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2011年10月 7日 (金)

彦根の大地から愛の鼓動が聴こえる・徳川家康とハジロカイツブリ 日本古代の巨大な鳥の地上絵・17

彦根市の3千万坪の大鳥の地上絵は、夏音文字の学芸と日本建国の”愛”の理念の復興を願望する徳川家康が彦根藩初代藩主の井伊直政が没した翌1603年に近隣の7ヵ国12大名に彦根藩に助勢するように動員を命じて着工され、20年後の1622年に完成した。1616年に家康は没しているから、完成を見ていない。

中国の正史『新唐書』日本伝は――702年に中国に渡った日本の遣唐使が「後稍夏音を習う」と告げた――と記述する。この夏音文字の学芸の復興を皇室に認めさせるために、彦根の大鳥の地上絵は作成された。『新唐書』日本伝の「後稍夏音を習う」は――壬申の乱の後、天武・持統両天皇が皇祖と定めた「天照大神がイザナミノミコトが提唱した日本建国の”愛”の理念を憎悪し、多数の青年と乙女たちを殺してイザナミノミコトの墓に埋めた徇葬儀式を決行し、日本建国の”愛”の理念を尊重する王や人民を武力で征服した悪政を削除して、夏音文字を稍々復興して天照大神が偉大で聡明であったという偽書を作成せよ――と意味するものであった。天照大神は夏音文字の学芸に精通したので偉大で聡明であると賞賛されるものであったゆえ、夏音文字をすべて抹殺しまうと天照大神が偉大で聡明であったことが伝えられなくなるので、天武・持統両天皇は「稍夏音を習う(復興する)」と命令したのである。(㊟ 「新唐書」は「しんとうじょ」、「後稍夏音」は「のち・やや・かおん」、「壬申」は「じんしん」、「天武・持統」は「てんむ・じとう」、「徇葬」は「じゅんそう」、「削除」は「さくじょ」、「抹殺」は「まっさつ」と読む)。

夏音文字は712年に成立した『古事記』上巻に〔音〕という注が付いて多数記載され、『魏志』倭人伝の「卑弥呼」はじめとする人名・小国名・官職名に用いられる文字として現存する。これらの文字は夏音文字の字形として残るものではなく楷書で残るが、中国の古代文字の契文(甲骨文字)・金文の大半の字形は銀河から作成したと示して銀河各部の形状に相似するとおり、銀河各部の形状を観れば楷書でもすべての字源・字義が解明できる仕組みになっている。(㊟ 「契文」は「けいぶん」と読む)。

中国の古典『易経』の繋辞下伝は「仰いでは天象を観、俯しては地法を観、鳥獣の文と地宜を観る。(中略)。もって万物の情に類して文字を作った」と記述する。この文中の「天象」は「銀河各部の形状」のことである。「銀河」は「銀漢」とも言い、「銀漢から作られた字」を略して「漢字」となった。(㊟ 「易経」は「えききょう」、「繋辞」は「けいじ」、「天象」は「てんぞう」、「地宜」は「ちぎ」と読む)。

夏音文字が注目されて漢字が銀河から作られたことが明らかになると、『古事記』上巻に記述された天照大神が決行した残虐非道な徇葬儀式と悪政が暴かれることになる。だから、歴代の天皇は後世の人民に憎悪されて皇室が滅亡すると恐れた。したがって、織田信長・井伊直政・徳川家康が一生を賭けて願望する夏音文字の学芸と日本建国の”愛”の理念の復興は、皇室にとってどうしても承認できることができなかった。

それを承知で家康は彦根の大鳥の地上絵を作成して、夏音文字の学芸と日本建国の”愛”の理念の復興を皇室にを迫った。

「論より証拠」という格言のとおり、即刻論じるのを止めて天象すなわち銀河各部の形状による思考を始めれば、楷書で表記される『魏志』倭人伝の34小国はどこであったか、矛盾点も不合理な点もいっさい存在せずに科学的に解明できる。というのも、人間の頭脳は「言語と論理的な思考のみをあつかう単一的な器官」ではないからである。人間の脳は、外観はまったく同じの二つの半球から成る。言葉と論理的な思考は、左側の半球の脳すなわち左脳が担当する。右側の脳は言葉や論理とはまったく違う方法で思考する。

「論より証拠」の通りに「論理」で思考する左脳を沈黙させて、右脳で楷書をとらえると【楷書の字形】は【図形】と化し、【銀河各部の形状】=【文字(楷書の字形)】=【図形】となるので、34小国すべてが明らかとなる。というのも、右脳は複雑な視覚パターンの認識や処理にいちじるしく優れているゆえ、①楷書の字形と②銀河各部の形状と③各小国の地宜の形の類似性・相似性をキャッチして3者を合致させることができるからである。

皇室は、この右脳思考によって漢字が銀河が作られたことが明らかになると、日本国誕生史の真相と天照大神の徇葬決行と悪政が実際に暴露されることを知っていたので、家康の遺志を継ぐ江戸幕府が彦根の大鳥の地上絵を完成させて要求する信長・直政・家康の願望を拒絶した。

家康の生地の三河の「渥美半島」は「ハジロカイツブリの顔と首」に類似する。ハジロカイツブリの顔の眼の後方から耳羽にかけて扇の形にひろがる美しい金栗色の飾羽がある。

この「ハジロカイツブリの飾羽」は女性の生殖器官「卵管漏斗部・卵管采の側面形」に相似すると見立てられた。「卵管漏斗部」は「卵管の末端部で腹腔内に向かって広がっているところ」であり、「卵管采」は「卵管漏斗部の先端の房状の突起」である。卵管漏斗部・卵管采は卵巣を上からかぶさって握るように撫でるような形となる。これゆえ、「卵管漏斗部・卵管采」は「渥美」の[渥]を字源・字義をあらわした。「渥美」の[美]は卵管漏斗部・卵管采に見立てられた「ハジロカイツブリの顔の美しい飾羽」である。(㊟ 「飾羽」は「かざりばね」、「生殖器官」は「せいしょくきかん」、「卵管漏斗部」は「らんかん・ろうろぶ」、「腹腔」は「ふくこう」、「卵管采」は「らんかんさい」、「卵巣」は「らんそう」、「握る」は「にぎる」、「撫でる」は「なでる」と読む)。

家康は8歳から19歳まで人質となって、今川義元の居城の駿府城に住み、義元の軍師にして臨済宗妙心寺派の高僧の大原雪斎の教育された。京都市に所在する龍安寺は臨済宗妙心寺派の寺院であり、この龍安寺の枯山水の庭園は世界的に有名である。龍安寺の石庭はすべての字源が解明できる銀河各部の形状を5群の石組で造形する、夏音文字の学芸知識を表現する仕組みとなっている。家康は雪斎から夏音文字の学芸を教育された。駿府城の東方に三保の松原があり、この「三保の松原」の地図の形は「卵管漏斗部・卵管采」と「ハジロカイツブリの顔の飾羽」の形に相似すると見立てられた。このように家康の生地の三河の「渥美半島」と幼児期から青年期まで過ごした駿河の「三保の松原」は「ハジロカイツブリの扇の形にひろがる金栗色の飾羽」に見立てられたので、家康の本陣には「ハジロカイツブリの飾羽」をあらわす金色の扇すなわち「金扇の馬印」が設置された。(㊟ 「駿府城」は「すんぷじょう」、「臨済宗」は「りんざいしゅう」、「妙心寺派」は「みょうしんじは」、「大原雪斎y」は「たいげんせっさい」、「龍安寺」は「りょうあんじ」、「枯山水」は「かれさんすい」と読む)。

したがって、彦根の大鳥の地上絵の顔は3種のカイツブリの合体形であり、ハジロカイツブリの顔で家康を、カンムリカイツブリの顔で信長を、鳰(カイツブリ)の顔で直政を表現するものとなる。

彦根の3種のカイツブリを表現する地上絵の頭部は「夏至の日の出がある方向」を指し示して「夏音文字の学芸」をあらわす。彦根市の西端となる琵琶湖の湖岸はカイツブリの腹面となるから、[白]をあらわす。というのも、ハジロカイツブリ・カンムリカイツブリ・鳰の腹面は「銀白色」であるからである。この[白]に3種のカイツブリの地上絵の背中(東端の境界線)の[羽を加えると、[習]という字になる。ハジロカイツブリは飛び立つと羽の内側に白い部分が見えるので「羽白カイツブリ」と呼ばれた。この「羽白」の[羽][白]を上下に並べると[習]という字となる。

3種のカイツブリの背中の羽は空を飛翔する力強い翼の形ではなく、背中の生え際だけを表現して翼全体の形を表現しない。したがって、「空を飛べない羽」を表現している。だから、彦根のカイツブリの地上絵は「夏音は未だ習うものではない(未だ飛べる羽ではない、未だ復興しない)」と表現するものとなる。

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