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2008年10月 2日 (木)

15章 井伊家創設の秘密-6

建比良鳥の地上絵(細江町)の北隣の地は、引佐町井伊谷(いなさちょういいのや)である。

この引佐町井伊谷を本拠地とする井伊家は、1010年(寛弘7)に創設された。この井伊家の創設は、公家の藤原共資(ともすけ)が遠江国村櫛半島の郷に下って志津城を築き、他所(よそ)から浸入してきた武士団が荘園を開墾して建比良鳥の地上絵を破壊するのを阻止する努力がなされてから約18年後のことである。

この約18年もの間、建比良鳥命の子孫たちは共資の努力を冷たく疑って見て見ぬふりをしていた。というのも、11章で説明したように、共資の先祖の不比等・房前父子は建比良鳥の地上絵が保存する〔愛〕の理念が掲げられた日本国誕生史と『魏志倭人伝』の記事となる歴史を抹殺せんとして奔走したからである。簡単に信用して心をゆるして共資に裏切られたならば、およそ750年もの間まもってきた建比良鳥の地上絵は消滅し、それではこの遺跡をまもってきた建比良鳥家の先祖たちの努力が浮かばれなくなってしまう。また、建比良鳥の地上絵を制作した建比良鳥命の歴史の真相を後世に伝えんとした志(こころざし)も空(むな)しくなってしまう。

建比良鳥の地上絵を守るは「倫命(りんめい)」すなわち「人として実行しなければならない使命」と決意して公家から武士となってよそ者の地上絵の侵入をゆるさじと志津城を築いて努力する共資を約18年もの間疑惑の目で見ていた建比良鳥命の子孫たちが、ようやく信用することになったので井伊家は創設された。

井伊家の元祖は共保(ともやす)で、この共保は7歳の時に共資の養子となった。これによって井伊家は藤原北家の血統を引き継ぐ家系となったので、井伊家元祖の共保は長じて備中守に就任した。共保が共資の養子となると、井伊保城山に見立城が築かれ共保が居城した。この居城の縁(えにし)によって「井伊」が家名になった──と、『井伊家伝記』は記す。

井伊家創設の当時、建比良鳥家の家督者は神官であったと考えられる。というのも、当時、都から遠く離れた遠江において『魏志倭人伝』の記事となる鬼道の学芸と〔愛〕の理念が掲げられた日本国誕生史を保存する遺跡・建比良鳥の地上絵をまもる財力と地位を得るには、神官という職につくしかないからであった。13章で紹介したように、『日本三大実録』の貞観8年(866年)12月26日の条は「遠江国正六位上蟾渭神及び鳥飼神を従五位下とする」と記述する。この正六位上の蟾渭神と従五位下の鳥飼神の神官は、建比良鳥命の子孫だったにちがいない。

『井伊家伝記』の井伊家元祖・共保の誕生儀式について書く記事の中に、神主が登場する。この神主こそ、共保の実父の建比良鳥家の家督者であったと考えられる。次章で、井伊家元祖・共保の誕生儀式の秘密を解説する。

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