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2019年11月20日 (水)

大嘗祭は学問儀式であって、宗教的儀式ではない・3

★#3・大嘗祭に【白く輝く、天皇陛下の供饌の儀の銀河】と【采女の銀河】

◆このブログが前回(2)まで証明したように――令和元年1114日の夕方6時半から翌15日の午前4時ごろに終わった大嘗祭(だいじょうさい)における【天皇陛下の供饌(きょうせん)の儀】は「紀元前3000年ころの中国の五帝時代に生存した倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成方法」をあらわす学問儀式であった。
 というのも、大嘗祭が始まる午後6時半、大嘗宮(だいじょうきゅう)の真上(天頂の高度90度~60度の夜空)に【天皇陛下の供饌の儀で、供饌から三つずつのお供え物の食べ物を選んでピンセットのような箸(はし)で小皿に入れる行為を1000余回も丁寧に繰り返す所作(しょさ)ソックリの銀河】が存在し、この【天皇陛下の供饌の儀の銀河】は大嘗祭が終了する翌15日午前4時ころに北北西の地平線に没したからである。

◆倉頡は、天文学で「夏の銀河」と呼ばれる「夏の全星座が漬()かる銀河」の各部の形状から漢字を作成する方法を発明した。この秘密は、この事実を記述する幾つかの古文献に学者たちが【誤読】を加えて排除・否定するため、学者たちは未だに解明していない。
 「全漢字は【夏の銀河各部の形状】から作られた」と説明する代表的な古文献は中国の『史記』五帝本紀・夏本紀、『老子』、『説文解字』、『魏志倭人伝』そしてわが国の『古事記』上巻である。
 大嘗祭は「紀元前3000年ころに生存した倉頡が発明した漢字作成方法と、全漢字は【夏の銀河各部の形状】から作られた上古学問を現在に伝える、わが国に奇跡的に残された人類の歴史上における最も偉大な発明を現在に伝えるビックイベント」であった。
 わがブログ「古代エジプト文字の字源」の1回~27回において――古代エジプト文字(ヒエログリフ)もまた漢字と同じ【夏の銀河各部の形状】から作られた――事実を証明した。
 だから、令和元年の大嘗祭の催事と夜空に存在した【天皇陛下の供饌の儀の銀河】は――現在世界中で用いられる7割から8割の文字は【夏の銀河各部の形状】から作られた事実――を示す地球規模的なビックイベントであったことになる。
 というのも、古代エジプト文字は現代ヨーロッパ文字・現代ペルシア文字・現代アラビア文字・現代ヘブライ文字・現代アムハラ文字の先祖(ルーツ)とされ、現代ヨーロッパ文字であるABCアルファベットは世界70ヵ国以上で公用語の文字として使用されているからである。

◆「倉頡が【夏の銀河各部の形状】から【文字】を作る方法を発明し、【夏の銀河各部の形状】を【字源・字形・字義】と定めた事実」は、712年正月28日に元明天皇に献上された『古事記』上巻の序(【古事記上巻 幷わせて序】)に説明されている。
 しかし、【古事記上巻 幷()わせて序】が説明する【夏の銀河各部の形状から全漢字が作られた学問】は(1)皇室が厳重に独占管理して革命や反乱を生じないようにするための最も強大な権力を手に入れるための方法であった。また(2)『古事記』上巻には皇祖天照大御神の聖性をいちじるしく汚す皇室が絶対に後世に伝えてはならないと禁止した真実の歴史【日本建国の〔愛〕の理念が掲げられた日本国誕生史】を伝える伊耶那岐命と伊耶那美命説話が記載されていた。この二重の大罪のため、元明天皇は『古事記』献呈を拒否した。
 したがって、『古事記』は皇室と国家を滅亡させる危険な思想を養う禁断の書物と定められた――このことが原因のうえに、さらに学者たちは「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀ないし6世紀である」という定説の空想・幻想を抱くため、【古事記上巻 幷わせて序】が「わが国は後期縄文時代初頭、中国の夏代(かだい)初頭、中国から倉頡が発明した漢字作成方法を伝える学問が伝来して習得した。大嘗祭は倉頡が発明した漢字作成方法にもとづく学問儀式であって、宗教的儀式ではない」と説明していることを学者たちは読解できず、【誤読】を加えて排除するゆえ、大嘗祭を宗教的儀式と主張しているのである。
 このブログ前々回(1)で詳細に解説したように、【古事記上巻 幷わせて序】は「わが国には紀元前2070年~紀元前2050年ころの中国の夏代初頭に夏音(かおん)文字が伝来して習得された。これゆえ、わが国には紀元前3000年ころに生存した倉頡が発明した漢字作成方法が保存されることになった。夏音文字は楷書を音符にして表記するが、夏音文字の語を表記する楷書各字の字源・字形・字義は【夏の銀河各部の形状】から作られた。だから、楷書も夏音文字も【夏の銀河各部の形状】から作られた」と説明していることになる。

◆上記した『古事記』の【古事記上巻 幷わせて序】に記載された【全漢字は夏の銀河から作られた事実】と【夏音文字の習得史】と【日本国誕生史】と【日本建国の〔愛〕の理念】については、令和元年914日に発刊された拙著『日本国誕生史の証明』(ムゲンブックス制作・エッグデザイン発刊)で詳細に具体的に科学的に容易に理解できるように解説し証明した。疑問を抱く方々は拙著『日本国誕生史の証明』にて確認していただきたい。
Nihonkokutanjoushinosyoumei
◆【天皇陛下の供饌の儀の銀河】は地平線上に現われるときには【夏の銀河の東端】となり、このブログの冒頭で指摘したように大嘗祭が開始された時の最も高い天体部に登る【天皇陛下の供饌の儀の銀河】は【夏の銀河の北端】となる。
 上記したように、【天皇陛下の供饌の儀の銀河】のうちの【天皇陛下の額(ひたい)に相当する人の横顔に酷似する銀河の額にある、北天(ほくてん)の最輝部(さいきぶ)は銀白色】に輝くゆえ「銀河」と呼ばれた。
 【北天の最輝部を含める、天皇陛下の供饌の儀の銀河】は全体的にmilky(母乳)のように白く輝く。ゆえに、前回のブログでも指摘したように、【天皇陛下の供饌の儀の銀河】は英語「the Milky Way」すなわち「ミルキー・ウエイ」すなわち「銀河」の語源をあらわす「母乳(ミルキー)のように白く輝く銀河」であったことになる。
 【天皇陛下の供饌の儀の銀河】は「両翼を含まない、白鳥座の頭から胴体そして尾までが漬かる銀河」である。ということは「鳥の頭から尾まで形をした星座が漬かる銀河が白く輝く」ゆえ、その星座は「白鳥座」と名づけられたと考えるべきことになる。
 大嘗祭において天皇陛下が最も神聖な色とされる【白色の祭服(さいふく)】につつまれ、皇后雅子さまが【白色の十二単(ひとえ)姿】になったのは、【天皇陛下の供饌の儀の銀河】が「白鳥座の頭から胴体そして尾までが漬かる銀河」であるゆえ、つまり白色に輝いているからであったのである。

◆各テレビ局・各新聞社は「大嘗祭は五穀豊穣(ごこくほうじょう)と国家安寧(こっかあんねい)を祈り、新穀を供えて天皇陛下自らも食す儀式」であると伝えた。
 【大嘗祭において、天皇陛下が供饌から三つずつお供え物を選んで箸で摘()まみ丁寧に小皿に入れる合計1000回余おこなわれる所作】は【五穀豊穣】をあらわしていた。
 前回のブログで証明したように――テレビ各局や新聞各社が報道した「悠紀殿・主基殿の内部イメージ図」における【悠紀殿(ゆきでん)・主基殿(すきでん)の内部に配置されている、長方形の寝座(しんざ/神座)】が【国家安寧】をあらわした。
 というのも、大嘗祭は天武天皇から始められたと伝えられ、【古事記上巻 幷わせて序】には――天武(てんむ)天皇が歴史書(『古事記』)作成の企てを述べた時の言葉が記載されており、天武天皇は「国家組織の根本原理」を「邦家(ほうけ)の経緯」と表現した――と記述されているからである。悠紀殿・主基殿に設置される【長方形の寝座】は南北(経度線に沿って)に長く東西(緯度線に沿って)に短い長方形となるゆえ、天武天皇の「邦家の経緯」の「経緯」つまり「経度線と緯度線」をあらわした。
 紀元前2070年~紀元前2050年ころにわが国が習得した夏音文字の学問の天文地理学によって「天文の経度線・緯度線と地理の経度線・緯度線」を精確に測量する学術が完成し、皇室が独占管理して厳重に機密保持(きみつほじ)していた。天武天皇は【天文の経度線・緯度線と地理の経度線・緯度線を精確に測量する学術】を「国家組織の根本原理」と考えて「邦家の経緯」と表現した。
 だから、【長方形の寝座】は「邦家の経緯」すなわち「国家の経緯」をあらわした。

◆わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる白川静博士が著作した『字統(じとう)(平凡社発行)は、[]の字について「夢は夢魔(ゆま)。夢魔に侵されて寝臥(しんが)する意である」と解説し、さらに「病気は夢、すなわち媚蠱(びこ)とよばれる呪霊(じゅれい)のなすわざとされた」と解説する。
 「国家の経緯」をあらわす【長方形の寝座】は[]の字源・字形・字義をあらわした。
 なぜならば【夏の銀河各部の形状から作られた漢字の学問】においては「地震・洪水(台風)・旱魃(かんばつ/日照り)など、飢餓(きが)や戦争や乱などの禍災(かさい/わざわい)は夢魔すなわち媚蠱とよばれる呪霊のなすわざ」と考えられていたからである。
 「邦家(国家)の経緯」をあらわした【長方形の寝座】は「すっかり呪霊を失った媚蠱の呪霊が病んで臥すベット(寝台)」でもあったのである。
 【夏の銀河各部の形状から作られた漢字の学問】では「媚蠱が病んで寝床に臥してすっかり呪霊を失うと、地震・洪水(台風)・旱魃など、飢餓や戦争や乱などの禍災(かさい)が起らない」と考えられていたゆえ、【長方形の寝座】は「媚蠱が病んで臥す寝台」をあらわすゆえ「国家安寧」をあらわした。

◆紀元前3000年ころの五帝時代初頭に生存した黄帝(こうてい)は女性生殖器と子どもの出産の医学を研究した。ゆえに、黄帝につかえる倉頡は黄帝の医学研究をあらわすことができる文字の作成を目的にして、【夏の銀河各部の形状】から漢字を作成する方法を発明した。

 【天皇陛下の供饌の儀の銀河の東端】にある銀河を、私は【十字の銀河】と名づけた。
 【十字の銀河】は【人の正面形に似る銀河】であり、「西側半分はおなかが大きな妊婦の姿に相似し、東側半分が左手に弓を持つ男性の姿に相似し、この男女半身ずつの銀河は合体して人の正面形・背面形」に相似する。
 倉頡は【西側半分が妊婦の姿に相似する、十字の銀河】を【夏の銀河各部の形状から作ったすべての漢字を生む母体】と定めた。
 【十字の銀河】の西隣は【子どもの姿に似る銀河】があり、この銀河の子どもの頭には一本の角(つの)が生えているゆえ、私は【鬼の姿に似る銀河】と名づけた。
 【天皇陛下の供饌の儀の銀河において、天皇陛下が箸を持つ右手の指の部分となる、鬼(子ども)の姿に似る銀河における横顔】には【はっきりと、両目の形をした銀河部】がある。
また【鬼(子ども)の横顔後頭部とアゴ】にも〔目〕にそっくり形がある。ゆえに、倉頡は【鬼(子ども)の姿に似る銀河】に見立てられて「四つ目の怪人・倉頡」と後世に呼ばれた。
 【四つ目の怪人、鬼(子ども)の姿に似る銀河】は[]の字源・字形・字義となった。
 【十字の銀河】は[(べん)]の字源・字形・字義となり、[子]の字源・字形・字義となった【鬼(子ども)の姿に似る銀河】と合体して[]の字源・字形・字義となった。
 【十字の銀河】は[]の字源・字形・字義となり、[]の字源・字形・字義の【鬼(子ども)の姿に似る銀河】とともに、倉頡が発明した漢字(文字)作成方法をあらわした。
 つまり、黄帝の女性生殖器と子どもの出産の医学研究をあらわすことができる文字の考案を目的した倉頡は「【十字の銀河】を【母体】にして、【鬼(子ども)の姿に似る銀河】を【出産する子ども】に見立てるようにすれば、【夏の銀河各部の形状】から黄帝の医学研究を後世に伝えることができる多数の文字を生む(作る)ことができる」という漢字作成方法を発明したのである。

◆大嘗祭では、【十字の銀河】は「供饌」つまり「全国から選んで神々に供える食べ物」に見立てられた。

そして、「洪水や日照りの災い・不順な天候をもたらす魔女」が【十字の銀河の腹部に隠れて棲む媚蠱】であった。
 出産期において、胎児の頭が骨盤出口に近づくと、母体の直腸を圧迫するので自然に怒責(どせき/いきみ、きばる行為)がおこり、母体の腹圧が加えられる。この腹圧を邪魔して子どもを死産させるのが【十字の銀河の腹部に棲む媚蠱】であると考えられたのである。この解釈がさらに発展し、【十字の銀河の腹部に棲んで〔腹圧〕をあらわす媚蠱】は「洪水や日照りや戦争や乱などの禍災(わざわい)を起こす」と、漢字学では解釈されるようになった。
 「国家安寧」の[(ねい)]と類似する字に、[(ねい)]という字がある。
 []の最上部の[]の字源は【十字の銀河】であり、中央の[]の字源は【鬼(子ども)の姿に似る銀河の心臓】であり、最下部の[]の字源は【鬼(子ども)の姿に似る銀河の心臓がある胸骨の中ほどに、皿のごとくくぼんだ部分の鳩尾(みぞおち)】である。「鳩尾」は「胃の真ん中」にあたる。
 要するに、[]の最下部の[]の字源は【鬼(子ども)の姿に似る銀河の胃に相当する銀河部】であった。
 []に類似する[][]より下の[][][]で構成される3字の字源は【人の姿に相似する、十字の銀河の胃に相当する銀河部】であった。
 【十字の銀河の腹部の胃の箇所】に「幽(かす)かに左右の眉(まゆ)と左右の目に見える銀河部」が【媚蠱の銀河】(媚蠱の両眉と両眼)である。
 【媚蠱の両眉と両眼の銀河部】の中央に、倉頡が「すべての漢字を生む子宮」と定めた【十字の銀河の子宮(子宮に相当する箇所の銀河部)】がある。
 【十字の銀河の子宮】の西隣は【媚蠱が棲む、十字の銀河の腹部】から垂れる【点々と並ぶ、その点と点をつなぐと線となる、三本線の銀河部】である。だから「線となる点々と並ぶ、その三粒(三点)の食べ物を盗んで魔力を有する【十字の銀河の腹部】に隠れて棲む魔女」が「五穀不作と国家に災害や戦乱をもたらす媚蠱」であった。
 ゆえに、飢えて体力が衰え病み伏すようにして媚蠱の呪力をことごとく奪うために、天皇陛下は供饌から媚蠱が食べる三粒の食べ物を箸で摘まんで横取りして皿に入れる所作を1000回余も丁寧に繰り返して五穀豊穣と国家安寧の儀式をおこなったのである。
 したがって、【天皇陛下が供饌から三粒を選んで箸で摘まんでお供えの食べ物を入れる皿】は、[]の字源【十字の銀河の胃】と[]の字源【鬼(子ども)の姿に似る胃】が示すように、「五穀豊穣によって国民が日々食物を胃に入れることができる吉なる(日々平穏な)状況をあらわすための皿」であった。
 以上のごとく、天皇陛下は供饌から三つの食べ物を分けて皿に入れる所作を1000回余も【丁寧に行ってこそ】、五穀豊穣と国家安寧が成就することになったのである。

◆人間の目は自動露出カメラのごとく、本人の意志にかかわりなく、明るさに応じて虹彩(こうさい/絞り)が縮小・拡大し、瞳孔径(どうこうけい/瞳孔の直径)は明るいところでは1.52mmに縮小し、暗闇では78mmくらいまで拡大する。
 最大に瞳孔径が拡大する暗闇から【夏の銀河各部の形状】を観察すると、【全漢字の字源・字形・字義】をキャッチすることはできない。
 夜間に明るい灯火が灯される皇居では瞳孔径が縮小するため、もちろん【全漢字の字源・字形・字義】をほとんどキャッチできない。
 【夏の銀河の各部における字源・字形・字義の形状】は、三日月の夜に暗い場所で観察すると最も良く見える。

 倉頡は「【夏の銀河各部の形状】から作られた全漢字が生まれる子宮」を【十字の銀河の子宮(子宮に相当する箇所にある銀河部)】と定めた。
 【十字の銀河の子宮】は三日月の夜に見える「媚蠱の鼻(両眉・両眼の中央の鼻)」となる。
 「媚蠱の鼻」となる【十字の銀河の子宮】を「女性生殖器の子宮と産道」と見立てると、【十字の銀河の腹部に棲む媚蠱の両眉】は「女性生殖器の卵管采(らんかいさい)の形」、【十字の腹部に棲む媚蠱の両眼】は「女性生殖の卵巣(らんそう)の形」に観える。
 「卵管采」は「卵管腹腔口(らんかんふくこうこう)の周りにある房状の突起物」であり、「卵巣」は「卵子(らんし)をつくる器官」である。
 女性生殖器を図示する書物で調べれば――「卵管采」は「卵巣」を【撫でる】かのごとく形状となる。
 [撫でる][]の字源を、『説文解字』は「安(やす)んずるなり」と解説する。

三日月の夜の【十字の銀河の胸部の右(西)の胸部】には「M39」と呼ばれる肉眼で見える散開星団(さんかいせいだん)が重なる。
 三日月の夜に見える「M39」の形は【三日月】と【半月】の合体形となる。つまり、上部が【三日月】の形、下部は【半月(半円)(円弧を上・下部が直径となる【半円】)となり、上部の【三日月】と下部の【半月】の合体形となる。
 【十字の銀河】は「木」にも観えるゆえ、「M39」を「木(【十字の銀河】)になる果物」に見立てると、「【鬼(子ども)の姿に似る銀河の右手の銀河部】(39から鬼(子ども)の横顔の額に垂れる「右手」に観える帯状の銀河部)が、果物(39)をもぎとる」ように観える。
 『説文解字』は[]の字源を「捋取(らつしゅ)するなり」と解説する。「捋取」は「采取(さいしゅ)」と同義で「木の実をもぎとる」という意味である。
 したがって、[]の字源は【M39と鬼(子ども)の右手の銀河】であったことになる。
 また、上記したように、[]の字源は【女性生殖器の左右の卵管采に見立てられた、媚蠱の両眉】であったことになる。
 テレビ局と新聞社は「大嘗宮における悠紀殿と主基殿の内部には、〔天皇の給仕に当たった後宮(こうきゅう)の女官の【采女(うねめ)】〕が控えていたと推測される」と指摘した。
 【采女】の役割は[]の字源「安んずるなり」をもって「天皇陛下の供饌の儀における【国家安寧】の[]の祈りを協力することであったのである。
 【十字の銀河の腹部に棲む媚蠱】の[]は「女性の三ヶ月のごとく細い眉」をあらわし、「三日月の夜、【十字の銀河の腹部に棲む媚蠱の眉は三日月の形】をしているゆえ、禍災(わざわい)をおこす魔力(呪力)がある」とされたのである。
 [媚蠱][]は「密集して多数が集まる天蚕(てんさん/ヤママユ)」であると推測される。
 というのも、天蚕(ヤママユ)や蚕(カイコ)の胸脚と腹脚の中間の背中には「半月状の斑紋(はんもん)」があるゆえ、三日月よりさらに月の形が太くなって半月になると少しだけ明るくなって、【十字の銀河】は白く輝いて形が変わるからである。
 半月の夜の【十字の銀河】は全体的に白く輝き、「白く輝く胸部の両手の部分(十字形)の下部(南部)は、幽(かすか)かに見える亀の顔と両足と甲羅に乗る蓬莱山(ほうらいやま)の形」(古代絵図で有名な蓬莱山)となる。
 だから、半月の夜において、【十字の銀河の腹部に棲む媚蠱の両眉と両眼】は「蓬莱山」の形の一部となって消滅する。
 しかし、【M39】は【媚蠱の両眉と両目】に変化し、【M39】の西側(右側)に【媚蠱の両眉と両眼】が現れる。これゆえ、半月の夜に見える【M39の眉と眼とM39の西側の眉と眼をもぎ取る】ために、悠紀殿と主基殿の内部に【采女】が控えていたことになる。

◆倉頡は「五穀」を代表する「イネ」を意味する[()]の字を作った。
 五帝時代、【十字の銀河】と【鬼(子ども)の横顔の銀河】が中国の各地の天頂にめぐってきて、中国の各地の緯度が測量できる羅針盤となった。イネは中国の南部が育成適正地域であったゆえ、倉頡は[]の字形について「【十字の銀河の南部(両股)】からイネの穂は【鬼(子ども)の横顔に似る銀河の開いた口と舌】がある方へ垂れる形にする」と定めた。
 ゆえに、「[禾(イネ)]の穂を【鬼(子ども)の横顔に似る銀河の口・舌】が嘗()める形状」が[]の字源・字形・字義となった。
 【十字の銀河】は[]字形であるゆえ[]の字源となった。ゆえに、[]の【十字の銀河】と[]の字源【禾の穂を嘗める鬼(子ども)の横顔の口と舌の銀河】が「大嘗」の語源となった。
 【采女】は神道とは無関係である。だから、大嘗祭は〔【夏の銀河各部の形状】から漢字を作成する方法をあらわす学問儀式〕であった。
 []の字源「女性生殖器の卵管采」は「媚蠱の両眉を消滅させて、媚蠱の呪力を滅ぶす」と解釈され、また、[]の字源・字形・字義は【木の実をもぎ取るような形の、M39と鬼(子ども)の右手の銀河】であった。
 ゆえに、天皇の給仕に当たった後宮の女官の【采女】は、大嘗祭と密接に関わると解釈されて、【采女】は天皇陛下の供饌の儀の協力者に選ばれることになったのである。
 以上のごとく、大嘗祭はすべて【夏の銀河各部の形状】があらわす漢字の字源・字形・字義にもとづいて成立する。ゆえに、大嘗祭は宗教的儀式ではなく、学問儀式であった。

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