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2019年10月 5日 (土)

#04 邪馬台国説はフェイクであった!

◆今月・1022日には即位礼(そくいのれい)・正殿(せいでん)の儀が、翌1114日夕方から翌日未明に天皇が一代で一度だけ臨(のぞ)む大嘗祭(だいじょうさい)がおこなわれる。
 世に名高い邪馬台国説は即位礼・正殿の儀と大嘗祭を侮辱し・冒涜(ぼうとく)する【誤読の空論】である。

新井白石(あらいはくせき)の死(1725)以来約300年、学者たちと朝日新聞・NHKなどのメディアはグルになって【誤読の空論の邪馬台国説】を日本中に蔓延(まんえん)・拡散(かくさん)させた。
 この事実は、914日に発刊された拙著『日本国誕生史の証明』(ムゲンブックス制作・デザインエッグ発行)にて詳細に具体的に科学的に証明した。

◆だから、拙著『日本国誕生史の証明』は白石の死後約300年目に、最初に『魏志倭人伝』の全記事を正確に解釈した、言いかえると白石から現在までの全邪馬台国説は【誤読の空理空論】・フェイクであったと証明した画期的・記念碑的な書物ということになる。
 この『日本国誕生史の証明』によって、令和元年914日以降、邪馬台国説は【誤読の論法】で即位礼・正殿の儀と大嘗祭を侮辱して、日本人民の尊厳を冒涜する暴言・暴論ということに転ずる。
 だから、『日本国誕生史の証明』は十数年後には蔵本コレクターによって一冊数千万円、数億円で売買されても不思議でない珍本ということになるにちがいない。
Nihonkokutanjoushinosyoumei

◆『魏志倭人伝』の人名・小国名・官職名と『古事記』上巻の随所に〔音〕という注がついて多数の夏音(かおん)文字が記載されておりーーこの夏音文字は紀元前2070年~紀元前2050年ころに中国からわが国に伝来して習得された原初漢字であった。
 この原初漢字の夏音文字の習得によって、紀元前3000年頃に生存した倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成方法がわが国で保存された。

◆「倉頡が漢字を発明した」と説明した伝説は、学者たちによって荒唐無稽(こうとうむけい)な話と断定された。
 学者たちが倉頡伝説をまったくウソだと断定したため、漢字が起源した中国でも倉頡が発明した事実は証明できなくなった。
 しかし、『魏志倭人伝』の冒頭「倭人は云々(うんぬん)」という記事から「狗奴(くな)国」までの三十の小国名は「10の小国名を3グループに分類して、明確に完璧に倉頡が発明した漢字作成方法を、約25%・約500字」で説明している。

◆学者たちとメディアは日本国民の頭脳を【誤読の論法の邪馬台国説】で占拠(せんきょ)して騙(だま)さんとしているがーー『魏志倭人伝』は邪馬台国探しとはまったく無関係の書物であったのである。

◆『魏志倭人伝』は、下記のごとく構成されている。
 【一】卑弥呼王朝は倉頡が発明した漢字作成方法と、さらに夏音文字の学問を最も強力な政権基盤したと説明する記事が約40%・約800字、
 【二】わが国に夏音文字の学問が伝来・習得されて日本列島に学問が誕生したと説明する記事は約4%・76字、
 【三】「魏の元号・景初(けいしょ)二年六月から倭女王壱与(いよ)が登場して終わるまでの約30%・約600字は日本国(小国・日本)の誕生史について説明している。
 ゆえに、『魏志倭人伝』は約75%・約1500字で「卑弥呼王朝は倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学問を最も強力な権力基盤にした、そして〔愛〕を国家理念にして日本国が誕生した」と説明する書物であった。
 だから白石の【誤読の論法】を受け継いだ邪馬台国説は、約2000字で構成される『魏志倭人伝』の一ヵ所の記事とも関係しない。

1725年に没した新井白石は『魏志倭人伝』に多数の【誤読】を加える論法を考案して、『魏志倭人伝』は邪馬台国の所在地を究明するために存在する書物であると改悪した。
 白石は最初に大和邪馬台国説をデッチあげ、後年に筑後山門(やまと)郡こそ邪馬台国であったとこじつけて九州邪馬台国説を立論した。
 この白石の【誤読の論法の空理空論】に皇室は激しい衝撃(しょうげき)を受け、白石の【誤読の論法の邪馬台国説】は必ず日本国を衰退させ、日本国を破壊し、日本人の尊厳と学問の尊厳を侮辱・冒涜して台無しにすると深刻(しんこく)に憂慮(ゆうりょ)した。
 だから、白石死後13年目の1738年、戦国時代から約220年間中断していた大嘗祭を本格的に復興して皇室は「『魏志倭人伝』に一ヵ所も【誤読】は加えてはならない。『魏志倭人伝』は倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学問を保存する書物である」と表示することにしたのである。

◆したがって、今月の22日の即位礼・正殿の儀と翌1114日夕刻から翌日未明に行われる大嘗祭は『魏志倭人伝』に保存された【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学問と、そして日本国誕生史の秘密】を表示する大祭(たいさい)であったのである。
 白石死後300年の【誤読の産物】も学者たちが立論し続けた邪馬台国説によって大嘗祭は宗教儀式であると断定されるようになってしまったが、大嘗祭の実体は学問儀式であった。
 学者やメディアが最も正しいと主張する吉野ケ里遺跡を根拠・理由とする九州邪馬台国説と、また纏向(まきむく)遺跡・箸墓(はしはか)古墳を根拠・理由とする九州邪馬台国説は、約2000字で構成される『魏志倭人伝』の記事と一ヵ所も関係しない。
 だから、【誤読の論法】で立論する・根も葉もない根拠と理由で主張する九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は【完全なる空理空論】であり、皇室が深刻に心配して大嘗祭を本格的に復興したように、日本国を衰退させ・日本国を破壊し・日本民族の尊厳を侮辱し冒涜する妄想・虚妄(きょもう/デタラメ)であったのである。

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