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2019年10月25日 (金)

#13 邪馬台国説はフェイクであった!

★朝日新聞の「即位礼は憲法に違反する宗教的儀式」という報道は誤報・デマである!

◆令和元年1023日の朝日新聞2面は「即位礼」について「政教分離など憲法上の疑義は将来の課題として残る」と報道した。
 この報道の根底にある朝日新聞の知識は、「即位礼は宗教的儀式である」と断定する学者たちの【誤読の論法】を鵜呑(うの)みにして正しいと思い込む無知・無学である。
 朝日新聞の「即位礼を宗教的知識である」という報道は虚偽・誤報である。
 「即位礼は明確に学問儀式である」という証明は、このブログの#10、#11、#123回で証明してきたが、今回(13)と次回(14)2回に分けておこなう。
 #13と#14のテーマは――朝日新聞の「即位礼における高御座(たかみくら)の中に安置された剣と璽(じ/まが玉)は天孫降臨神話に根ざす宗教的儀式とされるゆえ、政教分離など憲法上の疑義は将来の課題として残る」という報道は虚偽・誤報である――この証明である。

◆要するに、太安万侶(おおのやすまろ)が書いた『古事記』の序(つまり、「古事記上巻 幷()わせて序」)における【歴史解明方法の説明】を、学者たちは排除(はいじょ)・無視する【誤読の論法】をもって「天孫降臨神話は歴史を語るものではない。神話は物語である」と断定する。
 しかし、太安万侶が「古事記上巻 幷わせて序」(『古事記』の序)で説明する【歴史解明方法】にのっとると、天孫降臨神話はじめ『古事記』上巻の全日本神話は古代学問にもとづいて歴史を記述するものであったことが【科学】が成立して証明される。
 だから、即位礼正殿の儀は学問儀式だったのである。

◆【太安万侶が説明した歴史解明方法】のとおりに解明すれば、『古事記』上巻には【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】はじめその後の上古史が記述されていることが明白となる。
 また、九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は約2000字の『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』とまったく無関係の【誤読の空理空論】であり、『魏志倭人伝』は【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸の古代学問】と『古事記』上巻と同じく【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】を記述した文献である事実は――令和元年914日に発刊された拙著『日本国誕生史の証明』(ムゲンブックス制作・エッグデザイン発刊)で詳細に明確に解説し証明した。
 この点に疑問を抱く方は、拙著『日本国誕生史の証明』で確かめていただきたい。
Nihonkokutanjoushinosyoumei
◆江戸時代の学者・新井白石(あらいはくせき/16571725)がとなえた大和邪馬台国説・九州邪馬台国説は約2000字で構成される『魏志倭人伝』の全記事と一ヵ所も関係しない【完全なる誤読の空理空論】である。
 したがって、現在の畿内邪馬台国説と九州邪馬台国説も『魏志倭人伝』と無関係の【完全なる誤読の空理空論】である。
 また、江戸時代の学者・本居宣長(もとおりのりなが/17301801)が著作した注釈書『古事記伝(こじきでん)』も『古事記』の序(古事記上巻 幷わせて序)に記述された歴史解明方法を排除(はいじょ)・無視した【誤読の空論の産物】であった。現在の学者たちは【誤読の産物】の本居宣長の注釈書『古事記伝』をテキストとする。これが原因で、学者たちによって『古事記』上巻の日本神話は「歴史を記述するものではない。物語である」と断定されている。

◆約2000字で構成される『魏志倭人伝』の約500字・約25%の記事は卑弥呼(ひみこ)が治めた倭の30ヵ国の小国名を3グループ・10カ国ずつに分けて、【古代の人々に“漢字の始祖”と崇拝された倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成方法】を整然と説明している。
 倉頡は、約5000年前(紀元前3000年ころ)の中国の五帝時代初頭に生存した黄帝(こうてい)につかえた史官(記録官)である。
 また、『魏志倭人伝』は約400字・約20%の記事は「約4000年前(紀元前2070年ころ~紀元前2050年ころ)の中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)、わが国に原初漢字の夏音(かおん)文字が伝来して習得された」と説明している。
 ゆえに、合計900字・約45%の『魏志倭人伝』の記事は「わが国は夏音文字を習得したゆえ、中国で不明となった倉頡が発明した漢字作成方法を正確に保存することができた。わが国で最初に国家を創設した卑弥呼王朝は倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸を王道政治の政権基盤とした」と説明していることになる。

 『魏志倭人伝』の後半にある「景初二年六月」の記事から倭女王の壱与(いよ)が登場する末部までの約600字・約30%の記事は、下記のごとく説明する。
 ――倭女王・壱与は、『古事記』上巻に登場する13歳で小国・日本(東国)の女王に就任した伊耶那美命(いざなみのみこと)の夏音名(夏音文字の名)であった。
 伊耶那美命・壱与は小国・日本の女王の就任式において「阿那邇夜志愛袁登古袁(あなにやしえをとこを)」という10字の夏音文字の詞(ことば)で「日本国(小国・日本)の国作りの基本を〔愛〕にしましょう」と宣誓した。この【日本建国の〔愛〕の理念】は一気に評判となり、卑弥呼が治める倭国(西日本)の国中に知れ渡った。
 倭女王・卑弥呼は没して大きな墓が造られ、百余人の奴婢(ぬひ/18歳ころの青年と13歳ころの乙女)が殺されて卑弥呼の墓に埋められる徇葬(じゅんそう)がおこなわれた。
 伊耶那美命がとなえた【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する倭国の国中の人民は徇葬を憎悪して武器を持って倭王朝軍と戦った。倭王朝軍は反乱する人民を千余人殺した。
 この大乱(たいらん)に乗じて卑弥呼と素(もと)より不和の狗奴(くな)国が倭国を倒さんと戦争を大々的に仕掛けてきた。
 このため、倭国と倭王朝はにわかに滅亡の危機におちいった。
 卑弥呼の後を継()ぐ男王を大王と倭王朝の面々は「そもそも人民の反乱と狗奴国の襲撃が起きたのは、伊耶那美命がとなえた【日本建国の〔愛〕の理念】が原因である」と非難して、倭国における小国・伊耶(いや)(旧丹波)の出身の伊耶那美命を倭国に帰国させて、大乱を鎮圧(ちんあつ)し狗奴国を討伐(とうばつ)する倭女王に任命すると伊耶那美命に命令した。
 伊耶那美命が倭女王に就任することを知った反乱人民は、〔愛〕の女王・伊耶那美命ならば必ず徇葬は否定して禁止するにちがいないと信頼して武器を捨てたゆえ、倭国は平定された。伊耶那美命は狗奴国討伐に反対し、狗奴国の男王との話し合いで平和的に解決するようにと命じた。
 この倭女王・伊耶那美命の命令に反対する倭王朝は狗奴国討伐を命令する壱与(いよ)の代役に天照大御神を就任させた。

そして、『魏志倭人伝』末部に登場する武将の載斯烏越(そしあお)つまり伊耶那美命の夫の伊耶那岐命(いざなきのみこと/後の第9代開化天皇)を討伐軍の大将に就任させて、狗奴国を滅亡させた。〔注 伊耶那岐命は小国・日本の軍王(いくさのおおきみ)であった〕。
 狗奴国討伐の魔女(巫女王)・壱与の代役に選ばれた天照大御神は、伊耶那美命の第二后(10代崇神天皇の生母)であった。
 「伊耶国出身の桃の花のように美しい女王」と人民に愛称されたゆえ「伊耶那美命」と呼ばれた小国・日本の女王にして倭女王の本名は竹野比売(たかのひめ)であり、伊耶那岐命の正妃である。
 『古事記』中巻の第9代開化天皇紀は「天皇は春日(かすが)の伊耶河宮(いざかわのみや)に住んで天下を治めた」と記述する。開化天皇の居殿「伊耶河宮」の先頭2字は「伊耶那岐命」と「伊耶那美命」の先頭2字「伊耶」に合致する。したがって、伊耶那岐命は後の開化天皇であったことになる。

 中大兄(なかのおおえの)皇子・後の38代天智(てんち)天皇は狗奴国討伐をテーマにして長歌と反歌(はんか)を作った。この長歌と反歌は『万葉集』13番の「大和三山の歌」と14番の短歌となる。
 『万葉集』13番の「中大兄皇子の大和三山の歌」は下記のごとくである。
 「香具山(かぐやま)は 畝傍雄男(うねびをを)しと 耳成(みみなし)と 相争(あいあらそ)ひき 神代(かみよ)より かくにあるらし 古(いにしえ)も しかにあれこそ うつせみも 嬬(つま)を 争ふらしき」
 この長歌を現代語に訳すると「大和の香具山で象徴される伊耶那美命は、畝傍山で象徴される伊耶那岐命(大将となって狗奴国を討伐する夫)は雄男しすぎると嘆(なげ)き、耳成山に象徴される天照大御神と狗奴国討伐について争った。伊耶那美命は平和的に解決すべきであると主張したのに対して、天照大御神は狗奴国を討伐すべきであると主張した。このように、神代の伊耶那岐命の正妃の伊耶那美命と第二后の天照大御神は争った。古代がそうであったように、今も吾と弟の大海人(おおあま)皇子(後の40代天武天皇)は額田王(ぬかだのおおきみ)を妻にしようとして争っている。このように、男女の仲は、昔も今も変わらず争いが絶えない」となる。

◆『古事記』序(古事記上巻 幷わせて序)を書いた太安万侶(おおのやすまろ)は、天照大御神を皇祖とする皇室が「絶対に【日本国誕生史】は後世に伝えてはならない、暴露した者は即刻に死刑する」という厳重な禁忌(きんき/タブー)に逆らって、『古事記』編纂スタッフの『古事記』に仕掛けた企(たくら)みについて説明している。
 『古事記』編纂スタッフが時の朝廷に歯向かって企んだ策略(さくりゃく)を、太安万侶は「古事記上巻 幷わせて序」の冒頭で難解な文章を作って、編纂スタッフと自らが死刑に処せられないように工夫(くふう)して、下記のごとく説明した。
 「わが国は後期縄文時代初頭において夏音文字が中国から伝来した。土器・土偶(どぐう)の芸術革命が花開いた前期縄文と中期縄文と後期縄文までの約2000年にわたる参神造化(さんしんぞうか/縄文三時代の芸術)が生まれた銀河から土器・土偶を作った伝統を受け継ぐ芸術家によって、首(はじめ/後期縄文時代初頭)に夏音文字の学芸が習得された。陰陽斯(いんようここ)に開けて、二霊群品(にれいぐんぴん)の祖(おや)と為()る、つまり陰の伊耶那美命と陽の伊耶那岐命の二霊がわが国の文化はじめすべての生みの親である。」

 [()]の字義は「中国。中国の人」を意味する。この[]の字源となった銀河は天文学では通称「夏の銀河」と呼ばれる。「夏の銀河」は巨大で、南部には「銀河系宇宙の中心」があり、夏の星座と呼ばれる全星座が漬()かる大銀河である。倉頡は[]の字源となった「夏の銀河各部の形状」から漢字作成方法を発明し、中国最初の国家は夏王朝によって創設された。ゆえに、[]は「中国。中国の人」を意味することになった。
 「古事記上巻 幷わせて序」が「参神造化」という語で伝えたように、わが国の前期・中期・後期縄文時代の参時代の土器・土偶の芸術(造化)も「夏の銀河各部の形状」から作られた。だから、わが国では後期縄文時代初頭(参神造化の首)、倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸は後期縄文時代初頭の芸術家たちによって習得されたのである。
 太安万侶は冒頭の「陰陽斯に開けて、二霊群品の祖と為る」という書き下し文は、「陰陽斯開 二霊為群品之祖」という11字をもって表記される。この11字の記事は「『古事記』は大和朝廷の基礎を築いた皇祖・天照大御神(10代崇神天皇とその生母)を賞賛するための書物ではない。伊耶那美命と伊耶那岐命を賞賛するために著作した歴史書である」と説明するものであった。
 ゆえに、太安万侶は「陰陽斯に〔開〕けて、二霊群品の祖と〔化()〕る」と書きたかったのではあるまいか。この文にすれば「開化」となって「第10代開化天皇が伊耶那岐命、開化帝の正妃の竹野比売は伊耶那美命であった」と伝えることができる。しかし、この文だと『古事記』上巻に仕掛けた【日本建国の〔愛〕の理念】と【日本国誕生史】を後世に伝える企みが見破られ、編纂スタッフも自分も死刑にされるゆえ、「なる」の字を[]にして[]にしなかったのであるまいか。
 太安万侶は『古事記』の序を「古事記上巻 幷わせて序」と表記し、「『古事記』は上巻・中巻・下巻の三巻で構成されるが、『古事記』の序は上巻だけに限る序であって、中巻と下巻の序ではない」と伝えている。
 『古事記』上巻の随所には〔音〕という注がつく「夏音文字の語」が記載される。この「夏音文字の字源・字形・字義を夏の銀河各部の形状に変換すれば上巻に記述された歴史は解明できる」と上巻の歴史解明方法を後世に伝えるために、太安万侶は「古事記上巻 幷わせて序」と表記したのである。

 太安万侶は「古事記上巻 幷わせて序」の末部で「辞理(じり)の見えがたき」はいう文を挿入して「辞(ことばと文字)には夏の銀河の形状から作られた原理、つまり倉頡が発明した漢字作成方法がある。これゆえ、上巻の辞が見えがたき(理解できない)ときには、夏の銀河を見ると理解できる」と説明している。
 そして太安万侶は「楷書〔日下(にちげ)〕と夏音文字〔玖沙訶(くさか)〕は同義であり、楷書〔帯(たい)〕と夏音文字の〔多羅斯(たらし)〕は同義である」と記述する。
 この文は「楷書と夏音文字は、共に夏の銀河各部の形状から作られた。したがって、楷書の辞と夏音文字の辞は同義となるのである。これゆえ、上巻の随所に〔音〕という注をつけて夏音文字を多数記載して、夏音文字の表記する記号となる楷書の字源・字形・字義を夏の銀河各部の形状に変換して、夏音文字の字と語を解釈すれば上巻に記述された上古史が鮮烈に明確に甦(よみがえ)る」と太安万侶は、『古事記』編纂スタッフが企(くわだ)てた歴史解明方法の謀略を説明したのである。
 以上のごとくであったゆえ、「夏の銀河」は「文字作成銀河」であったことになる。
 「銀河」の別名は「銀漢」あるいは「天漢」である。「銀漢から作られた字」を略して「漢字」と称されることになった。
 だから、楷書と夏音文字はじめ全漢字は倉頡が発明した漢字作成方法にのっとって銀漢・文字作成銀河各部の形状から作られたのである。

◆太安万侶が「古事記上巻 幷わせて序」で説明したように、『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付く多数の夏音文字の語の用いられる楷書の字源・字形・字義を文字作成銀河(夏の銀河)各部の形状に変換すると、歴史が解明できる。
 太安万侶が「古事記上巻 幷わせて序」で説明する【歴史解明方法】は【文字作成銀河各部の形状は漢字(夏音文字と楷書)の字源・字形・字義となった倉頡が発明した漢字作成方法を基盤とする学問】であったのである。
 したがって、即位礼正殿の儀は【倉頡が発明した漢字作成方法にのっとって、文字作成銀河各部の形状は漢字(夏音文字と楷書)の字源・字形・字義となった学問をあらわす儀式】であったのである。
 だから、朝日新聞の令和元年1023日の「即位礼は宗教的儀式であるから、政教分離など憲法上の疑義は将来の課題として残る」という報道は誤報・デマであったことになる。

◆同日の夜、テレビではお笑いコンビ「チュートリアル」の徳井義実氏が12千万円の申告洩れを東京国政局から指摘されたという事件を報道していた。徳井氏は「自らの想像を絶するだらしなさによって、所得を申告していなかった」と弁解していた。
 朝日新聞の即位礼正殿の儀の報道もまた想像を絶するだらしなさによる、学者たちの【誤読の論法】を鵜呑(うの)みにする報道機関がはたすべき責務に違反する怠慢(たいまん)が原因ということになる。
 邪馬台国説と日本神話虚構説を主張する学者たちの【誤読の論法】は明らかに「科学における不正行為」である。
 報道機関は「科学における不正行為」を世界中に知れ渡るようにする使命と責務を背負っている。
 朝日新聞は学者たちの【誤読の論法】を鵜呑みにして「即位礼正殿の儀は宗教的儀式の疑いがある」と報道する。この報道は朝日新聞の報道機関としての使命と責務をはたさない想像を絶する怠慢による誤報・デマということになる。

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