児の姿に似る銀河」は「十字の銀河の右足・乳房・妊婦の腹部」(A図)に類似するので、「人の横顔に酷似する銀河から夏の銀河の西南部まで」もまた「人」に見立てることができる。
K15_2

   だから、「鬼の姿に似る銀河には目が四つあり、鬼の姿に似る銀河は人(子どもや天を見上げる人の姿)」のイメージとなったため、漢字を発明した倉頡は「四つ目の怪人」と呼ばれることになったのである。
 「十字の銀河(D図)~夏の銀河の西南部(E図)まで」は、上掲した「文字作成銀河各部の名称図の範囲」を示す。したがって、「四つ目の怪人」という異名(いみょう)は「文字作成銀河の範囲」をあらわす重大な役目を有していたことになる。
 以上のごとく、倉頡伝説に登場する「四つ目の怪人」は「四つ目がある鬼の姿に似る銀河」と「文字作成銀河の範囲」をあらわして、「すべて漢字は文字作成銀河の各部の形状から作られた事実」を後世に伝えていたことになる。
 だから、「四つ目の怪人」を注目して「とんでもない! 荒唐無稽な話だ」と鬼の首でも取ったかのごとく倉頡伝説にケチをつける学者たちの意見のほうが誤読と思考停止で強引(ごういん)に単純化した憶説(おくせつ)で重大な事実を葬る「とんでもない! 荒唐無稽の妄想(もうそう)であった」ことになる。

◆次回は、倉頡伝説に登場する「鳥獣の足跡」の秘密を解明する。

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