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2011年10月11日 (火)

弥生後期の学術史跡を発見‼ 日本古代の大鳥の地上絵は夏音文字の学芸を後世に伝える世界にマレな学術史跡であった

私がインターネットの掲示板で公開し 「卑弥呼の逆襲」や「大鳥の地上絵」で開くようにした 私が31年間研究することになった大鳥の地上絵は なんと夏音文字の学芸のレベルを知ることができる世界でも稀有な重大な史跡であったのである

今から約4050年前の夏代初頭(後期縄文時代初頭) 名門益氏の王子と若者たちが日本列島に移住して夏音文字の学芸をひろめた この夏音文字の学芸の伝来の痕跡は 秋田県鹿角市に所在する国の特別史跡・大湯環状列石の万座遺跡と野中堂遺跡に現在も明確に残っている この大湯環状列石は 夏音文字の学芸を所蔵する学術史跡だったのである この貴重な史跡を学術史跡と考える歴史学者は一人もいない(㊟ 「夏代」は「かだい」、「益氏」は「えきし」、「痕跡」は「こんせき」、「鹿角」は「かづの」、「大湯環状列石」は「おおゆ・かんじょう・れっせき」と読む)

司馬遷著『史記』五帝本紀において 四番目の帝堯の時代に益氏は始めて登場し 五番目の帝舜の時代に「虞」という要職につく この「虞」は「中国沿岸地域の卑湿地帯の山林・湖沼・川沢をつかさどる、地図を作成する官職」であったと思われる(㊟ 「司馬遷」は「しばせん」、「堯」は「ぎょう」、「舜」は「しゅん」、「虞」は「ぐ」と読む)

司馬遷著『史記』夏本紀は「益氏の首長は夏王朝の祖・帝禹に氏族共同体制の継続を託されて帝となったが、諸侯は帝益のもとを去って、世襲王朝国家体制の樹立を主張する禹の子・啓のもとに入朝した。益は帝位を啓にゆずって、箕山の南の地に隠退して住んだ」と説明する 帝位をゆずった益氏の首長は禹の遺志・氏族共同体制を新天地・日本列島で継続することを決意した しかし 老いた益には、中国と日本列島を隔てる大海を小舟で漕いで渡ることができる体力を失っていた そこで 益の孫の王子と若者たちが日本列島に移住することになった(㊟ 「禹」は「う」、「啓」は「けい」、「箕山」は「きざん」と読む。「氏族共同体制」は「国家を樹立せず、多くの氏族が共栄共存し、多くの氏族の中で最も優れた偉大な人物を帝に選ぶ政治体制」である。「世襲王朝国家体制」は「国家を築き、ある特定の家が帝位を世襲する政治体制」である)

『古事記』序と上巻の冒頭は 日本列島における夏音文字の学芸の習得の記述から始まる この「夏音文字の学芸の習得」を『古事記』は「造化参神之首」と記し 新村出『広辞苑』(岩波書店)は「造化の参神」として説明する 「造化の参神」は「前期・中期・後期の縄文時代にあって、土器・土偶などを創造した造化すなわち芸術作品のモデルとなった天頂を通過した銀河とその周辺の銀河」のことである(㊟ 「造化参神之首」は「ぞうか・さんしんのはじめ」、「土偶」は「どぐう」と読む) 

後期縄文時代初頭(夏代初頭) 名門益氏の王子と若者たちは夏音文字の学芸をひろめようとしたが 彼らが話す言葉は縄文人にはチンプンカンプンで理解できなかった しかし 日本列島では前期縄文以来の造化の参神芸術が栄え 世界に類をみない優れた芸術性豊かな土器や土偶を創造していたので 益氏の若者たちが銀河を指差し 地面に絵を画き 身振り手振りで説明する夏音文字の学芸を縄文の芸術家たちには理解できたので 夏音文字の学芸が習得されることとなった(㊟ 益氏の王子は「天祖」と記され、益氏の王子と若者たちの日本列島移住は『日本書紀』神武天皇紀初頭にて〔天祖の降臨説話〕として記述される。また『古事記』上巻の天孫ニニギノミコトの筑紫降臨説話では、帝益の箕山の南の地に隠退した歴史を天孫・大和の大軍が演出して筑紫の宗像氏を脅迫して征服したと記述する。このように『記』『紀』にも益氏の日本列島移住に関する記事は存在する)

現在の学者たちは【文字】は「ことばをあらわす記号」であると思っているが  今から約6000前の三皇時代の起源漢字の結縄 五帝時代の刻木 夏音文字 殷代の契文(甲骨文字) 周代の金文までの象形文字時代における【文字】は【銀河各部の形状】であった だから 縄文の芸術家たちには益氏が説明する夏音文字の学芸を習得できた(㊟ 「結縄」は「けつじょう」、「刻木」は「こくぼく」、「殷」は「いん」、「契文」は「けいぶん」、「象形」は「しょうけい」と読む) 

「銀河」は「銀漢」とも称する 「銀漢から作られた字」を略して「漢字」となった 「漢字」の別名は「文字」、「天に多数の文字ありき」となったゆえ 「夜空」は「天文」と呼ばれるようになった 殷代の契文と周代の金文の大半の字形は【銀河各部の形状】が【文字】であったことを明確に示して その字形は銀河各部の形状に相似するように図案化されている 中国の五経の第一に挙げられる古典『易経』繋辞下伝の漢字起源記事は【銀河各部の形状】が【文字】であったことを伝えて「仰いでは天象を観、俯しては地法を観、鳥獣の文と地宜を観る。(中略)。もって万物の情に類して文字を作った」と説明する この記事の先頭の「天象」は【銀河各部の形状】と意味するものであったのである そして『古事記』の序と上巻の冒頭の「造化の参神」の記事も「【銀河各部の形状】は【文字】であった」と説明するものであったのである(㊟ 「易経」は「えききょう」、「繋辞下伝」は「けいじ・げでん」、「天象」は「てんぞう」、「俯しては「ふして」、「地宜」は「ちぎ」と読む)

中国の正史『新唐書』日本伝に「702年に中国に渡った日本の遣唐使が『わが国には夏音文字がある』と告げた」と記述されているように、『古事記』上巻に〔音〕という注が付く1字1音読みの多数の夏音文字が記載されている また『魏志』倭人伝にも「卑弥呼」はじめとする人名や小国名に用いられて 多くの夏音文字が現存する つまり『魏志』倭人伝は夏音文字の学芸の秘密を後世に伝える  後期弥生時代のわが国における最高水準の学術の実体を知ることができる重大な文献史料だったのである 現在の学者たちの扱い方はあまりにも不当で無理解で無知と言わざるをえない

静岡県浜松市北区細江町の地図の形を 私は「建比良鳥の地上絵」あるいは「建比良鳥の地宜」と名づけた この1千万坪の建比良鳥の地上絵は弥生時代の最高レベルの学術の実体を後世に伝える学術史跡である 建比良鳥の地上絵を学術調査すれば「わが国に夏音文字が伝来していた。【銀河各部の形状】は【文字】であった。『魏志』倭人伝の記事はすべて正しい」」などの事実が科学的に解明でき 卑弥呼王朝の学術レベルが手に取るように明確となる ゆえに 建比良鳥の地上絵は世界的にも最も重大なレベルの文化遺産に数えられる学術史跡である 建比良鳥の地上絵が所蔵する学術は 『魏志』倭人伝のすべての記事に合致する したがって 『魏志』倭人伝もまた卑弥呼王朝が有していた学術レベルを後世に伝える文献史料だったのである だから 『魏志』倭人伝が「東に伸びる日本列島は南に伸びる」と説明する転回地理の記事は誤記ではなく 実在した卑弥呼が夏音文字の天文地理学の知識にもとづいて立論した地理だったのである また34小国名は 各小国の地宜(平面的に図化した地図の形)を【銀河各部の形状】を【文字】とする夏音文字で深く考えて定めた 当時の最高水準の学術を示す史料である(㊟ 「細江」は「ほそえ」、「建比良鳥」は「たけひらとり」と読む)

織田信長、彦根藩初代藩主・井伊直政、徳川家康の三人は 夏音文字の復興と日本建国の”愛”の理念の復興に全情熱を傾けて一生をささげた この”愛”の理念は 『古事記』上巻のイザナキノミコトとイザナミノミコト説話に記述され イザナキノミコトの黄泉国訪問説話末部の千引の石の前にて宣誓された この時 イザナキノミコトは天照大神=黄泉国のイザナミノミコトに離縁を告げて 愛妻イザナミノミコトが提唱した日本建国の”愛”の理念を宣誓した(㊟ 「黄泉国」は「よみのくに」、「千引の石」は「ちびきのいわ」と読む)

井伊直政が没した翌1603年 家康は彦根藩近隣7ヵ国の12大名に動員を命じて助勢させ 建比良鳥の地上絵の3倍の3千万坪の彦根の大鳥の地上絵の作成を着工させ 完成を急がせた 1608年 家康は当時の天才芸術家・小堀正一に 遠州の建比良鳥の地上絵の研究を命じた 以後、小堀正一は「小堀遠州」と号した

家康は没する1年前の1615年 禁中並公家諸法度を制定させた この第1条は「天子諸芸能ノ事、第一御学問也」である この第1条は「天子はこの日本のすべてを創った芸術や工芸や作庭や建築などの技能の根元となる夏音文字の学芸をいちばん大事にして、どうかその復興に努力してくださいませ」という、信長、直政、家康の願望をあらわしていた しかし 3人の願望を聞き入れて夏音文字を復興させると 【銀河各部の形状】を【文字】とする『古事記』上巻に記載された 皇室が至上神と崇拝する皇祖・天照大神が多数の青年と乙女たち(奴婢)を殺してイザナミの墓に埋めた徇葬儀式や イザナミノミコトが提唱した日本建国の”愛”の理念を天照大神が憎悪し 日本建国の”愛”の理念を尊重する王や人民を征討した天照大神の悪政が明らかとなる この史実が暴露されると皇室は滅亡すると恐れて 天子(天皇・上皇)は彦根の大鳥の地上絵に設計されて示された3人の願望を承諾しなかった 上記の禁中並公家諸法度の第1条の「第一御学問也」という文が示すように、家康が小堀遠州に研究を命じた1千万坪の建比良鳥の地上絵と家康が作成を命令した彦根の3千万坪の大鳥の地上絵は ともに『魏志』倭人伝に記載される夏音文字の学芸の学術のレベルを後世に伝える学術史跡だったのである(㊟ 「禁中並公家諸法度」は「きんちゅう・ならびに・くげ・しょはっど」、「奴婢」は「ぬひ」、「徇葬」は「じゅんそう」と読む)

家康は彦根の大鳥の地上絵が未完成の1616年に没した 彦根の大鳥の地上絵に設計される「夏音文字の学芸と日本建国の”愛”の理念の復興の願望」は家康の遺志となり 歴代将軍と江戸幕府が実現しなければならない宿題となった 1622年 20年を費やして彦根の大鳥の地上絵が完成した この1622年 建比良鳥の地上絵の研究を命じられた小堀遠州は近江国奉行に命じられ 彦根の大鳥の地上絵に用いられた夏音文字の学芸知識が不足ないように学習することとなった というのも 翌1623年 遠州は京都の伏見奉行に任命され 時の後水尾天皇に夏音文字の学芸と日本建国の”愛”の理念の復興の承諾を得るための桂離宮の庭園作りに着手することになっていたからである 以来 信長・直政・家康の願望を実現するために 遠州は桂離宮の庭園作りに22年間情熱をそそいだ 1645年に遠州は病床に伏せ 2年後の1647年に伏見奉行の屋敷で没した(㊟ 天皇名「後水尾」は「ごみずのお」と読む)

1629年に後水尾天皇は上皇となった 遠州の存命中 上皇は一度も桂離宮を訪れなかった というのも 桂離宮の庭園作りの目的は皇室の滅亡につながると 上皇は考えたからである 遠州が没してから8年後の1655年 幕府は修学院離宮(京都市左京区修学院町)の庭園を作って 家康を遺志を実現しようとした しかし上皇は頑なに家康の願望を聞き入れなかった(㊟ 「頑な」は「かたくな」と読む) 

新井白石が幕府の政治に参加する1709年から7年におよぶ「正徳の治」が開始された 1716年の徳川吉宗が8代将軍となると白石は追放された その後 白石は西欧近代科学の合理思考を取り入れて『魏志』倭人伝を研究し 『古史通或問』にて「卑弥呼=日御子=神功皇后 邪馬壱国=邪馬台国=大和」と誤読の空論を発表し さらに『外国之事調書』他で「邪馬壱国=邪馬台国=筑後山門」という誤読の空論を発表した そして白石は1725年に没した(㊟ 「正徳の治」は「しょうとく・の・ち」、「古史通或問」は「こしつうわくもん」、「外国之事調書」は「がいこくのことしらべしょ」、「邪馬壱国」は「やまいこく」と読む) 

白石が傲慢な単純化をして「邪馬壱国」を「邪馬台国」・「卑弥呼」を「日御子」と強引に変える【誤読】を用いる学論の登場に 時の皇室も幕府も愕然とした このような【誤読】の空論は 夏音文字の学芸を抹殺して消滅することになる 天皇政治も武家政治も日本文化も夏音文字の学芸を基盤として成立するものであった 白石の邪馬台国説は皇室どころか日本を屋台骨から滅亡させる暴論である ついに白石の死から13年後の1738年、 造化の参神から始まる日本を根底から滅亡することは絶対にできない 皇室の滅亡は覚悟の上だと決意した霊元上皇は将軍吉宗の協力を得て 大嘗会を本格的に復興して 即位する天皇の頭上に高々と掲げる王冠(菅蓋)の意匠で 彦根の大鳥の地上絵に設計された信長・直政・家康の願望を聞き入れた 天皇の王冠の上の飾りは『魏志』倭人伝の記事はすべて正しいと表示する建比良鳥の形で表現され 日本建国の”愛”の理念はイザナミノミコトを象徴する神具の水器の蓋で造形表現された この天皇の王冠の意匠の上の飾りは 小堀遠州が作った桂離宮の庭園における天の橋立より北側の建比良鳥の形に設計される庭園から作られた 天皇の王冠の下の飾りはイザナミノミコトの本名「竹野比売」をあらわす美しい「笹垣」と建比良鳥の形をした庭園の西側にある対岸の「菅笠」の形に設計した庭園から発案された(㊟ 「傲慢」は「ごうまん」、「愕然」は「がくぜん」、「霊元」は「ていげん」、「大嘗会」は「だいじょうえ」、「菅蓋」は「かんがい」、「水器の蓋」は「すいきのふた」、「竹野比売」は「たかのひめ」、「笹垣」は「ささがき」、「菅笠」は「すげかさ」と読む)

小堀遠州が作った桂離宮の庭園の池の中心より東北にある「天の橋立」は 築島が二つの橋で結ばれて三段に折れる この三段に折れる築島のうち 最初と二つ目の築島は東へ向くが三つ目の築島は転回して南へ伸び 『魏志』倭人伝が「日本列島は東に伸びないで、南に伸びる」と説明する転回倭地理を表現している そして桂離宮の庭園は【銀河各部の形状】を【文字】と定めれば すべての漢字の字源が解明できるように設計されている(㊟ 「築島」は「つきしま」と読む)

ノーベル賞を受賞した理論物理学者の湯川秀樹博士が先駆者となって 1980年代 欧米の先端科学者や科学論家たちは 白石が取り入れた西欧近代科学の考え方には「 傲慢な単純化、無秩序から秩序を創造できない、複雑であることに意味のある事実を理解せずに否定する、事実や真実の成立には偶然も重大な役割をはたすことが理解できないなど、誤りや欠点を有する不完全な考え方である」と いくつかの国際会議を開いて世界に警告した(㊟ 「傲慢」は「ごうまん」と読む) 

現在 世界にいたるところで あるいはいろいろな問題で 西欧近代科学の合理思考は廃れて衰退するようになり 先端科学者たちが活路を求めた超合理思考が世界を支配しはじめている 超合理思考は『魏志』倭人伝に記述された夏音文字の学芸すなわち【銀河各部の形状】を【文字】とした学芸の理論体系においてすでに確立されていた 21世紀は信長・直政・家康が復興を願望した夏音文字の学芸が有する超合理思考が栄える時代となったのである ということは西欧近代科学の傲慢な単純化の魔術(トリック)を用いて【誤読】を正当化するデタラメの邪馬台国説をさっさと廃棄しなければ 近い将来 日本は衰退しはじめ ある時期に勝利を謳歌する超合理思考の取り入れの遅れが原因となって一気に滅亡のらせん階段を転げ落ちてゆくにちがいない(㊟ 「廃れ」は「すたれ」、「謳歌」は「おうか」と読む)

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