G-T0XYQT12LL 2章 壱与は徇葬を憎悪した: 卑弥呼の逆襲

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2008年9月19日 (金)

2章 壱与は徇葬を憎悪した

1章で説明したように、『魏志倭人伝』の末部に登場する壱与(いよ」は伊耶那美命(いざなみのみこと)であり、載斯烏越(そしあお)は伊耶那岐命(いざなきのみこと)であった。

したがって、『古事記』と『日本書紀』に登場する伊耶那美命と伊耶那岐命は歴史上の人物だったことになる。

この歴史は『魏志倭人伝』の記事と『記』『紀』の日本神話と、わたくしが発見した建比良鳥(たけひらとり)の地上絵によって明確に証明できる。

建比良鳥の地上絵は①『魏志倭人伝』の記事のすべては史実を伝えるものであり、②『記』『紀』の日本神話も歴史を伝える記事であったと明確に証明できる遺跡である。

『魏志倭人伝』は3世紀後半に作成され、建比良鳥の地上絵もまた3世紀後半に作成された。したがって、『魏志倭人伝』と遺跡・建比良鳥の地上絵は同時代に作成された。

当時(3世紀後半)、卑弥呼が統治した大国・倭国の隣に小国・日本国(旧東鯷人国)が建国され、この日本国の女王に倭国に属する小国・伊耶国(いやこく)の大県主(おおあがたぬし)の娘・伊耶那美命(壱与)が選ばれ、彼女と結婚した夫の軍王(いくさのおおきみ)伊耶那岐命(載斯烏越)とともに、新たに倭国に服属することになった小国・日本国に赴任した。

ところが、数年後に卑弥呼が没し、倭王として男王が就任したが、卑弥呼の陵墓に百余人の青年(奴)と乙女(婢)を殺して埋葬する徇葬(じゅんそう)を賛成する勢力と反対する勢力が争って千余人が死んだ。このような内乱を続けると倭国は滅びてしまうのではないかと心配した倭政府は、小国・日本国の女王伊耶那美命(壱与)を倭女王に選んだ。伊耶那美命は、日本国で〔愛〕の国作りに努力する徇葬反対者であった。だから、徇葬に反対する勢力は倭女王となった伊耶那美命を敬愛して戦いをやめたため、倭国は平定された。この様子を『魏志倭人伝』は「卑弥呼の宗女の壱与(伊耶那美命)、年十三で王(日本国の王)となりしを立てて王(倭女王)となし、国中遂に定まる」と書く。

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