枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は”世界の文字は銀河から作られた”と証言する・1
日本古代史は、銀河の腕(かいな)に抱かれる歴史である。
このため、世界の古代文字の起源の秘密を科学的に解明できる史跡が多数残された。
「銀河」は「銀漢」とも呼ばれるゆえ、「銀漢から作られた字」略して「漢字」となった。
「多数の漢字」の総称は「文字」となり、「天に多くの文字ありき」となった。ゆえに、銀河が輝く「夜空」は、「天に多数の文字あるき」を略して「天文」と呼ばれた。
漢字は銀河から作られたものであったため、今から約3300年前頃の殷(いん)代後半から出現した甲骨文字と約3050年前頃の周代から出現した金文や周代後半から出現した篆文(てんぶん)などの古代象形漢字の字形は、銀河各部の形状に相似するように図案化された。
しかし、中国はじめ日本においても、また世界中探しても、星座には名称が存在するが、星座よりもずっと明確な形をしている銀河各部には名称が存在しない。
というのも、中国でもエジプトはじめ世界の各地の王たちは、一様に、銀河から作られた文字を強大な権力と莫大な富を手に入れる方法としたからである。
いいかえると、文字の発明によって天文学が確立され暦を作って豊かな農作物を収穫できるようになり、また銀河から創造された文字の学術が高い知性となって科学や数学や芸術と文化が発展し、天と地の神への崇拝にともなって人民に王を畏敬(いけい)させることもできるので、国家が繁栄し人民は豊かで平和な生活をいとなむことができた。
このように、銀河から作られた文字は王の強大な権力と莫大な富の基盤となった。だから、世界の古代王と歴代王朝は文字の起源と字源の秘密を厳重な機密として独占管理した。
世界の古代王たちは一様に文字が銀河から作られた秘密をまもるために、銀河各部に名称をつけなかった。この政策によって、銀河から文字が作られた学術と造形芸術の秘密を反体制側の人たちや人民に気づかれないようにしたのである。また、この秘密に気づいた人物は王朝・体制側に組み入れ、この体制側に組み入れることを拒(こば)み抵抗して文字は銀河から作らた秘密を明らかにしようとする人物は即刻死刑にした。
古代エジプトの聖刻文字(ヒエログリフ)は、今から約5100年前頃、突然、完成した形で出現した。それ以前は、【銀河各部の形状】が【文字】であったのである。
つまり、エジプトでは、今から約5100年前、【銀河各部の形状から作られた図案(図書)】を【文字】とする文字革命が起きた。だから、突然、完成した形で絵文字・ヒエログリフが出現することになった。古代エジプトには、「文字は銀河から作られた」と記述する文献史料は存在しない。 しかし、古代エジプトでは天文学はじめ幾つかの学術と芸術が発達し、「ヒエログリフは、神のことばを文字にしたもの」と伝えられた。
古代エジプトの神々の姿は古代において天頂した銀河の形状に相似する。だから ヒエログリフは漢字と同様に銀河から図案されたにちがいない。
世界でただ一つ、”文字が銀河から作られた”と伝える文献史料が中国にある。
中国の五経の第一に挙げられる『易経』繋辞(けいじ)下伝は、漢字が銀河から作られた秘密を下記のごとく伝える。
「仰いでは天象を観、俯しては地法を観、鳥獣の文と地宜(ちぎ)を観る。(中略)。もって万物の情に類して文字を作った。」
この文中の「天象」は、「銀河各部の形状」を意味した。だから、原初漢字においてはヒエログリフと同じく【銀河各部の形状】が【文字】であった。
上記のすべての漢字が作られた銀河の範囲については、左に示した幻冬舎ルネッサンスから出版した拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』の資料Bに示した。
『魏志倭人伝』末部の魏の正始8年(247年)の記事の後の文は、下記のように説明する。
「卑弥呼はすでに死んだ。大きな墓を作った。円墳部の直径は百余歩(約150m)。百余人の奴婢(ぬひ)を殺して卑弥呼の墓に埋葬する徇葬(じゅんそう)が決行された。卑弥呼の後に男王が倭の大王に就任したが、徇葬を憎悪する人民が倭の大王に服従せずに武器を持って反乱したため、倭王朝は千余人の反乱者たちを殺した。また、倭王朝は13才で小国・日本の女王に就任させた壱与(いよ)を倭女王に就任させると、ついに反乱は終息されて倭国は安定した。」
この小国・日本の女王の壱与は、国作りの柱を”愛”と定め、人民に”愛”を尊重するように熱心に説いた。だから、倭の反乱者たちは壱与が倭女王に就任すれば、必ず残酷な徇葬を禁止するにちがいないと信じて武器を捨てた。ゆえに、倭の動乱は終息した。
壱与は『魏志倭人伝』に記載される小国「伊耶(いや)国(旧国・丹波)」出身者であった。このため、小国・日本の人民は「伊耶国の美しい女王」と讃(たた)えて、彼女を”伊耶那美命(いざなみのみこと)”と愛称した。 また、ももともと壱与は倭の小国・伊耶国生まれであるということで、倭の人民も彼女を誇りして”伊耶那美命”と愛称して敬愛したのである。
壱与・伊耶那美命が小国・日本の国作りの柱となった”愛”は、日本建国の理念となった。
壱与・伊耶那美命は250年頃に没したと考えられる。伊耶那美命の後を継いで、天照大神が倭女王に就任した。天照大御神は、伊耶那美命が提唱した日本建国の”愛”の理念を憎悪した。伊耶那美命の墓は、熊野本宮大社の旧社地の大斎原(おおゆのはら)に築造され、天照大御神は多数の奴婢を殺して伊耶那美命の陵墓に埋葬する徇葬を決行した。
これゆえ、『古事記』上巻は、徇葬を陣頭指揮した「天照大御神」を「黄泉国(よみのくに)の伊耶那美命」と記述した。したがって、「黄泉国」は「多数の徇葬者が殺されて埋葬された伊耶那美命の陵墓が築造された熊野本宮大社の旧社地の大斎原とその周辺地域」であった。
伊耶那美命と天照大御神の夫は、小国・日本の軍王(いくさのおおききみ)の伊耶那岐命(いざなきのみこと)である。伊耶那岐命は日本軍の兵士とともに伊耶那美命の死体を納める棺を略奪(りゃくだつ)し、一行は熊野路を南に向かって逃走し、天照大御神が追跡を命令した倭の大軍を熊野速玉大社の境内(和歌山県新宮市新宮)で撃破した。
”夫憎し”と嫉妬に狂った天照大御神は伊耶那岐命一行を追跡して捕えられ、夫がいる速玉大社の真南に位置する神倉神社(和歌山県新宮市磐盾町)の参道をふさぐ巨岩・千引(ちびき)の石(いわ)・ごとびき岩の前に連行された。
この捕虜となった天照大御神と伊耶那岐命が向かい合ったとき、 伊耶那岐命は離縁を告げた。
この離縁の言に怒りが頂点に達した天照大御神は、「このような無法なひどい謀反は絶対にゆるしません。必ずあなたの小国・日本の人民を一日に千人の首を絞(し)め殺すように、我は呪(のろ)い祟(たた)ってみせます」と誓った。
この天照大御神の呪詛(じゅそ)の言に、伊耶那岐命は「おまえが日本の人民を一日に千人も祟り殺すならば、吾は一日に千五百の産屋(うぶや)が立つようにする」と宣誓した。
この伊耶那岐命の宣誓は、伊耶那美命が提唱した日本建国の”愛”の理念を受け継いで、男女が愛し合って多数の子どもを生み。子どもをが愛して育てることを熱心に説く政事をおこなうと決意を表明したものである――この歴史は、『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話に記述されている。
『古事記』中巻の9代・開化天皇紀は「天皇は春日(かすが)の伊耶河宮(いざかわのみや)に住んで天下を治めた。この天皇が丹波の大県主(おおあがたぬし)の由碁理(ゆごり)の娘の竹野比売(たかのひめ)と結婚した。また継母の伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)と結婚して生まれた子が崇神(すじん)天皇(10代)である」と記述する。
この開化天皇が居住した「伊耶河宮」と、「伊耶那美命」・「伊耶那岐命」の先頭2字は同じ「伊耶」で合致する。だから、「開化天皇」は「伊耶那岐命」であり、開化天皇の正妃の丹波の由碁理の娘の「竹野比売」は「伊耶那美命・壱与(壱与は夏音名)」の本名であり、大和朝廷の基礎を築いた崇神帝の生母にして開化帝の継母の「伊迦賀色許売命」が「天照大御神」であったことになる。
上記の千引の石の前にて伊耶那岐命と天照大御神が離縁して二人が誓いあった歴史を、中国の正史『新唐書』日本伝は――702年に中国に渡った日本の遣唐使は「後稍(のちやや)夏音(かおん)を習う。倭の名を悪(にく)み、あらためて日本と号す。使者自ら言う、国日の出ずる所に近し、ゆえに名となすと。あるいはいう、日本はすなわち小国、倭の并(あわ)す所となる、ゆえにその号を冒せりと」と告げた――と記述する。
この文中の「倭の名を悪み、あらためて日本と号す」は「卑弥呼と壱与の墓を作った時におこなった徇葬を憎悪し、”愛”の理念が提唱された小国・日本の国号に改められた」と意味するものであった。また「日本はすなわち小国、倭の并わす所となる」と説明した小国・日本と大国・倭を併合して「倭国」としたのは、開化天皇・伊耶那岐命ということになる。
『魏志倭人伝』に記載される「卑弥呼」「壱与」はじめとする人名や「伊耶国」などの小国名に用いられる文字は、今から約4050年前の夏代初頭(わが国の縄文後期初頭)にわが国に伝来した夏音文字であった。卑弥呼と天照大御神は、夏音文字の学芸に精通していた。672年の壬申(じんしん)の乱の後、天武天皇と持統天皇は強大な権力と武力を手に入れて、大和朝廷の基礎を築いた天照大御神を皇室が崇拝する至上神・皇祖と定めた。
この皇祖・天照大御神は残虐な徇葬を決行し、千引の石の前の誓いとおりに小国・日本の人民を弾圧(だんあつ)し、伊耶那美命を崇拝し日本建国の”愛”の理念を尊重する出雲王朝の大国主神や九州宗像(むなかた)王の天菩比命(あめのほひのみこと)の王朝を武力行使して征服した。
このような天照大御神がおこなった悪政の歴史は、【銀河各部の形状】が【文字】となる夏音文字を糸口にして【すべての漢字の字源・字義】は【銀河各部の形状】であると気づけば読解できる方法を用いて記述された。
ゆえに、夏音文字を抹殺(まっさつ)すれば天照大御神の悪政は後世に伝わらない。しかし、天照大御神は夏音文字に精通したため、強大な権力と武力を手に入れることができた。
こうした事情から、天武・持統の両天皇は「天照大御神は夏音文字に精通する聡明な女性であったゆえ、大和朝廷の基礎を築くことができたと伝える歴史書を作れ。徇葬を決行した事績や日本建国の”愛”の理念を憎悪して行ったなど、天照大御神の聖性を汚すすべての事績を削除(さくじょ)するところの偽の歴史書を作成せよ」と、歴史書編纂スタッフに命令した。
この偽書作成命令を、上記の『新唐書』日本伝が記載するように、702年の日本の遣唐使は「後稍夏音を習う」と中国王朝に伝えた。したがって「後稍夏音を習う」という発言は、「壬申の乱の後、稍(少しだけ)夏音文字を復興せよ」と意味した。
10年後の712年に完成した『古事記』の上巻には、天照大御神の徇葬決行と千引の石の前で呪詛した日本建国の”愛”の理念への憎悪や出雲・宗像両王朝の征服などが記述されている。歴史書編纂スタッフは「後稍夏音を習う」という偽書作成命令を逆手(さかて)にとって、命を賭けて真実の歴史を残した。だから、『古事記』は献呈拒絶されて正史になれずに野史(やし)となった。このため、正史『続日本紀(しょくにほんんぎ)』には『古事記』の作成の勅命や完成記事などのすべてが削除され、あたかも『古事記』は最初から作成されなかった、この世に存在しなかった書物のような扱いをうけることになった。
『古事記』は上巻・中巻・下巻の3巻で構成される。そして、『古事記』の上巻だけに〔音〕という注を付ける1字1音読みの夏音文字が多数記載されている。
『古事記』編纂スタッフは、上巻だけに多数の夏音文字を配置した。上記したとおり、夏音文字は縄文後期初頭(今から約4050年前)にわが国に伝来した原初漢字であった。
夏音文字は、”書く”という方法を確立する以前の原初のヒエログリフと同じく、【銀河各部の形状】が【文字】であった。
だから、『古事記』上巻に用いられる【文字】の字源・本義を【銀河各部の形状】に改めて解明すれば、 歴史の真相が解明できる仕掛けにした。このような仕掛けが秘められるものであったゆえ、『古事記』の序は「上巻 并(あわ)せて序」と表記された。
このような異例中の異例の「上巻 并せて序」と題する『古事記』の序は、「この序は中巻と下巻の序ではない 上巻だけの序である。この序は上巻の〔音〕という注が付く文字は【銀河各部の形状】が【文字】となる夏音文字であると解説しているものである」と指摘するものであったのである。
皇室は皇祖・天照大御神の聖性を汚す『古事記』を抹殺をはかったように、夏音文字の学芸と日本建国の”愛”の理念の抹殺に躍起になった。しかし、〔『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に記載された夏音文字の学芸と日本建国の”愛”の理念を抹殺されてたまるかという抵抗運動〕がおこり、【銀河各部の銀河】が【文字】であった秘密を後世に伝える幾つかの史跡が作成されることとなった。
この代表的な史跡が、『魏志倭人伝』と同時代の260~290年頃に作成された1千万坪の建比良鳥(たけひらとり)の地上絵(現在の静岡県浜松市北区細江町の行政区域の地図の形)であり、
1603~1622年に徳川家康が命令して作成された3千万坪の彦根の大鳥の地上絵(現在の滋賀県彦根市の行政区域の地図の形)であり、
家康から建比良鳥の地上絵の研究を命じられた天才芸術家・小堀遠州が江戸幕府に命令されて1623~1645年までの22年間精魂こめて作った桂離宮の庭園であり、
そして1488年から1700年頃までおよそ200年間あれこれと模索されて何度も庭石の数や配置が変えられて現在の設計に落ち着いた竜安寺(りょうあんじ)の石庭(京都市右京区竜安寺御陵下町)である。
竜安寺の方丈(ほうじょう)の南側にある枯山水(かれさんすい)の石庭は、『古事記』上巻が【銀河各部の形状】が【文字】となる夏音文字で後世に日本建国の”愛”の理念を伝えようとした。このため、竜安寺の石庭はすべての漢字が作られた銀河の各部の形状を造形表現する仕掛けになっている。つまり 石庭は【銀河各部の形状】が【文字】である仕掛け(造形表現)で、夏音文字の学芸と日本建国の”愛”の理念の復興を願って作成された史跡である。ゆえに、日本文化の根元知となった夏音文字の学芸の秘密を表現する庭園である。
上記の二つの地上絵と二つの庭園は、夏音文字の学芸と日本建国の”愛”の理念を後世に伝えるたため、卑弥呼の墓の徇葬から江戸時代までの約1500年にわたる――皇室に抵抗した日本古代史の秘密を、【銀河各部の形状】を【文字】にして伝える史跡である。
このような事情によって、日本古代史は銀河の腕に抱かれる歴史となった。
世界の古代文字は銀河から作られたという仮説にもとづき、銀河各部の形状と字形の相似性を証明しても、この証明は図形学上において証明された仮説あるいは推論ということになる。
しかし、『魏志倭人伝』と同時代に作られた上記の建比良鳥の地上絵(静岡県浜松市北区細江町)を注目すると、わが国には夏音文字が伝来した史跡や史料が多数現存することが明らかとなる。
このように中国から伝来した【銀河各部の形状】が【文字】であった夏音文字からはじまる文字の歴史は、銀河の腕に抱かれるかのごとく縄文後期初頭から18世紀の近世まで日本文化を創(つく)った最も重大な歴史として残っているので、事実であったと科学的に手に取るように具体的に証明できる。
以上のごとく、世界の古代王たちは銀河各部の名称を作らないようにして厳重に秘密を守ったために、漢字やエジプトのヒエログリフはじめとする世界の古代文字が銀河から作られた事実が現在不明となったのである。
この世界の古代文字は銀河から起源した秘密の解明は、日本でしかできない。
竜安寺の石庭を眺めて、世界の古代文字の歴史に思いをはせれば、世界の古代文字がなぜ銀河から作られたのか、また世界古代文字の起源と字源の秘密の科学的な解明は日本でしかできないことがおのずと理解できる。
この証明を、次回から何回に分けて解説する。
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