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2011年11月14日 (月)

枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は”世界の文字は銀河から作られた”と証言する・2 

 京都市右京区竜安寺御陵下町に所在する竜安寺(りょうあんじ)は、臨済宗(りんざいしゅう)妙心寺(みょうしんじ)派の寺院である。
 この臨済宗妙心寺派は皇室に協力する天台宗の本山・比叡山延暦寺(滋賀県大津市坂本本町)に対抗して、夏音文字の学芸と日本建国の”愛”の理念の保存に努力した。
 というのも、夏音文字の学芸の秘密が解明されると『古事記』上巻に記述された皇室が崇拝する皇祖・天照大御神が日本建国の”愛”の理念を憎悪・敵視しておこなった数々の悪政が明らかになるので、皇室は夏音文字の学芸と日本建国の”愛”の理念の抹殺(まっさつ)に躍起となり、この皇室の政策に延暦寺が協力して夏音文字の学芸と日本建国の”愛”の理念の消滅をはかったからである。 

 延暦寺は仏がもと=本地(ほんち)で、神は仏が姿をかえて現れた垂迹(すいじゃく)とする「本地垂迹説」をとなえ、皇祖・天照大御神の本地は密教の本尊の大日如来(だいにちにょらい)であり、伊耶那美命の本地は千手観音であると定めて、『古事記』上巻に記述された日本国誕生史の真相の消滅をはかった。 

 『魏志倭人伝』と同時代(3世紀後半)に作成された1千万坪の建比良鳥(たけひらとり)の地上絵は、現在、静岡県浜松市北区細江町の行政区域を表示する地図の形である。この細江町の北側に引佐(いなさ)町が隣接する。この引佐町の井伊谷(いいのや)に所在する龍潭寺(りょうたんじ)は 臨済宗妙心寺派の寺であり、滋賀県彦根市の井伊家の菩提寺である。 
 井伊氏は1601年に彦根に移住したが、それ以前は井伊谷に居住して夏音文字の学芸と日本建国の”愛”の理念を後世に伝えるために作成した史跡・建比良鳥の地上絵が失われないように守っていた。
 井伊氏が移住した現在の彦根市の行政区域の地図の形は3千万坪の大鳥の地上絵である。この彦根市にも井伊谷と同じ名の龍潭寺があり、 この龍潭寺もまた臨済宗妙心寺派の寺院である。彦根市の龍潭寺は1617年に井伊直孝(なおたか)が建立し、近郊に多くの末寺をかかえ、学僧が学んだ大道場であった。
 3千万坪の大鳥の地上絵は、彦根藩が徳川家康の命令で1603年から1622年までの20年間を費やして作成された。この家康は駿府(現在の静岡市)の今川義元の人質となって、8歳から14歳まで義元の軍師・大原雪斎(たいげんせっさい)に学問を学んだ。雪斎は家康を義元が天下を取った時の補佐役にするために、夏音文字の学芸と日本国誕生史を教育した。 ゆえに、家康は夏音文字の学芸と日本建国の”愛”の理念の復興に全情熱をかたむける生涯をおくった。家康の幼名は「竹千代」であり、雪斎が住職であった静岡市の臨済寺には「竹千代手習(てならい)の間」があった。この静岡市の臨済寺もまた臨済宗妙心寺派の寺であり、雪斎は臨済宗妙心寺派の高僧であった。

 京都市に所在する竜安寺は、衣笠山を背後にひかえ、風趣に富む鏡容池(きょうようち)が広がる境内の北の石段を登ったところに、方丈(ほうじょう)や庫裏(くり)が建つ。
 方丈の南側にある枯山水の平庭が有名な石庭(せきてい)である。
 白砂の平庭に、大小15の石が5群に配置される。
 石庭の広さは、75坪である。

 この白砂の石庭と5群の石組は、すべての漢字が作られた「秋の銀河」と「夏の銀河」各部の形状をあらわす仕組みになっている。すべての漢字の字源が解明できる基本字は、1400字前後といわれる。
 竜安寺の石庭と5群の石組は、すべての漢字が作られた天象(すなわち「秋の銀河と夏の銀河の各部の形状」)に見立てることができるように造形され配置される。
 だから、石庭はすべての字源が解明できるように設計されている。

 左に表示した幻冬舎ルネッサンスから出版された拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』の資料Bの銀河の写真は、すべての漢字の字源が解明できる「秋の銀河」と「夏の銀河」の写真である。巨大な「夏の銀河」を、私は「夏の銀河の東北部」と「夏の銀河の西南部」に二分した。「秋の銀河」と「夏の銀河の東北部」は連結している。この「秋の銀河・夏の銀河の東北部」から、古代エジプトのヒエログリフ、ABC・アルファベットのルーツとされるワディ・エル・ホル文字、原シナイ文字、フェニキア文字が作られた。 

 すべてのヒエログリフはじめ、ワディ・エル・ホル文字・原シナイ文字・フェニキア文字のすべてのアルファベットが解明できると、すべてのABC・アルファベットの字源を解明したことになる。今日、ABC・アルファベットは世界の70ヵ国以上の公用語の文字として使われ、 漢字は世界最大の人口を有する中国はじめ日本と韓国で使われる。
 ゆえに、竜安寺の石庭は世界の7割から8割の人々が話す言葉をあらわす文字の字源が解明できる仕組みになっていることになる。

 中国の五経の第一に挙げられる古典『易経』繋辞(けいじ)下伝に、漢字の起源の秘密を説明する記事があり、この文は下記のごとくである。
 「仰いでは天象(てんぞう)を観、俯しては地法を観、鳥獣の文と地宜(ちぎ)を観る。(中略)。もって万物の情に類して文字を作った。」
 この文中にある「仰いでは天象を観る」の「天象」は「秋の銀河と夏の銀河」のことである。

 石庭の5群の石組のいちばん東側にある第1群の石は最大で、庭全体の主石の役割をはたす。この最大の石を正面からとらえると、その形は「真上の天(天頂)を仰ぐ僧侶の横顔」となっており、「仰いで天象を観る」という文をあらわしている。
 石庭は俗に”虎の子渡しの庭”とも呼ばれる。第1群の大石の形は”虎の横顔”にも相似し、庭中央に配置される〔横三尊〕とと呼ばれる第3群の主石・大石は”天を仰ぐ虎の子の横顔”に相似する。ゆえに 第1群と第3群の両群の大石は”虎の子渡し”をあらわし、第3群の大石も「仰いでは天象を観る」という文をあらすものとなる。
 いちばん西側にある第5群の大石の形も、「仰いでは天象を観る」をあらわして天を仰ぐ人の横顔に相似する。第5群は大石1個と小石2個で組まれる。大石と南側の小石は連結するように配置され、大石と北側の小石は離れている。ゆえに大石と連結するように配置される南側の小石は、一本の頭に角(つの・南側の小石)がはえる鬼の横顔に観える。

 上記の『易経』繋辞下伝の漢字起源記事に登場する「地法」は「西から東へと下る黄河と長江の水の流れがあらわす法則」である。ゆえに、方丈の間から俯して(見下ろして)見える石庭を黄河と長江に見立てれば、「石庭」は「地法」をあらわすことになる。

 上記の漢字起源記事に登場する「鳥獣の文」は、”漢字の始祖”と崇拝された約5000年前の五帝時代初頭の黄帝につかえた倉頡(そうきつ)が発明した〔漢字作成原理の名称〕である。この漢字作成原理のモデルは子ども生む女性の生殖器である。
 漢字が作られた銀河全域には、4ヵ所「鳥獣の文」に見立てることができる銀河がある。
 この4ヵ所の銀河部の形状は――①子宮、②娩出期(べんしゅつき)の頭が誕生した胎児と子宮、③産道、④円く突き出た妊婦のおなかと子宮・胎児の姿に観える。
 ゆえに 倉頡は〔女性が子どもを生むように銀河各部の形状を図案化すれば万物の形状に類似する文字を生むことができる〕という漢字作成方法を発明した。
 女性の生殖器の側面形は〔鳥の姿〕に相似し、子宮に宿る胎児は〔獣〕の姿に相似し、 ①の〔子宮〕に見立てられる銀河部位は〔女体〕にそっくりの銀河部の子宮に相当する箇所にあり、この女体に見える銀河部は[文]の字源となった。だから、倉頡が発明した漢字作成原理の名称は「鳥獣の文」となった。
 第1群の大石は上記の④円く突きでた妊婦のおなかのようにも観え、中央の横三尊の第3群の石組は①子宮、②娩出期の胎児と子宮、③参道に見立てられるように造形される。 

 そして、上記の漢字起源説明記事に登場する「地宜」は「まな板のように平面的に図化した地図の形」である。ゆえに、石庭はまな板のように平らな庭であるので 「石庭」は「地宜」をあらわすことになる。

 漢字は字源・字形・字義・字音とで構成される。このうち、字音を除く字源・字形・字義(本義)は【銀河各部の形状】によって成立した。
 すべての字源は天象、地法、鳥獣の文、地宜の四つの要素で成立するものであるが、 ほとんどの字形は天象すなわち銀河各部の形状を図案化したものである。字源となった字義は天象、地法、鳥獣の文、地宜の4つの要素によって成立するが、地法、鳥獣の文、地宜の3つはもっぱら字義となり、字形に影響を与えたものは少なからずあるが、字形そのものとなって図案化された事例はごく少量である。

 『易経』繋辞上伝に、すべての漢字の字源を解明できる基礎知識が記載される。この記事は下記のごとくである。
 「易は天地と準(なぞら)う。ゆえによく天地の道と弥綸(びりん)す。仰いでもって天文を観、俯してもって地理を察す」
 上記のすべての字源が解明できる基礎知識は、中国地図に表示される中国全土を洩れなく包みこむ海岸線の形(地宜)をあらわしている。文中の「弥綸」という語は「洩れなく包みこむ」という意味である。 

 方丈の間や縁側から石庭を見学するが、西端の第5群は中国北部、東端の第1群は中国南部をあらわし、5群の石組を線でつなぐと、中国全土の海岸線(沿岸地域)の地図の概略形を表示することになる。見学者が居る方丈の間や縁側は中国の内陸部に相当する。
 石庭の平面図の西側を上にし東側に下にすると、第5群の石組は北京・天津地方の中国北部に相当し、第4群の石組は山東半島付近に相当し 第3群・第2群・第1群の石組を線で結ぶと円弧を描いて弓の形になって山東半島の付け根から中国南端までの海岸線の地図に表示される概略形に符合する。
 この中国全土を弥綸する海岸線の形は人(僧侶)の横顔・虎の横顔のごとくに観える。この僧侶の虎の容貌(顔かたち)に観える中国全土を弥綸する海岸線の形は地図の場合は右に向くが、石庭の横顔は鏡で映すかのごとく左に向く。ゆえに、竜安寺の境内にある池の名は[鏡]の字を配する「鏡容池」である。

 「弥綸」の[弥]の字源銀河は「北天の最輝部(さいきぶ)」である。
 「北天の最輝部」というのは「北半球の地に住む人々が見える銀河の範囲において、最も輝いて見える銀河部」のことである。
 この北天の銀河部は、私が「人の横顔に酷似(こくじ)する銀河」と名づけた額(ひたい)の部分に在る。「人の横顔に酷似する銀河」は白鳥座の中心部が漬(つ)かる。「白鳥座のγ(ガンマ)星から南の白鳥座の28、29、36と番号がつく星たちがある銀河部」が[弥]の字源「北天の最輝部」がある箇所となる。
 この「北天の最輝部」は〔銀白色〕に輝く。つまり、銀白色に輝く[弥]の字源「北天の最輝部」から「天の川」は「銀河」または「銀漢」と呼ばれることになったのである。
 「銀漢から作られた字」を略して「漢字」と称されることになった。
「漢字」は「文字」とも称されたため「天に多くの文字ありき」となったので略して「天文」となった。
 漢字は銀河から作られたため、殷(いん)代の甲骨文字や周代前半から出現した金文や周代後半から出現した篆文(てんぶん)の字形は銀河各部の形状に相似するように図案化された。
 竜安寺の石庭は白砂が全面に敷かれる。この「白砂」は銀白色に輝く[弥]の字源「北天の最輝部」をあらわしている。

 日本には今から約4050年前の夏代初頭(縄文後期初頭)に、【天象・銀河各部の形状】を【文字】とする夏音文字が伝来した。だから、漢字の起源の秘密とすべての漢字の字源が解明できる基礎知識を表現するとともに、すべての漢字が作られた銀河各部の形状を5群・15個の石で表現する芸術性豊かな竜安寺の枯山水の石庭が作られることになった。

 この竜安寺の石庭はイメージ(直接感覚的知性)で考える右脳ですべての字源をキャッチする仕組みになっている。中国では芸術を創造する右脳でキャッチして字源を知る竜安寺の石庭のような庭が作られなかった。
 というのも、『古事記』序と上巻の冒頭に登場する「造化(ぞうか)の参神(さんしん)」は要するに芸術性豊かな土器・土偶などを作った「前期・中期・後期縄文時代に天頂にめぐってきた銀河部を造形表現した芸術の神」であり、中国から伝来した夏音文字の学芸は縄文の芸術家によって習得された歴史から出発するものであったので、わが国には芸術的に表現される竜安寺の石庭のような史跡が存在することになった。いっぽう 中国においては、紀元前3世紀の秦の始皇帝の時代の隷書の出現によって原初漢字・夏音文字がまったく廃絶されて不明となり、左脳が扱う言葉をあらわす文字で漢字は銀河から作られた秘密を伝える『老子』上篇(道経)や文字で字源を解説する字書の聖典『説文解字』が著作された。
 現在の文字は「ことばをあらわす記号」である。このように、中国の文字は夏音文字を失って「ことばをあらわす記号化」が推進されることになったゆえ、複雑な視覚パターンの認識や処理に優れる右脳で【銀河各部の形状】を【文字】とした原初漢字の伝統をまもる必要が無くなった。このため、原初漢字の伝統を伝える右脳で字源をキャッチする施設が中国では作られなかったのである。
 ところが、わが国では『古事記』上巻に記述された日本建国の”愛”の理念を憎悪・敵視した皇祖天照大御神がおこなった悪政は夏音文字によって解明できる仕組みになった。 それゆえ、皇室は夏音文字をなんとしても抹殺せんとした。 日本国誕生史の真相は【銀河各部の形状】を【文字】とする原初漢字の夏音文字で伝えるものであったので、日本国誕生史の真相は夏音文字を保存して後世に伝える――この方法しか存在しなかった。 ゆえに、先人たちは皇室に抵抗して後世に日本建国の”愛”の理念を伝えるために夏音文字を存続させた。この結果、18世紀まで夏音文字は保存された。だから、夏音文字の史跡や史料が現在も幾つか残ることになったのである。  

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