G-T0XYQT12LL 3千万坪の彦根市の大鳥の地上絵は、信長・直政・家康が胸に秘めた熱き願望を図化した地上絵である 日本古代の巨大な鳥の地上絵・4: 卑弥呼の逆襲

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2011年9月30日 (金)

3千万坪の彦根市の大鳥の地上絵は、信長・直政・家康が胸に秘めた熱き願望を図化した地上絵である 日本古代の巨大な鳥の地上絵・4

徳川家康が高く評価して譜代(ふだい)大名の筆頭とした彦根藩初代藩主の井伊直政(なおまさ)は、『魏志』倭人伝と同時代の3世紀後半に建比良鳥(たけひらとり)の地上絵を作成した建比良鳥命(たけひらとりのみこと)の子孫である。

直政は、関ヶ原合戦の4ヵ月後の1601年1月、彦根に移住した。しかし、関ヶ原で島津隊から受けた鉄砲傷が悪化して、翌1602年2月、42歳で亡くなった。

家康には母親の胎内にいた時から背負うことになった宿命的な願望があった。この一生を賭けた家康の願望を成し遂げるために心を一つにした直政を失って、いたく悲しんだ。

家康は織田信長を”わが願望を実現してくれるにちがいない主君”と仰ぎ、信長の補佐役になって徹底的に忠義を尽くすと心に決めていた。この頼りにしていた信長は1582年6月2日の本能寺の変で没した。心の支えの信長を失った家康は、胸に秘める願望を自らが先頭に立って実現すると決意した。そこで、夏音文字の学芸を保存する建比良鳥の地上絵の守り番の井伊直政を後日実現すると誓った徳川幕藩体制が実現した時に補佐役にすると定め、直政を譜代大名の筆頭とした。この直政も家康は失った。

家康が一生をささげて実現しようとした願望は、前回に説明した〔夏音(かおん)を習う〕すなわち〔夏音文字の学芸の復興〕であった。信長も〔夏音を習う=夏音文字の学芸を復興〕に一生をささげた。夏音文字の学芸を保存する建比良鳥の地上絵の守り番の直政もまた〔夏音を習う=夏音文字の学芸の復興〕に一生をささげた。

家康が没する1年前の1615年に家康が制定した禁中並公家諸法度(きんちゅう・ならびに・くげ・しょはっど)の第1条は「天子諸芸能ノ事、第一御学問也」である。この文は「天子(陛下)は日本文化を創った芸術や工芸や作庭や建築などのすべての芸術と技能の根元となる夏音文字の学芸をいちばん大事にして、どうか夏音文字の学芸の復興に努力してくださいませ」という家康の願望をあらわしていた。

家康の願望を聞き入れて夏音文字の学芸を復興すると、銀河の形状を観れば字源・字義が正しく解明できるので、『古事記』上巻に記述された皇祖・天照大神(アマテラスオオミカミ)がおこなった悪政が明らかになり、この悪政が人民に知れと皇室が滅亡するかもしれないと皇室は恐れた。

『古事記』上巻は「天照大神は倭女王・イザナミノミコトの没後の後を受け継ぐ倭女王となった時に、多数の奴婢(ぬひ・すなわち18歳ぐらいの青年と13歳ぐらいの乙女)を殺してイザナミノミコトの墓に埋めた残虐きわまりない徇葬(じゅんそう)儀式を決行した。また、天照大神はイザナミノミコトが提唱した日本建国の”愛”の理念を尊重する王たちや人民を憎悪し、武力で征討(せいとう)して大和朝廷の基礎を築いた」と記述する。

だから、皇室は信長・直政・家康が復興を願う〔夏音文字の学芸〕を敵視し憎悪し、代々の朝廷は夏音文字の学芸の抹殺(まっさつ)に躍起(やっき)となった。

これゆえ、信長・直政・家康は〔夏音を習う=夏音文字の学芸の復興〕に一生をささげることになったのである。

家康は、近江・彦根周辺の7ヵ国12大名に動員を命じ、皇室に向かって”夏音文字の復興を願う”と大地に画く3千万坪の彦根の大鳥の地上絵の作成を助勢させた。彦根城の設計も、”夏音文字の復興を願う”と表示するものであった。この彦根城も一体となって”夏音文字の学芸の復興を願う”と設計する大鳥の地上絵の作成は、1603年に着工し、20年後の1622年に完成した。

井伊直政の生地・遠州の建比良鳥の地上絵は1千万坪であるが、信長・直政・家康の夏音文字の学芸の復興の願望を表示して、彦根の大鳥の地上絵は3倍の3千万坪に作られた。

彦根の地上絵の頭部は、夏至の日の出の方角を指差す。この「夏至の日の出の方角」で「夏音文字の学芸」と表示し、「彦根の境界線の形」は「習う=復興する」と表示するように設計された。

彦根の大鳥の地上絵は古称が”鳰(にお)の海”と呼ばれる琵琶湖の東岸に画かれた。

彦根の地上絵の頭部は水鳥である「カンムリカイツブリ・鳰(カイツブリ)・ハジロカイツブリの3種のカイツブリの合体形」である。

「カンムリカイツブリ」は「信長」、「鳰」は「直政」、「ハジロカイツブリ」は「家康」をあらわす。

なぜ「彦根の境界線の形」は「夏音を習う=夏音文字の学芸を復興する」と表示するのか、どうして彦根の地上絵の頭部に設計された3種のカイツブリが信長・直政・家康をあらわすのか、この理由・解明は次回には説明できないが、2回あるいは3回目ぐらい後に、信長、直政、家康と1回ずつ分けて説明しようと思う。

なお、家康が母親の胎内にいた時から〔夏音文字の学芸の復興〕を運命的に背負うことになった秘密については、左に示した幻冬舎ルネッサンスから出版された拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』(1500円+税)で詳細に解説したので、ご参照願いたい。

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