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2019年11月19日 (火)

大嘗祭は学問儀式であって、宗教的儀式ではない・2

★#2・大嘗祭に【白く輝く、天皇陛下の供饌の儀の銀河】

◆令和元年1114日の夕方6時半から翌15日の午前4時ごろに終わる大嘗祭(だいじょうさい)を報道した全テレビ局・全新聞社は、学者たちの「大嘗祭は宗教的儀式である」と主張する空想・幻想を信じて誤報・虚報を報道して大失敗した。
 というのも、大嘗祭が始まる午後6時半、大嘗宮(だいじょうきゅう)の真上に(高度60度~90度の天頂にかけて)【天皇陛下の供饌の儀でおこなう所作ソックリの銀河】が存在したからである。この【天皇陛下の供饌の儀の銀河】は大嘗祭の本質と実体を明確に示した。つまり、大嘗祭は学問儀式であって、宗教的儀式ではなかった。
 だから、テレビ局各社はテレビの画面に――大嘗祭が始まる午後6時半の【天皇陛下の供饌の儀の銀河】が、大嘗祭が終了する翌15日午前4時ころに北北西の地平線に没するまでの運行の様子――を映せば、国民は「大嘗祭は宗教的儀式である」という意見が空想・幻想であることを察知した。だから、全テレビ局の大嘗祭の報道は大失敗したことになる。

 同様に、新聞社各社も【天皇陛下の供饌の儀でおこなう、供饌からお供え物を三つずつ選んで小皿に入れる合計1000回余も丁寧(ていねい)に繰り返して行う所作の銀河】の形と運行の様子を示す図を掲載すれば、国民は「大嘗祭は宗教的儀式である」と主張する学者たちの意見は空想・幻想であることを察知することができた。

◆各テレビ局・各新聞社は「大嘗祭は、天皇陛下が新米などを神々に供え、五穀豊穣(ごこくほうじょう)と国家安寧(こっかあんねい)を祈る儀式である」と報道した。
 ゆえに、賢明な国民は「大嘗祭でおこなった天皇陛下の供饌の儀の様子」から「大嘗祭は五穀豊穣の儀式である」と何となく推測したにちがいない。
 この推測は正しく、天皇陛下の「供饌からお供え物を三つずつ選んで小皿にいれる合計1000回繰り返す【丁寧な所作】」が「国家安寧」をあらわしていた。なぜならば、「丁寧」の[]の字は「国家安寧」の[]の字であるからだ。

◆前回(1)のブログで説明したように、全漢字は天文学で「夏の銀河」と呼ばれる「夏の全星座が漬()かる銀河」から作られた。
 【夏の銀河】は要するに「銀河」と呼ばれた。
 大嘗祭が始まる14日の午後6時半、天頂近くにあった【天皇陛下の供饌の儀の銀河】は【夏の銀河】の一部、つまり【夏の銀河の北端】が【天皇陛下の供饌の儀の銀河】であった。
 【天皇陛下の供饌の儀の銀河】は白く輝いている。詳しく言うと、【天皇陛下の供饌の儀の銀河】のうちの一部の【天皇のお顔の額(ひたい)中央に相当する箇所にある、北天(ほくてん)の最輝部(さいきぶ)は銀白色】に輝き、【天皇陛下が箸を持つ右手に相当する銀河周辺一面は白色】に輝いている。だから、【天皇陛下の供饌の儀の銀河の一部、銀白色に輝く北天の最輝部】が代表して【夏の銀河】は「銀河」と呼ばれることになったのである。
 「銀河」の別称は「銀漢」であり、「銀漢から作られた字」を省略して「漢字」と名づけられた。だから、全漢字は【夏の銀河の各部の形状】から作られた。言いかえると、全漢字の字源・字形・字義は【夏の銀河の各部の形状】から成立するものであった。
 上記したように、1114日の午前6時半から翌15日の未明午前4時ころに終了した大嘗祭において、【天皇陛下の供饌の儀の銀河】は14日の午後6時半では最も高い天空の天頂付近(高度90度~60度まで)に位置し、15日の午前4時ころには北北西の地平線に没して姿を消した。
 だから、大嘗祭における【天皇陛下の供饌の儀の進行】に呼応(こおう)して運行した【天皇陛下の供饌の儀の銀河】は「大嘗祭はすべての漢字は【夏の銀河各部の形状】から作られた学問の秘密をあらわす儀式であって、宗教的儀式ではない」と示すものであったのである。

◆【天皇陛下の供饌の儀の銀河】は「紀元前3000年ころの中国の五帝時代に生存した倉頡(そうきつ)が考案した書契(しょけい)から7世紀の隋代(ずいだい)に完成した楷書までの全漢字は【夏の銀河の各部の形状】から作られた事実」を表示するものであった。
 この「【夏の銀河各部の形状】から全漢字が作られた事実」はこの事実を記述する幾つかの古文献に学者たちが【誤読】を加えて排除・否定するため、この【誤読の空論】によって未だに解明されていない。〔この古文献の代表的な書物は中国の『史記』五帝本紀・夏本紀、『老子』、『説文解字』、『魏志倭人伝』そしてわが国の『古事記』上巻である〕。
 大嘗祭は「紀元前3000年ころに生存した倉頡が発明した漢字作成方法と、全漢字は【夏の銀河各部の形状】から作られた上古学問を現在に伝える、わが国に奇跡的に残された人類の歴史上における最も偉大な発明を現在に伝えるビックイベント」であった。
 わがブログ「古代エジプト文字の字源」の1回~27回において――古代エジプト文字(ヒエログリフ)もまた漢字と同じ【夏の銀河各部の形状】から作られた――事実を証明した。
 だから、令和元年の大嘗祭の催事と夜空に存在した【天皇陛下の供饌の儀の銀河】は――現在世界中で用いられる7割から8割の文字は【夏の銀河各部の形状】から作られた事実――を示す地球規模的なビックイベントであったことになる。
 というのも、古代エジプト文字は現代ヨーロッパ文字・現代ペルシア文字・現代アラビア文字・現代ヘブライ文字・現代アムハラ文字の先祖(ルーツ)とされ、現代ヨーロッパ文字であるABCアルファベットは世界70ヵ国以上で公用語の文字として使用されているからである。

◆「倉頡が【夏の銀河各部の形状】から【文字】を作る方法を発明し、【夏の銀河各部の形状】を【字源・字形・字義】と定めた事実」は、712年正月28日に元明天皇に献上された『古事記』上巻の序(【古事記上巻 幷わせて序】)に説明されている。
 しかし、【古事記上巻 幷()わせて序】が説明する【夏の銀河各部の形状から全漢字が作られた学問】は(1)皇室が厳重に独占管理して革命や反乱を生じないようにするための最も強大な権力を手に入れるための方法であった。また(2)『古事記』上巻には皇祖天照大御神の聖性をいちじるしく汚す皇室が絶対に後世に伝えてはならないと禁止した真実の歴史【日本建国の〔愛〕の理念が掲げられた日本国誕生史】を伝える伊耶那岐命と伊耶那美命説話が記載されていた。この二重の大罪のため、元明天皇は『古事記』献呈を拒否した。
 したがって、『古事記』は皇室と国家を滅亡させる危険な思想を養う禁断の書物と定められた――このことが原因のうえに、さらに学者たちは「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀ないし6世紀である」という定説の空想・幻想を抱くため、【古事記上巻 幷わせて序】が「わが国は後期縄文時代初頭、中国の夏代(かだい)初頭、中国から倉頡が発明した漢字作成方法を伝える学問が伝来して習得した。大嘗祭は倉頡が発明した漢字作成方法にもとづく学問儀式であって、宗教的儀式ではない」と説明していることを学者たちは読解できず、【誤読】を加えて排除するゆえ、大嘗祭を宗教的儀式と主張しているのである。
 このブログ前回(1)で詳細に解説したように、【古事記上巻 幷わせて序】は「わが国には紀元前2070年~紀元前2050年ころの中国の夏代初頭に夏音(かおん)文字が伝来して習得された。これゆえ、わが国には紀元前3000年ころに生存した倉頡が発明した漢字作成方法が保存されることになった。夏音文字は楷書を音符にして表記するが、夏音文字の語を表記する楷書各字の字源・字形・字義は【夏の銀河各部の形状】から作られた。だから、楷書も夏音文字も【夏の銀河各部の形状】から作られた」と説明していることになる。

◆上記した『古事記』の【古事記上巻 幷わせて序】に記載された【全漢字は夏の銀河から作られた事実】と【夏音文字の習得史】と【日本国誕生史】と【日本建国の〔愛〕の理念】については、令和元年914日に発刊された拙著『日本国誕生史の証明』(ムゲンブックス制作・エッグデザイン発刊)で詳細に具体的に科学的に容易に理解できるように解説し証明した。疑問を抱く方々は拙著『日本国誕生史の証明』にて確認していただきたい。
Nihonkokutanjoushinosyoumei
◆地平線上に現われる【天皇陛下の供饌の儀の銀河】は【夏の銀河の東端】となり、上記したように大嘗祭が開始された時の最も高い天体部に登る【天皇陛下の供饌の儀の銀河】は【夏の銀河の北端】となる。
 上記したように、【天皇陛下の供饌の儀の銀河】のうちの【北天の最輝部は銀白色】に輝き、【天皇陛下が箸を持つ右手に観える銀河周辺が白色】に輝くゆえ、【夏の銀河】は要するに「銀河」と呼ばれた。
 また前回のブログでも指摘したように、【天皇陛下の供饌の儀の銀河】は、英語「the Milky Way」すなわち「ミルキー・ウエイ」すなわち「銀河」の語源をあらわす「母乳(ミルキー)のように白く輝く銀河」であったことになる。というのも、【天皇陛下が箸を持つ右手に観える銀河周辺の銀河】がmilky(母乳)のように白色に輝いているからである。
 【天皇陛下の供饌の儀の銀河】は「両翼を含まない、白鳥座の頭から胴体そして尾までが漬()かる銀河」である。ということは「鳥の頭から尾まで形をした星座が漬かる銀河が白く輝く」ゆえ、その星座は「白鳥座」と名づけられたと考えるべきことになる。
 大嘗祭において天皇陛下が最も神聖な色とされる【白色の祭服(さいふく)】につつまれ、皇后雅子さまが【白色の十二単(ひとえ)姿】になったのは、【天皇陛下の供饌の儀の銀河】が「白鳥座の頭から胴体そして尾までが漬かる銀河」であるゆえ、つまり白色に輝いているからであったのである。

◆上記したように、【大嘗祭に、天皇陛下が供饌から三つずつお供え物を選んで箸で摘()まみ丁寧に小皿に入れる合計1000回余おこなわれる所作】から、【供饌】は【五穀豊穣】をあらわすと察知できる。
 しかし、【国家安寧】については「【五穀豊穣】ならば【国家安寧】につながる」と類推(るいすい)できても、明確には理解できない。
 テレビ各局や新聞各社は、「悠紀殿・主基殿の内部イメージ」を示す図を提示した。
 「悠紀殿・主基殿」の内部にある【長方形の寝座(しんざ/神座)】が【国家安寧】をあらわした。
 【古事記上巻 幷わせて序】には――天武(てんむ)天皇が歴史書(『古事記』)作成の企てを述べた時の言葉が記載されており、天武天皇は「国家組織の根本原理」を「邦家(ほうけ)の経緯」と表現した――と書かれている。
 大嘗祭は天武天皇から始められたと伝えられている。
 悠紀殿・主基殿に設置される【寝座】は「経度線・緯度線」に明確に示されて南北(経度線に沿って)に長く東西(緯度線に沿って)に短い長方形となる。天武天皇の「邦家の経緯」の「経緯」は「経度線と緯度線」を意味したのである。
 紀元前2070年~紀元前2050年ころに習得された夏音文字の学問の天文地理学によって「天文の経度線・緯度線と地理の経度線・緯度線」を精確に測量する学術が完成し、皇室が独占管理して厳重に機密保持(きみつほじ)していた。天武天皇は【天文の経度線・緯度線と地理の経度線・緯度線を精確に測量する学術】を「国家組織の根本原理」と考えて「邦家の経緯」と表現したのである。
 ゆえに、【長方形の寝座】は「邦家の経緯」すなわち「国家の経緯」をあらわした。

◆わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる白川静博士が著作した『字統(じとう)(平凡社発行)は、[]の字について「夢は夢魔(ゆま)。夢魔に侵されて寝臥(しんが)する意である」と解説し、さらに「病気は夢、すなわち媚蠱(びこ)とよばれる呪霊(じゅれい)のなすわざとされた」と解説する。
 “字書の聖典”と古代の人々が尊重した、【漢字は夏の銀河各部の形状から作られた学問】に精通していた2世紀前半に生存した中国の文字学者の許慎(きょしん)が著作した『説文解字(せつもんかいじ)』は[]の字について「病みて臥するなり」と解説する。
 「国家」をあらわす【長方形の寝座】は[]の字源・字形・字義をあらわした。
 つまり【夏の銀河各部の形状から作られた漢字の学問】においては「地震・洪水(台風)・旱魃(かんばつ/日照り)など、飢餓(きが)や戦争や乱などの禍災(かさい/わざわい)は夢魔すなわち媚蠱とよばれる呪霊のなすわざ」と考えられていたのである。
 「邦家(国家)の経緯」をあらわした【長方形の寝座】は「すっかり呪霊を失った媚蠱の呪霊が病んで臥すベット(寝台)」でもあったのである。
 【夏の銀河各部の形状から作られた漢字の学問】では「媚蠱が病んで寝床に臥してすっかり呪霊を失うと、地震・洪水(台風)・旱魃など、飢餓や戦争や乱などの禍災(かさい)が起らない」と考えられていたゆえ、【長方形の寝座】は「媚蠱が病んで臥す寝台」をあらわすゆえ「国家安寧」をあらわすことになったのである。

◆紀元前3000年ころの五帝時代初頭に生存した黄帝(こうてい)は女性生殖器と子どもの出産の医学を研究した。
 五帝時代以前の三皇(さんこう)時代では、易(えき)に用いる記号が考案されていたが、黄帝の医学研究をあらわすことができる文字は発明されていなかった。
 ゆえに、黄帝につかえる倉頡は黄帝の医学研究をあらわすことができる文字の作成を目的にして、【夏の銀河各部の形状】から漢字を作成する方法を発明した。

 【天皇陛下の供饌の儀の銀河の東端】にある銀河を、私は【十字の銀河】と名づけた。
 【十字の銀河】は[][][]と「五穀豊穣」をあらわす[()](五穀)[]の字源・字形・字義となった。
 【十字の銀河】は【人の正面形に似る銀河】であり、「西側半分はおなかが大きな妊婦の姿に相似し、東側半分が左手に弓を持つ男性の姿に相似し、この男女半身ずつの銀河は合体して人の正面形・背面形」に相似する。
 このような【十字の銀河】は五帝時代の中国各地の天頂にめぐってきて、緯度と経度を正確に測量できる羅針盤となった。ゆえに、【十字の銀河】は「国家安寧」の「国家」をあらわした。
 倉頡は【妊婦の姿に相似する、十字の銀河】を【夏の銀河各部の形状から作ったすべての漢字を生む母体】と定め、また【十字の銀河】を「黄帝」に見立てたゆえ、【十字の銀河】は[]の字源となった。
 【十字の銀河】の西隣は【子どもの姿に似る銀河】があり、この銀河の子どもの頭には一本の角(つの)が生えているゆえ、私は【鬼の姿に似る銀河】と名づけた。
 【鬼(子ども)の姿に似る銀河における横顔】は五帝時代の中国各地の天頂にめぐってきて、緯度と経度を正確に測量できる羅針盤となった。子午線通過するとき、【鬼(子ども)の姿に似る銀河の首から下の下半身の銀河】は天頂より北側を通過した。
 【鬼(子ども)の姿に似る銀河の横顔には両目に観える箇所】があり、また【鬼(子ども)の横顔後頭部とアゴ】にも〔目〕の形にそっくり形がある。ゆえに、倉頡は【鬼(子ども)の姿に似る銀河】に見立てられて「四つ目の怪人・倉頡」と後世に呼ばれることになった。
 【四つ目の怪人、鬼(子ども)の姿に似る銀河】は[]の字源・字形・字義となった。
 【十字の銀河】は[(べん)]の字源・字形・字義となり、[子]の字源・字形・字義となった【鬼(子ども)の姿に似る銀河】と合体して[]の字源・字形・字義となった。
 【十字の銀河】は[]の字源・字形・字義となり、[]の字源・字形・字義の【鬼(子ども)の姿に似る銀河】とともに、倉頡が発明した漢字(文字)作成方法をあらわした。
 つまり、黄帝の女性生殖器と子どもの出産の医学研究をあらわすことができる文字の作成を目的した倉頡は「【十字の銀河】を【母体】にして、【鬼(子ども)の姿に似る銀河】を【出産する子ども】に見立てるようにすれば、【夏の銀河各部の形状】から黄帝の医学研究を後世に伝えることができる多数の文字を生む(作る)ことができる」という漢字作成方法を発明したのである。

◆【十字の銀河】は「供饌」の語源にして、[]つまり「全国から選んで供える食べ物」の字源・字形・字義となる。というのも、[]字形の「人の正面形」に相似する【十字の銀河】は[]の下に[]を加える[]の字源・字形・字義であるからである。ゆえに、「洪水も日照りもおきない天の順調な気候によって地上に豊かな食べ物を与える」という考えにもとづいて、【十字の銀河】は[]の字源・字形・字義となった。
 いいかえると、「洪水や日照りの災い・不順な天候をもたらす魔女」が【十字の銀河の腹部に隠れて棲む媚蠱】であった。
 出産期において、胎児の頭が骨盤出口に近づくと、母体の直腸を圧迫するので自然に怒責(どせき/いきみ、きばる行為)がおこり、母体の腹圧が加えられる。この腹圧を邪魔して子どもを死産させるのが【十字の銀河の腹部に棲む媚蠱】であると考えられたのである。この解釈がさらに発展し、【十字の銀河の腹部に棲む媚蠱】は「洪水や日照りや戦争や乱などの禍災(わざわい)を起こす」と、漢字学では解釈されるようになった。
 「国家安寧」の[(ねい)]と類似する字に、[(ねい)]という字がある。
 []の最上部の[]の字源は【十字の銀河】であり、中央の[]の字源は【鬼(子ども)の姿に似る銀河の心臓】であり、最下部の[]の字源は【鬼(子ども)の姿に似る銀河の心臓がある胸骨の中ほどに、皿のごとくくぼんだ部分の鳩尾(みぞおち)】である。「鳩尾」は「胃の真ん中」にあたる。要するに、[]の最下部の[]の字源は【鬼(子ども)の姿に似る銀河の胃がある箇所となる銀河部】であった。
 [][]より下部の三字で構成される字部の字源は【人の姿に相似する、十字の銀河の胃がある箇所の銀河部】である。
 【十字の銀河の腹部の胃の箇所】に「幽(かす)かに左右の眉(まゆ)と左右の目に見える銀河部」がある。この【幽かに見える両眉と両眼の銀河部】が「媚蠱。媚蠱の顔」であった。
 【媚蠱の両眉と両眼の銀河部】の中央に、倉頡が「すべての漢字を生む子宮」と定めた【十字の銀河の子宮(子宮に相当する箇所の銀河部)】がある。【十字の銀河の子宮】は【媚蠱の銀河の両眉と両眼の中央にある鼻】となる。
 【十字の銀河の子宮】の西隣は【媚蠱が棲む、十字の銀河の腹部】から垂れる【点々と並ぶ、その点と点をつなぐと線となる、三本線の銀河部】である。この【三本線の銀河】は[]の原字[]の字源である。『説文解字』は[]の字について「天、象(しょう)を垂れて吉凶を見(しめ)す。人に示す所以(ゆえん)なり。(中略)。三垂は日月星なり。天文を観て以て時変(じへん)を察す。示は神事なり」と解説する。
 【日月星を示す三垂は、点々と並んで線となる三本線の銀河】となる。だから「線となる点々と並ぶ、その三粒(三点)の食べ物を盗んで魔力を有する【十字の銀河の腹部】に隠れて棲む魔女」が「五穀不作と国家に災害や戦乱をもたらす媚蠱」であった。
 これゆえ、大嘗祭において天皇陛下は供饌から媚蠱が食べる三粒の食べ物を箸で摘まんで横取りして、飢えて体力が衰えた媚蠱が寝床に病み伏して呪力をことごとく奪うために皿に入れる所作を1000回余も丁寧に繰り返して五穀豊穣と国家安寧の儀式をおこなったのである。
 したがって、【天皇陛下の供饌の儀の銀河】における【箸】は【十字の銀河】であった。【供饌から三粒を選んで箸で摘まんで皿に入れる食べ物】は、上記したように【媚蠱が隠れ棲む十字の銀河の腹部から垂れる、三本線の銀河において線を形成する点々と並ぶ、その小さな点の銀河部】であった。【天皇陛下が供饌から箸で摘まんで三粒を選ぶ食べ物を入れる皿】は「胃に食べ物を入れるために使用する食器の皿」であった。つまり、[]は「五穀豊穣によって日々食物を胃に入れることができる吉なる(日々平穏な)状況をあらわすための皿」であり、いいかえると「[]の字源【十字の銀河の胃】と[]の字源【鬼(子ども)の姿に似る胃】に入れるために用いる食器の皿」ということになる。
 以上のごとく、天皇陛下は供饌から三つの食べ物を分けて皿に入れる所作を1000回余も【丁寧に行ってこそ】、五穀豊穣と国家安寧が成就することになったのである。
 したがって、大嘗祭が始まった14日の午後6時半、大嘗宮の天頂(高度90)~高度60度に存在した【白い、天皇陛下の供饌の儀の銀河】は大嘗祭の進行に呼応して翌日未明の午前4時に北北西の地平線に没するまでの様子で、「大嘗祭は倉頡が発明した漢字作成方法にのっとって、全漢字は【夏の銀河各部の形状】から作られたと伝える学問儀式である」と現在に伝えていたことになる。

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