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2011年11月16日 (水)

枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は”世界の文字は銀河から作られた”と証言する・3

 『図詳ガッケン・エリア教科事典』第7巻〔地球・宇宙〕(学習研究社)における「緯度の測定」と題する記事は、次のごとく指摘する

 「緯度は天の北極の高度だから、簡単な方法は北極星の高度を測定すればよい。日付・時刻が決まれば、北極星の天の北極からのかたよりが計算できるので、天の北極の高度に換算できる。もっと精密に測る方法は、子午線経過を天頂の南側と北側とで行い、そのときの天頂距離がほとんど等しいような一対の恒星を選んでおき、その天頂距離の差をはかるのである」

 上記のように、天の北極の高度で緯度を換算する方法は天頂で緯度測定する方法よりも不精確となる。また、上の記事が「時刻が決まれば」という条件を付けているように、今日のように精確に時刻を表示する時計が必要となったが、古代においては今日のように精確な時刻を表示する時計が発明されていなかった。さらに、古代の北極星は今日の北極星・こぐま座α星のごとく天の北極の上に重なるものではなく、遠く離れていた。
 だから、 古代においては天の北極の高度で緯度換算して自分のいる位置を定めると、かなり不正確となるため命を落とすことになり家族が待つ家に帰ることができなかった。

 縄文人や弥生人は遠くの地に行って食料や生活必需品を物々交換する場合、あるいは石器の材料となる黒曜石の原産地に行くために遠くに旅する時、天頂緯度を測定して位置(緯度)と方角(経度)をキャッチして命をまもった。
 
重大なことなので再度くりかえす――天の北極の高度で緯度換算すると、位置と方位が不明となって道に迷い、落命して家に帰ることができなかった。

 中国では紀元前1世紀に天の北極を最も重視するシナ天文が完成した。このため、卑弥呼や壱与(いよ)が生存した3世紀、中国の人々は中国と日本列島を隔てる大海を渡ることができなくなった。ゆえに、『魏志倭人伝』は「魏と魏の出張機関がある帯方郡(たいほうぐん)の使節は日本列島の倭地には渡れなかったが、倭の使節が大海を往来できたので、倭と魏・帯方郡は国交を結ぶことができた」と伝える。また、中国の正史『後漢書(ごかんじょ)』倭伝は「倭国の隣国の東鯷人(とうていじん)は定期的に中国の呉の会稽(かいけい)の港までやってきて交易をしているが、中国の人々には東鯷人が往来する海の道ははるかに遠く途中の道が途絶えていて往来ができない」と記述する。
 シナ天文のために中国では、かつて栄えていた天頂緯度を測定して眼力と技(わざ)を研ぎ澄まして鍛錬する慣習が廃(すた)れて絶えた。このため、魏・帯方郡・呉の人々は大海を越えて、日本列島に渡ることができなかったのである。紀元前1世紀にシナ天文が完成したが、それ以前の紀元前3世紀の秦の始皇帝の時代、中国から徐福一行が日本列島に渡って東鯷人国に定住した。紀元前3世紀には、天頂緯度測定の習慣が失われていなかったので、徐福一行は大海に入って日本列島に移住することができたのである。

 漢字の起源の秘密を「仰いでは天象を観、俯しては地法を観、鳥獣の文と地宜(ちぎ)を観る。(中略)。もって万物の情に類して文字を作った」と伝える『易経』の[易]の字源を、字源を解説する聖典『説文解字』は「蜥蜴(トカゲ)なり」と説明する。
 『原色現代科学大事典』5-動物Ⅱ(学習研究社)は「トカゲには、かならずもとのすみかにもどる帰家性がある」と指摘する。
 したがって、[易]の字源はトカゲのように「遠くの地に旅する時、または大海を渡る時、天頂緯度測定して、かならず家族が待つ家に帰ることができる術」であった。
 つまり[易]の字源は「天頂点をキャッチする術」であった。

 上記したように、卑弥呼と壱与が生存した弥生時代、中国では[易]の「天頂点をキャッチする術」を失っていたために魏と帯方郡の使節は大海を渡って日本列島に到着できなかったが、日本列島では[易]の術の眼力を鍛錬する習慣が失っていなかったので、倭の使節と東鯷人は大海を往来できたのである。

 卑弥呼と壱与が生存した当時、左に表示した幻冬舎ルネッサンスから出版した拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』の資料B・資料Cに示したように、私が「長方形の暗黒天体部」と名づけた銀河部が、中国と日本列島の天頂にめぐってきた。
 この「長方形の暗黒天体部」が天頂に位置する時や子午線通過する時、北と南に正方形が二つならぶように見えた。
 卑弥呼や壱与が生存した3世紀の天頂緯度線は「長方形の暗黒天体部」の中央を貫通した。このため、「長方形の暗黒天体部と天頂緯度線」は神社の入り口に立つ門「鳥居」の形となった。
 「長方形の暗黒天体部」の北側は”両翼を広げる鳥の姿”に相似する銀河であり、「長方形の暗黒天体部」は”鳥の足”に相当した。ゆえに「”鳥の姿”に似る銀河部は長方形の暗黒天体部の足の 箇所に居る」が略されて「鳥居」という名になった。

 この「鳥居の銀河(長方形の暗黒天体部)」は、上記の『図詳ガッケン・エリア教科事典』が「緯度の測定」で「精密に天頂緯度測定ができる」という条件がそろった理想的な天体部であった。
 3世紀、このような理想的な天体部が天頂にめぐってきたにもかかわらず、中国の人々には大海が渡ることができなかった。というのも天の北極を最も重視するシナ天文が完成したため、中国の人々は天頂点をキャッチする眼力と技を鍛錬する習慣を廃絶していたからである。
 欧米の人々にとって「鳥居」は「日本」を象徴するものであるが、「鳥居」は「中国」を象徴するものではない。この「鳥居」の秘密が示すように、中国の人々は天頂点をキャッチできなくなったために大海を渡ることができなかった。
 中国の五帝時代から周代まで「鳥居の銀河」は天頂を通過せずに天頂緯度軸の南を子午線通過した。しかし、中国の上古の人々にとって「鳥居の銀河」は天頂点をキャッチする理想的な銀河部と憧れる聖域であった。ゆえに、「鳥居の銀河」は[命]・[尊]・[人]・[玄]・[門]などの字源となった。
 「鳥居の銀河」は聖刻文字(ヒエオログリ)を用いた古代エジプトの人々にとっても、精密に天頂緯度測定できる聖なる銀河部であり重視されて、「王(ファラオ)」をあらわすヒエログリフの字源となり、今日のアルファベットの[B]の初文(最初の文字)の字源・字形・字義となった。 

 竜安寺の白砂を全面に敷く石庭は、東西に正方形が二つならぶ形に設計されている。
 つまり、石庭は卑弥呼と壱与が生存した時代に天頂にめぐってきた「鳥居の銀河(長方形の暗黒天体部)」を設計するものである。石庭が作られた当時、「鳥居の銀河」は石庭の天頂点より北側を子午線通過した。この子午線通過した時、「鳥居の銀河」の二つの正方形は南北にならぶ形状となった。しかし、石庭の二つの正方形は東西にならぶ。
 ゆえに、「鳥居の銀河」の南北と「石庭」の東西の関係は90度の相違となる。
 
『魏志倭人伝』は「其の道理を計るに当(まさに)会稽の東治(とうじ)の東に在るべし」と記述して、「中国大陸の北と日本列島の西(九州)が合致し中国列島の南と日本列島の東が合致する」と伝える。実際の日本列島は会稽・東治の東北に所在する。会稽・東治の東にある日本列島は実際の地理と異なって90度方位が相違する。卑弥呼は中国大陸の方位に対して日本列島の方位は90度転回すると立論した。ゆえに、竜安寺の石庭は『魏志倭人伝』に記述される転回日本列島地理を表現して、二つの正方形が東西にならぶ設計にした。石庭の中央にある第3群の3つの石で構成される石組は「横三尊」と呼ばれる。この「横三尊」には「90度転回して横三尊を縦にして、方丈の間の方に正面が向くようにすると、頭が誕生する娩出期(べんしゅつき)に胎児の頭が誕生してこの世に生きる命の出発点となる」と表現する役目がある。

 邪馬台国説学者たちは、この転回日本列島地理は著者の陳寿(ちんじゅ)の誤った地理観であったと勝手に断定して、『魏志倭人伝』の転回日本列島地理に関する重大な記事をことごとく抹殺する。このような邪馬台国説の「誤読こそが正しい。記事を絶対に信用してはならない」と断定する考え方を”文献批判”と呼ぶ。この”文献批判”の方法だと、なにゆえ卑弥呼が統治する国の名が「倭国」となったのかまったく不明となる。さらに、邪馬台国説学者たちは、随所の記事で「倭には夏音文字があった」と伝える重大な記事をことごとく抹殺する。
 第一、邪馬台国説学者たちが断定するように転回日本列島地理の記述は誤記だとすると、倭王朝は天の北極を基準にして日本列島は東に伸びると制定していたことになり、天の北極の高度で緯度換算した倭の使節も魏・帯方郡の使節と同じく大海を渡れなかったことになる。そうすると、魏と倭は国交を結ぶことができなかったことになるので。『魏志倭人伝』のすべての字はまるで空中に蒸発する”湯気”のような1字も記入されていなかったことになってしまう。以上のごとく、邪馬台国説は非科学きわまりない誤読の空論から生まれたウソ八百となる 

 『日本書紀』の[尊]の字は「みこと」と読み、『古事記』の「みこと」は[命]である。
 石庭のモデルとなる「鳥居の銀河」は[命]と[尊]の字源銀河であった。なぜならば、「鳥居の銀河」は精密に天頂緯度が測定できる理想的な天体部であったので、「命」を守る”尊い”聖なる銀河部となり、「鳥居の銀河」は「胎児が誕生する時にくぐる産道」に見立てられた。
 ゆえに石庭の第3群の「横三尊」は「産道」をあらわした。
 卑弥呼が統治した倭国の[倭]の字源は「産道をくぐって誕生した胎児は寝る姿勢の母体に対して90度上へと向けて取り上げられる」であった。つまり、『魏志倭人伝』に記述される90度方位が異なる転回日本列島地理は、中国を母体に見立て日本列島を誕生する胎児に見立てて90度方位が相違するものとなるので[倭]の字源を示すものとなった。
 だから、卑弥呼が統治した国の名は「倭国」となったのである。
 
なお「倭国」は略称で、正式名は『魏志倭人伝』(魏書・東夷伝・倭人伝)の冒頭に記載されているように「倭人国」である。
 上記で指摘した、当時(3世紀)天頂を通過していた「鳥居の銀河」は[人]の字源でもあった。だから、「倭人国」となった。倭人国の隣国は「東鯷人国」であった。東鯷人国の天頂に「鳥居の銀河」がめぐってきた。したがって、国名に「人」の字が配されたのである。

 天頂点をキャッチすれば精密に緯度測定ができる。天頂点は地上の観測者の視線が天球面と90度交わればキャッチできる。この「天球面と90度交わる視線」も[倭]の字源を示すものであった。地上の人は天球面に視線が90度交わる天頂点に命を委(ゆだ)ねた。この「委ねる」の[委]は[倭]の初文(最初の文字)であり、天頂点に命を委ねる「人」をあらわす人偏(にんべん)に[委]の字を組み合わせて[倭]の字が成立した。 

 [委]と[倭]の字源は「産道をくぐる胎児のように無心無我となって、天頂点をキャッチせよ」という「命」をまもるときの心得を表示するものであった。
 だから『魏志倭人伝』に記述される転回日本列島地理は天の北極を重視せず、天頂緯度測定(天頂点のキャッチ)を最も重視した夏音文字の学芸に精通する卑弥呼が立論した地理であった。もしも天の北極を重視していたならば日本列島は実際の日本列島に合致して東に伸び、事実に反して南に伸びると伝える「会稽・東治の東に所在する」という記事は『魏志』倭人伝に最初から存在しなかったことになる。

 [命]という字は[亼(しゅう)]の下に[口]と[卩(せつ)]とで形成される。この[口]の字源は、「飲食したり言葉を発したり呼吸する口」ではない。[命]にある[口]の字源は「子宮口から骨盤口までの産道」である。「鳥居の銀河」は「産道」に見立てられ、「石庭」は「鳥居の銀河」をモデルとする。ゆえに、「石庭」は[口]の字源をあらわす。[卩]の字源は「産道をくぐる胎児」である。この「産道をくぐる胎児」は「横三尊の第3群の石組」で表現される。[亼]の下の[一]は「4~6秒間の短い時間で、天頂点を中央に配する天頂緯度線を表示する極細線」をあらわし、この「精密に天頂緯度が測定できる物差しとなる極細線」は[玄]の字源となった。[亼]の「[Λ]の頂角」は「鳥居の銀河における天頂点の真北の目印となる恒星」をあらわす。だから「[Λ]の尖端の頂角」は「子午線」や「子午線経過」をあらわすものとなる。
 以上からして [命]の字源は「産道をくぐる時の胎児のように無心・無我となって、天頂点をキャッチせよ」という 上古の人々が命を守る時の心得をあらわしていることになる 

 竜安寺の石庭が発行するパンフレットには、「禅とは……」と題して下記のごとく記述する。
 「神(仏)のない宗教である (中略) 「無」「無我」「無心」の宗教である (中略) 「成り切る」「死に切る」即ち「断命根」の宗教である」

 臨済宗妙心寺派の「禅」は「天頂点のキャッチを最も重視した夏音文字を保存する」を目的して起源した。したがって、【銀河各部の形状】を【文字】とした原初漢字・夏音文字の保存に努めるものであったゆえ、「銀河は神や仏ではない」と定義して「神(仏)を拝まない宗教」となったのである。天を仰いで命を委ねる時、産道をくぐる胎児のごとく無我・無心・無欲の心境にならなければ天頂点がキャッチできなかった。だから、必ず家族が待つ家に帰るのだという気持ちを抱いたり、はたして天頂点をキャッチできたのであろうかと疑心を抱いたりして、心を「無」にしない人々は天頂点をキャッチすることができなかった。ゆえに 、竜安寺の禅は「無」「無我」「無心」の宗教ということになったのである。「死に切る」という気持ちにならなければ天頂点はキャッチすることができなかった。ゆえに、竜安寺の禅は「成り切る」「死に切る」即ち「断命根」を説く宗教となったのである。

 前回の〔2〕にて指摘したように、石庭の全面を占める「白砂」は[弥]の字源と「銀河」の語源をあらわして「銀白色の北天の最輝部」に見立てられた。この石庭は「鳥居の銀河」すなわち「長方形の暗黒天体部」をあらわす。「長方形の暗黒天体部」の色は銀白色ではなく 黒に近い紺青色である。この「長方形の暗黒天体部」の暗黒の色は、石庭の北側の縁側の下に石庭の二つの正方形の長さいっぱいに70センチ幅で敷きつめられる磚(せん)で表示される。「磚」とは「土を焼いて方形にした、平たい板」である。この「磚」の色は紫よりも黒く、鉄紺(てつこん)色すなわち黒のような鉄色と紺色の中間の緑を帯びた青よりも紺色に近い色である。要するに、石庭のモデルとなった[命]の字源「長方形の暗黒天体部」の暗黒の色は「磚」の色と同色ということになる。

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