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2010年5月17日 (月)

日本人の生(いのち)の根源

 『魏志倭人伝』の人名・小国名・官職名などは、今から約4000年前の夏代初頭(後期縄文時代初頭)に中国から伝来した夏音文字で表記される。夏音文字は、夏の2代帝王であった益の孫の王子すなわち天祖(天皇家の始祖)と益氏の若者たちが大海を越えて日本列島の東北地方(大湯環状列石が所在する男鹿半島・米代川流域縄文文化圏)に移住して広めた。『易経』繋辞下伝が「仰いでは天象を観、俯しては地法を観、鳥獣の文と地宜を観る。(中略)。万物の情(イメージ)に類して文字を作っ」と説明するように、漢字は「天象」すなわち「銀河各部の形状」から作られた。「銀河」は「銀漢」ともいう。「銀漢から作られた字」を略して「漢字」となった。だから、万物のイメージに相似し類似するように、すべての漢字の基本字となる漢字(約1400字)は銀河(銀漢)各部の形状を図案して作られた。ゆえに、字書の聖典『説文解字』の字源解説は銀河の形状を説明するものである。『魏志倭人伝』に記載される多数の夏音文字は、『易経』が「仰いでは天象を観、俯しては地法を観、鳥獣の文と地宜を観る云々」と説明するとおりの原初漢字である。

 約6000年前の前期縄文時代初頭に、土器芸術革命が起きた。この土器芸術革命は、銀河各部の形状を観て土器や土偶を作成するところの芸術革命であった。この前期以来中期、さらに後期と、縄文時代の土器と土偶は銀河の形状を観て造形(芸術)表現するものであった。帝益の孫の王子一行が日本列島に移住した夏代初頭(後期縄文時代初頭)、先住縄文人たちは益氏の王子や若者たちが話す夏音の言葉は理解できなかったが、彼らが手ぶり身ぶりで説明し地面に描く図や指さす方向の銀河部を観て、先住縄文人たちは夏音文字を習得した。というのも、夏音文字と縄文の土器・土偶は銀河各部の形状をデザインするものであったからである。

 『古事記』序は多くの文章を割いて夏音文字を説明するものであり、『古事記』上巻・日本神話の随所に〔音〕という注が付く夏音文字が多数記載されている。益氏の夏音の言葉は理解できなかったが、前期縄文以来の銀河を観て作られた土器・土偶の造形芸術(造化)によって夏音文字が習得された。この秘密を伝えて、『古事記』序と上巻の冒頭は「造化の参神」を説明する。

 

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