アルファベットの起源

2012年1月27日 (金)

枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は”世界の文字は銀河から作られた”と証言する・41

 【文字】は【銀河各部の形状】から作られた。
 この秘密は最も強大な権力基盤であり莫大な富を手に入れる方法であったので、この秘密を単純明快に説明する者は即刻死刑となった。
  ゆえに、『古事記』に「文字は銀河から作られた」と単純明快に記述することはできなかった。
  しかし、『古事記』作成においては竜安寺の石庭の設計モチーフとなる全体論的な考え方をすれば「文字が銀河から作られた」と察知できる複雑な方法を用いて伝えるように命令されていた。つまり、『古事記』の編纂(へんさん)では、中国の正史『新唐書』日本伝が記載するように、『古事記』が完成する10年前の702年に中国に渡った遣唐使が述べた「後稍(のちやや)夏音を習う」という方針が定められていた。
  この「後稍夏音を習う」という史書作成の方針は「672年の壬申(じんしん)の乱の後、天武(てんむ)天皇の遺志を継ぐ持統(じとう)上皇が、夏音文字を稍々(やや)復興する方法で皇祖・天照大神が夏音文字の学芸に精通する聡明な偉大な女性であった讃(たた)える国家神話を作成せよ。しかし、伊耶那美命の陵墓を築造した時に、天照大神が多数の青年と乙女たちを殺した徇葬(じゅんそう)を決行した歴史は削除(さくじょ)せよ」とする、持統上皇が言動の端々(はしばし)で示す命令であった。

  686年9月、天武天皇が世を去るとまもなく、皇后(後の持統天皇)は息子・草壁(くさかべ)皇子の脅威となる『日本書紀』が「天武天皇の第三皇子」と記して皇位継承順位が草壁皇子の次とする大津皇子を謀反のかどで自殺を命じて葬った。この大津皇子の自殺は皇后の謀略であることは明らかであった。この後、皇后と皇太子・草壁皇子の共治体制がとられたが、689年、草壁皇子が28歳で他界すると、翌690年皇后はみずから即位し、持統天皇となった。
 692年2月、中納言の三輪高市麻呂(みわのたけちまろ)が上奏(じょうそう)して直言し、持統帝の伊勢行幸が、農時の妨(さまた)げになることを諌(いさ)めたが聞き入れず、翌月に天皇は伊勢に行幸した。
  697年、持統天皇は孫の軽(かるの)皇子に譲位した。これが文武天皇である。
  この譲位の時に、持統上皇が作った和歌は下記の『万葉集』28番である。
  「春過ぎて、夏来(きた)るらし 白たへの 衣干(ころもほ)したり 天(あめ)の香具山(かぐやま) 
   この和歌は「春日(かすが)の伊耶河宮(いざかわのみや)から〔春〕は伊耶那美命をあらわすことになった。しかし、今は天照大神が象徴される〔夏〕となり、伊耶那美命を象徴する天の香具山は天照大神の都であるわが藤原の宮いっぱいに夏の陽射しを浴びて干される真っ白な衣に隠れて見えない。とうとう皇祖・天照大神の時代が到来して、伊耶那美命を崇拝する時代は終わったのだ!」と意味するものであったにちがいない。
  翌698年、天照大神を恒常的に鎮祭(ちんさい)させる伊勢神宮の壮大な宮殿が完成した。この時点で、天照大神は皇室の至上神の皇祖と定まったことになる。
 ゆえに、1年前に上皇が作った『万葉集』28番の和歌は、702年に中国に渡った遣唐使jが述べた「後稍夏音を習う」という命令を示すものであったにちがいない。

 このような経緯から、持統上皇が言動の端々で示して、従わなければ大津皇子のように殺すと脅迫(きょうはく)するところの「後稍夏音を習う」の方針に従って『古事記』は作成された。
  しかし、編纂スタッフは朝廷と律令体制の欲求(よっきゅう)に背(そむ)いて天照大神が徇葬を決行した歴史を記述すると決意していた。
  したがって『古事記』は反逆の史書でありながら、元明天皇が献呈を認める正史にしようと謀(はか)る史書でもあった。このため、幾つかの仕掛けが仕組まれた。
  たとえば、681年に天武天皇が史書作成を命令した真意は要するに「稍夏音を習う」という虚言・マヤカシであったが、その言葉の表面だけを読みとれば「真実の歴史を記述せよ」という勅令(ちょくれい)となる。ゆえに、『古事記』の序に「諸家で所蔵する帝紀と旧辞は、すでに真実と違い、偽りが多く加えられているとのことである。そこで帝紀を書物として著(あらわ)し、旧辞をよく調べ正し、偽りを除き真実を定めて、後世に伝えようと思う」と天武天皇の詔(みことのり)を記載し、この天武天皇の詔の言葉を逆手(さかて)にとって『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話に天照大神が徇葬を決行した事実を記載した。
 また、前回で指摘したように『老子』25章の〔反実仮装〕を利用して〔「黄泉国の伊耶那美命」は「天照大神」と表記して「伊耶那美命は伊耶那美命であらず、その正体は天照大神」である〕という表現して、編纂スタッフは天照大神が徇葬を決行した歴史を後世に伝えようとした。
 要するに、『古事記』上巻と序は天照大神が徇葬を決行した歴史を記述する伊耶那岐命の黄泉国訪問説話を基軸(きじく)にして構築(こうちく)されるものであった。

  夏音文字においては、【銀河各部の形状】が【文字】となった。この秘密は、編纂スタッフにとって好都合であった。
 〔音〕という注が付く夏音文字をもって【銀河各部の形状】が【文字】であることを伝えれば、後世の人々は『古事記』に使われる夏音文字以外の【すべての文字(万葉仮名)】もまた【銀河各部の形状】であると察知する。この秘密に気づけば、後人たちは【銀河】を観て上巻・日本神話の歴史の真相を正しく知ることができる。
  この漢字の秘密を、字源を解説する聖典の『説文解字』は序で「けだし文字は経芸の本(もと)、王政の始め、前人のもって後人に垂れるところ、後人のもって古(いにしえ)を識(し)るなり」と記述する。このように、『説文解字』の序は「銀河から作られた文字は経すなわち科学(天文地理学と漢字作成原理〔鳥獣の文〕の基盤となる女性の生殖器官の医学)と芸術の根本である。また、文字は王道政治が起源した最も強力な政治基盤である。そして【字源】は【銀河各部の形状】であるゆえ、この【銀河各部の形状】によって前人が後人に正しい歴史を伝え、後人が過去の歴史を正しく知ることができる方法である」と証言する。

   だから、『古事記』上巻・中巻・下巻の3巻の序は、「上巻  序并」(上巻 并(あわ)せて序)と表記された。
  現存する『古事記』の諸本の中で最古の古写本は、愛知県名古屋市中区の大須(おおす)観音の真福寺(しんぷくじ)文庫が所蔵する僧・賢瑜(けんゆ)が応永4年(1371)から翌5年にかけて書写したものである。この古写本には「古事記上巻  序并」と記されている。これゆえ、現在、出版されるほとんど書物の『古事記』の序は、「上巻 并せて序」と表記する。
  『古事記』の序は、上巻だけの序であった、中巻・下巻の序ではない。
  上巻の随所には、〔音〕という注が付く1字1音文字が記載される。
  この文字は、夏代初頭・後期縄文時代初頭に習得した夏音文字である。この夏音文字で、すべての文字は銀河から作られたことを後人に伝えるため、きわめて異例な序にしたのである。

  『古事記』序の冒頭記事は「臣安万侶(しんやすまろ)、言(もう)す。それ混元すでに凝(こ)りて、気象いまだ効(あらわ)れず。名も無く為(わざ)も無し。誰(たれ)かその形を知らむ。しかれども乾坤(けんこん)初めて分かれて、参神造化(さんしんぞうか)の首(はじめ)を作(な)す」である。
  上記の「元明天皇に臣太安万侶がもうしあげます」から「誰かその形を知らむ」までの文は、前期縄文時代より以前の縄文人たちが天頂緯度を測定した銀河の形状、すなわち「三つ輪の銀河」や「十字の銀河」の北部の混沌(こんとん)としたなんの形に相似するのか表現のしようがない銀河の形状をを表現している。
  わが国の草創期と早期の縄文土器は、深鉢(ふかばち)しか作られていなかった。この深鉢の形状は、底部を丸くした土器で天頂点となる銀河部位の軌道、底部が平らな土器で天頂点に接近した状況の天頂点を通過する銀河部位の軌道、尖(とが)った底の土器で天頂点を表現するものであったにちがいない。
  深鉢に水を入れて、水面を天頂点を映す鏡にしていたと考えられる。
  これら草創期・早期の丸底(まるぞこ)・平底(ひらぞこ)・尖底(せんてい)の土器は口縁部(こうえんぶ)を下にして地面に置くと、底が上となり天を示すことになる。尖底深鉢の底にあっては、尖った底が天頂を指し示す。
  ゆえに、これらの土器の表面の文様は、『古事記』序の初頭にて安万侶が「その天頂点となる銀河部の状況は混沌としていたので土を固めて深い鉢にしたものの、鉢に水を入れて天頂点を映してもその天頂点付近の天体部には気をまったく感じられず象(かたち)も存在しないので、名をつけることができず天頂点の個性をどうあらわしたらよいのか方法がなかった。だから、この時代の縄文人たちがどの天体部位を天頂点として土器を造形していたのか、後世のわれわれは知ることができない」と表現したとうりの文様となっている。

  安万侶が「参神造化の首(はじめ)」と表現した参神は、上巻初頭部で「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、次に神産巣日神(かむむすひのかみ)」であると記される。
  今から6000年前の縄文前期から、縄文人の相違工夫によって、多種の用途に対応する新しい形の土器を作る造化革命が、関東地方から起こった。ゆえに、「天之御中主神」は縄文前期に関東地方の天頂を通過した「三つ輪の銀河の緯度軸」を表現するものであったのである。
 というのも、「十字の銀河」の東隣に無数の星が群がって四つの輪の輪郭(りんかく)で区分けされる。いちばん南の輪の銀河部は、関東地方の参神の時代の天頂を通過していなかった。ゆえに、わたくしは「三つ輪の銀河」と名づけた。
 夏音文字に精通する天照大神と子の崇神(すじん)天皇が居住した大和の三輪(みわ)山(奈良県桜井市三輪町)は古くから最も聖なる山といわれ、神の山と崇(あが)められてきた。つまり、この山は「造化の参神」に由来する神の山であったので「三輪山」と呼ばれることになったにちがいない。ゆえに、「造化の参神」の天頂緯度軸が貫通した三つ輪で区切られる銀河部を、わたくしは「三つ輪の銀河」と名づけた。
 〔歳差〕という天文現象を用いて、今から6000年前の縄文前期の東北地方北部の天頂緯度軸の状況を調べると、「三つ輪の銀河」のうちの「最北の輪の銀河」を貫通していたことが明らかとなる。そして、土器の造化革命が起きた関東地方においては「三つ輪の銀河」のうちの「中央の輪の銀河」の北部を貫通していた。この「中央の輪の銀河」の北端に、鳥や鹿のヘビや龍の首の形をした銀河部がある。この動物の首の形に相似する銀河は約1.5度、満月の直径は約0.6度であるから、肉眼で見える。ゆえに、安万侶の「参神造化の」と表現した「参神」は「三つ輪の銀河を貫通した天頂緯度軸」であったことになる。
  したがって、「高御産巣日神」は「縄文中期の三つ輪の銀河を貫通した天頂緯度軸」であり、「神産巣日神」は「縄文後期の三つ輪の銀河を貫通した天頂緯度軸」であったことになる。

 日本最古の国宝は、長野県茅野(ちの)市の尖石(とがりいし)縄文考古館に常設展示される“縄文のビーナス”と呼ばれる高さ27cmの土偶(どぐう)である。この土偶は今から約5000年前の後期縄文時代初頭のものとされる。この土偶は環状(かんじょう)集落の中央広場の小さい穴の中に横たわって埋まっていた。大形完形の妊娠土偶である。この土偶が出土した尖石台地は、北緯36度である。
  「造化の参神」の名は、この北緯36度の尖石台地の前期・中期・後期縄文における「三つ輪の銀河」を貫通した天頂緯度軸の形状を調べると、その三神の名の由来を容易に理解できる。
 今から約4000年前の後期縄文時代初頭、夏音文字の学芸をもたらした益氏は北緯40度の男鹿半島・米代(よねしろ)川縄文文化圏に居住した。この夏音文字であると証明できる5文字を刻む「日売大可美(ひめのおおかみ)」と解読できる石板1点と「左手に弓に似る形を有するの十字の銀河」を図案化した図書を石に刻む1点の2点の遺物が尖石台地から出土し、尖石縄文考古館に所蔵されている。というのも、この石に刻まれた図書がなにゆえ夏音文字文字かといえば、たとえば後者の〔左手に弓を持つ人〕を描く図書の場合、縄文のビーナスが作られた今から約5000年前に「十字の銀河の左手に持つ弓に似る形の先端(北端)」が尖石台地の天頂点にめぐってきたからである。
 この夏音文字の5文字が刻まれる石板と「左手に弓を持つ十字の銀河」を図案化した夏音文字を刻む石が示すように、縄文のビーナスのような優れた造化作品を夏音文字が伝来する約950年前に創造していた尖石台地の芸術家たちは、益氏が住む男鹿半島・米代川縄文文化圏に旅して夏音文字を習得したのである。
  縄文のビーナスが作られた中期縄文時代初頭、北緯36度の尖石台地の天頂点に白鳥座α(アルファ)星が重なり、「十字の銀河の頭の上部」を通過し、「三つ輪の銀河の中央の輪の銀河の中央部あたり」を貫通していた。
  縄文のビーナスの胸部は「十字の銀河」の胸部と同じく十字形である。「十字の銀河」には〔子宮〕に観える部位があり、この「十字の銀河の子宮」は「妊婦のおなかの形の銀河部」と重なる。ゆえに、縄文のビーナスは妊娠土偶である。漢字作成原理〔鳥獣の文〕は「十字の銀河の子宮」を〔女性の子宮(生殖器官)〕に見立てて、〔万物の情(イメージ)に類似するように多数の漢字を生む〕という発明である。ゆえに、尖石台地の芸術家たちには、倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成原理〔鳥獣の文〕は理解できた。
  「十字の銀河」は〔鏡餅(かがみもち)〕の形に相似して、「円い十字の銀河の頭」に上部に「小さな餅が重なるような凸部」がある。この「十字の銀河の頭部の凸部」と「十字の銀河の頭部中央の冎(あな)を円形に包む銀河部」は、縄文のビーナスの頭にかぶる〔帽子〕のモデルとなる。
 この帽子の頂上部には渦巻きが刻まれ、この〔渦巻きの文様〕で「尖石台地の天頂に、十字の銀河の頭部の凸部と、無数の星が渦巻く三つ輪の銀河の銀河が通過した」と表示される。
  「十字の銀河の頭部中央の冎」は〔縄文のビーナスの小さな顔〕に見立てられ、その〔両目〕は「鬼の横顔に似る銀河の首につく両目」の形に作られ、〔鼻とおちょぼ口〕は〔両目〕のモデルとなった中間にある〔鼻〕に相当する部分と〔おちょぼ口〕の形をした銀河部がモデルとなって造形された。  
  その腰のあたりの背後からポパイのような太い腕と大きな手が縄文のビーナスの上半身を抱(かか)え上げる。「十字の銀河」は〔左手〕に見立てられて[左]の字源となり、「鬼の姿に似る銀河」は〔右手〕に見立てられて[右]の字源となった。この[右]の字源となった「鬼の姿に似る銀河」は[左]の「十字の銀河」よりもはるかに太くて大きい。ゆえに、「鬼の姿に似る銀河」の印象から〔縄文のビーナスの上半身を抱え上げる両手〕が造形されたことになる。
 縄文のビーナスの両足は両足は短く、左足が前足となり前に半歩出で少しだけ長い。「十字の銀河の妊婦のおなかのように観える銀河部」は「十字の銀河の短い右足」にも相当する。ゆえに、縄文のビーナスの両足は「十字の銀河の右足」にもとづいて短くし、「十字の銀河の左足」は長いので左足を少し長めにしたことになる。
  そして、縄文のビーナスの側身形は「コールサック」の形にそっくりに作られている。
  また、縄文のビーナスの背中の〔頭部をおおう帽子の下端から臀部(でんぶ)まで〕の形は「十字の銀河の頭部」の形状に相似し、そのビーナスの背面の〔十字形の中心部〕は尖石台地の東西の緯度と南北の子午軸を測定した天頂点となった「十字の銀河の頭部の凸部・冎の中心」に相当するようになっている。

 上記したように、縄文のビーナスの太い腕と大きな手のモデルは「鬼の姿に似る銀河」である。「鬼の姿に似る銀河」は〔右手〕に見立てられて[右]の字源となり、[又]の字源ともなった。ゆえに、[又]の字義は「みぎ(右)」であり、字音も[右]と同じ「ユウ」である。
 「鬼の姿に似る銀河」は〔女性の子宮に宿る胎児〕に見立てられて[女]の字源をあらわすことになり、[女]に[又]が加わる[奴]の字源となった。この[奴]の字源の「鬼の姿に似る銀河」は東にある「十字の銀河」が歩く・通る〔地面〕のように観えるので、[奴]の字源となった「鬼の姿に似る銀河」は[土]の字源にもなり、〔通路〕に見立てられて[通]の字源にもなった。さらに、[奴]の字源「鬼の姿に似る銀河」は〔通路のように堅い土〕に見立てられて[堅]の字源にもなった。これゆえ、『説文解字』は[堅]の字源を「剛(かた)きなり」すなわち「堅い土」と解説する。
  だからこそ、『魏志倭人伝』における[奴]の字義は「堅い土を開墾・耕作できる強い力がある若者の太い腕と大きな手」や「18歳ぐらいの屈強な若者」をあらわすことになった。
 また[奴]の字源は「各天体部の円周運動をする原動力となる巨大な力(エネルギー)」、あるいは「洪水で氾濫する水のすさまじいエネルギーの威力を示す渦巻き」をあらわすことになった。
 あるいは、『魏志倭人伝』では「鬼の姿に似る銀河」の東の「十字の銀河の子宮」と南の〔産道〕に見立てられた「長方形の暗黒天体部」のイメージが結びついて「さまざまな強い力で胎児を出産させる母体の子宮や骨盤や直腸などの仕組み」も[奴]の字義をあらわすことになり、さらに「鬼の姿に似る銀河」を〔鳥と蝶の体〕に見立てまた北側の「鳥や蝶の羽の形に似る銀河」に見立てて、「空に体を浮揚(ふよう)させて飛ぶことができる鳥や蝶の翼」も[奴]の字義を示すことになった。

 『魏志倭人伝』の伊都(いと)国の隣国の「奴(な)国」は北九州の福岡市の〔博多湾〕が〔母体の骨盤〕の形に相似し、オス鹿の横顔のような形の伊都国・糸島半島が「オス鹿の横顔に似る銀河」の形に相似するので〔博多湾〕は〔産道〕に見立てられた。ゆえに、「福岡市街」は「奴国」であったことになる。
  小国の「弥奴(みな)国」は愛知県西半分の「尾張」であった。尾張の地図の上南・下北にすると、南の〔知多半島〕は[弥]の字源の「カンムリカイツブリ」の〔頭・首〕に観え、「尾張」という地名のごとく〔尾に相当する北部が張って広がる地域〕はカンムリカイツブリの[奴]の字源「空を飛ぶことができる翼」のように観える。だから、「尾張」は「弥奴国」であった。
  小国「姐奴(つな)国」は福井県中部・北部の「越前」である。越前は北部が広大で、若狭(わかさ)と東西二つに分かれる敦賀(つるが)半島がある南部が狭くて小さい。敦賀半島は越前の太い大きな綱(つな)と若狭の細い小さな綱の二つの綱の結び目のように観える。だから、万葉仮名式に読むと「つな(綱)」と読める「姐奴」は「越前」であったことになる。越前北部の地形は[奴]の字義「若者の隆々(りゅうりゅう)と盛り上がる二の腕の力瘤(ちからこぶ)や頑丈(がんじょう)な肩甲骨(けんこうこつ)」の形に相似する。
 敦賀半島で越前と境界を分ける福井県南西部の「若狭」が「蘇奴(さな)国」であった。[蘇]は「幼虫が死骸(しがい)のような蛹(さなぎ)となって、命が蘇(よみが)えるように羽化(うか)して美しい成虫となる蝶」をあらわす。上記したように、[奴]の字源「鬼の姿に似る銀河」は[右]の字源で、また「18歳ぐらいの若者」である。ゆえに、旧国名の先頭には[若]の字が配され、福井県南部は〔狭い地形〕であるので「若狭」となった。また、「鬼の姿に似る銀河」は〔「十字の銀河」に似る人が歩いた通路〕に見立てられて、[通]の字源となり[通]の初文の[甬(よう)]の字源でもあった。この[甬]と[虫]が組み合わさる字は「さなぎ」を字義とする[蛹]である。つまり、[奴]の字源の「鬼の姿に似る銀河」は[虫]の字源でもあった。ゆえに、「若狭」の上南・下北の地形は〔蝶の幼虫と蛹〕の姿に相似するということで「蘇奴国」という名になった。
  「華奴蘇奴(かなさな)国」は京都府の「山城(やましろ)」であった。東上・西下の「山城」の地形は山地の草原に生息する〔ヒメシロチョウの成虫〕の両翼を広げた形に相似し、〔蛹〕の形にも相似する。ヒメシロチョウが食べる草は、華(はな)が藤色のクサフジやツルフジバカマである。[華]の金文形は「藤やクサフジのような房状の花びらと葉」の形に相似するように図案される。ゆえに、「華奴蘇奴国」は「山城」であっことになる。
  小国「鬼(き)国」は三重県南部の「志摩(しま)」であると考えられる。「志摩」の地形は「タカが嘴(くちばし)に餌をくわえる頭部」の形に相似する。志摩の〔英虞(あご)湾〕は〔タカの口〕の形に相し、〔英虞湾の南岸〕は〔餌を加えるタカの嘴〕の形に相似する。[鬼]の金文形は「北アメリカ星雲と長方形の暗黒天体部」の形に相似し、「北アメリカ星雲」を〔餌となる獲物にめがけて急降下するタカ〕に見立て、「長方形の暗黒天体部」は[皿]の字源であるので〔皿形のタカの巣〕をあわすものとなる。ゆえに、小国名の[鬼]の字義は「タカ(鷹)」となる。
 小国「鬼奴(きな)国」は和歌山県と三重県の一部の「紀伊」である。「紀伊」の地形は〔[鬼]のタカが[奴]の翼で空を飛ぶ姿〕に相似するので「鬼奴国」となる。
 「烏奴(あな)国」は高知県・徳島県の「土佐・阿波」、烏奴国の隣国の「奴国」は愛媛県・香川県「伊予・讃岐(さぬき)」であった。
  徳島県の北東端にある「鳴門の渦潮」の潮流は時速20km以上になることもあり、世界でも最高級の速度であるといわれる。轟々(ごうごう)とすさまじい音響を立てて豪快に渦巻く渦は直径は20m以上に達するものもある。この地の底からかきまわすかのごとく巨大に渦を巻く鳴門の渦潮の地響きは、瀬戸内海の女神が妊婦のごとく怒責(どせき)すなわち怒るがごとき大きな声を挙げて四国の土地に豊かな農作物を恵み、多数の子どもたちを出産させて子孫繁栄をもたらす、「非常に強大なエネルギー」をあらわす[奴]の字義を示すものとなる。土佐・阿波南四国の中央部に浦戸(うらと)湾があり、この〔浦戸湾〕の形は〔烏〕の体のように黒い「コールサック」の形に似ている。この〔浦戸湾〕と〔鳴門の渦潮〕は、南四国全体の陸地と比較すると〔小さい穴〕のように観えるので、「南四国(土佐・阿波)」の小国名は「烏奴(あな)国」となったのである。
 伊予・讃岐の北四国中央の燧灘(ひうちなだ)は人の〔首〕の形に相似し、〔伊予・讃岐〕の地は[奴]の字義となる「屈強の若者の肩甲骨や肩の筋肉」に相似する。また、〔伊予・讃岐〕の地を[奴]の字源となる「女性の骨盤」、〔燧灘〕は〔胎児が出産する骨盤口〕のようにも観える。ゆえに、伊都国の隣国の博多湾に面する福岡市街の奴国と同じ字を用いる、烏奴の隣国の「奴国」は「北四国(伊予・讃岐)」であったことになる。
  奴国の次は、小国名に[奴]の字が付く狗奴(くな)国である。 この狗奴国について、『魏志倭人伝』は末部で「倭の女王・卑弥呼と狗奴国の男王卑弥弓呼(ひみくこ)は素(もと)より和せず」と書く。ゆえに、奴国は倭国の境界となり、狗奴国は倭国の一員ではなかった。この状況を、『魏志倭人伝』は前半部で「次に烏奴国有り。次に奴国あり。これ女王の境界の尽(つ)くる所なり。その南に狗奴国有り」と書く。
   日本列島は東に伸びる。しかし、『魏志倭人伝』は「倭の道里を計るに、当然、呉の会稽(かいけい)や東治(とうじ)の東に所在するべし」と説明して、日本列島は〔東に伸びず〕に「南に伸びる」と記述する。つまり、卑弥呼王朝は方位規定を90度転回して〔東〕を「南」とする日本列島地理を制定し、この「90度の方位規定」は[倭]の字源をあらわすものであり、また日本列島に[人]の字源となる「長方形の暗黒天体部」がめぐってきたので、国の正式名は「倭人国」と定めた。ゆえに、「奴国の南に有る狗奴国」は現在方位だと「狗奴国は奴国の東に有る」ことになる。奴国の中心地は現在の愛媛県の県都の松山市であったとすると、松山市の東に岡山県の県都の岡山市がある。この岡山市が狗奴国の中心地ということになる。
  岡山県の南の瀬戸内海に香川県の小豆島(しょうどしま)が浮かぶ。この小豆島の形は〔狗〕の形に相似するので、小豆島も狗奴国であったにちがいない。小豆島の西の児島半島の形も〔狗の背中から尾まで〕の形に相似する。[狗]の字源は〔犬の姿〕に相似する「コールサック」である。「人の横顔に酷似する銀河」は〔人の横顔〕に類似する〔中国の海岸線〕に見立てられたので、「人の横顔に酷似する銀河の東隣の「コールサック」は〔黄海や東シナ海〕に見立てられた。これゆえ「コールサック」を〔小豆島と播磨灘〕に見立てると、その北の〔岡山県の陸地〕は[奴]の字源の「鬼の姿に似る銀河」に相当する。だから、「狗奴国」は「香川県小豆島と岡山県」であったことになる。

  以上のように、縄文のビーナスのポパイのように太い腕と大きな手は、『魏志倭人伝』の小国名において9ヵ国の名に使用される頻度(ひんど)が最多の[奴]の字源を示すものとなる。
  日本最古の国宝・縄文のビーナスは夏音文字が日本列島に伝来する約950年前に作られた土偶である。縄文のビーナスの上半身を抱え上げる腕と手は、益氏がもたらした夏音文字の[奴]を示すものであったから、尖石台地の芸術家たちには[奴]の字源は容易に理解できたにちがいない。尖石台地の土器や土偶が示す縄文芸術ならば、夏音文字は習得できた。
  縄文時代も同様に弥生時代もまた、堅い地面を開墾し耕作するには「奴」の若者の太い腕と大きな手が不可欠であったから、『魏志倭人伝』の小国名で使用頻度が最多の文字となったのである。

 縄文のビーナスが作られた今から約5000年前の後期縄文時代初頭における北緯36度の尖石台地の天頂緯度軸は、白鳥座α星から「鬼の横顔に似る銀河の後頭部につく目の形に似る銀河の北端」、そしてその隣の「鬼の横顔に似る銀河の角の先端(北端)」、さらに「十字の銀河の頭部の凸部」を通過した。この天頂緯度軸が通過した「鬼の横顔に似る銀河の角の先端」と「鬼の横顔に似る銀河の後頭部につく目の形に似る銀河の北端」は、縄文のビーナスが頭にすっぽりかぶる〔帽子〕のモデルとなった。というのも、縄文のビーナスの側身形における〔帽子〕の傾きは、「鬼の横顔に似る銀河の角の先端から後頭部につく目の形に似る銀河部」までの形状に相似するからである。その〔帽子〕の頂上部が〔平ら〕であるのは、天頂点と重なる時の銀河部位の軌道は[玄]の字源となる「真東から真西へと平らな極細の線」を描くからである。

  縄文のビーナスの〔帽子〕の平らな頂上部には〔渦巻き〕の文様が刻まれる。
  山梨県東八代郡御坂(みさか)町の花鳥山遺跡から出土した諸磯(もろいそ)C式の深鉢は、『古事記』の上巻が記す天之御中主神の時代、すなわち今から約6000年前から約5000年前までの前期縄文時代に作られたとされる。この深鉢の中央部より下段は筒形となり、中央部分でいったんくびれ、上段は波状口縁(はじょうこうえん)に向かって朝顔の花のごとく大きく外反(がいはん)する器形となる。この上下二段に規則的な渦巻き文がくりかえされている。
  山梨県東八代郡御坂町の桂野遺跡から出土した勝坂(かつさか)深鉢は、高御産巣日神の時代、すなわち今から約5000年前から約4000年前の中期縄文時代に作られた。この深鉢は底部がすぼまり、胴部は円筒形である。この胴部全面を強力なエネルギーが感じられる大中小さまざまな大きさの渦巻き文が埋めつくし、余白として残した部分に波状文、平行線文、二分の一の渦巻き文などで装飾されている。
  また、縄文中期に作られた新潟県信濃川流域の火炎式土器の胴部もエネルギーあふれ出る渦巻き文で飾られ、口縁部の火炎の突起部も渦を巻くかのごとくに造形される。
  そして、群馬県吾妻(あがつま)郡吾妻町の郷原遺跡から出土したハート形土偶は、神産巣日神の時代、すなわち今から約4000年前から以後の後期縄文時代に作られた。このハート形土偶の正面身体部の胸の上、両腕、両腿(もも)、また背中の首下から腹部にかけて、両腕、両腿の部分に渦巻き文がほどこされている。

  このような縄文時代の土器の表面を埋め尽くす渦巻き文と土偶にほどこされた渦巻き文は、日本列島の天頂にめぐってきた無数の星がひしめきあって集まり渦を描く「造化の参神」すなわち「三つ輪の銀河」のうちの「中央の円形の銀河部と南隣の輪の銀河部」を造形するものであった。
  草創期、早期の縄文時代においては、日本列島の天頂を「十字の銀河の頭部の北側の結縄(けつじょう)の銀河部」あるいはさらにその北側、また「三つ輪の銀河の北の輪の銀河部」がめぐってきた。この領域は銀河の帯からの外(はず)れるので、目星(めぼし)い星が見あたらない。この形状を太安万侶は『古事記』の序で「それ混元すでに凝りて、気象いまだ効(あらわ)れず、名の無く為(わざ)も無し。誰かその形を知らむ」と表現した。
 したがって、縄文前期以後の土器や土偶にデザインされた「造化の参神」をあらわす「渦巻き文」は「気象」をあらわすものであったことになる。
 前期縄文以後、天頂緯度軸の付近に縄文のビーナスがモデルとなる「十字の銀河」と「鬼の姿に似る銀河」がめぐってきた。ゆえに、天頂を通過する「三つ輪の銀河の密集する星」は〔天に輝く星〕、「十字の銀河」が〔銀河〕と〔道を切り開いて歩く人〕に、「鬼の横顔に似る銀河」が〔天頂点をキャッチする人の顔〕に、「鬼の姿に似る銀河」は〔人が歩く地〕に見立てられることになった。
  このように天頂緯度軸付近に、乾坤(けんこん)すなわち「天と地」に見立てることができる天体部が出現した状況となるので、安万侶は「しかれども乾坤初めて分かれて、参神造化の首(はじめ)を作(な)す」と表現した。

  「造化の参神」である「三つ輪の銀河」は[麗]の字源となった。「三つ輪の銀河」が天頂を通過した時、その下(南南西)に「オス鹿の横顔に似る銀河」がある。ゆえに、[麗]の字形の上部は「三の輪の銀河」、下部の[鹿]は〔三つ輪の銀河の下にオス鹿の横顔に似る銀河がある〕と表示するものとなる。
  「三つ輪の銀河」が天頂に位置する状況は、たくさんの音の無い花火が炸裂(さくれつ)して天空いっぱいに広がる息をのむ壮麗な光景、あるいは天空いっぱいに砂金が敷きつめられるような豪奢(ごうしゃ)壮麗な極みとなる。ゆえに、「三つ輪の銀河」は[麗]の字源となった。
  古代エジプトでは、【文字と学問において特に重大な銀河の形状】を【神】と呼んだ。ゆえに、古代エジプト人は、【銀河各部の銀河】から図案化した【文字】を【メドゥウ・ネチェル】すなわち【神の言葉】と呼んでいた。この【神の言葉】は精巧かつ精緻(せいち)なレリーフ(浮き彫り)、色鮮やかな壁画、贅(ぜい)を尽くした王の墓などにおいて黒・青・緑・黄・赤・白といった色を使い麗しく彩色されて装飾された。

 この古代エジプト文字の【神の言葉】と同様に、縄文土器の表面を埋め尽くして飾る渦巻き文や躍動的に駆けめぐる奔放(ほんぽう)な曲線文様の装飾や火炎のようにあるいは渦を巻くように造形される異様な突起で飾られる口縁部は、壮麗な【造化の参神の言葉】をあらわすものだったのである。
  中国から日本列島に渡来した益氏の王子と若者たちが話す夏音は縄文人たちにはまったく理解できない言葉であった。しかし、【造化の参神の言葉】を聞いて理解できる縄文の芸術家たちには、夏音文字の学芸を習得することができた。
  このように、益氏が説明する【言葉】を縄文人が自分たちの【言葉】に訳して夏音文字を習得するものではなかった。
  夏音文字は、夏音文字と造化の参神の時代の土器と土偶が作られた【銀河各部の形状】を用いて習得された。
 だから、【文字】は【銀河各部の形状】であったと断定すべきことになる。
  学者たちは【文字】は【言葉をあらわす記号】と断定するが、この定説は根本的に誤っている。また、
学者たちは、夏音文字を刻んだり書かれている史料が出土してこそ「夏音文字はわが国に伝来していたことになる」と断定するが、この断定も根本的に間違っている。
  「夏音文字は銀河各部の形状から作られた」と縄文人たちが理解して習得できたと科学的に証明できれば、夏音文字はわが国に伝来したと断定すべきことになる。

  縄文人による夏音文字の習得は、学者たちの【古代文字】は【言葉をあらわす記号】であったという定義が根本的に誤っていることを科学的に証明するものとなる。なぜならば、【古代エジプト文字】も【夏音文字】も【銀河各部の形状】であったと科学的に証明できるからである。

  白川静著『字統』(平凡社)の9頁から10頁にかけての「わが国の漢字音」と題する項目で次のように指摘する。
 「古紐(こちゅう)や古韻(こいん)の研究は、西洋の言語学・音韻学がとり入れられ、殊(こと)にその音韻史研究によってえられた諸法則が、原理的にほぼ適用しうるという関係もあって、カールグレンがその方法を開いてから、急速な進展をみせている。そしてその結果、わが国の国語として残されている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかになった。」
  1979年に小学館が刊行した『日本古代史の旅 3 邪馬台国なぞの古代国家』は、「中国には卑弥呼が生存した魏(3世紀)以前の中古音と上古音が残っており、〔卑弥呼〕を中国の上古音で読めば〔ピミカ〕、魏以前の中古音で読めば〔ピミエクゥオ〕である」と記す。
  カールグレンの音韻学にもとづくと、『魏志倭人伝』の「卑弥呼」を〔ヒミコ〕と読む字音をはじめとする人名・小国名・官職名などの字音は、中国の上古音よりも古いことになる。
  白川静博士は『字統』の19頁で「漢字は、もと1音であったはずである」と指摘する。『古事記』上巻の〔音〕という注が付く夏音文字の字音は1字1音である。
 出土史料を絶対的な史料とする「わが国において漢字を初めて習得したのは応神(おうじん)天皇時代である」と断定する日本古代史学界の定説だと、わが国の最古の字音は中国の上古音よりも新しい応神朝と同時代であった百済(くだら)や北魏(ほくぎ)、あるいは梁(りょう)などの字音でなければならないことになる。
  だから、学者たちが主張する定説は、わが国に応神朝よりはるか以前の中国の上古音よりもさらに古い1字1音の夏代初頭に習得した夏音が『古事記』上巻と『魏志倭人伝』になにゆえ残っているのか、矛盾もはなはだしく、科学的、合理的に説明することがまったく不可能となる。
  学者たちは現在の【文字】が【言葉をあらわす記号】であるから古代漢字もまた【言葉をあらわす記号】であるにちがいないと思いこむ。しかし、わが国の夏音文字と中国の甲骨文字と金文の字形と古代エジプト文字によって、【銀河各部の形状】が【文字】であると科学的に証明される。
  あるいは、「造化の参神」の秘密を科学的に具体的に解明できる縄文のビーナスが出土した長野県茅野市の尖石台地の縄文遺跡や遺物、秋田県鹿角(かづの)市の所在する夏代初頭の国の特別史跡・大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)、『魏志倭人伝』と同時代に作成された静岡県浜松市北区細江町の1千万坪の大鳥の地上絵、京都市の竜安寺の石庭、滋賀県彦根市の3千万坪の羽のない大鳥の地上絵、京都市の桂離宮の庭園によっても、【銀河各部の形状】は【文字】であった科学的に具体的に証明できる。
  大嘗会(だいじょうえ)において天皇の頭上に高々と差し上げる王冠もまた、【銀河各部の形状】が【文字】であったと表示する。
  日本の学界の【文字の習得の定説】には科学的根拠・理由がまったく存在しない。要するに、錯覚あるいは幻想なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年1月20日 (金)

枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は”世界の文字は銀河から作られた”と証言する・38

 『魏志倭人伝』末部に近くの魏の正始8年・247年の記事に、魏の出張機関である朝鮮半島に所在した帯方郡政庁を訪問して、倭国と狗奴国(くなこく)の戦況を説明した倭の使節の長官「載斯烏越(そしあお)」という人物が登場する。
 この倭の使節の長官名の先頭字[載]の初文の字について、インターネットは「入力できない文字で、保存できない。該当の文字を削除するか別の文字に変更してください」と表示る。それゆえ、この[載]の初文を[載]と表記することにする。

 白川静著『字統』は[載]の字源について「載にことをはじめる意がある。載は戈(ほこ)をつけて祓(はら)うことを意味する字で、それは軍事をはじめるときの儀礼を意味したものとお思われる。載はおそらく兵車を祓う儀礼で、これによって軍行が開始されるのであろう」と解説する。
 この『字統』の[載]の字源解説が示すように、載斯烏越は武将であった。
 武将であるから、倭国と狗奴国の戦況を報告する役目をになって海を渡った。
 当時、倭と魏は軍事同盟を結び、1年前の246年ころに帯方郡の太守の弓遵(きゅうじゅん)が、馬韓の首長を中心とする勢力の帯方郡の軍事基地を攻撃によって戦死した。このような韓の反乱がおきたときには、魏と軍事同盟を結ぶ倭軍が韓に出兵して支援しなければならなかった。しかし、倭にあっても狗奴国との戦いで、魏との軍事同盟の約束をはたすために倭軍を割(さ)く余力がなかった。このため、倭国が魏軍・帯方軍を支援できなかった事情を説明するために、載斯烏越は帯方郡政庁を訪問したのである。

 「載斯烏越」の[斯]は[其(き)]と[斤(きん)]は組み合わさる字である。白川静著『字統』は[斤]の甲骨文字の字形を「斧(おの)の形」と解説する。[其]の甲骨文字と金文の字形によって、[其]の字源銀河は「長方形の暗黒天体部」であると証明できる。[其]の甲骨文字と金文の字形の基本部にある[×]の図書は「長方形の暗黒天体部の南側の2連菱形枡の銀河部」をあらわしていることになる。というのも、二つの菱形が連結する部分は[×]の形になるからである。
 そうすると、[基]の「長方形の暗黒天体部」は「コールサックの北部」である。「コールサックの北部」は東西に分かれて、「長方形の暗黒天体部」もその西隣の「暗黒天体部」も[斤]の字源の〔「斧の刃の形〕に相似し、「コールサックの南部」は〔斧の柄の形〕に相似する。
 この〔斧の刃の形〕の北隣は「鬼の姿に似る銀河」である。
 当時は日本列島の基準緯度・北緯35度の土地の天頂に白鳥座γ(ガンマ)星が通過した。この白鳥座γ星が天頂にめぐってきたときに「十字の銀河」のほうを見ると、「十字の銀河」周辺の「オス鹿の横顔に似る銀河」は〔葉が茂る樹木の葉冠部(ようかんぶ)〕に観え、「鬼の姿に似る銀河」は〔樹木の太い幹〕に観える。そして、〔斧の刃の形〕に相似する「コールサック北部の西側の暗黒天体部」は〔樹木の根の部分〕となる「鬼の身に相当する銀河の南の足」の部分にくいこむように観える。ゆえに、その「斧の刃の形に似る暗黒天体部」は〔樹木の幹〕に観える「鬼の姿に似る銀河」の根元から切り倒す〔斧の刃〕のイメージとなる。
 『説文解字』は[斯]の字源を「柝(さ)くなり」と解説する。この字源解説に登場する[柝]の編は[木]である。この[柝]の[木]は〔樹木の幹〕に観える「鬼の姿に似る銀河」ということになる。また、[斯]の字源解説の「柝くなり」は「樹木の幹を裂(さ)くなり」となるから「樹木を根元から斧を使って切り倒す」と意味するものとなる。
 上記した「軍事をはじめる」をあらわす[載]に[斯]の字義を合わせると、「鬼の姿に似る銀河」は〔人の姿〕にも観えるから、[斯]の字源となる「斧で大木を切り倒す」を意味する「柝くなり」は「戦争で多数の敵の兵を殺す」と意味するものとなる。
 
 
 以上からして、[斯]の字源銀河は〔太い樹木の幹〕に相似する「鬼の姿に似る銀河」の根元を切り倒す〔大きな斧の刃〕に観える「コールサック北部の西側の暗黒天体部」となる。
 当時(3世紀中ごろ)、日本列島の基準緯度の北緯35度の天頂緯度線は、白鳥座γ星から[斯]の字源となる「コールサックの北部の西側の暗黒天体部の中央部」から「長方形の暗黒天体部の中央部」へと貫通していた。

 「コールサック」は「載斯烏越」の[烏]の字義「カラス」の姿に相似して黒い。また、カラスは死者に群がって肉を啄(つい)ばむ。ゆえに、[載][斯][烏]の3字は武将の名であると示す。
 当時(三国時代)は中国においても、若者が軍を指揮した。魏の曹操(そうそう)の子の曹丕(そうひ)は18才で戦場に出て軍を指揮し、蜀の名臣・諸葛孔明(しょかつこうめい)も青年軍師であり、呉の孫権(そんけん)も戦いを指揮する青年であった。つまり、中国でもわが国でも戦いは青年武将が指揮するものと定まっていたのである。というのも屈強な体力を有する生命力あふれる若者には、戦いに勝つことができる呪能(じゅのう)が最もそなわっていると信じられていたからである。
 だから、載斯烏越の「烏越」は「青」をあらわし「青年武将」を意味していたと考えられる。

 『三国志』の呉書孫権伝に、下記のような記述がある。
 「将軍衛温(えんおん)、諸葛直(しょかつちょく)を遣(つか)わし、甲士(武装兵)万人を将(ひき)いて海に浮かび、夷州(いしゅう)及び亶州(たんしゅう)を求めしむ。」
 中国の正史『後漢書(ごかんじょ)』倭伝は「紀元前3世紀に、秦(しん)の始皇帝(しこうてい)から蓬莱(ほうらい)の神仙の不老長寿の薬を求めるように命令された方士の徐福(じょふく)が童(青年男女)数千人連れて大海を渡って日本列島に到着したが、不老長寿の薬を発見することができず、死刑をおそれて中国に帰還しなかった。この徐福一行が移住した地が東鯷人国(とうていじんこく)であり、夷州と亶州は東鯷人国にある2州である。3世紀、東鯷人国に定住した徐福一行の子孫たちは数万家となっていた。この東鯷人たちは大海を越えて定期的に呉の会稽(かいけい)港に到着して交易をしていた。しかし、この東鯷人が往来する海の道は、中国の人々には遥(はる)か遠くまで続いて道が途中で絶えて消えてしまうので、絶対に往来することはできない」と説明する。

 呉の孫権は、魏の背後の燕地(えんち)の公孫淵(こうそんえん)が燕王になれず魏の臣下であることに不満を抱いていると見抜いて、魏を倒すために魏の背後の脅威(きょうい)となる燕地の淵を呉と蜀の天下二分軍事同盟国に組み入れようと計画して、燕地に密使を派遣した。
 しかし、淵は呉と蜀の連合軍と軍事同盟を結べば、魏と軍事同盟を結ぶ卑弥呼が統治する倭軍が背後から魏が前面から燕軍を攻撃するから燕は滅亡すると考えて孫権の説得に同意しなかった。
 そこで、倭の背後の東鯷人国の海に呉の一万の水軍を遠征させせれば、東鯷人国は呉軍に占領されまいと隣国の倭に支援を求めるにちがいないと考えた。つまり倭の東鯷人国が呉軍に占領されると、東鯷人国は倭の背後の脅威となるので、倭は東鯷人国に多数の軍兵を派遣して防衛しざるをえないことになる。
 孫権は淵を味方に引き入れて呉と蜀と燕の3連合国軍で魏を倒すために――倭軍が魏軍を支援できなくすれば、淵も安心して呉・蜀連合国と軍事同盟を結ぶにちがいないと戦略を立てた。この戦略を成功させるために、東鯷人国に遠征した水軍は戦ってはならず、東鯷人国の人民が恐怖を感じるようにして帰還せよと命令していたのである。

 208年、中国の戦争史で有名な赤壁(せきへき)の戦いがあった。
 わずか5万の呉・蜀連合軍は80万の曹操が率いる魏の大軍を撃破して劇的な大勝利をおさめた。この呉・蜀の連合軍を勝利に導いた中心的役割をはたしたのは2万の呉の水軍であった。
 魏の80万の大軍は赤壁の川岸に軍艦をならべ岸に密集して陣をかまえた。
 その決戦の日、折しも強風が吹いていた。
 呉の兵たちは舟に枯れ柴(しば)の束を積んで火を放ち、その舟を魏の艦列へ突っ込ませた。枯れ柴の赤い火は軍艦に燃えうつり、その火は強風で一気に勢いづいて黄色い火炎の竜となって次から次へ軍艦を呑みこみ数匹の竜と化し、さらにその火炎の竜は岸辺の陣まで延びて暴れまわり魏の大軍を壊滅させた。

 この赤壁の戦いから12年後すなわち呉の黄竜2年(230)、1万の呉の水軍は日本列島の東鯷人国への遠征の旅についた。この情報は呉の会稽港で交易する東鯷人が国王に報告したのか、あるいは232年に燕の淵への密使に任命された呉の一員が山東半島にて拿捕(だほ)されたので魏の役人たちが彼らを責めて日本列島遠征を白状させ魏から倭政府に伝えられて東鯷人国の王のもとにとどいたかは不明である。
 赤壁の戦いにもとづいて大雑把(おおざっぱ)にいうと、呉の1万の水軍は40万の魏の大軍に匹敵(ひってき)することになる。このような呉軍と戦ってもまったく勝ち目がないと考えた東鯷人国の王は卑弥呼が治める倭国に服属した。ゆえに、東鯷人国は国名が改められて「日本国」となった。

 この小国・日本の女王に13歳の壱与(いよ)が選ばれて赴任した。
 13歳の乙女は最も澄む瞳を有するものであるから、敵の戦力を奪う呪能が最も優る年齢と信じられていた。ゆえに、壱与は媚蠱(びこ)の女王であった。
 白川静著『字統』は「媚蠱」の[媚]の字源について「初義は媚蠱とよばれる呪術を行う巫女(みこ)をいう。(中略)。敵の呪的な能力を奪うことができるので、(中略)、媚とは美しき魔女、媚態(びたい)・媚辞(びじ)はすべて魔女的な行為である」と解説する。
 「壱与」の[壱]の字源銀河は「十字の銀河の子宮」である。[与]の字源銀河は「黄河の氾濫の形状に似る銀河と長方形の暗黒天体部」である。
 つまり赤壁の戦いで勝った戦績を有し〔黄竜〕という年号に遠征して火の竜と化す呉軍に対抗して、小国・日本の女王の「壱与」という名は「天(すなわち十字の銀河の子宮)から降る大雨で氾濫した激流の水中に潜(ひそ)む龍と化すように日本軍の戦力を強大にし、燃え上がる火の勢いの呉軍の戦力を大雨でことごとく消し奪って勝利を導く日本軍の魔女(媚蠱)」と意味した。

 『説文解字』は[竜(龍)]の字源を「鱗蠱(りんこ)の長なり。能(よ)く幽にして能く明、能く細にして能く巨、能く短にして能く長」と解説する。
 [火]の字源銀河は「北アメリカ星雲」である。ゆえに火攻めで魏の大軍に勝った呉軍の「黄竜」という年号の[竜]は「北アメリカ星雲」があらわすことになった。「北アメリカ星雲」は〔竜の顔面〕の形に、北アメリカ星雲の東隣の「白鳥座のξ(クサイ)星」と「白鳥座の56・57があるペリカン星雲のキツネの顔となる銀河部」は〔竜の両目〕の形に相似する。これゆえ、この〔竜の顔面〕に観える〔呉軍〕に見立てた「北アメリカ星雲」は『説文解字』が「能く明、能く細、能く短い」と解説した[竜]の字源をあらわすことになった。
 「壱与」の[与]の字源の一部となる「黄河の氾濫の形状に似る銀河」は[水]の字源となり、水中に龍の顔が見えて潜(ひそ)むように激流・氾濫に観えるので「潜龍(せんりょう)」の語源となり、また大雨が降って龍が潜む激流・氾濫に観えるので「雨龍(あまりゅう)」の語源となった。これゆえ、〔日本軍〕に見立てる「黄河の氾濫の形状に似る銀河」は『説文解字』が「能く幽、能く巨、能く長」と解説する[龍]の字源をあらわした。
 したがって、竜の顔に似る「北アメリカ星雲」に見立てた火の呉軍よりも潜龍・雨龍となる「黄河の氾濫の形状に似る銀河」に見立てた水の日本軍の呪力は数段勝る。
 このように小国・日本の女王は瞳が最も澄む年代の13歳の乙女を選び、この乙女の名を「壱与」と定めて、赤壁の戦いで魏の大軍に勝利して黄竜2年に呉の港を出発した呉軍の能力を奪う日本軍の媚蠱とした。
 
 このような秘密が小国・日本誕生史にあったので、日本の紋章には「雨龍」という名の家紋がある。「平角雨龍」という名の家紋は「長方形の暗黒天体部の北部の形」と共通して〔正方形〕に図案され、「隅(すみ)立て雨龍」と「雨龍菱(あまりゅうびし)」という名の家紋は「長方形の暗黒天体部の南部の2連菱形の銀河部」の〔菱形〕に図案される。この「雨龍」の顔と両目は呉軍に見立てた「北アメリカ星雲」(顔面)と「白鳥座ξ星と56・57があるキツネの顔となる銀河部」(両目)に相似するように図案される。

 したがって、上記で解説した青年武将の「載斯烏越」は13歳の壱与と結婚した夫であり、呉軍を迎え撃つ小国・日本を防衛する軍王(いくさのおおきみ)であったことになる。
 ゆえに、「載斯烏越」という名の「烏越」は「青」であり、この「青」は「青年」と「水の青」を意味した。この「水の青」は、呉軍を象徴する「赤壁」の赤色の炎と「黄竜」の黄色い火に対抗する日本軍を象徴する「水の青」をあらわしたのである。
 真っ黒な「コールサック」の北部は東の「長方形の暗黒天体部」と載斯烏越の[斯]の「斤」の字源となる西の「斧の刃の形に似る暗黒部」に分かれる。この東と西に分かれる「コールサック」の北部の暗黒天体部の中央に、「北アメリカ星雲」がある。
 このように北部が東と西に分かれる「コールサック」は〔背中合わせに、東と西に分かれる烏(カラス)の姿〕に相似する。「壱与」の[与]の字源となる東の「黄河の氾濫の形状に似る銀河」の水が溢(あふ)れ越えて[斯]の字源となる「斧の刃の形に似る暗黒部」まで達すると、中央の「北アメリカ星雲」に見立てた呉軍の〔火と竜〕は〔大量の水に呑みこまれて消滅する〕ことになる。だから、日本の軍王の名に「烏越」という語が加えられたのである。

 中国では紀元前1世紀に天の北極を最も重視するシナ天文学が完成して、天頂緯度測定を習慣が廃絶(はいぜつ)された。
 このため、上記したように、『後漢書』倭伝が東鯷人国を説明する記事の末部に「所在絶遠にして往来すべからず」と記述するように、中国の人々は大海中の日本列島に渡ることができなくなった。
 しかし、当時、中国と日本列島の天頂に精密に緯度が測定できる最も理想的な「長方形の暗黒天体部」がめぐってきた。ゆえに、天頂緯度測定の習慣が存続する日本列島に居住する倭人と東鯷人(小国・日本人)は大海を往来できた。
 天頂緯度測定の習慣を失った1万の呉の遠征軍の8割から9割の兵士たちは位置も方角もまったく見当がつかなくなって大海原を漂流して藻屑(もくず)となって消え壊滅(かいめつ)した。
 帰還した遠征軍の将軍衛温と諸葛直を、孫権は、“功無かりき”と罰して誅殺(ちゅうさつ)した。
 この東鯷人国への1万の遠征軍は呉・蜀・燕連合軍が魏を倒すときの中心となる重大な戦力であった。ゆえに、孫権は――将軍の衛温と諸葛直に東鯷人国の沿海で、倭が東鯷人国を占領されてなるものかと大軍を派遣して防衛しざるをえないほどに呉軍の脅威を示したならば、上陸して戦わずに兵力を保持したまま帰還せよ――と命令していたにちがいないのである。本来、魏を倒すときに活躍すべき兵たちを衛温と諸葛直は8割から9割も失った。ゆえに、孫権は二人を“功無かりき”と言って処刑した。

 この回の冒頭に記述したように、247年、小国・日本の軍王の載斯烏越は帯方軍の太守の弓遵が戦死する韓の反乱に倭軍が支援できなかった倭と狗奴国の戦いを説明するために帯方郡政庁を訪問した。
 本来ならば倭の将軍がなぜ魏との軍事同盟の約束をまもれなかったのかを説明するために、帯方郡へ訪問すべきであった。ところが、倭の将軍が訪問して説明すると軍事同盟をなにゆえ守らなかったのであるかと帯方郡の太守に厳しく責められる。ゆえに、厳しく問い詰(つ)められることを避けるため、魏・帯方郡と軍事同盟を結んでいない倭の属国となった小国・日本の軍王の載斯烏越が郡を訪問したと考えられる。

 倭と敵対する狗奴国は、現在の岡山県と香川県の小豆島(しょうどしま)である。
 小豆島の地図の形は〔狗(いぬ)の姿〕に相似する。岡山県の中心部の児島(こじま)半島は〔狗の背中から尾〕の形に相似する。[狗]の字源は〔犬の姿〕に相似する「コールサック」である。
 この「コールサック」の形状から〔海〕が連想され、「鬼の姿に似る銀河」の形状から〔陸地〕が連想される。〔児島半島〕の〔狗の姿〕は西に頭があり東に後ろ足がある。この〔狗の姿〕は「鬼の姿に似る銀河」の西に頭があり東に足がある様子に共通する。ゆえに、〔児島半島〕と児島半島より北側の〔岡山県〕は「鬼の姿に似る銀河」見立てられた。
 〔狗〕の姿に似る〔小豆島〕と「コールサック北部」に見立てられる〔瀬戸内海〕に浮かぶ〔小豆島〕が[狗]の字源をあらわす地宜(ちぎ)すなわち平面的に図化した地図の形となり、〔岡山県〕に見立てられる「鬼の姿に似る銀河」は[奴]の字源となるものであったので、「小豆島と岡山県」は「狗奴国」と呼ばれることになったのである。
  この狗奴国を、日本国の軍王・載斯烏越が倭軍と日本軍を指揮することになった。だから、載斯烏越が狗奴国を征討して軍事同盟の約束を必ず守れる状況にすると約束して、倭政府は帯方郡太守の厳しい問い詰めをかわさんとしたのである。

 『魏志倭人伝』の魏の景初2年(238)年に魏の明帝が約束した詔書(しょうしょ)と印授(いんじゅ)は正始(せいし)元年(240)に帯方郡の太守・弓遵が使節を派遣して倭王(この年に、卑弥呼はすでに没していたにちがいない)に魏との軍事同盟をまもるようにと拝仮(はいか)つまり仮(かり)にあたえた。そこで、倭王は帯方郡の使節に託して前年に死去した明帝に代わる斉王に上表(じょうひょう)し、魏の恩恵に謝意をあらわした。
 正始6年(245)、魏の斉王は詔を下し、倭の外交正使(現在の外相)の難升米(なしめ)に魏軍の黄色い軍旗の黄幢(こうどう)をあたえることにし、帯方郡太守・弓遵に託して仮に授けた。この翌年(246年)に弓遵は反乱によって戦死した。
 247年、帯方郡の太守の王頎(おうき)が着任した。この年に、小国・日本の軍王の載斯烏越が帯方郡政庁を訪れて、魏との軍事同盟の約束をはたせなかった原因となった倭国と狗奴国との戦いの状況を説明した。
 小国・日本と魏・帯方郡は国交を結ぶものではなかった。
 そこで、帯方郡太守・王頎は外交の鉄則(てっそく)にまもらずに国交を結ばない日本国の軍王の載斯烏越に詔書と黄幢を手渡すと厳しく罰せられるので、帰国する載斯烏越一行の船に便乗(びんじょう)させて塞曹掾史(さいそうえんし)の張政(ちょうせい)一行を倭に派遣した。
 帯方郡使の張政は倭の外交正使の難升米に詔書と黄幢を仮に授けた。そして、魏の対東方政策の方針のとおりに反乱がおこらないように韓を制圧するためには、倭軍の支援が不可欠であるゆえ狗奴国を滅亡しなければならない立場を告げ諭(さと)す檄(げき)・軍書を作った。

 しかし、この狗奴国攻撃を小国・日本の国作りの柱を〔愛〕と定めた倭女王・壱与が反対した。
 この倭女王・壱与が狗奴国征討を反対したことは、舒明(じょめい)天皇が詠んだ『万葉集』の5番の「讃岐国(さぬきのくに)の安益郡(あやのこおり)に幸(いでま)す時に、軍王(いくさのおおきみ)の山を見て作る歌」の長歌と6番の反歌(はんか)で知ることができる。この和歌の題詞の「軍王」は載斯烏越であり、載斯烏越は狗奴国・児島半島が真正面に見える、安益郡つまり現在の綾歌(あやうた)郡の讃岐富士(飯ノ山)に本陣を構えて、魏との軍事同盟をまもるために指揮して狗奴国王権を滅亡させた。
 また舒明天皇の子の中大兄(なかのおおえの)皇子(のちの天智天皇)が作った『万葉集』13番の「大和三山の歌」と14番・15番の反歌も、壱与が狗奴国討伐を反対したと伝える。13番の「大和三山の和歌」における「天の香具山(かぐやま)」は「壱与」をあらわし、「雄男しい畝傍山(うねびやま)」は「載斯烏越」、「耳梨山(みみなしやま)」は「天照大神」をあらわす。13番の和歌は――正妃の壱与は夫の載斯烏越は猛々(たけだけ)しく狗奴国を征討することばかり主張すると嘆き、第2后の天照大神は狗奴国は魏との軍事同盟はまもるべきであるから狗奴国征伐は決行すべきあると主張して、壱与と天照大神は妻の座をめぐって争った――と詠む。
 また、『播磨国風土記』の〔阿菩大神(あぼのおおかみ)〕の説話は大和三山の争いを語るものであるから、壱与が狗奴国征伐を反対したことを伝えるものとなる。

 弥生中期から後期にかけて瀬戸内海地方や大阪湾にのぞむ地域に山丘上に設けた集落が点在する。これらの集落は一般に海上や平野を眼下にのぞむ、眺望(ちょうぼう)のひらけた高い地所に設営されている。
 これらの遺跡は、弥生集落の最も一般的なあり方である農耕を中心とする集落と考えにくい特色を有している。ゆえに、これの遺跡は軍事的な狼煙台(のろしだい)の役目があった集落であると考えられている。
 注目すべきは、これら狼煙台の遺構(いこう)集落は、小豆島と岡山県をとりかこむ陣形になっている点である。ゆえに、小豆島と岡山県は卑弥呼と素(もと)より仲が悪い狗奴国であり、載斯烏越に征伐された狗奴国王権であったにちがいない。

 倭女王・壱与は狗奴国征討伐を反対したが、天照大神が代わって「壱与」の媚蠱となり、載斯烏越が讃岐富士から倭軍と日本軍を指揮して狗奴国を征討した。
 このような経緯があったので、『魏志倭人伝』は「帯方郡使の張政は二度も檄を作って、魏の立場を告げ諭した」と記述する。
 狗奴国王権は載斯烏越に討伐されて滅亡したので、難升米に拝仮された詔書と黄幢は正式に倭に授けられることになった。
 『魏志倭人伝』の最後は「代理の壱与となった天照大神は、倭の大夫率善中郎将(そつぜんちゅうろうしょう)の掖邪狗(ややこ)等二十人は派遣し、船に乗せて張政たちを帰還させた。倭の使節・掖邪狗一行は魏都に到着して、男女生口(せいこう)三十人を献上し、白珠(はくしゅ)五千孔・青の大句珠(だいくしゅ)二枚、異文(いぶん)の雑錦(ざっきん)二十匹を貢献(こうけん)した」という記事で終わる。

 以上のごとく、『魏志倭人伝』の載斯烏越が登場する正始8年から末尾までの記述は、日本国誕生史に関して説明する。
 ゆえに、夏音名の「載斯烏越」は『古事記』上巻に登場する「伊耶那岐命(いざなきのみこと)」であり、狗奴国討伐に反対した夏音名「壱与」は「伊耶那美命(いざなみのみこと)」である。
 また、正始8年から末部の記事によって、倭の使節は精密に天頂緯度を測定して大海を往来していたことが明確に証明される。というのも、〔歳差〕という天文現象に着目して、当時の銀河各部の緯度状況を再現すると、中国とわが国の天頂を「長方形の暗黒天体部」がめぐってきたことが証明されるからである。

 「長方形の暗黒天体部」「壱与」の[与]と「載斯烏越」の[斯]と[烏]の字源となった。
 「長方形の暗黒天体部」は精密に天頂緯度を測定できる最も理想的な羅針盤であった。当時、中国では紀元前1世紀に完成したシナ天文のために天頂緯度を測定する習慣が廃絶したために大海を往来できなかったが、日本列島の倭と小国・日本(東鯷人国)では天頂緯度を測定する習慣が栄えていたので大海を往来できた。このため「長方形の暗黒天体部」は「鳥居」の語源となり、今日、〔鳥居〕を見て欧米人たちは〔日本〕を連想する。しかし、欧米の人々は「長方形の暗黒天体部」の産物の〔鳥居〕を見て〔中国〕を連想しない。
 倭の使節が「鳥居の銀河・長方形の暗黒天体部」を羅針盤にして大海を往来して魏と帯方郡と国交を結んだために、『魏志倭人伝』という文献史料が現存することになった。

  『魏志倭人伝』は幾つかの記事で、実際と異なって日本列島は東に伸びずに南に伸びると証言する。
 この転回日本列島地理は夏音文字の学芸で「東を90度転回して南にする」と定義する[倭]の字源を示すものである。だから、この転回日本列島地理にもとづいて、国名を「倭」と定めたのである。
 つまり、卑弥呼王朝は――国内の地理では日本列島は東に伸びることになる。しかし、南北に伸びる中国の海岸線と東西に伸びる日本列島の寒暖の気候を比較にすると、日本列島の同緯度における西方の地は寒く東方の地の気候は暖かく・中国の経度軸に沿って続く海岸線における北方の地は寒く南方の地は暖かい。ゆえに、寒い日本列島の西方と中国の北方の気候が合致し、暖かい日本列島の東方と中国の南方の気候は一致する。だから、南北に伸びる中国の海岸線の気候にもとづくと、日本列島は東に伸びずに南に伸びると確信できる――と日本列島地理を定めたことになる。
 この卑弥呼王朝が定めた転回日本列島地理は、738年に聖武(しょうむ)天皇の時代に誤っていると改定された。
 この日本列島地理を学者たちは「著者・陳寿(ちんじゅ)の誤った地理観である」と断定する。学者たちの断定意見の通りだとすると、卑弥呼王朝は天頂緯度測定を最も重視する夏音文字の天文地理学を廃絶したため、倭では天頂緯度測定の習慣が廃(すた)れ、シナ天文を習得して天の北極を最も重視していたことになる。
 そうすると、呉の遠征軍のごとく倭の使節は精密に緯度や方角をキャッチ」できなくなって大海を往来することができなくなるので、『魏志倭人伝』は1字もこの世に存在しなかったことになる。
 このように、学者たちの意見は『魏志倭人伝』のすべての記事を誤読すると言っても決して過言ではない、完全なる【誤読の産物】であり【空理空論】である。
 学者たちの意見だと“『魏志倭人伝』のほとんどの記事は絶対に信用してはいけない。ただし、『魏志倭人伝』が卑弥呼が居住した王国の名を「邪馬壱国(やまいこく)」と表記するが、これを「邪馬台国」と改めることはできる。この「邪馬台国」という名称の一点のみが正しい”ということになる。
 このような愚劣きわまる学説は世界中さがしてもどこにも存在しない。
 邪馬台国学説は「学説」と呼べるものではなく、完全なる荒唐無稽(こうとうむけい)のウソ八百である。
 『魏志倭人伝』は、世界の文字が銀河から作られた真実が科学的に解明できる第1級の重大な史料である。この重大な証言を、邪馬台国学者たちはことごとく抹殺(まっさつ)した。ゆえに、【誤読】でデッチあげた邪馬台国学説は人類共通の敵である。

 次回は、『魏志倭人伝』の正始8年の記事から末尾までの記事が伝えている、天皇の王冠の下の飾り・菅笠で表現された日本国の誕生史について解説する。この日本国誕生史を先人たちは絶対に失うことはできないとまもった。しかし、邪馬台国説学者たちは「文献批判」という名の【誤読】を用いて日本国の誕生史を抹殺した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年1月 7日 (土)

枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は”世界の文字は銀河から作られた”と証言する・32

 前回〔31〕において、「夏の銀河の東北部」はヒエログリフ「スカラベ」(糞を丸めて地面を転がす昆虫のフンコロガシ)の字源になったことを解説した。
 この「スカラベの姿に似る銀河」は、古代エジプト全土の天頂にめぐってきた。

 エジプトでは前王朝時代から、太陽と月は偉大なハヤブサの神「ホルスの眼」であると考えられていた。やがて、この「ホルスの眼」の太陽と月は区別されるようになり、左目(ホルスの眼)は月を象徴し、右目(ラーの目)は太陽を象徴することになった。
 「ホルスの眼」は表意文字となり、字源は人の目の形に相似する「北アメリカ星雲・ペリカン星雲と東隣と西隣の、白目の形に相似する暗黒部」である。
 糞(ふん)を球形に丸めて地面を転がす昆虫の〔スカラベ〕は、神々の中で最高位の太陽神のシンボルとなった。
 というのも、スカラベの頭には、太陽の光線のように観える鋸(のこぎり)のようなギザギザがあり、この太陽の光線のようなキザギザを「ホルスの眼」の太陽の象徴とされる右目(ラーの目)に見立てられたからである。
 今から5000年前の第1王朝時代において、スカラベの頭にある太陽の光線のように観える鋸のようなギザギザは「ホルスの眼」の右目に見立てられた。
 首都をメンフィスと定めた紀元前3000年の第1王朝から紀元前2180年の第6王朝末期まで、「スカラベの頭の光線のように観えるギザギザ」に見立てられた「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」のうちの「北アメリカ星雲の南端」が、エジプト国土の北限となるナイル川河口の北端(北緯31度35分)の天頂を通過した。
 これに加えて、前回〔31〕で解説したように、「スカラベの姿に似る銀河」はエジプト全土の天頂を通過し、エジプト人の信仰にあって太陽は常に高い位置をしめるものであったゆえ、エジプト全土の天頂にめぐってくる銀河の形に相似する〔スカラベ〕は太陽神を象徴することになった。さらに、「ライオンの開いた口」に見立てられた「黄道が通過する夏の銀河の西南部」の形状が〔糞を球形に丸めて転がすスカラベの姿〕に相似した。「黄道」は「天球上を通過する太陽の道」であるので、スカラベは最も位が高い太陽神のシンボルとなったのである。

 紀元前2180年から始まる第7王朝ころには、ナイル川河口の北端の天頂を通過した「スカラベの頭の光線に観えるギザギザ」に符合する「北アメリカ星雲の南端」は、地中海のほうへ乗り出して緯度が高くなっていた。つまり、ナイル川河口の北端の天頂を「北アメリカ星雲」に隣接する「長方形の暗黒天体部」や「ペリカン星雲」が通過するようになった。
 「長方形の暗黒天体部」は「大きな家」すなわち「王宮」(ファラオ)の字源となった。
 前回の〔31〕でも指摘したように、「北アメリカ星雲の南端」から3度隔てる南を、「長方形の暗黒天体部」内において目印となる部位が通過した――「長方形の暗黒天体部」の南部にあっては、東と西の辺に二つの菱形「◇」の枡(ます)が連なる。この二つの菱形枡の連結部は明るい銀河の輪郭(りんかく)が線となる。この目印となる〔線〕で結ばれる東西2辺の菱形枡の連結部は、「北アメリカ星雲の南端」から緯度が3度低い南であった。
 第6王朝の末期になると、「北アメリカ星雲の南端」が北緯31度35分のナイル川河口の北端の天頂にめぐってこないのが顕著になった。北緯28度35分のヘラクレオポリスはナイル川河口の北端よりも3度南である。このヘラクレオポリスの天頂に、「長方形の暗黒天体部の東西の2辺を線で結ばれる菱形枡の連結部」がめぐってきた。
 ゆえに、第7王朝は南のヘラクレオポリスに都を遷(うつ)した。 
 「長方形の暗黒天体部」は天頂緯度が精密に測定できる最も理想的な物差しである。
 ナイル川河口北端より緯度が3度南のヘラクレオポリスならば、〔歳差(さいさ)〕という天文現象によっておこる10年ごとに傾きが変わって緯度が約1分ずつ徐々に増大する「スカラベの姿に似る銀河」の様子を、「長方形の暗黒天体部」を物差しにすれば測量できた。
 だから、第7王朝はヘラクレオポリスへ遷都したのである。

 白鳥座β星は「スカラベの姿に似る銀河の後ろ足の付け根がある尻(しり)の右側」となる。これゆえ、白鳥座β星は「スカラベの姿に似る銀河」の傾きの変化を測量する目星となる。
 紀元前3000年に第1王朝が樹立(じゅりつ)されたエジプト王朝は、紀元前30年のクレオパトラ7世のローマの属州になって滅亡した。したがって、エジプト王朝は2970年間存続したことになる。
 この2970年間において、紀元前3000年の北アメリカ星雲の南端は北緯31度35分の土地(ナイル川河口の北端)の天頂に位置したが、紀元前30年にはエジプト北方の緯度が2度54分高い北緯34度29分の地中海上の天頂を通過するようになっていた。
 また、紀元前3000年の白鳥座β星はエジプト北部のヘラクレオポリスより15分南の北緯28度20分の天頂にめぐってきたが、紀元前30年においては3度21分低い北緯24度59分のエジプト南部のアスワンダムより北側のイドフの天頂を通過していた。
 紀元前3000年からエジプト王朝が滅亡した紀元前30年までにおいて、北アメリカ星雲の緯度は2度54分高くなった。
 しかし、同じ紀元前3000年から紀元前30年までにおいて、白鳥座β星の緯度は、逆に3度21分も低くなった。

 前回の〔31〕にて、〈ヘペレル(hprr)〉と発音する「スカラベ」という語を構成する4字の表音文字と決定詞「スカラベ」について解説した。
 決定詞「スカラベ」の左隣には、「口」の文字が上下に並ぶ。
 上の「口」は表意文字「ホルスの眼」の字源となる「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」が〔瞳〕となる「目の形に似る銀河」である。
 この「目の形に似る銀河」の目頭(めがしら)に、「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河の西端」が接する。
 この「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河の西端」は〔ナイル川に生息する大魚が開ける大きな口〕の形に相似する。
 また、「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」を中央にとする「コールサック」の北部の形は、〔人の唇(くちびる)の形〕に相似する。
 この「唇の形に似るコールサック北部」の東側の北部(「長方形の暗黒天体部の東辺」の北の角)が「ナイル川に生息する大魚の口に似る銀河」である。
 ゆえに、表意文字「口」の字源は「ナイル川に生息する大魚の口に似る銀河」と隣接する「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」を〔瞳〕となる「目の形に似る銀河」となった。

 ではなにゆえ、「スカラベ」という語の中に使用される「口」の上の字は「目」の表意文字や「ホルスの眼」にならなかったのであろうか。
 前回にて解説したように、下の「口」の字源は黄道と天の赤道が通過する「ライオンの開ける口となる銀河」だからである。
 上の「口」を表意文字の「目」や「ホルスの眼」にすると、「目」と「ホルスの眼」は〔黄道〕と直接的にむすびつかないので、「スカラベ」が〔黄道〕と直接的に結びつけられて神々の中で最も位が高い太陽神のシンボルに成ったことが不明となる。ゆえに、「スカラベ」という言葉の中には「黄道」と結びついて太陽神のシンボルに成ったことを明示するめに、同じ「口」の字が上下に並ばれることになったのである。

 前回にて〈ヘペル〉と発音する「~に成る」と意味する語は、上が決定詞「スカラベ」、下が表意文字「口」で構成される。この語に使われる「口」の字源は「糞を転がすスカラベの姿に似る夏の銀河の西南部」である。この「夏の銀河の西南部」に〔太陽の道〕である「黄道」が通過した。ゆえに、スカラベは「黄道」と結びつけられる、神々の中で最高位の太陽神のシンボルとなった。〈ヘペル〉と発音する語においては、右目が太陽を象徴する「ホルスの眼」を用いずに、「ライオンの開ける口となる銀河」を字源とする「口」の表意文字を用いて〔スカラベがなぜ太陽神のシンボルに成ったか〕を明確化したのである。このような事情〔スカラベは太陽神のシンボルに成った〕ゆえ、〈ヘベル〉と発音する語は「~に成った」と意味することに成ったのである。
 また、下記に説明する理由からして、〔目〕よりも〔口〕との関連性のほうが勝(まさ)っている。だから、「口」の文字は「~に成る」や「スカラベ」という語を構成する中に使用されることになった。
 「長方形の暗黒天体部の東辺」の北の角(かど)に所在する「ナイル川に生息する大魚の口に似る銀河」は扇(おおぎ)状に広がる。
 ゆえに、この扇状に広がる「大魚の大口に似る銀河」は、扇状に広がる〔ナイル川のデルタ地帯〕に相似する。ナイル川河口の北端のジムヤート岬からポートサイド港までの湖岸の形は〔人や魚の口〕に相似する。
 前述したように、紀元前3000年の第1王朝時代、ナイル川河口の北端・ジムヤート岬の天頂に「北アメリカ星雲の北端」がめぐってきた。
 この「北アメリカ星雲の南端」と「大魚の大口に似る銀河の西端」が接合する。「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」を〔瞳〕とする「目の形に似る銀河の西端」は「長方形の暗黒天体部の東辺」の北の角と接合する。
 このような状況であるゆえ、「北アメリカ星雲の北端」がジムヤート岬の天頂にめぐってきた第1王朝時代、「目の形に似る銀河」(「ホルスの眼」の字源銀河)は〔口〕の形に相似する地中海に水を吐きだすナイル川河口のデルタ地帯とこれまた〔口〕の形に相似するジミヤート岬からポートサイド港までの湖岸の天頂を通過したことになる。
 だから、「ホルスの眼」の字源「目の形に似る銀河」は“口の形にも相似する”と見立てられて、表意文字「口」の字源にもなった。
 このような「目の形に似る銀河」が「口」の表意文字の字源となった秘密を、前回で解説した「スカラベ」という語の中に上下に並べて2字「口」の字の内の上の「口」の文字は伝えるものであったのである。

 「スカラベ」という語を構成する左端の2字は、前回の解説の通りである。
 しかし、右下の「黒塗りの長方形の中に6本の短い白線が2列に並ぶ」、この文字の字形は「長方形の暗黒天体部」に相似するので、字源は「長方形の暗黒天体部」ではあるまいか。
 というのも、前述したように、第7王朝は「長方形の暗黒天体部の東西の辺の菱形枡の連結部を結ぶ線」を注目して、3度南のヘラクレオポリスへ遷都しているからである。
 「スカラベの姿に似る銀河」の模型・型紙(かたがみ)を作り、この型紙に緯度の目印となる部位に印をつける。また、〔長方形の板に、緯度の目盛りとなる6本の線を2列に並べる道具〕をも作成する。
 この〔長方形の緯度の目盛りをつけた道具〕に観測した「スカラベの型紙」の傾きの通りに載せれば、10年毎に徐々に微妙に変化する「スカラベの姿に似る銀河」の傾きの変化をキャッチすることができる。
 だから、「スカラベ」という言葉の中に使用された「黒塗りの長方形の中に6本の短い線が2列に並ぶ」、この文字は「スカラベに姿に似る銀河」の傾きの変化を調査する道具を図案化するものであったのではあるまいか。

 「スカラベの姿に似る銀河」はエジプト王朝は滅亡する2970年間に、北と南に合計緯度が6度15分も増えている。この「スカラベの姿に似る銀河」の傾きの変化による緯度の増大は、コブラが鎌首(かまくび)を起こして立ちあがる様子に似ている。
 ヒエログリフの「コブラ」は「ウラエウス」を意味する〈イアルト(iart)〉や、さまざまな女神の名の決定詞として用いられた。また、彫像やレリーフにおける王や太陽神ラーの額(ひたい)には、鎌首をもたげ、のどをふくらませた怒れるコブラが必ずといってよいほど描かれている。
 「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は〔毒の牙を有するコブラの頭部〕、「コールサックの北部」は〔興奮すると、扁平(へんぺい)になるコブラの鎌首〕、「コールサックの南部」は〔怒るときの体の前半部を起立させるコブラの姿〕に相似する。
 この①「コールサック」の〔コブラの姿〕とは別に、②「鬼の姿に似る銀河」も「コブラの姿」に相似する。
 「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」の東隣と北隣は復讐(ふくしゅう)や恨みを抱くきつくするどい切れ長の両目がある。この「怒りの両目」は〔コブラの両目〕をあらわす。この「コブラの怒りの両目」は「鬼の姿に似る銀河の首(のどと後頭部) 」にある。
 ゆえに、「鬼の姿に似る銀河」のうちの「鬼の横顔に似る銀河」は〔コブラの頭部〕、「鬼の横顔に似る銀河の首につく両目」は〔怒って睨(にら)みつけるコブラの両目〕、「鬼の身体部に相当する銀河」は〔怒って立ちあがったときのコブラの体〕に観える。
 16回前の〔16〕にて指摘したように、①〔怒るコブラの姿〕に観える「鬼の姿に似る銀河」と②〔毒牙を有するコブラの頭部〕に見立てることができる「北アメリカ星雲」は、下エジプト王がかぶる王冠「赤冠(あかかんむり)」のデザインのモデルであり、ヒエログリフ「赤冠」の字源であった。ゆえに、最も位が高かった女神ウアジェトはコブラの姿をした女神であると同時に、下エジプトの王冠の体現者でもあった。

 漢字の字源においては、〔立ちあがるコブラの姿〕のような形の「コールサック」は〔女性の子宮の側面形〕に相似するとされ、コールサックの北部の「長方形の暗黒天体部」は〔出産する胎児がくぐる産道〕に見立てられ、[命]や[尊]などさまざまな重大な文字の字源となった。「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は〔出産するときの胎児の頭が産道をくぐりぬけるための母体の陣痛(じんつう)・腹圧・怒責(どせき)〕に見立てられた。「腹圧によっておこる、まるで怒るかのごとく大声を挙げるいきみ、きばること」を「怒責」という。
  また、「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は〔膣(ちつ)の入口に胎児の頭の最も大きな部分通過して胎児の誕生してから以後の胎児の頭の螺旋(らせん)状の回転〕に見立てられた。
 3回前の〔29〕にて解説したように、ヒエログリフ「キツネの皮を3枚結びつけたもの」の字源は「ペリカン星雲と3本の閃光(せんこう)を放つ銀河部」である。この「キツネの皮を3枚結びつけたもの」は〔無事に胎児が出産するための魔除け・お守り〕であった。というのも、「ペリカン星雲」は〔キツネが後ろを振り向く姿〕にそっくりであり、漢字の字源と同じく〔母体の陣痛・腹圧・怒責〕をあらわすとともに〔膣の入口に胎児の頭が誕生した以後の胎児の頭の螺旋状の回転〕をあらわすものとなったからである。
 ゆえに、「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は〔コブラの頭部〕に見立てられ、最高位の女神ウアジェトの姿は「コブラ」となり、ヒエログリフ「コブラ」が作られることになったのである。

 「コールサック」は〔コブラの鎌首と身体〕に見立てられた。
 この〔コブラの鎌首と鎌首の付け根〕の部分となる「コールサックの北部と南部の中間部」の西隣は、上エジプト王がかぶる〔白冠(しろかんむり)〕のモデルとなった「北天の最輝部(さいきぶ)」である。
 これゆえ、上エジプトの白冠と下エジプトの赤冠をかぶった2匹のコブラを並べて描いた絵画もある。
 「北天の最輝部」は「人の横顔に酷似する銀河の額(ひたい)」にある。だから、王の額に鎌首をもたげる彫像やレリーフが多数作成された。
 「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は「ホルスの眼」となり、「ホルスの眼」の右目は太陽と同一視された。「北アメリカ星雲・ペリカン星雲と3本の閃光を放つ銀河部」は「太陽と光線」を図案する表意文字の字源となり、「北天の最輝部」の北隣の「白鳥座γ(ガンマ)星を中心に包囲する円形の銀河部」は「◎」の形に図案化されて「太陽神ラー」の名前を構成する文字の中に使われている。
 このため、太陽神ラーの額にもコブラが鎌首をもたげた形でついている。

 王の額の頭飾り、また王冠につけた鎌首をもたげるコブラの飾り(ウラエウス)は、〔コブラの目の霊力〕をあらわすと同時に〔人の目の霊力〕をもあらわすものであった。この〔コブラの目の霊力〕は「鬼の姿に似る銀河の首につく、人の左右の目の形に酷似する怒る目の銀河」があらわすものであった。だから、「人の両目に似る銀河」であらわされる〔コブラの目の霊力〕は〔人の目の霊力〕となった。
 前述した「スカラベの姿に似る銀河」の微々たる傾きの変化は、天頂緯度測定を日課にし、日々鍛錬(たんれん)して感覚を研(と)ぎ澄ました眼力の持ち主ならば測量できた。王はこの眼力の持ち主であり、天頂緯度を1分の狂いもなく測定できる目を有することが王の資格でもあったのである。
 このように1分の狂いもなく天頂点をキャッチできる眼力が帝(大王)の資格であり、帝を象徴するものであったことは中国でも同じであった。この「天頂点を1分も狂いもなくキャッチできる眼力がそなわった才能や人格」が[徳]の字源であり、[徳]は〔最高の才能〕と尊重された。
 左に表示した幻冬舎ルネッサンスから出版された拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』において、京都市の桂離宮の庭園池に漬(つ)かる、私が”衝立岩(ついたていわ)”と名づけた岩は「天頂点を1分の狂いもなくキャッチできる能力」が[徳]の字源であったと伝えるものとなる。この衝立岩は「天の橋立」という名がつく三つの築島(つきしま)の中央の築島の南面の池の中に漬かっている。
 日々鍛えれば人間の目には、1分の狂いもなく精密に天頂緯度を測定でき、1分の差をキャッチできる能力がそなわるものなのである。この能力を、古代エジプトでは“目の霊力”と称した。

 1万年以前におこった氷河期、緯度と方位の目印がある道はまったく存在しなかった当時、この苛酷(かこく)の状況を生きぬいた人類は、1分の狂いもなく天頂点をキャッチできるバンド(一団)の頭(かしら)や魔術師や目利きの先導のもとに、日々獲物や食べ物を求めて地上を移動していたのである。このような“目の霊力”を持っていなかったならば、凍てつく氷や雪の地球上にあった、バンドは位置も方角も不明になって迷ってしまう。登山家や南極に旅する冒険家は吹雪に遭遇して位置と方位が不明になって“迷った”と感じると“死”を予感する。このように、人間は“迷った”と感じると“死”を予感する生き物である。したがって、迷ったバンドは全員が“死”を予感してパニック状態におちいって収拾(しゅうしゅう)がつかないことになり、全員が発狂して死滅する事態になる。だから、1分の狂いもなく天頂点をキャッチできる目利きが頭となり魔術師となり先導者になって、“自分たちは位置も方位もきちっとわかっていて迷っていない”とバンドの人々に示して移動するものであったから、人類は氷河期に滅びずに生き伸びることができたのである。
 1分の狂いもなく天頂点をキャッチできる[徳]の能力は、日々鍛錬すれば10人の中で一人や二人や、あるいは三人ぐらいがそなわるものだったのではあるまいか。

 「太陽」を図案化するヒエログリフは①「白鳥座γ星を包囲する円形の銀河部」が字源とするシンプルな太陽円盤の「◎」、②「北アメリカ星雲・ペリカン星雲と3本の閃光を放つ銀河部」を図案化する「光線を発する太陽円盤」がある。このほかに、③「聖なるコブラのウラエウス(飾り)のついた円盤」がある。このほかにも「太陽」を図案化するヒエログリフが多数あるが、上記の3つの太陽円盤が代表的なものとなる。
 ヒエログリフ「聖なるコブラと太陽円盤」の字形は〔鎌首をもたげるコブラの中央に円形の太陽円盤を配して、頭部と尾の部分を二分するもの〕である。したがって、〔中央の太陽円盤〕は「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」を図案化したものであり、〔頭部と尾に二分されるコブラ〕は「鬼の姿に似る銀河」を図案化したものである。
 前回の〔31〕において解説した〔球形の糞を転がすスカラベの姿〕に相似する「夏の銀河の西南部とさそり座α星(アンタレス)にかけての銀河」の形状もまた「コブラと太陽円盤」となった。

 「夏の銀河の西南部」は“巨大な「ホルスの眼」の〔瞳〕”であるから「太陽円盤」をあらわすものとなる。
 私は「夏の銀河の西南部」を凝視していた時、おもわずギョットして目をそむけて瞬間的に恐怖におそわれたことがある。まるで生きているがごとく、「夏の銀河の西南部」が「毒の牙をむきだして口を開ける獰猛(どうもう)なヘビの頭」に観えたからである。
 これゆえ、「夏の銀河の西南部とさそり座α星にかけての銀河」もまた「聖なるコブラの飾りと太陽円盤」の字源であると考えるべきことになる。
 前述したように、〈ヘベル〉と発音する「~に成る」と意味する語に使用される「口」の字源は「スカラベが糞を転がす姿に相似する夏の銀河の西南部」であった。この「口」の字源は「コブラが鎌首をもたげるコブラの口にそっくりな夏の銀河の西南部」でもあった。だから、〈ヘベル〉と発音する上に「スカラベ」・下に「口」の文字を並べる語は「スカラベの姿に成る」、「コブラの頭の形に成る」から「~に成る」と意味することになったのである。
 〈ネメス〉と発音する「王の鬘(かつら)」と称されるヒエログリフは〔鎌首をもたげるコブラと王の鬘〕を組み合わせて図案したものである。
 「青色の王冠」と称されるヒエログリフは〔鎌首をもたげるコブラと王冠〕の組み合わせである。
 この「王の鬘」と「青色の王冠」のヒエログリフの字源は、①「北アメリカ星雲・ペリカン星雲と鬼の姿に似る銀河」であり、②「夏の銀河の西南部とさそり座α星にかけての銀河」ということになる。

 28回前の〔〕で解説したように、竜安寺の石庭の合計15個の石を5群に分ける石組と白砂の平庭(ひらにわ)と油土塀(あぶらどべい)とそのほかの構造体は、左に表示した幻冬舎ルネッサンスから出版された拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』の資料Bの銀河からすべての文字が作られたと証言する。
 この竜安寺の石庭が証言するとおり、拙著の資料Bの銀河からすべての漢字、そしてすべてのヒエログリフが作成された。
 竜安寺の石庭は――ヒエログリフも漢字も、資料Bの銀河を観て、イメージ(映像、心像)で考える能力に優れる創造力の源泉となる右脳によって作られた――と証言する。

 古代エジプトでは、資料Bの銀河にあって学問的に芸術的に特に重大な銀河部は【神】となった。
  ゆえに、【特に重大な銀河各部】は【神】となり、そして【文字・ヒエログリフ】となった。
 そして、資料Bの【銀河各部の形状】から【神以外のさまざまなヒエログリフ】も作られ、その字数は600字から1000字とも言われている。
 表意文字も表音文字も【銀河各部の形状】から生まれた。
 エジプト王朝は、【神】となった銀河各部の名称を定めなかった。
 天地創造神話はじめ、神々に名前をつけて神話を作り、ヒエログリフの字源となる銀河各部の形状を示す仕組みにした。
 「トキの姿に似る銀河」は学術と芸術と文字の秘密を知ることができる中枢(ちゅうすう)部となる銀河各部が連結する領域であった。これゆえ、学術と芸術と文字のトト神はトキの頭を有することになり、トキの像や「トキ」を図案化したヒエログリフは「トト神」をあらわすことになった。「トキ」が「トト神」をあらわすことになったのは、【特に重大な銀河の形】は【神】であったからである。つまり、【トキの姿に似る銀河】は【トト神の姿】をあらわすものであった。
 古代エジプト人たちは天頂にめぐってくる銀河部にいちばん大事な命を委(ゆだ)ねた。ゆえに、精密に天頂緯度が測定できる銀河部は【神】であった。「夏の銀河の東北部」は〔糞を球形に丸めて地面を転がす昆虫のフンコロガシ・スカラベの真上から見た姿〕に相似し、エジプト全域の天頂緯度を測定できる物差しとなった。また、フンコロガシの姿は〔黄道〕が通過する「夏の銀河の西南部」の形にも相似する。だから、「フンコロガシの姿に似る銀河」は天文学において重大となったため、神々の中で最も位が高い太陽神のシンボルとなった。
 天の北極は、オシリスやホルスはじめとする神々の姿になった銀河はじめ、トキの姿に似る銀河、フンコロガシの姿に似る銀河などが輪の形を描いて運行する中心となる。しかし、この神々の輪の運行の中心となる、天体の運行を支配する”天帝”ともいうべき「天の北極」は【神】にはならなかった。天の北極の高度で緯度換算する方法だと、緯度(位置)と方角が不明になって旅の途中で野垂(のた)れ死にして命を失うからであった。
 エジプト王朝は〔黄道〕を示すフンコロガシは【神】と定めた同様に、二分二至(春分・夏至・秋分・冬至)を示す目星となる北斗七星の第5星の【ε(エプシロン)星】を【神】と定めた。5回前の〔27〕で解説したように、〈ヘペシュ〉と発音する6字で構成される語は「北斗七星のε星」であった。ギザの3大ピラミッドと大スフィンクスが建造された紀元前2500年において、「北斗七星のε星」は春分の日の午後6時と冬至の午前零時に上経過(天の北極と天頂との中間の子午線経過)し、秋分の日の午後6時と夏至の午前零時に下経過(天の北極と地平線の北との中間の子午線経過)した。〈ヘペシュ〉と発音された「北斗七星のε星」を意味する6字で構成される語の決定詞は表意文字の「神」である。ゆえに、「北斗七星のε星」は確実に【神】であった。
 「コールサック」の形は〔扁平な鎌首をもたげて怒るコブラの姿〕に相似し、いわゆる“真っ黒な石炭袋”である「コールサック」にあって輝く小さな星たちはエジプト全土の天頂にめぐってきて、精密に緯度が測定できる目星となった。そして、「コールサック」は〔女性の生殖器官〕に見立てられるものであった。ゆえに、医学的に特に重大な銀河部であったので【神】となった。だから、最も位が高い「女神ウアジェト」は「コブラの姿」で示された。
 このように、古代エジプトでは【銀河各部の形状】は【文字】であり、【特に重大な銀河の形や星(北斗七星のε星)】は【神】となった。
 古代エジプトでは、【文字】は【銀河各部の形状】として存在したのである。

 今から約4050年前の夏代初頭(後期縄文時代初頭)に我が国に伝来した【夏音文字】もまた【銀河各部の形状】として存在するものであった。この【銀河各部の形状】が確かに【文字】であったことは、複雑なパターンの認識や処理をおこなう“芸術”と称される方法ならば再現することができ、また後世に事実であったと伝えることができた。
 この芸術の方法で【銀河各部の形状】が【文字】であったことを伝えるのが、竜安寺の石庭である。
 また、ドイツの建築家のブルーノ・タウト(1880-1938)が絶賛して世界のその存在を伝えた桂離宮の庭園も、【銀河各部の形状】が【文字】であることを明確に証言する。
 ブルーノ・タウト著╱篠田英雄訳『画帖 桂離宮』(岩波書店)は、桂離宮の庭園について下記のごとく指摘する。
 「このように御庭の諸部分は著しく分化していながら、しかもすべて相集まって一個の統一を形成している。ここに達成された美は、決して装飾的なものでなく実に精神的意味における機能的な美である。この美は、眼をいわば思考の変圧器にする、すなわち眼は、見ながらにしかも思考するのである。」
 【文字】は【銀河各部の形状】として存在したことを証言するには、上記のタウトが桂離宮の庭園について指摘したようになる。このことは、竜安寺の石庭でも言えるることである。
 竜安寺の石庭においては、5群の石組が15個の石で分化して銀河各部の形状をあらわし、5群の石組と苔(こけ)と白砂の平庭と油土塀とそのほかの構造体(知足の蹲い、鏡容池、雨落ちミゾ、磚、濡れ縁、方丈の間)も、すべての文字が作られた秋の銀河・夏の銀河が一つの帯となって最も高くそびえる銀河に統合されるようになっている。石庭の美は、決して装飾的なものでなく、かつて【銀河各部の形状】は【文字】であったことを証言し、どうしても夏音文字を廃絶(はいぜつ)できなかった日本民族の熱い魂の歴史の秘密を伝え、この世の真理について思索(しさく)する精神的な美を追求した、個々の石・石組の字源の情報が他の石・石組あるいは全体にひろがるように機能的に組織されるようになっている。石庭を見る人の眼は銀河を観る眼であり、【文字】を〔左脳があつかう言葉から生まれたもの〕としてでなく思考の変圧器で〔右脳があつかうイメージから生まれたもの〕に変え、そして眼は、石庭を見ながら右脳で思考する仕組みになっている。 
 また、金閣寺の庭園も【銀河各部の形状】が【文字】であったことを証言する文化遺産である。
 ヒエログリフが銀河から作られた真実は、竜安寺の石庭、桂離宮の庭園、金閣寺の庭園で確かなことになる。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年1月 4日 (水)

枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は”世界の文字は銀河から作られた”と証言する・31

 古代エジプトでは、小さな虫の「タマオシコガネ」つまり“フンコロガシ”が、神々の中で最も位の高い太陽神のシンボルとされた。
 このような小さな昆虫が尊重され神聖視された事情は、ヒエログリフが銀河から作られたからである。
 糞(ふん)を丸めて地面に転がすフンコロガシがなぜ神々の仲間入りができたのか、この事情は我が国の史書『古事記』序の冒頭に記述されている。この『古事記』序の冒頭の記事は、現代語訳すると下記のごとくになる。
 「およそこの世の歴史の始まりにありましては、混沌(こんとん)たる天地万物の根元をとらえることができる知性がとうとう凝り固まって芽生えましたが、万物の生(いのち)あるものを形にしてとらえることができる芸術のきざしは、いまだ起源していませんでした。それゆえ、天と地は一体化されて区別もないものとして草創期・早期の縄文時代に作られた土器には表現され、天上の銀河各部には名も無く、名をつける術(すべ)も無く、銀河各部に個性的な形があるものとして考えられていませんでした。しかしながら、天と地が初めて区別されるようになって、6000年前の前期縄文時代には天頂にめぐってくる銀河の形にもとづいて天之御中主神(あめのみなかのかみ)という名をつけ土器を作って敬うようになり、5000年前の中期縄文時代には天頂にめぐってくる銀河の形から高御産巣日神(たかみむすひのかみ)という名をつけて芸術性豊かな造形で飾られる土器や土偶(どぐう)を作って神聖視するようになり、4000年前の後期縄文時代には天頂を通過した銀河の形状にもとづき神産巣日神(かむむすひのかみ)という名をつけて崇拝して多数の土器や土偶などが作られて、神の姿形(すがたかたち)を表現する参神造化(さんしんぞうか)の芸術が起源しました。」
 この後期縄文時代初頭、大海を越えて日本列島に渡ってきた名門益氏の王子と若者たちの話す夏音は縄文人たちにとってまったく意味不明で理解できなかったが、益氏がもたらした夏音文字の学芸は参神造化の知識を有する芸術家たちによって習得されることとなった。

 フンコロガシの姿に相似する銀河は、エジプト全土の最北端から最南端までの各地の緯度が精密に測定できる物差しとなった。ゆえに、その銀河は“フンコロガシの形に相似する”と知られるようになり、フンコロガシは神聖視されて地位の高い太陽神として崇拝されることになった。
 旅するとき、我ら日本民族の祖先も古代エジプト人も、天頂に位置する銀河から精密に緯度を測定すれば、道に迷わって途中で野垂(のた)れ死せずに命をまもることができて家族が待つ家に帰ることができた。だから、天頂にめぐっくる銀河は地上に住む人々のいちばん大事な命を委(ゆだ)ねる“神”となった。この“神”を地上に存在する事物の形を用いて形が有るものとし、名をつけて【神】と敬った。
 今から6000年前から以後、最北端から最南端までの約10度の緯度となる広大なエジプトの各地の天頂にめぐってくる銀河の形は、真上からフンコロガシを見た形に相似する。だから、フンコロガシは【神】と崇拝され、フンコロガシの姿は図案化されてヒエログリフとなった。
 このように、銀河から【神】と【ヒエログリフ】が作られ、この【ヒエログリフ】によって古代エジプトの学術と芸術を高められ、そして国家が繁栄することになった。

 エジプト全土の天頂を通過する銀河の形は“フンコロガシ”すなわち「スカラベ(タマオシコガネ)」の真上から見た姿に相似する。ゆえに、真上から見た「スカラベ」の姿は図案化されて文字となった。
 真上から見た「スカラベの姿」を図案した表意文字は〈ヘベル(hpr)〉と発音する。この〈ヘベル〉と発音する「スカラベの姿」を図案する文字は、「スカラベ」を意味する〈へペレル(hprr)〉と発音する語の中の決定詞として使われる。

 「スカラベの姿」をデザインする絵文字は、中央に頭・羽を有する胴体を描く。スカラベの頭には、太陽の光線のように観えるのこぎり(鋸)状のギザギザがある。
 「スカラベの姿」を図案する文字の最上部は糞を丸めて地面を転がす前足の図案を配し、最下部に後ろ足の図案を配する。
 前回の〔30〕にて、学術と文字の神「トト」をあらわす文字の字源は「トキの全身の姿(側身形)に似る銀河」であると証明した。
 この「トキの全身の姿に似る銀河」はじめ「コールサック」、「コールサックの東隣の銀河」、「十字の銀河」が一塊(ひとかたまり)となる銀河の形は、真上から見たスカラベの前足から後ろ足までの姿に相似する。
 そのうち、「トキの全身の姿に似る」・「コールサック」・「コールサックの東隣の銀河」がスカラベの頭と羽が生える胴体の形に相似する。
 「スカラベの前の両足」は「十字の銀河」と「鬼の姿に似る銀河の北隣の銀河」の形に相似する。
 「スカラベの後ろの両足」は「トキの肢の形に相似する銀河」と「鷲(わし)座α(アルファ)星・アルタイルより北側の銀河」の形状に相似する。

 「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は、「スカラベの頭にある光線のように観えるギザギザ」の位置に相当した。
 この「スカラベの頭の光線のように観えるギザギザ」の位置に合致する「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は、古代において、エジプトの北限となるナイル川河口北端(北緯31度35分)の天頂にめぐってきた。
 (ただし、精密にいうと、「北アメリカ星雲の南端」がナイル川河口北端の天頂にめぐってきた)。
 また、「スカラベの後ろの両足に似る銀河」は、エジプトの南限の境界線地域(北緯21度38分~北緯22度)の天頂を通過した。
 したがって、古代において子午線経過する「スカラベの頭の光線のように観えるギザギザの位置から後ろ足までの銀河」は、〔エジプト全土の最北端から最南端までの天頂〕にほぼ合致して位置した。
 ゆえに、「スカラベの姿に似る銀河」が子午線経過したとき、エジプト全土の各地の緯度を測定できる物差し(羅針盤)となった。

 なお、上記の「スカラベの頭の光線のように観えるギザギザから後ろ足までの銀河」が子午線経過するときに〔エジプト全土の最北端から最南部までの天頂〕に合致したのは、紀元前3000年の第1王朝から紀元前2180年の第6王朝末期までであった。
 「スカラベの頭の光線のように観えるギザギサ」に相当する「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は次第に緯度が高くなった。このため、紀元前2180年から始まる第7王朝は、第1王朝から第6王朝の首都メンフィスより南の北緯28度35分のヘラクレオポリスに遷都(せんと)した。
 「長方形の暗黒天体部」の南部の東西の辺に二つの菱形の枡(ます)が連なる。この二つの菱形枡の上下の枡の連結部は、ナイル川河口北端の天頂にめぐって「北アメリカ星雲の南端」より3度南となる。ゆえに、第7王朝はナイル川河口北端より3度南のヘラクレオポリスに首都を遷(うつ)したのである。
 〔歳差〕という天文現象によって、「スカラベの姿に似る銀河」の緯度の距離が伸びて次第に長くなった。ということは、「スカラベの姿に似る銀河」はあたかも横になって寝ていた人が徐々(じょじょ)に徐々にゆっくりと起き上がって次第に立ち姿になる状況であったことになる。徐々に徐々にわずかずつ「北アメリカ星雲」の緯度は高くなった。
 「スカラベの姿に似る銀河」の尻の部分は白鳥座β(ベータ)星がある。この白鳥座β星の緯度は、徐々に徐々にわずかずつ逆に低くなった。
 『魏志倭人伝』の末部に登場する壱与(いよ)・伊耶那美命(いざなみのみこと)が生存した西暦250年頃における「北アメリカ星雲」は、紀元前3000年の第1王朝よりも3度10分ほど高くなった。逆に、白鳥座β星は緯度が3度40分低くなった。
 第1王朝時代と250年の「スカラベの姿に似る銀河」の大きさは変わらない。にもかかわらず、その3250年の間に「スカラベの姿に似る銀河」の緯度が6度50分も増大したということは、前述したように子午線の方向に合致するように起き上ったことになる。
 この結果、250年になると、ナイル川河口の北端の天頂に「北天の最輝部」がめぐってきた。この「北天の最輝部」は「スカラベの胴体の上部」に相当する。
 (なお、250年当時、「スカラベの頭の光線のように観えるギザギザ」に見立てられた「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は北緯42度のローマの天頂を通過していた)。
 以上のように、西暦3000年から250年まで、「スカラベの姿に似る銀河」は〔エジプト全土の最北端から最南端までの天頂〕を覆(おお)っていた。
 紀元前30年、クレオパトラ7世がローマの属州になって、エジプト王朝は滅亡した。
 したがって、エジプト王朝が滅亡するまで、「スカラベの姿に似る銀河」を仰いで天頂緯度測定すれば、エジプト全土の各地の緯度が精密に測量できた。

 左に表示した幻冬舎ルネッサンスから出版された拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』の資料Bは、すべてのヒエログリフと漢字が作られた銀河の全域を示す。
 この資料Bの写真において、「夏の銀河の東北部」と記した領域が「スカラベ」の字源となった「スカラベを真上から見た姿に相似する銀河」である。

 この資料Bの写真の右下の巨大な球形の銀河を、私は「夏の銀河の西南部」と名づけた。
 9回前の〔22〕で説明したように、「夏の銀河の西南部」の中央に「銀河系の中心」がある。
 この「銀河系の中心方向」に無数の星が群がり星間物質が入り乱れるので、「夏の銀河の西南部」は渦を巻いてわきあがる入道雲のように迫力に満ちた圧倒的な形をしている。「ホルスの眼」の〔瞳〕にして「スカラベの頭の光線のように観えるギザギザ」に見立てられた「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」もまた〔渦巻きの形〕となる。
 ゆえに、「夏の銀河の西南部」は“巨大な「ホルスの眼」の〔瞳〕”ということになる。

 この資料Bの上を下に・下を上になるように180度転回すると、“巨大な「ホルスの眼」の〔瞳〕”となる「夏の銀河の西南部」は〔球状に丸めた糞と、この糞を転がすスカラベの姿(側身形)〕に相似する。
 つまり、資料Bに「巨龍の銀河」と記した部分が「自分の身長よりも少し大き目に丸めた糞を転がすスカラベ」に、「夏の銀河部の西南部」が「球形に丸めた糞」に観える。
 この「糞を転がすスカラベの姿に似る銀河」の西側に、さそり座のα星・アンタレスが輝く。この「スカラベの姿に似る銀河」における〔スカラベの姿〕は東から西のアンタレスがある方へ向かって糞を転がして行くように観える。
 太陽はじめすべての天体は、天の北極を中心にして東から西へと円周運動をする。ゆえに、「夏の銀河の西南部」の〔糞を転がすスカラベの姿〕はまるで太陽を転がすかのように観える。
 さらに、さそり座α星・アンタレスから「糞を転がすスカラベの姿に似る銀河=夏の銀河の西南部」にかけて、「黄道(こうどう)」つまり「天球上において太陽が通過する道」が通過していた。だから、「夏の銀河の西南部」の〔糞を転がすスカラベの姿〕は〔太陽を転がすスカラベの姿〕に観えたのである。

 マリア・カルメラ・ベトロ著╱南條郁子訳『[図説]ヒエログリフ事典』(創元社)の116頁は、古代エジプト人のスカラベへの思いを、ローマ帝政期のギリシャの文人・プルタルコス(46?-120?)が下記のごとく述べていると記述する。
 「彼らによるとスカラベにメスはいない。すべてはオスで、球形に丸めたある種の物質に精子をまき、天空を横切る太陽にまねて、その球を転がして歩くという。」
 〔糞を転がすスカラベの姿〕に相似する「夏の銀河の西南部」に、「太陽が通過する道」の「黄道」が通過する。
 また、黄道の北側を「天の赤道」も通過していた。
 だから、〔糞を転がすスカラベの姿〕に観える〔さそり座α星・アンタレスと球形の夏の銀河の西南部〕は「スカラベが球形に丸めたある種の物質に精子をまき、天球(夏の銀河の西南部)を横切る太陽をまねて、その球を転がして歩く」と信仰されることになったのである。

 9回前の〔22〕で解説したように、「夏の銀河全像(夏の銀河の東北部・夏の銀河の西南部)」はライオンの顔よりもちょっと長いが〔ライオンの横顔〕に相似する。大スフィンクスが建造された4500年前の春分の日の午前零時の2時間後の午前2時、美しい二重星のヘレクレス座のα星・ラスアルゲチが、クフ王のピラミッドの天頂で輝いた。このラスアルゲチは、「夏の銀河全像」が相似するライオンの横顔の鼻先に隣接する。これゆえ、クフ王のピラミッドからライオンの横顔に相似する銀河の鼻先にあるラスアルゲチが位置する方角(南南東)に、ライオンの座像に似せて作られた大スフィンクスが建造された。
 このラスアルゲチと「黄道」の中間を、「天の赤道」が通過した。
 「黄道」は“巨大な「ホルスの眼」の〔瞳〕”となる「夏の銀河の西南部の北部」を通過した。
 「天の赤道」は、“巨大な「ホルスの眼」のうちの目頭(めがしら)あるいは目尻のほうにある白目(しろめ)”となる部分を通過した。いいかえると、「天の赤道」は「夏の銀河全像が相似するライオンの開ける口」となる部分を通過した。
 また、「黄道」も「夏の銀河の西南部の北部」も「夏の銀河全像が相似するライオンの開ける口」となる箇所を通過した。

 「天の赤道」は緯度0度(地球の赤道)の天頂にめぐってくる。
 「夏の銀河全像が相似するライオンの開ける口」に、「天の赤道」と「黄道」が通過していた。この「ライオンの開ける口」を通過する「天の赤道」の南を「黄道」が通過した。
 このような「ライオンの開ける口となる銀河」が子午線経過するとき、「真上から見たスカラベの姿に似る銀河」はエジプトの東から東北東30度の天空に位置した。
 「真上から見たスカラベの姿に似る銀河」は「夏の銀河全像が相似するライオンの横顔における目・鼻よりの上のたてがみ」の箇所に位置する。
 これゆえ、「ライオンの開ける口となる銀河」が子午線するとき、「真上から見たスカラベの姿に似る銀河」が上(北)、「ライオンの開ける口となる銀河」は下(南)に位置することになる。

 ステファヌ・ロッシーニ著╱矢島文夫訳『図説 古代エジプト文字入門』(河出書房新社)の89頁に、〈ヘパル(hpr)〉とする「~に成る」と意味する語が記載される。
 この語は2字で構成され、上に表意文字の「スカラベ」を下に〈ル(r)〉と発音する「口」を意味する語に用いられる「口」を図案化した表意文字が配置される。
 この上の「スカラベ」の字源は「真上から見たスカラベの姿に似る銀河」であり、下の「口」の字源は天の赤道と黄道が通過する「ライオンの開ける口となる銀河」であるにちがいない。
 「太陽が通過する道」すなわち「黄道」は「糞を転がすスカラベの姿」に観える「夏の銀河の西南部」を通過する。この「夏の銀河の西南部」は「ライオンの開ける口」である。
 だから、「~に成る」の語に使われる「口」の文字の字源は「糞を転がすスカラベの姿に似る夏の銀河の西南部」であると考えるべきことになる。
 この「~に成る」と意味する語を構成する下の「口」の字源銀河の「夏の銀河の西南部」の形状は、上に配した「スカラベ」のごとく「糞を転がすスカラベの姿に成る」。
 
ゆえに、上に「スカラベ」、下に「口」の文字を配する語の意味は「~に成る」となったのである。

 『図説 古代エジプト文字入門』の2字で「~に成る」と意味する語の上に、5字で〈ヘペレル(hprr)〉と発音する「スカラベ」を意味する語が記載される。
 この語の決定詞は右端の真上から見た「スカラベ」を図案化する表意文字である。
 この「スカラベ」の左隣は2字とも同じ「口」を図案化した文字が上下に並ぶ。
 下の「口」の字源は「ライオンの開ける口となる銀河」である。この「黄道」が「ライオンの開ける口となる銀河」は”巨大な「ホルスの眼」の〔瞳〕”となる「夏の銀河の西南部」であり、「天の赤道」が通過する「ライオンの開ける口となる銀河」は”巨大な「ホルスの眼」の目頭または目尻のほうにある白目”である。
 ゆえに、上の「口」の字源は表意文字「ホルスの眼」の字源となる「目の形に似る銀河」とであると考えられる。「ホルスの眼」の〔瞳〕となる「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」の東隣の暗黒天体部」は「ホルスの眼の目頭のほうにある白目」に相当し、「北アメリカ星雲・ペリカン星雲の西隣の暗黒天体部」は「ホルスの眼の目尻のほうにある白目」に相当する。このように、「北アメリカ星雲・ペリカン星雲と東西の暗黒天体部」は〔目の形〕に相似する。

 『図説 古代エジプト文字入門』の58頁に、〈イレト(irt)〉と発音する「目」という語を意味する、決定詞の「目」と表音文字2字の計3字で構成される語が記載される。この表意文字「目」の字形においては、〔白目は白く、瞳は黒く塗りつぶされる〕。この「目」の語の右横は〈イル(ir)〉と発音する「行う」を意味する、表意文字「目」の異体字(いたじ)である。この「目」の異体字の字形は、「瞳となる北アメリカ星雲・ペリカン星雲と白目となる東西の暗黒天体部」と同様に、〔白目は黒く、瞳は白く〕デザインされる。つまり、この〈イル〉と発音する「目」の異体字は〔夜、天頂緯度測定を行う〕ことから「行う」を意味することになったにちがいない。

 説明をもとにもどし、5字で「スカラベ」を意味する語に使用される上下の2字が同じ「口」の字源の秘密を解説する。
 表意文字「目」の字源となる〔北アメリカ星雲・ペリカン星雲が瞳、東西の暗黒天体部が白目〕となる「目の形に似る銀河」は、表意文字〔口〕の字源でもあったのである。
 というのも、表意文字「口」の字形は表意文字「目」の字源「目の形に似る銀河」に似せて作られているからである。
 5字で「スカラベ」を意味する語に使用される、二つの「口」の文字における上の「口」は「ホルスの眼」と「目」の表意文字の「行う」を意味する異体字「目」の字源となった「目と口の形に似る銀河」ということになる。
 だから、上の「口」の字源は「ホルスの眼」の字源となった「口の形に似る銀河」、下の「口」の字源は“巨大な「ホルスの眼」の白目”となる「天の赤道」が通過する「ライオンの開ける口となる銀河」であったことになる。
 この二つの「口」の表意文字の左隣、いいかえると「スカラベ」を構成する語の左端には、上に「黒い円●の中に横に3本の白線が入る」文字を配し、下に「黒塗りの長方形の中に6本の短い白線が2列に並ぶ」文字を配列する。
 この上の「●の中に3本の白線が入る」文字は「黄道」をあらわすと考えられる。
 つまり、上の線は「天の赤道より北側(上)となる夏至点周辺の黄道」を、中央の線は「天の赤道と黄道が交わる春分点と秋分点周辺の黄道」を、下の線は「天の赤道より南側(下)となる冬至点周辺の黄道」を示すものと考えられる。
 前回の〔30〕にて指摘したように、エジプト暦は夏至の日に太陽が地平線から昇る直前に、おおいぬ座α星・シリウスが東の空に姿をあらわすを基準とする太陽暦にして恒星暦であった。ゆえに、下に配する「黒塗りの長方形の中に6本の短い白線が2列に並ぶ」文字は「正午の太陽の高度、午前零時の測量、日の出における太陽の方角、日の出直前のシリウスの位置を測量するために使用された道具」を図案化したものではあるまいか。
 あるいは、前述した「スカラベの姿に似る銀河」の傾き(起き上がる様子)の変化を測量する道具であったのかもしれない。紀元前3000年から250年までの3250年間に、「スカラベの姿に似る銀河」の緯度は6度50分も増大した。そうすると、「スカラベの姿に似る銀河」の傾きは10年間に1分18秒ずつ緯度が増えたことになる。このような1分18秒の変化ならば、特別に優れる目を有する人や「スカラベの姿に似る銀河」の傾きの変化を測量する役職に任命された天文士ならば日々眼力を鍛錬して感覚を研ぎ澄ましたにちがいないので、キャッチできたことになる。

 以上のように、〈ヘペレル〉と発音する5字で「スカラベ」を構成する語は――エジプト王朝では「スカラベは天空を横切る太陽にまねて球形に丸めた糞に精子をまいて歩き、糞の中から次々と子どもを生むようにして、永遠に命を受け継ぐ神聖な生物である」と見立てていた――と表示するものとなる。
 ゆえに、上に青い太字に示したプルタルコスが記述した古代エジプト人のスカラベへの思いは「スカラベが球形に丸めたある種の物質に精子をまき、天空を横切る太陽にまねて、その球を転がして歩く」という文になったのである。
 そうすると、スカラベを神々の中で最も位の高い太陽神のシンボルとするエジプト王朝においては太陽の日周運動は永遠に続くと考え、子どもたちは次から次へと生まれて、エジプトは永遠に滅亡しないと考えていたにちがいない。

 古代エジプトでは、【文字】となった【銀河】は【神】となった。
 ゆえに、①エジプト全土の天頂にめぐってきたスカラベの姿に似る【秋の銀河と夏の銀河の東北部】と②糞を転がして歩くスカラベの姿に似る【夏の銀河の西南部)】は神聖視され、スカラベは【黄道】と結びつけられて神々の中で最高位の太陽神のシンボルとなったのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年1月 1日 (日)

枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は”世界の文字は銀河から作られた”と証言する・30

 前回に続いて、フランスの言語学者のジャンフランソワ・シャンポリオンがロゼッタストーンに刻まれたヒエログリフを解読した文字の秘密の解明を行う。

 シャンポリオンは、最初に3字で記す「ラメセス(Rameses)」という大王の名を解読し、次に3字からなる「トトメス(Thotmeses)」という大王の名を解読した。
 前回ではに、「ラメセス」の3字の秘密を解説した。
 「ラメセス」の〈メセス〉と「トトメス」の〈メス〉は同じ2字の表音文字の〈メス(mes)〉と〈ス(es)〉である。この2字の字源については、前回で解説した。
 しかし、「トトメス」の〈トト(Thot)〉の字源については、16回前の〔14〕で説明したものの、説明が不十分なままで終わった。

 「トトメス」の〈トト〉と発音する文字は、「朱鷺(とき)」の姿を図案する。
 この絵文字は、決定詞として「朱鷺」を意味する〈ヘブ(hb)〉につく。表意文字または決定詞としてトト神の名前〈ジェフゥティ(jhwti)〉を構成する文字の中に使われる。
 トト神のモデルとなるアフリカクロトキは、エジプト美術では、パピリスが生える湿地や川を描いた場面に登場する。パピリスはナイル川の両岸に密生する大型の水草である。パピリスには非常に多くの用途があり、これを編んで籠(かご)や舟を作ったほか、槌(つち)でたたいて延ばして最初の紙が作られた。紙(ペーパー)という語は、パピルスに由来する。

 〔14〕で指摘したように、「人の横顔に酷似(こくじ)する銀河」の額(ひたい)の部分は「北天の最輝部(さいきぶ)」と呼ばれる〔北半球に住む人々が最も輝いて見える銀河部〕である。この「北天の最輝部」は銀白色に輝く。この銀白色に輝く「北天の最輝部」は〔ボウリングのピンポ〕のような形であるので、〔ボウリングのピン〕のような形をした「白冠(しろかんむり)」の王冠のモデルと「白冠」をあらわさす文字の字源となった。白冠は上エジプトの王を示す王冠であった。この上エジプトの王は、上下エジプトの2国を統一する王であった。

 「白冠」のモデルとなった銀白色の「北天の最輝部」は、部分的に朱鷺色の靄(もや)がかかったように美しく彩(いろど)られる。
 「北天の最輝部」から[く]の字に朱鷺の首のように曲がった東側に「北アメリカ星雲」がある。
 この「北アメリカ星雲」の明るい部分は〔桃の実の形に似て、熟した桃の実のごとく赤い〕。「北アメリカ星雲」の北側の「鬼の横顔に似る銀河」は〔桃色に輝く〕。
 朱鷺色と桃色は同色系統であり、〔朱鷺色〕にわずかだけ赤みを帯びた色が〔桃色〕である。
 これゆえ、日本では「朱鷺」を「桃花鳥」とも表記した。そのわけは、「北アメリカ星雲」が〔鳥の形〕に似ているからである。
 その証拠に、「桃花鳥」の語源となった「北アメリカ星雲」は〔急降下して獲物を空中攻撃するハヤブサの姿〕に相似する。ゆえに、「ホルス神」はハヤブサの顔を天空の神となった。
 「ホルスの眼」の左目は〔月〕を象徴する目、右目は〔太陽〕を象徴する目となった。
 「ホルスの眼」は「北アメリカ星雲・ペリカン星雲と隣接する東側と西側の銀河」が、〔人の目〕の形に相似する。
 「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は「人の目の形に似る銀河」の〔瞳〕に相当する。
 しかし、朱鷺の目は人間の目と異なって、円い。このため、「ホルスの眼」である「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は〔朱鷺の目〕に見立てることができる。
 ゆえに、これから「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」をシンプルに「左目」あるいは「右目」と表現すると――
 「人の横顔に酷似する銀河」の方から見ると、「ホルスの眼」の字源銀河は「左目」となる。「十字の銀河」の方から見ると、「ホルスの眼」の字源銀河は「右目」となる。

 ホルス神の父は「人の横顔に酷似する銀河」がモデルとなるオシリス神である。この「人の横顔に酷似する銀河」を基準すると、「ホルスの眼」は〔月〕を象徴する「左目」となる。
 ホルス神の母はオシリスの妹であり妻であるイシス神である。
 古代エジプトにおいては、全天第一の輝星のおおいぬ座の光度-1.4等星のα(アルファ)星・シリウス「イシスの星」と称して崇拝された。つまり、イシス神はおおいぬ座シリウスの化身であった。
 今から約4900年前、エジプト暦は完成した。このエジプト暦は〔夏至の日に太陽が地平線から昇る直前に、1年365.25日の周期のイシスの星(おおいぬ座のシリウス)が東の空に姿をあらわす恒星暦にして太陽暦〕であった。
 オシリスは死者の国の王であり、“夜の太陽”をあらわす太陽神とされ、再生(復活)の神であった。
 というのも、ヒエログリフの「オシリス」の字源となった「人の横顔に酷似する銀河」は夏の太陽光線のようにまばゆく銀白色に輝く「北天の最輝部」を有し、また「太陽」を意味する〈ラー(ra)〉と発音する太陽円盤の[◎]の字源部(白鳥座γ星を包囲する円形の銀河部)を有するからである。
 この〔恒星暦〕にして〔太陽暦〕にもとづいて、〔恒星〕のイシスの化身であるイシスは〔太陽〕(夜の太陽)の化身であるオシリスの妹にして妻となり、ホルスの母となったのである。

 エジプト暦の元日は夏至の日であった。
 直ぐ前の行で述べたように、オシリスのモデル「人の横顔に酷似する銀河」の頭髪の生え際には白鳥星γ(ガンマ)星が所在する。この「γ星を中心にして包囲する円形の銀河」は〈ラー〉と発音する「太陽」を意味するシンプルな太陽円盤[◎]の字源となった。
 ゆえに、オシリスは太陽円盤[◎]の化身となった。
 エジプト暦が完成した今から4900年前、[◎]の字源銀河部は夏至の午前零時の20分前(23時40分)に子午線経過し、3大ピラミッドが建造された今から約4500年前には夏至の日の午前零時に子午線経過した。
 この[◎]の字源銀河部(白鳥座γ星を中心にして包囲する円形の銀河部)が夏至の午前零時頃、あるいは午前零時に子午線経過した由来によって、オシリスは〔夜の太陽の化身〕となった。午前零時は古い昨日が死んで新しい一日が誕生するので、オシリスは再生・復活の神となったのである。
 エジプト暦の基準となったイシスの星は、夏至の日に太陽が地平線から昇る直前に姿をあらわした。これゆえ、〔夏至の日の日の出直前〕の神となったイシスは「夏至の日の午前零時」を象徴するオシリスの妹にして妻となった。

 イシスの息子のホルスは、大スフィンクスの古称の「地平線のホルス」となった。
 イシスは〔夏至の日に太陽が地平線から昇る直前に姿をあらわす女神〕と崇拝されたゆえ、「地平線」で共通する「地平線のホルス」という名称は〔ホルスがイシスの息子であること〕をあらわした。
 また、〔恒星暦〕にして〔太陽暦〕の基準となったイシスの星の女神イシスと、右目が〔太陽〕を象徴する「ホルスの眼」は「太陽」で共通する。
 というのも、「ホルスの眼」の瞳となる「北アメリカ星雲・ペリカン星雲と3本の閃光(せんこう)を放つ線」は、光線を発している太陽円盤に図案化されて〈ウベン(wbn)〉と発音する決定詞となったからである。
 さらにに、「ホルスの眼」の〔瞳〕の「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は「朝日」をあらわす「地平線のホルス」であった。
 このように、ホルスもまた〔太陽暦〕と関連した。
 8回前の〔22〕にて解説したように、「地平線のホルス」は〔春分の日の日の出の時刻(午前6時)〕をあらわした。ゆえに、父オシリスが〔夏至の日の午前零時〕、母イシスが〔夏至の日の日の出〕を象徴する神に対して、息子の「ホルス」は〔春分の日の日の出〕を象徴する神となった。

 太陽が地平線から昇る〔東〕の「十字の銀河」を基準にすると、「ホルスの眼」は〔太陽〕を象徴する「右目」となる。
 〔夏至の日の午前零時〕の夜の神のオシリスのモデルとなる「人の横顔に酷似する銀河」を基準とすると、「ホルスの眼」は〔月〕を象徴する「左目」となる。
 前述したように、「ホルスの眼」の瞳となる「北アメリカ星雲」の明るい部分は①〔桃の実の形に相似して、熟した桃の実のように赤い〕。「北アメリカ星雲」の隣の「鬼の横顔に似る銀河の頬(ほお)」は②「桃の実の尻のような形にして桃色である〕。そして「鬼の横顔に似る銀河の頬より上部」は③〔桃の実の形に相似して桃色〕である。

 この〔桃の実に相似する3箇所〕は、『古事記』上巻の伊耶那岐命(いざなきのみこと)の黄泉国(よみのくに)訪問神話の後半部に登場する「桃の子三箇(みみつ)」という名になった。
 この「桃の子三箇」は、小国・日本の男王・伊耶那岐命が指揮する黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本の乱に参加した、日本軍の兵士と和歌山県の三熊野地方に住む徐氏の子孫の戦士たちである。
 小国・日本の女王にして倭国の女王となった“愛”の女王・伊耶那美命(いざなみのみこと)は、卑弥呼の墓を作った時に決行された百余人の奴婢(ぬひ)すなわち18才くらいの青年(奴)と13才くらいの乙女(婢)を殺して、卑弥呼の墓に埋める残虐な徇葬(じゅんそう)儀式を必ず廃止するよう、夫の伊耶那岐命に願って没した。
 ところが、後を受け継いだ倭女王・天照大御神は伊耶那美命の遺志を無視して、残虐きわまりない徇葬を決行した。
 それゆえ、伊耶那岐命と伊耶那美命に熱烈に憧れる日本兵と熊野の戦士たちは、熊野本宮大社の旧社地の大斎原(おおゆのはら)に築造された伊耶那美命陵から棺(ひつぎ)を略奪する反乱をおこし、伊耶那岐命の指揮のもとに桃の子三箇は倭の大軍を黄泉比良坂の坂本(熊野速玉大社の境内)で撃破(げきは)した。
 『魏志倭人伝』末部に登場する「倭女王・壱与(いよ)」が「伊耶那美命」である。壱与は倭国の小国の伊耶(いや)国出身者であった。ゆえに、彼女が赴任した小国・日本の人民は“伊耶国の美しい女王”ということで「伊耶那美命」と愛称したのである。
 『魏志倭人伝』の後半部に登場する倭国と狗奴(くな)国との戦況を説明に帯方郡政庁を訪問して説明した、武将の「載斯烏越(そしあお)」が小国・日本の男王の伊耶那岐命であった。
 「鬼の横顔に似る銀河の頬より上部」は〔桃の実の形に相似して桃色〕であり、桃の実の尻の形に相似する「鬼の横顔に似る銀河の頬」は〔桃の花の花弁の一部の形〕のも観え、「北アメリカ星雲」は〔桃の実の形〕に相似し〔天から降下する鳥〕に相似し〔桃の花と台(うてな)の側面形〕に相似する。これゆえ、「朱鷺」は「桃花鳥」とも表記された。

 「桃花鳥」は「月」と同じく「つき」と読まれた。
 漢字において、「十字の銀河」の東隣の「三つ輪の銀河」は「朝日」に見立てられ、「十字の銀河」の真南にある「半円形の同心円の銀河部」は〔正午の高度を計測する柱の背後に隠れる正午の太陽〕に見立てられて[昼(〔晝)]の下部の「太陽」をあらわす字源部となった。
 (この[昼]の字源部となったのは「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河の東端の銀河部」である)。
 そして、西側の円形の「北アメリカ星雲・ペリカン」は太陽が西に傾く〔夕〕をあらわすことになり〔満月〕に見立てられた。この〔満月〕の半分形に相当する、〔三日月〕の形に相似する「ペリカン星雲」が[夕]と[月]の字源となった。ゆえに、『説文解字』は[月]の字源を「闕(か)くるなり。太陰(たいいん)の精なり。象形」、[夕]を「莫(くれ)なり。月の半ば見ゆるに従ふ」と字源解説する。
 (なお、「鬼の横顔に似る銀河」の耳介(じかい)の方に所在する「北アメリカ星雲」は〔耳介〕の形に相似するということで、[耳]の字源となった。[門]に[耳]で[聞]の字となり、『説文解字』の[月]の字源解説に登場する[闕]も[聞]と同じく[門〕の部首を有する字となったのは、「北アメリカ星雲」と「ペリカン星雲」の「中間の暗黒天体部」が[欠ける」と意味する[闕]の字源と〔外耳孔(がいじこう)〕すなわち〔耳の孔〕に見立てられたからである)。
 だから、「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は海の暗い部分がある〔満月〕や〔満ち欠けする上弦や下弦の月〕に見立てられた。
 このようなイメージ解釈によって、「桃花鳥」は「つき」と読まれることになったのである。

 前述したように、 鬼の横顔に似る銀河」は〔朱鷺色にすこしだけ赤みを帯びた桃色〕である。
 「オシリス」のモデルとなった「人の横顔に酷似する銀河」は〔トキ(アフリカクロトキ)の翼がある胴体と尾〕に相似する。
 この「人の横顔に酷似する銀河から鷲座α(アルファ)星・彦星・アルタイルが所在する銀河周辺にかけての部分」は、〔トキ(朱鷺)の肢(あし)〕の形に相似する。
 「人の横顔に酷似する銀河から鬼の姿に似る銀河の中間の明るい銀河部」は〔トキの首〕の形に相似する。
 「鬼の身に相当する銀河」が〔トキの頭(顔)〕に相似する。
 しかも、「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は〔トキの目〕に相似する。
 「鬼の横顔に似る銀河から長方形の暗黒天体部の東の辺」が〔トキの嘴(くちばし)〕の形に相似する。
 「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」は〔トキの嘴〕となる「長方形の暗黒天体部の東の辺」と交錯して連結する。〔トキの肢〕の部分と交錯する「コールサック」は「ナイル川」に見立てられてた。ゆえに、この部分は〔トキが生息したナイル川や湿地〕をあらわす。
 太い青い字で上記したように、ナイル川の両岸には、広い範囲でパピリスが密生していた。
 「長方形の暗黒天体部」は〔パピリスの茎の外皮をはがして、何枚も重ねて槌でたたいて延ばし固めた最初の紙〕の形に相似する。
 「鬼の横顔に似る銀河」と「人の横顔に酷似する銀河」は、〔パピリスで作った舟〕の形に相似する。
 「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」と連結する上南・下北の台形に観える「長方形の暗黒天体部」は〔パピリスで作った籠〕の形に相似する。

 漢字では「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」は〔水中に潜(もぐ)る龍〕に見立てられて「潜龍(せんりょう)」の語源となり、竹で編んで作った[籠]の字源となった。
 (なお、「潜龍」という語は「皇太子」を意味して、『古事記』序に記載される)。

 上記に記述した〔トキの全身の姿に似る銀河〕と同じ側身形に、決定詞の「トキ」を意味する表意文字は図案化される。
 また、〔トキの全身の姿に似る銀河〕と同じトキの姿をした多くの彫像が信仰の対象として作られた。
 多くの絵画、彫刻においてトキの頭を有する人の姿をしたトト神が造形されたが、トキそのものをトト神の象徴として表現された。
 ということは、〔トキの全身の姿に似る銀河〕こそが「トト神」であったことになる。

 〔トキの全身の姿に似る銀河〕は、すべてのヒエログリフが作られた字源銀河部の中心部となる。
 ヒエログリフの読み書きができる人物は“書記”と呼ばれ、パピリスで作った紙に文字を書いた。
 だから、トキの頭をしたトト神は、書記および筆記する行為の守護神となった。
 「ホルスの眼」が〔月〕を象徴する「左目」になるように、〔トキの尾〕に相当する「人の横顔に酷似する銀河の首」の部分が天頂にめぐってきた時に、「トキの全身に似る銀河」をキャッチできる。だから、トトは月の神となった。
 ヒエログリフを修得するに女性の生殖器や人体の仕組みはじめ天文学や動植物の知識などが必要となり、銀河から文字を作りまた先人が銀河から作った文字の字源を理解しなければならなかったので、トト神は学術(科学)と芸術の神となった。
 人間の目は、本人の意志にかかわりなく、周囲の明るさに応じて瞳孔の直径が1.5mm~8mmくらいまで縮小し、拡大する。視界の中に光がまったく入らないように暗闇の場所から銀河を観察すると暗い部分まで見え、視界の中に明るい光が入る場所から観察すると暗い部分が見えなくなって銀河全像の形が見えなくなる。真っ暗い場所においた物は見えないが、明るい場所に設置した物は見える。しかし、真っ暗い場所にしばらく止まっていると、瞳孔径が拡大して見えなかった物が見えるようになる。暗い場所と明るい場所で見た銀河の形は相違する。また、天頂緯度測定において、明るい場所だと精密に測定できないが、崖下や人里離れた木陰などの真っ暗い場所あるいは大きな帽子や冠で目に入る光を遮断(しゃだん)すれば、精密に測定できて遠い地に旅しても無事に家に帰ることができた。このような瞳孔径の仕組みは、古代の人々には不思議な“魔法”であった。ゆえに、銀河から作られた文字の神・トトは“魔術の神”にもなった。

 上記したように、「ホルスの眼」の字源の中心部となる円い「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は〔トキの全身の姿〕のうちの円い「トキの目」すなわと「トト神の目」となった。
 エジプト神話によれば――ホルスは、父オシリスを殺害した叔父のセトに片目をくりぬかれた。その目は切り刻まれ捨てられたが、トト神が辛抱づよくその切り刻まれたホルスの眼を集め、もとにもどしたという。
 この神話にもとづいて、表意文字にして決定詞の「ホルスの眼」は穀物の計量単位をあらわす6つの分数を示す文字となった。この6つの文字は、①1╱2、②1╱4(ホルスの眼=トトの目の「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」)、③1╱8、④1╱16、⑤1╱32、⑥1╱64であるが、この6つの分数の和はトトによって復元された全体の1とならなければならない。しかし、合計は63╱64となって、1╱64だけ不足となる。この不足となる1╱64は“トトの魔術”が補ったとされる。
 「トキの目=トトの目」は「ホルスの眼」の〔瞳〕である。
 この「ホルスの眼」の〔瞳〕は「計量単位の1╱4」となる文字[○]の字源は、「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」である。
 この「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」の中央部は欠け、「暗黒天体部」となる。
 したがって、「暗黒天体部」で欠ける「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は〔叔父のセトに切り刻まれた瞳〕となる。
 「計量単位の1╱4」の文字[○]は〔切り刻まれた「ホルスの眼」の瞳〕となる「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」の形状と異なって、〔切り刻まれない瞳〕をあらわす〔トキの目〕の同じ円形(○)である。したがって、「計量単位の1╱4」の字形の[○]は〔トトによって復元されたホルスの瞳〕をあらわすものとなる。
 ゆえに、「ホルスの眼」から生まれた6つの文字には、円形(○)の〔トトの目〕によって、「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」の中央部の「暗黒天体部」は文字にはならなかったことになる。したがって、この文字にならなかった「暗黒天体部」が〔不足分の1╱64〕の“トトの魔術”ということになる。
 この“トトの魔術”の「暗黒天体部」は「ホルスの眼」の〔瞳孔〕となる。
 そうすると、古代エジプトの医学では瞳孔の直径が縮小、拡大する仕組みを、知っていたのであろうか? 
 「瞳孔」に相当する「暗黒天体部」のように、視界に光がまったく入らない真っ暗い場所では瞳孔径が最大に拡大されるゆえ、暗い部分の銀河部まで見えるようになる。
 この瞳孔径の仕組みを、前述したように”トトの魔術”と言ったのであるまいか?

 トト神は多くの場合、トキの頭部をもつ男の姿で表現された。
 しかし、マントヒヒの姿をしたトト神が少数例存在する。
 「トキのほぼ全身に似る銀河」の部分は〔マントヒヒの全身像(側身形)〕にも相似するからである。
 「鬼の横顔に似る銀河」が顔の前面に突き出た〔マントヒヒの鼻〕、「鬼の身に相当する銀河」が〔マントヒヒの顔〕、「トキの首となる銀河」が〔マントヒヒの髪〕、「人の横顔に酷似する銀河」が〔マントヒヒの肩・腕・手〕、「トキの前肢の銀河」が〔マントヒヒの両足〕の形に相似する。 

 ヒエログリフの文字数は、600~700(あるいは800~1000)といわれるが、「トキの全身の姿に似る銀河」の各部の形状から、大半のヒエログリフが作られた。
 5回前の〔25〕にて、エジプトの天地創造神話に登場する銀河の範囲を解明した。
 「トキの全身の姿に似る銀河」と「エジプトの天地創造神話に登場する銀河」から、多分90%以上のヒエログリフが作られたことになる。
 残る文字は、左に表示した幻冬舎ルネッサンスから出版された拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』の資料Cで「夏の銀河の西南部」と記した銀河から作られた。
 古代エジプト王朝は銀河各部の名称を定めなかった。
 しかし、トト神を「トキの全身の姿に似る銀河」で表示し、天地創造神話、また神々の神話、またその神々の姿で、すべてのヒエログリフが作られたすべての銀河の範囲をあらわすことになった。
 だから、文字を作った銀河各部の名称を作る必要がなかったのである。
 【文字】は【銀河各部の形状】から作られた、あるいは【銀河各部の形状】は【文字】であるという秘密を守るために、銀河各部の名称を定めなかったが、トト神始めとする神々の神話や、神々の姿を表現する絵画や彫刻で、【文字】となった【銀河各部の形状】を表示していた。
 だから、この秘密を知っている王や神官や書記たちはヒエログリフが読み書きできた。
 ヒエログリフは銀河から字源・字形・字義・字音を作るものであったので、銀河は字源・字形・字義・字音を知ることができる辞典であった。

 拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』の資料Bに表示したすべての漢字が作られた銀河の範囲とすべてのヒエログリフが作成された銀河の範囲は同一である。
 漢字のすべての字源を知ることができる基本字は1400字前後である。ゆえに、いままで説明してきたように、漢字とヒエログリフの字源が同一となる例、共通する例、類似する例、漢字の字源でヒエログリフの字源が解明できる例などが多数存在するので、多くても1000字といわれるヒエログリフのすべての字源は、漢字の字源を解明すれば容易に解明できる。

 なお、私は13回前の〔17〕の冒頭部で――ヒエログリフの字源となった範囲は、拙著の資料Cの上半分の「秋の銀河」と「夏の銀河の東北部」となる――と記述したが、この指摘は誤っていた。
 正しくは――拙著の資料Cの写真で撮影された全範囲の「秋の銀河」と「夏の銀河」(「夏の銀河の東北部」と「夏の銀河の西南部」)であった。
 うっかり誤記したことを、ここにお詫び申し上げ
る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月30日 (金)

枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は”世界の文字は銀河から作られた”と証言する・29

 ロンドンの大英博物館には、「ロゼッタストーン」が展示されている。
 このロゼッタスト-ンには、一つの文章が3種の文字で整然と彫られている。ヒエログリフは14行だけが残り、デモティックは32行、ギリシャ文字は54行となっていた。
  このギリシャ語の文章は――紀元前196年の日付を持つメンフィス神官団の布告で、王プトレマイオス5世エピファネスに向けて、諸神殿に下された恩恵を称賛する――というような内容であった。
 このギリシャ語の文章から、ヒエログリフもまた文字であることが察知された。
 このヒエログリフの解読に、エジプト学者たちの挑戦が始まった。
 しかし、いっこうに謎のままで不明のままで解読は成功しなかった。
 ついに、フランス人の言語学者のジャンフランソワ・シャンポリオンがロゼッタストーンに刻まれたヒエログリフの解読に成功した。
 シャンポリオンは最初に、3字を用いて「ラメセス(Rameses)」とあらわす名を解読した。この解読から、3字を用いる「トトメス(Thotmeses)」という名をも解読した。
 こシャンポリオンの「ラメセス」と「トトメス」という二人の大王の名の解読から、ヒエログリフが解読できなかった迷宮の門が開かれた。

 シャンポリオンが最初に解読したのは〈ラ(ra)〉と発音する「太陽」をあらわす[◎]の文字、〈メス(mes)〉と発音する「キツネの皮の3枚を結びつけたもの」を図案した文字、〈ス(es)〉と発音する「折りたたんだ布」を図案する文字の3字であった。
 この「折りたたんで布」の文字は、〈ス(s)〉と発音するサ行をあらわすヒエログリフの基本アルファベットである。
 「ラメセス」という名に使われる〈メス〉と発音する文字について、ジョン・レイ著╱田口未知訳『ヒエオログリフ解読史』(原書房)の106頁は「この記号は、出産する女性を守るための魔除けとして使われた三枚のキツネの毛皮を結びつけたものを象徴していた」と説明する。
 藤井旭著『透視版 星座アルバム』(誠文堂新光社)の60頁と藤井旭著『新透視版 星座アルバム春夏編』(誠文堂新光社)の46頁に、3本の閃光(せんこう)を放つ銀河部と連結する「ペリカン星雲」の大きな写真がある。
 この写真の「ペリカン星雲」は「後ろを振り向くキツネの胴体(毛皮となる部分)が弧を描く形」に撮影されている。
 したがって、「ペリカン星雲と3本の閃光を放つ銀河部」は「無事に出産がなされるように魔除けとして使われた三枚のキツネの毛皮」を図案する〈メス〉と発音する文字の字源であったのである。

 国際天文学の名称は「ペリカン星雲」という名に定めているが、ペリカンの姿よりも実際は〔キツネが後ろを振り向く姿〕にソックリであるので、「キツネ星雲」という名のほうが的(まと)を射ることになる。

 満月の直径は約0.6度、ペリカン星雲のキツネの顔の部分は約0.8度であるから、肉眼でペリカン星雲が〔キツネが後ろを振りむく形〕であることが確認できる。
 〈メス〉と発音する「キツネの皮の3枚を結びつけた魔除け」を図案する文字――この文字の字源である「ペリカン星雲と3本の閃光を放つ銀河部」は、日本語の「キツネの嫁入り」の語源であるにちがいない。というのも、「キツネの嫁入り」は「日が照っていながら降る雨。ひでりあめ」を意味することになるからである。
 円形の「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」を〔太陽〕に見立てると「ペリカン星雲」が〔後ろを振り向くキツネの姿〕に見える。これゆえ、「3本の閃光を放つ銀河部」が「キツネの嫁入り」すなわち「日が照っていながら降る、日照り雨」のイメージとなる。
 [眔(とう)]と字は現在においては使用される文字ではないが、上の[目]はヒエログリフの「ホルスの眼」の字源となった銀河部であり、下の[水]に似た字形部は「涙」をあらわす「3本の閃光を放つ銀河部」が字源となる。この〔目から涙が垂れる形〕に図案される[眔]の甲骨文字と金文形は、ヒエログリフ「ホルスの眼」の字源となる[目](横目)と「3本の閃光を放つ銀河部」を「涙」に見立てて形成されたのである。したがって、[眔]の上の[目]を「ホルスの眼」の[瞳]の円形の「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」に取りかえると、「ペリカン星雲と3本の閃光を放つ銀河」は「晴れているのに、太陽が流す涙」すなわち「キツネの嫁入り」をあらわすものとなる。

 そうすると、日本の伝説に登場するキツネは、この「ペリカン星雲」に由来するものと考えられる。
 「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」に隣接する「長方形の暗黒天体部」は、漢字の[門]と[玄]の字源となった。また、「長方形の暗黒天体部」から神社の入り口の門の「鳥居」が作られたように、〔家の門〕や〔家の玄関〕の形状に相似する。
 また、「コールサック」は犬や狼(オオカミ)の姿に相似するので[犬]と[狼]の字源となった。それゆえ、コールサックの一部(北部)である「長方形の暗黒天体部」は〔犬の顔〕に相当する。
 中国の正史『隋書(ずいしょ)』倭国伝には「倭では結婚する場合、同姓では結婚せず、男女が互いに喜んで気に入った者たちが結婚をする。嫁入りする新婦は、夫の家に門や玄関に入るとき、必ず犬をまたぎ、そして夫が待つ所に歩み寄って互いに顔を見つめあう風習がある」と伝える記事がある。
 犬は多くの子を産むから、嫁入りする新婦は新郎の家に嫁(とつ)ぐとき、「長方形の暗黒天体部」が[犬]の字源になるのに因(ちな)んで、犬をまたぐことになったのである。また、「ペリカン星雲」は後ろを振り向くキツネの姿に酷似し、そのキツネの顔は犬の顔にも相似するので、新婦は犬をまたぐことになったのである。
 「コールサック」は〔東西に2頭の犬が顔が分かれて、この2頭の犬の胴体が一体化する形〕となる。この〔2頭の犬の顔〕は〔抱擁する男女の顔〕にも観えるので、「コールサック」は〔固く抱擁しあう男女が顔を見つめあって愛しあう姿〕に観える。
 日本語では「男女が愛し合う行為」や「男女の情事」を「濡(ぬ)れごと」という。「長方形の暗黒天体部」の東隣は「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」である。ゆえに、「コールサック」は日本語の「濡れ場」の語源になった銀河部だったのである。
 だから、『隋書』倭国伝の記事となった新婦は犬をまたいだ後に新郎と互いに顔を見つめあう儀式が行うことになったのである。
 だから、この「嫁入り」の儀式から「ペリカン星雲と3本の閃光を放つ銀河部」は「キツネの嫁入り」の語源となったのである。

 「ラメセス」という名に使われる〈ス〉と発音する「折りたたんだ布」を図案する文字について、マリア・カルメラ・ベトロ著╱南條郁子訳『[図説]ヒエログリフ事典』(創元社)178頁は、下記のごとく解説する。
 「王名につづく呼びかけの文句〈セネブ(snb)〉の略字として用いられる。
 この文字には、すべり落ちようとする布のしなやかな動きがとらえている。古王国時代の壁画で、織機から外されたばかりの真新しい布に、この文字と同じ形をしたものがある。」
 そうすると、「折りたたんだ布」を図案する文字の字源は、この回より11回前〔18〕にて解説した【ホルスの眼の6つの部分】のうちの「1╱4」(「ホルスの眼」の瞳となる「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」)]と「1╱64」の銀河部(長方形の暗黒天体部の西の辺)となる。

 「折りたたんだ布」の図案文字は漢字の[卩(せつ)]の字形上部を〔半円形〕にした〔コウモリ傘の柄の形を上にしたような形〕となる。
 「折りたたんだ布」を図案する文字は、〔ペリカン星雲の南から上へと線をのばし、この線をペリカン星雲の縁(へり)を撫(な)で、さらに北の北アメリカ星雲の縁を半円形に撫で、この線をさらに長方形の暗黒天体部の西の辺へと延長する形〕に合致する。
 この線は「おりたたんだ布」の字形に合致し、字源となる銀河部の形状は、上記の『[図説]ヒエログリフ事典』が指摘するように、「すべり落ちようとする布のしなやかな動きをとらえている」という表現に合致する。
 また、「十字の銀河」が〔織機〕のように観え、「鬼の姿に似る銀河」が「機織(はたお)りする人」に観えるので、上の行で説明した「折りたたんだ布」の字源銀河部は「織機から外されたばかりの真新しい布」のように観える。
 ホルスはファラオの守護神である。
 「ホルスの眼」の〔瞳〕となる「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」と「長方形の暗黒天体部の西の辺」は、「折りたたんだ布」の字源銀河部となる。だから、上記に示したように『[図説]ヒエログリフ事典』が「折りたたんだ布」の文字について「王名につづく呼びかけの文句〈セネブ〉の略字として用いられる」と指摘するように、〈セネブ〉の略字になったのである。

 ステファヌ・ロッシニー著╱矢島文夫訳『図説 古代エジプト文字入門』(河出書房新社)の65頁に、「キツネの皮の3枚を結びつけた魔除け」の文字と「折りたたんだ布」を表音文字と、この2字の右側に〈メス(ms)〉と発音する「生む」を意味する決定詞の3字が配置されている。
 この右端の決定詞「生む」の字形は「娩出期(べんしゅつき)すなわち分娩中(ぶんべんちゅう)の女性」を図案化したものである。
 この「生む」の字形は「両手を前後に垂らす女性の側身形」の下に「分娩される胎児の両腕と正面の顔」が加えられる。

 出産する胎児の頭が通過する産道は、軟(なん)産道と骨(こつ)産道とに分かれる。
 軟産道は子宮口から骨盤入口までで、骨産道は骨盤入口から骨盤出口までである。
 産道が狭い場合、医学が未発達の古代においては、とくに骨産道が狭い場合には胎児が死産しあるいは母子とともに亡くなる事故が多発した。

 正常分娩の場合、軟産道をくぐりぬけた胎児の頭は骨盤入口の上において、胎児はあごを胸につけた姿勢で胎児の背中を母体の左または右に向ける。骨産道の中ほどにくると、胎児の頭は斜め後ろ(母体の背側)に顔を向け、軟産道の出口では顔はすっかり後方(母体の背中正面)に向ける位置をとる。出産第1期の開口期(かいこうき)の終わりには、ほぼこの状態になる。

 次の出産第2期の娩出期(べんしゅつき)においては、子宮口が全開大となり、陣痛(じんつう)と腹圧との力で胎児の頭はますます押し上げられ、ついに陣痛発作の時には膣(ちつ)の入口から頭が見えるようになる。しかし、陣痛がやむと胎児の頭は引っ込んでしまう。さらに進んで、胎児の頭の最も大きな部分が膣入口を通過しようとする状態になると、胎児の頭は引っ込まないようになる。この直後に、胎児の頭が生まれる。ついで、胎児の頭はふたたび母体の左または右に向くが、これは肩の部分が骨盤出口をくぐりぬけるためである。肩はまず上(母体の腹側)にあるほうから先に、ついで下(母体の背側)の肩が出ると、あとは一気に生まれる。

 決定詞「生む」の「娩出期の女性の側身形と胎児の両腕と正面の顔」を図案する文字は、上の行で説明した「胎児の頭の最も大きな部分が膣入口を通過してあとに胎児の頭が生まれてから胎児の母体の背側の肩が出るまでの神秘的なドラマ」を描くものである。

 この膣入口に胎児の頭が見えてから以後のドラマは、実際に目で目撃することができる。
 表音文字の〈メス〉と発音する「キツネの皮の3枚を結びつけた魔除け」と〈ス〉と発音する「おりたたんだ布」の文字は、上記の「胎児の頭の最も大きな部分が膣入口を通過して、胎児の頭が引っ込まないようになって、母体の背の方に顔を向けて胎児の頭が生まれる。ついで、胎児の頭はふたたび母体の左または右に向き、そして母体の腹側にある肩から先に、ついで母体の背側にある肩がでると、娩出期が終わる」と説明した――胎児の頭が回転しながら出産する状況を図案するものである。

 したがって、〈ス〉の字源銀河部の一部となる「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は〔回転する渦巻き〕のごとくに観え、〈メス〉の字源「ペリカン星雲」はキツネの背中は円弧となるゆえ〔胎児の頭が膣入口から見えるようになってからの回転する動き〕をあらわすものとなる。

 「キツネ」の漢字[狐]の字源は「ペリカン星雲」であり、[弓]に[瓜]からなる[弧]の字源も「ペリカン星雲」である。というのも、「ペリカン星雲」の〔後ろを振り向くキツネの胴体〕は半円を描く「弧の形」であるからである。
 ゆえに、[狐]と[弧]はともに[瓜]の字からなる。
 そして、「ペリカン星雲」は〔瓜(うり)〕の形に相似すると見立てられて、[瓜]の字源となった。
 われわれは爪(つめ)が伸びると直ぐに切ってしまうが、爪が長くなっても切らなければ、伸びる爪の先端は「ペリカン星雲」のように丸まる。「鬼の姿に似る銀河」は「右手」に見立てられて[右]の字源・字形・字義となり、「北アメリカ星雲」は「鬼の姿に似る銀河」の右手の親指に見立てられた。「北アメリカ星雲」から円弧を描いて連結する「ペリカン星雲」は〔親指の爪を切らないまま伸びた爪の先端〕に見立てられて[爪]の字源となった。
 これゆえ、同じ字源から作られた[瓜]と[爪]の字は相似しあうことになった。
 膣の入口に胎児の頭が見えてから生まれるまで、胎児の頭は螺旋(らせん)状に回転する。「螺旋」の[螺]と[子]が組み合わさると「螺子(ねじ)」となる。「螺子」の〔捩(ね)じれの動き〕は〔出産する時の胎児の頭の回転に相似する〕ということから、〔螺旋状のミゾがついているもの〕は「螺子」と表記されることになったのである。

 〈メス〉と発音する「生む」を意味する決定詞の字形は、21回前の〔8〕にて解説した、夏音文字の最高学理の[眞]の字源をあらわすことになる。
 「生む」の字形における「分娩する母体の側身形」に対して「誕生する胎児の顔」は〔正面形〕である。だから、「生む」の決定詞の字形は「90度方位規定を転回する」と定めた[倭]の字源をあらわすものとなる。
 竜安寺の石庭の第3群の「横三尊」という名がつく石組は――主石の大石が「胎児を分娩する母体の腹部」、二つの小石は「母体の両足」、三つの石に包囲される空間は「母体の股と出産する胎児の頭」に見立てる仕組みになって――[眞]の字源をあらわす役目がある。

 [眞]の字源・字源・字義は①――子宮で育つ12週~20週の胎児の頭は母体の方に向き、20週~28週になると、180度回転して胎児の頭は母体の方に向く。この胎児が誕生するとき、胎児の顔は母体の背中正面を向く。この胎児を裏返しにして、母体の股から90度転回するように、母体の内側(腹側)へ胎児を取り上げる――このような胎児の出産の状況から成立した。
 この「母体の背中の方に顔を向いて誕生した胎児を裏返しになるようにして、母体の股から90度転回するように、母体の内側へ胎児を取り上げる」は「内裏(だいり)」の語源となった。「内裏」は「天皇の御殿。皇居」を意味する。
 そして「母体の股から90度転回するように、母体の内側に胎児を取り上げて、一つのいのちが生まれる」が、[倭]の字源となった。
 また、[眞]の字源・字形・字形は②――胎児の頭の最も大きな部分が膣入口を通過して、胎児の顔が母体の背中の方に向いて誕生し、ついで90度転回して胎児の顔は母体の左または右に向き、まず母体の腹側にある肩が先に、ついで母体の背側にある肩が出て、180度母体の内側に回転するようにして取り上げる、この膣の入口から胎児の頭が見えた直後から取り上げるまでの状況――によって成立した。
 この誕生するまでの過程において、肩の部分が狭い骨盤出口を通るために「胎児が90度転回して母体の左または右を向く」、この「90度の回転する」動きが[倭]の字源となった。
 古代では、狭い骨盤出口を通れずに死産する胎児が多かった。その時の母親は「天に胎児の生死の運命を委(ゆだ)ねる心境」であったのである。この心境こそ、[委]と[倭]の字源を示すものであった。

 卑弥呼が生存した3世紀、倭の使節は大海を越えて帯方郡政庁、魏の都の洛陽(らくよう)へ到着し、帰路にも大海を渡って家族が待つ家に帰った。この大海の往来は天頂にめぐってくるいくつかの星、そして主に「長方形の暗黒天体部」が天頂にめぐってきたとき、精密な天頂緯度測定をおこなってなされていた。
 21回前の〔8〕で指摘したように、竜安寺の石庭は――精密な天頂緯度測定するときには「無」「無我」「無心」、あるいは「成り切る」「死に切る」の心構えを有して、天に生死の運命を委ねていた――と、今日に伝える。
 「文字」の[字]の字源は――子午線経過する[天]の字源の「十字の銀河」を〔90度〕転回させて[宀(べん)]の字源にし、[子]の字源「鬼の横顔に似る銀河」を「天頂緯度測定する人」に見立て――[宀]の下に[子]を加えて[字]となり、成立するものであった。
 ゆえに、[字]の字源・字形・字義には「天(天頂緯度測定)に生死を委ねる」という秘密があり、また「天命に生死を委ねて無心に産道をくぐりぬける胎児(子)」という秘密を有するものであったのである。
 だから、このような事情から、[倭]の字源は「天体の運行が東から南に進むように、方位規定を90度転回して〔東〕を〔南〕にする方位の転位」をあらわすものとなった。
 『魏志倭人伝』は[倭]の字源に合致して「東に伸びる日本列島が南に伸びる」と記述する。だから、卑弥呼が統治した国家の名は「倭」となった。

 左に表示した幻冬舎ルネッサンスから出版された拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』にて詳細に解説したように――中国沿岸地域の北部の北京・天津(てんちん)の気候は冷たく、南の呉の会稽(かいけい)の気候は暖かい。これに対し、日本列島の北緯34度15分の西の沖ノ島の気候は冷たく、同じ北緯34度15分の東の伊豆諸島の神津島(こうづしま)の気候は冬でも雪が降らず暖かい。
 そして、中国の北京・会稽の道里(距離)と日本列島の沖ノ島・神津島の距離はほぼ同じぐらいである。
 ゆえに、卑弥呼は中国の〔北冷〕と日本列島の〔西冷〕の気候が合致し、中国の〔南暖〕と日本列島の〔東暖〕の気候が合致する。そうすると中国の〔北〕と日本列島の〔西〕が〔冷〕で共通し、中国の〔南〕と日本列島の〔東〕が〔暖〕で共通する――この状況にもとづき、卑弥呼は中国大陸の南北の方向に日本列島の東西が伸びると立論した。
 この卑弥呼が立論した日本列島転回像論は小国の王たちや氏族の首長や夏音文字の学芸に精通する巫女や神官たちに、真実であると賛同された。この日本列島転回像論は、卑弥呼こそが夏音文字の学芸の最高権威者であると証明するものとなった。だから、当時の大王は夏音文字の最高権威者が選ばれるものであったゆえ、卑弥呼は女王に就任することになったのである。
 卑弥呼が立論した転回日本列島像論は[倭]の字源を示すものであったから、卑弥呼が統治する国の名は「倭」となった。
 卑弥呼が立論した日本列島転回地理は、朝廷は738年まで制定していた。

 竜安寺の石庭の第3群の横三尊の石組の母体の〔股〕から生まれる〔胎児の頭〕をあらわす空間は西を向く。この横三尊の西を天体の運行方向に合致させて北(濡れ縁や方丈がある北)に90度転回すると想定すると、[倭]の字源が成立する。
 つまり、横三尊の西を北に向けると、東の大石は南(油土塀がある南)に向くからである。
 だから、この〔東が南になる90度の転回〕は『魏志倭人伝』に「東に伸びる日本列島が南に伸びる」と記述される日本列島転回地理に合致する。
 横三尊の石組には、「倭」の字源を示す役割りがあった。
 また、5群の石組が配置される平庭は正方形が二つならぶ「長方形の暗黒天体部」を設計するものであるが、卑弥呼時代に「長方形の暗黒天体部」が天頂にめぐってきた時の南北に長い形にしないで、[倭]の字源にもとずいて90度転回する東西に長い形(南北10m・東西20m)に設計した。
 このように、竜安寺の石庭は[倭]の字源を基調にして設計される。
 ゆえに、『魏志倭人伝』に記述される転回日本列島地理は卑弥呼が立論した地理であり、国名「倭」は[倭]の字源を表示するものであったのである。

 以上のように、〈メス〉と発音する「生む」を意味する決定詞と、「キツネの皮の3枚を結びつけた魔除け」と「折りたたんだ布」の2字の表音文字の計3字のヒエログリフは[倭]の字源をあらわすものとなる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月29日 (木)

枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は”世界の文字は銀河から作られた”と証言する・28

 今回もまた前回〔27〕と同じ、ステファヌ・ロッシーニ著╱矢島文夫訳『図説 古代エジプト文字入門』(河出書房新社)の32頁の「大熊座」と29頁の「ピラミッド」という言葉をあらわす字源や語源について解説することにする。
 今回は、前回の順序を逆にして「ピラミッド」を前に、「大熊座」を後に取り上げて解説する。

 「語(言葉)をあらわす意味がわかる絵文字」、この表意文字を「決定詞」と称する。
 発音に用いられる文字は、①単子音字(いわゆるアルファベット)、②2子音字、③3子音字、④音声補語などがある。
 これらの「発音に用いる文字」を、これからの解説では「表音文字」と一括して呼ぶことにする。

 ステファヌ・ロッシーニ著╱矢島文夫著『図説 古代エジプト文字入門』の29頁に記載される「ピラミッド」の決定詞は、右下の②「三角形」の「ピラミッド」を意味する文字である。
 〈ベネベネト〉すなわち〈bnbnt〉と発音する表音文字は③「片足」・④「さざ波」と⑤「片足」・⑥「さざ波」である。
 つまり、③「片足」の〈b〉、④「さざ波」の〈n〉、⑤「片足」の〈b〉、⑥「さざ波」の〈n〉、「ピラミッド」を意味する決定詞の上にある①「半円形」の〈t〉で〈bnbnt(ベネベネト)〉となる。
 この〈bnbnt〉の最後の〈t〉となる①「半円形」・〈トゥ〉と発音する文字は、タ行をあらわすヒエログリフの基本アルファベットである。
 このタ行をあらわす基本アルファベットの表音文字の①「半円形」は、決定詞的な役割を有していることになる――というのも、前回に指摘したように、①「半円形」の字形は「春分・夏至・秋分・冬至の日の地平線上に昇る太陽」を図案するものであり、この文字の字源は「二分二至の朝日」であるからである。
 そして、5回前の〔22〕で指摘したように、3大ピラミッドとその複合体(葬祭殿・参道・河岸神殿)と大スフィンクスは「二分二至」を表示する建造物であった。
 だから、②「ピラミッド」を意味する決定詞の上にある「二分二至の朝日」が字源である①「半円形」の文字は、決定詞を補う役割があることになる。

 上記したように、表音文字には④「音声補語」と分類される文字がある。ということは、決定詞の②「ピラミッド」の真上にある①「半円形」の文字は”決定詞補語”の役割を有するものであったことになる。
 首都であったメンフィスはナイル川の西岸に立地する。このメンフィスの東を流れるナイル川はギザのピラミッドにつながる下流ではない。ギザのピラミッドの東を流れるナイル川は本流であり、メンフィスの東に流れるナイル川は本流から分かれた西方の大地を流れる支流である。したがって、ギザのピラミッドの東を流れるナイル川はメンフィスの朝日が昇る東方に所在する。だから、決定詞の②「ピラミッド」の上に「二分二至の朝日」が字源となる決定詞補語を配置されたのである。

 メンフィスからギザのピラミドに到着するには、ナイル川の支流の西岸から東岸へと渡らなければならない。ゆえに、表音文字の〈ベネ(bn)〉の③「片足」と④「さざ波」の2字は「川を渡る」をあらわし、表音文字の〈ベネ(bn)〉の⑤「片足」と⑥「さざ波」は「ナイル川の本流の西岸を北に向かって歩く(とピラミッドに到着する)」をあらわすものとなる。
 表音文字〈ト(t)〉にして決定詞補語の①「半円形」の太陽は「ピラミッドは二分二至に地平線から昇る朝日を祭る建造物」であると示すものとなる。
 以上のように、表音文字にも「ピラミッド」という語の意味をあらわす役目がある。

 アンドルー・ロビンソン著╱片山陽子訳『文字の起源と歴史』(創元社)の116頁は、「決定詞」を「表語文字」という名で呼んで、ヒエログリフの文字について下記のごとく指摘する。
 「ヒエログリフは表音文字と表語文字が併用されるシステムで、文字の多くが、文脈によって表音文字にも表語文字にもなる。つまり、表音文字と表語文字の境がはっきりせず、固定的でない。ヒエログリフは明確な区別を維持できない文字なのだ。」
 この「ヒエログリフの表音文字と表語文字(決定詞)の境がはっきりせず、固定的でない」という特性は、上記の「ピラミッド」という語に使われる文字でも示される。

 ステフェヌ・ロッシニー著『図説 古代エジプト文字入門』の32頁の、〈ヘペシュ(hps)〉と発音する6字で「大熊座」という語の語源の秘密に、話題を変える。
 この「大熊座」の決定詞は①「神」の絵文字である。
 〈ヘパシュ(hps)〉と発音する表音文字は②「疾走するライオンの足」、③「7等分した縦長の長方形」、④「胎盤」、⑤「周囲が傾斜した池」、⑥「星」である。
 この6字で構成する言葉の決定詞を、『図説 古代エジプト文字入門』は「大熊座」と指摘する。
 しかし、③「7等分した縦長の長方形」からして、決定詞は「北斗七星」をあらわすものであったにちがいない。もっとも、北斗七星は大熊座の一部であるが、決定詞は「北斗七星」であったと考えられる。
 また、表音文字⑥「星」は「北斗七星」の7星中の一つの星を「神」と崇拝すると示すものであると考えられる。だから、決定詞①「神」は〔北斗七星の7星中の一つ星〕を「神」とするものであると考えられる。

 決定詞を「北斗七星の中の一つの星」と定めると、⑥「星」の文字は「大熊座の星たち」をあらわすものではなく、決定詞①「神」の意味に合致する、別の神聖な星をあらわしていることになる。
 ⑥「星」の文字の上は②「疾走するライオン(獅子)の片足」を図案化した文字である。
 6回前の〔22〕で指摘したように――ギザの3大ピラミッドと大スフィンクスが建造された4500年前、「獅子座のγ(ガンマ)星」(光度2.3等の美しい重星)は首都メンフィスの(北緯29度59分)の天頂にめぐってきた。また、「ぎょしゃ座のβ(ベータ)星」(光度2.1等の準巨星)もメンフィスの天頂を通過した。
 3大ピラミッドと大スフィンクスが建造された4500年前、春分の日の午前2時になる「ヘルクレス座のα(アルファ)星・ラスアルゲチ」が、3大ピラミッドと大スイフィンクスの天頂(北緯30度)の天頂で輝いた。このヘラクレス座α星・ラスアルゲチは美しい二重星で、光度が3.5等の橙色の星と5.4等の鮮緑色の星からなる。また、「ペルセウス座のγ星」も、ギザの天頂を通過した。
 これら4つの星は首都メンフィスとギザの3大ピラミッドの位置(緯度)を示す目印(めじるし)となり、メンフィスを離れ、ギザより遠い地に旅した人々が家に帰ることができる、命をまもる“守護星”となった。ゆえに、これら4つの星は神聖な星となって重視されたにちがいない。

 首都メンフィスの天頂を通過した「獅子座のγ星」は、獅子座の〔たて髪〕の箇所に位置する。
 前回〔27〕にて、〔獅子座のξ(クサイ)、ο(オミクロン)、α(アルファ)、η(エータ)の4星〕は[獅子座の前足]になるので、②「疾走するライオンの足」の字源になったと指摘した。
 獅子座の首からたて髪にかけてのα、η、γ、ζ(ゼータ)、μ(ミュー)、ε(エプシロン)の6星は西洋鎌の形となる。このため、この6星は“獅子の鎌”と呼ばれる。
 この“獅子の鎌”の星座の形は、カップと柄(え)からなる北斗七星の形に類似する。
 5000年前の第1王朝のナルメル王の時代、獅子座のγ星はギザの天頂にめぐってきた。
 3大ピラミッドが建造された4500年前当時、獅子座のγ星より40分北側、つまりγ星とζ星の中間のγ星に近い箇所が、ギザの天頂となった。
 5000年前の第1王朝時代、そして3大ピラミッドが建造された第4王朝時代、北斗七星に類似する“獅子の鎌”が子午線経過した時、北斗七星のカップがともに子午線経過(上経過)した。
 3000年前の第3中間期の第21王朝時代においても、“獅子の鎌”が子午線経過した時、北斗七星のカップが子午線通過した。
 獅子座のγ星とζ星付近の“獅子の鎌”の中に輻射点(ふくしゃてん)を有する流星群を“獅子座流星群”と称する。
 この“獅子座流星群”は、今日の暦において、11月14日から19日にかけて出現する。それゆえ、“11月流星群”とも呼ばれる。この“獅子座流星群”は約33年目ごとに、いちじるしい流星雨の現象をあらわすことが観測されている。
 3大ピラミッドが建造された4500年前、北斗七星のカップが子午線通過し、“獅子座流星群”が子午線通過するのは、今日の暦の11月14日の午前1時間ごろ、11月19日の午前0時40分ころであった――この時、“獅子座流星群”は3大ピラミッドの天頂点から約3度の北側(高度87度)から発射され、その流星雨は真下のピラミッドに向かって降ってきた。
 だから、⑥「星」の字源は「大熊座の星たち」ではない。
 ⑥「星」の文字は、その「神」と崇拝する星が――メンフィスとギザのピラミッドの天頂で輝いた4つの星「獅子座のγ星、ぎょしゃ座β星、ヘルクレス座α星、ペルセウス座γ星」の守護星のごとく神聖にして重大な星であると示す。
 また⑥「星」の文字は、その「神」と崇拝する星が――ピラミッドが作られた当時、天頂点付近にめぐってきた“獅子座流星群”の輻射点との関連がある星であったと示す。
 〔歳差(さいさ)〕という現象によって、3000年前から「獅子の鎌」が子午線通過する時に北斗七星のカップが子午線通過しなくなった。
 しかし、この〔歳差〕の影響もなく、4500年前の3大ピラミッドが建造された第4王朝時代と3000年前の第21王朝時代の「獅子の鎌」の緯度はほとんど同じであった。だから、第4王朝時代から第21王朝時代まで、“獅子座流星群”の輻射点が3大ピラミッドから3度北側を子午線通過する時、北斗七星のカップも子午線通過していた。

 ⑥「星」の真上に、前回〔27〕で解明した②「疾走する獅子・ライオンの片足」が配置される。
 この②「疾走する獅子の片足」の文字は「獅子座流星群(の輻射点)」をあらわすものであると考えられる。
 というのも、鈴木俊太郎著『星の事典』(恒星社厚生閣)の159頁は“獅子座流星群”の「流星の速度は速やかな条痕(じょうこん)を残すのが特徴である」と記述するからである。
 この流星のイメージから〔全力疾走する獅子の足〕を連想された。
 ゆえに、⑥の「星」の文字の上に、「獅子座流星群」のイメ-ジを示す②「疾走する獅子の片足」を図案する文字が配置されたのである。 

 7回前〔21〕にて指摘したように、ギザの3大ピラミッドが建造された今から約4500年前、〈ラー〉と発音する「太陽」を意味する文字[◎]の字源・字形となる「白鳥座γ星」が子午線経過する時、エジプト暦の元日となる夏至の午前零時となった。
 当時の「白鳥座γ星」の緯度は赤緯(せきい)プラス34度である。ゆえに、白鳥座γ星はギザの3大ピラミッドから4度北側を子午線経過した。ということは、獅子座流星群の輻射点は3度北側(すなわち赤緯プラス33度)を子午線経過するものであったので、白鳥座γ星と獅子座流星群の輻射点はほぼ同じ高度であったことになる。
  前回で解明したように、「北斗七星」という語に使われる④「胎盤」をあらわす文字の字源は「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」である。
 今から4500年前の第4王朝時代、「北アメリカ星雲の北部」の赤緯はプラス33度ぐらいであったので、「北アメリカ星雲の北部」が子午線経過する時の高度は獅子座流星群の輻射点とほとんど同じであったことになる。
 第4王朝時代、「長方形の暗黒天体部の北の辺」も獅子座流星群の輻射点とほぼ同じ赤緯プラス32度を子午線経過した。
 当時、北アメリカ星雲が子午線経過する時、北斗七星の第5星の7星中最も光が強いε星が子午線のすぐ横に位置し、もうすぐ子午線上に乗ろうとしていた。「長方形の暗黒天体部の北の辺の東端」が子午線経過した時、北斗七星のε星が子午線上に乗った。この間、わずか10分である。

 ①「神」という語に使われる表音文字は②「疾走する獅子の片足」の左隣に③「7等分した縦長の長方形」、この③の文字の左隣に④「胎盤」、③・④の下に⑤「周囲が傾斜した池」が配置される。
 ②「疾走する獅子の片足」の隣に③「7等分した縦長の長方形」に配置したのは――④「胎盤」の字源「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」が子午線経過し、次に⑤「周囲が傾斜した池」の字源「長方形の暗黒天体部の北の辺の東端」が子午線経過する、北斗七星のε星が子午線の直ぐ東に迫って子午線上に乗る――この「わずか10分間」を表現するためのレイアウトであると考えられる。
 ③「7等分した縦長の長方形」の〔7等分〕は「7つの星」をあらわして「北斗七星」を示すものとなる。
 この③「7等分した縦長の長方形」の左隣に④「胎盤」の文字が配置される。
 ④「胎盤」の字源「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は〔渦を巻く円形〕である。北斗七星は天の北極を中心にして日周(にっしゅう)運動する。この〔北斗七星の日周運動する軌道〕と〔渦を巻く円形〕の「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は相似する。
 だから、「北斗七星」が字源である③「7等分した縦長の長方形」は、渦を巻く円形の「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」が字源となる④「胎盤」の文字の右隣に配置されたのである。

 ⑤「周囲が傾斜した池」の字形は字源の「長方形の暗黒天体部」に相似せず、長いほうの2辺が長すぎる。
 この⑤の文字の上の右側に配置される③「7等分した縦長の長方形」は子午線通過する時の「長方形の暗黒天体部」の形にほぼ近いが、少し縦に寸足らずである。
 ⑤「周囲が傾斜した池」の字形は、「池」を意味する〈シュ(sh)〉と発音する文字を基本字とする異体字(いたいじ)である。ゆえに、⑤「周囲が傾斜した池」の字形は「池」をあらわす文字の字形をそのまま受け継いだので、正方形が二つ合体する「長方形の暗黒天体部」の形に相似しないことになった。
 そこで、③「7等分した縦長の長方形」を少し寸足らずにして、③と⑤の文字の〔長方形の中間の形〕が「長方形の暗黒天体部」の形であると示したのである。

 ③「7等分した縦長の長方形」から7つの星で構成される「北斗七星」と示され、②「疾走する獅子の片足」は〔獅子座流星群〕の形状から「わずかの時間」が連想される。
 そして、⑥「星」は複数でなっく一つであるゆえ、「北斗七星」のうちの「一つの星」をあらわすものであるにちがいない
 これゆえ、ステファヌ・ロッシニー著『図説 古代エジプト文字入門』は、〈ヘベシュ(hps)〉と発音する決定詞①「神」は「大熊座」であると指摘するが、「北斗七星の7星中の一つの星」だけが「神」であると示していると考えるべきことになる。

 上に大きく赤字で示したように――ギザの3大ピラミッドが建造された当時、④「胎盤」の字源となる「北アメリカ星雲」が子午線経過する時、北斗七星の第5星のε星が子午線のすぐ横に接近していた。〔北斗七星のカップ〕をあらわす⑤「周囲が傾斜した池」の字源となる「長方形の暗黒天体部の北の辺の東端」が子午線経過した時、北斗七星のε星が子午線上に乗った。この間、わずか10分である。
 ゆえに、この〔わずか10分〕は②「疾走する獅子の片足」であらわされた。
 だから、②「疾走する獅子の片足」の下に配置される⑥の「星」があらわす〔北斗七星の7星中の「神」と崇拝された星〕は「ε星」となる。
 よって、決定詞①「神」は「北斗七星のε星」となり、「大熊座」でもなく「北斗七星」でもないことになる。

 決定詞「北斗七星の神」には、顎鬚(あごひげ)がつく。
 「鬼の姿に似る銀河」の顔には顎鬚がある。この顎鬚は「長方形の暗黒天体部の北の辺の東端」に連結する。(この連結部分は、「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河の北端」となる)。
 「北斗七星のカップ」と「長方形の暗黒天体部」は⑤「周囲が傾斜した池」の文字で表示された。
 ゆえに、「北斗七星のカップ」を「長方形の暗黒天体部」に見立てると、「北斗七星のカップ」に連結する「ε星」は「長方形の暗黒天体部の北の辺の東端」に連結する「顎鬚」の形状に合致する。
 だから、①の決定詞の「神」は「北斗七星のε星」をあらわすものであったのである。
 なお、現在のギザの大スフィンクスには顎鬚がついていたが、現在は付いていない。しかし、スフィンクスの聖なる顎鬚はカイロのエジプト博物館に所蔵されている。

 ギザの3大ピラミッドが建造された当時(4500年前)、北斗七星で最も光が強い光度1.8等のε星が、夏至点と天の北極を結ぶ子午線を擦(こす)るように東に位置した。
 これゆえ、当時の春分の日の午前零時にはε星は天の北極の西に位置し、夏至の午前零時にはε星は天の北極の北に位置し、秋分の日の午前零時にはε星は天の北極の東に位置し、当時の日の午前零時にはε星は天の北極の南に位置した。
 また、ε星は昼夜の長さが同じ春分の日の夕刻・午後6時には天の北極の南に位置し、昼の長さが最も短い夏至の日の1ヵ月前の夜の午後8字には天の北極の西に位置し、昼夜の長さが同じ秋分の日の夕刻・午後6時には天の北極の北に位置し、昼の長さが最も長い冬至の日の太陽が地平線に沈んだ時(午後4時)から2時間経過した午後6時には天の北極の東に位置した。当時から1ヵ月後には、太陽が地平線に没する午後4時頃に、天の北極の東に位置した。
 だから、春分・夏至・秋分・冬至の日を明確に示す「北斗七星のε星」は「顎鬚が生える神」となったのである。
 6回前〔22〕にて解明したように、3大ピラミッドは「夏至点・冬至点」を象徴する建造物であり、ピラミッドの複合体である大スフィンクス、葬祭殿、参道、河岸神殿は「春分点・秋分点」を象徴する建造物であった。
 ゆえに、葬祭殿・参道・河岸神殿は「神」を祀る建造物であることが明確に示されるゆえ、春分・夏至・秋分・冬至の日を明確に示す「北斗七星のε星」は①の決定詞の「神」であったのである。

 ギザの3大ピラミッドが建造された今から4500年前は、前回〔27〕で指摘した中国の五帝時代の4番目の帝である堯(ぎょう)の時代であった。
 司馬遷著『史記』五帝本紀には、春分、夏至、秋分、冬至の日の夕刻の星空の様子が記述される。この記事における「北斗七星のε星」の名は「鳥」である。
 『史記』五帝本紀は「益(益氏の首長)は帝堯の時代から挙用(きょよう)されていた」と記述する。
 『史記』五帝本紀は、次の帝舜(しゅん)の時代に「益は虞(ぐ)という重職に任命された」と記す。この「虞」という官職は「山林川沢をつかさどる官」とされるが〔川や沢が集まる中国の海岸線地域の地図を作成する官〕であったと考えられる。
 『史記』夏本紀は、「益は夏の始祖・帝禹(う)を継ぐ帝となった」と書く
 『史記』陳杞世家(ちんきせいか)は「益の子孫は、どこに封ぜられたか不明である。史伝に記載されていないからである。帝堯と帝舜の時代に、功徳をもって令名のあった臣下である。益の先祖は帝王になった。」と説明する記事がある。
 このように、中国古代史から益氏が忽然(こつぜん)と消えたのは、益氏の子孫が小舟を漕いで大海を越えて日本列島に定住したからである。
 
 今から4050年前、益の子孫である帝益の孫の王子と若者たちは、帝禹の遺志である氏族共同体制の継続を日本列島で実現するため、大海を越えて日本列島に移住した。
 ゆえに、秋田県鹿角(かづの)市に夏代初頭の国の特別遺跡・大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)が作成されて現存することになり、この万座遺跡と野中堂遺跡には夏音文字の学芸の痕跡(こんせき)が現在も明確に残る。
 かくして、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に記載され、静岡県浜松市北区細江町の1千万坪の大鳥の地上絵、竜安寺の石庭、滋賀県彦根市の3千万坪の大鳥の地上絵、京都市の桂離宮の庭園などに明確に残る夏音文字の学芸が伝来し、現在まで失われずに残ったのである。

 前々回〔26〕で指摘したように、大湯環状列石の野中堂遺跡の特殊組石「日時計組石」は北斗七星の「鳥」の星を日周運動を利用して午前零時を計測する時計装置であり、この時計装置で天球上において太陽が1年間に通過する〔黄道(こうどう)〕を観測していた。
 大湯環状列石が作製された約4000年前頃、獅子座流星群の輻射点が子午線経過してから2時間後に、北斗七星の「鳥」の星(ε星)が子午線経過した。
 現在は、獅子座流星群の輻射点が子午線経過して2時間35分ぐらい後に、北斗七星の「鳥」の星が子午線経過する。
 野中堂遺跡の日時計組石は北斗七星の「鳥」の星を用いて黄道を観測する装置であった。ゆえに、北斗七星の「鳥」が子午線経過する約2時間前(古代では、「2時間」を「一刻」と称した)に子午線通過する獅子座流星群の輻射点を、古代の天皇は注目していたのである。
 鈴木俊太郎著『星の事典』の159頁~160頁にかけての獅子座流星群に関する記事は、下記のごとくである。
 「この流星群の記録はわが国の古書にも多く、醍醐天皇の延喜二年(902)にはじまり、村上天皇の康保四年(967)がこれに次ぐ。この流星群の日本における記録が諸外国に比べて豊富であることは注目に値する。」

 以上のごとく、わが国とエジプトの古代史には、〔精密に緯度が測定できる天頂緯度測定〕を基軸にした天文学と【銀河各部の形状】を【文字】の字源とした学芸を、王朝の政権基盤にして厳重な機密としたという共通点がある。
 ゆえに、わが国の特別史跡の大湯環状列石、静岡県浜松市北区細江町の1千万坪の大鳥の地上絵、竜安寺の石庭、滋賀県彦根市の3千万の大鳥の地上絵、京都市の桂離宮の庭園などを調査すれば、エジプトのヒエログリフの字源の秘密の全貌が科学的に解明できるようになっている。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月27日 (火)

枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は”世界の文字は銀河から作られた”と証言する・27

 ステファヌ・ロッシニー著╱矢島文夫訳『図説 古代エジプト文字入門』(河出書房新社)の32頁に、〈ヘペシュ(bps)〉と発音する6字で「大熊座」と意味する語が記載される。
 この6字は①「神」、②「(翼が生えたように速く走る)動物の片足」、③「7等分した縦長の長方形」、④「胎盤」、⑤「周囲が傾斜した池」、⑥「星」である。

 〔顔に顎鬚(あごひげ)〕が無い、座っている人の側身形〕を図案する文字は「女」を意味する。
 「神」と「王」をあらわす文字には、顎鬚がつく。
 「大熊座」という言葉をあらわす①の〔ひざを深く折ってうずくまり、腕まで隠れる衣をまとう人の側身形〕を図案する文字には顎鬚〕が生える。
 だから、①の文字は「神」をあらわす。
 「鬼の横顔に似る銀河」の〔顎〕には〔鬚〕の形となる部分がある。また、「鬼の姿に似る銀河」は〔ひざを深く折ってうずくまり、腕まで隠れる衣をまとう人の側身形」に観える。だから、①「神」の字源は「鬼の姿に似る銀河」ということになる。
 ③「7等分した縦長の長方形」の文字は〔子午線通過する北斗七星の7つの星〕をあらわす。
 ⑥「星」の文字は〔北斗七星の星と、その他の大熊座の星〕をあらわす。

 大熊座を構成するすべての星は周極星(しゅうきょくせい)ではない。「天の北極の近くで円周運動するために、地平線の下に沈むことがない星」を「周極星」と称する。周極星は、1日2回の子午線経過をする。〔天の北極と天頂との中間の子午線経過〕を「上経過」という。〔天の北極と地平線の北(北点)との中間の子午線経過〕を「下経過」という。
 大熊座のうちの北斗七星の7つの星は周極星である。
 ①「神」の字源「鬼の姿に似る銀河」が下経過する時、北斗七星が下経過する。
 ④「胎盤」の字源「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」と顎鬚が生える「鬼の横顔に似る銀河」との中間の、その南に「長方形の暗黒天体部」がある。漢字の[池]の字源は「長方形の暗黒天体部」である。ヒエログリフにおいて、「長方形」に図案される文字は「湖、または池」を意味した。
 「大熊座」という語の中に使われる〔長方形の長いほうの2辺の真ん中に平行に短い線を入れて、2つの台形と両端が2つの三角形が形成される長方形〕は⑤「周囲が傾斜した池」を意味する文字とされた。
 「長方形の暗黒天体部」は〔台形に高くなる地所にある池〕のように観える。また、「長方形の暗黒天体部」の北側に結合する暗黒部は、「北アメリカ星雲」と「鬼の横顔に似る銀河の顎鬚」との中間にあって三角形となる。ゆえに、⑤「周囲が傾斜した池」の文字の字源は「長方形の暗黒天体部」ということになる。
 6000年前から2000年前まで、「長方形の暗黒天体部」が子午線経過する時、北斗七星が下経過した。
 紀元前3000年、ナルメル王によって第1王朝が創設された時代、「長方形の暗黒部」が子午線経過する時、北斗七星の第5星・ε(エプシロン)と第6星・ζ(ゼータ)との中間が下経過した。紀元前2000年頃の第11王朝時代、「長方形の暗黒天体部」が子午線経過する時、北斗七星の7星中最も光が強い1.8等のε星が下経過した。
 北斗七星のα(アルファ)、β(ベータ)、γ(ガンマ)、δ(デルタ)の4星が作る台形は〔カップ〕の形に相似し、ε、ζ、η(エータ)の3星は〔柄(え)〕の形に相似する。
 ⑤「周囲が傾斜した池」の字形には〔二つの台形〕がある。この〔台形〕は「北斗七星のカップ」の台形に共通する。したがって、⑤「周囲が傾斜した池」の文字の字源となる「長方形の暗黒天体部」は「北斗七星のカップ」に見立てられたことになる。
 それゆえ「長方形の暗黒天体部」を〔北斗七星の台形のカップ〕に見立てると、「長方形の暗黒天体部」から「北アメリカ星雲」にかけての形状は〔ε星からδ星までの北斗七星の柄〕の形状に類似することに気づく。また、「長方形の暗黒天体部」の東に隣接する〔「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河を経て「十字の銀河の股」まで〕の形状も、〔北斗七星のε星とζ星の中間からδ星までの柄〕の形に類似すると察知できる。
 だから、「大熊座」という語を構成する6字の中にある②「(翼が生えて速く走る)動物の片足」を図案する文字の字源は、「北アメリカ星雲から南に連結する長方形の暗黒天体部の西辺」ということになる。

10回前の〔17〕で解説したように、「北アメリカ星雲」は「ホルスの眼(の上半分)」であり、ホルス神はハヤブサの顔を持つハヤブサの姿からなる天空の神である。
 ハヤブサが降下攻撃するときに250km以上のスピードを出すといわれる。
 「北アメリカ星雲」の北側にして「鬼の姿に似る銀河」の背景となる銀河の形状は〔広げる鳥の片方の左翼〕に相似し、「十字の銀河」の背景となる銀河の形状は「広げる片方の右翼」に相似する。
 そして、『図説 古代エジプト文字入門』の113頁においては、「鳥の左翼」を図案する文字と「動物の片足」を図案する文字を上下に並べ、この2字は「翼:飛ぶ」という語をあらわすと記す。これゆえ、この「動物の片足」に、私は(翼が生えて速く走る)という説明を付け足した。
 5000年前の第1王朝時代から4000年前の第11王朝時代まで、北斗七星のカップが上経過した時、5回前の〔22〕で解説した大スフィンクスのモデルとなった獅子座のξ(クサイ)、ο(オミクロン)、主星のα(レグレス) 、ηの4星が子午線経過した。この〔獅子座のξ、ο、α、ηの4星〕は〔獅子座の前足〕となる。
 ゆえに、「(翼が生えたように速く走る)動物の片足」の文字は〔獲物を追って疾走するライオンの足〕を図案するものだったのである。
 ということは、「北アメリカ星雲から長方形の暗黒天体部の西辺まで」を〔疾走するライオンの前足〕に見立てて、「鬼の姿に似る銀河」は〔ライオンの顔・胴体・後ろ足〕に見立てていたことになる。
 そうすると、『図説 古代エジプト文字入門』は、〈ヘペシュ〉と発音する語を「大熊座」と記しているが、古代エジプトにおいては「大熊座」は「疾走するライオン座」であったのであろうか?

 前回〔26〕にて解説した司馬遷著『史記』五帝本紀にある帝堯(ぎょう)の時代の星空記事における春分点は、現在から4500年前の紀元前2500年の春分点となる。
 わが国には今から4050年前の紀元前2050年頃の夏代初頭(後期縄文時代初頭)に、夏音文字が伝来した。
 上記したように、紀元前2500年~同2050年、「長方形の暗黒天体部」が子午線経過した時、北斗七星にあって7星中最も光が強いε星が下経過した。
 『史記』五帝本紀は――帝堯代の春分の日の夕刻(現在の午後6時)に子午線経過する「北斗七星のε星」の名は、「鳥」であった――と記す。
 漢字の[鳥]の字源は「十字の銀河の背景となる銀河」と「鬼の姿に似る銀河の背景となる銀河」を〔鳥の両翼〕、「十字の銀河」を〔鳥の首〕、「鬼の姿に似る銀河」を〔鳥の胴体〕、「長方形の暗黒天体部」を〔鳥の足〕に見立てて成立する。
 ゆえに、〔鳥の足〕に見立てられた「長方形の暗黒天体部」が子午線経過した時に下経過した北斗七星のε星の名は「鳥」となったのである。
 国の特別史跡の花輪盆地に所在する大湯環状列石
(おおゆかんじょうれっせき)の野中堂(のなかどう)遺跡の日時計組石は、「鳥」(北斗七星のε星)を利用して、天球上における太陽が1年間通過する道となる黄道(こうどう)を測量する装置であったと現在に伝える。
 [命]の字源となる「長方形の暗黒天体」は〔精密に天頂緯度が測定できると憧れる天体部〕であった。ゆえに、この「長方形の暗黒天体部」が子午線経過する時に下経過する北斗七星のε星は注目され、この星は「鳥」と名づけられて、黄道を測量するための目星となったのである

 『図説 古代エジプト文字入門』の29頁に、〈ベネベネト(bnbnt)〉と発音する「ピラミッド」という言葉をあらわす6字が記載される。
 この6字は円形の下が欠けて無い①「半円形」、この「半円形」の下に②「ピラミッド」をあらわす三角形、この「半円形」と「ピラミッド」の左横に③「片足」とその下に④「さざ波」の文字が配置され、この「片足」と「さざ波」は1組セットになって隣に並び、⑤「片足」と⑥「さざ波」になって配置される。
 ⑤「片足」を図案する字の字源は「十字の銀河の子宮と重なる西の足」である。
 ⑤「片足」の文字の下の⑥「さざ波」の字源は「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」である。この「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」は「十字の銀河の両足の中央(股の部分)」から発するが、「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」は「十字の銀河の子宮と重なる西の足」がある西へ向かって流れる。ゆえに、⑥「片足」の字源は「十字の銀河の子宮と重なる西の足」となる。
 漢字の字源を研究する学者で有名な加藤常賢博士が著作した『漢字の起源』(角川書店)の「1501」と記される[足]の金文形は〔膝(ひざ)から下の足〕の図案である。この[足]の金文形は「十字の銀河の子宮と重なる西の足」と「コールサックの南北を180度転回して上南・下北した、コールサック北部の両足の内の西の足半分」を図案化したものである。
 (ただし、西に爪先がある「コールサック北部の内の西の片足」は〔西から東に流れる「黄河の水」をあらわして「地法」を示すものとなり、東に爪先がある「コールサック北部の内の東の片足」は〔東から西へ移動する天体の運行〕をあらわすものとなった。そして、この「コールサック北部の西の片足・東の片足」は、両方とも、[足]と[正]の字源となった。)

 この「コールサックの上南下北の形状」は〔膝から下の両足〕や〔腿(もも)から下の両足〕の形に相似する。
 「ピラミッド」という言葉の中で使われる③「片足」の字形は「腿から下の足」を図案したものである。
 ゆえに、[足]の金文形とヒエログリフ「ピラミッド」という言葉の中に使われる③「片足」の字源は同じとなる。
 6回前〔21〕で解説したように、ギザの3大ピラミッドの内のクフ王のピラミッドの設計モデルは「北アメリカ星雲」であり、カフラー王のピラミッドの設計モデルは「ペリカン星雲より放たれる3本線の閃光(せんこう)のような銀河部」であり、メンカウラー王のピラミッドの設計モデルは「人の横顔に酷似(こくじ)する銀河の左側の頭髪の生え際にある小さな三角形の銀河部」である。
 この〔3大ピラミッドの設計モデルとなった銀河部〕は、[足]の金文の字形となった「コールサックの北部の西の足の側面」となる。
 吉村作治・後藤健編者『NHKスペシャル 四大文明 エジプト』(日本放送出版局協会)の17頁には、CG画像による「三大ピラミッドのほとりまで達していた氾濫期のナイル」という写真が掲載される。このCG画像では――〔さざ波〕が立つナイル川の水はクフ王の河岸神殿より西側の参道まで達し、カフラー王の河岸神殿はナイル川の水に漬(つ)かり、メンカウラー王の河岸神殿の半分ぐらいまでナイル川の水が達している。
 したがって、「ピラミッド」という語を構成する④「さざ波」の字源は「3大ピラミッドの河岸神殿まで達するナイル川の水」ということになる。

 「ピラミッド」という語の中に使われる②「ピラミッド」を意味する文字の字形は〔三角形〕である。
 5回前〔22〕において――メンカウラーのピラミッドの参道が指差す方向は「春分の日の午前零時」をあらわし、またこの春分の日の午前零時にはメンカウラー王のピラミッドの参道が指差す東の空高く「夏の大三角(琴座、白鳥座、鷲座の主星が構成する三角形)」が昇っていた――ことを解説した。
 ゆえに、〔三角形〕であらわされる②「ピラミッド」の文字の字源は「ピラミッド」と「夏の大三角」ということになる。

 6回前〔21〕にて――「白鳥座γ星」は〔ピラミッドの頂上〕に相当し「白鳥座のα・δ・η・εの4星」は〔ピラミッドの底辺(地面と接する四角形)〕に相当する――と解説した。
 この白鳥座α星とγ星を結ぶ線は、③「コールサック北部の西の足」の〔5本指のつけ根〕に相当する。
 そして、〔21〕にて解説したように、「白鳥座γ星を中心にして円形に包囲する銀河」は「太陽」や「日」を意味する〈ラー〉と発音する字形が[◎]となる文字の字源となった。
 この「白鳥座γ星が子午線経過する時、エジプト暦の元日となる〔夏至の午前零時〕であった。
 そうすると、「ピラミッド」という語を成立させる右上の①「半円形」の文字は〔夏至の午前零時〕を示す図案であろうか。しかし、〔夏至の午前零時〕ならば〔円の中心に縦線を入れる図案〕か〔円を左右に二分した半円形の図案〕となるであろう。
 「ピラミッド」という語をあらわす6字の中にある①「半円形」は〔円を上下に二分した、上半分の形〕である。
 そうすると、この①「半円形」は〔東の地平線上にあらわれた朝の太陽〕を図案するものであると考えられる。
 全天第一の輝星おおいぬ座の主星シリウス(光度マイナス1.4等)が日の出の前に東の空に現れると、毎年きまってナイル川の洪水がおこる、エジプト暦の元日の夏至の日の朝であった。
 したがって、①「半円形」は「夏至の日の日の出」を図案化したものであったとことになる。
 「光」「輝き」を意味する〈アクゥ〉と発音する語の中に使われる「太陽と3本の光線」を図案化した「太陽」を示す上部の〔円〕の字源は円形に観える「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」である。
 この「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は「ホルスの眼」の〔瞳〕となる。
 そうすると、「北アメリカ星雲」もまた①「半円形」の字源であったにちがいない。
 というのも、「ホルスの眼」の[瞳]の半分となる東の「北アメリカ星雲」と西の「ペリカン星雲」を図案化すると〔円を上下に二分した、上半分の半円形〕となるからである。
 また、「北アメリカ星雲」と「ペリカン星雲」は③と⑤の「腿から下の足」の文字の③「片足」の字源となる「コールサック北部の西半分」と⑤「片足」の字源となる「十字の銀河の子宮と重なる西の足」の中間にある。
 ゆえに、①「半円形」の字源は「ペリカン星雲」であったにちがいない。というのも、「ペリカン星雲」は西にあり、「北アメリカ星雲」は東にあるので、西の「ペリカン星雲」のほうが先に地平線上にあらわれるからである。だから、地平線上に「ホルスの眼」の〔瞳〕が半分姿をあらわす、この半分は「ペリカン星雲」ということになる。
 5回前の〔22〕で指摘したように、カフラー王のピラミッドの前に建造されたスフィンクスの古称は「地平線のホルス」であった。「地平線のホルス」のうちの瞳となる「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」が地平線上に現れた形状は〔半円形〕となり、この「半円形」は「ペリカン星雲」であった。ゆえに、「ピラミッド」という語に使われる①「半円形」の字源は「ペリカン星雲」ということになる……。でも、「地平線のホルス」は「春分の日の午前零時」を表示する目星であった。
 5回前の〔22〕では、下記のごとく指摘した。
 3大ピラミッドは「夏至点・冬至点」を示す〔象徴する〕建造物であり、3大ピラミッドの複合体と大スフィンクスは「春分点・秋分点」を表示する(象徴する)建造物であったのである。
 そうすると①「半円形」の字形は「地平線上の朝日」を図案するものであるからして、①「半円形」の字源は「春分・夏至・秋分・冬至の日の地平線から昇る朝日」であると考えるべきことになる。 

 いままでの解説をまとめると、〈ベネベネト〉と発音する「ピラミッド」という語に用いられる①「半円形」の字源は「春分・夏至・秋分・冬至の日の朝日」、②「ピラミッド」の字源は「ギザの3大ピラミッド」と「夏の大三角」、③「片足」の字源は「コールサック北部の西の足」、④「さざ波」の字源は「氾濫期の3大ピラミッドの河岸神殿まで達するナイル川の水」、⑤「片足」の字源は「十字の銀河の子宮と重なる西の足」、⑥「さざ波」の字源は「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」ということになる。

 以上のように、「ピラミッド」という語を構成する6字は、〔21〕と〔22〕で解明したギザの3大ピラミッドと大スフィンクスと参道や「地平線のホルス」の秘密に合致する。ゆえに、〔21〕と〔22〕でおこなった解明は正しく、事実であったことになる。

 2世紀初頭に成立した漢字の字源を解説する許慎(きょしん)が著作した聖典『説文解字』の序は「けだし文字は経芸の本、王政の始め、前人のもって後人に垂れるところ、後人のもって古(いにしえ)を識(し)るなり」と記述する。
 このように、許慎は「銀河から作られた文字は経(科学・学術)と芸(造形芸術)の根本であり、王道政治が起源した強大な権力基盤となるものであり、歴史を知る方法である(前人のもって後人に垂れるところ、後人のもって古を識るなり)」と指摘する。
 12回前〔15〕のナルメル王のパレット(化粧板)よりこの回の3大ピラミッドと大スフィンクスの秘密を説明したように、漢字と同じくエジプトのヒエログリフもまた銀河から作られ、科学(学術)と芸術の根本であり、王朝が起源した強大な政権基盤であり、銀河の形状を観て歴史を知る方法であったのである。

 『魏志倭人伝』は「倭の占いに用いる辞(ことばと文字)は令亀(れいき)の法のごとし、すなわち中国殷代(いんだい)の亀の甲羅に刻む甲骨文字に相似する文字を使用した」と明記し、また「伊都(いと)国の役人たちは魏と帯方郡および諸韓国と倭が使節を送って国交を結ぶ時に送ったり受け取った時に、卑弥呼が用いる文字は差錯(ささく)・相違していたので、点検し確認していた」と記述する。
 このように、倭には確かに文字があった。
 卑弥呼の用いる魏、帯方郡、諸韓国と差錯する文字は、中国の正史『新唐書』日本伝に記載される夏音文字であった。この夏音文字においては【銀河各部の形状】が【文字】であった。
 卑弥呼が生存して弥生後期、日本列島の天頂に、ヒエログリフの「大きな家」を意味する〈ファラオ〉や「霊」を意味する〈カー〉の字源となって重視された「長方形の暗黒天体部」がめぐってきた。当時、中国の天頂にも「長方形の暗黒天体部」がめぐってきた。
 倭の使者たちは、最も精密天頂緯度が測定できる[命]の字源「長方形の暗黒天体部」を測量して大海を往来していた。しかし、魏、帯方郡、諸韓国においては天頂緯度測定の慣習は廃絶(はいぜつ)されていた。これゆえ、魏・帯方郡・諸韓国の使節は「長方形の暗黒天体部」で天頂緯度測定できなくなったいたため、大海を往来することができなかった。また、魏・帯方郡・諸韓国では【銀河各部の形状】を【文字】とする習慣が廃(すた)れていた。
 したがって、魏はじめ中国、帯方郡、諸韓国では重大な字源銀河部となった「長方形の暗黒天体部」で精密に天頂緯度を測定する習慣は失われ、【銀河各部の形状】を【文字】とする学芸も廃れていた。だから、魏はじめとする中国、帯方郡、諸韓国と倭の夏音文字は差錯(相違)していたのである。
 夏音文字はじめ仏教の経典に用いられた楷書も、中国からわが国に伝来した。この漢字の原郷(げんきょう)である中国では、「長方形の暗黒天体部」が天頂にめぐってきた3世紀において、天頂緯度測定を基軸として体系づけられた天文地理学と【銀河各部の形状】を【文字】とする学芸が失われていた。いっぽう、わが国では「長方形の暗黒天体部」が重視され、「長方形の暗黒天体部」から神社に入口の門とする「鳥居」が作られるようになった。今日、欧米の人々には「鳥居」は「日本」を象徴するものであるが、漢字の原郷の「中国」を象徴するものではない。この「鳥居」が示すように、中国では【銀河各部の形状】を【文字】とする学芸は失われていたが、わが国では栄えていた。

 3回前の〔24〕で説明したように、子午線経過するときの「長方形の暗黒天体部」の南半分には「2連菱形の銀河部」がある。この「2連菱形の銀河部」は、日本で最も多い神社名の「八幡宮」の「八幡」の語源となった。「2連菱形の銀河部」の菱形[◇]は、「八幡」の[幡]の字源である。『説文解字』は[幡]の字源を「書兒(しょじ)、觚(こ)に拭(ふ)くの布なり」と解説する。この[幡]の字源解説は「黒板拭きの布である」と伝えるものである。
 [幡]の字源につづいて、〔24〕に「書く」の[書]の字源銀河を解説した。[書]の下の[日]の字源は「長方形の暗黒天体部」である([書]の上半分の[聿]の字源は「十字の銀河」である)。
 このように、「長方形の暗黒天体部」は「書く」の[書]の字源にして「書いた文字を消す道具・器具」の字源でもあった。それというのも、五帝時代、夏代、殷代前半期まで、文字が銀河から作られた秘密は強大な権力を手に入れた帝王の最も重大な政権基盤であったので、厳重な機密とされたからである。つまり、「文字は書いた後、そのまま残さずに必ず消す」と定めるものであったため、「長方形の暗黒天体部」は[書]と[幡]の両方の字の字源となった。
 このため、約1000年間の三皇時代の結縄は約130字ぐらい出土しているが、五帝時代~殷代前半期までの約1700年間の出土した文字数は30字あるかないかの状況である。殷代後半期の甲骨文字の出土した文字数は、一挙に急増して約3000(そのうち解読されているものは約1200)といわれる。
 このような五帝時代から殷代前半期までの出土した文字は極端に少ないのは、わが国に伝来した夏音文字が示すように、「文字は書いた後、そのまま残さずに必ず消す」と厳しく禁止されていたからである。
 だから、卑弥呼が用いていた夏音文字では、「文字を書いた後、そのまま残さずに必ず消す」と厳重に定められていた。
 倭の占いに用いられた夏音文字は――『説文解字』の序が「王政の始め」と伝えるように「王道政治の強大な権力基盤」であったので、卑弥呼は王朝の崩壊を警戒して書いたまま残すことを厳重に禁止し、怠った者は死刑にすると法で定めるものであった。ゆえに、書いた後に[幡]の字源「黒板拭きの布」のような道具・器具で消されていたのである。
 だから、今日、夏音文字は遺物として発掘されないのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月25日 (日)

枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は”世界の文字は銀河から作られた”と証言する・26

 ヒエログリフに[♀]の頭部の円形の輪を、卵形の輪にする〈アンク〉と発音する文字がある。
 この〈アンク〉についた、マリア・カルメラ・ベドロ著╱南條郁子訳『[図説]ヒエログリフ事典』(創元社)は、下記のように説明する。
 「このヒエログリフが何をあらわしているかについて、研究者の意見はさまざまに分かれている。ガーディナーによれば、これはサンダルの緒だという。今日、多くの解説書がこの説を支持しているが、確かな根拠があるように思えない。(中略)。
 いずれにせよ、この文字は「アンク」という発音をもつヒエログリフとして、古代エジプト文字の誕生以来、あらゆる時代を通して用いられてきた。この文字を使って書かれる「アンク」という言葉は、動詞なら「生きる」、名詞なら「いのち」という意味をあらわしている。宗教画をみると、このしるしが神々の手に握られたり、王のそばにおかれたりしている。それは神から王、王から臣下にあたえられる「いのちの息吹き」をあらわしていた。 」
 (文中に登場する「ガーディナー」はヒエログリフ研究学者の名である)。

 イアン・ショー╱ポール・ニコルソン著╱内田杉彦訳『大英博物館 古代エジプト百科事典』(原書房)は、〈アンク〉について下記のように説明する。
 「〈アンク〉の印は読み書きのできない者にも理解できる数少ないヒエログリフのひとつだったらしく、そのため土器には、しばしば製造者の印としてこの文字が記されている。この文字は最終的にはコプト教会に輪頭十字架(crux ansata)として知られる独特の十字架として採り入れられた。」

 左に表示する幻冬舎ルネッサンスから出版した拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』資料Bは、すべての漢字とヒエログリフが作られた銀河全域の写真である。同書の資料Cに資料Bにおける、私が定めた銀河各部の名称を記入した。
 この資料Cの左上に、「十字の銀河」がある。
 「十字の銀河」は漢字の[天]、[文]、[大]、[倭]のほか多数の文字の字源となった。この[天]、[文]、[大]、[倭]の字源となった銀河の名称を、なぜ私は「十字の銀河」と定めたかというと、「コールサック」の形が裁判でローマにそむいたものとして処刑されることになった〔キリストの姿〕に、また「十字の銀河」が〔キリストが背負った十字架〕」に観えたからである。

 「十字の銀河の頭部」は輪の形は卵形ではない。
 「十字の銀河の頭部」の輪は〔小さい円の中ほどに大きな円が重なるような形〕である。したがって、「十字の銀河の頭部」の輪の形は〔二段重ねの鏡餅(かがみもち)〕あるいは〔洋ナシ(ラフランス)〕の形に相似する。さらに、この〔輪〕に包まれる〔中央の暗黒部〕も〔鏡餅〕や〔洋ナシ〕の形に相似する。
 この「十字の銀河の頭部の輪」の概略化して、〈アンク〉の頭部は卵形に図案された。
 〈アンク〉の形は上部の卵形の輪の下にT字型が付く。
 「十字の銀河の両腕と胸から腹部」の形はT字型である。
 したがって、〈アンク〉の字源は「十字の銀河の頭部から腹部」までであったことになる。
 ゆえに、今日のキリスト教のシンボルのひとつとなった、上記のコプト教会の輪頭十字架(クルクス・アンサタ)は「十字の銀河の頭部から腹部」までをデザインするものだったのである。

 6回前の〔20〕に記載したように、アンドルー・ロビンソン著╱片山陽子訳『文字の起源と歴史』(創元社)の107頁は「紀元前3100頃の前王朝期、(中略)、土を掘る鍬(くわ)の絵は魂と心を表す」と指摘する。このヒエログリフ「鍬」の字源は「十字の銀河の胸部から両足まで」である。古代エジプトでは、葬儀の際に鍬入れの儀式がおこなわれていた。この葬儀は、〔死者のいのちの蘇(よみが)えり〕すなわち〔再生〕するために行われた。
 だから、読み書きのできない人々にも、葬儀の際の鍬入れ儀式で〈アンク〉が「十字の銀河の頭部から腹部」をあらわすものであろうと察知でき、「いのちの息吹き」、「霊となって天に昇った死者の魂が生き返るシンボル」であると直感できたのである。
 満月の直径は0.6度ぐらいであるのに対し、〈アンク〉の字源となった「十字の頭部から腹部」までは5度もある。このような大きな天体部を、民衆にあっても見逃すはずがない。
 だから、読み書きのできない民衆にも〈アンク〉の字源銀河となった「十字の銀河」は特別に印象深い天体部となった。なぜならば、「十字の銀河」は〔人の姿〕にそっくりであるので、読み書きのできない人々にも〔死んだら自分の霊は、自分の姿に相似するあの天に向かって昇っていくのだ〕と思ったにちがいないからである。
 エジプト人たちの〔いのち〕はナイル川の洪水に見舞われた大地を耕した農作物によってあたえられ、太陽はエジプト人の信仰で最も重要な位置をしめた。
 そして、多数のエジプト美術作品は、太陽、大地、水が〔再生〕を象徴する3要素であると表現した。
 「十字の銀河」の東隣には4つの輪の銀河の中に〔太陽円盤の形に相似する銀河〕が存在し、「十字の銀河」は〔大地を東に向かって歩く人、あるいは大地を西に向かって歩く人の姿〕に相似し、「十字の銀河」の足元には「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」がある。
このように、〈アンク〉のモデルとなった「十字の銀河の上半身(頭部から腹部まで)」の周囲には、〔再生〕の3要素の太陽、大地、水の形状に見立てる銀河部がそろっている。 
 また、ヒエログリフには人間の下半身の〔足〕だけを図案化した文字が多数ある。つまり、「歩く両足」、「あとずさりする両足」、〈ペデス〉と発音する「膝から下の足」、〈ブ〉と発音する「膝から下の片足」、「葦と花穂の足」、「歩く両足と庭園の池」を図案化する文字などがある。このように、「十字の銀河の足」は独立したヒエログリフとなるゆえ、〈アンク〉は〔足〕より上の「十字の銀河の上半身」であると容易に察知できた。
 あるいは、〔逆立ちをする男〕を図案化する文字もある。エジプト全土の天頂より北側に位置する「十字の銀河」は〔逆立ちをする男〕のように見える。
 だから、「十字の銀河」の下半身である〔足〕と〔逆立ちをする男〕のヒエログリフを読むことができない・意味も知らない民衆にあっても、〈アンク〉は「十字の銀河の頭部から腹部まで」をあらわすものであり、名詞の「いのち」と動詞の「生きる」をあらわすことが感知できたにちがいないのである。

 前述したように、「十字の銀河の頭部」の形は洋ナシの形に似る輪の銀河が洋ナシの形をした中央部の暗黒部を包囲する。
 この〔洋ナシの形〕は①〔女性の子宮〕と②〔胎児が出産する女性の骨盤口の形〕に相似する。

 だから、〈アンク〉の字形は〔娩出期(べんしゅつき)の頭と両腕が誕生した胎児の姿〕をもデザインしたものであったにちがいない。
 また、子宮内でおこる人の一生の始まりである〔女性の卵子と男性の精子の合体〕すなわち〔受精〕、この〔受精〕の状況を想像・推理して形にあらわしたものが〈アンク〉であったと考えられる。ゆえに、〈アンク〉は〔いのちの最初の始まり〕、〔いのちの芽生え〕をあらわすことになった。
 だから、〈アンク〉はの字源「十字の銀河の上半身」は〔人間の上半身〕の形状に相似するが、こままの大きさで表現されなかった。〈アンク〉は〔女性の子宮〕の大きさに縮小され、また今日の〔受精〕のような状況を想像する〔いのちの芽生え〕の大きさを〔露の一滴〕・〔汗の一滴〕くらいに定められて〈アンク〉の微小化がなされた。
 このような縮小化によって、〈アンク〉の大きさが〔手に握る〕ことができるほどに小さなものとして表現された。
 また、卵子と精子が合体する〔受精〕のような推理にもとづき、〔太陽の光線の先端〕やあるいは〔水差しから雨粒のように降りそそぐ水滴〕のような存在となり、〔手に握るもの〕よりさらに小さく微小化された。

 漢字の[左]は「十字の銀河」を〔左手〕に見立てて作られた。漢字の[右]は「鬼の姿に似る銀河」を〔右手〕に見立てて作られた。
 前回〔25〕で指摘したように、「十字の銀河」は〔木〕と〔手〕に相似すると見立てられたゆえ、古代エジプトには〔木から手が生える絵〕を描くものがある。7回前〔19〕で指摘したように、「与える」を意味する〔片手〕を図案するヒエログリフの字源は「鬼の姿に似る銀河」である。
 「十字の銀河」と「鬼の姿に似る銀河」を〔手〕に見立てて作られたヒエログリフは「手から流れる水」はじめ、「抱く両腕」、「オールをこぐ両腕」、「盾と戦闘用の斧を持つ両腕」、「片腕」、「棒を握る片腕」、「手のひらを下に向ける片腕」、「手のひらを上に向ける手」、「ネケク竿を持つ片腕」、「手」、「握りこぶし」、「横から見た指」など、多種類存在する。
 「手」の形に相似する「十字の銀河」と「ナイル川の氾濫する形状に似る銀河」は連結する。これゆえ、最初にとりあげた「手から流れる水」を図案化した、「露。汗。香り」を意味する「イデト」という語の中で使われる文字が作られた。この文字の「手から流れる水」の字源の「ナイル川の氾濫する形状に似る銀河」から「露」が想像でき、鍬をもって耕す「手」に似る「十字の銀河」から「汗」が想像できる。また、「十字の銀河」を〔香り〕、隣の「鬼の姿に似る銀河」の内の「鬼の横顔に似る銀河」は〔香りをかぐ人の顔〕に相似するゆえ、「香り」も想像できる。

 「十字の銀河」の〔手の指先〕となる部分は、胎児が誕生する女性の股の部分となる。
 〔手と腕〕の形に相似する「鬼の姿に似る銀河」は〔娩出期に誕生する胎児〕のようにも観える。この「鬼の姿に似る銀河」の内の「鬼の横顔に似る銀河の開いた口から出る舌」は「十字の銀河の子宮」と重なる〔乳房〕に観える部分を嘗(な)める。
 だから、彫刻や絵において、〈アンク〉は〔手に握る〕ほどの大きさに縮小されて表現された。
 やや平たい洋ナシの形に相似する女性の子宮の長さは約8cm、幅4~5cm、厚さは約2cmである。
 私の5本の握りこぶしの長さは9cmぐらいであるから、女性の握りこぶしの平均的長さは約8cmぐらいであろう。
 ゆえに、女性の子宮の平均的長さの約8cmをあらわして、〈アンク〉は〔手に握る〕ほどの大きさに縮小化されて絵に表現されることになったのかもしれない。

 前回〔25〕で指摘したように、ルチャード・H・ウィルキンソン著╱伊藤はるみ訳『図解古代エジプトシンボル事典』(原書房)の173頁には「光線と手のついたアテンの太陽円盤(アマルナ、アイの墓、第18王朝)」という絵が掲載される。この絵では〔太陽の光線〕は〔先端に手のついた線〕であらわされ、その一つの手は〈アンク〉を握っている。
 このように、多くの彫刻や絵で、〈アンク〉は手に握られるものとして表現される。
 マリア・カルメラ・ベトロ著╱南條郁子訳『[図説]ヒエログリフ事典』の72頁に掲載する写真の図を「ハトシェプスト女王に、いのちを意味するヒエログリフを注ぎかけるホルス神」(テーベ東岸、カルナク、アメン・ラー神殿。第18王朝)と説明する。
 前述したように、「十字の銀河の頭部」は洋ナシの形をしている子宮や胎児が出産する骨盤口の形に相似する。この「十字の銀河の頭部」の北隣は「細長い徳利のような形の銀河」である。この「細長い徳利のような形の銀河」は、上記のホルス神がハトシェプスト女王の頭上に〔水差し〕の形に相似する。ゆえに、「十字の銀河の頭部」に隣接する「水差しの銀河」からハトシェプスト女王の頭上に水滴のような雨粒のごとく〈アンク〉の文字を注ぐという発想が生まれたのである。このように、〈アンク〉は〔水滴〕や〔雨粒〕ほどの大きさに微小化される。
 (なお「水差しの銀河」は、漢字における三皇時代に作られた「結縄(けつじょう)」という名になった銀河である)。

 リチャード・H・ウィルキンソン著╱伊藤はるみ訳『図解古代エジプトシンボル事典』は244頁で「エジプト語では花束をさす言葉も『アンク』といい」、245頁で「鏡を表すエジプト語も『アンク』だった」と指摘する。
 〈アンク〉の字源となった「十字の銀河の上半身」は〔西を向いて歩く人の上半身と東に向かって歩く人の上半身〕に相似する。鏡は、鏡に映す上半身の人の西側の背景を鏡に映る人の像の東側の背景になるようにする。これゆえ、エジプト語の〈アンク〉は「鏡」をあらわすことになったのである。
 ステファヌ・ロッシーニ著╱矢島文夫訳『図説 古代エジプト文字入門』(河出書房新社)の86頁には、「鏡」と〈アンク〉の2つの絵文字で〈アーネフ〉と発音する「鏡」という語が掲載される。
 「鬼の姿に似る銀河」を〔花束を握る手と腕〕に見立てると、隣の「十字の銀河」は〔花束〕に相似することになる。ゆえに、エジプト語の〈アンク〉は「花束」をあらわすことになったのである。

 漢字の[字]の上部の[宀(べん)]()ウ冠の字源は「十字の銀河」であり、下部の[子]の字源は「鬼の姿に似る銀河」である。[宀]は子午線通過するときに南北・縦となる「十字の銀河」を90度転回して横になるように図案し、[子]の字形は「鬼の姿に似る銀河」が地上から天(十字の銀河)を見上げるように図案される。
 このように、「十字の銀河」を90度転回すると、「M39」という散開星団がある銀河部と「十字の銀河の子宮」が重なる銀河部が〔女性の乳房〕の形に相似する。
 したがって、[宀]の字源「十字の銀河」は〔女性の生殖器官の正面形〕をあらわすことになった。
 「女性の生殖器官の正面形」と、花弁が集まる花冠(かかん)を縦に割った「花の生殖器官の断面図」の形は類似する。
 これゆえ、漢字において、またわが国に伝来した夏音文字においては、「女性の生殖器官の正面形」と「花の生殖器官の断面図」によって、[花]の字源が成立した。
 [花]の[艸](草冠)の下の[化]の[人]の字形は「女性の生殖器官で育つ胎児」の図案である。いっぽう、[化]の[匕]は「花の生殖器官」をあらわす。
 〔女性の生殖器官〕のうちの〔卵管・卵管膨大部(らんかんぼうだいぶ)・卵管采(らんかんさい)〕は上から下へのびて〔卵巣〕に触(ふ)れる。夏音文字の学芸では――子宮内で育つ胎児となる最初のいのち(すなわち、今日の受精)は〔卵巣〕から子宮の内側の膜(すなわち内膜)に着床(ちゃくしょう)すると推理したらしい。
 〔花の花糸(かし)・おしべ・葯(やく)〕は下から上へのびて〔めしべ]に触って〔花粉〕を付ける。そして、〔子宮で育つ胎児〕とめしべの下の〔子房内の胚珠(はいしゅ)と胚のう〕は類似すると見立てられた。
 この両者の生殖器官の類似性から、〔子宮で育つ胎児〕を[人]とし、〔子房内の胚珠・胚のう〕の断面図は〔湯や水などをくむ匕杓(ひしゃく)の形〕に似ているので[匕]の字源となった。このような考えによって、「女性の生殖器官の正面形」は「花」と表現された。
 エジプト語の〈アンク〉の「花束」の意味には、単に「鬼の姿に似る銀河」は〔花束(十字の銀河)を握る手や腕〕に観えるからだけでなく、漢字が「女性の生殖器官」を「花」とした字源の秘密と同じ考えにもとづいて成立するものであったのかもしれない。

 東北地方の秋田県能代(のしろ)市に河口がある米代川(よねしろがわ)の上流にある盆地は花輪(はなわ)盆地、その西側は大館(おおだて)盆地、さらに西側は鷹巣(たかのす)盆地である。
 米代川流域の北側の鷹巣盆地の地宜(ちぎ)すなわち平面的に図化した地図の形は〔皿の形をした鷹の巣〕に相似する。ゆえに、この盆地の名は「鷹巣」となった。
 米代川流域の大館盆地の地宜はほぼ四角形である。これゆえ、〔大きな館(やかた)の敷地〕のようだということで盆地名は「大館」となった。
 米代川上流にある花輪盆地の地宜は西の米代川から東の大場川のほうを見ると、小坂川が流れる北の盆地と米代川が流れる南の盆地は〔花弁〕の形に相似し、大場川流域の盆地は〔めしべと子房〕の形に相似する。〔花冠〕は〔めしべと子房を中心にして、花弁が輪の形〕にならぶ。だから、盆地名は「花輪」となったのである。
 花輪盆地の葯の花粉がつくめしべの地点に、国の特別史跡の大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)の万座(まんざ)遺跡・野中堂(のなかどう)遺跡が立地する。この万座・野中堂の両遺跡には夏代初頭(縄文後期初頭)の遺跡であり、今から約4050年前、わが国に夏音文字の学芸が伝来した痕跡が現在も明確に残っている。
      
 両ストーンサークルは、秋田県鹿角(かづの)市花輪町大湯の中通りに所在する。県道をはさんで、西側は中通り小字万座の直径が48mの万座遺跡、東側が小字野中堂の直径が42mの野中堂遺跡である。
 両ストーンサークルには、「日時計組石」という名の特殊組石がある。
 野中堂遺跡の中心・日時計組石と万座遺跡の中心・日時計組石を直線で結ぶと、夏至の日没方向を指さす。この〔夏至の日没方向〕は夏王朝の正式名「夏后(かこう)」および「夏音文字の学芸」をあらわす。
 万座遺跡の東側外帯の配石群は、4000年の風雪に耐えて漢字が作られた夏の銀河全像の面影に類似し、夏音文字の伝来を現在に伝えている。万座遺跡の中心と日時計組石を用いれば、精密に各天体部の緯度・経度・高度が測量できる。ゆえに、東側の外帯に面影が残る夏の銀河全像はもちろん、現在は消滅してしまったが秋の銀河像もキャッチできたにちがいないので、当時は、秋の銀河像を形成する配石群も作られていたであろう。
 野中堂遺跡の中心に垂直の柱を植(た)てて毎日の正午の太陽の高度を測量して記録する。そして、その日の太陽が西に沈む夕刻、全天の星は出現していないが、北の天空に輝く北斗七星の7星中において最も光が強い1.8等の大熊座のε(エプシロン)星を注目すれば、春分・夏至・秋分・冬至の日を正確に表示する暦を作ることができる。
 司馬遷著『史記』五帝本紀の帝堯(ぎょう)の事績を伝える箇所に、当時の春分・夏至・秋分・冬至の夕刻の星空の状況が記述される。この記事において、大熊座ε星の名は「鳥」であると記す(シナ天文学の漢名は「衡(こう)」または「玉衡(ぎょっこう)」である)。
 この「鳥」という名の星が輝く夕刻、太陽が没する方向を日時計組石の縁(へり)に印(しるし)をつけ、同時に「鳥」の方角も日時計組石の縁に印をつけれる作業を日課にすれば、天球上において太陽が一年間に通過する〔黄道(こうどう)〕が測量できる。
 というのも、日時計組石の真北は午前零時を表示するからである。つまり、太陽が西の地平線下へ没した方向から真北までに達すると午前零時となる。
 ゆえに、日々の太陽が地平線下に没した時に、太陽が沈んだ方角と同時に「鳥」の位置する方角も日時計組石の縁に印をつける。そして、太陽が沈んだ方角と日時計組石の真北までの角度(角距離)を計り、この角度と同じ角度、「鳥」が運行した時が午前零時となる。この午前零時、野中堂遺跡の中心で垂直の柱を立てて計測したその日の正午の太陽が柱の背後・南に位置した時の高度となったポイントがその日の太陽の黄道上の位置となる。
 そして、〔天の赤道〕は真東の地平線から出現し、真西の地平線に沈むので、日時計組石が〔東〕を指し示す地平線から昇り〔西〕を指し示す地平線へ没する箇所が〔天の赤道〕となる。
 この〔天の赤道〕と〔黄道〕の大円が測量できれば、春分点・夏至点・秋分点・冬至点が明らかになる。
 だから、野中堂遺跡の日時計組石は日々の〔午前零時〕だけを計る時計装置であり、その縁の地面に太陽が地平線下に沈む方角と太陽が沈む時の「鳥」の位置の印をつけて、上記の方法で太陽の午前零時に位置した高度のポイントをその日の太陽の位置と定めて〔黄道〕を観測するための装置だったのである。
 『史記』五帝本紀の帝堯の箇所に記述される春分・夏至・秋分・冬至の日の夕刻の星空記事と野中堂の日時計組石によって、シナ天文以前の五帝時代と夏代の天文学における〔黄道〕の測量方法を解明することができる。
 エジプトにおいては、”イシスの星”と名づけた大いぬ座のα(アルファ)星・シリウスで〔黄道〕を測量した。夏音文字の学芸では、野中堂遺跡の日時計組石が伝えるように、北斗七星の第5星・ε星で〔黄道〕を測量して暦を作成していたのである。
 『史記』五帝本紀の帝堯代の星空記事には「日は中(ちゅう)星は鳥、もって中春を殷(ただ)す」という記述があり、「昼夜の時間が同じで、”鳥”という名の星が夕刻に中(南中・子午線経過)した日をもって、春分を正し定めた」と伝える。
 『史記』五帝本紀の帝堯代に記述される春分の夕刻6時(「日は中」すなわち「昼夜の長さが同じとなる午後6時」)の星空を再現すれば、「鳥」のいう名の星は「北斗七星のε星」であることが立証される。
 竜安寺の石庭には、夏音文字の学芸が保存される。この竜安寺の石庭にもとづき、地名”花輪”が示す通りに花粉が付くめしべの地点に立地する万座・野中堂の両遺跡を学術調査すれば、夏音文字の学芸は夏代初頭にわが国に伝来したことが科学的に証明できて確実なこととなる。
 また、この万座・野中堂の両遺跡の立地状況は、「女性の生殖器官の正面形」によって[花]の字源が成立することを今日に伝えるものとなる。

 ステファヌ・ロッシーニ著╱矢島文夫訳『図説 古代エジプト文字入門』の86頁には、「3本の垂直の短い線」・「小鳥」・〈アンク〉の3つの文字で〈アーネヘウ〉と発音して「生物」と意味する語が掲載される。
 〔両端が半円形の横に水平にのびる長方形〕の下に〔3粒の点〕を加える文字は「大地」を意味する〈ター〉を構成する文字の中に使われる。
 これゆえ、「生物」を意味する〈アーネヘウ〉と発音する語の中に使われる〔3本の垂直の短い線〕は「天頂緯度を測定するところのエジプトの大地」をあらわすものではあるまいか。その横の「小鳥」の字源は〔小鳥の姿〕に相似する「十字の銀河の子宮」ということになる。
 〈アンク〉は「いのち」を意味し、「小鳥」の文字は「子を生む生物の生殖器官」をあらわすものであろうから、〈アーネヘウ〉は〔「エジプト全土に生息するすべての生物〕とあらわすことになるので、「生物」を意味する語になったと考えられる。

 この〈アーネヘウ〉の上に、〈アーネフ〉〔アンク〕と発音する「生命」を意味する3字であらわす語が掲載される。
 この〈アーネフ〉・「生命」という語に使われる3字は〈ン〉と発音する「さざ波」を図案化した文字と、この下に〈ク〉と発音する「円形に4本の横線を入れる」文字と、この2字の左横に〈アンク〉を配置して構成される。
 この文字の中に使われる「さざ波」は〔水〕とむすびついた意味に用いられたことはない。
 この下の〈ク〉と発音する「円形に4本の横線を入れる」文字を、『図説 古代エジプト文字入門』の102頁は「人間の胎盤(たいばん)」と記す。
 したがって、〈ク〉の文字は「胎盤」をあらわすものであるものであるならば、「さざ波」の文字は「羊水」をあらわしていると考えられる。
 この「羊水」と「胎盤」の横に「いのち」を意味し、洋ナシの形に相似する〔女性の子宮と骨盤口〕を示す〈アンク〉が配置されて「生命」を意味する。
 産道を湿潤(しつじゅん)にする羊水によって産道の通過が容易になる胎児が誕生し、胎盤のほか、卵膜(らんまく)・臍帯(さいたい)・胎盤後血腫(こうけっしゅ)などを羊水が押し流して、ここに出産は完了して一つの「生命」が成立する。
 ゆえに、〈アーネフ〉と発音する「生命」を意味する文字の中に使われる〈ン〉は「羊水」を図案するものであり、〈ク〉は「胎盤」を図案するものであると考えられる。
 したがって、〈ン〉と発音する「羊水」をあらわす文字の字源は「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」ということになる。
 この「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」の〔水〕が押し流すように見える先の西隣にあるのは、「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」である。したがって、〈ク〉と発音する「胎盤」の図案する文字の字源は「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」であったことになる。また、洋ナシの形に相似する女性の骨盤口の形にに相似する「十字の銀河の頭部」も、〈ク〉と発音する「胎盤」をあらわす文字の字源であったと考えられる。というのも、胎盤は骨盤口から押し流されるからである。
 漢字の字源・字形・字義においては「鬼の姿に似る銀河」は「子宮内で育つ胎児」または「娩出期に頭が誕生する胎児」あるいは「無事に出産した胎児や乳児」に見立てられた。そして、「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は「鬼の姿に似る銀河」に連結しているので、「鬼の姿に似る銀河と北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は〔羊水で押し流されて誕生した胎児と胎盤〕に見立てることができる。
 〈ヘブ(hb)〉と発音して「踊る」と意味する3字で成立する語の中に、「胎盤」の文字が用いられる。
 この「踊る」は「踊る人」と「腿(もも)から下の足」と「胎盤」の3字で構成される。
「十字の銀河」の形状は「踊る人」の字形に相似する。
 この「踊る人」の〔左足の腿と右足の腿の間〕に〔胎盤が押し流される出口となる女性の骨盤口〕がある。だから「腿から下の足」の文字は〔胎盤の出口の骨盤口と、胎盤が押し流される方向・足〕をあらわしていると考えられる。
 「十字の銀河」の両足の間には〔骨盤口〕に相似する形状が存在しない。しかし、「十字の銀河の頭部」は〔骨盤口〕の形に相似する。だから、「胎盤」の字源は「十字の銀河の頭部」ということになる。
 以上からして、〈ヘブ〉と発音する「踊る」という3字で構成される語は〔子供が生まれてうれしくて、人々が踊る〕あるいは〔ナイル川の洪水によって豊かな食糧に恵まれて、人々が踊る〕を表現するものと考えられる。
 竜安寺の石庭の中央の第3群・横三尊の石組を、時計の針が進む方向に90度転回させ、大石の前・小石の中間に〈アンク〉のヒエログリフを配置する形状を想像すれば、大石は〔女性の生殖器官〕に観え、〈アンク〉は〔羊水で押し流されるいのち・胎児〕であると解釈できる。だから、〈ン〉の文字は「羊水」の図案であり、〈ク〉の文字は「胎盤」を図案するものと考えるべきことになる。

 以上のように、漢字とヒエログリフの字源には多くの共通点や類似点が存在し、また同一の考えも存在するので、確かな史跡・遺跡と文献がそろっているわが国の夏音文字の研究を推進して銀河の形状とヒエログリフの字形を比較・照合すれば、何を表現するものであったのか未解明のヒエログリフの秘密が容易に科学的に解明できる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月20日 (火)

枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は”世界の文字は銀河から作られた”と証言する・25

 前回(24)において、ヒエログリフ「男性の性器(男根と睾丸)」の字源のうち、
 男根の部分は「ナイル川の氾濫(はんらん)の形状に似る銀河の北端」・「長方形の暗黒天体部の北の辺」、 睾丸の部分は「北アメリカ星雲」であると解説した。
 この3ヵ所の銀河を、これから「男性の性器の銀河」と呼称することにする。

 エジプト神話においては――天空の神は女神の「ヌト」である。大地の神は男神の「ゲブ」である。ヌトとゲブは夫婦である。ヌトとゲブはかたく抱きあっていた。天空の女神・ヌトを支えているのは大気の神の「シュー」である。大地の男神・ゲブはシューと湿気の女神・テフヌトの間に生まれた。この大気の男神・シューがヌトを持ち上げたため、ヌトとゲブは引き離され、天地が分離したとされる。ヌトは太陽を生む天空の女神となり、ゲブはヌトに星を胎生(たいせい)する地の神となった。

 この古代エジプトの天地創造神話は、「十字の銀河の東隣の四つの輪の形の銀河」・「十字の銀河」・「鬼の横顔に似る銀河」・「男性の性器の銀河」・「長方形の暗黒天体部の東と西の辺」の形状を見て創作されたものである。

 「十字の銀河」は漢字の[天]、[文]、[交]の字源となった。
 [天]の甲骨文字と金文の字形は「十字の銀河」を図案化するものであり、『説文解字』は[天]の字源を「至高(しこう)にして上なし。一大に従ふ」と解説する。この字源解説は「[天]の字源・十字の銀河が最も高い天頂点と重なる部位を有する、[一]と[大]の字源でもある。ゆえに、[天]という字は[大]の上に[一]を結合すると形成される」と説明していることになる。
 『説文解字』の著者・許慎(きょしん)が生存していた2世紀初頭、「十字の銀河」は中国の天頂を通過せず、「長方形の暗黒天体部」がめぐってきた。
 しかし、漢字が起源した6000年前の三皇時代(わが国の縄文前期時代)から2200年前の秦(しん)代まで、「十字の銀河」が中国の天頂を通過した。
 この「十字の銀河の頭部から両足の底まで」は〔樹木〕に見立てられ、この〔木立ちに各地の緯度の目盛が刻まれる〕というイメージによって、5000年前に生存した”漢字の始祖”と崇拝された倉頡(そうきつ)が考案した文字の名は「書契(しょけい)」と呼ばれ、わが国では「刻木(こくぼく)」と称された。

 エジプトのヒエログリフの〈イアム(iahm)〉、〈イム(im)〉と発音する「木」の意味する決定詞の字源は「十字の銀河」である。「十字の銀河」の西半分には〔乳房〕に観える部位が2箇所ある。
 「十字の銀河の子宮」が重なる箇所は、「十字の銀河の右足」あるいは「妊婦のように円く突き出た腹部」に観える。しかし。この隣に「鬼の横顔に似る銀河の下を出す口」が「十字の銀河の右足」あるいは「十字の銀河の腹部」を嘗(な)めているように観え、しかも「鬼の横顔に似る銀河」が〔乳児〕のように観えるので、この「十字の銀河の子宮」が重なる箇所は〔乳房〕に相似する。
 「十字の銀河の胸部」に「M39」と称される、明るい星が集まった散開(さんかい)星団がある。この「M39」という散開星団は肉眼で見える。この「M39」は表意文字・決定詞として「乳房」を意味する〈メネジュ(mnj)〉や、乳房に関係する行為につくヒエログリフとなった。この「乳房」を意味するヒエログリフの字形は〔円を上下二つに割り、下の半円形の円弧の中央に乳首の図書を加える〕ものである。
 テーベの第18王朝のトトメス3世の王墓から発見された資料に、木の女神から乳をもらうトトメス3世の絵がある。この絵には「多数の枝に葉をつけた樹木の一本の枝から乳房が生え、この乳房を木からのびた腕がささえ、この乳房をトトメス3世の口が嘗める姿」が描かれる。ゆえに、「トトメス3世」を「鬼の姿に似る銀河」に見立て、「トトメス3世の横顔」を「鬼の横顔に似る銀河」に見立てると、「十字の銀河の子宮が重なる銀河部」が「一本の枝から生える乳房」ということになる。
 だから、「十字の銀河」は「木」に観え、倉頡が考案した漢字をわが国では「刻木」と称した(この「刻木」という古称は、中国の正史『隋書』の倭国伝に記載されている)。

 「十字の銀河の胸部から腹部にかけての中央」は、樹木の裂け目のような・溝(みぞ)のような黒い線が縦に走る。「十字の銀河の東半分」は〔手に弓を持つ、東に向かって歩く男性の姿〕に観え、「十字の銀河の西半分」は〔乳房・子宮の部位を有する女性あるいは妊婦が西に向かって歩く姿〕に観える。
 このような「十字の銀河」の形状を観て、『説文解字』の著者・許慎は[文]の字源解説で「錯(まじ)はれる畫(くわく)なり。交文に象(かたど)る」と説いた。
 『説文解字』は[交]の字源を「交脛(こうけい)なり」、つまり「足の脛(すね)が交錯するなり」と解説する。「十字の銀河の脛」は〔東に向かって歩く男性の両足の脛であり、また西に向かってあるく女性の両足の脛〕となって共通する。ゆえに、『説文解字』は[交]の字源を「交脛なり」と解説した。[交]の甲骨文字と金文形は〔脛が交錯する、胸部・腹部の裂け目を膨張(ぼうちょう)させる大字形〕であり、甲骨文字には〔大きく膨(ふく)らむ空間に、胎児を象る図書を挿入(そうにゅう)するもの」もある。

 上記に示した漢字の[天][文][交]の字源と同じく――エジプトの天地創造神話における「天の女神ヌトと地の男神ゲブがかたく抱き合っていた」と語られるくだりは、男と女の体は一つになって結合する、この中間に二つに分けるかのような黒いスジ(暗黒部)がある「十字の銀河」の形状を説明するものであったのである。
 したがって、乳房・子宮の部位がある「十字の銀河の西半分」から「天空の女神ヌト」が創造されたことになる。
 男性に見立てられた「十字の銀河の東半分」は引き離され――大地の男神・ゲブの体は、「鬼の横顔に似る銀河・男性の性器の銀河・長方形の暗黒天体部の東の辺」までと定められた。
 エジプトの古代絵画では、天空の女神・ヌトはアーチ型に身体を折り曲げる姿勢に描かれる。
 ということは、「十字の銀河から長方形の暗黒天体部の東の辺の南端まで」をアーチ型にとらえて女神ヌトの頭から足までと定めたことになる。
 杉浦康平構成・岩田慶治監修『アジアのコスモス+マンダラ』(講談社)の57頁に掲載される〔2世紀のエジプトの木棺の絵〕のヌトとゲブの絵においては、大地の男神ゲブの性器が天空の女神ヌトの腹部のあたりに置する。
 だから、上記のように、ヌトの頭部から足までを「十字の銀河から長方形の暗黒天体部の東の辺の南端まで」と定めると、「男性の性器の銀河」の位置は女神ヌトの腹部の位置に相当する。
 エジプトの天地創造神話に登場する「天空の女神ヌトを支えている大気の神シュー」は「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」のイメージから創造されたことになる。この「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」は天空の女神ヌトと大地の男神ゲブの中間にあり、〔天空を支える柱や持ち上げる大気〕に観えるからである。
 このエジプトの天地創造神話では「十字の銀河の子宮」は女神ヌトの乳房の部分となるが、なぜならば「十字の銀河の子宮」と重なる、この〔乳房の部分〕の背後に微(かす)かに見える両目があり、〔乳房の部分〕は顔の中心の〔鼻〕となる。この〔両目・鼻だけの正面顔〕は深い霧に包まれた状況にあって自分の方に向かってくる人の顔のようにおぼろげである。ゆえに、このおぼろげな〔両目・鼻だけの正面顔〕は〔湿気〕をあらわすものと見立てられて、「湿気の女神テフヌト」が創造されたことになる。

 「十字の銀河」の東隣に「四つの輪の形の銀河」がある。
 この「四つ輪の形の銀河」が子午線経過するとき、北から2番目の輪は〔円形〕となり、他の3つの輪は〔形が異なる不完全な円形〕となる。この〔四つの輪〕に重なりあい、無数の星が渦巻きとなり円形となり奔放(ほんぽう)な曲線となって絡(から)み合う。
 このような「四つの輪の形の銀河」から――奔放な隆線(りゅせん)が駈けめぐる曲線文様で飾り、異様な突起で飾られる口縁部(こうえんぶ)を造形する新潟県信濃川流域の火炎土器や関東地方の勝坂(かつさか)様式の芸術性の高い優れた縄文土器が作られた。
 前期縄文時代に関東地方で土器の造形革命が起き、世界に類をみないほど躍動的で複雑な造形美豊かな土器が作られた中期縄文時代、そして縄文後期、「四つ輪の形の銀河」のうち北から三番目までの「三つの輪の銀河」が、日本列島の天頂にめぐってきた。
 このような縄文時代の「三つの輪の銀河」を貫通した天頂緯度線の様子を、『古事記』の序は「参神(さんしん)造化(ぞうか)の首(はじめ)を作(な)す」と表現する。
 そして『古事記』上巻の冒頭はこの「造化の参神」について、〔前期縄文の「三つ輪の銀河」を貫通した天頂緯度線〕を「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」、〔中期縄文の「三の輪の銀河」を貫通した天頂緯度線〕を「高御産巣日神(たかみむすひのかみ)」、〔後期縄文の「三の輪の銀河」を貫通した天頂緯度線〕を「神産巣日神(かむむすひのかみ)」と表記する。
 この神の名における「産巣日」は「三つ輪の銀河の形は、鳥が卵を産み育てる巣を上から見たときの円形の形をしており、日すなわち太陽のように円形である」と表現するものである。

 エジプトの「太陽の円形(円盤)」であらわされる「アテン神」は、「十字の銀河」の東隣の「四つ輪の形の銀河」(「三つ輪の銀河」に接合する「南の輪の銀河」を加えた銀河)から創造された。
 「アテン神」の姿は〔太陽〕を[円(○)]で表現するいわゆる「太陽の円盤」であらわされる。
 この「太陽の円盤」は北から2番目の「円形の輪の銀河」を図案化したものである。つまり、女神ヌトが生んだ太陽は「四つの輪の形の銀河のうちの2番目の円形の銀河」ということになる。
漢字の[左]は「十字の銀河」を〔左手〕と見立てて字源・字形・字義が成立した。このように、女神ヌトとなる「十字の銀河」は「手」の形に相似する。
 前述したように、第18王朝のトトメス3世の王墓から発見された絵には、「十字の銀河」を〔枝に葉が茂る木〕に見立て、この〔木の一本の枝から乳房が生え、トトメス3世に乳をあたえる乳房をささえる手〕が描かれている。また、リチャード・H・ウィルキンソン著╱伊藤はるみ訳『図解古代エジプトシンボル事典』(原書房)の155頁には「贈り物を授ける木(ニアイのステラ、第18から20王朝)」と題する絵が掲載され、この〔贈り物を授ける木〕から〔人の両手〕が描かれている。この木は右手で贈り物を受け取り、左手に水差しをかかげて贈り物をさずける男女に水を降りそそいでいる。
 『図解古代エジプトシンボル事典』の173頁には、「光線と手のついたアテンの太陽円盤(アマルナ、アイの墓、第18王朝)」という絵があり、この絵における「アテン神の姿」は〔太陽(太陽円盤)からはなたれる光線は17本の線〕であらわされ、この〔17本の先端には、人の手の形〕がついている。
 つまり、「太陽円盤」となった「四つの輪の形のうちの2番目の円形の銀河」の光線は「手」の形に相似する女神ヌトの体を透かして大地のゲブまで降りそそぐ。ゆえに、上記の「贈り物を授ける木」という絵において、木から生える左手は水差しを掲げて贈り物を授ける男女に水を降りそそぐことになったのである。
 太陽円盤から放たれる太陽光線の先端を〔手〕の形に図案する「アテン」の絵が示すように――大地ゲブに放たれる〔太陽光線〕は天空のヌトから生える無数の手と化して、ナイル川に洪水をもたら大量の雨のごとくふりそそぐと解釈されたのである。

 そして、大地の男神ゲブが天空の女神ヌトに胎生させた「星」は「四つの輪の形の銀河内でひしめきあう無数の星」ということになる。
 それというのも、〔ゲブの横顔〕となる「鬼の横顔に似る銀河」の正面に「四つの輪の形の銀河」が所在するからである。
 エジプトの古代絵画には「星」の形を[☆]をあらわすものがあり(第25王朝時代のテーベ、ペトアメンオペトの墓から出土した〔星で描かれた神の絵〕)、ヒエログリフ[星]の字形は[☆]を〔5本の線〕で簡素化したものである。
 4回前(21)で解説した〈ラー〉と発音する「太陽」を意味するヒエログリフ[◎]の字源「白鳥座γ(ガンマ)星とこの星を包囲する円形の銀河」である。このヒエログリフ[◎]の字源となる「白鳥座γ星」の東隣の円形の銀河の部分[☆]を縦長にした形に見える。
 この[◎]の字源部と「男性の性器の銀河」を結んだ東方に「四つの輪の形の銀河」がある。「太陽」を意味する[◎]の字源部と「アテン」が創造された「四つの輪の形の銀河」の中間が「男性の性器の銀河」であるからして、ゲブがヌトに胎生させた「星」は「四つの輪の形の銀河にてひしめきあう無数の星」であると考えるべきことになる。

 『日本書紀』神代・上の冒頭は〔天地開闢(かいびゃくく)〕と名づけられる。この〔天地開闢〕の韻律(いんりつ)の響きが美しい文章は、エジプトの天地創造神話に登場する「三つ輪の銀河」、「十字の銀河」、「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」、「鬼の姿に似る銀河」、「長方形の暗黒天体部」の形状を表現するものである。
 〔天地開闢〕は「古(いにしへ)に天地未だ剖(わか)れず、陰陽(めを)分かれざりしときに、渾沌(まろか)れたること鶏子(とりのこ)のごとくして云々」と始まる。
 この「古に天地未だ剖れず」という文は〔三つ輪の銀河の最も北側の半月形(輪)の銀河の形状〕を表現するものである。この以後の「陰陽分かれざりしときに、渾沌れたること鶏子のごとくして」までの文は〔三つ輪の銀河の北から2番目の円形の銀河〕を表現するものである。というのも、〔三つ輪の銀河の北から2番目の円形の銀河の北端〕に〔鶏の首(横顔)のような形の銀河部位〕が付いているからである。この「鶏子のごとくして」より以下の文は「三つ輪の銀河」の形状を描写するものであり、「天まず成りて地(つち)後に定まる」という文中の「天」は「十字の銀河」、「地」は「鬼の姿に似る銀河」を説明するものとなる。
 『古事記』序の初頭に登場する「参神造化の首(はじめ)を作(な)し」という文中の「首」は、『日本書紀』の〔天地開闢〕の「鶏子」と同じ銀河部を表現するものである。『古事記』上巻の冒頭に〔創世の神々・五柱の別天(ことあま)つ神〕の箇所の文中に登場する「久羅下那州多陀用弊流」という10字の夏音文字は「水母(くらげ)なすただよへる」と読み、学者たちは「水母のようにふわふわと漂(ただ)よう」と現代訳する。
 この「水母のようにふわふわと漂う」という表現は「三つ輪の銀河」の形状を描写するものである。というのも、「三つ輪の銀河」は「海に漂流する巨大な水母」の形に相似するからである。

 今から6000年前の紀元前4000年は、中国の三皇時代初頭であり、わが国の前期縄文時代初頭である。
 この時代の天頂の銀河描写から『古事記』序と上巻の冒頭と『日本書紀』神代・上の冒頭の〔天地開闢〕が始まる。
 この時代は地球温暖化によって海水面の上昇のピークをむかえ、現在の水面より2~3m、あるいは5mも高くなったという。
 この環境によって、エジプトの北の地中海の海水面が高くなり、ナイル川の水面も上昇したため、川幅も現在よりも広かったにちがいない。
 この今から6000年前こそ、エジプトの天地創造神話において「大気の神・シューが現れて、天空の女神ヌトを持ち上げてささえることになった」と語られる時代であったと考えられる。
 それから1000年後の紀元前3000年(中国の五帝時代初頭、わが国の中期縄文時代初頭)、ナルメル王が上下エジプトを統一した。このエジプト第1王朝が樹立される約100年前、【銀河各部の形状】が【文字】であった状況に終止符が打たれて、〔書く〕という方法にもとづく聖刻文字・ヒエログヒフがほとんど完成された形で出現した。

 小尾信彌代表著『原色現代科学百科大事典』1・宇宙(学習研究社)の2頁に、ニューヨークのメトロポリタン美術館が所蔵する第30王朝の石棺に彫刻された「古代エジプト人の宇宙観をしめす彫刻」と名がつく写真が掲載される。
 この彫刻画には、今回の解説初頭に赤い太字で示した天地創造神話が表現されている。
 この天地創造神話をあらわす彫刻について、『原色現代科学百科大事典』1・宇宙は、下記のごとく説明する。
 「6000年以上前、ナイル川流域に古代エジプト文明をおこした人たちの間には、つぎのような天地創造の物語がつたわっていた。
 天の女神ヌトと地の神ゲブが、原始の水の中に住んでいた。そこに新しい神シュウが現われ、女神ヌトを両手で高くさし上げた。女神ヌトのからだには星がかがやき、その両手両足は、天をささえる四本の柱となった。地の神ゲブからは、植物と動物、そして人間がうまれた。原始の水からは、太陽の神ラーがうまれて、万物に光のめぐみをあたえたのである。
 エジプト人にとって、太陽の神ラーはもっともたいせつな神であり、知識も道徳も、ラーによってわれわれの中におかれていると信じていた。
 ピラミッドから発掘される古代エジプトの美術品には、このような信仰をしめすものが、多数残されている。」

 上記に赤い太字――エジプトの「太陽」の円形(円盤)」であらわされる「アテン神」は、「十字の銀河」の東隣の「四つ輪の形の銀河」から創造された――と表示したように、天空の女神ヌトが生んだ「太陽(ラー)」は「アテン」が創造された「四つ輪の形の銀河」であったことになる。
 『原色現代科学百科大事典』1・宇宙の天地創造神話は「原始の水から、太陽のラーがうまれた」と記述する。ということは、「アテン」が生まれた「四つ輪の形の銀河」は〔エジプトの北の地中海の海水面が高くなり、ナイル川の水位も上昇し、渦を巻いて水があふれる激流する大洪水〕の形状を示す「原始の水」ということになる。
 「天の女神ヌトと地の神ゲブが、原始の水の中に住んでいた」というのは、地球温暖化によって海水面の上昇のピークをむかえた紀元前4000年のころの状況を表現して説明するものであったのである。
 海水面が高くなり、ナイル川の水位も高くなると、大地が浮き上がって天空に近くなった感じとなるので、「天の女神ヌトと地の神ゲブはかたく抱き合っていた」ことになる。
 ほとんど完成された形でヒエログリフが突然に出現した紀元前3100年頃、海水面は低くなり、ナイル川の水位も下がった。ゆえに、水につかっていた陸地が出現して海面・水面から天までが1000年前よりも広がって高くなったような感じとなるので、神話では「ヌトとゲブは引き離された」と語られることになったのである。
 上記にて青い太字で示したように――ヌトとゲブを引き離した「大気の神・シュー」は「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」から創造された。
 この「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」の西端は〔大きな口を有するヒゲがある鯰(なまず)の顔ような形〕をしており、「長方形の暗黒天体部」と接合する。このため、「長方形の天体部」までもが「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河の大きく開いた口」に観える。だから、「長方形の暗黒天体部」は〔天と地の大気を吸いこむ口〕と見立てて、「シュー」は「大気の神」と定められたと考えられる。

 4回前(21)の末部で説明した〔歳差〕という現象によって、天頂緯度が貫通する銀河部は、年々、南へ南へ下がった。このため、紀元前4000年よりも紀元前3000年の天頂緯度線は南にあった。
 紀元前4000年頃、北緯29度59分のメンフィスの天頂緯度線は「長方形の暗黒天体部」が子午線経過するとき、「長方形の暗黒天体部」の〔西南の角から東北の角〕へと斜めに貫通していた。この天頂緯度線は「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」の中央部となる〔鯰の南北二つ目〕のうちの〔南の目〕のすぐ隣を貫通していた。
 前々回(23)から解説しているように、〈カー〉と発音し「霊」を意味する「両腕の肘(ひじ)を直角に曲げて上にあげる両手」のヒエログリフの字源は「長方形の暗黒天体部」である。
 そして、このヒエログリフの字源はメンフィスの天頂にめぐってきた「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」でもあったことになる。というのも、メンフィスの天頂緯度線が「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」の中央部を貫通する、この形状は「鬼の横顔に似る銀河が前へのばす左腕の内側」を貫通することになったからであるゆえに、この銀河と天頂緯度線の形状は、学者たちが〈カー〉の字形について「上に挙げる両手」あるいは「前へのばす両手」と考えた解釈に適合することになる。
 だから、〈カー〉のヒエログリフは「長方形の暗黒天体部」のイメージから「上に挙げる両手」、「鬼の横顔が前へのばす左手」の内側にある「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」のイメージは天頂緯度線との関連を重視すると「上へ挙げる手」となるが、その「鬼の横顔に似る銀河」の動作のほうを注目すると「前へのばす手」となる。
 だから、〈カー〉のヒエログリフは「上に挙げる両手」と「前へのばす両手」の両方の動作を表現するものとして使用されたのである。

 紀元前3000年頃、ナルメル王は上下エジプトを統一して、首都をメンフィスに定めた。
 当時の天頂緯度軸は、紀元前4000年頃よりも、各銀河部の緯度35分(0.58度)ぐらい南のほうを通過した。ゆえに、この〔歳差〕による天頂緯度線の変化は「長方形の暗黒天体部」に明確にあらわれ、「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」でも計測された。当時の天頂緯度線は〔鯰の顔の南の目から隔たる頬(ほお)〕を貫通したからである。この緯度線だと、「鬼の横顔に似る銀河」が〔前へのばす左腕〕を擦(こす)ることになった。

 カイロのエジプト博物館に所蔵される第13王朝のホル王像の頭上に、〈カー〉と発音する「霊」を意味するヒエログリフ「両腕の肘(ひじ)を直角に曲げて上に挙げる両手の像」を戴く。
 この第13王朝は紀元前1785年から起源する。当時のメンフィスの天頂緯度線は紀元前3000年よりも48分(0・8度)南のほうを通過した。つまり、「長方形の暗黒天体部」の〔西の辺から外れて、南の辺を斜めに通過して東の辺の中央部〕を貫通するようになった。「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」の〔鯰のヒゲの先端〕と「長方形の暗黒天体部」の〔東の辺の北側の菱形[◇]の銀河〕の結合部を貫通していた。
 ゆえに、当時の第13王朝時代においては、メンフィスの天頂緯度線は「鬼の横顔に似る銀河が前へ伸ばす両手の銀河」から外れていた。
 しかし、「長方形の暗黒天体部」の内を通過していた。だから、ホル王の頭上に戴く〈カー〉の像は「長方形の暗黒天体部」をあらわす「上に挙げる両手」を示すものであったことになる。

 〔歳差〕によって、このような状況になったため、紀元前1650年から始まる第15王朝は、首都をメンフィスより約2.5度ほど北側のナイル川のデルタ地帯のアヴァリスに定めた。ゆえに、アヴァリスの天頂緯度線ならば「長方形の暗黒天体部」の西南角から東北角へ通過し、「鬼の横顔に似る銀河が前へ伸ばす両手」の内側を貫通するようになった。
 なお、第7王朝~第10王朝がメンフィスより南のヘラクレオポリスを首都とし、第11王朝がさらに南のテーベを首都にし、第12王朝がメンフィスとヘラクレオポリスの中間のイティ・タァウィを首都にし、王家の谷に墓を造営した第18王朝がメンフィスから遠いテーベを首都としたのは、「長方形の暗黒天体部」より南の「人の横顔に酷似する銀河」の東隣の「コールサック」に星たちが点々と線となって[](この記号を「星印」と呼ぶ)を縦長にした形に連なっていたからである。この星たちを目印にすると、精密に天頂緯度が測定できた。
 この星たちが所在する「コールサック」は「オシリス神=人の横顔に酷似する銀河」が見つめる「地下世界・冥界」に見立てられた。だから、オシリスが支配する「冥界」に相当する地・テーベの王家の谷に王たちの墓が造営されたのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧