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2019年11月 5日 (火)

#18 邪馬台国説はフェイクであった!

★即位礼と大嘗祭は宗教的儀式ではなく、学問儀式であった

◆令和元年の1022日におこなわれた即位礼正殿の儀と翌1114日の夕刻から翌日未明におこなわれる大嘗祭(だいじょうさい)について、朝日新聞は「宗教的儀式であるから、政教分離など憲法上の疑義は将来の課題として残る」と報道する。
 この朝日新聞の報道は、明確に誤報・虚報(きょほう/デマ・フェイク)である。
 朝日新聞の誤報の原因は、このブログが前回(17)まで解説してきたように【学者たちの誤読の空論の邪馬台国説と日本神話虚構説】を鵜呑(うの)みにする無知・無学である。
 朝日新聞やNHKはじめメディアはこぞって、学者たちが【誤読】を加えて捏造(ねつぞう)した【九州邪馬台国説・畿内邪馬台国説】をもてはやし、【『古事記』上巻と『日本書紀』神代紀に記述された日本神話は物語であって、歴史を伝える記録ではないと断定する日本神話虚構説】は正しいと報道し、【空想】・【空論】を日本国中に蔓延(まんえん)させている。
 ところが、『古事記』の上巻に【誤読】を加えないと【『古事記』上巻の日本神話は歴史を伝える記録である実体】が科学的に具体的に容易に証明でき、おのずと【『日本書紀』神代紀も歴史を伝える記録】であったことになる。
 学者が捏造する【誤読の空論】のため、国民は【日本神話は歴史を伝える記録である実体】を知ることができないため、国民は【神々への祈りが天皇の最も重要な任務】と思い込む。だから、「即位式正殿の儀と大嘗祭を宗教的儀式である」と説明する虚報・誤報を信用する。

◆江戸中期・17世紀~18世紀に生存した新井白石(あらいはくせき)以来300年、最も正しいと信じられている九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説は【誤読の空論】であった。
 また江戸時代の18世紀に生存した本居宣長(もとおりのりなが)の注釈書『古事記伝』にもとづいて学者たちが立論する日本神話虚構(きょこう)説も【誤読の空論】であった。
 即位礼正殿の儀と大嘗祭は――【1)紀元前3000年ころの中国の五帝時代初頭に生存した黄帝(こうてい)につかえていた倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成方法と、【2】紀元前2070年ころ~紀元前2050年ころの中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)に伝来してわが国が習得した夏音(かおん)文字の学芸と、【3】日本国(小国・日本)誕生史と日本建国の〔愛〕の理念――を表示する儀式と大祭(たいさい)である。

◆前回(17)のブログで要略(ようりゃく)して解説したように、3世紀に中国で著作された倭女王・卑弥呼(ひみこ)が登場することで有名な、約2000字で構成される『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』の(1)500字・約25%の記事は【1】倉頡が発明した漢字作成方法と、(2)400字・約20%の記事は【2】夏音文字の学芸と伝来と習得について説明し、(3)600字・約30%の記事は【3】日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念を伝える。

 『古事記』の序は「古事記上巻 幷()わせて序」と題して、その冒頭で【2】について「後期縄文時代初頭、わが国に夏音文字の学芸が伝来して習得した」と記述する。
 そして、「古事記上巻 幷わせて序」の末部で――楷書「日下(にちげ)」と夏音文字「玖沙訶(くさか)」は同義、楷書「帯(たい)」と夏音文字の「多羅斯(たらし)」は同義である――と説明する。
 『古事記』の序(「古事記上巻 幷わせて序」)は「楷書と夏音文字は共に銀河各部の形状から作られた。だから『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付く夏音文字の語を表記する楷書の字源・字形・字義を銀河各部の形状に変換すれば、上巻に記述された歴史(日本国誕生史はじめその後の上古史)が鮮烈に甦(よみがえ)る」と歴史解明方法を説明する。
 ところが、学者たちは「古事記上巻 幷わせて序」に、きちっと記述された歴史解明方法が読解(どっかい)できない。このため、彼らは「『古事記』上巻は歴史を伝えない。物語である」と主張して【空想・空論】に憑()りつかれる。

◆令和元年914日に発刊された拙著『日本国誕生史の証明』(ムゲンブックス制作・エッグデザイン発刊)では、【九州邪馬台国説・畿内邪馬台国説と日本神話虚構説は完全なる誤読の空論】である実体を、詳細に具体的に【科学】が成立するように解説して証明した。
 この点に疑問を抱く方は、拙著『日本国誕生史の証明』で確かめていただきたい。
Nihonkokutanjoushinosyoumei
7世紀の隋(ずい)代で楷書は完成した。この楷書以前の全漢字は倉頡が発明した漢字作成方法にのっとって、天文学で「夏の銀河」と呼ばれる・夏の全星座が漬()かる巨大な銀河各部の形状から作られた。「銀河」の別名は「銀漢」であり、「銀漢から作られた字」を略して「漢字」と称したのである。この「銀漢」が【夏の銀河】であり、倉頡は「春の銀河」「秋の銀河」「冬の銀河」からは「漢字」を作らなかった。
 倉頡は自らが考案した漢字が最も強大な権力、莫大な富、最高の名声を手に入れることができる方法であることに気づき、もしも反体制側の人々が漢字知識を手に入れて革命に利用したならば王朝は容易に滅亡すると心配して――(1)文字は【夏の銀河各部の形状】から作られたことを暴露した者、(2)文字を容易に習得するために、【夏の銀河各部】に名称を付けた者、(3)書いた文字が用済みになったならば、文字を直(ただ)ちに消さない者または消し忘れた者――この三つの掟(おきて)をやぶった人物また一族全員に神罰が下って即刻に死刑に処すると定めた。
 上記した(3)の掟は、紀元前1300年ころ殷代(いんだい)後半初頭から出現した甲骨(こうこつ)文字によって破られた。しかし、甲骨文字は(1)(2)の掟は厳重に守った。
 だから、(1)の掟によって学者たちは【文字は夏の銀河から作られた秘密】に気づかない。また(1)の掟のために、学者たちは――【夏の銀河から多数の文字を作ることができる方法を倉頡は発明した。この秘密はわが国に、夏代初頭に夏音文字の学芸が伝来したからである】と表示する儀式が即位式であり、この大祭が大嘗祭である事実に気づかない。
 倉頡が定めた(2)の掟のために、【楷書以前の全漢字の字源・字形・字義となった夏の銀河各部の名称】は、現在においても、学者たちによって付けられていない。
 上記したように、「古事記上巻 幷わせて序」(『古事記』の序)は――「『古事記』上巻の随所にある〔音〕という注が付く夏音文字の語を表記する楷書各字の字源・字形・字義を【夏の銀河各部の形状】に変換すれば、上巻に記述された【日本国誕生史】と【日本建国の〔愛〕の理念】が尊重された上古史が解明できる――と、歴史解明方法を具体的に説明している。
 しかし、現在の学者たちは「古事記上巻 幷わせて序」が説明する歴史解明方法について読解することができない。だから、学者たちは「『古事記』上巻の日本神話は歴史を説明する記録ではない。物語・虚構(きょこう)である」と断定する。
 これゆえ、学者たちは即位式と大嘗祭は宗教的儀式であると錯覚(さっかく)・空想する。

◆上記した倉頡が発明した【死刑と定めた三つ掟】によって――【夏の銀河各部の形状】は倉頡が考案した書契(しょけい)はじめ楷書と夏音文字、また甲骨文字や大篆(だいてん)・小

(しょうてん)・隷書(れいしょ)など、7世紀に完成した楷書以前の全漢字の字源・字形・字義となった。
 ゆえに、字源・字形・字義をあらわす【夏の銀河各部の形状】も【文字】であった。
 学説上は【夏の銀河各部の形状】は【文字】ではないが、実際において【夏の銀河各部の形状】は【文字】であった。
 「【夏の銀河各部の形状】は、【文字】であった」という事実をあらわす儀式と大祭が即位式と大嘗祭であった。
 【夏の銀河各部の形状】は【文字】であった――この事実を明確に示す文献が『魏志倭人伝』と『古事記』上巻である。また中国にあって、紀元前54世紀ごろに生存した老子の教えを説く『老子』であり、紀元前1世紀に生存した司馬遷(しばせん)著『史記』五帝本紀・夏本紀であり、さらに“字書の聖典”と尊重される2世紀前半に生存した許慎(きょしん)が著作した『説文解字(せつもんかいじ)』である。

◆即位式と大嘗祭は()【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】と、()【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】を表示する儀式と大祭である事実は、このブログの#12と前回(17)で解説したように――大嘗祭は17381119日に本格的に復興した、この秘密を注目すると、容易にしかも正しく知ることができる。
 大嘗祭は、112代天皇であった霊元(れいげん)上皇の熱意と将軍吉宗(よしむね)の協力により実現したと伝わる。
 霊元上皇の指導のもとに――()戦国時代から約22年間中断していた以前の即位式と大嘗祭と、()将軍秀忠と幕府が【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】の復興を欲求して造営した桂離宮(かつらりきゅう)の庭園の設計と、()108代天皇であった後水尾(ごみずのお)上皇が「【日本国誕生史と日本建国の〔愛〕の理念】の復興の承認を認める」と表現した扁額(へんがく)の秘密を合体して――即位式と大嘗祭は復興した。
 つまり、()徳川家康が一生賭けて復興しようとした【日本建国の〔愛〕の理念】は皇室がまもりつづけて天照大御神の遺勅(ゆいちょく/死後にのこされた勅命)によって成就しなかった。3世紀に生存した大和朝廷の基礎を築いた天照大御神(10代崇神天皇と崇神帝の生母)の遺勅は「学問すなわち【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】を政権基盤にすれば皇室は最も強大な権力を手に入れて栄えて永(なが)らく存続できる。この学問に対抗して、人民は伊耶那美命・9代開化天皇の正妃・竹野比売(たかのひめ)にして『魏志倭人伝』末部に登場する倭女王・壱与(いよ)がとなえた【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重して反乱・革命をおこす可能性がある。ゆえに、【〔愛〕を国作りの柱にして日本国(小国・日本)が誕生した歴史】は抹殺・消滅に努めて、絶対に後世に伝えてはならない」であった。家康の遺志は将軍秀忠と幕府が受け継いで達成する宿題となったため、京都市に所在する桂離宮の御殿・建物や庭園平面図に【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸、日本建国の〔愛〕の理念】が設計された。この桂離宮の庭園は、当時の天才芸術家であった小堀遠州(こぼりえんしゅう)が将軍秀忠と幕府に命令されて、1623年~1645年に病床に伏せるまでの22年間情熱を傾けて作成された。ゆえに、霊元上皇は桂離宮の御殿・建物の配置や庭園平面図にもとづいて即位式と大嘗祭を復興した。
 また()108代天皇であった後水尾上皇が1663年ころ以後に作った京都に所在する修学院離宮の浴竜池(よくりゅういけ)に浮かぶ三つの築島(つきしま)中央の建物「窮邃亭(きゅうすいてい)」にかかげられた陶器製の八角形を二つ連結した形の扁額(へんがく)をもって【日本建国の〔愛〕の理念の復興】を承認した。これゆえ、霊元上皇は後水尾上皇が作った扁額のデザインも考慮して即位式と大嘗祭を復興することにした。

◆要するに、()桂離宮の御殿・建物の配置と庭園平面図にもとづいて、霊元上皇の指導のもとに即位式と大嘗祭は本格的に復興されたことになる。
 というのは、桂離宮の御殿・建物の配置と庭園平面図には天照大御神の遺勅となる【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】が設計され、戦国時代以前の即位式と大嘗祭は天照大御神の遺勅にのっとり皇室を存続させるためにおこなわれていたゆえ、桂離宮の御殿・建物の配置と庭園の平面図は()戦国時代以前の即位式と大嘗祭は【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】をあらわす儀式と大祭であったとあらわしたからである。
 また、()後水尾上皇が作った扁額は【日本建国の〔愛〕の理念】をあらわす桂離宮庭園の平面図の中枢部から造形・デザインされた。
 だから、()「桂離宮の御殿・建物の配置と庭園平面図にもとづいて、即位式と大嘗祭は本格的に復興された」と結論・要略してよいことになる。

◆上記したように――【夏の銀河各部の形状】は全漢字の字源・字形・字義となったゆえ、【夏の銀河各部の形状】は、実際、【文字】であったという――この実体をあらわす儀式が即位式正殿の儀であり、この大祭(たいさい)が大嘗祭であった。

 令和元年1022日の即位式正殿の儀のおける天皇の玉座(ぎょくざ)の高御座(たかみくら)と、皇后の玉座の御帳台はともに、京都市の京都御所の紫宸殿(ししんでん、ししいでん)に常設されている。
 平安中期以後、大内裏(だいだいり)の正殿であった大極殿(だいごくでん)が衰亡したため、即位礼や大嘗祭などの重要行事が行われる「紫宸殿」と呼ばれることになった。
 大内裏の正殿名「大極」と「紫宸殿」の「紫宸」という名称は【夏の銀河の同一部分】から作られた。
 倉頡が生存した五帝時代、中国の天頂に【夏の銀河の北端】にある【乳房と子宮に相当する箇所と子を孕(はら)んで円く前に突き出る腹部(おなか)を有する、妊婦(にんぷ)の姿に似る銀河】と、その西隣に【母親の乳房を嘗()める子どもの横顔に似る銀河】がめぐってきた。(ただし、【母親の乳房を嘗める子どもの横顔より下の下半身に似る銀河】は中国の天頂より北側を通過した。
 倉頡は【妊婦の姿に似る銀河】を【夏の銀河各部の形状から作られた全漢字を生む母体】、【妊婦の姿に似る銀河で子宮に相当する銀河部】を【全漢字が生まれる子宮】と定めた。
 【全漢字が生まれる子宮】と定められた【妊婦の姿に似る銀河で子宮に相当する銀河部】は[][]の字源となった。ゆえに、大内裏の正殿の名は「大極殿」となった。
 【子どもの横顔に似る銀河の口と舌】は「【妊婦・母の姿に似る銀河の乳房の銀河部】を嘗()めて乳を吸()う様子」に観えるゆえ、[]の字源となった。だから、【妊婦の姿に似る銀河】が[]に、【妊婦の姿に似る銀河の乳房部と子どもの横顔に似る銀河の口と舌】の[]が加わって「大嘗」となるゆえ、「大嘗祭」は【夏の銀河各部の形状は、文字であった】という事実をあらわす大祭であったことになる。
 「文字」の[]の金文(きんぶん/周代に用いられた漢字)の字形は「おなかに胎児が宿る妊婦の姿」を図案するゆえ、【妊婦の姿に似る銀河】が[]の字源・字形・字義であった。「文字」の[]について、『説文解字』は「乳(にゅう)するなり」、つまり「子が乳を飲むなり」と解説する。ゆえに、[]の上部の[(べん)/ウ冠]の字源・字形・字義は【妊婦の姿に似る銀河(の乳房)】であり、[]の下部の[]の字源・字形・字義は【子どもの横顔に似る銀河を中心とした、子どもの姿に似る姿】ということになる。
 だから、「大極殿」の「大極」・「大嘗祭」「大嘗」とそして「文字」の三つの語の語源は同一の【妊婦の姿に似る銀河と子どもの姿に似る銀河】ということになった。

◆【妊婦の姿に似る銀河で子宮に相当する銀河部】は「朝顔の花の蕾(つぼみ)の形」に相似すると見立てられて、「紫宸殿」の[]の字源となった(朝顔の花は「紫」)
 「朝顔の花の蕾の形」に相似する【妊婦の姿に似る銀河における子宮の銀河部】は[]の字源【妊婦の姿に似る銀河の乳房】と重なって東側に寄って隣接する。
 「紫宸殿」の[]の上部[]の字源銀河は[][]の字源となった【妊婦の姿に似る銀河の子宮の銀河部】であった。[]の下部[]の字源銀河は【母親の乳房を嘗める子どもの横顔に似る銀河】に隣接して東南にある[][][][][]などの字源銀河であった。この[]の字源銀河は「産道を湿潤(しつじゅん)にして、胎児の産道の通過を容易にして、産道内の不潔物を洗い出す羊水(ようすい)」にも見立てられた。
 []の字源銀河は「激流や洪水や地震」にも観()える形状をしているため[][][]の字源となった。
 しかし、[]の字源銀河は「田・畑の土をやわらかにして作物が豊かに実り、禾(イネ)が育つ水田へ引く農業用水となる豊かな水」にも見立てられて[]の字源となり、「産道を湿潤にして、胎児の産道の通過を容易にして胎児の命をまもる、神の恵みすなわち〔愛〕の水である羊水」にも見立てられた。
 前述したように、[]の上部[]の字源銀河は[][]の字源【妊婦の姿に似る銀河のおける子宮の銀河部】、[宸]の下部[]の字源銀河は[]の字源【田・畑の土をやわらかにし作物が豊かに実り、禾(イネ)が育つ水田へ引く農業用水となる豊かな水のイメージとなる銀河】にして、また【胎児の出産を容易にする産道を湿潤する愛の水・羊水に見立てられた銀河】であった。
 以上のごとく、「紫宸殿」の[]の字源は【妊婦の姿に似る銀河の子宮の銀河部】、「紫宸殿」の[]の字源は【妊婦の姿に似る銀河の子宮の銀河部と、禾(イネ)が枯れずに育つ水田へ引く農業用水となる豊かな水のイメージとなる銀河、言いかえると胎児の出産を容易にする産道を湿潤する愛の水・羊水に見立てられた銀河】であった。
 ゆえに、「紫宸殿」は「紫宸」は「【日本建国の〔愛〕の理念】にもとづいて多数の子どもたちの出産と禾()の豊作を祈願するための宮殿」であったことになる。
 以上、京都市の京都御所・紫宸殿に常設される即位式正殿の儀で用いられた高御座と御帳台は、天皇と皇后が【倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸】にのっとって天の神に洪水・地震・飢饉(ききん)の災害がおきないように【稲の豊作】と【日本建国の〔愛〕の理念】を祈願(きがん)するための装置(調度品)であったのである。

◆上記したように、【妊婦の姿に似る銀河の子宮の銀河部】は「朝顔の花の蕾(つぼみ)の形」に相似すると見立てられて、「紫宸殿」の[](朝顔の花の「紫」)の字源となった。
 夏には夜間に全漢字が作られた【夏の銀河】が最も長時間ながめることができる。その夏の早朝、直径1020cmに開く漏斗(じょうご)形の朝顔の花が葉腋(ようえき)13個咲く。昼になると、朝顔の花は萎(しぼ)んで[(つぼみ)]の形になる。
 【妊婦の姿に似る銀河の子宮の銀河部】の真南に「正午()、垂直に立つ木の真南に隠れる太陽(日輪)」に見立てられた【同心円形を半分に割る・三本線の半円形の銀河部】がある。
 〔注 三本線の同心半円形の銀河部の「三本の半円は(1)夏至と(2)春分・秋分・(2)冬至の太陽の日周運動の円弧」をあらわし、その中央部が「太陽が正午に位置する真南」を示す〕。

 ゆえに、【妊婦の姿に似る銀河の子宮の銀河部】は「朝顔の蕾」に見立てられた(正午の朝顔の花はしおれて蕾の形となる)。だから、草冠()の下に[]が加えられて[]という字が作られた。
 【正午、垂直に立つ木の真南に隠れる太陽に見立てられた三本線の半円形の銀河部】の西側に[][]の字源【禾(イネ)が枯れずに育つ水田へ引く農業用水となる豊かな水のイメージとなる銀河(胎児の出産を容易にする産道を湿潤する愛の水・羊水に見立てられた銀河)】が隣接する。
 「朝顔の蕾の形」に相似する【妊婦の姿に似る銀河の子宮の銀河部】は「子どもを出産するときに母親があげる大声は雷の音、つまり雷鳴(らいめい)」に見立てられた。だから、【妊婦の姿に似る銀河の子宮の銀河部】は、草冠(朝顔の花)[]が加わる[]の字源となった。
 【妊婦の姿に似る銀河の子宮の銀河部】は[]、つまり「イネの穂」にも見立てられた。ゆえに「雷鳴」に見立てられた【妊婦の姿に似る銀河の子宮の銀河部】は「稲妻(いなづま)」の語源となり、むかしから「雷神が稲穂(いなほ)を孕(はら)ませ鈴なりに実らせるゆえ、夏に稲妻が光る年は豊作」と言い伝えられるようになったのである。

◆上記したように、全漢字が作られた【夏の銀河の北部】にある[][]の字源銀河は「激流や洪水や地震」にも観()える。このため、「朝顔の蕾」に見立てられた【妊婦の姿に似る銀河の子宮の銀河部】は「朝顔の花が萎(しぼ)む蕾」に見立てられ、[]の下部の[]は「勢いよく流れる激流や洪水や地震」ではなく「禾(イネ)が枯れずに育つ水田へ引く農業用水となる豊かな水」と「激流のごとく勢いよく流れて出産児の命を奪わない・胎児の出産を容易にして産道を湿(しめ)らせ潤(うるお)す愛の水・羊水」に見立てられた。
 だから、中国古代漢字研究の第一人者とされる白川静博士が著作した『字統(じとう)(平凡社発行)は、[]は「雨だれのおちる軒(のき)」と解説する。ゆえに、[]の字は「雨だれが軒から滝のごとくおちて、地上にあふれる洪水」を意味しないことになった。
 []の字は「軒からおちる雨だれは禾(イネ)を順調に育てる恵みの雨」と「産道を湿潤して胎児の出産が容易にする愛の水・羊水」をあらわすことになった。 

◆天皇は国家の繁栄と国民の幸福を願って日々神に祈るゆえ、学者や知識たちやメディアは表面的にとらえられて「神道(しんとう)の祭祀者(さいししゃ)である」と誤解する。
 しかし、天皇は「倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸の【学問】にのっとって、国家の繁栄と国民の幸福を祈願する大王」であった。
 したがって、現在の天皇は「倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸の【学問】にのっとって、国家の繁栄と国民の幸福と世界の平和を祈願する日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である」ということになる。

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