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2019年10月

2019年10月30日 (水)

#16 邪馬台国説はフェイクであった!

★即位礼と大嘗祭は宗教儀式ではない、明確に学問儀式である

◆令和元年の1022日におこなわれた即位礼正殿の儀と翌1114日の夕刻から翌日未明におこなわれる大嘗祭(だいじょうさい)について、朝日新聞の令和元年1022日・23日の記事は「宗教的儀式であるから、政教分離など憲法上の疑義は将来の課題として残る」と報道する。
 この朝日新聞の報道は明確に誤報・デマ・フェイク(虚偽報道)であり、即位礼と大嘗祭は宗教的儀式ではない、明らかに学問儀式である。

◆江戸中期・17世紀~18世紀に生存した新井白石(あらいはくせき)以来300年、最も正しいと信じられている九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は【誤読の空論】である。
 また江戸時代の18世紀に生存した本居宣長(もとおりのりなが)が著わした注釈書『古事記伝』にもとづいて学者たちが立論する日本神話虚構説も【誤読の空論】である。
 令和元年914日に発刊された拙著『日本国誕生史の証明』(ムゲンブックス制作・エッグデザイン発刊)にて、【九州邪馬台国説・畿内邪馬台国説と日本神話虚構説は完全なる誤読の空論】である実体を、詳細に具体的に【科学】が成立するように解説して証明した。
この点に疑問を抱く方は、拙著『日本国誕生史の証明』で確かめていただきたい。
Nihonkokutanjoushinosyoumei
◆【誤読の空論である邪馬台国説と日本神話虚構説】を鵜呑(うの)みにする朝日新聞は――日本神話は歴史ではなく、神道(しんとう)について語る物語である。即位式と大嘗祭は日本神話・神道(宗教)をあらわす儀式であるゆえ、即位式と大嘗祭は宗教的儀式である――と思い込む。
 しかし、日本神話は【古代学問】と【日本国(小国・日本)誕生史とその後の歴史(上古史)】を説明する記録であった。だから、令和元年におこなわれる即位式と大嘗祭は【古代学問と日本国誕生史】を現在に伝える学問儀式であるゆえ、断じて宗教的儀式ではない

◆このブログで幾度もくりかえすように、倭女王卑弥呼が登場することで有名な『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』は3世紀後半(280289)に著作されたが――即位式と大嘗祭で表示される【古代学問】と【日本国誕生史】ついて下記のごとく説明する。
 約2000字で構成される『魏志倭人伝』の(1)25%・約500字は【倉頡が発明した漢字作成方法】について説明する。倉頡は紀元前3000年ころの五帝時代初頭の黄帝(こうてい)につかえた史官(記録官)である。(2)20%・約400字の記事で「倭国には【夏音文字の学芸】が存在した。夏音文字は中国の後漢時代と三国時代に用いられた楷書で表記されるが、夏音文字も楷書も倉頡が発明した漢字作成方法にのっとって銀河から作られた。漢字が作られた銀河は、天文学では【夏の銀河】と称される、「夏の星座」と呼ばれる全星座が漬()かる巨大な銀河である。倭の伊都(いと)国の港では夏音文字と魏政府・帯方郡と諸韓国が用いる楷書で書く文書を点検し、確認して差錯(ささく/相違)しないように正しく変換できた」と説明している。
 したがって、令和元年の秋におこなわれる即位式と大嘗祭は、上記した『魏志倭人伝』の(1)(2)の合計約900字・約45%の記事が説明する【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】、つまり【古代学問】を表示する儀式であった。

◆【即位式と大嘗祭は明確に学問儀式】である事実は、前回のわがブログ(15)にて、紀元前5世紀に生存した孔子と並ぶ中国の二大思想家の老子(ろうし)の教えを説く『老子』第二十章が今日に伝えていることを解説して証明した。
 老子は【倉頡が発明した漢字作成方法】を知っていたが、孔子は知らなかった。
 老子・孔子より約2500年後の令和元年の秋、皇室は即位式と大嘗祭で【倉頡が発明した漢字作成方法】を表示する。
 だから、朝日新聞の「即位式と大嘗祭は宗教的儀式である」という誤報・デマは断じてゆるされるものではない。


◆『老子』第二十章の冒頭の「学を絶てば憂(うれ)い無し」という文における「学」は、即位式と大嘗祭であらわす【倉頡が発明した漢字作成方法】である。
 老子の教え(道教)を書く書物は『老子』は37章の上篇(道経)と、44章の下篇(徳経)で構成される。37章からなる『老子』上篇(道経)は「漢字は【夏の銀河】から漢字は作られた」と暴露する書物であった。
 わが国においても漢字が起源した中国においても、「漢字が【夏の銀河】から作られた知識」を反体制側が手に入れると、革命に利用されて容易に国家と王朝が崩壊する可能性は大であった。だから、国家と王朝は独占管理して厳重に機密を保持(ほじ)して、「漢字が【夏の銀河】から作られた秘密」を暴露する者は死刑と定められていた。
 これゆえ、司馬遷(しばせん)著『史記(しき)』は老子を「喪家(そうけ)の狗(いぬ)」つまり「漢字は【夏の銀河】から作られた事実を暴露して国家と王朝を滅ぼすと定められた大罪を犯す老子は、役人につかまって死刑となるのを恐れて頻繁(ひんぱん)に住居を変える宿無し犬であった」と伝えている。


◆太安万侶(おおのやすまろ)が書いた『古事記』の序は「古事記上巻 幷わせて序」と表記された。というのも、『古事記』は上巻・中巻・下巻の三巻で構成されたが――、『古事記』上巻の随所に〔音〕という注がつく夏音文字の語に【歴史解明方法】が仕組まれていたからであった。
 皇室が至上神と崇拝する先祖は、天照大御神である。
 皇祖・天照大御神(3世紀後半に生存した第10代崇神天皇とその生母)の遺勅(ゆいちょく/死後にのこされた勅命)は――皇室が永らく存続するためには、【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】を政権基盤にして滅びないようにしてまもり、この学問を皇室と国家が独占管理して厳重に機密を保持(ほじ)せよ。人民が最も尊重する【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】は革命に利用されて皇室と国家を滅ぼす危険思想であるゆえ、絶対に後世に伝えてはならない。皇室は代々、【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】の抹殺(まっさつ)・消滅につとめなければならない」であった。
 『古事記』編纂(へんさん)スタッフは天照大御神の遺勅に逆(さか)らって、『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命神話に【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】を記述することにした。この反逆は(1)「漢字は【夏の銀河】から作られた事実は絶対に暴露してはならない。即刻死刑にする」という大罪(たいざい)と、(2)天照大御神の遺勅「【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】を必ず抹殺・消滅せよ」によって皇室と国家の崩壊を目論む大罪と決められていたゆえ、死刑と決められた二重の大罪を犯す行為であった。
 だから、死刑をまぬがれるために【夏音文字を表記する楷書各字の字源・字形・字義を夏の銀河各部の形状に変換すれば歴史が解明できる方法】を企(たくら)み――【日本神話の各記事を慎重(しんちょう)に注意深く思索(しさく)して読めば歴史を解明することができるが、各記事の表層だけをとらえて粗雑(そざつ)に読解(どっかい)すると歴史を解明できない方法】を、編纂スタッフは企んで、『古事記』を正史(せいし)にしょうとしたが、この企みは見破られて失敗した。
 このような事情であったゆえ、太安万侶は「上巻の随所に〔音〕という注が付く夏音文字の語に用いられる楷書各字の字源・字形・字義を【夏の銀河各部の形状】に変換すれば歴史が解明できる方法」の企み(仕掛け)が察知できるように、「『古事記』上巻の序」を「古事記上巻 幷わせて序」と題する、きわめて特殊の序としたのである。
 この「古事記上巻 幷わせて序」に書かれた歴史解明方法の説明を、注釈書『古事記伝』を著作した本居宣長は読解(どっかい)できなかった。今日の学者たちも本居宣長と同じく「古事記上巻 幷わせて序」が説明する歴史解明方法を読解できない。だから、今日の学者たちは「『古事記』上巻の日本神話は歴史を語るものではない。日本神話の物語である」という【誤読の空論】にとりつかれている。

◆「老子」と言えば「知足(ちそく)」の思想が有名である。
 『老子』第三十三章の文中には「足()るを知る者は富み」という文がある。『老子』第四十六章では「禍(わざわい)は足るを知らざるより大なるは莫()く」、また「知足の足は常に足()る」と説く。
 前回のブログ(15)の末部で解説して証明したように、「知足」は[]の字源銀河部をあらわし「学問」を意味した。
 令和元年1114日の夕刻から翌日未明におこなわれる大嘗祭(だいじょうさい)[大・嘗・祭]3字の字源銀河部は[]の字源銀河部と合致するゆえ、「学問」を意味した。
 だから、【大嘗祭】は【学問儀式】であったのである。

◆『老子』だけでなく、京都市右京区の「枯山水(かれさんすい)の平庭」で有名な竜安寺(りょうあんじ)の石庭(せきてい)もまた【大嘗祭】は【学問儀式】であることを示している。
 臨済宗(りんざいしゅう)妙心寺派(みょうしんじは)に属する龍安寺の石庭を説明するパンフレットは「禅(ぜん)とは」と題して――禅()のない宗教である。特定の拝む対象のない宗教である。「自己」を拝む宗教である。「自己」の自覚を深く掘り下げる宗教である。「悟り」即ち「吾が心」を見る宗教である。「無」「無我」「無心」の宗教である。「吾れ唯だ足ることを知る」宗教である――と説明する。
 つまり、龍安寺の石庭を説明するパンフレットは――禅とは、漢字が【夏の銀河】から作られた「学問」、つまり『老子』が説く「知足」を拝み、【夏の銀河】を観察して自覚を深く掘り下げ、【夏の銀河】を観察して「悟り」即ち「吾が心」を見て、「無」「無我」「無心」を知ることができる【夏の銀河】から作られた学問を窮(きわ)める宗教である――と説明していることになる。その証拠に、パンフレットには――「吾れ唯だ足ることを知る」宗教である――と記してあるように、龍安寺の禅は『老子』が説く「知足」=【倉頡が発明した漢字作成方法】を知る宗教であった。

 龍安寺の石庭を眺める「方丈の間」の東北に蔵六庵(ぞうろくあん)の茶室がある。その前に水戸光圀(みとみつくに)から寄進(きしん)された「知足のつくばい」がある。
 この「知足のつくばい」とよばれる手水鉢(ちょうずばち)の正方形の海(うみ/水を入れる穴)[]の字を示す仕掛けとなる。北に[]、東に[]、南に[](ただし、[]の上部が欠けるウソ字)、西に[]の字が配置され、中央の海の[]の字と合体して「吾唯知足」の4字が成立する仕掛けとなり、パンフレットの「禅とは」という説明にある「吾れ唯だ足ることを知る」とい文をあらわしている。
 そして、南のウソ字の[]の上部のおける【[]の右端を左にむける撥ね】で「十五から[]を引く十四」とあらわす仕掛けとなる。[][]は共に「膝(ひざ)から下の、足の下半部の象形字」である。甲骨文字では[][]の同一形である。
 龍安寺の石庭は5群に分かれ、全15個の石を東から西へ52323の石組にして、どの角度から見ても石庭の石は合計15個であるはずなのに14個にしか見えないようになっている。つまり、上記したように[]を減ずる仕掛けを秘める[]のウソ字には「石が14個に観える景色は虚偽、15個が足=正(正しい)」と示す役目があったのである。
 ゆえに、「知足のつくばい」は歴史解明方法が記述された「古事記上巻 幷わせて序」に類似して――石庭は「暴露することが禁じられた【夏の銀河】から作られた漢字学の秘密」を深く思索(しさく)して知るための装置(芸術作品)であったのである。

◆『魏志倭人伝』は「倭国の易(卜占/うらない)」について説明する記事における「令亀(れいき)の法の如(ごと)く」という文で「倭国には中国の殷代(いんだい)後半に出現した亀の甲羅(こうら)に文字を刻んだ甲骨(こうこつ)文字のような原初漢字があった」と証言する。
 また『魏志倭人伝』は「倭国の伊都(いと)国の港では、魏と朝鮮半島の魏の出張政庁が所在する帯方郡と諸韓国が文書に用いる楷書と倭女王卑弥呼が文書に用いる原初漢字を、点検・確認して差錯(ささく/相違)が生じないように正しく変換していた」と記述する。
 この二つの記事は「わが国は紀元前2070年ころ~紀元前2050年ころの中国の夏代(かだい)初頭に伝来した夏音(かおん)文字を習得した」と証言するものであった。
 また712年に成立した『古事記』の序(古事記上巻 幷()わせて序)も冒頭の文で「わが国は中国の夏代初頭=わが国の後期縄文時代初頭、夏音文字を習得した」と記述する。
 したがって、龍安寺の「知足のつくばい」は石庭のおける合計15個の石が14個に見える景色(仕掛け)で――『魏志倭人伝』の〔倭の易〕と〔伊都国〕の記事と「古事記上巻 幷わせて序」冒頭記事はわが国には夏音文字があった事実を伝えるものであり、また『老子』第二十章冒頭に登場する[]の字源・字義の【倉頡が発明した漢字作成方法】がわが国に存在した事実である――と伝えていることになる。

◆龍安寺の石庭における全5群の石組は、【夏の銀河各部の形状】をあらわす仕組みとなる。
 石庭を見学できる方丈(ほうじょう)の前の「縁側の端」を「地平線」または「水平線」に見立てると「第1群・第2群の石組」は「地平線・水平線上から昇りはじめる【夏の銀河】の形」に相似し、また「全5群の石組の形」も「地平線・水平線上から昇りはじめる低く円弧を描く【夏の銀河】の形」が連想できるようになっている。
 「大小155群の石組を配置する白砂(はくさ)を敷きつめる庭」は「大海」が連想できる景色となり、「全5群の石組を連結させて円弧を描くようにする、その景色」は「甲羅が円弧形の海原を泳ぐ大亀の姿」に観える。ゆえに、『魏志倭人伝』の「倭の卜占の辞は令亀の法の如き」という文は「倭の夏音文字の字形は甲骨文字の字形の如きであった」と解釈すべきことになる。
 したがって、竜安寺の石庭は「夏音文字と夏音文字をあらわす音符の役目をした楷書はともに【夏の銀河】から作られた」と表現するとともに、「わが国には【倉頡が発明した漢字作成方法】が『魏志倭人伝』初頭から始まる約25%・約500字の記事で保存されていた」と伝えていることになる。

5群に分かれる石組において、東端にある第1群の15個の石において最大の石は、庭全体の主石の役割をはたす。方丈から見ると第1群の主石は「天頂(真上)を仰ぎ見る僧侶(大人/おとな)の横顔の形」をしており、庭中央の第3群における最大の石は「天頂を仰ぎ見る子どもの横顔」に相似し、庭の西側にある大石も「天頂を仰ぎ見る人の横顔の形」となる。
 ゆえに、5つの石で構成される第1群は「倉頡が生存した五帝時代初頭の黄帝(こうてい)時代」をあらわし、「天頂を仰ぐ横顔の形の主石」は――五帝時代に中国各地の天頂にめぐってきた、【夏の銀河】の東端の「妊婦の姿に似る銀河」(前回(15)のブログの後半を参照)――を示す。
 「妊婦の姿に似る銀河」を、倉頡は「【夏の銀河各部の形状】から作られた全漢字を生む母体」と定めた。それゆえ、「天頂を仰ぐ子どもの横顔の形」をした大石がある第3群は「()妊婦の姿に似る銀河で胎児を宿して育てる子宮と()子宮を包囲して胎児の命をまもる骨盤(こつばん)()出産する産道(さんどう)」をあらわす。
 だから、全5群の石組は「妊婦の丸い腹部(おなか)の形」を表現している。

◆庭の西側にある第5群の石組の形は【夏の銀河】における東方にある、天文学にて「北天(ほくてん)の最輝部(さいきぶ)」と名づけられた銀河部がある「人の横顔に酷似(こくじ)する銀河の形」にソックリである。
 「北天の最輝部」は「人の横顔に酷似する銀河の額(ひたい)の部分」にある。「北天の最輝部」は「北半球で住む人々が、全銀河の帯において最も輝いて見える銀河部」である。「北天の最輝部」は「白く(銀白色に)輝く銀河部」である。
 三日月の夜に視界の中に明るい光が入らない暗い場所における瞳孔径(どうこうけい/瞳孔の直径)で見ると、【漢字となった夏の銀河各銀河部の形状】が最も明確に見える。この【漢字となった各銀河部の形状が最も明確に見える状況(視界の中)】に少し明るい光が入って瞳孔径が少し縮小すると、[]と「文字」の[]の字源銀河「子どもの姿(出産した嬰児や胎児の姿)に似る銀河」は「北天の最輝部」と共に白く(銀白色に)輝くようになる。
 つまり、「銀河」の語源は「北天の最輝部」と「銀白色に輝く子どもの姿に似る銀河」であった。
 英語の「銀河」が「Milky ay(ミルキーウエイ)」であるのは「北天の最輝部」と「子どもの姿に似る銀河」が乳(ミルク)の色のように白く輝くからである。
 だから、「銀河」の語源の秘密をあらわして、龍安寺の石庭は一面に白い砂が敷きつめられている。
 したがって、大嘗祭に臨む天皇の姿は「銀河」の語源【白く輝く銀河】の「北天の銀河部」と「子どもの姿に似る銀河」】をあらわして【白い装束(しょうぞく)】で包まれる。
 1022日の即位礼正殿の儀に臨んだ皇后陛下の衣装は「銀河」の語源に因(ちな)んで「白い絹の着物」で十二単(じゅうにひとえ)をおおい包んでいた。
 白砂(はくさ)が敷きつめられる長方形の石庭の南面は柿葺(こけらぶき)油土塀(あぶらどべい)である。即位式正殿の儀において高御座(たかみくら)に立つ天皇陛下は柿葺油土塀の色の装束に包まれていた。

◆石庭の主石となる第1群石組の「天頂を仰ぎ見る僧侶の横顔に似る大石」は「虎の横顔」にも相似し、第3群石組の「横三尊」と呼ばれる「天頂を仰ぎ見る子の横顔に似る大石」も「子ども虎の顔」に相似する。ゆえに、庭の石の配列から子渡しの故事(こじ)にたとえられて、石庭は俗に〔虎の子渡しの庭〕とも呼ばれことになった。
 第1群と第3群の大石は東西・横ほぼ平行に並べられて[]をあらわし、[]の字をあらわす大石は[]をあらわして「一大」という語をあらわす役目があった。ゆえに、第3群石組は「横三尊」と呼ばれることになったにちがいない。
 前回(15)のブログの後半部で解説したように、「一大」の語源は「【夏の銀河】各部の形状から作られた全漢字が生まれる、【妊婦の姿に似る銀河で子宮に相当する銀河部】」であり、【倉頡が発明した漢字作成方法における核心部となる銀河部】である。ゆえに、庭中央の第3群石組は「横三尊」と特別の名称がつけられているにちがいない。

 わが国に【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】をもたらした益氏について、司馬遷(しばせん)著『史記』五帝本紀は「五帝時代最後の虞帝(ぐてい)・帝舜(しゅん)の時代に〔虞〕という重職についた」と記述する。
 司馬遷著『史記』夏本紀は――夏王朝の始祖・帝禹()が没する時の「五帝時代以来の国家を作らず氏族共同体制を保持せよ」と遺言で、帝禹の政治を補佐〔注 知足のつくばいの[]には「補佐」の字義がある〕した益氏の王が帝王についた。しかし、諸侯は帝禹の遺志に従わず、「国家を創設して、帝王は漢民族の家系で世襲する政治体制」を主張する帝禹の息子の啓(けい)のもとに入朝(にゅうちょう)した。ゆえに、中国では帝禹の遺志は廃(すた)れたと判断した、帝益は禹の三年の喪()が終わると、益は帝位を啓にゆずって隠棲(いんせい/隠居)した――と記述する。
 隠居した益王は禹の遺志を新天地・日本列島にて継続しようと決心した。しかし、益王は老いて中国と日本列島の間の大海(玄界灘)を舟で漕いで渡ることができる体力を失っていたので、禹の遺志を継ぐ事業は益王の孫の青年王子と若者たちによって荒波逆巻く玄界灘を渡って日本列島の移住が成しとげられた。ゆえに、この禹の遺志を継ぐために「益氏の王子と若者たち一行が荒波逆巻く玄界灘を渡った大事業」は今日の「益荒男(ますらお)」の語源となり、『魏志倭人伝』では「倭の使者は中国に到着すると皆“大夫”と称した」という記事となり、万葉仮名では「大夫」は「ますらを」と読むと定められて今日は「益荒男」と表記されることになった。
 益氏が就いた[][][]が合体する字であり、[]の字は「子ども無事に生まれるようにと願う巫女(みこ)が出産祝いをあらわす土器をかかげて、産道を身をくねらせて生まれる子の姿をあらわして巫女が身をくねらせて舞う様子」をあらわした。
 ゆえに、庭中央の横三尊の大石が「虎の子の横顔」に相似する第3群組石は[][](子が健やかに出産する)が合体する「虞」の字をあらわし――帝舜の時代に「虞」の重職に就いた益氏の子孫の王子が【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】を、わが国にもたらした――と表現していることになる。

◆以上、石庭の各部分は多岐(たき)にわたって【倉頡が発明した漢字作成法と夏音文字の学芸】の【古代学問】を表現する装置である状況を充分に説明しきれないが――いままで証明しただけの幾つかの事柄からしても、龍安寺の石庭は「即位式と大嘗祭は学問儀式である事実」を知ることができる【古代学問】を表現する装置(芸術作品)であったのである。

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2019年10月28日 (月)

#15 邪馬台国説はフェイクであった!

★即位礼と大嘗祭は宗教儀式ではあらず、明確に学問儀式である

◆令和元年の1022日におこなわれた即位礼正殿の儀と翌1114日の夕刻から翌日未明におこなわれる大嘗祭(だいじょうさい)について、朝日新聞は「宗教的儀式であるから、政教分離など憲法上の疑義は将来の課題として残る」と報道する。
 この朝日新聞の報道は明確に誤報・デマ・フェイク(虚偽報道)である。
 朝日新聞の誤報の原因は、このブログが前回(14)まで解説してきたように【学者たちの誤読の空論の邪馬台国説と日本神話虚構説】を鵜呑(うの)みにする無知・無学である。

◆江戸中期・17世紀~18世紀に生存した新井白石(あらいはくせき)以来300年、最も正しいと信じられている九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は【誤読の空論】である。
 また江戸時代の18世紀に生存した本居宣長(もとおりのりなが)が著わした注釈書『古事記伝』にもとづいて学者たちが立論する日本神話虚構(きょこう)説も【誤読の空論】である。
 したがって、国民的常識の【九州邪馬台国説・畿内邪馬台国説と日本神話虚構説】は「科学における不正行為」を犯(おか)している。報道機関は「科学における不正行為」を世界中に知れ渡るようにしなければならない使命と責務を負っている。
 20年前(2000年において)、藤村新一が30年ほど前から発見していた旧石器の発見は捏造(ねつぞう)であったことが暴露され、この旧石器発掘捏造事件は報道機関によって世界中に報道された、わが国を代表する「科学における不正行為」である。
 だから、朝日新聞の「即位礼と大嘗祭は宗教儀式である」と主張する報道は、【科学における不正行為を犯す邪馬台国説と日本神話虚構説】を日本中に蔓延(まんえん)・拡散(かくさん)させて真実を隠蔽(いんぺい)する事件ということにななる。したがって、朝日新聞は報道機関本来の使命・責務にそむき、倫理(りんり)にも違反している。
 朝日新聞は率先(そっせん)して、日本中はもちろん世界中に「邪馬台国説と日本神話虚構説は【科学】が成立しない不正行為を犯している」と報道しなければならないはずである。

◆令和元年914日に発刊された拙著『日本国誕生史の証明』(ムゲンブックス制作・エッグデザイン発刊)では、【九州邪馬台国説・畿内邪馬台国説と日本神話虚構説は完全なる誤読の空論】である実体を、詳細に具体的に【科学】が成立するように解説して証明した。
この点に疑問を抱く方は、拙著『日本国誕生史の証明』で確かめていただきたい。
Nihonkokutanjoushinosyoumei
◆【誤読の論法の邪馬台国説と日本神話虚構説】を鵜呑みにする朝日新聞は――日本神話は歴史ではなく、神道(しんとう)について語る物語である。即位式と大嘗祭は日本神話・神道(宗教)をあらわす儀式であるゆえ、即位式と大嘗祭は宗教儀式である――と思い込む。
 しかし、日本神話は【古代学問】と【日本国(小国・日本)誕生史とその後の歴史(上古史)】を説明する記録であった。だから、令和元年におこなわれる即位式と大嘗祭は【古代学問と日本国誕生史】を現在に伝える学問儀式であるゆえ、断じて宗教的儀式ではない。

◆このブログで幾度もくりかえすように、倭女王卑弥呼が登場することで有名な『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』は3世紀後半(280289)に著作されたが――即位式と大嘗祭で表示される【古代学問】と【日本国誕生史】ついて下記のごとく説明している。
 約2000字で構成される『魏志倭人伝』の(1)25%・約500字は【倉頡が発明した漢字作成方法】について説明する。倉頡は紀元前3000年ころの五帝時代初頭の黄帝(こうてい)につかえた史官(記録官)である。(2)20%・約400字の記事で「倭国には【夏音文字の学芸】が存在した。夏音文字は中国の後漢時代と三国時代に用いられた楷書で表記されるが、夏音文字も楷書も倉頡が発明した漢字作成方法にのっとって銀河から作られた。漢字が作られた銀河は、天文学では【夏の銀河】と称される、「夏の星座」と呼ばれる全星座が漬()かる巨大な銀河である。倭の伊都(いと)国の港では夏音文字と魏政府・帯方郡と諸韓国が用いる楷書で書く文書を点検し、確認して差錯(ささく/相違)しないように正しく変換できた」と説明している。
 したがって、(1)(2)の合計約900字・約45%の記事は【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】、つまり令和元年の秋におこなわれる即位式と大嘗祭で表示される【古代学問】について説明していることになる。
 また(3)30%・約600字の記事は【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】について説明する。
 (4)残る約25%・約500字の記事は倭国の風俗や産物や動植物の生息状況などを説明する。
 ゆえに、国民的常識となる九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は約2000字の『魏志倭人伝』の全記事と一ヵ所も合致しない【完全なる誤読の空論】である。
 
◆『魏志倭人伝』に記述された【夏音文字の学芸】について、万葉時代の712年に成立した『古事記』の序(「古事記上巻 幷()わせて序」)の冒頭記事は下記のごとく説明する。
 「わが国は紀元前2070年ころ~紀元前2050年ころの中国の夏代(かだい)初頭・わが国の後期縄文時代初頭、中国から原初漢字の夏音文字の学芸が伝来し習得された。夏音文字は倉頡が発明した漢字作成方法にのっとって、【夏の銀河各部の形状】から作られた。わが国の前期・中期・後期縄文時代の土器・土偶(どぐう)もまた、倉頡が漢字を作った【夏の銀河各部の形状】から造られた。前期縄文時代初頭から後期縄文初頭までの約2000年間の土器・土偶を造る芸術の伝統・知識に精通(せいつう)する後期縄文時代初頭の芸術家たちによって、【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】が習得された。」

 そして「古事記上巻 幷わせて序」末部の記事にて【夏音文字と、夏音文字を表記する文字に用いられた楷書(表音文字)】について下記のごとく説明する。
 「楷書と夏音文字であらわす辞(ことばと文字)が理解できない場合は、〔音〕という注が付く夏音文字と夏音文字を表記する音符となる楷書が作られた【辞理(じり)、つまりは辞(ことばと文字)の原理となる夏の銀河】を見れば明らかになるような仕組みにした。楷書と夏音文字は共に【夏の銀河各部の形状】から作られたゆえ、楷書〔日下(にちげ)〕は夏音文字〔玖沙訶(くさか)〕と同義となり、楷書〔帯(たい)〕は夏音文字〔多羅斯(たらし)〕と同義となる。」

◆太安万侶(おおのやすまろ)が書いた『古事記』の序は「古事記上巻 幷わせて序」と表記された。というのも、『古事記』は上巻・中巻・下巻の三巻で構成されたが――、『古事記』上巻の随所に〔音〕という注がつく夏音文字の語に【歴史解明方法】が仕組まれていたからであった。
 皇室が至上神と崇拝する先祖は、天照大御神である。
 皇祖・天照大御神(3世紀後半に生存した第10代崇神天皇とその生母)の遺勅(ゆいちょく/死後にのこされた勅命)は――皇室が永らく存続するためには、【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】を政権基盤にして滅びないようにしてまもり、この学問を皇室と国家が独占管理して厳重に機密を保持(ほじ)せよ。人民が最も尊重する【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】は革命に利用されて皇室と国家を滅ぼす危険思想であるゆえ、絶対に後世に伝えてはならない。皇室は代々、【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】の抹殺(まっさつ)・消滅につとめなければならない」であった。
 『古事記』編纂(へんさん)スタッフは天照大御神の遺勅に逆(さか)らって、『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命神話に【日本国(小国・日本)誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】を記述することにした。この反逆は天照大御神の遺勅にもとづき皇室と国家を崩壊する死刑と決められた大罪(たいざい)であった。
 だから、死刑をまぬがれるために【夏音文字を表記する楷書各字の字源・字形・字義を夏の銀河各部の形状に変換すれば歴史が解明できる方法】を企(たくら)み――つまり、【日本神話の各記事を慎重(しんちょう)に注意深く思索(しさく)して読めば歴史を解明することができるが、各記事の表層だけをとらえて粗雑(そざつ)に読解(どっかい)すると歴史を解明できず物語となる方法】を編纂スタッフは企んで、『古事記』を献上(けんじょう)する時の天皇を騙(だま)して正史(せいし)にしょうとしたが失敗した。
 このような事情であったゆえ、太安万侶は「上巻の随所に〔音〕という注が付く夏音文字の語に用いられる楷書各字の字源・字形・字義を【夏の銀河各部の形状】に変換すれば歴史が解明できる方法」の企み(仕掛け)が察知できるように、「『古事記』上巻の序」を「古事記上巻 幷わせて序」と題して、きわめて特殊の序としたのである。
 したがって、【編纂スタッフの企み】にもとづき、夏音文字は『古事記』上巻のみに〔音〕という注が付けられ、この夏音文字の音符(表音文字)となる楷書の各字の字源・字形・字義を【夏の銀河各部の形状】に変換すれば歴史が解明できる仕組みになっている。

この「古事記上巻 幷わせて序」が説明する歴史解明方法の存在に、注釈書『古事記伝』を著作した本居宣長は気づかなかった。このため、『古事記伝』と同じく「古事記上巻 幷わせて序」が説明する歴史解明方法を読解できない今日の学者たちは「『古事記』上巻の日本神話は歴史を語るものではない。日本神話の物語である」という【誤読の空論】にとりつかれている。

◆老子(ろうし)は道教(どうきょう)を説き、孔子(こうし)は儒教(じゅきょう)を説いた。
 老子は孔子(紀元前552~紀元前479)と同時代に生存し、しかも老子は孔子より年上であったが、老子は孔子より約100年後の紀元前4世紀にも生存したと伝わる。つまり、老子は孔子と同時代を生存した初代だけでなく、二代老子、三代老子が道教を受け継いだと考えるべきことになる。
 老子の教え(道教)を書く書物は『老子』。『老子』は37章の上篇(道経)と、44章の下篇(徳経)で構成される。37章からなる『老子』上篇(道経)は「漢字は【夏の銀河】から漢字は作られた」と暴露する書物であった。
 漢字が起源した中国においてももちろん、「漢字が【夏の銀河】から作られた知識」を反体制側が手に入れると、革命に利用されて容易に国家と王朝が崩壊する可能性は大であった。だから、国家と王朝は独占管理して厳重に機密を保持(ほじ)して、「漢字が【夏の銀河】から作られた秘密」を暴露する者は死刑と定められていた。
 これゆえ、司馬遷(しばせん)著『史記(しき)』は老子を「喪家(そうけ)の狗(いぬ)」つまり「漢字は【夏の銀河】から作られた事実を暴露して国家と王朝を滅ぼすと定められた大罪を犯す老子は、役人につかまって死刑となるのを恐れて頻繁(ひんぱん)に住居を変える宿無し犬であった」と伝えている。

孔子が弟子に教えを説いた『論語(ろんご)』には「子曰(しいわ)く、我に数年を加()し、五十にして以(もっ)て易(えき)を学べば、以て大過(たいか)なかるべし」という文がある。したがって、孔子は「紀元前4000年ころの三皇(さんこう)時代初頭、易に用いた記号を考案した包犧氏(ほうぎし)が漢字を発明した。我に年齢が加えられて五十歳を過ぎたならば死が近づき命を惜しまなくてもよくなるゆえ、朝廷と国家を滅ぼす大罪と定められて死刑となると決められる易から起源した文字を研究しても大きな過(あやま)ちにならない」と誤った意見を弟子たちに説いていたことになる。
 包犧氏は易を作ったが、漢字を作らなかった。漢字を作ったのは包犧氏より約1000年後に生存した倉頡であった。孔子は「五十歳以上になれば命を惜しむ必要がないので死刑と定められている文字の起源を学んでもよい」と弟子たちに説いていたように、孔子は「漢字は包犧氏が発明した」と誤った考えを有していたのである。
 また、孔子の「我に数年を加し、五十にして以て易を学べば、以て大過なかるべし」という意見は、若き日から「漢字は銀河から作られた」と暴露して日々役人に追われる老子を「命を粗末(そまつ)にする愚者(おろかもの)」と批判したことになる。
 だから老子は怒り、孔子が説く道徳とか礼法は世の中を混乱にみちびく最大の原因であり、そして「漢字は易から起源した」という意見は、『老子』第二十章にて「虚偽・虚妄(きょもう/デタラメ)である」と批判した。 


◆『老子』第二十章は、下記のごとくである。ただし、(中略)と記した箇所は〔使用頻度(しようひんど)が少ない文字〕を用いているゆえ、ブログで出力するに困難と字となるゆえ、書き下し文では(中略)とし、現代語訳では( )の中に現代語訳を記述することにした。

 「学を絶てば憂(うれ)い無し。唯()と阿()と、相()い去ること幾何(いくばく)ぞ。善と悪と、相い去ること何若(いかん)。人の畏(おそ)るる所は畏れざるべからず。荒(こう)としてそれ未(いま)だ央()きざるかな。衆人(しゅうじん)は煕煕(きき)として、太牢(たいろう)を享()くるが如(ごと)く。春、台に登るが如し。我れ独(ひと)り泊(はく)としてそれ未だ兆(きざ)さず。嬰児(えいじ)の未だ孩(わら)わざるが如し。(中略)。衆人は皆()な以(もち)うる有りて、我れ独り頑(がん)にして鄙()に似る。我れ独り人に異(こと)なりて食母(しょくぼ)を貴(たっと)ぶ。」

 上記の『老子』第二十章の書き下し文を現代語に訳すると、次のごとくなる。
 「銀河から文字が作られた学問をやめてしまえば死刑になると心配する必要はない。孔子の教えにおいて、唯(ハイ)と答えるのを阿()と返事するとのあいだには、どれほどの差があるというのだ。孔子の善と悪との教えにはどのような違いがあるというのだ。孔子は、我は命を粗末にする愚か者であると批判するが、我は人が畏れる死刑を畏れざるべからずなんて強がることはできないから、宿無しの逃亡生活を続ける。我は荒涼(こうりょう)として当所(あてど)なく、頻繁に住居を変える逃亡者である。孔子はじめ世間の人々は浮き浮きとして、まるで大盤(おおばん)ふるまいを受ける招待客や、春の日に高台(たかだい)に登る物見客(ものみきゃく)のごとく楽しく生きる。けれども、我れ独りひっそりとして心から喜ぶことができずに暮らしている。我は、いまだ笑うことを知らない嬰児のごとくである。(我は元気なく疲れた宿無し犬のごとくである。世間の人々はみな裕福なのに、我れ独り貧乏である。我は愚か者だよ、我の心はのろのろと間が抜けている。世間の人々はハキハキしているのに、我れ独りだけうすぼんやりとしている。世間の人は明快に割り切って悩まないが、我れ独り悶々(もんもん)と悩んでいる。ゆらゆらとした海のようにたゆたい、ヒューッと吹きすぎる風のようにあてどなくさすらっている)。世間の人々はみな有能なのに、我れ独り頑固(がんこ)で融通(ゆうずう)がきかない田舎者(いなかもの/つまり、銀河各部の形状がよく見える燈火の少ない人里離れた田舎で過ごす者)に似た生活を送る。我れ独り人々と異なって、漢字が銀河から作られた学問を貴(とうと)ぶ食母(見捨てれば死んでゆく子のごとき学問の状況に乳を与えてまもる乳母)となって生きている。」

◆漢字を発明した倉頡がつかえた黄帝の軍は、中国各地に遠征した。
 倉頡が黄帝の遠征とともに行動した五帝時代初頭はじめその後の孔子・老子が生存した周代まで、中国の国土の天頂(てんちょう)にめぐってきた銀河は【夏の銀河の北端】となる【(1)()乳房と()子を宿す丸くふくらんだ腹部と()子宮に相当する箇所〕がある妊婦の姿に相似する銀河と、その西隣の(2)嬰児や胎児の姿に相似する銀河】であった。
 ただし、【子(嬰児や胎児)の姿に相似する銀河のうち、生母や乳母の乳房にむかって口をあけて孩う(笑う)子の横顔に相似する銀河】だけが中国各地の天頂にめぐってきた。【子の姿に似る銀河のうちの胸部から下の下半身】は中国各地の天頂の北側を通過した。
 倉頡は中国各地の天頂にめぐってくる【妊婦の姿に相似する銀河】を【夏の銀河各部の形状から作る全漢字を生む母体】に見立てて[][]の字源・字形・字義となると定め、【子(嬰児や胎児)の姿に相似する銀河】を【母親から生まれる子ども】に見立てて[][]の字源・字形・字義をあらわすと定めた。
 この[文・天][子・字]の作字は、【倉頡が発明した漢字作成方法】のうちの【漢字作成原理】、つまり【母体から子どもが生まれるように、妊婦の姿に似る銀河を全漢字を生む母体に見立てて、この母体から子が生まれるように漢字を作れば多数の漢字を生み出す(作成する)ことができるという原理】をあらわした。
 その後、倉頡は「食べる(食料となる)穀物」や「イネ」を意味する[()]の字など、幾つかの基本字を作った。
 さらに、倉頡は【妊婦の姿に似る銀河で子宮に相当する銀河】を[]の字源・字形・字義と定めた。【妊婦の姿に似る銀河】は[]字形であるから[]の字源・字形・字義と定め、【妊婦の姿に似る銀河で子宮に相当する銀河部】も「大きくなければ全漢字を生むことができない」ゆえ、【妊婦の姿に似る銀河で子宮に相当する銀河部】を[][]が加わる「一大と定義した。
 この「一大」の定義にもとづき、「字となる一ヵ所の銀河部は一字のみに限定せず、その銀河部の形状イメージにもとづいて多数の字となってもよい。一すなわち多、多すなわち一とする【一即多、多即一】」という理論を考案して、倉頡は漢字作成方法を発明した。

 ゆえに、『老子』第二十章に登場する「嬰児の未だ孩(わら)わざるがごとし」という文は、老子の貧窮状況だけを表現するものではなく、「【倉頡が発明した漢字作成方法】は母乳がほとんど与えられずに骨が浮き出してやせこけた、孩(わら)いを失った乳児のごとく、中国では見捨てられて消滅する寸前である」と表現していることになる。
 『老子』第二十章の最後に登場する語「食母」は【妊婦の姿に似る銀河】を[]に見立て、【妊婦の姿に似る銀河の右足=妊婦のおなか=妊婦の乳房に観える銀河部】を倉頡が考案した[禾](食料となる稲・麦などの穀物の穂)に見立てて、【子の姿に似る銀河の横顔における、孩って開いた口】を「食べる口」に見立てて、老子は「食母」と表現した。この「食母」のイメージ銀河部は「乳を飲む子の口」にも観えるゆえ、「食母」は「乳母」と解釈されている。
 『老子』第二十章最後の「我れ独り人と異なりて食母を貴ぶ」という文は「我れ独り人と異なって見捨てれば滅びて失われてしまう【倉頡が発明した漢字作成方法】を守っている状況を悲嘆して憂える様子」をあらわしている。
 だから、『老子』第二十章の冒頭の「学を絶てば憂い無し」という文が明確に示すように、老子は「【倉頡が発明した漢字作成方法】は学(学問)」であったのである。
 「老子」と言えば『老子』第三十三章いか幾つかの章に登場する「知足(ちそく)」という思想が有名である。この「知足」は「知識」の[]に【妊婦の姿に似る銀河の右足】が字源となる[]が加わって「知足」という語になった。
 したがって、「知足」も[]の字源をあらわし「学問」を意味した。

◆【妊婦の姿に似る銀河で子宮に相当する銀河部】は「知足」の[]の字源となる【妊婦の姿に似る銀河の乳房に観える銀河部】と重なる。
 そして、【子(嬰児・乳児)の姿に似る銀河の横顔の口に観える銀河部】は【妊婦の姿に似る銀河の乳房に観える銀河部】を「嘗()める」ように観えるゆえ[]の字源となった。
 上記したように、【妊婦の姿に似る銀河】と【妊婦の姿に似る銀河で子宮に相当する銀河部】は共に[]の字源銀河であった。ゆえに、[][][]が加わる「大嘗祭」の語源は「知足」の語源となる銀河であり、[]の字源銀河であった。
 ゆえに、令和元年1114日夕方から翌日未明に、天皇が1代で1度だけ臨む大嘗祭は『老子』第二十章が冒頭で「学」と表現した【倉頡が発明した漢字作成方法】をあらわす儀式であったことになる。
 だから、朝日新聞の「大嘗祭は宗教的儀式である」という報道は誤報・デマ・フェイクであることは明白なる事実である。

◆約2000字で構成される『魏志倭人伝』は老子・孔子が生存した周代より約700年後においても、約25%・約500字の記事、つまり『魏志倭人伝』冒頭の「倭人は、帯方の東南、大海の中に在り」という文から30ヵ国の小国記事の最後となる狗奴(くな)国について説明するまでの記事をもって――「卑弥呼王朝は[]の字源と30ヵ国の小国名をもって【倉頡が発明した漢字作成方法】を完全保存していた」と証言する。
 老子は知っていたが、孔子は知らなかった【倉頡が発明した漢字作成方法】をあらわす学問儀式を、老子・孔子より約2500年後の令和元年の秋、皇室は即位式と大嘗祭にてとりおこなう。
 だから、朝日新聞の「即位式と大嘗祭は宗教的儀式である」という誤報・デマは断じてゆるされるものではない。

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2019年10月26日 (土)

#14 邪馬台国説はフェイクであった!

★朝日新聞の「即位礼は憲法に違反する宗教的儀式」という報道は誤報・デマである!

◆令和元年1023日の朝日新聞2面は「即位礼正殿の儀は宗教的儀式であるから、政教分離など憲法上の疑義は将来の課題として残る」と報道した。
 この報道の根底にある朝日新聞の知識は、このブログが前回(13)まで証明してきた【誤読の空論の邪馬台国説と日本神話虚構説】を鵜呑(うの)みにして「即位礼は宗教的儀式である」と思い込む無知・無学である。
 今回(14)は、前回と同じテーマ――朝日新聞の「即位礼における高御座(たかみくら)の中に安置された剣と璽(じ/まが玉)は天孫降臨神話に根ざす宗教的儀式とされるゆえ、政教分離など憲法上の疑義は将来の課題として残る」と指摘する報道は虚偽・誤報である――という証明である。
 これゆえ、このブログを読んで不明な点は前回を読んでいただきたい。

◆令和元年914日に発刊された拙著『日本国誕生史の証明』(ムゲンブックス制作・エッグデザイン発刊)では、下記に示す史実(しじつ)を詳細に具体的に【科学】が成立するように解説して証明した。
 倭女王卑弥呼が登場する古文献で有名な『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』は約2000字で構成される。約2000字の『魏志倭人伝』は約45%・約900字の記事で「卑弥呼王朝は【倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成方法と夏音(かおん)文字の学芸】を政権基盤にした」と説明する。また約30%・約600字の記事で【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】を説明している。残る約25%・約500字の記事は倭国の風俗や産物や動植物の生息状況などを説明する。ゆえに、『魏志倭人伝』を資料として立論する九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は約2000字の『魏志倭人伝』の全記事と一ヵ所も合致しない無関係の【完全なる誤読の空論】ということになる。
 そして、万葉時代の712年に成立した『古事記』の序(「古事記上巻 幷()わせて序」)は「わが国は紀元前2070年ころ~紀元前2050年ころの中国の夏代(かだい)初頭・わが国の後期縄文時代初頭、中国から原初漢字の夏音文字が伝来し習得された。夏音文字は倉頡が発明した漢字作成方法にのっとって、天文学が「夏の銀河」と名付けた夏の星座が漬()かる巨大な銀漢各部の形状から作られた。ゆえに、『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付く夏音文字を表記する楷書の字源・字形・字義を夏の銀河各部の形状に変換すれば、上巻に記述された歴史は解明できる」と記述する。
 この「古事記上巻 幷わせて序」の記事は天照大御神を「皇祖」と崇拝する朝廷に反逆する編纂スタッフが『古事記』上巻の随所に〔音〕という注を付ける夏音文字で後世に【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】を後世に伝えると企(たくら)んだ歴史解明方法を説明するものであった。というのも、天照大御神の遺勅(ゆいちょく/死後にのこされた勅命)は「皇室が永らく栄えるためには絶対に【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】を後世に伝えてはならない。抹殺(まっさつ)・消滅せよ」であったからである。
 『古事記』編纂スタッフの「【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】に後世に伝える」という企みを容易に理解できる文章で歴史解明方法を説明すると編纂スタッフは死刑とされた。だから、難解な文章で『古事記』上巻に記述された歴史解明方法は説明されることになったのである。

◆以上からして、(1)新井白石(あらいはくせき/16571725)が立論して以来約300年間学者たちに支持される九州邪馬台国説と畿内邪馬台国の有力説と、(2)本居宣長(もとおりのりなが/17301801)が著した注釈書『古事記伝』をテキストとする学者たちの日本神話虚構説の実体は、共に【誤読の論法から生まれた空論・空想・錯覚(さっかく)】であったのである。
 【邪馬台国説と日本神話虚構説が誤読の論法から生まれた空論・空想・錯覚である事実】は――令和元年914日に発刊された拙著『日本国誕生史の証明』(ムゲンブックス制作・エッグデザイン発刊)で詳細に明確に解説し証明した。
 この点に疑問を抱く方は、拙著『日本国誕生史の証明』で確かめていただきたい。
Nihonkokutanjoushinosyoumei
◆上記したように、【(1)邪馬台国説と(2)日本神話虚構説】の実体は誤読の空理空論である。この事実に気づけば、即位礼正殿の儀は宗教的儀式ではなく、学問儀式であると断定できる。

◆前回(13)でも解説したように――[()]の字義は「中国。中国の人」を意味する。この[]の字源となった銀河は天文学では通称「夏の銀河」と呼ばれる。「夏の銀河」は巨大で、南部には「銀河系宇宙の中心」があり、夏の星座と呼ばれる全星座が漬()かる大銀河である。倉頡(そうきつ)[]の字源となった「夏の銀河各部の形状」から漢字作成方法を発明し、中国最初の国家は夏王朝によって創設された。ゆえに、[]は「中国。中国の人」を意味することになった。
 古代の人々が“漢字の始祖”と崇拝した倉頡は、約5000年前(紀元前3000年ころ)の中国の五帝時代初頭に生存した黄帝(こうてい)につかえる史官(記録官)であった。
 上記したように、わが国は紀元前2070年ころ~紀元前2050年ころの夏代初頭、中国から伝来した夏音文字の学芸を習得した。この夏音文字の学芸の習得は倉頡が生存した時より約950年前のことであった。これゆえ、わが国には中国では不明になった【倉頡が夏の銀河各部の形状から漢字を作成した方法】が正確に保存されることになった。その証拠に【倉頡が発明した漢字作成方法】は『魏志倭人伝』の約25%・約500字で記述された倭の30ヵ国の小国の名称を10ヵ国ずつ3グループに分けて正確に保存されている。

◆中国で現存する最古の漢字音は、紀元前1046年から始まる周(しゅう)代初頭ころの上古音である。
 わが国における現存する最古の漢字音は、紀元前2070年ころ~紀元前2050年ころに習得された夏音文字の字音である。中国の上古音よりも約1000年前の夏音文字は『魏志倭人伝』の人名・小国名・官職名などで残り、『古事記』の序と上巻にて〔音〕という注が付いて多数残り、『万葉集』にも多数残っている。
 わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる白川静博士が著作した『字統』(平凡社発行)9ページの後ろから3行目~10ページの前から3行目は〔わが国の漢字音〕と題して下記のごとく、わが国には中国における現存する最古の上古音よりも古い漢字音が残っていると指摘する。
 「古紐や古韻の研究は、西洋の言語学・音韻学がとり入れられ、殊にその音韻史研究によってえられた諸法則が、原理的にほぼ適用しうるという関係もあって、カールグレーンがその方法を開いてから、急速な進展をみせている。そしてその結果、わが国の国語として残されている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかになった。」

 漢字習得の定説は「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」と断定する。この定説は、上記した白川静著『字統』の〔わが国の漢字音〕の指摘に反する。
 また、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の記事とも不合理となって【科学】が成立せず、誤読の空論・空想・錯覚だったことになる。
 というのも、『魏志倭人伝』・『古事記』上巻・『万葉集』には、現存する最古の漢字音を伝える夏音文字が多数記載されているからである。
 したがって、わが国の漢字習得の定説は【科学】が成立しない空論・空想・錯覚であったのである。

◆代々の天皇は皇祖・天照大御神(『魏志倭人伝』が著作された3世紀後半に生存した第10代崇神天皇と崇神帝の生母)の遺勅(ゆいちょく/死後にのこされた勅命)を厳重にまもったため、皇室は滅びず存続した。
 皇祖・天照大御神の遺勅は「皇室が永らく栄えるために、倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸の学問を権力基盤とせよ。この権力基盤の学問に対して、人民にとっては【日本建国の〔愛〕の理念】のほうが勝(まさ)るゆえ、国中の人民が【日本建国の〔愛〕の理念】をかかげて反乱を起こすと皇室は滅亡する可能性が大となる。だから、絶対に【日本誕生史】は後世に伝わらないように排除(はいじょ)し抹殺(まっさつ)せよ」であった。
 崇神天皇と生母の天照大御神は、『魏志倭人伝』の後半部の記事が「銀河から作られた漢字の学問にもとづいて、卑弥呼の後を継ぐ大王は奴婢(ぬひ)百余人を殺して卑弥呼の墓に埋める徇葬(じゅんそう)を決行した。伊耶那美命がとなえた【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する倭国の国中の人民は徇葬を憎悪して、倭王朝軍と武器を持って戦った。倭王朝軍は千余人の反乱する人民を殺した」と伝える倭の大乱を体験していた。
 だから、大和王朝の基礎をきずいた皇祖・天照大御神は【日本建国の〔愛〕の理念】は倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸を政権基盤とする大和朝廷と国家を崩壊させる危険な思想であると敵視して憎悪したのである。

 このため、上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命神話における淤能碁呂島聖婚(おのごろしませいこん)説話にて【日本国誕生史】と【日本建国の〔愛〕の理念】を後世に伝えた『古事記』は712128日に元明(げんめい)天皇に献上されたが、元明天皇は天照大御神の遺勅をまもって即座に献呈を拒絶した。このため、『古事記』は正史になれず皇室を滅亡させる危険思想を養う禁書となった。

◆江戸中期の学者・新井白石が【誤読の空論の九州邪馬台国説と畿内(大和)邪馬台国説】をとなえた以来約300年も経過したにもかかわらず、学者たちは「九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は『魏志倭人伝』の全記事と一ヵ所も関係しない、完全なる誤読の空理空論である」と指摘する学者は一人もいない。
 白石は1725年に没した。
 皇室は『魏志倭人伝』に多数の誤読を加えて捏造(ねつぞう)した空理空論の大和邪馬台国説と九州邪馬台国説に激しいショックをうけた。
 白石が立論した【誤読の邪馬台国説】は皇室を滅ぼし、日本国を滅ぼし、さらに日本民族は愚弄(ぐろう)されて滅びると激しいショックをうけた皇室は、白石の死後13年後の1738年、天照大御神の「日本国誕生史を抹殺せよ」という遺勅を破棄(はき)して、戦国時代から約220年間中断していた大嘗祭を本格的に復興することにした。

◆令和元年1114日夕方から翌日未明に天皇が一代で一度だけ臨(のぞ)む大嘗祭(だいじょうさい)における中心儀式では――天皇の頭上に御菅蓋(ごかんがい)という王冠をかかげて、白い生絹(すずし)の御祭服(ごさいふく)をお召しになって、葉薦(はごも)の御筵道(ごえんどう)を進む。
 この儀式は【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】と【皇室が天照大御神の遺勅を廃して日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念の復興の承認】をあらわした。
 その証拠に、天皇の頭上に高々とかかげられる王冠・御菅蓋の上の大鳥の飾りは【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】をあらわすデザインである。
 また、御菅蓋の下の菅笠(すげかさ)は【日本建国の〔愛〕の理念がかかげられた日本国誕生史】をあらわす意匠(いしょう)であった。

◆だから、白石の死から約300年後になっても学者たちが受け継ぎ、朝日新聞やNHKなどのメディアがもて囃(はや)して国中に蔓延(まんえん)拡散(かくさん)させた畿内邪馬台国説と九州邪馬台国説は皇室を滅ぼし、日本国を衰退させ、「日本国民の頭脳や知性では畿内邪馬台国説と九州邪馬台国説は誤読の空論である実体がわかりっこない」と日本国民を愚弄する詐欺(さぎ)・ウソ八百であったのである。
 『魏志倭人伝』の後半部の記事と『古事記』上巻に記述された「多数の子どもが生まれて国土に満ち満ちあふれる」とあらわす【日本建国の〔愛〕の理念】は廃(すた)れて、現在、わが国は人口減少・少子化によって国力衰退の坂道を転げ落ちている。
 【1】新井白石から始まる畿内邪馬台国説と九州邪馬台国説の有力説と【2】本居宣長が著した注釈書『古事記伝』にもとづいて「『古事記』上巻の記事は歴史を説明しない。物語である」という日本神話虚構説の定説は皇室を滅ぼし、日本国を壊滅させ、日本国民を愚弄して騙(だま)して国力を衰退させる祟(たた)りなのである。

◆朝日新聞は「邪馬台国説と日本神話虚構説は誤読の空論である実体」に気づいていないゆえ、令和元年1023日の朝刊2面で「即位礼正殿の儀は宗教的儀式であるから、政教分離の憲法に反する違憲の疑いが残る」と報道した。
 しかし、「即位礼正殿の儀は宗教的儀式である」という意見は【誤読の空理空論】である。
 「即位礼正殿の儀は学問儀式である」ゆえ、憲法に違憲しない。
 朝日新聞は「高御座(たかみくら)の中に安置された剣と璽(じ/まが玉)は、天照大御神の命を受け、孫のニニギノミコトが日向国(ひゅうがのくに)に降り立ったという【天孫降臨】神話に根ざすとされる」と指摘し、神話は宗教であるゆえ憲法に違反する疑いがあると報道した。

◆天照大御神は大和朝廷に反抗する九州の日向国に住む熊襲(くまそ)を討伐した後に、【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する北九州の宗像王(むなかたおう)を討伐するように天孫の日子番之邇々芸命(ひこほのににぎのみこと)に遠征を命じたとき、「倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸」をあらわす「三種の神器」とする剣と璽(まが玉)を授(さず)けた。宗像王権は天孫が率(ひき)いる大和遠征軍に滅ぼされた。
 これゆえ、現在の福岡県宗像市玄海町に所在する宗像大社にかかげられる額(がく)に彫られる10字の金色の神勅(しんちょく/天照大御神の勅命)は「奉助天孫而 為天孫所祭」である。この神勅は「天孫を奉(まつ)り助けて、天孫の為に祭(いつ)かれよ」と読める。しかし、宗像大社では「天孫」は「歴代の天皇」と解釈して「天照大御神を先祖とする歴代の天皇を奉り助けると共に、歴代の天皇から厚いお祭りを受けられよ」と意味すると解する。
 『日本書紀』巻第三の神武(じんむ)天皇紀の初頭記事では「夏音文字の学芸をわが国にもたらした天祖(てんそ)、つまり夏の始祖・禹()帝の後を継いだ益(えき)帝の孫の王子」を「彦火瓊瓊杵尊(ヒコホノニニギノミコト)」と表記する。
 したがって、天祖と同名(日子番之邇々芸命=彦火瓊瓊杵尊)の天孫は天祖の生まれ変わりとなって【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する宗像王権を討伐したことになる。
 だから、天照大御神が宗像王権討伐の時に天孫に授けた【剣と璽(まが玉)】は「【天祖一行がわが国に移住して根付かせた倉頡が発明した漢字作成原理と夏音文字の学芸】をあらわすために、天照大御神が天孫に授けた調度品」であったことになる。
 したがって、【高御座の中に安置された剣と璽】は【天照大御神の遺勅の学問・倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】をあらわすものであったことになる。

◆朝日新聞の令和元年1023日の2面の記事には、下記のごとくの記事がある。
 ――違憲の疑いは残った。代替わり儀式への国費支出差し止めなどを求めた訴訟の95年の大阪高裁判決は、原告の請求を却下・棄却としつつも「政教分離規定に違反するのではないかとの疑いを一概に否定できない」と指摘。「国民を主権者とする現憲法の趣旨にふさわしくないと思われる点が存在する」とも言及した。
 上記の記事が示すように、大阪高裁の判決は「代替わり儀式、つまり即位礼正殿の儀と大嘗祭は宗教的儀式であるゆえ、政教分離規定に違反するのではないかとの疑いを一概に否定できない」と指摘したことになる。
 しかし、即位礼正殿の儀と大嘗祭は明確に学問儀式であるからして政教分離規定に違反するものではないことになる。
 したがって、大阪高裁は冤罪(えんざい)の判決を下さないで済んだのである。
 だから、朝日新聞の記事は学者たちの【誤読の空論】を鵜呑みにして即位礼正殿の儀と大嘗祭を宗教的儀式であると思い込んで報道した、無責任にも皇室の尊厳を冒涜(ぼうとく)し、日本国民を愚弄(ぐろう)する誤報・デマ・フェイクであったことになる。

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2019年10月25日 (金)

#13 邪馬台国説はフェイクであった!

★朝日新聞の「即位礼は憲法に違反する宗教的儀式」という報道は誤報・デマである!

◆令和元年1023日の朝日新聞2面は「即位礼」について「政教分離など憲法上の疑義は将来の課題として残る」と報道した。
 この報道の根底にある朝日新聞の知識は、「即位礼は宗教的儀式である」と断定する学者たちの【誤読の論法】を鵜呑(うの)みにして正しいと思い込む無知・無学である。
 朝日新聞の「即位礼を宗教的知識である」という報道は虚偽・誤報である。
 「即位礼は明確に学問儀式である」という証明は、このブログの#10、#11、#123回で証明してきたが、今回(13)と次回(14)2回に分けておこなう。
 #13と#14のテーマは――朝日新聞の「即位礼における高御座(たかみくら)の中に安置された剣と璽(じ/まが玉)は天孫降臨神話に根ざす宗教的儀式とされるゆえ、政教分離など憲法上の疑義は将来の課題として残る」という報道は虚偽・誤報である――この証明である。

◆要するに、太安万侶(おおのやすまろ)が書いた『古事記』の序(つまり、「古事記上巻 幷()わせて序」)における【歴史解明方法の説明】を、学者たちは排除(はいじょ)・無視する【誤読の論法】をもって「天孫降臨神話は歴史を語るものではない。神話は物語である」と断定する。
 しかし、太安万侶が「古事記上巻 幷わせて序」(『古事記』の序)で説明する【歴史解明方法】にのっとると、天孫降臨神話はじめ『古事記』上巻の全日本神話は古代学問にもとづいて歴史を記述するものであったことが【科学】が成立して証明される。
 だから、即位礼正殿の儀は学問儀式だったのである。

◆【太安万侶が説明した歴史解明方法】のとおりに解明すれば、『古事記』上巻には【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】はじめその後の上古史が記述されていることが明白となる。
 また、九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は約2000字の『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』とまったく無関係の【誤読の空理空論】であり、『魏志倭人伝』は【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸の古代学問】と『古事記』上巻と同じく【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】を記述した文献である事実は――令和元年914日に発刊された拙著『日本国誕生史の証明』(ムゲンブックス制作・エッグデザイン発刊)で詳細に明確に解説し証明した。
 この点に疑問を抱く方は、拙著『日本国誕生史の証明』で確かめていただきたい。
Nihonkokutanjoushinosyoumei
◆江戸時代の学者・新井白石(あらいはくせき/16571725)がとなえた大和邪馬台国説・九州邪馬台国説は約2000字で構成される『魏志倭人伝』の全記事と一ヵ所も関係しない【完全なる誤読の空理空論】である。
 したがって、現在の畿内邪馬台国説と九州邪馬台国説も『魏志倭人伝』と無関係の【完全なる誤読の空理空論】である。
 また、江戸時代の学者・本居宣長(もとおりのりなが/17301801)が著作した注釈書『古事記伝(こじきでん)』も『古事記』の序(古事記上巻 幷わせて序)に記述された歴史解明方法を排除(はいじょ)・無視した【誤読の空論の産物】であった。現在の学者たちは【誤読の産物】の本居宣長の注釈書『古事記伝』をテキストとする。これが原因で、学者たちによって『古事記』上巻の日本神話は「歴史を記述するものではない。物語である」と断定されている。

◆約2000字で構成される『魏志倭人伝』の約500字・約25%の記事は卑弥呼(ひみこ)が治めた倭の30ヵ国の小国名を3グループ・10カ国ずつに分けて、【古代の人々に“漢字の始祖”と崇拝された倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成方法】を整然と説明している。
 倉頡は、約5000年前(紀元前3000年ころ)の中国の五帝時代初頭に生存した黄帝(こうてい)につかえた史官(記録官)である。
 また、『魏志倭人伝』は約400字・約20%の記事は「約4000年前(紀元前2070年ころ~紀元前2050年ころ)の中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)、わが国に原初漢字の夏音(かおん)文字が伝来して習得された」と説明している。
 ゆえに、合計900字・約45%の『魏志倭人伝』の記事は「わが国は夏音文字を習得したゆえ、中国で不明となった倉頡が発明した漢字作成方法を正確に保存することができた。わが国で最初に国家を創設した卑弥呼王朝は倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸を王道政治の政権基盤とした」と説明していることになる。

 『魏志倭人伝』の後半にある「景初二年六月」の記事から倭女王の壱与(いよ)が登場する末部までの約600字・約30%の記事は、下記のごとく説明する。
 ――倭女王・壱与は、『古事記』上巻に登場する13歳で小国・日本(東国)の女王に就任した伊耶那美命(いざなみのみこと)の夏音名(夏音文字の名)であった。
 伊耶那美命・壱与は小国・日本の女王の就任式において「阿那邇夜志愛袁登古袁(あなにやしえをとこを)」という10字の夏音文字の詞(ことば)で「日本国(小国・日本)の国作りの基本を〔愛〕にしましょう」と宣誓した。この【日本建国の〔愛〕の理念】は一気に評判となり、卑弥呼が治める倭国(西日本)の国中に知れ渡った。
 倭女王・卑弥呼は没して大きな墓が造られ、百余人の奴婢(ぬひ/18歳ころの青年と13歳ころの乙女)が殺されて卑弥呼の墓に埋められる徇葬(じゅんそう)がおこなわれた。
 伊耶那美命がとなえた【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する倭国の国中の人民は徇葬を憎悪して武器を持って倭王朝軍と戦った。倭王朝軍は反乱する人民を千余人殺した。
 この大乱(たいらん)に乗じて卑弥呼と素(もと)より不和の狗奴(くな)国が倭国を倒さんと戦争を大々的に仕掛けてきた。
 このため、倭国と倭王朝はにわかに滅亡の危機におちいった。
 卑弥呼の後を継()ぐ男王を大王と倭王朝の面々は「そもそも人民の反乱と狗奴国の襲撃が起きたのは、伊耶那美命がとなえた【日本建国の〔愛〕の理念】が原因である」と非難して、倭国における小国・伊耶(いや)(旧丹波)の出身の伊耶那美命を倭国に帰国させて、大乱を鎮圧(ちんあつ)し狗奴国を討伐(とうばつ)する倭女王に任命すると伊耶那美命に命令した。
 伊耶那美命が倭女王に就任することを知った反乱人民は、〔愛〕の女王・伊耶那美命ならば必ず徇葬は否定して禁止するにちがいないと信頼して武器を捨てたゆえ、倭国は平定された。伊耶那美命は狗奴国討伐に反対し、狗奴国の男王との話し合いで平和的に解決するようにと命じた。
 この倭女王・伊耶那美命の命令に反対する倭王朝は狗奴国討伐を命令する壱与(いよ)の代役に天照大御神を就任させた。

そして、『魏志倭人伝』末部に登場する武将の載斯烏越(そしあお)つまり伊耶那美命の夫の伊耶那岐命(いざなきのみこと/後の第9代開化天皇)を討伐軍の大将に就任させて、狗奴国を滅亡させた。〔注 伊耶那岐命は小国・日本の軍王(いくさのおおきみ)であった〕。
 狗奴国討伐の魔女(巫女王)・壱与の代役に選ばれた天照大御神は、伊耶那美命の第二后(10代崇神天皇の生母)であった。
 「伊耶国出身の桃の花のように美しい女王」と人民に愛称されたゆえ「伊耶那美命」と呼ばれた小国・日本の女王にして倭女王の本名は竹野比売(たかのひめ)であり、伊耶那岐命の正妃である。
 『古事記』中巻の第9代開化天皇紀は「天皇は春日(かすが)の伊耶河宮(いざかわのみや)に住んで天下を治めた」と記述する。開化天皇の居殿「伊耶河宮」の先頭2字は「伊耶那岐命」と「伊耶那美命」の先頭2字「伊耶」に合致する。したがって、伊耶那岐命は後の開化天皇であったことになる。

 中大兄(なかのおおえの)皇子・後の38代天智(てんち)天皇は狗奴国討伐をテーマにして長歌と反歌(はんか)を作った。この長歌と反歌は『万葉集』13番の「大和三山の歌」と14番の短歌となる。
 『万葉集』13番の「中大兄皇子の大和三山の歌」は下記のごとくである。
 「香具山(かぐやま)は 畝傍雄男(うねびをを)しと 耳成(みみなし)と 相争(あいあらそ)ひき 神代(かみよ)より かくにあるらし 古(いにしえ)も しかにあれこそ うつせみも 嬬(つま)を 争ふらしき」
 この長歌を現代語に訳すると「大和の香具山で象徴される伊耶那美命は、畝傍山で象徴される伊耶那岐命(大将となって狗奴国を討伐する夫)は雄男しすぎると嘆(なげ)き、耳成山に象徴される天照大御神と狗奴国討伐について争った。伊耶那美命は平和的に解決すべきであると主張したのに対して、天照大御神は狗奴国を討伐すべきであると主張した。このように、神代の伊耶那岐命の正妃の伊耶那美命と第二后の天照大御神は争った。古代がそうであったように、今も吾と弟の大海人(おおあま)皇子(後の40代天武天皇)は額田王(ぬかだのおおきみ)を妻にしようとして争っている。このように、男女の仲は、昔も今も変わらず争いが絶えない」となる。

◆『古事記』序(古事記上巻 幷わせて序)を書いた太安万侶(おおのやすまろ)は、天照大御神を皇祖とする皇室が「絶対に【日本国誕生史】は後世に伝えてはならない、暴露した者は即刻に死刑する」という厳重な禁忌(きんき/タブー)に逆らって、『古事記』編纂スタッフの『古事記』に仕掛けた企(たくら)みについて説明している。
 『古事記』編纂スタッフが時の朝廷に歯向かって企んだ策略(さくりゃく)を、太安万侶は「古事記上巻 幷わせて序」の冒頭で難解な文章を作って、編纂スタッフと自らが死刑に処せられないように工夫(くふう)して、下記のごとく説明した。
 「わが国は後期縄文時代初頭において夏音文字が中国から伝来した。土器・土偶(どぐう)の芸術革命が花開いた前期縄文と中期縄文と後期縄文までの約2000年にわたる参神造化(さんしんぞうか/縄文三時代の芸術)が生まれた銀河から土器・土偶を作った伝統を受け継ぐ芸術家によって、首(はじめ/後期縄文時代初頭)に夏音文字の学芸が習得された。陰陽斯(いんようここ)に開けて、二霊群品(にれいぐんぴん)の祖(おや)と為()る、つまり陰の伊耶那美命と陽の伊耶那岐命の二霊がわが国の文化はじめすべての生みの親である。」

 [()]の字義は「中国。中国の人」を意味する。この[]の字源となった銀河は天文学では通称「夏の銀河」と呼ばれる。「夏の銀河」は巨大で、南部には「銀河系宇宙の中心」があり、夏の星座と呼ばれる全星座が漬()かる大銀河である。倉頡は[]の字源となった「夏の銀河各部の形状」から漢字作成方法を発明し、中国最初の国家は夏王朝によって創設された。ゆえに、[]は「中国。中国の人」を意味することになった。
 「古事記上巻 幷わせて序」が「参神造化」という語で伝えたように、わが国の前期・中期・後期縄文時代の参時代の土器・土偶の芸術(造化)も「夏の銀河各部の形状」から作られた。だから、わが国では後期縄文時代初頭(参神造化の首)、倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸は後期縄文時代初頭の芸術家たちによって習得されたのである。
 太安万侶は冒頭の「陰陽斯に開けて、二霊群品の祖と為る」という書き下し文は、「陰陽斯開 二霊為群品之祖」という11字をもって表記される。この11字の記事は「『古事記』は大和朝廷の基礎を築いた皇祖・天照大御神(10代崇神天皇とその生母)を賞賛するための書物ではない。伊耶那美命と伊耶那岐命を賞賛するために著作した歴史書である」と説明するものであった。
 ゆえに、太安万侶は「陰陽斯に〔開〕けて、二霊群品の祖と〔化()〕る」と書きたかったのではあるまいか。この文にすれば「開化」となって「第10代開化天皇が伊耶那岐命、開化帝の正妃の竹野比売は伊耶那美命であった」と伝えることができる。しかし、この文だと『古事記』上巻に仕掛けた【日本建国の〔愛〕の理念】と【日本国誕生史】を後世に伝える企みが見破られ、編纂スタッフも自分も死刑にされるゆえ、「なる」の字を[]にして[]にしなかったのであるまいか。
 太安万侶は『古事記』の序を「古事記上巻 幷わせて序」と表記し、「『古事記』は上巻・中巻・下巻の三巻で構成されるが、『古事記』の序は上巻だけに限る序であって、中巻と下巻の序ではない」と伝えている。
 『古事記』上巻の随所には〔音〕という注がつく「夏音文字の語」が記載される。この「夏音文字の字源・字形・字義を夏の銀河各部の形状に変換すれば上巻に記述された歴史は解明できる」と上巻の歴史解明方法を後世に伝えるために、太安万侶は「古事記上巻 幷わせて序」と表記したのである。

 太安万侶は「古事記上巻 幷わせて序」の末部で「辞理(じり)の見えがたき」はいう文を挿入して「辞(ことばと文字)には夏の銀河の形状から作られた原理、つまり倉頡が発明した漢字作成方法がある。これゆえ、上巻の辞が見えがたき(理解できない)ときには、夏の銀河を見ると理解できる」と説明している。
 そして太安万侶は「楷書〔日下(にちげ)〕と夏音文字〔玖沙訶(くさか)〕は同義であり、楷書〔帯(たい)〕と夏音文字の〔多羅斯(たらし)〕は同義である」と記述する。
 この文は「楷書と夏音文字は、共に夏の銀河各部の形状から作られた。したがって、楷書の辞と夏音文字の辞は同義となるのである。これゆえ、上巻の随所に〔音〕という注をつけて夏音文字を多数記載して、夏音文字の表記する記号となる楷書の字源・字形・字義を夏の銀河各部の形状に変換して、夏音文字の字と語を解釈すれば上巻に記述された上古史が鮮烈に明確に甦(よみがえ)る」と太安万侶は、『古事記』編纂スタッフが企(くわだ)てた歴史解明方法の謀略を説明したのである。
 以上のごとくであったゆえ、「夏の銀河」は「文字作成銀河」であったことになる。
 「銀河」の別名は「銀漢」あるいは「天漢」である。「銀漢から作られた字」を略して「漢字」と称されることになった。
 だから、楷書と夏音文字はじめ全漢字は倉頡が発明した漢字作成方法にのっとって銀漢・文字作成銀河各部の形状から作られたのである。

◆太安万侶が「古事記上巻 幷わせて序」で説明したように、『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付く多数の夏音文字の語の用いられる楷書の字源・字形・字義を文字作成銀河(夏の銀河)各部の形状に変換すると、歴史が解明できる。
 太安万侶が「古事記上巻 幷わせて序」で説明する【歴史解明方法】は【文字作成銀河各部の形状は漢字(夏音文字と楷書)の字源・字形・字義となった倉頡が発明した漢字作成方法を基盤とする学問】であったのである。
 したがって、即位礼正殿の儀は【倉頡が発明した漢字作成方法にのっとって、文字作成銀河各部の形状は漢字(夏音文字と楷書)の字源・字形・字義となった学問をあらわす儀式】であったのである。
 だから、朝日新聞の令和元年1023日の「即位礼は宗教的儀式であるから、政教分離など憲法上の疑義は将来の課題として残る」という報道は誤報・デマであったことになる。

◆同日の夜、テレビではお笑いコンビ「チュートリアル」の徳井義実氏が12千万円の申告洩れを東京国政局から指摘されたという事件を報道していた。徳井氏は「自らの想像を絶するだらしなさによって、所得を申告していなかった」と弁解していた。
 朝日新聞の即位礼正殿の儀の報道もまた想像を絶するだらしなさによる、学者たちの【誤読の論法】を鵜呑(うの)みにする報道機関がはたすべき責務に違反する怠慢(たいまん)が原因ということになる。
 邪馬台国説と日本神話虚構説を主張する学者たちの【誤読の論法】は明らかに「科学における不正行為」である。
 報道機関は「科学における不正行為」を世界中に知れ渡るようにする使命と責務を背負っている。
 朝日新聞は学者たちの【誤読の論法】を鵜呑みにして「即位礼正殿の儀は宗教的儀式の疑いがある」と報道する。この報道は朝日新聞の報道機関としての使命と責務をはたさない想像を絶する怠慢による誤報・デマということになる。

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2019年10月22日 (火)

#12 邪馬台国説はフェイクであった!

★令和元年10月22日の朝日新聞とあさひテレビの即位礼の報道は日本国民を愚弄する誤報なり!

◆当日の朝日新聞の11面の〔「即位の礼」と天皇制〕における「マイノリティーへ配慮を」で意見を述べた塚田穂高大学助教授とあさひテレビの羽鳥モーニングショウに出演した評論家は即位礼正殿の儀を「宗教儀式である」と断定し、「政教分離において問題がある」と主張していたが――この二氏の無知無能・傲慢(ごうまん)は許されない。
 朝日新聞・あさひテレビの「即位礼正殿の儀は宗教儀式」とする意見は空論・虚妄(きょもう/デタラメ)である。
 即位礼正殿の儀は、明確に学問儀式である。
 即位礼正殿の儀が学問儀式である事実は【剣璽(けんじ)と高御座(たかみくら)】によって証明することができる。
 【剣璽と高御座】は「わが国の繁栄基盤となった上古における学問」を現在に伝えている。
 だから、即位礼正殿の儀は「宗教的儀式」ではなく、日本国・日本国民にとって最も重大な学問儀式であった。
 【高御座】が学問儀式をあらわす証明を前回(11)でもおこなったが、前回に続いて今回も解説する。次回は【剣璽】もまた学問儀式をあらわすことを証明する。

◆令和元年1022日に行われる即位礼正殿の儀は、卑弥呼や邪馬台国論争で有名な古文献『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に記述された【上古の学問】をあらわす儀式である。
 『魏志倭人伝』は3世紀後半(280289)に中国で著作された。
 約2000字で構成される『魏志倭人伝』の(1)500字・約25%の記事は「紀元前3000年ころに生存した中国・五帝時代初頭の黄帝(こうてい)につかえた史官・倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成方法」について説明する。
 (2)『魏志倭人伝』の約400字・約20%の記事は「紀元前2070年~紀元前2050年ころの中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)にわが国は原初漢字の夏音(かおん)文字の学芸が伝来し習得した。ゆえに、わが国には倉頡が発明した漢字作成方法が正確に保存された」と説明している。
 (3)『魏志倭人伝』の後半の「景初(けいしょ)二年六月」という記事から末部までの約600字・約30%の記事は【日本国(小国・日本)誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】について説明している。

◆学者たちは九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説が【多数の誤読を加えて捏造(ねつぞう)する空理空論】であることにまったく気づいていない。
 九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は『魏志倭人伝』の約2000字の全記事と一ヵ所も関係しない【完全なる誤読の空論】である。
 このため、現在、上記した『魏志倭人伝』が伝える(1)(2)(3)の事実は皆目(かいもく)不明となったため、学者たちによって即位礼正殿の儀と大嘗祭(だいじょうさい)は宗教儀式であると指摘されることになったのである。
 学者たちが【誤読の論法】を駆使(くし)して排除(はいじょ)した(1)(2)の【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸の習得】と(3)の【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】をあらわす儀式が、即位礼正殿の儀であり大嘗祭であったのである。

◆九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は【誤読の空理空論】であり、【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】と【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】を記述した文献である事実は、令和元年914日に発刊された拙著『日本国誕生史の証明』(ムゲンブックス制作・エッグデザイン発刊)で詳細に明確に解説し証明した。
 この点に疑問を抱く方は、拙著『日本国誕生史の証明』で確かめていただきたい。
Nihonkokutanjoushinosyoumei
◆【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】は、『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命神話初頭の淤能碁呂島聖婚(おのごろしませいこん)説話に詳細に記述された。
 ただし、淤能碁呂島聖婚説話に記述された【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】を知るには、この説話における5ヵ所に〔音〕という注が付く夏音文字で構成される語に用いられる各字の字源・字形・字義の秘密を解明しなければならない。
 『古事記』序(古事記上巻 幷せて序)の冒頭と末部は「『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付く夏音文字の語の秘密を解明すれば、『古事記』上巻に記述された歴史を明確に知ることができる」と解明方法を説明する。
 しかし、学者たちは『古事記』序が説明する歴史解明方法の記事を排除(はいじょ)・無視し、【多数の誤読】を加えて『古事記』上巻に記述された歴史を排除し不明にする。
 というのも学者たちは、本居宣長(もとおりのりなが/17301801)が『古事記』序に書かれた歴史解明方法記事を排除して著作した注釈書『古事記伝』をテキストとするからである。このため、学者たち『古事記』上巻の淤能碁呂島聖婚説話に記述された【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】を理解することができない。

◆令和元年の即位礼正殿の儀では、天皇は高御座(たかみくら)に、皇后は御帳台(みちょうだい)に昇る。
 高御座と御帳台の屋根は、共に神輿(みこし)のような構造の八角形となる。
 「高御座と御帳台の屋根の八角形」は『魏志倭人伝』に記述された【倉頡が発明した漢字作成方法】をあらわしたことは、前回(11)で解説し証明した。
 「高御座と御帳台の屋根の八角形」は『魏志倭人伝』の後半記事と『古事記』上巻の淤能碁呂島聖婚に記述された【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】をもあらわした。

◆代々の天皇は皇祖・天照大御神(『魏志倭人伝』が著作された同時代・3世紀後半に生存した第10代崇神天皇と崇神帝の生母)の遺勅(ゆいちょく/死後にのこされた勅命)を厳重にまもったため、皇室は滅びず存続した。
 皇祖・天照大御神の遺勅は「皇室が永らく栄えるために、倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸を権力基盤とせよ。この権力基盤の学問に対して、人民にとっては【日本建国の〔愛〕の理念】のほうが勝(まさ)るゆえ、国中の人民が【日本建国の〔愛〕の理念】をかかげて反乱を起こすと皇室は滅亡する可能性が大となる。だから、絶対に【日本誕生史】は後世に伝わらないように排除(はいじょ)し抹殺(まっさつ)せよ」であった。
 このため、上巻の淤能碁呂島聖婚説話で【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】を後世に伝えた『古事記』は712128日に元明(げんめい)天皇に献上されたが、元明天皇は即座に献呈を拒絶した。
 このため、『古事記』は正史になれず皇室を滅亡させる危険思想を養う禁書となった。

2011730日に発行された拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』(幻冬舎ルネサンス発行)で詳細に解説し証明したように。
 徳川家康は『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に記述された【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】の復興に一生を賭けた。
 家康は死去する一年前の1615年に「禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)」を制定し、その第一条を「天子諸芸能ノ事、第一御学問也」とした。
 この第一条は「天子(天皇・上皇)はわが国の文化(諸芸術・諸芸能、つまり文化)の生みの親と、皇祖・天照大御神の遺勅の学問(倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸)を第一番に大切にしてください」と意味した。
 『古事記』序(古事記上巻 幷せて序)の初頭部には「陰陽斯(いんようここ)に開けて、二霊群品(にれいぐんぴん)の祖(おや)と為()る」という文がある。
 この文は「陰の伊耶那美命と陽の伊耶那岐命の二霊がわが国の諸芸能(日本文化)の生みの親です」と意味した。
 だから、「禁中並公家諸法度」の第一条の「天子諸芸能ノ事」という文は「天子、わが国の諸芸能の生みの親である伊耶那美命と伊耶那岐命による【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】の復興をお願いします」と意味するものであった。

◆家康が全情熱をかたむけた【日本国誕生史】を復興する心願は天照大御神の遺勅をまもり続ける皇室の方針によって成就しなかった。
 しかし、家康の遺志は将軍と江戸幕府が受け継いで達成する宿題となった。
 将軍秀忠と幕府は京都市に所在する桂離宮(かつらりきゅう)の庭園の平面図に【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】と【倉頡が発明した漢字作成方法】を設計して、第108代の後水尾(ごみずのお)上皇に家康の遺志・心願成就を願った。
 後水尾上皇はいっこうに【日本国誕生史】の復興を承認しなかった。
 幕府は1655年ころから1659年にかけて修学院離宮(しゅうがくいんりきゅう)を造営した。この離宮の大庭園・上御茶屋(かみのおちゃや)は「浴竜池(よくりゅういけ)」という名の池を中心として造られた。
 「浴竜池の平面図」は桂離宮庭園の東北部の大鳥の形をした庭園南部にある「天橋立(あまのはしだて)」の三つの築島(つきしま)周辺を設計するものであった。
 桂離宮離宮の三つの築島周辺は【倉頡が発明した漢字作成方法】をあらわし、また三つの築島周辺から表門にかけての平面図は「日本国(小国・日本)であった東日本(東海東部・関東地方)を象徴する富士山を模(かたど)る設計」となり、そして中央の築島の南面には「蓬莱山」の形に観える「蓬莱岩」を配置して【日本国誕生史】をあらわした。
 (注 【日本国誕生史】を設計する桂離宮の庭園は現在も失われずに保存されている)

 修学院離宮の浴竜池には桂離宮の築島と同じく三つ築島が配置され、北から順に「三保島」、「窮邃島(きゅうすいとう)」、「万松塢(まんしょうう)」という名がつけられた。
 「三保島」は「徳川家康が晩年を過ごした、富士山が見える名所・駿河の三保の松原」に由来し、「窮邃島」の[]の字を用いる「邃古」という語は「上古」を意味したゆえ「上古史を窮(きわ)めれば解明できる日本国誕生史」と意味した。「万松塢」の[]の字は「土手道(どてみち)」を意味したゆえ「幕府の万(多数)の松の木を植える東海道整備事業と示すところの松並木と、【日本建国の〔愛〕の理念】をとなえた伊耶那美命をあらわす土手道」を意味することになった。

◆後水尾上皇は16583月に始めて桂離宮を御幸(みゆき)して見学した。上皇は16633月にも桂離宮を見学した。
 上皇は桂離宮の「蓬莱岩」がある中央築島に相当する修学院離宮の浴竜池に浮かぶ「窮邃島」の建物「窮邃亭」に、陶器で作った扁額(へんがく)を創(つく)って、天照大御神の遺勅を廃して、【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】の復興を承認すると表示した。
 上皇が創った扁額は二つの八角形の両端が中央で重なり、八角形の枠(わく)は「四つの富士山を模る台形が連結して八角形」にしたものであった。
 八角形の枠は緑、右側の八角形中央に上皇直筆の[]の字を・左側の八角形中央に上皇直筆の[]の字を配置する。
 二つの八角形が重なり合う箇所は「縦長の六角形の亀甲文(きっこうもん)」となる。この「亀甲文」は桂離宮の「蓬莱岩」と古代絵図「亀の甲羅に乗る蓬莱山」をあらわす。
 扁額の亀甲文の中央には出産祝いに用いられる赤色の水引(みずひ)き文がデザインされ、【日本建国の〔愛〕の理念】をあらわした。
 また、八角形の緑色の枠は「万松塢」の「松の緑色の葉」をあらわし、また「桂離宮で有名な笹垣(ささがき)」をもあらわした。
 桂離宮の庭園を見学するときは、桂川の右岸の塢(土手道)を進む。道の右手に竹藪(たけやぶ)の緑色の小竹(こたけ)を折り曲げて編んだ竹の葉が、そのまま壁となる素朴でたいへん美しい生垣(いけがき)が約230メートルつづく。この生垣は「桂垣」または「桂の笹垣」と称されて有名である。笹垣の内側が桂離宮である。
 古図を見ると、桂の笹垣の左側の塢(土手道)はかつて松並木となっていた。だから、修学院離宮の浴竜池に浮かぶ「万松塢」は「幕府がおこなう万(たすう)の松の木を植える東海道の景色」から連想される「桂川の右岸の松並木と笹垣の土手道」を指していたことになる。

◆【日本建国の〔愛〕の理念】をとなえた「13歳で小国・日本の女王となった伊耶那美命」は『魏志倭人伝』に記載された倭国(西日本)の伊耶(伊邪)国で生まれた。
 したがって、小国・日本と倭国の人民は「伊耶国出身の那(桃の花)のように美しい女王」ということで、彼女を「伊耶那美命」と愛称して尊敬したのである。
 「伊耶国」は「旧国の丹波(現在の京都府中部と兵庫県の一部)」であった。
 桂離宮の南側は伊耶那美命の生地丹波とつながる旧丹波街道である。
 『古事記』中巻の第9代開化天皇紀は「春日(かすが)の伊耶河宮(いざかわのみや)に住んで天下を治めた天皇の正妃は、丹波出身の竹野比売(たかのひめ)であった」と記す。
 (注 開化天皇の居殿「伊耶河宮」の先頭2字「伊耶」が「若き日の開化帝は伊耶那岐命であった」、「開化帝の正妃の竹野比売は伊耶那美命」であったと伝える)
 だから、伊耶那美命の本名は「竹野比売」であり、日本最古の小説『竹取物語』のヒロイン「竹の筒が生まれたかぐや姫」のモデルであった。
 したがって『竹取物語』は「強大な権力・天照大御神の遺勅によって排除された【日本建国の〔愛〕の理念】をテーマとする、反権力風刺小説」であったのである。その証拠に、『竹取物語』は最後には「伊耶那美命・竹野比売が女王に就任して赴任した小国・日本(日本国)」を象徴する「富士山」が登場する。

◆伊耶那美命の夏音名(夏音文字の名)は『魏志倭人伝』末部に記載される「壱与(いよ)」であった。
 『魏志倭人伝』の後半から壱与が登場する末部までの約600字・約30%の記事は――倭国の国中の人民は13歳のときに小国・日本の女王となった伊耶那美命がとなえた【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重して、卑弥呼の墓を作ったときに百余人の奴婢(ぬひ)を殺して埋めた徇葬(じゅんそう)を憎悪して武器を持って倭王朝軍と戦った。この倭国の大乱に乗じて卑弥呼と素(もと)より不和の狗奴(くな)国が戦争を挑んできたため、倭王朝は滅亡の危機におちいった。この災厄の原因は「【日本建国の〔愛〕の理念】をとなえた伊耶那美命に全責任がある」と倭王朝は非難し、伊耶那美命は倭女王壱与に就任して大乱を鎮(しず)めまた狗奴国を討伐しなければならないと、倭王朝は命令した――と説明するものであった。

◆以上のごとく、即位式正殿の儀において天皇と皇后が昇る高御座と御帳台は【倉頡が発明した漢字作成方法】をあらわした。
 しかし、【倉頡が発明した漢字作成方法】をあらわすならば、天皇の玉座(ぎょくざ)の高御座の一つの八角形の屋根だけですむ。
 なれど、即位式正殿の儀は修学院離宮の浴竜池の中央に浮かぶ浮島に建てられた窮邃亭にかかげられた二つの八角形の扁額の意匠(いしょう)をもって、後水尾上皇が【日本建国の〔愛〕の理念の復興】を承認したとあらわす儀式でもあった。
 だから、屋根が八角形となる高御座と御帳台に天皇と皇后が昇る即位式正殿の儀は、扁額中央の「赤色の水引き文」が「たくさんの子どもが生まれて国土に人民が満ち満ちあふれる」と表現する【日本建国の〔愛〕の理念】をあらわす儀式でもあったことになる。

◆江戸中期の学者・新井白石(あらいはくせき)が【誤読の空論の九州邪馬台国説と畿内(大和)邪馬台国説】をとなえた以来約300年も経過したにもかかわらず、学者たちは「九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は『魏志倭人伝』の全記事と一ヵ所も関係しない、完全なる誤読の空論」と指摘する学者は一人もいない。
 白石は1725年に没した。
 皇室は『魏志倭人伝』に多数の誤読を加えて捏造(ねつぞう)した空理空論の大和邪馬台国説と九州邪馬台国説に激しいショックをうけた。
 白石がデッチあげた【誤読の邪馬台国説】は皇室を滅ぼし、日本国を滅ぼし、さらに日本民族は愚弄(ぐろう)されて滅びると激しいショックをうけた皇室は、白石の死後13年後の1738年、天照大御神の「日本国誕生史を抹殺せよ」という遺勅を破棄(はき)して、戦国時代から約220年間中断していた大嘗祭(だいじょうさい)を本格的に復興することにした。

◆令和元年の1114日夕方から翌日未明に、天皇が一代で一度だけ臨(のぞ)む大嘗祭においての中心儀式では――天皇の頭上に御菅蓋(ごかんがい)という王冠をかかげて、白い生絹(すずし)の御祭服(ごさいふく)をお召しになって、葉薦(はごも)の御筵道(ごえんどう)を進む。
 この儀式は【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】と【皇室が天照大御神の遺勅を廃して日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念の復興を承認した事実】を表示するものであった。
 だから、天皇の頭上に高々とかかげられる王冠・御菅蓋の上の大鳥の飾りは桂離宮のおける大鳥の形の庭園に設計された【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】をあらわすデザインであった。
 また、御菅蓋の下の菅笠(すげかさ)は桂離宮庭園にある(1)「蓬莱岩」、(2)月波樓(げっぱろう)北隣に平面図が三角形の庭園、(3)平面図が「乳房を嘗()める乳児の横顔における口部の形」をした庭園池の西岸の南西と大山島西端連結部で表現された【日本建国の〔愛〕の理念】と「大嘗祭」という語の語源をあらわす意匠(いしょう)であった。
 (注 大山島の[]と乳児が母親の乳房を嘗めるの[]を加えると「大嘗」となる)

◆だから、白石の死から約300年間も学者たちが受け継ぎ、朝日新聞やNHKなどのメディアがもて囃(はや)して国中に蔓延(まんえん)拡散(かくさん)させた畿内邪馬台国説と九州邪馬台国説は皇室を滅ぼし、日本国を衰退させ、「日本国民の頭脳や知性では畿内邪馬台国説と九州邪馬台国説は誤読の空論である実体がわかりっこない」と日本国民を愚弄する詐欺(さぎ)・ウソ八百であったのである。
 『魏志倭人伝』の後半部の記事と『古事記』上巻に記述された「多数の子どもが生まれて国土に満ち満ちあふれる」とあらわす【日本建国の〔愛〕の理念】は廃(すた)れて、現在、わが国は人口減少・少子化によって国力衰退の坂道を転げ落ちている。
 畿内邪馬台国説と九州邪馬台国説は皇室を滅ぼし、日本国を壊滅させ、日本国民を愚弄(ぐろう)して騙(だま)して国力を衰退させる祟(たた)りである。
 学者たちが学問を鼻にかけ、朝日新聞やNHKなどのメディアががやがやと言いたてて報道する畿内邪馬台国説と九州邪馬台国説は日本国民にとって最悪の祟りである。
 だから、「九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は空理空論! 100%デタラメだ!」という事実を暴露(ばくろ)して、邪馬台国説を排除・抹殺する権利を日本国民は有している。
 

◆だから、令和元年1022日の朝日新聞・あさひテレビの即位礼正殿の儀や大嘗祭は宗教儀式と主張した学者と評論家の意見は空理空論、国民を愚弄する傲慢な意見であったことになる。

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2019年10月21日 (月)

#11 邪馬台国説はフェイクであった!

★令和元年1021日の朝日新聞の即位礼の報道はフェイクニュース!

◆当日の朝日新聞の3面の「即位礼の前例踏襲 課題は」と題する記事は完全なる虚偽報道である。
 この記事の副タイトルは「政教分離 残された疑念―剣璽や高御座「宗教的要素」」である。
 しかし、【剣璽や高御座】を「宗教的要素」とする意見(報道)は虚妄(きょもう/デタラメ)である。
 【剣璽と高御座】は正しくは「わが国の繁栄基盤となった上古における学問」を現在に伝える史料であった。
 ゆえに、即位礼正殿の儀について朝日新聞は「宗教的儀式である」と報道するが、即位礼正殿の儀は日本国・日本国民にとって最も重大な学問儀式であったのである。
 即位礼正殿の儀は学問儀式であった証明を、【高御座】で2回に分けて解説した後に、【剣璽】について解説する。

◆令和元年1022日に行われる即位礼正殿の儀は、単なる天皇の即位式ではない。
 卑弥呼や邪馬台国論争で有名な古文献『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』は3世紀後半(280289)に中国で著作された。
 『魏志倭人伝』は約2000字で構成される。
 学者たちは『魏志倭人伝』に【多数の誤読】を加えて空理空論を立論した。このため、『魏志倭人伝』の実体(全記事に記述された事実)は皆目(かいもく)不明となった。
 学者たちの【誤読の論法】のために不明となった重大な上古の学問の秘密を伝える儀式が、即位礼正殿の儀であったのである。


◆約2000字で構成される『魏志倭人伝』の(1)500字・約25%の記事は「紀元前3000年ころに生存した中国・五帝時代初頭の黄帝(こうてい)につかえた史官・倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成方法」について説明する。
 (2)『魏志倭人伝』の約400字・約20%の記事は「紀元前2070年~紀元前2050年ころの中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)にわが国は原初漢字の夏音(かおん)文字の学芸が伝来し習得した。ゆえに、わが国には倉頡が発明した漢字作成方法が正確に保存された」と説明している。
 (3)『魏志倭人伝』の後半の「景初(けいしょ)二年六月」という記事から末部までの約600字・約30%の記事は【日本国(小国・日本)誕生史】と【日本建国の〔愛〕の理念】の秘密について説明している。

◆【日本国誕生史】と【日本建国の〔愛〕の理念】は、3世紀前半から後半にかけての歴史を記述した『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命神話初頭の淤能碁呂島聖婚(おのごろしませいこん)説話に詳細に記述された。
 ただし、淤能碁呂島聖婚説話に記述された【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】を知るには、この説話の5ヵ所に〔音〕という注が付く夏音文字の語の秘密を解明しなければならない。
 『古事記』序(古事記上巻 幷(あわ)せて序)の冒頭と末部は「『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付く夏音文字の語の秘密を解明すれば、『古事記』上巻に記述された歴史を明確に知ることができる」と解明方法を具体的に明確に伝えている。
 しかし、学者たちは『古事記』序に【誤読】を加えて「夏音文字の語の秘密を解明して歴史を知る方法」を理解せず、排除(はいじょ)・無視する。
 というのも、学者たちは『古事記』序を【誤読】して『古事記』上巻の歴史解明方法を無視して本居宣長(もとおりのりなが/17301801)が著作した注釈書『古事記伝』をテキストとするため、『古事記』上巻の淤能碁呂島聖婚説話に記述された【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】を読解(どっかい)することができない。

◆即位礼正殿の儀における【高御座】は、上記した『魏志倭人伝』に記述された【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】と【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】をあらわす装置(調度品)である。
 上記したように、【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】は、『古事記』上巻の淤能碁呂島聖婚説話に詳細に記述されている。

◆九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は約2000字の『魏志倭人伝』の全記事と一ヵ所の記事と関連せず、【倉頡が発明した漢字作成法とわが国における夏音文字の学芸の習得史】を説明し、【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】を記述した文献である事実は、令和元年914日に発刊された拙著『日本国誕生史の証明』(ムゲンブックス制作・エッグデザイン発刊)で詳細に具体的に【科学】が成立するように解説し証明した。
 この点に疑問を抱く方は、拙著『日本国誕生史の証明』で確かめていただきたい。
Nihonkokutanjoushinosyoumei
◆令和元年の即位礼正殿の儀は皇居宮殿・正殿松の間でとり行われる。
 三権の長、皇族、天皇、皇后の順に正殿松の間に参入する。
 天皇が高御座(たかみくら)に、皇后が御帳台(みちょうだい)に昇る。
 参列者が鉦(かね)の合図により起立する。高御座と御帳台の帳(とばり)が開けられる。

◆天皇と皇后が昇る高御座と御帳台の屋根は、共に神輿(みこし)のような構造の八角形となる。
 なぜ「八角形か」と言うと、天皇は古代では「八隅(やすみ)知る天皇(すべらき)」と称されたからである。だから「八角形」は「八隅」をあらわす。

◆ではなぜ、「天皇」は「八隅知る皇(すべらき)」と称されたかというと。
 上記したように、約2000字で構成される『魏志倭人伝』の約500字・約25%の記事は「倉頡が発明した漢字作成方法」について説明する。
 中国の五経(ごきょう)の第一にあげられる古典『易経(えききょう)』繋辞下伝(けいじげでん)は【漢字作成方法】について、下記のごとく説明する。
 「仰(あお)いでは天象(てんぞう)を観()、俯()しては地法を観、鳥獣の文と地宜(ちぎ)を観る。近くはこれを身に取り、遠くはこれを物に取る。ここにおいて始めて八卦(はっけい)を作る云々(うんぬん)、以下省略」
 上記の文中の「近くはこれを身に取り、遠くはこれを物に取る。ここに始めて八卦を作る」という文が「八隅知る皇(すべらき)」の「八隅」の語源である。
 つまり「ここに始めて八卦を作る」の「八卦」が「八隅」の語源である。
 字書・辞典では「八卦」は「易(えき/うらない)の判断の基礎となる八つの象(かたち)」と解説するが、この解釈は転義で、「八卦」の原義は「東・西・南・北と東北・西北・東南・西南の八方位」であった。
 「八方位」が「八卦」、「八卦」は「八方位」であるから「八隅」と言われることになったのである。

◆上記した『易経』繋辞下伝の「近くはこれを身に取り、遠くはこれを物に取る。ここに始めて八卦を作る」という記事は下記のごとく意味した。
 「近くはこれを身に取る」という文は「地平線(水平線)よりも内側にある観測者の近くの土地の緯度と方位〔東・西・南・北〕は、[]の字源・字形をあらわす姿勢になって(つまり身重な妊婦のごとくおなかを前へつきだして)天頂(てんちょう)を仰ぐと[]のキャッチによって取ることができる(正確に測定することができる)」と意味した。
 次の「遠くはこれを物に取る」は「近くはこれを身に取るにおける[]をキャッチして観測地点の緯度と方位の東・西・南・北を正確に測定した天頂緯度線となった銀河部が遠くの地平線(水平線)からの出没方角と、全銀河の帯において最も大きな渦を巻く銀河部(つまり、銀河系宇宙の中心)の出没方角を測量する」と意味した。
 観測地点の緯度を正確に測定できる銀河部位は地平線(水平線)の東北から昇り地平線(水平線)の西北に没する。銀河系宇宙の中心は地平線(水平線)の東南から昇り地平線(水平線)の西南に没する。
 だから、「遠くはこれを物に取る」は「東北・西北・東南・西南の四方位」をあらわすゆえ、「近くこれを身に取る」の「東・西・南・北の四方位」を加える合計は「八方位」すなわち「八隅」となる。

◆銀河系宇宙の中心付近を、原始から現在まで、天の赤道と黄道(こうどう/天球上における太陽の軌道をあらわす大きな円)が通過する。
 天の赤道と黄道における二つの大きな円の交点は春分点・秋分点であり、春分点・秋分点より90度の方向の黄道上に夏至点と冬至点がある。
 したがって、「八隅知る天皇(すべらき)」は「天の赤道と黄道の大円を知る天皇」と意味した。
 円は360度であり、360度÷8(方位)45度となる。円の中心を45度ずつ分割する線は円周上の八つ交点となる。この八つの交点を線で結ぶと「八角形」となる。
 天皇と皇后が昇る高御座と御帳台の屋根の「八角形」は「八隅知る天皇」の「八隅」をあらわし、『易経』繋辞下伝が【漢字作成方法】を説明する記事の文中にある「八卦」をあらわしている。
 だから、高御座に天皇が昇る即位式正殿の儀は「『魏志倭人伝』は倉頡が発明した漢字作成方法を伝える史書である」、言いかえると「九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は『魏志倭人伝』の全記事と一ヵ所も関係しない誤読の空論である」と明示する儀式であったのである。

◆代々の天皇が皇祖・天照大御神(3世紀後半に生存した第10代崇神天皇と崇神帝の生母)の遺勅(ゆいちょく/死後にのこされた勅命)を厳重にまもったため、皇室は滅びず存続した。
 皇祖・天照大御神の遺勅は「皇室が永らく栄えるために、倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸の学問を権力基盤とせよ。この権力基盤の学問に対して、人民にとっては【日本建国の〔愛〕の理念】のほうが勝(まさ)るゆえ、国中の人民が【日本建国の〔愛〕の理念】をかかげて反乱を起こすと皇室は滅亡する可能性が大となる。だから、絶対に【日本誕生史】は後世に伝わらないように排除(はいじょ)し抹殺(まっさつ)せよ」であった。
 このため、上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命神話の淤能碁呂島聖婚説話をもって【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】を後世に伝えた『古事記』は712128日に元明(げんめい)天皇に献上されたが、元明天皇は即座に献呈を拒絶した。
 このため、『古事記』は正史になれず皇室を滅亡させる危険思想を養う禁書となった。

◆次回(12 邪馬台国説はフェイクであった)では、即位礼正殿の儀が学問儀式であると示すため、高御座と御帳台は【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】をあらわしている実体を解説し証明する。

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2019年10月19日 (土)

#10 邪馬台国説はフェイクであった!


★朝日新聞とNHKは「邪馬台国説は完全なる空論であった」と世界中に発信・報道しなければならない

◆江戸時代中期の学者・新井白石以来約300年間、学者たちは卑弥呼が登場する『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』は邪馬台国の所在地を解明するための史料であると主張する。
 白石は最初に大和邪馬台国説を立論し、後年に九州邪馬台国説をとなえた。
 この白石の畿内邪馬台国説と九州邪馬台国説を、今日の学者たちは「わが国がはじめて『魏志倭人伝』に学問的研究を加えた最初の一歩である」と評価する。
 この評価にもとづき、朝日新聞やNHKはじめマスメディアは九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説をとなえる学者をもて囃(はや)し敬意さえ示す報道を幾度となくおこなった。
 だから、大多数の日本国民は『魏志倭人伝』と九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は密接に関わっているにちがいないと思い込んでいる。

◆しかし、白石がとなえた畿内邪馬台国説と九州邪馬台国説の両説は約2000字で構成される『魏志倭人伝』の全記事と一ヵ所も関係しない【完全なる誤読の空論】であった。
 『魏志倭人伝』における最多の記事群(900字・約45)は「卑弥呼王朝は紀元前3000年ころの中国の五帝時代初頭の黄帝(こうてい)につかえた史官・倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成方法と、紀元前2070年ころから紀元前2050年ころの中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)に伝来して習得された夏音(かおん)文字の学芸を、卑弥呼王朝は最も強大な権力基盤とした。この学問が反体制側の手中に入り革命に利用されると王朝は滅亡する公算が大であったゆえ、倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸は卑弥呼王朝と国家は独占管理して厳重な機密にした」と説明するものであった。
 なお、『魏志倭人伝』は280年~289年に著作された。

◆前述したように「畿内邪馬台国説と九州邪馬台国説は【『魏志倭人伝』と無関係の、完全なる誤読の空論】であった。
 『魏志倭人伝』は【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】がわが国で習得された歴史を記述する書物であった」という事実は――令和元年914日に発刊された拙著『日本国誕生史の証明』(ムゲンブックス制作・エッグデザイン発刊)にて、詳細に具体的に【科学】を成立させて証明した。
 この事実を疑問視する方々は、拙著『日本国誕生史の証明』で確かめていただきたい。
Nihonkokutanjoushinosyoumei
◆上記したように、朝日新聞やNHKなどのメディアが熱心に日本中の人々を洗脳しようとして幾度となく宣伝した畿内邪馬台国説と九州邪馬台国説は『魏志倭人伝』の記事とまったく無関係の【誤読の空理空論】であったのである。
 卑弥呼は3世紀半ばころ(239年であろう)に死去した。
 3世紀後半に生存した天照大御神(10代崇神天皇と生母)は大和朝廷の基礎を築いた。
 このため、天照大御神は皇室が最も崇拝する先祖と尊重されたため、「皇祖(こうそ)」と称された。
 皇祖・天照大御神は「皇室と国家が栄えて滅びないためには、必ず【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】を政権基盤とせよ」という遺勅(ゆいちょく/死後にのこした勅命)を残した。
 この天照大御神の遺勅を厳重に守って、天皇と皇室は現在まで存続した。
 『魏志倭人伝』には天照大御神の遺勅【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】が詳細に具体的に科学的に保存されていた。
 したがって、『魏志倭人伝』は皇室が滅びないための聖典となった。
 だから、新井白石の『魏志倭人伝』に【誤読を加える論法】を知った皇室は、白石の邪馬台国説は皇室を滅ぼし、日本国を破壊し、さらに日本国民は愚弄(ぐろう)されて滅びると慄(おのの)き、激しいショックを受けた。
 ゆえに、白石が1725年に没してから13年目の1738年、戦国時代から約220年間中断していた大嘗祭(だいじょうさい)を本格的に復興して「白石の九州邪馬台国説と大和邪馬台国説は『魏志倭人伝』の無関係の完全なる誤読の空理空論である」と明確に示すことにした。

◆令和元年1114日の夕方から翌日未明に、天皇が一代で一度だけ臨(のぞ)む大嘗祭では、天皇の頭上に高々と御菅蓋(おかんがい)が差し上げられる。
 この天皇即位の王冠・御菅蓋における上の飾りの大鳥の意匠(いしょう)は『魏志倭人伝』に記述された【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】を明確に示すものであり、下の飾りの管笠(すげがさ)の意匠は『魏志倭人伝』に記述された【日本建国の〔愛〕の理念】を明確に示している。
 現在において御菅蓋の意匠が【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】と【日本建国の〔愛〕の理念】を明確に示すものでないことになった原因は、白石以後300年も学者たちが【誤読の空論の邪馬台国説】に夢中になり熱中し、マスメディアや出版界が【虚妄(きょもう/でたらめ)の邪馬台国説】をもて囃(はや)して日本中に蔓延拡散(まんえんかくさん)させたからにほかならない。
 だから、大嘗祭において御菅蓋の意匠で「『魏志倭人伝』に記述された倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸を代々受け継ぎ保存して、国家と国民の繁栄と幸せを努力する統括者が天皇である」と明示されても――【誤読の空論の邪馬台国説】が原因で国民は天皇の努力目標や役割が理解できない状況となったのである。
 拙著『日本国誕生史の証明』では「九州邪馬台国説・畿内邪馬台国説は【科学における不正行為】を犯す空理空論であり、大嘗祭は【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】と【日本建国の〔愛〕の理念】を表示する学問儀式である事実」を具体的に明確に【科学】を成立させて証明した。

◆以上のごとく、九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は【完全なる科学における不正行為の産物】である。
 【科学における不正行為】については報道機関が世界の人々に知れ渡るように報道する責任と義務と使命と倫理(りんり)を背負っている。
 2000年、藤村新一が30年前から発見していたという旧石器はウソ・捏造(ねつぞう)であったことが暴露(ばくろ)され、この【科学における不正行為】は世界中に報道された。
 この藤村新一の旧石器発掘捏造事件はわが国を代表する【科学における不正行為】とされる。
 この旧石器捏造事件にまさって劣悪な邪馬台国説、つまり「九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は完全なる誤読の空論であった」と、朝日新聞とNHKはじめメディアは世界の人々に知れ渡るように発信しなければならない。
 なぜならば報道機関は誤読の邪馬台国説を日本中の人々にまき散らす役目を本業とするものでないからである。
 報道機関は「九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説が科学における不正行為を犯している事実と首謀者」について世界の人々にも知れ渡るように発信しなければならない責任と義務と使命と倫理を背負っている。

◆この報道機関の本来の役目を怠(おこた)るならば、その報道機関は被害者の皇室・日本国家・日本国民に消滅・滅亡を欲求されても拒否する権利を有していないということを肝(きも)に銘(めい)じるべきである。

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2019年10月17日 (木)

#09 邪馬台国説はフェイクであった!

★九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説を主張して日本国民を誑(たぶら)かす首謀者は学界から永久追放すべし!

◆科学に反する学者たちの違反行為は「科学における不正行為」と定義される。
 「科学における不正行為」は報道機関などを通じて世界中の一般市民にも知れ渡る仕組みになっている。言いかえると、報道機関は学者の「科学における不正行為」を世に発表しなければならない使命と責任と義務と倫理(モラル)を背負う。
 2000年、報道機関は藤村新一が30年前から発見していた旧石器の発見は捏造(ねつぞう)であったことを発表した。この旧石器発掘捏造事件はわが国を代表する「科学における不正行為」とされる。
 この捏造事件に勝(まさ)って劣悪な「科学における不正行為」は、吉野ケ里遺跡を根拠・理由として「邪馬台国が見えてきた」と誇示(こじ)して九州邪馬台国説を主張する高島忠平(佐賀県教育庁文化課参事)の行為である。
 高島忠平は【誤読の空論】で令和元年1114日夕刻から翌日未明に天皇が一代で一度だけ臨(のぞ)む大嘗祭(だいじょうさい)を冒涜(ぼうとく)して、日本国を破壊し、日本国民を愚弄(ぐろう)する。
 だから、「藤村新一より悪質な科学における不正行為」をおこなう高島忠平は、学界から永久追放しなければならない。

◆また、纏向(まきむく)遺跡・箸墓(はしはか)古墳を根拠・理由として「邪馬台国は畿内に所在した」と捏造(ねつぞう)・改竄(かいざん)して【誤読の空論】をもって日本国民を愚弄する畿内邪馬台国説の首謀者も同じく学界から永久追放しなければならない。
 
◆令和元年914日に発刊された拙著『日本国誕生史の証明』(ムゲンブックス制作・エッグデザイン発行)にて、【九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は大嘗祭を冒涜し、日本国を破壊し、日本国民を愚弄する誤読の空理空論】である事実を――【科学】を成立させて論理が完結(かんけつ)するようにして詳細に具体的に証明した。
Nihonkokutanjoushinosyoumei
◆前述したように、報道機関は「科学における不正行為」について一般市民に知れ渡るようにしなければならない責任と義務と使命を背負っている。
 だから――「九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説こそ最も正しい」とフェイクニュースを幾回ともなく報道した朝日新聞とNHKはじめマスメディアは「約2000字で構成される『魏志倭人伝』の記事と九州邪馬台国と畿内邪馬台国説は一ヵ所も関係しない【誤読の空理空論】であった」と、日本国民はもとより世界中に知れ渡るようにしなければならない責任と義務と使命とモラルを背負っている。
 この役目を果たさずに怠(おこた)るマスメディアは人間として恥ずべき倫理(りんり/モラル)に反することになる。ゆえに、世界中から否定されて軽蔑されて排除され追放されても仕方がないことになる。

◆約2000字で構成される『魏志倭人伝』は最多の文字数(900字・約45)の記事群をもって「紀元前3000年ころに中国生存した黄帝(こうてい)につかえた史官の倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成方法と、紀元前2070年~紀元前2050年ころの夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)に中国からわが国に伝来して習得された夏音(かおん)文字を卑弥呼王朝が最も強力な政権基盤とした。」と説明する。
 また、『魏志倭人伝』のおける二番目に多い文字数(600字・約30)の記事群は「日本国(小国・日本)は〔愛〕の理念をかかげて誕生した」と発信して伝えていた。
 だから、九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は『魏志倭人伝』の記事と一ヵ所も関係しない。
 『魏志倭人伝』は「倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学問と、そして日本国誕生史の秘密を伝える歴史書である事実」を皇室はもちろん知っていた。ゆえに、皇室にとって『魏志倭人伝』は真実を伝える聖典であった。
 『魏志倭人伝』に多数の【誤読】を加えて最初に大和邪馬台国説を後年に九州邪馬台国説であると考えなおした江戸時代中期の学者・新井白石(あらいはくせき)1725年に没した。
 白石以前の幾人かの先人たちも『魏志倭人伝』は「倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学問と、そして日本国誕生史の秘密を伝える歴史書である事実」を知っていた。

◆皇室は『魏志倭人伝』に新井白石が多数の【誤読の論法】で捏造した空理空論の九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説に激しいショックをうけた。
 白石がとなえた【誤読の邪馬台国説】は皇室を滅ぼし・日本国を破壊し、さらに日本民族は愚弄されて滅びると激しいショックをうけた皇室は、白石の死後13年後の1738年、戦国時代から約220年間中断していた大嘗祭を本格的に復興することにした。
 だから、令和元年1114日夕方から翌日未明に、天皇が一代で一度だけ臨(のぞ)む大嘗祭は「九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は『魏志倭人伝』の一ヵ所の記事と無関係の誤読の空論である。九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は皇室を滅ぼし、日本国を破壊し、日本国民を【誤読】で愚弄する最大・最悪の災厄である」と表示する学問儀式であった。

◆上記したように、白石の死から約300年間も学者たちが受け継ぎ、朝日新聞やNHKなどのメディアがフェイクニュースをもって宣伝する九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は皇室を滅ぼし、日本国を破壊し、日本国民を愚弄する【誤読の空理空論、ウソ八百】であった。
 その証拠に、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に記述された「多数の子どもたちが生まれて国土に満ち満ちあふれる」とあらわす【日本建国の〔愛〕の理念】は現在廃(すた)れて、わが国は少子化・人口減少によって国力衰退の坂道を転げおちているという――実害(じつがい)に悩まされ苦しんでいる。
 万葉歌人の山上憶良(やまのうえのおくら)は【日本建国の〔愛〕の理念】を「銀(しろがね)も 黄金(くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子に及()かめやも」と詠()んだ。
 また、邪馬台国説は日本国憲法の第1条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民の統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基(もと)づく」という文を犯して、日本国と日本国民を害している。
 要するに、憲法第1条は「今から約5000年前に倉頡が発明した漢字作成方法と今から約4050年前にわが国が習得した原初漢字・夏音文字の学芸を保存し、さらに日本国誕生史の秘密を保存する伝統を大嘗祭で表示する天皇を、主権が有する日本国民の総意に基づいて、日本国の象徴とし、日本国民統合の象徴とする」と定めていたことになる。
 だから主権が存する日本国民は大嘗祭で明確に示される天皇の実体を知っていなければならないにもかかわらず、まったく知ることができない。
 というのも、学者たちが主張する邪馬台国説は『魏志倭人伝』の記事と一ヵ所も関係しない【誤読の空論】であり、この【誤読の空論の邪馬台国説】をマスメディアが擁護(ようご)してあたかも事実かにごとく日本中のすみずみまで知れ渡るようにした。このため、【誤読の空論の邪馬台国説】を信頼する日本国民は日本国民の統合の象徴たる天皇の実体についてまったく知ることができない。

◆日本国民の総意にもとづいて日本国の象徴である天皇の実体は、大嘗祭で用いられる・天皇の頭上に高々と差し上げられる王冠・菅蓋(かんがい)の上の飾り大鳥の意匠で【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】であると明示され、下の飾りの菅笠(すげがさ)の意匠で【日本建国の〔愛〕の理念】であるとを明確に示される。
 だから、天皇の実体は『魏志倭人伝』に記述された【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸と、日本建国の〔愛〕の理念を代々受け継ぎ保存する日本国および日本国民統合の象徴】ということになる。

◆以上からして、皇室を滅ぼし、日本国の国力を衰退させ、日本国民を愚弄する九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説をもって「科学における不正行為」を犯す首謀者は、学界から永久追放しなければならない。

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2019年10月16日 (水)

#08 邪馬台国説はフェイクであった!

★邪馬台国説学者たちと朝日新聞は日本国を破壊する!

◆令和元年1022日の即位礼・正殿の儀と翌1114日夕刻から翌日未明に天皇が一代で一度だけ臨(のぞ)む大嘗祭(だいじょうさい)について、朝日新聞は宗教儀式であると報道した。この指摘は完全にフェイクニュース(真っ赤なウソの報道)である。
 朝日新聞の無知は日本国民を侮辱し、日本国を滅ぼさんとする暴言・暴力である。
 即位礼・正殿の儀と大嘗祭は【学問儀式】であった。
 即位礼・正殿の儀と大嘗祭は【江戸時代中期の学者・新井白石(あらいはくせき)以来現在まで300年間も学者たちが主張つづける邪馬台国説は、根も葉もないウソ・誤読の空論であると表示する学問儀式】であった。
 この事実は令和元年914日に発刊された拙著『日本国誕生史の証明』(ムゲンブックス制作・デザインエッグ発行)にて、【科学】が成立するようにして【学問儀式】であることを具体的に詳細に解説して証明した。
 ゆえに、拙著『日本国誕生史の証明』を読んでくだされば――学者たちが主張し朝日新聞はじめとするマスメディアが煽動(せんどう)する邪馬台国説は日本国を破壊し、日本国民を愚弄(ぐろう)する真っ赤なウソであること――が容易に理解できます。
Nihonkokutanjoushinosyoumei
3世紀(280289)に著作された卑弥呼(ひみこ)が登場することで有名な歴史書『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』は、【即位礼・正殿の儀と大嘗祭は学問儀式】であると伝える。
 『魏志倭人伝』は約2000字で構成される。
 そのうち、【1】約900字・約45%の記事は――今から約2070年~紀元前2050年ころの中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)、中国から原初漢字の夏音(かおん)文字が伝来し、わが国は夏音文字を習得した――と説明していることになる。
 したがって、上記の『魏志倭人伝』の最多の記事を否定して、学者たちが「わが国が漢字を最初に習得したのは、5世紀あるいは6世紀である」と断定した絶対的定説は、学者たちやマスメディアにとっては都合のよい、彼らが意図的に内容を調整して国民を騙(だま)す、空理空論・虚妄(きょもう/デタラメ)であったのである。

 また、『魏志倭人伝』の【2】約600字・約30%の「魏の元号・景初(けいしょ)二年六月倭の女王云々(うんぬん)」という文から倭女王の壱与(いよ)が登場する最後までの記事は――夏音名(夏音文字の名前)壱与は『古事記』上巻に登場する伊耶那美命(いざなみのみこと)である。伊耶那美命(壱与)は倭女王に就任する以前、卑弥呼王朝に命令されて小国・日本の女王に就任したとき、国作りの方針を〔愛〕と定めた。この伊耶那美命(壱与)がとなえた【日本建国の〔愛〕の理念】は、倭国の国中に知れ渡った。卑弥呼が没して墓を作るとき、卑弥呼の後を継いだ男王(倭国の大王)は百余人の奴婢(ぬひ/18歳くらいの青年と13歳くらいの乙女)を殺して卑弥呼の墓に埋める徇葬(じゅんそう)を決行した。小国・日本の女王伊耶那美命がとなえた【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する倭国の国中の人民は、徇葬を決行した倭国の大王に服従せず武器をもって反乱した。このため、倭の政府軍は反乱する千余人の国民を殺した。この大乱(たいらん)に乗じて、倭女王卑弥呼と素(もと)より不和の狗奴(くな)国が倭国を倒す絶好のチャンスととらえて大々的に戦争を挑(いど)んだ。これゆえ、亡国の危機におちいった倭王朝は、13歳のときに倭国に一員となった属国(ぞっこく)の小国・日本への赴任させた伊耶那美命を帰国させて、彼女を倭女王に就任させた。というのも、倭王朝は伊耶那美命がとなえた【日本建国の〔愛〕の理念】が原因で国民が大乱し・狗奴国が大々的に攻撃してきたと非難して、倭国の亡国の危機の責任はすべて伊耶那美命にあると考えたからである。倭王朝に歯向かって反乱する国民は倭女王・伊耶那美命ならば必ず徇葬を禁止するにちがいないと確信して武器を捨てた。これゆえ、倭の大乱は平定(へいてい)された。そして、倭王朝は伊耶那美命の夫の伊耶那岐命(いざなきみこと)に狗奴国討伐を指揮するように命じた。伊耶那岐命は小国・日本の軍王(いくさのおおきみ)であり、『魏志倭人伝』に登場する夏音名は載斯烏越(そしあお)であった。狗奴国討伐に〔愛〕の女王伊耶那美命は狗奴国の男王と話し合いによる平和的に解決するようにと主張して、狗奴国討伐を反対した。このため、倭王朝は伊耶那岐命の第二后(きさき)の天照大御神(10代崇神(すじん)天皇の生母)に倭女王・壱与の代役、つまり狗奴国討伐の魔女の壱与(戦いの巫女の女王)に就任させて、伊耶那岐命が指揮して狗奴国を壊滅させた――と説明している。

 残る『魏志倭人伝』の【3】約500字・約25%は倭人国の風俗・産物・動植物の生息状況を説明する記事である。

◆上記の【1】『魏志倭人伝』の約900字・約45%の最多記事は――倭国は原初漢字の夏音文字を習得した。このため、夏音文字を習得したときより約950年前の紀元前3000年ころ、中国の五帝時代初頭の黄帝につかえた史官(しかん)の倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成方法も習得された。倭人国・卑弥呼王朝は対馬国(つしま)から狗奴国までの30の小国名をもって倉頡は発明した漢字作成方法を整然と分類して完全保存した。言いかえると、卑弥呼王朝は倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸を最も強大な政権基盤にして、この学問が反体制側の手中に入り革命・反乱されて王朝と国家体制が崩壊しないように、この学問を王朝と国家が独占管理して厳重な機密とした――説明するものであったのである。

◆『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命神話や『万葉集』の幾つかの和歌は、3世紀半ばの上古史(日本国誕生史)を下記のごとく伝えていた。
 ――狗奴国討伐に反対した伊耶那美命を倭女王の職務を果たさず無責任であると激怒(げきど)する倭王朝は、伊耶那美命に倭女王から退位して天照大御神に譲位することを命令し、伊耶那岐命に伊耶那美命との離縁を欲求した。この要求に伊耶那美命が応じた。しかし、伊耶那美命を愛する伊耶那岐命は天照大御神への譲位を認めず、離縁に応じず倭王朝の命令を無視した。伊耶那岐命は淡路島で伊耶那美命を説得して二度目の結婚(一回目は小国・日本の女王・伊耶那美命との結婚、二回目は倭女王・伊耶那美命との結婚)を強行し、伊耶那美命こそ倭女王であると主張して倭王朝と激しく対立した。
 伊耶那岐命は後の第9代開化(かいか)天皇であり第10代崇神天皇の異母兄であり、崇神天皇は伊耶那岐命の第二后天照大御神の連れ子(伊耶那岐命の実父第8代孝元天皇の息子)であり、伊耶那岐命の養子でもあった。だから、『古事記』上巻に登場する「天照大御神」は「崇神天皇とその母(伊耶那岐命の第二后)であった。
 このような事情から、崇神天皇の生母・天照大御神は伊耶那美命を愛して天照大御神の倭女王・壱与の就任を認めない夫の伊耶那岐命を憎悪した。この憎しみよりもさらに激しく天照大御神は伊耶那美命がとなえた【日本建国の〔愛〕の理念】を憎悪し敵視した。というのも、天照大御神は倭王朝の政権基盤である倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学問は王朝と国家をささえる屋台骨であるゆえ、最も強大でなければならないという信念を抱いていたからである。ゆえに、天照大御神は多数の奴婢を殺す徇葬は倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学問が最も偉大で強大で崇高な力を有するものであるという権威(けんい)を示すものゆえ、卑弥呼の墓に百余人の奴婢を殺して埋めた事業は正しいと考えた。だから、卑弥呼の墓を作ったときに反乱をおこした国中の国民が尊重した伊耶那美命がとなえた【日本建国の〔愛〕の理念】は倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学問を崩壊させる最も危険な思想であると、天照大御神は考えて敵視し憎悪したのである。
 伊耶那美命が没すると天照大御神が倭女王に就任した。天照大御神は伊耶那美命の墓を作るとき、残忍な徇葬を指揮した。伊耶那美命がもっとも嫌った多数の奴婢たちを殺す天照大御神の徇葬に、伊耶那岐命は激怒してクーデターを決行して成功し、天照大御神を倭女王から失脚させた。
 ゆえに、伊耶那岐命は春日(かすが)の伊耶河宮(いざかわのみや)に居住して天下を治めた第9代開化天皇であった。

◆伊耶那岐命・開化天皇が死去すると、母・天照大御神と父・第8代孝元天皇が結婚して生まれた息子(伊耶那岐命の異母弟)が天皇を継いだ。これが第10代の崇神(すじん)天皇である。
 ゆえに、『日本書紀』の崇神天皇6年の記事に「天皇は天照大御神を祀った」と記述された崇神天皇とその生母」が、『古事記』上巻に登場する「天照大御神」であった。
 3世紀後半に生存した天照大御神母子は大和朝廷の基礎を築いた。ゆえに、皇室は天照大御神を至上神と崇拝して皇祖(皇室の生みの親)と定めた。
 大和王朝と国家が永(なが)らく栄えることを願った天照大御神母子は「倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学問を最も強大な政権基盤とし、朝廷と国家が滅亡しないために〔愛〕の理念をとなえて建国された日本国(小国・日本)の誕生史を後世に絶対に伝えてはならない必ず排除し抹殺せよ」という勅命(ちょくめい)を残した。
 ゆえに、天照大御神の遺勅(ゆいちょく/死後にのこされた勅命)は皇室とともに存続することになった。
 倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学問は、上記したように『魏志倭人伝』の【1】最多の約900字・約45%の記事となって保存された。ゆえ、皇室にとって『魏志倭人伝』は倉頡が発明した漢字作成方法を完全保存して、夏音文字の学芸を伝える聖典となった。

◆伊耶那美命がとなえた【日本建国の〔愛〕の理念】は上記したように、『魏志倭人伝』の【2】約600字・約30%の記事となり、また『古事記』上巻に詳細に記述されて残った。また、『万葉集』の数々の和歌となって後世に伝えられた。
 ゆえに、日本国誕生史を難解な文章で詳細に記述して712年の正月に『古事記』を献上された元明(げんめい)天皇は、天照大御神の遺勅にもとづいて『古事記』献呈を拒否した。
 真実の歴史を記述した『古事記』は皇室が承認する正史(せいし)と認められず、正史『続日本紀(しょくにほんぎ)』では『古事記』に関する記事がいっさい削除(さくじょ)・抹殺されて、朝廷を滅ぼす危険思想を養う禁書(きんしょ)と定められた。

◆伊耶那美命がとなえた【日本建国の〔愛〕の理念】と日本国誕生史は武士たちに尊重され、鎌倉幕府に尊ばれ、織田信長と徳川家康が一生を賭()けて復興せんとする心願となった。
 家康が全情熱をかたむけた日本国誕生史を復興する心願は成就しなかったが、家康の遺志は代々の将軍と幕府が受け継いで達成する宿題となった。
 将軍秀忠と江戸幕府は桂離宮と修学院離宮の両庭園の平面図に日本国誕生史を設計して、第108代後水尾(ごみずのお)上皇に家康の遺志・日本国誕生史の復興を願った。
 幕府は1655年のころから1659年にかけて修学院離宮に浴竜池(よくりゅういけ)と呼ばれる心字池を中心とした大庭園・上御茶屋(かみのおちゃや)を造営して、浴竜池の平面図に日本国誕生史の復興の願望を設計して後水尾上皇にせまった。
 上皇は浴竜池の中央の築島(つきしま)に建造された窮邃亭(きゅうすいてい)に陶器製の篇額(へんがく)と作ってかかげて、「『魏志倭人伝』と『古事記』上巻には日本国を誕生史が記述されている」と認めた。
 というのも、上皇の直筆(じきひつ)である「窮邃」の2字は「邃、すなわち上古史を窮(きわ)める、つまり『魏志倭人伝』には【1】倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学問が記述され、【2】日本国誕生史も記述されていることを認める」と意味することになったからである。
 上皇直筆の「窮邃」という2字は緑の縁取りした二つの八角形を組み合わせた扁額の枠(わく)中央に記される。二つの八角形が重なる箇所は亀甲文(きっこうもん)縦長(たてなが)の六角形となり、この六角形は『古事記』上巻に記述された伊耶那岐命と伊耶那美命が第一回目に結婚した小国・日本における式場の所在地を表現する。また、六角形中央の赤色の水引き文は「たくさんの子どもが生まれて国土に人民が満ち満ちあふれる」と表現して、【日本建国の〔愛〕の理念】をデザインする意匠であった。

1725年に新井白石が没して、『魏志倭人伝』に多数の【誤読】を加える書物を著作して最初に大和邪馬台国説を、後年に九州邪馬台国説であると予測・予想した。
 皇室は『魏志倭人伝』に白石が多数の【誤読】を加えて予測・予想した空理空論の畿内邪馬台国説と九州邪馬台国説に激しいショックをうけた。
 白石がとなえた【誤読の邪馬台国説】は皇室を滅ぼし・日本国を亡ぼし、さらに日本民族は愚弄(ぐろう)されて滅びると激しいショックをうけた皇室は、白石の死後13年後の1738年、天照大御神の「日本国誕生史を抹殺せよ」という遺勅を破棄(はき)して、戦国時代から約220年間中断していた大嘗祭を本格的に復興することにした。

◆だから、白石の死から約300年間も学者たちが受け継ぎ、朝日新聞やNHKなどのメディアがフェイクニュースを流して宣伝する畿内邪馬台国説と九州邪馬台国説は皇室を滅ぼし、日本国を亡ぼし、日本国民を愚弄する【誤読の空理空論、ウソ八百】であったのである。
 その証拠に、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に記述された「多数の子どもたちが生まれて国土に満ち満ちあふれる」とあらわす【日本建国の〔愛〕の理念】は現在廃(すた)れて、わが国は少子化・人口減少によって国力衰退の坂道を転げおちているという――実害が生じている。
 令和元年の秋におこなわれる大嘗祭は『魏志倭人伝』の【1】最多記事が説明する倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学問をあらわすとともに、『魏志倭人伝』の【2】二番目に多い記事で説明する日本国誕生史をあらわす学問儀式であった。
 つまり、大嘗祭は「白石以来300年間つづく畿内邪馬台国説と九州邪馬台国説は【誤読】で国民を愚弄する空理空論である」とあらわす学問儀式であったのである。
 白石以前における伊耶那美命を崇拝する先人たちは『魏志倭人伝』後半と『古事記』上巻に記述された【日本国誕生史の復興】を倫命(りんめい/人間として実行すべき倫理における使命)と考えていた。

◆科学に反する学者たちの違反行為を「科学における不正行為」と定義する。
 このように、「科学における不正行為」は報道機関などを通じて世界中の一般市民にも知れ渡る仕組みになっている。
 2000年、藤村新一が30年前から発見していた旧石器の発見が捏造(ねつぞう)であったことが暴露された。この旧石器発掘捏造事件はわが国を代表する「科学における不正行為」とされる。
 この捏造事件に勝って劣悪な「科学における不正行為」は、吉野ケ里遺跡を根拠・理由として「邪馬台国が見えてきた」と誇示(こじ)して九州邪馬台国説を主張する高島忠平(佐賀県教育庁文化課参事)の行為である。高島忠平は【誤読の空論】で大嘗祭を冒涜(ぼうとく)して日本国を破壊し日本国民を愚弄している。だから、彼は藤村新一同様に、学界から永久追放されなければならない。
 また、纏向(まきむく)遺跡・箸墓(はしはか)古墳を根拠・理由として「邪馬台国は畿内に所在した」と捏造して【誤読の空論】で日本国民を騙(だま)す畿内邪馬台国説の首謀者も藤村新一同様に学界から永久追放しなければならない。
 「科学における不正行為」は報道機関が一般市民に知れ渡るようにしなければならない責任と義務と使命を背負っている。
 拙著『日本国誕生史の証明』にて【九州邪馬台国説と畿内邪馬台国は大嘗祭を冒涜し、日本国を破壊し、日本国民を愚弄する誤読の空理空論】である事実を【科学】が成立するようにして証明した。
 だから――九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説のフェイクを報道した朝日新聞とNHKはじめマスメディアは「邪馬台国説は【誤読の空論】であった、『魏志倭人伝』の大要(たいよう)は令和元年の秋の大嘗祭で表示される倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学問と、また日本国誕生史である。したがって、邪馬台国説は一ヵ所の記事とも関係しない」と世界中に知れ渡るようにしなければならない責任と義務と使命を背負っている。
 この役目を果たさないメディアは人間として恥ずべき倫命に反することになるゆえ、世界中から否定されて軽蔑されて排除され追放されても仕方がないことになる。

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2019年10月 9日 (水)

#07 邪馬台国説はフェイクであった!


★朝日新聞は憲法第1条を犯している!

◆日本国憲法の第1条は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民の統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基(もとづ)く」である。
 このような【天皇】について日本国民の皆が皆(みな)、正確に知っていない。
 というのも、令和元年1022日におこなわれる即位礼(そくいれい)・正殿(せいでん)の儀と、翌1114日夕刻から翌日未明に天皇が一代で一度だけ臨(のぞ)む大嘗祭(だいじょうさい)は――多くの学者たちや朝日新聞によって宗教儀式であると指摘されているからである。
 この学者たちと朝日新聞の意見は【完全なる誤読の空論】である。
 この【完全なる誤読の空論】が原因で、象徴天皇について正確に知っていなければならない主権の日本国民は【天皇】についてまったく知ることができない状況となったのである。

◆今年の秋におこなわれる即位礼・正殿の儀と大嘗祭は――3世紀(280289)に著作された『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に「倭人国の卑弥呼(ひみこ)は国家を創設して、紀元前3000年頃に中国に生存した倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成方法を最も強力な政権基盤とした」と記述された、この倉頡が発明した漢字作成方法を独占管理して機密(きみつ)を保持(ほじ)して代々受け継いで現在まで保存した学問儀式――であった。
 この事実は、914日に発刊された拙著『日本国誕生史の証明』(ムゲンブックス制作・デザインエッグ発行)で具体的に科学的に詳細に解説して証明した。
Nihonkokutanjoushinosyoumei
◆だから、日本国憲法は「今から約5000年前に倉頡が発明した漢字作成方法を現在まで保存して伝える天皇を、主権を有する日本国民の総意にもとづいて、日本国の象徴とし、日本国民統合の象徴とする」と定めていたことになる。

◆新井白石(あらいはくせき)の死後300年、学者たちは「『魏志倭人伝』は倭女王の卑弥呼が居住した邪馬台国の所在地を伝えている書物にちがいない」と予測・予想した。
 しかし、この白石と学者たちの予測・予想は見事に外(はず)れて、すべての邪馬台国説は【誤読の空理空論】であった。
 『魏志倭人伝』は白石以来300年間学者たちが予測・予想しつづけた邪馬台国の所在地の解明がテーマとなる書物ではなく、倉頡が発明した漢字作成方法の解明がテーマとなる史料であったのである。

◆『魏志倭人伝』は「卑弥呼王朝は倭国の小国一番目国の対馬(つしま)国から三十番目国の狗奴(くな)国までの三十ヵ国の小国の名称をもって、倉頡が発明した漢字作成方法を整然(せいぜん)と組織化して完全保存して、わが国の最初の国家を創設した」と伝えていたのである。

◆倭女王卑弥呼は、3世紀前半に死亡した。
 3世紀後半に生存した第10代崇神(すじん)天皇と崇神天皇の生母は「卑弥呼王朝と同様に、倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学問を最も尊重すべきである」という信念を抱き、皇室(大和朝廷)の基礎を築いた。
 『日本書紀』の崇神天皇紀は〔崇神天皇6年〕の箇所で「天皇は天照大御神を倭国の国神として祀って尊重した」と記す。だから、『古事記』上巻と『日本書紀』神代紀では「崇神天皇の母と子(崇神帝)」は「天照大御神」と表記された。
 天照大御神を皇祖として崇拝する皇室は、天照大御神の「倉頡が発明した漢字作成方法を政権基盤とすれば、大和朝廷は永遠に栄える」という遺勅(ゆいちょく/死後にのこされた勅命)をまもって栄えた。
 天照大御神の遺勅は『魏志倭人伝』に完全保存されていたゆえ、皇室にとって『魏志倭人伝』は皇室が代々栄えて存続するための聖典となったのである。
 というのも、【倉頡が発明した漢字作成方法が完全な状態で保存された書物】は歴史上、『魏志倭人伝』一書のみであったからである。

◆『魏志倭人伝』に完全保存された【倉頡が発明した漢字作成方法】は、日本国家が栄え、日本文化と学問をまもって日本国民が栄えるために絶対に必要であると代々の天子(天皇・上皇)が信じた皇室の存続基盤となったのである。
 このような秘密があったゆえ、皇室は1725年に死去した新井白石(あらいはくせき)が『魏志倭人伝』に【誤読を加える論法】で立論した邪馬台国説に激しいショックを受けた。
 白石がとなえた【誤読の邪馬台国説】に皇室が滅びる・日本国が亡びる・日本民族が【誤読の空論】に愚弄(ぐろう)されて滅びると激しいショックを受けた皇室は、白石の死後13年目の1738年、戦国時代から約220年間中断していた大嘗祭を本格的に復興することにしたのである。

◆『魏志倭人伝』は一ヵ所も【誤読】を加えてはならない書物であったのである。
 新井白石以来約300年間に立論されたすべての邪馬台国説は、約2000字で構成される『魏志倭人伝』と一ヵ所も関係しない・【多数の誤読を加えて立論した空理空論】であった。
 朝日新聞は、吉野ケ里遺跡を根拠・理由とする九州邪馬台国説について「邪馬台国が見えてきた」と宣伝し、また纏向(まきむく)遺跡を根拠・理由とする畿内邪馬台国説について「新発見!三世紀王権の中心は奈良盆地東南部にあった」と指摘して近日中に邪馬台国説の決着がつくかのごとく宣伝する。
 しかし、九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は『魏志倭人伝』の記事ときれいサッパリ一ヵ所も関係しない【誤読の空理空論】であった。

◆だから、九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説で近日中に『魏志倭人伝』問題は決着できるとフェイクニュースを流す朝日新聞は真実・事実を伝える新聞社としての本来の責務と使命を怠(おこた)り、倫理にも道義にも背き、漢字はじめとする世界中の文字の起源を不明・排除して人類の尊厳を根底から侮辱していることになる。
 さらに朝日新聞は、【誤読の空理空論】で日本国憲法第1条を侮辱し、天皇を象徴とする日本国を冒涜(ぼうとく)し、そして【倉頡が発明した漢字作成方法を現在まで保存しつづけた天皇】を日本国民統合の象徴とする日本国民を愚弄していることになる。
 この大過(たいか)・大罪(たいざい)は絶対にゆるされないはずである。

◆以上、即位礼・正殿の儀と大嘗祭は『魏志倭人伝』に記述された【倉頡が発明した漢字作成方法を現在に伝える学問儀式】であったのである。
 白石以来300年、学者たちと朝日新聞やNHKなどのメディアによって九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説こそ最も正しいというフェイク・デマが日本国中に蔓延(まんえん)し拡散(かくさん)された。
 ゆえに、これが原因で日本国民は皆が皆、憲法第1条の【天皇】について正確に知っていないのである。

◆拙著『日本国誕生史の証明』は――『魏志倭人伝』は「卑弥呼は倉頡が発明した漢字作成方法を政権基盤に定めて、わが国最初の国家を樹立した」と記述する書物であり、大嘗祭は倉頡が発明した漢字作成方法を表示する学問儀式――であることを具体的に詳細に解説して証明した。だから、是非とも読んでくださるようにお願い申し上げます。

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2019年10月 8日 (火)

#06 邪馬台国説はフェイクであった!

◆去る914日、拙著『日本国誕生史の証明』(ムゲンブックス制作・デザインエッグ発行)が発売された。
 『日本国誕生史の証明』は『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に記述された約1700年前の卑弥呼王朝の秘密を具体的に科学的に解明した書物である。
 拙著『日本国誕生史の証明』は、来る人口知能(AI)時代に脚光を浴び、必ず役に立つにちがいない書物である。
Nihonkokutanjoushinosyoumei
◆人口知能(AI)は「世界中から膨大(ぼうだい)なデータを集めて、様々な分野で一歩先を予測する利器にして、これからの時代を支配せんとする強欲」である。
 ある学者は「AIのデータ支配によってごく一握りのエリート層が、大半の人類を無用者階級にする」と警告(けいこく)する。
 だから、「人間の頭脳で予測できる考えや知恵や発見」などはAI時代ではAIより劣ることになり、不用とされ排除(はいじょ)されて軽視されることになる。
 したがって、これからやって来る時代では「AIで予測できない考えや知恵」が必要とされ、「AIで予測できない発見」をおこなった人物と意見が高く評価されて必要とされる。

◆新井白石(あらいはくせき)の死後300年、学者たちは皆がみなこぞって「『魏志倭人伝』は邪馬台国の所在地を説明する書物であるにちがいない」と予測・予想した。
 しかし、『魏志倭人伝』は邪馬台国とまったく無関係な書物であった。
 この事実を拙著『日本国誕生史の証明』は発見して証明した。
 だから、『日本国誕生史の証明』はAI時代に最も必要とされ、高く評価され、注目されるにちがいない。
 『日本国誕生史の証明』は300年間の学者たちがこぞって「『魏志倭人伝』は邪馬台国の所在地を説明するための書物である」と主張した予測・予想が完全に外(はず)れた・空理空論であったと証明した書物である。

◆今月・1022日には即位礼(そくいのれい)・正殿(せいでん)の儀が、そして翌1114日夕方から翌日未明には天皇が一代で一度だけ臨(のぞ)む大嘗祭(だいじょうさい)がおこなわれる。
 大嘗祭において菅蓋(かんがい/王冠)が天皇の頭上高々と差し上げられる。
 この天皇の王冠・菅蓋は――1725年に死去した新井白石以来約300年間、学者たちは卑弥呼で名高い『魏志倭人伝』を邪馬台国の所在地を伝える書物であると予想・予測した。しかし、『魏志倭人伝』は邪馬台国の所在地を伝える書物ではない。今から約5000年前の中国の五帝時代初頭の黄帝(こうてい)につかえた史官・倉頡(そうきつ)が漢字を発明した方法を、わが国において最初に国家を創設するとき、『魏志倭人伝』に登場する卑弥呼王朝は倭の対馬(つしま)国から狗奴(くな)国までの三十ヵ国の小国の名称に完全保存した。だから、新井白石が立論した大和邪馬台国説と九州邪馬台国説の二説は【『魏志倭人伝』の記事と一ヵ所も関係しない・多数の誤読を加えた空理空論】である。『魏志倭人伝』には一ヵ所も【誤読】を加えなければ、倉頡が発明した漢字作成方法が目前(もくぜん)に見えるがごとく明確となる――と、その上の大鳥の飾りと下の菅笠の飾りの意匠(いしょう)で表示する。

◆だから、今年(令和元年)におこなわれる即位礼・正殿の儀と大嘗祭は【『魏志倭人伝』に完全保存された倉頡が発明した漢字作成方法を、皇室が受け継ぎ保存し続けたと表示する学問儀式】であった。
 つまり、白石の死後13年目の1738年、皇室は白石がとなえた【誤読の空論の邪馬台国説】に皇室は滅びる・日本国が滅びる・日本民族が【誤読の空論】に愚弄(ぐろう)されて滅びると激しいショックを受け、戦国時代から約220年間中断していた大嘗祭を本格的に復興することにしたのである。

 だから、今年の秋におこなわれる即位礼・正殿の儀と大嘗祭は「学者たちがこぞって300年間も予測・予想した邪馬台国論争のための書物ではなかった」という事実が明白となる根拠・証拠となる史料ということになる。
 邪馬台国説は約2000字で構成される『魏志倭人伝』に対して一ヵ所も関係しない、完全なる空論である。

学者たちと朝日新聞・NHKなどのメディアはグルになって【誤読の空論の邪馬台国説】を日本中に蔓延(まんえん)・拡散(かくさん)させている。
 300年間の学者たちの予測・予想は見事に外れて【誤読の空理空論】であった――この事実は、拙著『日本国誕生史の証明』(ムゲンブックス制作・デザインエッグ発行)にて詳細に具体的に科学的に証明した。

◆だから、【『魏志倭人伝』は倉頡が発明した漢字作成方法を完璧に保存した書物であり、この秘密を1738年以後の大嘗祭で表示されることになった事実】を、白石の死後300年間、予測・予想した学者は一人もいない。
 また、AIでも【『魏志倭人伝』は倉頡が発明した漢字作成方法を完璧に保存した書物であり、この事実は1738年以後の大嘗祭で表示されることになった秘密】は予測できない。
 ゆえに、拙著『日本国誕生史の証明』は従来の書物と一線を画(かく)して異なり、すぐ目の前にやって来るAI時代にそなえて用意すべき、必要・不可欠の、無くてはならない書物となる。
 というのも、『日本国誕生史の証明』によって――白石以前の古代には『魏志倭人伝』に記述された秘密(学問)と歴史上の有名な多数の人々が密接にかかわったことが解明されるからである。
 この解明によって、従来の学者たちが立論した定説や有力説の幾つかに根本的な間違いや空論などが存在することが明らかとなり、日本文化や思想や宗教など多岐(たき)にわたる諸方面の権威(けんい)を示す定説や有力説の間違い・空論が露呈(ろてい)する。
 このため、従来の考えにもとづく産物(映画・小説・演劇・音楽・コンピュータゲームなどのほか、様々な商品や観光事業・市町村のふるさと作り事業・さまざまな産業など)はすぐ目の前にやってくるAI時代では必要ない・無用と排除されることになるにちがいないからである。

◆だから、白石以来300年間も、学者たちの誰一人も予測・予想できなかった真実を発見した『日本国誕生史の証明』は、AI時代を象徴する書物となるにちがいない。

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2019年10月 6日 (日)

#05 邪馬台国説はフェイクであった!

◆漢字は今から約5000年前の中国の五帝時代初頭の黄帝(こうてい)時代に生存した、黄帝につかえた史官の倉頡(そうきつ)は漢字を発明した。
 この「倉頡が漢字を発明した」という伝説は学者たちによって荒唐無稽(こうとうむけい)の話であると断定され、事実ではないと否定された。しかし、倉頡伝説は事実を伝えていた。
 わが国には、中国の最古の漢字音の上古音よりも約1000年前の現存する最古の漢字音、つまり紀元前2070年から紀元前2050年ころの夏代(かだい)初頭に伝来して習得された夏音(かおん)文字の漢字音が残っている。
 中国の現存する上古音よりも古い、現存する最古の漢字音を伝える夏音文字は『魏志倭人伝』に記載される人名・小国名・官職名に用いられる。
 また、夏音文字は『古事記』上巻の随所に〔音〕という注がついて多数残っている。
 「卑弥呼」の3字を「ヒミコ」と読むと、今から約4070年前にわが国が習得した夏音文字の字音で読んでいることになる――最古の漢字音(夏音文字の字音)がわが国の国語として残っている事実は、現在、音韻学(おんいんがく)によって証明されている。

◆邪馬台国論争で名高い『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』は約2000字で構成されている。そのうちの約75%・約1500字は「わが国に夏音文字が伝来し習得された。卑弥呼王朝は倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸を最も強力な政権基盤とした」と説明する。

◆倭女王卑弥呼は、3世紀前半に死亡した。
 3世紀後半に生存した10代崇神(すじん)天皇と崇神天皇の生母は「卑弥呼と同様に、倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学問を最も尊重すべきである」という信念を抱き、皇室(大和朝廷)の基礎を築いた。『日本書紀』の崇神天皇紀は「天皇は天照大御神を倭国の国神として祀って尊重した」と記す。だから、『古事記』上巻と『日本書紀』神代紀では「崇神天皇の母と子(崇神帝)」は「天照大御神」と表記された。
 天照大御神を皇祖として崇拝する皇室は、天照大御神の「倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学問を政権基盤とすれば、大和朝廷は永遠に栄える」という遺勅(ゆいちょく/死後にのこされた勅命)をまもって栄えた。

◆『魏志倭人伝』の約25%・約500字で説明される「倭の小国一番目国の対馬(つしま)国から三十番目国の狗奴(いぬ)国までの、三十ヵ国の小国名」には「倉頡が発明した漢字作成方法」が完全な状態で保存された。
 だから、天照大御神を皇祖と崇拝する皇室は、天照大御神の遺勅に合致する『魏志倭人伝』を皇室が代々栄えて存続するための聖典と定めた。

◆このような秘密があったゆえ、皇室は1725年に死去した新井白石(あらいはくせき)が【誤読を加える論法】で立論した邪馬台国説に激しいショックを受けた。
 皇室は、白石の【誤読の論法の邪馬台国説】は皇祖・天照大御神の遺勅は排除して滅ぼす最悪・最大の災厄(さいやく)、国家と日本人の尊厳を侮辱・冒涜(ぼうとく)して台無しにする最悪・最大の災難であると深刻(しんこく)に考えた。
 だから、白石の死後13年目の1738年、戦国時代から約220年間中断していた大嘗祭(だいじょうさい)を本格に復興することにした。

◆今年(令和元年)1022日の即位礼(そくいれい)・正殿(せいでん)の儀は「倉頡を発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸を最も尊重して存続してきた」と表示する学問儀式である。
 その証拠に、翌1114日の夕方から翌日未明に、天皇が一代で一度だけ臨(のぞ)む大嘗祭に登場する王冠・菅蓋(かんがい)は【天照大御神の遺勅となり、『魏志倭人伝』に記述・保存された倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】を表現する造形作品であり、天皇の頭上高々とさし上げられて掲(かか)げられる。

◆新井白石以来約300年、すべての邪馬台国説は約2000字で構成される『魏志倭人伝』と一ヵ所も関係しない【空理空論】であった。
 朝日新聞は、吉野ケ里遺跡を根拠・理由とする九州邪馬台国説について「邪馬台国が見えてきた」と宣伝し、また纏向(まきむく)遺跡を根拠・理由とする畿内邪馬台国説について「新発見!三世紀王権の中心は奈良盆地東南部にあった」と指摘して近日中に邪馬台国説の決着がつくかのごとく宣伝する。
 しかし、九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は『魏志倭人伝』の記事ときれいサッパリ一ヵ所も関係しない【誤読の空理空論】であった。
 両説とも『魏志倭人伝』とはまったく無関係の、『偽史話尽伝(ぎしわじんでん)』という名のとおりの【虚偽の歴史のみの話に尽()きる空理空論】であったのである。

◆世に名高い邪馬台国説は、今月の1022日におこなわれる即位礼(そくいれい)・正殿(せいでん)の儀と翌1114日夕方から翌日未明に天皇が一代で一度だけ臨(のぞ)む大嘗祭(だいじょうさい)を侮辱し・冒涜(ぼうとく)する【誤読の空論】である。

この事実は、914日に発刊された拙著『日本国誕生史の証明』(ムゲンブックス制作・デザインエッグ発行)にて詳細に具体的に解明し・証明した。
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 だから、拙著『日本国誕生史の証明』は白石の死後約300年目に、最初に『魏志倭人伝』の全記事を正確に解釈した、言いかえると白石から現在までの全邪馬台国説は【誤読の空理空論】・フェイクであったと証明した画期的・記念碑的な書物ということになる。
 この『日本国誕生史の証明』によって、邪馬台国説は【完全なる誤読の論法】であると断定できて、来る人口知能(AI)の時代において「AIに劣る不用人間」という烙印(らくいん)を押されないですみ、「AI時代に必要な人間とされる知恵と生き方」を手に入れることができる。

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2019年10月 5日 (土)

#04 邪馬台国説はフェイクであった!

◆今月・1022日には即位礼(そくいのれい)・正殿(せいでん)の儀が、翌1114日夕方から翌日未明に天皇が一代で一度だけ臨(のぞ)む大嘗祭(だいじょうさい)がおこなわれる。
 世に名高い邪馬台国説は即位礼・正殿の儀と大嘗祭を侮辱し・冒涜(ぼうとく)する【誤読の空論】である。

新井白石(あらいはくせき)の死(1725)以来約300年、学者たちと朝日新聞・NHKなどのメディアはグルになって【誤読の空論の邪馬台国説】を日本中に蔓延(まんえん)・拡散(かくさん)させた。
 この事実は、914日に発刊された拙著『日本国誕生史の証明』(ムゲンブックス制作・デザインエッグ発行)にて詳細に具体的に科学的に証明した。

◆だから、拙著『日本国誕生史の証明』は白石の死後約300年目に、最初に『魏志倭人伝』の全記事を正確に解釈した、言いかえると白石から現在までの全邪馬台国説は【誤読の空理空論】・フェイクであったと証明した画期的・記念碑的な書物ということになる。
 この『日本国誕生史の証明』によって、令和元年914日以降、邪馬台国説は【誤読の論法】で即位礼・正殿の儀と大嘗祭を侮辱して、日本人民の尊厳を冒涜する暴言・暴論ということに転ずる。
 だから、『日本国誕生史の証明』は十数年後には蔵本コレクターによって一冊数千万円、数億円で売買されても不思議でない珍本ということになるにちがいない。
Nihonkokutanjoushinosyoumei

◆『魏志倭人伝』の人名・小国名・官職名と『古事記』上巻の随所に〔音〕という注がついて多数の夏音(かおん)文字が記載されておりーーこの夏音文字は紀元前2070年~紀元前2050年ころに中国からわが国に伝来して習得された原初漢字であった。
 この原初漢字の夏音文字の習得によって、紀元前3000年頃に生存した倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成方法がわが国で保存された。

◆「倉頡が漢字を発明した」と説明した伝説は、学者たちによって荒唐無稽(こうとうむけい)な話と断定された。
 学者たちが倉頡伝説をまったくウソだと断定したため、漢字が起源した中国でも倉頡が発明した事実は証明できなくなった。
 しかし、『魏志倭人伝』の冒頭「倭人は云々(うんぬん)」という記事から「狗奴(くな)国」までの三十の小国名は「10の小国名を3グループに分類して、明確に完璧に倉頡が発明した漢字作成方法を、約25%・約500字」で説明している。

◆学者たちとメディアは日本国民の頭脳を【誤読の論法の邪馬台国説】で占拠(せんきょ)して騙(だま)さんとしているがーー『魏志倭人伝』は邪馬台国探しとはまったく無関係の書物であったのである。

◆『魏志倭人伝』は、下記のごとく構成されている。
 【一】卑弥呼王朝は倉頡が発明した漢字作成方法と、さらに夏音文字の学問を最も強力な政権基盤したと説明する記事が約40%・約800字、
 【二】わが国に夏音文字の学問が伝来・習得されて日本列島に学問が誕生したと説明する記事は約4%・76字、
 【三】「魏の元号・景初(けいしょ)二年六月から倭女王壱与(いよ)が登場して終わるまでの約30%・約600字は日本国(小国・日本)の誕生史について説明している。
 ゆえに、『魏志倭人伝』は約75%・約1500字で「卑弥呼王朝は倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学問を最も強力な権力基盤にした、そして〔愛〕を国家理念にして日本国が誕生した」と説明する書物であった。
 だから白石の【誤読の論法】を受け継いだ邪馬台国説は、約2000字で構成される『魏志倭人伝』の一ヵ所の記事とも関係しない。

1725年に没した新井白石は『魏志倭人伝』に多数の【誤読】を加える論法を考案して、『魏志倭人伝』は邪馬台国の所在地を究明するために存在する書物であると改悪した。
 白石は最初に大和邪馬台国説をデッチあげ、後年に筑後山門(やまと)郡こそ邪馬台国であったとこじつけて九州邪馬台国説を立論した。
 この白石の【誤読の論法の空理空論】に皇室は激しい衝撃(しょうげき)を受け、白石の【誤読の論法の邪馬台国説】は必ず日本国を衰退させ、日本国を破壊し、日本人の尊厳と学問の尊厳を侮辱・冒涜して台無しにすると深刻(しんこく)に憂慮(ゆうりょ)した。
 だから、白石死後13年目の1738年、戦国時代から約220年間中断していた大嘗祭を本格的に復興して皇室は「『魏志倭人伝』に一ヵ所も【誤読】は加えてはならない。『魏志倭人伝』は倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学問を保存する書物である」と表示することにしたのである。

◆したがって、今月の22日の即位礼・正殿の儀と翌1114日夕刻から翌日未明に行われる大嘗祭は『魏志倭人伝』に保存された【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学問と、そして日本国誕生史の秘密】を表示する大祭(たいさい)であったのである。
 白石死後300年の【誤読の産物】も学者たちが立論し続けた邪馬台国説によって大嘗祭は宗教儀式であると断定されるようになってしまったが、大嘗祭の実体は学問儀式であった。
 学者やメディアが最も正しいと主張する吉野ケ里遺跡を根拠・理由とする九州邪馬台国説と、また纏向(まきむく)遺跡・箸墓(はしはか)古墳を根拠・理由とする九州邪馬台国説は、約2000字で構成される『魏志倭人伝』の記事と一ヵ所も関係しない。
 だから、【誤読の論法】で立論する・根も葉もない根拠と理由で主張する九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は【完全なる空理空論】であり、皇室が深刻に心配して大嘗祭を本格的に復興したように、日本国を衰退させ・日本国を破壊し・日本民族の尊厳を侮辱し冒涜する妄想・虚妄(きょもう/デタラメ)であったのである。

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2019年10月 3日 (木)

#03 邪馬台国説はフェイクであった!

◆邪馬台国説は最大にして最悪のフェイク・ウソ八百である!
 1725年に没した新井白石(あらいはくせき)が【誤読】を立論基盤にして、最初「邪馬台国は大和であった」と唱え、後年に「邪馬台国は九州に所在した」と唱えた。
 それからおよそ300年、学者たちは、いまだに相も変わらず新井白石同様に【誤読】を立論基盤にしてナンセンスきわまりない空理空論・妄想(もうそう)を唱えつづけている。
 白石以来約300年、学者の誰一人、邪馬台国説が【完全なる誤読の空論】であることにいまだに気づかない。

◆【誤読】でデッチあげた邪馬台国説は、(1)皇室、(2)日本民族、(3)人類、そして(4)学問、これら4つの尊厳を冒涜(ぼうとく)し否定し・侮蔑(ぶじょく)する。
 邪馬台国説は学問とまったく無関係の戯言(たわごと)である。
 邪馬台国説は、(1)皇室の滅亡をもたらし、(2)日本国が〔愛〕を国家理念にして誕生した世界に誇るべき歴史を奪って日本民族を侮辱し、(3)漢字はじめ、ABCアルファベットのルーツである古代エジプト文字や世界の文字の起源を解明できる学問の門をかたく閉ざして、人類の文化・文明・歴史・理性の出発点である文字の発明の偉業を侮辱する。
 古代エジプト文字は、現代ヨーロッパ文字・現代ペルシア文字・現代アラビア文字・現代ヘブライ文字・現代アムハラ文字のルーツ()である。だから、『魏志倭人伝』は人類が発明した文字の起源が具体的に科学的に解明できる、世界で唯一の貴重な資料であった。

◆邪馬台国説は人類の尊厳を侮辱し、学問の尊厳を侮辱する空理空論・妄想(もうそう)であった。
 拙著『日本国誕生史の証明』は、邪馬台国説が(1)皇室、(2)日本民族、(3)人類、(4)学問の尊厳を侮辱する【誤読の空論】であることを具体的に科学的に証明した。
 白石以来約300年、学者たちの思考は完全に停止し、邪馬台国説が【完全なる誤読の空論】であることに誰一人も気づかない。
 邪馬台国説は、白石死後300年間、学者たちがグルになってデッチあげた妄想である。
 拙著『日本国誕生史の証明』は『魏志倭人伝』に一ヵ所も【誤読】を加えない方法をもって、邪馬台国説が【誤読】でデッチあげた空理空論であることを証明し・暴露(ばくろ)した。
 だから、拙著『日本国誕生史の証明』は蔵本コレクターによって数年後には一冊数千万円、あるいは数億年で売買される貴重な書物になっても不思議でない痛快(つうかい)な珍本ということになる。
Nihonkokutanjoushinosyoumei
◆今月(10)22日に行われる天皇の即位礼(そくいれい)・正殿(せいでん)の儀は「『魏志倭人伝』に1ヵ所も【誤読】を加えることを禁じる。『魏志倭人伝』の全記事を忠実に読解(どっかい)すれば日本民族の尊厳が確保(かくほ)できる」と表示する学問儀式である。
 この「日本民族の尊厳」は、即位礼で用いられる菅蓋(かんがい/スゲで作った天皇の王冠)の意匠(いしょう)で明確に表現される。
 翌11月の14日の夕刻から翌日未明に、天皇陛下が一代で一度だけ臨(のぞ)む大嘗祭(だいじょうさい)もまた『魏志倭人伝』に記述された[]の字源・字形の原形・原義と34の小国名に保存された「漢字作成方法」を演出・表現する学問儀式である。
 『魏志倭人伝』に記述されて保存された「漢字作成方法」は、漢字が起源した中国において、現在、まったく不明となる。
 大嘗祭で表現される「漢字作成方法」と同じ原理で、上記した古代エジプト文字(ヒエログリフ)が作られた。
 これゆえ、地球各地で人類が発明した文字の起源は、『魏志倭人伝』に一ヵ所の【誤読】を加えなければ解明できるにちがいない――この事実は「大嘗祭」の[][]の字源・字形の原形・原義によって解明・証明される。
 学者たちが300年もつづける妄想の邪馬台国説の影響を受けて、現在では大嘗祭と即位礼が「『魏志倭人伝』の全記事は正しい。1ヵ所も【誤読】を加えてはならないと演出する学問儀式」である実体を皇室は見失ったようであるが――『魏志倭人伝』は皇室(大和朝廷)が栄えるために存続基盤となった聖典であった。
 だから、即位礼と大嘗祭は――『魏志倭人伝』に記述されて保存された、今から約5000年前に発明された漢字作成方法を表現する学問儀式であったのである。
 『魏志倭人伝』は「卑弥呼王朝は中国で発明された漢字作成方法を政権基盤とした。女王卑弥呼は邪馬壱(やまい)国に居住した」と記述する書物であった。
 だから、邪馬壱国は存在したが、邪馬台国は学者たちがデッチあげた空想の産物であったのである。
 したがって、邪馬台国説は『魏志倭人伝』とまったく無関係の、【誤読】でデッチあげた虚妄(デタラメ)であったのである。

◆吉野ケ里(よしのがり)遺跡を根拠・理由とする九州邪馬台国と纏向(まきむく)遺跡・箸墓(はしはか)古墳を根拠・理由とする畿内邪馬台国説は、新井白石の【誤読の立論方法】をそのまま受け継ぐ(1)皇室、(2)日本民族、(3)人類、(4)学問の尊厳を根底から侮辱する空想の産物・妄想であった。
 白石以来約300年、【誤読】を加えて立論する意見は最初から空理空論であったと断定すべきであることに、学者たちはいまだにまったく気づいていない。
 学者たちはーー天皇即位礼と大嘗祭を宗教儀式であるーーと思い込む。
 邪馬台国説は、歴史学の原則はじめ真実・事実を知る原理原則を無視した最大・最悪のフェイク・暴言である。

 吉野ケ里遺跡を根拠・理由にして九州邪馬台国説を唱える学者、纏向遺跡・箸墓古墳を根拠・理由にして畿内邪馬台国説を唱える学者は【誤読】を【学問方法】であると信じて疑わない。だから、彼らは「偽(にせ)学者」あるいは「学者もどき」と「ウソつき」と呼ばれても仕方(しかた)がない御仁(ごじん)たちということになる。

◆朝日新聞・NHKテレビはじめとするメディアは「九州説邪馬台国説と畿内邪馬台国説がもっとも正しい」と太鼓判(たいこばん)を押し、日本国中に【誤読の空論のデマ・フェイク】を蔓延(まんえん)・拡散(かくさん)させている。
 九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説を大々的に推奨する朝日新聞は「即位式と大嘗会は宗教儀式である」と断定し、(1)皇室と(2)日本民族と(3)人類と(4)学問の尊厳を侮辱する。
 このような朝日新聞の暴言・暴力・暴挙は許されるべきではない。朝日新聞は空っぽな屁理屈(へりくつ)と言葉によるデマ・フェイクで、日本人から重大な真実を奪っている。
 九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は【誤読】でデッチあげたウソ八百であることは何人にも否定してできない事実である――この事実を暴露した愉快な珍本が拙著『日本国誕生史の証明』である。

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