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2011年10月12日 (水)

邪馬台国説は【誤読】の産物・ウソ八百である ”文献批判”は【誤読】ではないかと考えるのは、歴史学の原理原則である

考古学における シュリーマンのトロイ遺跡発掘は有名である

ホメロスの英雄叙事詩『イリアス』はトロイ戦争を題材とした 

シュリーマンは『イリアス』の叙事詩にしたがって発掘をおこなった

『イリアス』に描かれるトロイ戦争は 学者たちに歴史を語るものではないと文献批判され 長い間 ”空想の産物”であると断定されていた

しかし シュリーマンの『イリアス』の記述にしたがっておこなった発掘によって

『イリアス』が描いたトロイ戦争は歴史を語るものであったと証明された

『イリアス』を”空想の産物である”と文献批判した学者たちの意見は誤っていた

トロイ戦争はギリシャの史家によると 紀元前1200年前後に起こったという

ギリシャの詩人ホメロスは 紀元前850年頃に生存したといわれる

したがって ホメロスはトロイ戦争から約350年後に生存した

山尾幸久著『『魏志』倭人伝』(講談社)は 『魏志』倭人伝は280年から289年ころに著作されたと指摘する

静岡県浜松市北区細江町は 3世紀後半に生存した遠江国造の先祖の建比良鳥命が作成した ちょうど1千万坪の大鳥の地上絵である ゆえに 「建比良鳥の地上絵」または「建比良鳥の地宜」と名づけた (㊟ 「細江」は「ほそえ」、「遠江国造」は「とおとうみのくにのみやつこ」、「建比良鳥」は「たけひらとり」と読む)

建比良鳥の地上絵は銅鐸を用いて 都田川の河口の東岸を経緯度原点地と定めて精密に天頂緯度を測定し  三角測量し ちょうど1千万坪に作った当時の最高水準の学術(科学)を後世に伝える史跡である したがって 建比良鳥の地上絵の作成方法は 現在の精密日本列島地図を作成する国土地理院の地図作成方法の原理に共通する (㊟ 「銅鐸」は「どうたく」、「都田川」は「みやこだがわ」と読む)

建比良鳥の地上絵の天頂緯度測定と土地測量に用いられた銅鐸は 現在まで7ヵ所の地点から 合計9口発掘される これらの銅鐸は「近畿式」と「三遠式」と分類される終末期銅鐸であり  終末期銅鐸の製作・使用年代は260~290年と考えられている ゆえに『魏志』倭人伝と建比良鳥の地上絵の作成年代は最大で29年、最小で1年しか隔たりがない  ということは  『魏志』倭人伝と建比良鳥の地上絵は同時代に作成されたことになる (㊟ 「三遠式」は「さんえんしき」と読む)

トロイ戦争と約350年も隔たる文献『イリアス』の記述と約3000年後に発掘されたトロイ遺跡の発掘によって 学者たちの〔文献批判〕は『イリアス』の記述を【誤読】して傲慢に単純化した錯覚・幻想であったと証明された 学者たちは〔文献批判〕を用いて”この記事は信用できない。事実ではない”と 一つや二つどころか『魏志』倭人伝の記事をほぼ全面的に否定する このほぼ全面的に”事実でない”と否定された『魏志』倭人伝の記事が同時代に作成された建比良鳥の地上絵で矛盾せず不合理でもなくピッタリと合致して復元されると 間違いなく〔文献批判〕の実体は【誤読】であると証明されることになり 〔文献批判〕されたすべての記事は歴史上に実際にあった真実を伝えるものとなる (㊟ 「傲慢」は「ごうまん」と読む。私が3日前の10月9日にインターネットの掲示板に公開した「邪馬台国説が完全なるウソ八百であることは、いとも簡単に証明できる」のテーマに視点を絞って考えると、邪馬台国説は 結局 ”『魏志』倭人伝の全記事は事実を伝えていない”と主張していることになる。)

上記の経緯度原点地となった都田川河口の東岸は〔低くて湿気のある地〕であるから「卑湿な地」すなわち「卑弥呼」の[卑]をあらわす 建比良鳥の地上絵の頭部は卑湿な海岸や湖沼に生息する水鳥の「カンムリカイツブリ」の形に設計される この「カンムリカイツブリ」は「卑弥呼」の[弥]の字源である 建比良鳥の地上絵は浜松市北区の引佐町に隣接する細江町の境界線と接する引佐町金指地区・井伊谷は 卑湿な海岸や湖沼に生息する水鳥の「西に顔が向く鳰(カイツブリ)と浮き巣」の形に設計される 「鳰」は「卑弥呼」の[呼]の字源をあらわす (㊟ 「引佐」は「いなさ」、「金指」は「かなざし」、「井伊谷」は「いいのや」、「鳰」は「にお」と読む)

さらに建比良鳥の地上絵によって 『魏志』倭人伝は「①倭には夏代初頭(わが国の後期縄文時代初頭)に伝来した夏音文字の学芸を有していた ”卑弥呼”はじめとする人名と34小国名に用いられる文字は夏音文字である ②卑弥呼は中国沿岸地域の北と南の地の冷たい・暖かい気候と日本列島の西端の九州・玄界灘に浮かぶ沖ノ島と東端の伊豆諸島の神津島の冷たい・暖かい気候を比較して照合すると、日本列島は東に伸びずに南に伸びるという転回倭地理を立論した つまり 卑弥呼王朝は方位が90度転回する倭地理を制定した」と歴史の事実を伝える史料であると科学的に証明される。さらに建比良鳥の地上絵と周辺の浜名湖の湖岸の形によって「③夏音文字は【銀河各部の形状】を【文字】とする原初漢字であり、【銀河各部の形状】を【文字】として銀河を仰ぎ観れば、すべての漢字の字源は解明できる」ことが解明される

なにゆえ建比良鳥の地上絵と周辺の浜名湖の湖岸によってすべての漢字の字源が解明できるかと言うと――建比良鳥の地上絵と周辺の浜名湖の湖岸の地宜が〔①すべての漢字が作られた銀河の各部の形状に相似し ②中国の五経の第一に挙げられる古典『易経』繋辞上伝の漢字起源説明記事の「易は天地と準う。ゆえによく天地の道に弥綸す。仰いでもって天文を観、俯してもって地理を察す」という文と ③同じく漢字起源説明記事となる『易経』繋辞下伝「仰いでは天象を観、俯しては地法を観、鳥獣の文と地宜を観る。(中略)。もって万物の情に類して漢字をつくった」という文をあらわす形となっているからである (㊟ 「地宜」は「平面的に図化した地図の形」である) 

この②と③の漢字起源記事はすべての漢字の字源を解明できる原理原則にして基礎知識でもある そして 建比良鳥の地上絵と周辺の浜名湖の湖岸は②と③の文を図化した形になっている 殷代の甲骨文字より約750年前にわが国に伝来した原初漢字の夏音文字においては【銀河各部の形状】は【文字】であったので ①で指摘したとおり 建比良鳥の地上絵と周辺の浜名湖の湖岸は すべての漢字が作られた銀河各部の形状に類似しまた相似しあるいは酷似する だから 建比良鳥の地上絵と周辺の浜名湖の湖岸によって漢字の字源を知ることができる (㊟ 「地宜」は「ちぎ」、「易経」は「えききょう」、「繋辞」は「けいじ」、「準う」は「なぞらう」、「弥綸」は「びりん」、「俯して」は「ふして」と読む)

『魏志』倭人伝には、卑弥呼が立論した〔日本列島の東を時計の針が進む方向に90度転回して南とする転回日本地理の学術〕が記述された この「転回地理」は[倭]の字源をあらわすものであったので 卑弥呼が統治する国名は「倭」となった 34小国名もまた[倭]の字源は「東を90度転回して南にする転回方位学術論」であると表示する

建比良鳥の地上絵は『魏志』倭人伝に記述された卑弥呼が立論した転回倭地理学術論を具体的に説明するように設計されている 

建比良鳥の地上絵を作成した建比良鳥命が登場する 『古事記』上巻の天照大神とスサノヲノミコトの二神の誓約説話もまた すべての記事を図にして表現すると 建比良鳥の地上絵が設計する転回倭地理を 下記のごとく説明していることが明らかとなる

この二神の誓約説話は――スサノヲノミコトは天照大神が帯びていた剣を三段に折って 宗像の三柱の女神を表現した。次にスサノヲノミコトは天照大神の髪を巻く勾玉を連ねる緒をもらい受けて 天の真名井の聖水で洗い清めて、天之忍穂耳命、天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命の五柱の男神を表現した。そこで天照大神は「五柱の男神は吾の髪の勾玉から生まれた頭脳を使う学術の神であるから、五柱の男神は吾の子である。汝は剣をふりまわして暴動をおこすものであるから、宗像の三柱の女神は汝の子である」とスサノヲノミコト一派のイザナミノミコトが提唱した日本建国の”愛”の理念を尊重して行う暴動を、天照大神は批判した。この天照大神の言葉は「日本列島は東に伸びるをあらわす宗像三柱の女神を祭る地宜のごとく誤っていて徳が無い」とスサノヲのミコトを批判し、「五柱の男神はかつて倭女王卑弥呼が立論した転回倭地理は真実であると賛同した徳のある先祖の五人の小国王たちである。吾は暴力に訴えず理性的に処置するようとするものであるから、吾は五柱の男神のごとく正しい」と主張するものであった (㊟ 「宗像は「むなかた」、「勾玉」は「まがたま」、「真名井」は「まない」、「天之忍穂耳命」は「あめのおしほみみのみこと」、「天之菩卑能命」は「あめのほひのみこと」、「天津日子根命」は「あまつひこねのみこと」、「活津日子根命」は「いくつひこねのみこと」、「熊野久須毘命」は「くまのくすびのみこと」と読む)

以上のごとく 『古事記』上巻の二神誓約説話の記事を図であらわせば  『魏志』倭人伝が説明する転回倭地理は卑弥呼王朝・天照大神の大和王朝の政権基盤であったと証明されることになり 建比良鳥の地上絵もまた『魏志』倭人伝が説明する転回倭地理を設計するものであることが誰にも手に取るように明確にわかるようになる そして 建比良鳥の地上絵の面積を3倍の3千万坪にして 家康が作成を命じた20年間の歳月を費やして完成した彦根の大鳥の地上絵もまた 『魏志』倭人伝が説明する転回倭地理を設計するものであることを具体的に証明できる

だから 『魏志』倭人伝に加える〔文献批判〕は正真正銘の【誤読】である シュリーマンのトロイ遺跡発掘によって証明されたように 1千万坪の建比良鳥の地上絵と『古事記』の天照大神とスサノヲノミコトミの二神の誓約説話と3千万坪の彦根の大鳥の地上絵によって邪馬台国説は【誤読の空論】であることはがトロイの遺跡よりも完璧に証明できる

なお 建比良鳥の地上絵の全長は約8.5km、翼長は約9kmである 地上絵で有名な世界遺産・ナスカの地上絵で最も大きな鳥の絵の全長は約300m 翼長は約90mである 建比良鳥の地上絵の単位は「km」 ナスカの大鳥の地上絵の単位は「m」である だから 建比良鳥の地上絵がいかに巨大か理解できよう

 

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