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2019年11月21日 (木)

大嘗祭は学問儀式であって、宗教的儀式ではない・4

★#4・大嘗宮の建物によって、大嘗祭は学問儀式であったと証明できる

◆このブログが前回(3)までで証明したように――令和元年1114日の夕方6時半から翌15日の午前4時ごろに終わった大嘗祭(だいじょうさい)における【天皇陛下の供饌(きょうせん)の儀】は「紀元前3000年ころの中国の五帝時代に生存した倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成方法」をあらわす学問儀式であったと考えるべきことになる。
 というのも、大嘗祭が始まる午後6時半、大嘗宮(だいじょうきゅう)の真上(天頂の高度90度~60度の夜空)に【天皇陛下の供饌の儀で、供饌から三つずつのお供え物の食べ物を選んでピンセットのような箸(はし)で小皿に入れる行為を1000余回も丁寧(ていねい)に繰り返す所作(しょさ)ソックリの銀河】が廻(めぐ)ってきて、この【天皇陛下の供饌の儀の銀河】は大嘗祭が終了する翌15日午前4時ころに北北西の地平線に没したからである。

◆倉頡は、天文学で「夏の銀河」と呼ばれる「夏の全星座が漬()かる銀河」の各部の形状から漢字を作成する方法を発明した。
 この秘密は、この事実を記述する幾つかの古文献に学者たちが【誤読】を加えて排除・否定するため、学者たちは未だに解明していない。
 「全漢字は【夏の銀河各部の形状】から作られた」と説明する代表的な古文献は中国の『史記』五帝本紀・夏本紀、孔子とならぶ中国の二大思想家の老子の教えを説く『老子』、“字書の聖典”と尊重された『説文解字』、倭女王卑弥呼が登場する『魏志倭人伝』、そしてわが国の『古事記』上巻である。
 大嘗祭は「紀元前3000年ころに生存した倉頡が発明した漢字作成方法と、全漢字は【夏の銀河各部の形状】から作られた上古学問を現在に伝える、わが国に奇跡的に残された人類の歴史上における最も偉大な発明の秘密を現在に伝えるビックイベント」であった。
 わがブログ「古代エジプト文字の字源」の1回~27回において――古代エジプト文字(ヒエログリフ)もまた漢字と同じ【夏の銀河各部の形状】から作られた――事実を証明した。
 だから、令和元年の大嘗祭の催事と夜空に存在した【天皇陛下の供饌の儀の銀河】は――現在、世界中で用いられる大半の文字は【夏の銀河各部の形状】から作られた事実――を示す地球規模的なビックイベントであったことになる。
 というのも、古代エジプト文字は現代ヨーロッパ文字・現代ペルシア文字・現代アラビア文字・現代ヘブライ文字・現代アムハラ文字の先祖(ルーツ)とされるからである。古代エジプト文字をルーツとする現代ヨーロッパ文字であるABCアルファベットは、世界70ヵ国以上で公用語の文字として使用されているゆえ、漢字を含むと、世界中で使用されている7割から8割の文字は【夏の銀河各部の形状】から作られたと証明されることになる。
 古代エジプト文字は、紀元前3100年ころ、ちょうどエジプト第1王朝が始まる少し前に、起源したとされる。
 漢字は紀元前3000年ころの中国の五帝時代初頭に生存した黄帝(こうてい)の女性生殖器と子どもの出産の医学研究をあらわすことができる文字の考案を作成目的にして、黄帝につかえていた史官(記録官)の倉頡が発明して起源した。

 だから、大嘗祭は紀元前3100年ころから始まる古代エキプト文字と紀元前3000年ころから始まる漢字は【夏の銀河各部の形状から作られた】という秘密を、【天皇陛下の供饌の儀の銀河】で現在に伝える壮大なイベントであったことになる。


◆「倉頡が【夏の銀河各部の形状】から【文字】を作る方法を発明し、【夏の銀河各部の形状】を【字源・字形・字義】と定めた事実」は、712年正月28日に元明(げんめい)天皇に献上された『古事記』上巻の序(【古事記上巻 幷わせて序】)が説明する。
 しかし、【古事記上巻 幷()わせて序】に記述された【夏の銀河各部の形状から全漢字が作られた学問の説明】を学者たちが正確に読解(どっかい)できず、彼等は【誤読】を加えて排除・否定する。
 【古事記上巻 幷わせて序】が説明する【夏の銀河各部の形状から全漢字が作られた学問】は、(1)皇室が厳重に独占管理して革命や反乱を生じないようにするための最も強大な権力を手に入れるための方法であった。また(2)『古事記』上巻には皇祖天照大御神の聖性をいちじるしく汚す皇室が絶対に後世に伝えてはならないと禁止した真実の歴史【日本建国の〔愛〕の理念が掲げられた日本国誕生史】を伝える伊耶那岐命と伊耶那美命説話が記載されていた――この二重の大罪のため、元明(げんめい)天皇は『古事記』献呈を拒否した。
 したがって、『古事記』は皇室と国家を滅亡させる危険な思想を養う禁断の書物と定められた――このことが原因のうえに、さらに学者たちは「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀ないし6世紀である」という定説の空想・幻想を抱くため、【古事記上巻 幷わせて序】が「わが国は後期縄文時代初頭、中国の夏代(かだい)初頭、中国から原初漢字の夏音(かおん)文字の学問が伝来して習得した。この夏音文字によって、倉頡が発明した漢字作成方法が、わが国に保存されることになった。ゆえに、大嘗祭は倉頡が発明した漢字作成方法にもとづく学問儀式であって、宗教的儀式ではない」と説明していることを読解できず、【誤読】を加えて排除・否定するゆえ、大嘗祭を宗教的儀式と主張しているのである。
 このブログ前回(1)で詳細に解説したように、【古事記上巻 幷わせて序】は「わが国には紀元前2070年~紀元前2050年ころの中国の夏代初頭に夏音(かおん)文字が伝来して習得された。これゆえ、わが国には紀元前3000年ころに生存した倉頡が発明した漢字作成方法が保存されることになった。夏音文字は『古事記』上巻の随所に〔音〕という注をつけて楷書を音符にして表記したが、夏音文字の語を表記する楷書各字の字源・字形・字義は【夏の銀河各部の形状】から作られた。だから、楷書も夏音文字も【夏の銀河各部の形状】から作られた」と説明していることになる。
 ゆえに、【古事記上巻 幷わせて序】は人類史上(学問史)にとって極めて重大な史料・証言ということになる。

◆上記した『古事記』の【古事記上巻 幷わせて序】に記載された【全漢字は夏の銀河から作られた事実】と【夏音文字の習得史】と【日本国誕生史】と【日本建国の〔愛〕の理念】については、令和元年914日に発刊された拙著『日本国誕生史の証明』(ムゲンブックス制作・エッグデザイン発刊)で詳細に具体的に科学的に容易に理解できるように解説し証明した。疑問を抱く方々は拙著『日本国誕生史の証明』にて確認していただきたい。
Nihonkokutanjoushinosyoumei
◆【天皇陛下の供饌の儀の銀河】は地平線上に現われるときには【夏の銀河の東端】となり、このブログの冒頭で指摘したように大嘗祭が開始された時の最も高い天体部に登る【天皇陛下の供饌の儀の銀河】は【夏の銀河の北端】となる。
 【天皇陛下の供饌の儀の銀河】のうちの【天皇陛下の額(ひたい)に相当する人の横顔に酷似する銀河の額にある、北天(ほくてん)の最輝部(さいきぶ)は銀白色】に輝くゆえ「銀河」と呼ばれた。
 「北天の最輝部」は国際的天文学の用語であり、「北半球に住む人々が最も輝いて見える銀河部」であり、【人の横顔に酷似(こくじ)する銀河の額(ひたい)の部分】にある。【人の横顔に酷似する銀河】は「白鳥座のγ星()からβ星()の中間」にある。「北天の最輝部」は「白鳥座γ星()からη星()の中間」にある(白鳥座β星はη星の南にある)
 【北天の最輝部を含める、天皇陛下の供饌の儀の銀河】は全体的に「milky(ミルキー・母乳)のように白く輝く銀河」である。
 【天皇陛下の供饌の儀の銀河】は「両翼を含まない、白鳥座の頭から胴体そして尾までが漬かる銀河」である。ということは「鳥の頭から尾まで形をした星座が漬かる銀河が白く輝く」ゆえ、その星座は「白鳥座」と名づけられたと考えるべきことになる。
 テレビの画面に映されたように、大嘗祭において天皇陛下が最も神聖な色とされる【白色の祭服(さいふく)】につつまれ、皇后雅子さまが【白色の十二単(ひとえ)姿】になった。この秘密は、【天皇陛下の供饌の儀の銀河】がmilky(母乳の色)のごとく【白色】に輝いているからであったのである。

◆わが国の中国文字研究の第一人者とされる白川静博士が著作した『字統(じとう)(平凡社発行)は、「学問」の[]の字について「もと屋上に千木(ちぎ)のある建物の形で、いわゆるメンズハウスを意味した。(中略)。卜文(注 甲骨文字)にみえるメンズハウスの建物は千木形式で、わが国の神社建築と似ており、そこで秘密講的な、厳しい戒律下の生活がなされたのであろう」と指摘する。
 したがって、[]の甲骨文字の字形はわが国の神社建築に相似すると同様に、テレビの画面に映されたように大嘗宮の建物にも相似する。ゆえに、大嘗宮の柴垣で囲まれた大小30余りのバラック建ての建物は「【夏の銀河各部の形状】から作られた漢字の字源・字形・字義を学ぶ校舎」であったことを現在に伝えているものと考えられる。
 三日月の夜の暗い場所から観察すると漢字の字源・字形・字義となる【夏の銀河各部の形状】が最も明確に見える。
 ところが、夜も明るい灯りがともされる皇居では瞳孔(どうこう)が縮小されるため、字源・字形・字義となる【夏の銀河各部の形状】をキャッチすることができない。
 だから、「【夏の銀河各部の形状】を字源・字形・字義とする漢字の学問を学ぶ校舎」は、瞳孔が拡大されて【夏の銀河各部の形状】がよく見える皇居から離れた人工灯火の影響がない人里離れた地に建てられた。
 ゆえに、大嘗宮の廻立殿(かいりゅうでん)・悠紀殿(ゆきでん)・主基殿(すきでん)などの建物は、「【夏の銀河各部の形状】を字源・字形・字義とする漢字の学問の校舎」をあらわすものであったにちがいない。
 テレビ画面に映った大嘗宮の入り口の「樹皮をつけたままの黒木の鳥居の門」は「皇室が独占管理して厳重な機密とした【夏の銀河各部の形状】から漢字が作られた学問を学ぶ学校の正門」をあらわしていると考えられる。
 令和元年の大嘗祭における悠紀殿と主基殿にも白川静著『字統』の[]の字源解説文に登場する「千木」が設置されていた。だから、悠紀殿と主基殿は「皇室が独占管理して厳重な機密とした【夏の銀河各部の形状】から漢字が作られた学問を学ぶ校舎の様子」を現在に伝えているにちがいない。

◆このブログが前回(3)までで指摘してきたように――令和元年1114日の午後6時半ころから始まったとき、大嘗宮の天頂付近に【白く輝く天皇陛下の供饌の儀における所作の銀河】が廻(めぐ)ってきていた。【天皇陛下の供饌の儀】の進行に呼応(こおう)して、天皇陛下が主基殿で供饌の儀を終了した15日未明の午前4時には、【天皇陛下の供饌の儀の銀河】は北北西に地平線に没した。
 前回のブログ(3)で指摘したように、【天皇陛下の供饌の儀の銀河の東端】は【人の正面形に相似する銀河】であり、この銀河を私は【十字の銀河】と名づけた。
 大嘗祭が始まった14日の午前6時半、【十字の銀河】(天皇陛下の供饌の儀の銀河の東端)は大嘗宮の天頂近くの高度80度~70度の位置に廻ってきて、【十字の銀河】は「地面に立つ人の正面形」に相似した――この【十字の銀河】が大嘗宮の真上に【廻る】と、【十字の銀河】が「地面に【立つ】人の正面形になる」ことから、大嘗宮の中核建物は【廻る】・【立つ】が合体して「廻立殿」と名づけられたにちがいない。

 【天皇陛下の供饌の儀】は五穀豊穣(ごこくほうじょう)と国家安寧(こっかあんねい)を祈る儀式とされた。
 【天皇陛下の供饌の儀】では「供饌から三つのお供え物の食べ物を選んで、丁寧に【皿】に入れる所作が1000回余も繰り返された。
 もしも五穀豊穣に恵まれずに飢饉となった時には、皿は不用・無用の食器となる。
 日々国民が三度の食事を取るには、一日三食365日は1095回の皿を使う食事となるゆえ、天皇陛下は大嘗祭において、供饌から三つのお供え物の食べ物を箸に摘まんで丁寧に皿に入れる所作を1000回余も繰り返したのである。

 以上のごとく、このブログの冒頭で指摘した――大嘗祭が始まった14日の午後6時半、大嘗宮の天頂(高度90)~高度60度に存在した【白い、天皇陛下の供饌の儀の銀河】は大嘗祭の進行に呼応して翌日未明の午前4時に北北西の地平線に没するまでの様子で、「大嘗祭は紀元前3000年ころに生存した倉頡が発明した漢字作成方法にのっとって、全漢字は【夏の銀河各部の形状】から作られたと伝える学問儀式である」と現在に伝えていたことになる。

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