G-T0XYQT12LL 6章 建比良鳥の地上絵-2: 卑弥呼の逆襲

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2008年9月23日 (火)

6章 建比良鳥の地上絵-2

山尾幸久著『魏志倭人伝』(講談社現代新書)は、「『魏志倭人伝』は晋の太康年間(280年~289年)に著作された」と解説する。

4章で指摘したように、建比良鳥の地上絵は『魏志倭人伝』末部に記載される倭女王壱与(伊耶那美命)が没してまもない260年~290年に作成された。

これゆえ、建比良鳥の地上絵と『魏志倭人伝』が作成された年代は、最大でもわずか約30年しか隔たりがない。ということは、両者は同時代に作成されたことになる。

したがって、建比良鳥の地上絵で科学的に解明できる事柄と『魏志倭人伝』の記事が合致する諸問題は、すべて史実を示すものとなる。というのも、同時代に作成された文献の証言と遺跡に保存された事柄とが合致する、これが最も理想的な確かな歴史証明となるからである。

地図に関する科学書を読めば、大地にちょうど1千万坪の鳥の絵図を描くすなわち大鳥の地図の形を作成するには、天頂緯度が正確に測定できる道具が必ず必要となる。

細江町(建比良鳥の地上絵)から、現在まで9口の銅鐸が出土している。この銅鐸の形式は三遠式であり、この三河・遠江に主として分布する三遠式銅鐸は260年~290年に鋳造され使用されたとされる。ゆえに、建比良鳥の地上絵(細江町の地図に表示される境界線の形)は銅鐸で260年~290年に制作されたことになる。

最初から銅鐸で正確に天頂緯度が測定できるはずがないと思い込むことをやめ、銅鐸を模造してその筒の中に顔を突っ込み舞孔(まいこう)から鈕(ちゅう)を見上げれば、思わず「あっ」と声を出し、舞孔と鈕は天頂緯度が正確に測定できる構造になっていることを思い知ることになる──舞孔から鈕を見上げると、鈕の中央部が天頂となる天体部をキャッチすると鈕は極細な線と化し、その極細線の中央は天頂点となって天頂緯度が測量できるようになっている。「論より証拠」、実際に銅鐸を造って実験してみれば、銅鐸の舞孔と鈕で天頂緯度が正確に測定できることを知ることになる。

だから、ちょうど1千万坪の建比良鳥の地上絵の制作に用いられた道具は、銅鐸だったことになる。

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