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2011年10月 2日 (日)

彦根市の3千万坪の大鳥の地上絵の頭部は織田信長をあらわす❶ 日本古代の巨大な鳥の地上絵・8

織田信長、彦根藩初代藩主の井伊直政、徳川家康の三人は、夏音文字の学芸を復興して日本国誕生史の真実を後世永遠に保存し、日本建国の”愛”の理念を国家理念にしようという願望を胸に秘め、この願望の実現に命をささげた。

しかし、この3人の願望を聞き入れると、『古事記』のイザナキノミコトの黄泉国訪問説話に記述された皇祖・天照大神(黄泉国のイザナミノミコト)が多数の青年と乙女たちを殺してイザナミノミコトの墓(熊野本宮大社の旧社地・大斎原)に埋めた残虐な徇葬儀式を決行した歴史が人民に知れることになるので、この人民の怒り・憎悪によって皇室は滅亡すると恐れた天皇家はどうしても3人の願望を聞き入れるわけにはいかなかった。(㊟ 「黄泉」は「よみ」、「大斎原」は「おおゆのはら」、「徇葬」は「じゅんそう」と読む)。

この日本国誕生史を消滅せんとする王朝側と消滅させまいとする人民勢力側の対立は、『魏志』倭人伝末部に「247年頃、卑弥呼の墓に百余人の青年と乙女たち(つまり、奴婢)を殺して埋めた徇葬儀式を憎悪して立ち上がった人民を倭王朝が千余人殺した」書かれる反乱から始まり、つづいて倭女王壱与・イザナミノミコトが没した時に徇葬を決行した皇祖・天照大神がまたイザナキノミコトと日本軍・熊野に住む徐福の子孫たちが反乱して倭の大軍を撃破した黄泉比良坂の坂本の乱があり、以来、17世紀の家康の時代まで続いた日本古代史における最大の問題であったのである。(㊟ 「奴婢」は「ぬひ」、「黄泉比良坂」は「よもつひらさか」と読む)。

彦根市の3千万坪の大鳥の地上絵は、「日本建国の”愛”の理念は日本国の理想としなければならない”と夢見る信長、直政、家康が、その夢に全情熱をそそいで実現しようとした願望を明確に示す史跡である。

徳川軍最強の軍団と敵から恐れられた”井伊の赤備え”の大将・井伊直政は、関ヶ原で島津隊から受けた鉄砲傷が悪化して、1602年に死去した。

翌1603年、家康は信長と直政と自らの願望をあらわす地上絵の制作を決意した。かくして、20年後の1622年に彦根の3千万坪の大鳥の地上絵は完成した。家康は1616年に没したゆえ、彦根の大鳥の地上絵の完成を見ていない。

信長・直政・家康の夏音文字の学芸と日本建国の”愛”の理念の願望は家康が”是が非でも実現しなければならない”と命じる遺言となり、この実現は歴代将軍と江戸幕府が必ず達成しなければならない宿題となった。家康の死から122年後の1738年、ついに霊元上皇は大嘗会を本格的に復興して3人の願望を、即位する天皇の王冠(菅蓋)の意匠にした。かくして、3人の夢と願望は即位する天皇の頭上に掲げられることとなった。なんと、卑弥呼の墓を作った時の徇葬儀式を憎悪して人民が立ち上がった時から人民の願いが聞き入れられた天皇の王冠まで、およそ1500年の長い歳月が経過した。(㊟ 「大嘗会」は「だいじょうえ」、「菅蓋」は「かんがい」と読む)。

この日本国誕生史の復興の願いは『万葉集』の書名となり、「万歳に窮みなく、千葉に相伝えん」と1500年に及ぶ先人たちの熱い願いとなり、日本民族の熱い魂の根源となった。(㊟ 「窮み」は「きわみ」、「千葉」は「せんよう」、「相伝えん」は「あいつたえん」と読む)。

しかし、人民の熱い願いが天皇の王冠の意匠で表示さることになった、この時、西欧近代科学の合理思考を取り入れた新井白石が『古史通或問』を著作して、【『魏志』倭人伝の記事を勝手に曲げて読んでよい】とする【誤読】の方法を用いて「邪馬台国は大和である」と発表した。どうも、霊元上皇は白石が取り入れた西欧の考え方だと夏音文字が伝来した万歳(約4000年)に及ぶ最も大事な歴史が廃棄されてしまい、皇室どころか日本国・日本民族が消滅すると恐れて、家康・歴代将軍・江戸幕府の要求を聞き入れたのではあるまいか(㊟ 「古代通或問は「こしつうわくもん」と読む)。

この白石から始まる邪馬台国説の思考基盤である【誤読の方法】は、現在【文献批判】という名がつく。

戦後、早稲田大学の津田左右吉教授が【歴史は支配者の所有物であると先入観にもとづく、誤読の方法】を駆使して「『記』の『紀』に記述される日本神話は史実を伝えない虚構の産物である」と考えた日本神話虚構説が日本古代史学の定説となった。

1980年代、ノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士が先駆者となり、「デカルトから始まる西欧近代科学の合理思考は【①傲慢(ごうまん)な単純化をする、②無秩序から秩序を創造できない、③複雑であること、混沌(こんとん)としていることに意味があることが理解できず排除する、④偶然が重要な役割をはたすことが理解できず、偶然によって成立した事実を排除し否定する】などの誤り・欠点を有する」と、先端科学者と科学論家たちは幾つかの国際会議を開いて世界に警告した。

白石から始まる西欧近代科学の産物【文献批判】から生まれた邪馬台国説は、明確に【傲慢な単純化にもとづく誤読の空論】である。この証明は、3世紀後半に制作された1千万坪の建比良鳥の地上絵と17世紀前半に制作された3千万坪の彦根市の大鳥の地上絵を学術調査すれば、科学的に明確に証明される。

【文献批判】の産物である邪馬台国説と日本神話虚構説を主張する学者たちは「なぜ『魏志』倭人伝と『古事記』上巻の記事を1ヵ所も曲げないで忠実に読む方法は誤っているのか、なぜ【誤読】(文献批判)する方法が正しいのか」、その理由をいまだキチッと説明してない。このように、なすべきことをおこなっていない邪馬台国学者と日本神話虚構説学者の怠慢を先端科学者たちは「傲慢な単純化である」と指摘したのである。

建比良鳥の地上絵と彦根の大鳥の地上絵を学術調査すれば――『魏志』倭人伝の記事はすべて正しく歴史の事実を伝える、『古事記』上巻は漢字の起源の秘密に気づき【文字】であった【銀河の各部の形状】によって真実の歴史が解明できる仕組みになっている――ことが科学的に具体的に証明される。

建比良鳥の地上絵と彦根の大鳥の地上絵によって、邪馬台国説と日本神話虚構説は1500年に及んで先人たちが命を賭けて後世に残した日本国誕生史の真実を抹殺し、日本民族の熱い魂を凌辱(りょうじょく)するウソ八百であると証明される。

なぜならば、史跡によって『魏志』倭人伝と『古事記』上巻の記述には誤りが無いと証明されると、それは否定できない絶対的な真実となるからである。

また、同時に白石以来280年も費やしても邪馬台国説が解決できないのは、思考基盤の【文献批判】が【傲慢な単純化による誤読】であったことが原因であると証明される。

邪馬台国説学者と日本神話虚構説学者は「なぜ文献を誤読して良いのか」、この根本的な歴史学の思考原則の説明を強引に省略する。ゆえに、両説は先端科学者たちが世界に警告した【傲慢な単純化の産物】だったのである。

このままだと、日本は【誤読の空論】のために滅亡へ向かって転げおちてゆくことになる。だから、彦根3千万坪の大鳥の地上絵で日本滅亡を食い止めなければならない。

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