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2011年10月28日 (金)

10月26日の夜・NHKテレビ「卑弥呼と邪馬台国の謎」に登場した邪馬台国説学者たちは「学者」であらず「ペテン師」である・3

10月26日のNHKテレビ「歴史秘話ヒストリア╱卑弥呼と邪馬台国の謎」に登場した邪馬台国学者たちは 『魏志倭人伝』の記事における最も重大な史実を【誤読】で削除(さくじょ)して 謎になるはずがない『魏志倭人伝』を謎にしているだけなのである 『魏志倭人伝』はすべて正しい だから 【誤読】を一切加えなければまったく謎にはならない この【誤読】は邪馬台国説学者たちは”文献批判”と呼ぶが 実体は100パーセント【誤読】である 

【誤読】を”文献批判”だとダマして われわれ国民にとって卑弥呼が居住した王国の位置よりも もっと重大な歴史を抹殺(まっさつ)して 日本国の消滅をはかる学者たちの行為は「ペテン」と言わざるをえない  

第一 倭女王・卑弥呼が居住した王国の名は「邪馬台国」でなく「邪馬壱(やまい)国」である この邪馬壱国の位置は 『魏志倭人伝』にまったく一か所も【誤読】を加えなければ 千人が千人 6千万人が6千万人 すべての人々が邪馬壱国は山陰出雲地方(石見・出雲・伯耆)であったと断定する

この邪馬壱国の位置問題よりも重大な歴史は 大略すると下記の2つとなる

A わが国には、約4050年前の夏代初頭(縄文後期初頭)に原初漢字・夏音(かおん)文字が伝来していた。この夏音文字においては、【銀河各部の形状】が【文字】であった。この夏音文字の学芸が倭地において強大な権力と莫大な富を手に入れる方法・手段であったので、夏音文字の学芸に精通する一女子が倭女王に就任された。この一女子は、夏音文字の学芸の基軸となる【天頂点のキャッチ(精密な天頂緯度の測定)】にもとづき日本列島は東に伸びず南に伸びるとする転回日本列島地理を立論した。この転回日本列島地理を小国の王たちは真実であると絶賛して、立論者の一女子を倭女王に選んだ。この「転回日本列島地理」は[卑][弥][呼]の字源となるものであったので、倭女王の名は「卑弥呼」となった また「転回日本列島地理」は[倭]の字源を示し、当時、日本列島の天頂に[人]の字源となる銀河部がめぐってきたので、卑弥呼が統治する国の名は「倭人国」となった。

B 『魏志倭人伝』に末部に登場する夏音名・壱与(いよ)は、倭国の隣国の東鯷人(とうていじん)国が大国・倭国に服属して国名が「日本」となった時、13才で小国・日本の女王として旧東鯷人国に赴任した。壱与は小国・日本の国作りの柱を”愛”とし、この”愛”の理念を尊重するように国民に説いた。壱与は倭の小国・伊耶(いや)国=丹波出身であるので、日本の人民は”伊耶国の美しい女王”ということで”伊耶那美命(いざなみのみこと)”と愛称して敬愛した。また旧東鯷人国には南方系ポリネシア人も居住していたので、”聖なる愛の女王”は古代ポリネシアア語だと”イサナミ”であったので、壱与は”伊耶那美命”と呼ばれて日本国の人民に愛された。卑弥呼が没した時に、百余人の青年と乙女=奴婢(ぬひ)を殺して卑弥呼の墓に埋葬する徇葬(じゅんそう)儀式が行われた。この残虐な徇葬を憎悪する倭の人民が反乱をおこし、倭の政府軍は千余人の反乱者を殺した。また、この反乱を鎮(しず)めるために、倭王朝は小国・日本の女王にした壱与・伊耶那美命を倭女王に就任させた。愛の女王・伊耶那美命ならば徇葬を必ずや禁止するにちがいないと反乱者たちは信じて武器を捨てたので、ついに倭国は平定した。壱与・伊耶那美命は倭と小国・日本の人民に敬愛され、彼女の提唱した”愛”の理念は日本建国理念となった。壱与・伊耶那美命は後世の人々にも崇拝され、彼女が提唱した”愛”の理念を後世に伝えるために、『古事記』が作成され、愛の和歌集『万葉集』が編纂され、日本最古の小説『竹取物語』が作られた。というのも、壱与・伊耶那美命の本名は「竹野比売(たかのひめ)」であるからである。伊耶那美命は農具の刃先を作る製鉄事業の火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)の火災事故に遭って火傷を負い、大和の香久山(かぐやま)の麓で死去した。ゆえに、『竹取物語』のヒロインは竹の筒から生まれた”かぐ(迦具・香久)や姫”となったのである

1725年 『魏志倭人伝』の記事を【誤読】してもよいというデタラメを説く書物を著作した新井白石が没した こんなデタラメが後世に普及したならば 上記の日本のすべてを創った夏音文字の学芸と日本建国の”愛”の理念は消滅するにちがいないと恐怖を感じた霊元(れいげん)上皇は 白石の死から13年後の1738年に大嘗会(だいじょうえ)を本格的に復興して、天皇の王冠の上の飾りは夏音文字の学芸を 下の飾りは日本建国の”愛”の理念をあらわす意匠で 『魏志倭人伝』の記事はすべて正しいと表明した (この詳細は左に表示した幻冬舎ルネッサンスから出版された拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』を参照していただきたい)

邪馬台国説学者たちは 下記に示す歴史学の原理原則と基礎知識をまったく有していない このような多数の原理原則と基礎知識を有さない人物を 学界では「学者」と呼ぶのかもしれないが われわれ庶民においては日本のすべてを創った最も重大な歴史を【誤読】で抹殺し しかも【誤読】を”文献批判”という名で実体を隠し 原理原則を無視し基礎知識を有さない人物は「偽学者」と呼び「ペテン師」であると軽蔑する

邪馬台国学者たちが有していない 下記の歴史学の原理原則と基礎知識については 今日は列記するだけにする 明日それを具体的に説明します

邪馬台国説学者たちは、下記のような歴史学の原理原則と基礎知識を有していない

1 歴史学者が「歴史」という語源を知らないで”歴史学者”あるいは歴史の事実を解明する”考古学者”と呼べるはずがない。にもかかわらず、邪馬台国説学者たちは「歴史」の語源をまったく知っていない。「歴史」の語源を知っていれば、自説が【誤読の空論】であることに気づいた。

2 歴史学は【科学】を最も優先する学術である。邪馬台国説学者たちは『魏志倭人伝』の各記事が互いに関連しあって【科学】を成立させ、また全体的にも【科学】が成立させるものであるからして、いわゆる新井白石が最初に加えた”文献批判”すなわち【誤読】がまったく必要ないことに気づかない。ということは、邪馬台国説学者たちは【科学】の定義をまったく知らないゆえに、【科学】を無視するものであるから”文献批判”が【誤読】であることに気づかないということになる。

3 歴史学者や考古学者ならば”文献批判”は【誤読】であることは、当然、知っていなければならない。考古学におけるシュリーマンのトロイ遺跡発掘は有名である。学者たちはホメロスの叙事詩『イリアス』が描くトロイ戦争は”空想の産物”と文献批判していたが、シュリーマンは『イリアス』の記述通りの場所から遺跡を発掘して、学者たちの”文献批判”が【誤読】であったことを証明した。したがって、白石から始まる『魏志倭人伝』に加える”文献批判”も【誤読】ではないか、『魏志倭人伝』の記事はすべて正しいのではないかと考えることは、歴史学者や考古学者ならば当然おこなわなければならない心得・鉄則となる。

4 邪馬台国説学者たちは、『魏志倭人伝』の幾つかの記事とすべての文字で証明できる わが国に伝来した夏音文字は存在しないと断定した。邪馬台国説学者たちは【文字】とは何なのか、【文字】の定義は何なのか、まったく考えない。いいかえると、彼らは【文字】についてまったく知っていないのに、「文字は無かった」と言い切る。中国の五経の第一に挙げられる古典『易経』繋辞(けいじ)上伝は、すべての漢字の字源を知ることができる基礎知識を「易は天地と準(なぞら)う。ゆえによく天地の道を弥綸(びりん)す。仰いでもって天文を観、俯してもって地理を察す」と記述する。この記事は[卑][弥][呼]と[倭]の字源を示すものであり、またこの記事にもとづいて卑弥呼は転回日本列島地理を立論した。さらに、『魏志倭人伝』のすべての文字によって、『易経』繋辞下伝にある【銀河各部の形状】が【文字】であったと伝える漢字起源記事の「仰いでは天象を観、俯しては地法を観、鳥獣の文と地宜(ちぎ)を観る。(中略)。もって万物の情に類して文字を作った」という記述が事実であると証明できる。このような重大な漢字の起源の秘密が解明できる『魏志倭人伝』に対して、邪馬台国説学者たちは「倭には文字が無かった」と誤読して、『魏志倭人伝』を台無しにする。

5 新井白石が取り入れた西欧近代科学の考え方には、傲慢(ごうまん)な単純化をする、無秩序から秩序を創造できない、科学における偶然の役割を無視するなどの幾つかの誤りや欠点があると、1980年代に入ると、わが国のノーベル受賞者の湯川秀樹博士が先駆者となり、欧米の先端科学者や科学論家たちは幾つかの国際会議を開いて世界に警告(けいこく)した。邪馬台国説学者たちは、西欧近代科学の誤りである傲慢な単純化を用いて『魏志倭人伝』によって科学的に解明できる夏音文字を存在しないと断定する。学者ならば、西欧近代科学の考え方の誤りや欠点を警告した情報をいち早く取り入れて、この誤りや欠点を排除するのが義務と責任となる。邪馬台国説は傲慢な単純化の産物である。このようなウソ八百にいまだに気づかないなんていう怠慢はゆるされるはずがない。

6 文献史料の記事と合致する史跡・遺跡・遺物などを発見すれば、ほんとうの歴史が証明されたことになる。『魏志倭人伝』に”文献批判”を加えて勝手な解釈をおこなう邪馬台国説・吉野ヶ里遺跡や纏向(まきむく)遺跡の発掘は完全にペテンである。ここ掘れワンワン方式の考古学学者たちの横暴はペテンである。『魏志倭人伝』のすべての記事に合致する史跡は存在する。この史跡は、静岡県浜松市北区細江(ほそえ)町の1千万坪の大鳥の地上絵である。この大鳥の地上絵は『魏志倭人伝』と同時代(3世紀後半)に作成され、『魏志倭人伝』末部に記述される日本建国の”愛”の理念を後世に伝えるために作成された史跡であり、夏音文字の学芸全貌が科学的に解明できる史跡である。『魏志倭人伝』の夏音文字の学芸と日本建国の”愛”の理念に関する記述をまったく無視する、ここ掘れワンワン方式の学者たちの発掘はまさに「ペテン・詐欺」と言わざるをえない。

7 『魏志倭人伝』は、陳寿(ちんじゅ)が著作した『三国志』魏書・東夷(とうい)伝の倭人伝である。この東夷伝の序で、陳寿は「東方のことは、238年・245年の魏軍の再度の遠征で、国々の大小や、国名・部族名・風俗・習慣などを正確に書くようにできるようになった」と書く。宿敵呉の孫権と軍事同盟を結ぶようとする魏の背後の脅威(きょうい)である燕地(えんち)の公孫淵(こうそんえん)を討伐するために、魏軍は238年に燕地に遠征した。また、魏の出張機関の帯方郡(たいほうぐん)の太守・弓遵(きゅうじゅん)が馬韓(ばかん)国の首長を中心とする勢力との戦いで戦士したため、魏の背後の脅威となる朝鮮半島(諸韓国)の勢力を討伐するために魏軍は245年に遠征した。この2度の遠征において、魏軍は東夷の大国の倭に助勢(つまり、魏と倭が軍事同盟を結んだと脅威を示して、諸韓国の反抗勢力の拡大をふせぐ政策)を欲求した。ゆえに、晋(しん)の歴史編纂官であった陳寿は、晋王朝が秘蔵する倭の卑弥呼から送られた国書を閲覧して、『魏志倭人伝』を作成した。このように、『魏志倭人伝』は事実を密かに伝える第一級の軍事機密資料にもとづいて作成された。だから、『魏志倭人伝』に加える”文献批判”は【誤読】である。したがって、『魏志倭人伝』のすべての記述を無視して、ここ掘れワンワン方式の邪馬台国説・吉野ヶ里遺跡と纏向遺跡の論法はペテン・詐欺である。

8 文献史料の記述を忠実に読解する、この方法は歴史学で鉄則である。この鉄則を無視して文献批判を加えるのが正しいなんて主張するのは、歴史学の原理原則を有さない基礎知識も有していない人々による横暴である。

9 『魏志倭人伝』は「魏の使節も帯方郡の使節も大海を渡ることができなかったが、倭の使節は大海を往来できた」と説明する。紀元前1世紀、中国ではシナ天文が完成したため、以前に栄えていた【精密な天頂緯度測定、すなわち天頂点をキャッチ】する眼力と技(わざ)を鍛錬する習慣が廃(すた)れた。大海を往来するには精密な緯度(位置)と経度(方向)の測定が不可欠となる。これゆえ、天頂点をキャッチできなくなった魏と帯方郡の使節は大海を渡ることができなかった。天頂点をキャッチすると、[玄]の字源となる「精密な緯度測定できる極細線」と[亼(しゅう)]の字源である「子午線のキャッチ」によって、精密な緯度と経度が測定できた。倭では【天頂点のキャッチ】を基軸とする夏音文字の学芸が栄えていた。だから、倭の使節を往来できた。邪馬台国説学者たちは「日本列島が南に伸びるはずがない、この転回日本列島地理は陳寿の誤記である」と断定する。この考えが成立するためには、倭王朝ではシナ天文と同じく天の北極を最も重視する天文学が栄えていなければならない。しかし、天の北極で緯度と経度を測量する方法は不精確となるので、大海に入ると間もなく位置と方位が不明となり漂流して落命した。ゆえに、魏と帯方郡の使節は大海を渡ることができなかった。ゆえに、倭において天の北極が最も重視されていたならば、倭の使節もまた魏と帯方郡の使節と同様に大海を渡ることができなかったことになる。そうすると、『魏志倭人伝』という史料は1字も存在しなかったことになる。邪馬台国説学者たちの意見だと、”開け、ゴマ”という呪文のごとく”文献批判”という呪文を述べれば1字も存在しない『魏志倭人伝』がパッと出現することになると言うことになるが、こんな意見は完全なるペテンであり詐欺である。

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