G-T0XYQT12LL 彦根の大地から愛の鼓動が聴こえる・井伊直政と鳰❶ 日本古代の巨大な鳥の地上絵・15: 卑弥呼の逆襲

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2011年10月 6日 (木)

彦根の大地から愛の鼓動が聴こえる・井伊直政と鳰❶ 日本古代の巨大な鳥の地上絵・15

彦根藩初代藩主の井伊直政は、遠江の1千万坪の”建比良鳥の地上絵”の守り番であった。ちょうど1千万坪に作成したのは、建比良鳥の地上絵が天頂緯度測定して経緯度原点を設定して三角測量して作成したものであることに後世の人々に知らせるためである。(㊟ 「直政」は「なおまさ」、「建比良鳥」は「たけひらとり」と読む)。

「建比良鳥の地上絵」は、現在の地名で言うと「静岡県浜松市北区細江町」である。建比良鳥の地上絵は、『魏志』倭人伝が作成された同時代(3世紀後半)に制作された。井伊直政の生地は、建比良鳥の地上絵の北隣の浜松市北区引佐町の井伊谷である。井伊家の先祖は建比良鳥の地上絵を作成した建比良鳥命である。建比良鳥の地上絵は建比良鳥命家から井伊家24代頭首・直政まで、およそ1300年間も守られてきた。(㊟ 「引佐」は「いなさ」、「井伊谷」は「いいのや」、「建比良鳥命」は「たけひらとりのみこと」と読む)。

建比良鳥の地上絵は、日本建国の”愛”の理念を後世に永遠に伝えるために作成された。正史『続日本紀』の736年(天平8年)11月11日の記事は――日本建国の”愛”の理念を万歳に窮みなく、千葉に相伝えんために、愛を詠む和歌を集めて編纂せよと、舎人皇子が葛城王兄弟に命令した。この愛の和歌集の編纂は時の聖武天皇から勅許を得たと偽る陰謀であったために、葛城王は尊敬してやまない君主・舎人皇子に「死を覚悟して必ずやりとげます」と誓った。この愛の和歌集編纂は葛城王兄弟に「橘」の姓を与えるという名目でおこなわれたので、「日本建国の”愛”の理念を伝える和歌集の編纂」は「橘」という暗号で表現された――と説明する。この日本建国の”愛”の理念を「万歳に窮みなく、千葉に相伝える」ために編纂された和歌集の名は『万葉集』となり、葛城王はのちに橘諸兄と名を改めた。(㊟ 「続日本紀」は「しょくにほんぎ」、「万歳」は「まんさい」、「窮み」は「きわみ」、「千葉」は「せんよう」、「相伝えん」は「あいつたえん」、「詠む」は「よむ」、「編纂」は「へんさん」、「舎人」は「とねり」、「葛城王」は「かつらぎおう」、「聖武」は「しょうむ」、「勅許」は「ちょっきょ」、「橘」は「たちばな」、「諸兄」は「もろえ」と読む)。

井伊家が万歳に窮みなく千葉に相伝えようと守ってきた建比良鳥の地上絵と『万葉集』は、皇祖・天照大神の聖性をいちじるしく汚すと怒って皇室がなんとしても消滅しようとした日本建国の”愛”の理念を、どうしても滅ぼすことはできないと反旗をひるがえす反逆であった。だから、彦根藩の家紋は「『万葉集』編纂」をあらわす暗号となる「橘」を紋章とした。

井伊家の居城の彦根城は、鳰の海・琵琶湖に浮かぶ金亀山に築かれた。この金亀山は高さ50m余りの丘となり、この丘上には天守が築かれ、丘と麓の周囲を内濠がめぐって本城域(地元では”本丸”と呼ぶ)となる。この本城域を囲んで中濠が内城域(地元では”二の丸”と呼ぶ)を周囲し、さらに現在は失われてしまったが、城下町を囲んで外濠がめぐっていた。この三重の濠は、湖水の埋め残しである。したがって、内濠より内側の本丸(本城域)が金亀山であったことになる。(㊟ 「鳰」は「にお」、「金亀山」は「こんきざん」、「内濠」は「うちぼり」、「本城」は「ほんじろ」、「中濠」は「なかぼり」、「内城」は「うちじろ」、「外濠」は「そとぼり」と読む)。

琵琶湖は中国南部の[呼]の字源「鳰(カイツブリ)」の形に相似する「杭州湾」と同様に、鳰の姿に相似するということで古くは「鳰の海」と呼ばれた。また、『魏志』倭人伝は、琵琶湖の国・近江の小国名を「呼邑国」と記す。つまり、[呼]の字源「鳰」の姿に相似する湖岸周辺に多くの人々が居住する――ということで「呼邑国」」となった。(㊟ 「杭州湾」は「こうしゅうわん」、「呼邑」は「こお」と読む)。

この大きな鳰の海を母体に見立てて、母体の子宮部に相当する湖水から産道(松原内湖岸)となる湖水が繋がり、この産道の湖水に繋がる中濠・内濠と本丸は誕生する胎児に相当するように設計された。つまり、「中濠と内濠」は産道を湿潤させて胎児の頭がくぐりやすくする「羊水」をあらわすゆえ、「本丸」は「産道をくぐりぬけて誕生する胎児」となる。したがって、金亀山は産道をくぐりぬけて誕生する胎児に相当する箇所に所在したことになる。(㊟ 「繋がる」は「つながる」、「湿潤」は「しつじゅん」と読む)。

中国の五経の第一に挙げられる『易経』繋辞下伝はすべての字源が解明できる基礎知識、言い換えると漢字の起源の秘密を「仰いでは天象を観、俯しては地法を観、鳥獣の文と地宜を観る。(中略)。もって万物の情に類して漢字を作った」と説明する。この文中にある「鳥獣の文」は約5000年前の五帝時代初頭の黄帝につかえた”漢字の始祖”と崇拝された倉頡が発明した漢字作成原理の名称である。黄帝が研究する子宮・産道などの女性の生殖器官の形が銀河各部の形に相似することに気づき、倉頡は万物の情に類して多数の漢字を図案することができる方法・漢字作成原理「鳥獣の文」を発明した。(㊟ 「繋辞」は「けいじ」、「倉頡」は「そうきつ」と読む)。

したがって、彦根城は漢字の起源の秘密をあらわすとともに、胎児の誕生で日本建国の”愛”の理念をあらわすものとなる。というのも、彦根城の南南東にある多賀大社に祀られるイザナキノミコトは天照大神に離縁を告げる時に、愛妻イザナミノミコトが提唱した日本建国の”愛”の理念を「吾一日に千五百の産屋立てむ(男性と女性が愛し合って人民が一日に多数の子どもを生むように”愛”を最も尊重するように説き、この”愛”を国家理念とする政事を吾はおこなう)」と表現して宣誓したからである。

多賀大社には日本建国の”愛”の理念を提唱したイザナミノミコトも祀られる。イザナミノミコトの亡骸は三重県熊野市有馬町の花の窟に葬られた。花の窟は東経136度06分であり、彦根市の西端の愛知川河口は東経136度07分である。花の窟と愛知川河口は直線距離でおよそ150キロメートルも遠く離れているが、経度差はわずか1分である。ゆえに、愛知川河口と花の窟は同経度と言える。したがって、「愛知川」は「日本建国の”愛”の理念を知る川」の略称だったのである。(㊟ 「亡骸」は「なきがら」、「窟」は「いわや」、「愛知川」は「えちがわ」と読む)。

現在、彦根城本丸の地宜(平面的な地図の形)は「北アメリカ星雲」の形に相似する。そして「北アメリカ星雲」は〔金色に輝き、また亀〕の姿に観える。だから、「北アメリカ星雲」の形状に相似する本丸となった丘の名は「金亀山」と呼ばれていたにちがいない。(㊟ 「地宜」は「ちぎ」と読む)。

「北アメリカ星雲」は「胎児の姿や人の姿に似る銀河の胸部」に位置して、赤く金色に輝くので「胎児の心臓」に見立てられた。ゆえに、「北アメリカ星雲」は「心臓」と「こころ」を字義となる[心]の字源となった。

字源を解説する字書の聖典『説文解字』は[心]の字源解説で「人の心なり。土の蔵、身の中に在り」と表現した。「胎児の姿また人の姿に似る銀河」は「土。大地」のようにも観える。これゆえ、『説文解字』は「胎児・人の心臓」の位置にあって赤く金色に輝く「北アメリカ星雲」のイメージを「土の蔵、身の中に在り」と解説したのである。(㊟ 「説文解字」は「せつもんかいじ」、「蔵」は「くら」と読む)。

以上のごとく、彦根の大鳥の地上絵は鳰の海の子宮から生まれた子がすくすくと育った青年と乙女をあらわしている。また、彦根は日本建国の”愛”の理念で祝福された大地であり、そして彦根城は[心]の字源となって彦根の大地に”愛”の鼓動が永遠に続くように願って築かれた。

邪馬台国説は誤読の空論のウソ八百である。この愚にもつかない邪馬台国説の雑音に惑わされないように彦根の大鳥の地上絵へ視力をそそぎ、この壮大な時空に身をゆだねるようにして日本古代史の真実に心洗われれば、日本建国理念の”愛”の鼓動が聴こえるようになる。

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