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2019年10月28日 (月)

#15 邪馬台国説はフェイクであった!

★即位礼と大嘗祭は宗教儀式ではあらず、明確に学問儀式である

◆令和元年の1022日におこなわれた即位礼正殿の儀と翌1114日の夕刻から翌日未明におこなわれる大嘗祭(だいじょうさい)について、朝日新聞は「宗教的儀式であるから、政教分離など憲法上の疑義は将来の課題として残る」と報道する。
 この朝日新聞の報道は明確に誤報・デマ・フェイク(虚偽報道)である。
 朝日新聞の誤報の原因は、このブログが前回(14)まで解説してきたように【学者たちの誤読の空論の邪馬台国説と日本神話虚構説】を鵜呑(うの)みにする無知・無学である。

◆江戸中期・17世紀~18世紀に生存した新井白石(あらいはくせき)以来300年、最も正しいと信じられている九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は【誤読の空論】である。
 また江戸時代の18世紀に生存した本居宣長(もとおりのりなが)が著わした注釈書『古事記伝』にもとづいて学者たちが立論する日本神話虚構(きょこう)説も【誤読の空論】である。
 したがって、国民的常識の【九州邪馬台国説・畿内邪馬台国説と日本神話虚構説】は「科学における不正行為」を犯(おか)している。報道機関は「科学における不正行為」を世界中に知れ渡るようにしなければならない使命と責務を負っている。
 20年前(2000年において)、藤村新一が30年ほど前から発見していた旧石器の発見は捏造(ねつぞう)であったことが暴露され、この旧石器発掘捏造事件は報道機関によって世界中に報道された、わが国を代表する「科学における不正行為」である。
 だから、朝日新聞の「即位礼と大嘗祭は宗教儀式である」と主張する報道は、【科学における不正行為を犯す邪馬台国説と日本神話虚構説】を日本中に蔓延(まんえん)・拡散(かくさん)させて真実を隠蔽(いんぺい)する事件ということにななる。したがって、朝日新聞は報道機関本来の使命・責務にそむき、倫理(りんり)にも違反している。
 朝日新聞は率先(そっせん)して、日本中はもちろん世界中に「邪馬台国説と日本神話虚構説は【科学】が成立しない不正行為を犯している」と報道しなければならないはずである。

◆令和元年914日に発刊された拙著『日本国誕生史の証明』(ムゲンブックス制作・エッグデザイン発刊)では、【九州邪馬台国説・畿内邪馬台国説と日本神話虚構説は完全なる誤読の空論】である実体を、詳細に具体的に【科学】が成立するように解説して証明した。
この点に疑問を抱く方は、拙著『日本国誕生史の証明』で確かめていただきたい。
Nihonkokutanjoushinosyoumei
◆【誤読の論法の邪馬台国説と日本神話虚構説】を鵜呑みにする朝日新聞は――日本神話は歴史ではなく、神道(しんとう)について語る物語である。即位式と大嘗祭は日本神話・神道(宗教)をあらわす儀式であるゆえ、即位式と大嘗祭は宗教儀式である――と思い込む。
 しかし、日本神話は【古代学問】と【日本国(小国・日本)誕生史とその後の歴史(上古史)】を説明する記録であった。だから、令和元年におこなわれる即位式と大嘗祭は【古代学問と日本国誕生史】を現在に伝える学問儀式であるゆえ、断じて宗教的儀式ではない。

◆このブログで幾度もくりかえすように、倭女王卑弥呼が登場することで有名な『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』は3世紀後半(280289)に著作されたが――即位式と大嘗祭で表示される【古代学問】と【日本国誕生史】ついて下記のごとく説明している。
 約2000字で構成される『魏志倭人伝』の(1)25%・約500字は【倉頡が発明した漢字作成方法】について説明する。倉頡は紀元前3000年ころの五帝時代初頭の黄帝(こうてい)につかえた史官(記録官)である。(2)20%・約400字の記事で「倭国には【夏音文字の学芸】が存在した。夏音文字は中国の後漢時代と三国時代に用いられた楷書で表記されるが、夏音文字も楷書も倉頡が発明した漢字作成方法にのっとって銀河から作られた。漢字が作られた銀河は、天文学では【夏の銀河】と称される、「夏の星座」と呼ばれる全星座が漬()かる巨大な銀河である。倭の伊都(いと)国の港では夏音文字と魏政府・帯方郡と諸韓国が用いる楷書で書く文書を点検し、確認して差錯(ささく/相違)しないように正しく変換できた」と説明している。
 したがって、(1)(2)の合計約900字・約45%の記事は【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】、つまり令和元年の秋におこなわれる即位式と大嘗祭で表示される【古代学問】について説明していることになる。
 また(3)30%・約600字の記事は【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】について説明する。
 (4)残る約25%・約500字の記事は倭国の風俗や産物や動植物の生息状況などを説明する。
 ゆえに、国民的常識となる九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は約2000字の『魏志倭人伝』の全記事と一ヵ所も合致しない【完全なる誤読の空論】である。
 
◆『魏志倭人伝』に記述された【夏音文字の学芸】について、万葉時代の712年に成立した『古事記』の序(「古事記上巻 幷()わせて序」)の冒頭記事は下記のごとく説明する。
 「わが国は紀元前2070年ころ~紀元前2050年ころの中国の夏代(かだい)初頭・わが国の後期縄文時代初頭、中国から原初漢字の夏音文字の学芸が伝来し習得された。夏音文字は倉頡が発明した漢字作成方法にのっとって、【夏の銀河各部の形状】から作られた。わが国の前期・中期・後期縄文時代の土器・土偶(どぐう)もまた、倉頡が漢字を作った【夏の銀河各部の形状】から造られた。前期縄文時代初頭から後期縄文初頭までの約2000年間の土器・土偶を造る芸術の伝統・知識に精通(せいつう)する後期縄文時代初頭の芸術家たちによって、【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】が習得された。」

 そして「古事記上巻 幷わせて序」末部の記事にて【夏音文字と、夏音文字を表記する文字に用いられた楷書(表音文字)】について下記のごとく説明する。
 「楷書と夏音文字であらわす辞(ことばと文字)が理解できない場合は、〔音〕という注が付く夏音文字と夏音文字を表記する音符となる楷書が作られた【辞理(じり)、つまりは辞(ことばと文字)の原理となる夏の銀河】を見れば明らかになるような仕組みにした。楷書と夏音文字は共に【夏の銀河各部の形状】から作られたゆえ、楷書〔日下(にちげ)〕は夏音文字〔玖沙訶(くさか)〕と同義となり、楷書〔帯(たい)〕は夏音文字〔多羅斯(たらし)〕と同義となる。」

◆太安万侶(おおのやすまろ)が書いた『古事記』の序は「古事記上巻 幷わせて序」と表記された。というのも、『古事記』は上巻・中巻・下巻の三巻で構成されたが――、『古事記』上巻の随所に〔音〕という注がつく夏音文字の語に【歴史解明方法】が仕組まれていたからであった。
 皇室が至上神と崇拝する先祖は、天照大御神である。
 皇祖・天照大御神(3世紀後半に生存した第10代崇神天皇とその生母)の遺勅(ゆいちょく/死後にのこされた勅命)は――皇室が永らく存続するためには、【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】を政権基盤にして滅びないようにしてまもり、この学問を皇室と国家が独占管理して厳重に機密を保持(ほじ)せよ。人民が最も尊重する【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】は革命に利用されて皇室と国家を滅ぼす危険思想であるゆえ、絶対に後世に伝えてはならない。皇室は代々、【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】の抹殺(まっさつ)・消滅につとめなければならない」であった。
 『古事記』編纂(へんさん)スタッフは天照大御神の遺勅に逆(さか)らって、『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命神話に【日本国(小国・日本)誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】を記述することにした。この反逆は天照大御神の遺勅にもとづき皇室と国家を崩壊する死刑と決められた大罪(たいざい)であった。
 だから、死刑をまぬがれるために【夏音文字を表記する楷書各字の字源・字形・字義を夏の銀河各部の形状に変換すれば歴史が解明できる方法】を企(たくら)み――つまり、【日本神話の各記事を慎重(しんちょう)に注意深く思索(しさく)して読めば歴史を解明することができるが、各記事の表層だけをとらえて粗雑(そざつ)に読解(どっかい)すると歴史を解明できず物語となる方法】を編纂スタッフは企んで、『古事記』を献上(けんじょう)する時の天皇を騙(だま)して正史(せいし)にしょうとしたが失敗した。
 このような事情であったゆえ、太安万侶は「上巻の随所に〔音〕という注が付く夏音文字の語に用いられる楷書各字の字源・字形・字義を【夏の銀河各部の形状】に変換すれば歴史が解明できる方法」の企み(仕掛け)が察知できるように、「『古事記』上巻の序」を「古事記上巻 幷わせて序」と題して、きわめて特殊の序としたのである。
 したがって、【編纂スタッフの企み】にもとづき、夏音文字は『古事記』上巻のみに〔音〕という注が付けられ、この夏音文字の音符(表音文字)となる楷書の各字の字源・字形・字義を【夏の銀河各部の形状】に変換すれば歴史が解明できる仕組みになっている。

この「古事記上巻 幷わせて序」が説明する歴史解明方法の存在に、注釈書『古事記伝』を著作した本居宣長は気づかなかった。このため、『古事記伝』と同じく「古事記上巻 幷わせて序」が説明する歴史解明方法を読解できない今日の学者たちは「『古事記』上巻の日本神話は歴史を語るものではない。日本神話の物語である」という【誤読の空論】にとりつかれている。

◆老子(ろうし)は道教(どうきょう)を説き、孔子(こうし)は儒教(じゅきょう)を説いた。
 老子は孔子(紀元前552~紀元前479)と同時代に生存し、しかも老子は孔子より年上であったが、老子は孔子より約100年後の紀元前4世紀にも生存したと伝わる。つまり、老子は孔子と同時代を生存した初代だけでなく、二代老子、三代老子が道教を受け継いだと考えるべきことになる。
 老子の教え(道教)を書く書物は『老子』。『老子』は37章の上篇(道経)と、44章の下篇(徳経)で構成される。37章からなる『老子』上篇(道経)は「漢字は【夏の銀河】から漢字は作られた」と暴露する書物であった。
 漢字が起源した中国においてももちろん、「漢字が【夏の銀河】から作られた知識」を反体制側が手に入れると、革命に利用されて容易に国家と王朝が崩壊する可能性は大であった。だから、国家と王朝は独占管理して厳重に機密を保持(ほじ)して、「漢字が【夏の銀河】から作られた秘密」を暴露する者は死刑と定められていた。
 これゆえ、司馬遷(しばせん)著『史記(しき)』は老子を「喪家(そうけ)の狗(いぬ)」つまり「漢字は【夏の銀河】から作られた事実を暴露して国家と王朝を滅ぼすと定められた大罪を犯す老子は、役人につかまって死刑となるのを恐れて頻繁(ひんぱん)に住居を変える宿無し犬であった」と伝えている。

孔子が弟子に教えを説いた『論語(ろんご)』には「子曰(しいわ)く、我に数年を加()し、五十にして以(もっ)て易(えき)を学べば、以て大過(たいか)なかるべし」という文がある。したがって、孔子は「紀元前4000年ころの三皇(さんこう)時代初頭、易に用いた記号を考案した包犧氏(ほうぎし)が漢字を発明した。我に年齢が加えられて五十歳を過ぎたならば死が近づき命を惜しまなくてもよくなるゆえ、朝廷と国家を滅ぼす大罪と定められて死刑となると決められる易から起源した文字を研究しても大きな過(あやま)ちにならない」と誤った意見を弟子たちに説いていたことになる。
 包犧氏は易を作ったが、漢字を作らなかった。漢字を作ったのは包犧氏より約1000年後に生存した倉頡であった。孔子は「五十歳以上になれば命を惜しむ必要がないので死刑と定められている文字の起源を学んでもよい」と弟子たちに説いていたように、孔子は「漢字は包犧氏が発明した」と誤った考えを有していたのである。
 また、孔子の「我に数年を加し、五十にして以て易を学べば、以て大過なかるべし」という意見は、若き日から「漢字は銀河から作られた」と暴露して日々役人に追われる老子を「命を粗末(そまつ)にする愚者(おろかもの)」と批判したことになる。
 だから老子は怒り、孔子が説く道徳とか礼法は世の中を混乱にみちびく最大の原因であり、そして「漢字は易から起源した」という意見は、『老子』第二十章にて「虚偽・虚妄(きょもう/デタラメ)である」と批判した。 


◆『老子』第二十章は、下記のごとくである。ただし、(中略)と記した箇所は〔使用頻度(しようひんど)が少ない文字〕を用いているゆえ、ブログで出力するに困難と字となるゆえ、書き下し文では(中略)とし、現代語訳では( )の中に現代語訳を記述することにした。

 「学を絶てば憂(うれ)い無し。唯()と阿()と、相()い去ること幾何(いくばく)ぞ。善と悪と、相い去ること何若(いかん)。人の畏(おそ)るる所は畏れざるべからず。荒(こう)としてそれ未(いま)だ央()きざるかな。衆人(しゅうじん)は煕煕(きき)として、太牢(たいろう)を享()くるが如(ごと)く。春、台に登るが如し。我れ独(ひと)り泊(はく)としてそれ未だ兆(きざ)さず。嬰児(えいじ)の未だ孩(わら)わざるが如し。(中略)。衆人は皆()な以(もち)うる有りて、我れ独り頑(がん)にして鄙()に似る。我れ独り人に異(こと)なりて食母(しょくぼ)を貴(たっと)ぶ。」

 上記の『老子』第二十章の書き下し文を現代語に訳すると、次のごとくなる。
 「銀河から文字が作られた学問をやめてしまえば死刑になると心配する必要はない。孔子の教えにおいて、唯(ハイ)と答えるのを阿()と返事するとのあいだには、どれほどの差があるというのだ。孔子の善と悪との教えにはどのような違いがあるというのだ。孔子は、我は命を粗末にする愚か者であると批判するが、我は人が畏れる死刑を畏れざるべからずなんて強がることはできないから、宿無しの逃亡生活を続ける。我は荒涼(こうりょう)として当所(あてど)なく、頻繁に住居を変える逃亡者である。孔子はじめ世間の人々は浮き浮きとして、まるで大盤(おおばん)ふるまいを受ける招待客や、春の日に高台(たかだい)に登る物見客(ものみきゃく)のごとく楽しく生きる。けれども、我れ独りひっそりとして心から喜ぶことができずに暮らしている。我は、いまだ笑うことを知らない嬰児のごとくである。(我は元気なく疲れた宿無し犬のごとくである。世間の人々はみな裕福なのに、我れ独り貧乏である。我は愚か者だよ、我の心はのろのろと間が抜けている。世間の人々はハキハキしているのに、我れ独りだけうすぼんやりとしている。世間の人は明快に割り切って悩まないが、我れ独り悶々(もんもん)と悩んでいる。ゆらゆらとした海のようにたゆたい、ヒューッと吹きすぎる風のようにあてどなくさすらっている)。世間の人々はみな有能なのに、我れ独り頑固(がんこ)で融通(ゆうずう)がきかない田舎者(いなかもの/つまり、銀河各部の形状がよく見える燈火の少ない人里離れた田舎で過ごす者)に似た生活を送る。我れ独り人々と異なって、漢字が銀河から作られた学問を貴(とうと)ぶ食母(見捨てれば死んでゆく子のごとき学問の状況に乳を与えてまもる乳母)となって生きている。」

◆漢字を発明した倉頡がつかえた黄帝の軍は、中国各地に遠征した。
 倉頡が黄帝の遠征とともに行動した五帝時代初頭はじめその後の孔子・老子が生存した周代まで、中国の国土の天頂(てんちょう)にめぐってきた銀河は【夏の銀河の北端】となる【(1)()乳房と()子を宿す丸くふくらんだ腹部と()子宮に相当する箇所〕がある妊婦の姿に相似する銀河と、その西隣の(2)嬰児や胎児の姿に相似する銀河】であった。
 ただし、【子(嬰児や胎児)の姿に相似する銀河のうち、生母や乳母の乳房にむかって口をあけて孩う(笑う)子の横顔に相似する銀河】だけが中国各地の天頂にめぐってきた。【子の姿に似る銀河のうちの胸部から下の下半身】は中国各地の天頂の北側を通過した。
 倉頡は中国各地の天頂にめぐってくる【妊婦の姿に相似する銀河】を【夏の銀河各部の形状から作る全漢字を生む母体】に見立てて[][]の字源・字形・字義となると定め、【子(嬰児や胎児)の姿に相似する銀河】を【母親から生まれる子ども】に見立てて[][]の字源・字形・字義をあらわすと定めた。
 この[文・天][子・字]の作字は、【倉頡が発明した漢字作成方法】のうちの【漢字作成原理】、つまり【母体から子どもが生まれるように、妊婦の姿に似る銀河を全漢字を生む母体に見立てて、この母体から子が生まれるように漢字を作れば多数の漢字を生み出す(作成する)ことができるという原理】をあらわした。
 その後、倉頡は「食べる(食料となる)穀物」や「イネ」を意味する[()]の字など、幾つかの基本字を作った。
 さらに、倉頡は【妊婦の姿に似る銀河で子宮に相当する銀河】を[]の字源・字形・字義と定めた。【妊婦の姿に似る銀河】は[]字形であるから[]の字源・字形・字義と定め、【妊婦の姿に似る銀河で子宮に相当する銀河部】も「大きくなければ全漢字を生むことができない」ゆえ、【妊婦の姿に似る銀河で子宮に相当する銀河部】を[][]が加わる「一大と定義した。
 この「一大」の定義にもとづき、「字となる一ヵ所の銀河部は一字のみに限定せず、その銀河部の形状イメージにもとづいて多数の字となってもよい。一すなわち多、多すなわち一とする【一即多、多即一】」という理論を考案して、倉頡は漢字作成方法を発明した。

 ゆえに、『老子』第二十章に登場する「嬰児の未だ孩(わら)わざるがごとし」という文は、老子の貧窮状況だけを表現するものではなく、「【倉頡が発明した漢字作成方法】は母乳がほとんど与えられずに骨が浮き出してやせこけた、孩(わら)いを失った乳児のごとく、中国では見捨てられて消滅する寸前である」と表現していることになる。
 『老子』第二十章の最後に登場する語「食母」は【妊婦の姿に似る銀河】を[]に見立て、【妊婦の姿に似る銀河の右足=妊婦のおなか=妊婦の乳房に観える銀河部】を倉頡が考案した[禾](食料となる稲・麦などの穀物の穂)に見立てて、【子の姿に似る銀河の横顔における、孩って開いた口】を「食べる口」に見立てて、老子は「食母」と表現した。この「食母」のイメージ銀河部は「乳を飲む子の口」にも観えるゆえ、「食母」は「乳母」と解釈されている。
 『老子』第二十章最後の「我れ独り人と異なりて食母を貴ぶ」という文は「我れ独り人と異なって見捨てれば滅びて失われてしまう【倉頡が発明した漢字作成方法】を守っている状況を悲嘆して憂える様子」をあらわしている。
 だから、『老子』第二十章の冒頭の「学を絶てば憂い無し」という文が明確に示すように、老子は「【倉頡が発明した漢字作成方法】は学(学問)」であったのである。
 「老子」と言えば『老子』第三十三章いか幾つかの章に登場する「知足(ちそく)」という思想が有名である。この「知足」は「知識」の[]に【妊婦の姿に似る銀河の右足】が字源となる[]が加わって「知足」という語になった。
 したがって、「知足」も[]の字源をあらわし「学問」を意味した。

◆【妊婦の姿に似る銀河で子宮に相当する銀河部】は「知足」の[]の字源となる【妊婦の姿に似る銀河の乳房に観える銀河部】と重なる。
 そして、【子(嬰児・乳児)の姿に似る銀河の横顔の口に観える銀河部】は【妊婦の姿に似る銀河の乳房に観える銀河部】を「嘗()める」ように観えるゆえ[]の字源となった。
 上記したように、【妊婦の姿に似る銀河】と【妊婦の姿に似る銀河で子宮に相当する銀河部】は共に[]の字源銀河であった。ゆえに、[][][]が加わる「大嘗祭」の語源は「知足」の語源となる銀河であり、[]の字源銀河であった。
 ゆえに、令和元年1114日夕方から翌日未明に、天皇が1代で1度だけ臨む大嘗祭は『老子』第二十章が冒頭で「学」と表現した【倉頡が発明した漢字作成方法】をあらわす儀式であったことになる。
 だから、朝日新聞の「大嘗祭は宗教的儀式である」という報道は誤報・デマ・フェイクであることは明白なる事実である。

◆約2000字で構成される『魏志倭人伝』は老子・孔子が生存した周代より約700年後においても、約25%・約500字の記事、つまり『魏志倭人伝』冒頭の「倭人は、帯方の東南、大海の中に在り」という文から30ヵ国の小国記事の最後となる狗奴(くな)国について説明するまでの記事をもって――「卑弥呼王朝は[]の字源と30ヵ国の小国名をもって【倉頡が発明した漢字作成方法】を完全保存していた」と証言する。
 老子は知っていたが、孔子は知らなかった【倉頡が発明した漢字作成方法】をあらわす学問儀式を、老子・孔子より約2500年後の令和元年の秋、皇室は即位式と大嘗祭にてとりおこなう。
 だから、朝日新聞の「即位式と大嘗祭は宗教的儀式である」という誤報・デマは断じてゆるされるものではない。

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