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2011年12月20日 (火)

枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は”世界の文字は銀河から作られた”と証言する・25

 前回(24)において、ヒエログリフ「男性の性器(男根と睾丸)」の字源のうち、
 男根の部分は「ナイル川の氾濫(はんらん)の形状に似る銀河の北端」・「長方形の暗黒天体部の北の辺」、 睾丸の部分は「北アメリカ星雲」であると解説した。
 この3ヵ所の銀河を、これから「男性の性器の銀河」と呼称することにする。

 エジプト神話においては――天空の神は女神の「ヌト」である。大地の神は男神の「ゲブ」である。ヌトとゲブは夫婦である。ヌトとゲブはかたく抱きあっていた。天空の女神・ヌトを支えているのは大気の神の「シュー」である。大地の男神・ゲブはシューと湿気の女神・テフヌトの間に生まれた。この大気の男神・シューがヌトを持ち上げたため、ヌトとゲブは引き離され、天地が分離したとされる。ヌトは太陽を生む天空の女神となり、ゲブはヌトに星を胎生(たいせい)する地の神となった。

 この古代エジプトの天地創造神話は、「十字の銀河の東隣の四つの輪の形の銀河」・「十字の銀河」・「鬼の横顔に似る銀河」・「男性の性器の銀河」・「長方形の暗黒天体部の東と西の辺」の形状を見て創作されたものである。

 「十字の銀河」は漢字の[天]、[文]、[交]の字源となった。
 [天]の甲骨文字と金文の字形は「十字の銀河」を図案化するものであり、『説文解字』は[天]の字源を「至高(しこう)にして上なし。一大に従ふ」と解説する。この字源解説は「[天]の字源・十字の銀河が最も高い天頂点と重なる部位を有する、[一]と[大]の字源でもある。ゆえに、[天]という字は[大]の上に[一]を結合すると形成される」と説明していることになる。
 『説文解字』の著者・許慎(きょしん)が生存していた2世紀初頭、「十字の銀河」は中国の天頂を通過せず、「長方形の暗黒天体部」がめぐってきた。
 しかし、漢字が起源した6000年前の三皇時代(わが国の縄文前期時代)から2200年前の秦(しん)代まで、「十字の銀河」が中国の天頂を通過した。
 この「十字の銀河の頭部から両足の底まで」は〔樹木〕に見立てられ、この〔木立ちに各地の緯度の目盛が刻まれる〕というイメージによって、5000年前に生存した”漢字の始祖”と崇拝された倉頡(そうきつ)が考案した文字の名は「書契(しょけい)」と呼ばれ、わが国では「刻木(こくぼく)」と称された。

 エジプトのヒエログリフの〈イアム(iahm)〉、〈イム(im)〉と発音する「木」の意味する決定詞の字源は「十字の銀河」である。「十字の銀河」の西半分には〔乳房〕に観える部位が2箇所ある。
 「十字の銀河の子宮」が重なる箇所は、「十字の銀河の右足」あるいは「妊婦のように円く突き出た腹部」に観える。しかし。この隣に「鬼の横顔に似る銀河の下を出す口」が「十字の銀河の右足」あるいは「十字の銀河の腹部」を嘗(な)めているように観え、しかも「鬼の横顔に似る銀河」が〔乳児〕のように観えるので、この「十字の銀河の子宮」が重なる箇所は〔乳房〕に相似する。
 「十字の銀河の胸部」に「M39」と称される、明るい星が集まった散開(さんかい)星団がある。この「M39」という散開星団は肉眼で見える。この「M39」は表意文字・決定詞として「乳房」を意味する〈メネジュ(mnj)〉や、乳房に関係する行為につくヒエログリフとなった。この「乳房」を意味するヒエログリフの字形は〔円を上下二つに割り、下の半円形の円弧の中央に乳首の図書を加える〕ものである。
 テーベの第18王朝のトトメス3世の王墓から発見された資料に、木の女神から乳をもらうトトメス3世の絵がある。この絵には「多数の枝に葉をつけた樹木の一本の枝から乳房が生え、この乳房を木からのびた腕がささえ、この乳房をトトメス3世の口が嘗める姿」が描かれる。ゆえに、「トトメス3世」を「鬼の姿に似る銀河」に見立て、「トトメス3世の横顔」を「鬼の横顔に似る銀河」に見立てると、「十字の銀河の子宮が重なる銀河部」が「一本の枝から生える乳房」ということになる。
 だから、「十字の銀河」は「木」に観え、倉頡が考案した漢字をわが国では「刻木」と称した(この「刻木」という古称は、中国の正史『隋書』の倭国伝に記載されている)。

 「十字の銀河の胸部から腹部にかけての中央」は、樹木の裂け目のような・溝(みぞ)のような黒い線が縦に走る。「十字の銀河の東半分」は〔手に弓を持つ、東に向かって歩く男性の姿〕に観え、「十字の銀河の西半分」は〔乳房・子宮の部位を有する女性あるいは妊婦が西に向かって歩く姿〕に観える。
 このような「十字の銀河」の形状を観て、『説文解字』の著者・許慎は[文]の字源解説で「錯(まじ)はれる畫(くわく)なり。交文に象(かたど)る」と説いた。
 『説文解字』は[交]の字源を「交脛(こうけい)なり」、つまり「足の脛(すね)が交錯するなり」と解説する。「十字の銀河の脛」は〔東に向かって歩く男性の両足の脛であり、また西に向かってあるく女性の両足の脛〕となって共通する。ゆえに、『説文解字』は[交]の字源を「交脛なり」と解説した。[交]の甲骨文字と金文形は〔脛が交錯する、胸部・腹部の裂け目を膨張(ぼうちょう)させる大字形〕であり、甲骨文字には〔大きく膨(ふく)らむ空間に、胎児を象る図書を挿入(そうにゅう)するもの」もある。

 上記に示した漢字の[天][文][交]の字源と同じく――エジプトの天地創造神話における「天の女神ヌトと地の男神ゲブがかたく抱き合っていた」と語られるくだりは、男と女の体は一つになって結合する、この中間に二つに分けるかのような黒いスジ(暗黒部)がある「十字の銀河」の形状を説明するものであったのである。
 したがって、乳房・子宮の部位がある「十字の銀河の西半分」から「天空の女神ヌト」が創造されたことになる。
 男性に見立てられた「十字の銀河の東半分」は引き離され――大地の男神・ゲブの体は、「鬼の横顔に似る銀河・男性の性器の銀河・長方形の暗黒天体部の東の辺」までと定められた。
 エジプトの古代絵画では、天空の女神・ヌトはアーチ型に身体を折り曲げる姿勢に描かれる。
 ということは、「十字の銀河から長方形の暗黒天体部の東の辺の南端まで」をアーチ型にとらえて女神ヌトの頭から足までと定めたことになる。
 杉浦康平構成・岩田慶治監修『アジアのコスモス+マンダラ』(講談社)の57頁に掲載される〔2世紀のエジプトの木棺の絵〕のヌトとゲブの絵においては、大地の男神ゲブの性器が天空の女神ヌトの腹部のあたりに置する。
 だから、上記のように、ヌトの頭部から足までを「十字の銀河から長方形の暗黒天体部の東の辺の南端まで」と定めると、「男性の性器の銀河」の位置は女神ヌトの腹部の位置に相当する。
 エジプトの天地創造神話に登場する「天空の女神ヌトを支えている大気の神シュー」は「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」のイメージから創造されたことになる。この「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」は天空の女神ヌトと大地の男神ゲブの中間にあり、〔天空を支える柱や持ち上げる大気〕に観えるからである。
 このエジプトの天地創造神話では「十字の銀河の子宮」は女神ヌトの乳房の部分となるが、なぜならば「十字の銀河の子宮」と重なる、この〔乳房の部分〕の背後に微(かす)かに見える両目があり、〔乳房の部分〕は顔の中心の〔鼻〕となる。この〔両目・鼻だけの正面顔〕は深い霧に包まれた状況にあって自分の方に向かってくる人の顔のようにおぼろげである。ゆえに、このおぼろげな〔両目・鼻だけの正面顔〕は〔湿気〕をあらわすものと見立てられて、「湿気の女神テフヌト」が創造されたことになる。

 「十字の銀河」の東隣に「四つの輪の形の銀河」がある。
 この「四つ輪の形の銀河」が子午線経過するとき、北から2番目の輪は〔円形〕となり、他の3つの輪は〔形が異なる不完全な円形〕となる。この〔四つの輪〕に重なりあい、無数の星が渦巻きとなり円形となり奔放(ほんぽう)な曲線となって絡(から)み合う。
 このような「四つの輪の形の銀河」から――奔放な隆線(りゅせん)が駈けめぐる曲線文様で飾り、異様な突起で飾られる口縁部(こうえんぶ)を造形する新潟県信濃川流域の火炎土器や関東地方の勝坂(かつさか)様式の芸術性の高い優れた縄文土器が作られた。
 前期縄文時代に関東地方で土器の造形革命が起き、世界に類をみないほど躍動的で複雑な造形美豊かな土器が作られた中期縄文時代、そして縄文後期、「四つ輪の形の銀河」のうち北から三番目までの「三つの輪の銀河」が、日本列島の天頂にめぐってきた。
 このような縄文時代の「三つの輪の銀河」を貫通した天頂緯度線の様子を、『古事記』の序は「参神(さんしん)造化(ぞうか)の首(はじめ)を作(な)す」と表現する。
 そして『古事記』上巻の冒頭はこの「造化の参神」について、〔前期縄文の「三つ輪の銀河」を貫通した天頂緯度線〕を「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」、〔中期縄文の「三の輪の銀河」を貫通した天頂緯度線〕を「高御産巣日神(たかみむすひのかみ)」、〔後期縄文の「三の輪の銀河」を貫通した天頂緯度線〕を「神産巣日神(かむむすひのかみ)」と表記する。
 この神の名における「産巣日」は「三つ輪の銀河の形は、鳥が卵を産み育てる巣を上から見たときの円形の形をしており、日すなわち太陽のように円形である」と表現するものである。

 エジプトの「太陽の円形(円盤)」であらわされる「アテン神」は、「十字の銀河」の東隣の「四つ輪の形の銀河」(「三つ輪の銀河」に接合する「南の輪の銀河」を加えた銀河)から創造された。
 「アテン神」の姿は〔太陽〕を[円(○)]で表現するいわゆる「太陽の円盤」であらわされる。
 この「太陽の円盤」は北から2番目の「円形の輪の銀河」を図案化したものである。つまり、女神ヌトが生んだ太陽は「四つの輪の形の銀河のうちの2番目の円形の銀河」ということになる。
漢字の[左]は「十字の銀河」を〔左手〕と見立てて字源・字形・字義が成立した。このように、女神ヌトとなる「十字の銀河」は「手」の形に相似する。
 前述したように、第18王朝のトトメス3世の王墓から発見された絵には、「十字の銀河」を〔枝に葉が茂る木〕に見立て、この〔木の一本の枝から乳房が生え、トトメス3世に乳をあたえる乳房をささえる手〕が描かれている。また、リチャード・H・ウィルキンソン著╱伊藤はるみ訳『図解古代エジプトシンボル事典』(原書房)の155頁には「贈り物を授ける木(ニアイのステラ、第18から20王朝)」と題する絵が掲載され、この〔贈り物を授ける木〕から〔人の両手〕が描かれている。この木は右手で贈り物を受け取り、左手に水差しをかかげて贈り物をさずける男女に水を降りそそいでいる。
 『図解古代エジプトシンボル事典』の173頁には、「光線と手のついたアテンの太陽円盤(アマルナ、アイの墓、第18王朝)」という絵があり、この絵における「アテン神の姿」は〔太陽(太陽円盤)からはなたれる光線は17本の線〕であらわされ、この〔17本の先端には、人の手の形〕がついている。
 つまり、「太陽円盤」となった「四つの輪の形のうちの2番目の円形の銀河」の光線は「手」の形に相似する女神ヌトの体を透かして大地のゲブまで降りそそぐ。ゆえに、上記の「贈り物を授ける木」という絵において、木から生える左手は水差しを掲げて贈り物を授ける男女に水を降りそそぐことになったのである。
 太陽円盤から放たれる太陽光線の先端を〔手〕の形に図案する「アテン」の絵が示すように――大地ゲブに放たれる〔太陽光線〕は天空のヌトから生える無数の手と化して、ナイル川に洪水をもたら大量の雨のごとくふりそそぐと解釈されたのである。

 そして、大地の男神ゲブが天空の女神ヌトに胎生させた「星」は「四つの輪の形の銀河内でひしめきあう無数の星」ということになる。
 それというのも、〔ゲブの横顔〕となる「鬼の横顔に似る銀河」の正面に「四つの輪の形の銀河」が所在するからである。
 エジプトの古代絵画には「星」の形を[☆]をあらわすものがあり(第25王朝時代のテーベ、ペトアメンオペトの墓から出土した〔星で描かれた神の絵〕)、ヒエログリフ[星]の字形は[☆]を〔5本の線〕で簡素化したものである。
 4回前(21)で解説した〈ラー〉と発音する「太陽」を意味するヒエログリフ[◎]の字源「白鳥座γ(ガンマ)星とこの星を包囲する円形の銀河」である。このヒエログリフ[◎]の字源となる「白鳥座γ星」の東隣の円形の銀河の部分[☆]を縦長にした形に見える。
 この[◎]の字源部と「男性の性器の銀河」を結んだ東方に「四つの輪の形の銀河」がある。「太陽」を意味する[◎]の字源部と「アテン」が創造された「四つの輪の形の銀河」の中間が「男性の性器の銀河」であるからして、ゲブがヌトに胎生させた「星」は「四つの輪の形の銀河にてひしめきあう無数の星」であると考えるべきことになる。

 『日本書紀』神代・上の冒頭は〔天地開闢(かいびゃくく)〕と名づけられる。この〔天地開闢〕の韻律(いんりつ)の響きが美しい文章は、エジプトの天地創造神話に登場する「三つ輪の銀河」、「十字の銀河」、「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」、「鬼の姿に似る銀河」、「長方形の暗黒天体部」の形状を表現するものである。
 〔天地開闢〕は「古(いにしへ)に天地未だ剖(わか)れず、陰陽(めを)分かれざりしときに、渾沌(まろか)れたること鶏子(とりのこ)のごとくして云々」と始まる。
 この「古に天地未だ剖れず」という文は〔三つ輪の銀河の最も北側の半月形(輪)の銀河の形状〕を表現するものである。この以後の「陰陽分かれざりしときに、渾沌れたること鶏子のごとくして」までの文は〔三つ輪の銀河の北から2番目の円形の銀河〕を表現するものである。というのも、〔三つ輪の銀河の北から2番目の円形の銀河の北端〕に〔鶏の首(横顔)のような形の銀河部位〕が付いているからである。この「鶏子のごとくして」より以下の文は「三つ輪の銀河」の形状を描写するものであり、「天まず成りて地(つち)後に定まる」という文中の「天」は「十字の銀河」、「地」は「鬼の姿に似る銀河」を説明するものとなる。
 『古事記』序の初頭に登場する「参神造化の首(はじめ)を作(な)し」という文中の「首」は、『日本書紀』の〔天地開闢〕の「鶏子」と同じ銀河部を表現するものである。『古事記』上巻の冒頭に〔創世の神々・五柱の別天(ことあま)つ神〕の箇所の文中に登場する「久羅下那州多陀用弊流」という10字の夏音文字は「水母(くらげ)なすただよへる」と読み、学者たちは「水母のようにふわふわと漂(ただ)よう」と現代訳する。
 この「水母のようにふわふわと漂う」という表現は「三つ輪の銀河」の形状を描写するものである。というのも、「三つ輪の銀河」は「海に漂流する巨大な水母」の形に相似するからである。

 今から6000年前の紀元前4000年は、中国の三皇時代初頭であり、わが国の前期縄文時代初頭である。
 この時代の天頂の銀河描写から『古事記』序と上巻の冒頭と『日本書紀』神代・上の冒頭の〔天地開闢〕が始まる。
 この時代は地球温暖化によって海水面の上昇のピークをむかえ、現在の水面より2~3m、あるいは5mも高くなったという。
 この環境によって、エジプトの北の地中海の海水面が高くなり、ナイル川の水面も上昇したため、川幅も現在よりも広かったにちがいない。
 この今から6000年前こそ、エジプトの天地創造神話において「大気の神・シューが現れて、天空の女神ヌトを持ち上げてささえることになった」と語られる時代であったと考えられる。
 それから1000年後の紀元前3000年(中国の五帝時代初頭、わが国の中期縄文時代初頭)、ナルメル王が上下エジプトを統一した。このエジプト第1王朝が樹立される約100年前、【銀河各部の形状】が【文字】であった状況に終止符が打たれて、〔書く〕という方法にもとづく聖刻文字・ヒエログヒフがほとんど完成された形で出現した。

 小尾信彌代表著『原色現代科学百科大事典』1・宇宙(学習研究社)の2頁に、ニューヨークのメトロポリタン美術館が所蔵する第30王朝の石棺に彫刻された「古代エジプト人の宇宙観をしめす彫刻」と名がつく写真が掲載される。
 この彫刻画には、今回の解説初頭に赤い太字で示した天地創造神話が表現されている。
 この天地創造神話をあらわす彫刻について、『原色現代科学百科大事典』1・宇宙は、下記のごとく説明する。
 「6000年以上前、ナイル川流域に古代エジプト文明をおこした人たちの間には、つぎのような天地創造の物語がつたわっていた。
 天の女神ヌトと地の神ゲブが、原始の水の中に住んでいた。そこに新しい神シュウが現われ、女神ヌトを両手で高くさし上げた。女神ヌトのからだには星がかがやき、その両手両足は、天をささえる四本の柱となった。地の神ゲブからは、植物と動物、そして人間がうまれた。原始の水からは、太陽の神ラーがうまれて、万物に光のめぐみをあたえたのである。
 エジプト人にとって、太陽の神ラーはもっともたいせつな神であり、知識も道徳も、ラーによってわれわれの中におかれていると信じていた。
 ピラミッドから発掘される古代エジプトの美術品には、このような信仰をしめすものが、多数残されている。」

 上記に赤い太字――エジプトの「太陽」の円形(円盤)」であらわされる「アテン神」は、「十字の銀河」の東隣の「四つ輪の形の銀河」から創造された――と表示したように、天空の女神ヌトが生んだ「太陽(ラー)」は「アテン」が創造された「四つ輪の形の銀河」であったことになる。
 『原色現代科学百科大事典』1・宇宙の天地創造神話は「原始の水から、太陽のラーがうまれた」と記述する。ということは、「アテン」が生まれた「四つ輪の形の銀河」は〔エジプトの北の地中海の海水面が高くなり、ナイル川の水位も上昇し、渦を巻いて水があふれる激流する大洪水〕の形状を示す「原始の水」ということになる。
 「天の女神ヌトと地の神ゲブが、原始の水の中に住んでいた」というのは、地球温暖化によって海水面の上昇のピークをむかえた紀元前4000年のころの状況を表現して説明するものであったのである。
 海水面が高くなり、ナイル川の水位も高くなると、大地が浮き上がって天空に近くなった感じとなるので、「天の女神ヌトと地の神ゲブはかたく抱き合っていた」ことになる。
 ほとんど完成された形でヒエログリフが突然に出現した紀元前3100年頃、海水面は低くなり、ナイル川の水位も下がった。ゆえに、水につかっていた陸地が出現して海面・水面から天までが1000年前よりも広がって高くなったような感じとなるので、神話では「ヌトとゲブは引き離された」と語られることになったのである。
 上記にて青い太字で示したように――ヌトとゲブを引き離した「大気の神・シュー」は「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」から創造された。
 この「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」の西端は〔大きな口を有するヒゲがある鯰(なまず)の顔ような形〕をしており、「長方形の暗黒天体部」と接合する。このため、「長方形の天体部」までもが「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河の大きく開いた口」に観える。だから、「長方形の暗黒天体部」は〔天と地の大気を吸いこむ口〕と見立てて、「シュー」は「大気の神」と定められたと考えられる。

 4回前(21)の末部で説明した〔歳差〕という現象によって、天頂緯度が貫通する銀河部は、年々、南へ南へ下がった。このため、紀元前4000年よりも紀元前3000年の天頂緯度線は南にあった。
 紀元前4000年頃、北緯29度59分のメンフィスの天頂緯度線は「長方形の暗黒天体部」が子午線経過するとき、「長方形の暗黒天体部」の〔西南の角から東北の角〕へと斜めに貫通していた。この天頂緯度線は「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」の中央部となる〔鯰の南北二つ目〕のうちの〔南の目〕のすぐ隣を貫通していた。
 前々回(23)から解説しているように、〈カー〉と発音し「霊」を意味する「両腕の肘(ひじ)を直角に曲げて上にあげる両手」のヒエログリフの字源は「長方形の暗黒天体部」である。
 そして、このヒエログリフの字源はメンフィスの天頂にめぐってきた「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」でもあったことになる。というのも、メンフィスの天頂緯度線が「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」の中央部を貫通する、この形状は「鬼の横顔に似る銀河が前へのばす左腕の内側」を貫通することになったからであるゆえに、この銀河と天頂緯度線の形状は、学者たちが〈カー〉の字形について「上に挙げる両手」あるいは「前へのばす両手」と考えた解釈に適合することになる。
 だから、〈カー〉のヒエログリフは「長方形の暗黒天体部」のイメージから「上に挙げる両手」、「鬼の横顔が前へのばす左手」の内側にある「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」のイメージは天頂緯度線との関連を重視すると「上へ挙げる手」となるが、その「鬼の横顔に似る銀河」の動作のほうを注目すると「前へのばす手」となる。
 だから、〈カー〉のヒエログリフは「上に挙げる両手」と「前へのばす両手」の両方の動作を表現するものとして使用されたのである。

 紀元前3000年頃、ナルメル王は上下エジプトを統一して、首都をメンフィスに定めた。
 当時の天頂緯度軸は、紀元前4000年頃よりも、各銀河部の緯度35分(0.58度)ぐらい南のほうを通過した。ゆえに、この〔歳差〕による天頂緯度線の変化は「長方形の暗黒天体部」に明確にあらわれ、「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」でも計測された。当時の天頂緯度線は〔鯰の顔の南の目から隔たる頬(ほお)〕を貫通したからである。この緯度線だと、「鬼の横顔に似る銀河」が〔前へのばす左腕〕を擦(こす)ることになった。

 カイロのエジプト博物館に所蔵される第13王朝のホル王像の頭上に、〈カー〉と発音する「霊」を意味するヒエログリフ「両腕の肘(ひじ)を直角に曲げて上に挙げる両手の像」を戴く。
 この第13王朝は紀元前1785年から起源する。当時のメンフィスの天頂緯度線は紀元前3000年よりも48分(0・8度)南のほうを通過した。つまり、「長方形の暗黒天体部」の〔西の辺から外れて、南の辺を斜めに通過して東の辺の中央部〕を貫通するようになった。「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」の〔鯰のヒゲの先端〕と「長方形の暗黒天体部」の〔東の辺の北側の菱形[◇]の銀河〕の結合部を貫通していた。
 ゆえに、当時の第13王朝時代においては、メンフィスの天頂緯度線は「鬼の横顔に似る銀河が前へ伸ばす両手の銀河」から外れていた。
 しかし、「長方形の暗黒天体部」の内を通過していた。だから、ホル王の頭上に戴く〈カー〉の像は「長方形の暗黒天体部」をあらわす「上に挙げる両手」を示すものであったことになる。

 〔歳差〕によって、このような状況になったため、紀元前1650年から始まる第15王朝は、首都をメンフィスより約2.5度ほど北側のナイル川のデルタ地帯のアヴァリスに定めた。ゆえに、アヴァリスの天頂緯度線ならば「長方形の暗黒天体部」の西南角から東北角へ通過し、「鬼の横顔に似る銀河が前へ伸ばす両手」の内側を貫通するようになった。
 なお、第7王朝~第10王朝がメンフィスより南のヘラクレオポリスを首都とし、第11王朝がさらに南のテーベを首都にし、第12王朝がメンフィスとヘラクレオポリスの中間のイティ・タァウィを首都にし、王家の谷に墓を造営した第18王朝がメンフィスから遠いテーベを首都としたのは、「長方形の暗黒天体部」より南の「人の横顔に酷似する銀河」の東隣の「コールサック」に星たちが点々と線となって[](この記号を「星印」と呼ぶ)を縦長にした形に連なっていたからである。この星たちを目印にすると、精密に天頂緯度が測定できた。
 この星たちが所在する「コールサック」は「オシリス神=人の横顔に酷似する銀河」が見つめる「地下世界・冥界」に見立てられた。だから、オシリスが支配する「冥界」に相当する地・テーベの王家の谷に王たちの墓が造営されたのである。

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