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2011年12月27日 (火)

枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は”世界の文字は銀河から作られた”と証言する・27

 ステファヌ・ロッシニー著╱矢島文夫訳『図説 古代エジプト文字入門』(河出書房新社)の32頁に、〈ヘペシュ(bps)〉と発音する6字で「大熊座」と意味する語が記載される。
 この6字は①「神」、②「(翼が生えたように速く走る)動物の片足」、③「7等分した縦長の長方形」、④「胎盤」、⑤「周囲が傾斜した池」、⑥「星」である。

 〔顔に顎鬚(あごひげ)〕が無い、座っている人の側身形〕を図案する文字は「女」を意味する。
 「神」と「王」をあらわす文字には、顎鬚がつく。
 「大熊座」という言葉をあらわす①の〔ひざを深く折ってうずくまり、腕まで隠れる衣をまとう人の側身形〕を図案する文字には顎鬚〕が生える。
 だから、①の文字は「神」をあらわす。
 「鬼の横顔に似る銀河」の〔顎〕には〔鬚〕の形となる部分がある。また、「鬼の姿に似る銀河」は〔ひざを深く折ってうずくまり、腕まで隠れる衣をまとう人の側身形」に観える。だから、①「神」の字源は「鬼の姿に似る銀河」ということになる。
 ③「7等分した縦長の長方形」の文字は〔子午線通過する北斗七星の7つの星〕をあらわす。
 ⑥「星」の文字は〔北斗七星の星と、その他の大熊座の星〕をあらわす。

 大熊座を構成するすべての星は周極星(しゅうきょくせい)ではない。「天の北極の近くで円周運動するために、地平線の下に沈むことがない星」を「周極星」と称する。周極星は、1日2回の子午線経過をする。〔天の北極と天頂との中間の子午線経過〕を「上経過」という。〔天の北極と地平線の北(北点)との中間の子午線経過〕を「下経過」という。
 大熊座のうちの北斗七星の7つの星は周極星である。
 ①「神」の字源「鬼の姿に似る銀河」が下経過する時、北斗七星が下経過する。
 ④「胎盤」の字源「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」と顎鬚が生える「鬼の横顔に似る銀河」との中間の、その南に「長方形の暗黒天体部」がある。漢字の[池]の字源は「長方形の暗黒天体部」である。ヒエログリフにおいて、「長方形」に図案される文字は「湖、または池」を意味した。
 「大熊座」という語の中に使われる〔長方形の長いほうの2辺の真ん中に平行に短い線を入れて、2つの台形と両端が2つの三角形が形成される長方形〕は⑤「周囲が傾斜した池」を意味する文字とされた。
 「長方形の暗黒天体部」は〔台形に高くなる地所にある池〕のように観える。また、「長方形の暗黒天体部」の北側に結合する暗黒部は、「北アメリカ星雲」と「鬼の横顔に似る銀河の顎鬚」との中間にあって三角形となる。ゆえに、⑤「周囲が傾斜した池」の文字の字源は「長方形の暗黒天体部」ということになる。
 6000年前から2000年前まで、「長方形の暗黒天体部」が子午線経過する時、北斗七星が下経過した。
 紀元前3000年、ナルメル王によって第1王朝が創設された時代、「長方形の暗黒部」が子午線経過する時、北斗七星の第5星・ε(エプシロン)と第6星・ζ(ゼータ)との中間が下経過した。紀元前2000年頃の第11王朝時代、「長方形の暗黒天体部」が子午線経過する時、北斗七星の7星中最も光が強い1.8等のε星が下経過した。
 北斗七星のα(アルファ)、β(ベータ)、γ(ガンマ)、δ(デルタ)の4星が作る台形は〔カップ〕の形に相似し、ε、ζ、η(エータ)の3星は〔柄(え)〕の形に相似する。
 ⑤「周囲が傾斜した池」の字形には〔二つの台形〕がある。この〔台形〕は「北斗七星のカップ」の台形に共通する。したがって、⑤「周囲が傾斜した池」の文字の字源となる「長方形の暗黒天体部」は「北斗七星のカップ」に見立てられたことになる。
 それゆえ「長方形の暗黒天体部」を〔北斗七星の台形のカップ〕に見立てると、「長方形の暗黒天体部」から「北アメリカ星雲」にかけての形状は〔ε星からδ星までの北斗七星の柄〕の形状に類似することに気づく。また、「長方形の暗黒天体部」の東に隣接する〔「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河を経て「十字の銀河の股」まで〕の形状も、〔北斗七星のε星とζ星の中間からδ星までの柄〕の形に類似すると察知できる。
 だから、「大熊座」という語を構成する6字の中にある②「(翼が生えて速く走る)動物の片足」を図案する文字の字源は、「北アメリカ星雲から南に連結する長方形の暗黒天体部の西辺」ということになる。

10回前の〔17〕で解説したように、「北アメリカ星雲」は「ホルスの眼(の上半分)」であり、ホルス神はハヤブサの顔を持つハヤブサの姿からなる天空の神である。
 ハヤブサが降下攻撃するときに250km以上のスピードを出すといわれる。
 「北アメリカ星雲」の北側にして「鬼の姿に似る銀河」の背景となる銀河の形状は〔広げる鳥の片方の左翼〕に相似し、「十字の銀河」の背景となる銀河の形状は「広げる片方の右翼」に相似する。
 そして、『図説 古代エジプト文字入門』の113頁においては、「鳥の左翼」を図案する文字と「動物の片足」を図案する文字を上下に並べ、この2字は「翼:飛ぶ」という語をあらわすと記す。これゆえ、この「動物の片足」に、私は(翼が生えて速く走る)という説明を付け足した。
 5000年前の第1王朝時代から4000年前の第11王朝時代まで、北斗七星のカップが上経過した時、5回前の〔22〕で解説した大スフィンクスのモデルとなった獅子座のξ(クサイ)、ο(オミクロン)、主星のα(レグレス) 、ηの4星が子午線経過した。この〔獅子座のξ、ο、α、ηの4星〕は〔獅子座の前足〕となる。
 ゆえに、「(翼が生えたように速く走る)動物の片足」の文字は〔獲物を追って疾走するライオンの足〕を図案するものだったのである。
 ということは、「北アメリカ星雲から長方形の暗黒天体部の西辺まで」を〔疾走するライオンの前足〕に見立てて、「鬼の姿に似る銀河」は〔ライオンの顔・胴体・後ろ足〕に見立てていたことになる。
 そうすると、『図説 古代エジプト文字入門』は、〈ヘペシュ〉と発音する語を「大熊座」と記しているが、古代エジプトにおいては「大熊座」は「疾走するライオン座」であったのであろうか?

 前回〔26〕にて解説した司馬遷著『史記』五帝本紀にある帝堯(ぎょう)の時代の星空記事における春分点は、現在から4500年前の紀元前2500年の春分点となる。
 わが国には今から4050年前の紀元前2050年頃の夏代初頭(後期縄文時代初頭)に、夏音文字が伝来した。
 上記したように、紀元前2500年~同2050年、「長方形の暗黒天体部」が子午線経過した時、北斗七星にあって7星中最も光が強いε星が下経過した。
 『史記』五帝本紀は――帝堯代の春分の日の夕刻(現在の午後6時)に子午線経過する「北斗七星のε星」の名は、「鳥」であった――と記す。
 漢字の[鳥]の字源は「十字の銀河の背景となる銀河」と「鬼の姿に似る銀河の背景となる銀河」を〔鳥の両翼〕、「十字の銀河」を〔鳥の首〕、「鬼の姿に似る銀河」を〔鳥の胴体〕、「長方形の暗黒天体部」を〔鳥の足〕に見立てて成立する。
 ゆえに、〔鳥の足〕に見立てられた「長方形の暗黒天体部」が子午線経過した時に下経過した北斗七星のε星の名は「鳥」となったのである。
 国の特別史跡の花輪盆地に所在する大湯環状列石
(おおゆかんじょうれっせき)の野中堂(のなかどう)遺跡の日時計組石は、「鳥」(北斗七星のε星)を利用して、天球上における太陽が1年間通過する道となる黄道(こうどう)を測量する装置であったと現在に伝える。
 [命]の字源となる「長方形の暗黒天体」は〔精密に天頂緯度が測定できると憧れる天体部〕であった。ゆえに、この「長方形の暗黒天体部」が子午線経過する時に下経過する北斗七星のε星は注目され、この星は「鳥」と名づけられて、黄道を測量するための目星となったのである

 『図説 古代エジプト文字入門』の29頁に、〈ベネベネト(bnbnt)〉と発音する「ピラミッド」という言葉をあらわす6字が記載される。
 この6字は円形の下が欠けて無い①「半円形」、この「半円形」の下に②「ピラミッド」をあらわす三角形、この「半円形」と「ピラミッド」の左横に③「片足」とその下に④「さざ波」の文字が配置され、この「片足」と「さざ波」は1組セットになって隣に並び、⑤「片足」と⑥「さざ波」になって配置される。
 ⑤「片足」を図案する字の字源は「十字の銀河の子宮と重なる西の足」である。
 ⑤「片足」の文字の下の⑥「さざ波」の字源は「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」である。この「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」は「十字の銀河の両足の中央(股の部分)」から発するが、「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」は「十字の銀河の子宮と重なる西の足」がある西へ向かって流れる。ゆえに、⑥「片足」の字源は「十字の銀河の子宮と重なる西の足」となる。
 漢字の字源を研究する学者で有名な加藤常賢博士が著作した『漢字の起源』(角川書店)の「1501」と記される[足]の金文形は〔膝(ひざ)から下の足〕の図案である。この[足]の金文形は「十字の銀河の子宮と重なる西の足」と「コールサックの南北を180度転回して上南・下北した、コールサック北部の両足の内の西の足半分」を図案化したものである。
 (ただし、西に爪先がある「コールサック北部の内の西の片足」は〔西から東に流れる「黄河の水」をあらわして「地法」を示すものとなり、東に爪先がある「コールサック北部の内の東の片足」は〔東から西へ移動する天体の運行〕をあらわすものとなった。そして、この「コールサック北部の西の片足・東の片足」は、両方とも、[足]と[正]の字源となった。)

 この「コールサックの上南下北の形状」は〔膝から下の両足〕や〔腿(もも)から下の両足〕の形に相似する。
 「ピラミッド」という言葉の中で使われる③「片足」の字形は「腿から下の足」を図案したものである。
 ゆえに、[足]の金文形とヒエログリフ「ピラミッド」という言葉の中に使われる③「片足」の字源は同じとなる。
 6回前〔21〕で解説したように、ギザの3大ピラミッドの内のクフ王のピラミッドの設計モデルは「北アメリカ星雲」であり、カフラー王のピラミッドの設計モデルは「ペリカン星雲より放たれる3本線の閃光(せんこう)のような銀河部」であり、メンカウラー王のピラミッドの設計モデルは「人の横顔に酷似(こくじ)する銀河の左側の頭髪の生え際にある小さな三角形の銀河部」である。
 この〔3大ピラミッドの設計モデルとなった銀河部〕は、[足]の金文の字形となった「コールサックの北部の西の足の側面」となる。
 吉村作治・後藤健編者『NHKスペシャル 四大文明 エジプト』(日本放送出版局協会)の17頁には、CG画像による「三大ピラミッドのほとりまで達していた氾濫期のナイル」という写真が掲載される。このCG画像では――〔さざ波〕が立つナイル川の水はクフ王の河岸神殿より西側の参道まで達し、カフラー王の河岸神殿はナイル川の水に漬(つ)かり、メンカウラー王の河岸神殿の半分ぐらいまでナイル川の水が達している。
 したがって、「ピラミッド」という語を構成する④「さざ波」の字源は「3大ピラミッドの河岸神殿まで達するナイル川の水」ということになる。

 「ピラミッド」という語の中に使われる②「ピラミッド」を意味する文字の字形は〔三角形〕である。
 5回前〔22〕において――メンカウラーのピラミッドの参道が指差す方向は「春分の日の午前零時」をあらわし、またこの春分の日の午前零時にはメンカウラー王のピラミッドの参道が指差す東の空高く「夏の大三角(琴座、白鳥座、鷲座の主星が構成する三角形)」が昇っていた――ことを解説した。
 ゆえに、〔三角形〕であらわされる②「ピラミッド」の文字の字源は「ピラミッド」と「夏の大三角」ということになる。

 6回前〔21〕にて――「白鳥座γ星」は〔ピラミッドの頂上〕に相当し「白鳥座のα・δ・η・εの4星」は〔ピラミッドの底辺(地面と接する四角形)〕に相当する――と解説した。
 この白鳥座α星とγ星を結ぶ線は、③「コールサック北部の西の足」の〔5本指のつけ根〕に相当する。
 そして、〔21〕にて解説したように、「白鳥座γ星を中心にして円形に包囲する銀河」は「太陽」や「日」を意味する〈ラー〉と発音する字形が[◎]となる文字の字源となった。
 この「白鳥座γ星が子午線経過する時、エジプト暦の元日となる〔夏至の午前零時〕であった。
 そうすると、「ピラミッド」という語を成立させる右上の①「半円形」の文字は〔夏至の午前零時〕を示す図案であろうか。しかし、〔夏至の午前零時〕ならば〔円の中心に縦線を入れる図案〕か〔円を左右に二分した半円形の図案〕となるであろう。
 「ピラミッド」という語をあらわす6字の中にある①「半円形」は〔円を上下に二分した、上半分の形〕である。
 そうすると、この①「半円形」は〔東の地平線上にあらわれた朝の太陽〕を図案するものであると考えられる。
 全天第一の輝星おおいぬ座の主星シリウス(光度マイナス1.4等)が日の出の前に東の空に現れると、毎年きまってナイル川の洪水がおこる、エジプト暦の元日の夏至の日の朝であった。
 したがって、①「半円形」は「夏至の日の日の出」を図案化したものであったとことになる。
 「光」「輝き」を意味する〈アクゥ〉と発音する語の中に使われる「太陽と3本の光線」を図案化した「太陽」を示す上部の〔円〕の字源は円形に観える「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」である。
 この「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は「ホルスの眼」の〔瞳〕となる。
 そうすると、「北アメリカ星雲」もまた①「半円形」の字源であったにちがいない。
 というのも、「ホルスの眼」の[瞳]の半分となる東の「北アメリカ星雲」と西の「ペリカン星雲」を図案化すると〔円を上下に二分した、上半分の半円形〕となるからである。
 また、「北アメリカ星雲」と「ペリカン星雲」は③と⑤の「腿から下の足」の文字の③「片足」の字源となる「コールサック北部の西半分」と⑤「片足」の字源となる「十字の銀河の子宮と重なる西の足」の中間にある。
 ゆえに、①「半円形」の字源は「ペリカン星雲」であったにちがいない。というのも、「ペリカン星雲」は西にあり、「北アメリカ星雲」は東にあるので、西の「ペリカン星雲」のほうが先に地平線上にあらわれるからである。だから、地平線上に「ホルスの眼」の〔瞳〕が半分姿をあらわす、この半分は「ペリカン星雲」ということになる。
 5回前の〔22〕で指摘したように、カフラー王のピラミッドの前に建造されたスフィンクスの古称は「地平線のホルス」であった。「地平線のホルス」のうちの瞳となる「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」が地平線上に現れた形状は〔半円形〕となり、この「半円形」は「ペリカン星雲」であった。ゆえに、「ピラミッド」という語に使われる①「半円形」の字源は「ペリカン星雲」ということになる……。でも、「地平線のホルス」は「春分の日の午前零時」を表示する目星であった。
 5回前の〔22〕では、下記のごとく指摘した。
 3大ピラミッドは「夏至点・冬至点」を示す〔象徴する〕建造物であり、3大ピラミッドの複合体と大スフィンクスは「春分点・秋分点」を表示する(象徴する)建造物であったのである。
 そうすると①「半円形」の字形は「地平線上の朝日」を図案するものであるからして、①「半円形」の字源は「春分・夏至・秋分・冬至の日の地平線から昇る朝日」であると考えるべきことになる。 

 いままでの解説をまとめると、〈ベネベネト〉と発音する「ピラミッド」という語に用いられる①「半円形」の字源は「春分・夏至・秋分・冬至の日の朝日」、②「ピラミッド」の字源は「ギザの3大ピラミッド」と「夏の大三角」、③「片足」の字源は「コールサック北部の西の足」、④「さざ波」の字源は「氾濫期の3大ピラミッドの河岸神殿まで達するナイル川の水」、⑤「片足」の字源は「十字の銀河の子宮と重なる西の足」、⑥「さざ波」の字源は「ナイル川の氾濫の形状に似る銀河」ということになる。

 以上のように、「ピラミッド」という語を構成する6字は、〔21〕と〔22〕で解明したギザの3大ピラミッドと大スフィンクスと参道や「地平線のホルス」の秘密に合致する。ゆえに、〔21〕と〔22〕でおこなった解明は正しく、事実であったことになる。

 2世紀初頭に成立した漢字の字源を解説する許慎(きょしん)が著作した聖典『説文解字』の序は「けだし文字は経芸の本、王政の始め、前人のもって後人に垂れるところ、後人のもって古(いにしえ)を識(し)るなり」と記述する。
 このように、許慎は「銀河から作られた文字は経(科学・学術)と芸(造形芸術)の根本であり、王道政治が起源した強大な権力基盤となるものであり、歴史を知る方法である(前人のもって後人に垂れるところ、後人のもって古を識るなり)」と指摘する。
 12回前〔15〕のナルメル王のパレット(化粧板)よりこの回の3大ピラミッドと大スフィンクスの秘密を説明したように、漢字と同じくエジプトのヒエログリフもまた銀河から作られ、科学(学術)と芸術の根本であり、王朝が起源した強大な政権基盤であり、銀河の形状を観て歴史を知る方法であったのである。

 『魏志倭人伝』は「倭の占いに用いる辞(ことばと文字)は令亀(れいき)の法のごとし、すなわち中国殷代(いんだい)の亀の甲羅に刻む甲骨文字に相似する文字を使用した」と明記し、また「伊都(いと)国の役人たちは魏と帯方郡および諸韓国と倭が使節を送って国交を結ぶ時に送ったり受け取った時に、卑弥呼が用いる文字は差錯(ささく)・相違していたので、点検し確認していた」と記述する。
 このように、倭には確かに文字があった。
 卑弥呼の用いる魏、帯方郡、諸韓国と差錯する文字は、中国の正史『新唐書』日本伝に記載される夏音文字であった。この夏音文字においては【銀河各部の形状】が【文字】であった。
 卑弥呼が生存して弥生後期、日本列島の天頂に、ヒエログリフの「大きな家」を意味する〈ファラオ〉や「霊」を意味する〈カー〉の字源となって重視された「長方形の暗黒天体部」がめぐってきた。当時、中国の天頂にも「長方形の暗黒天体部」がめぐってきた。
 倭の使者たちは、最も精密天頂緯度が測定できる[命]の字源「長方形の暗黒天体部」を測量して大海を往来していた。しかし、魏、帯方郡、諸韓国においては天頂緯度測定の慣習は廃絶(はいぜつ)されていた。これゆえ、魏・帯方郡・諸韓国の使節は「長方形の暗黒天体部」で天頂緯度測定できなくなったいたため、大海を往来することができなかった。また、魏・帯方郡・諸韓国では【銀河各部の形状】を【文字】とする習慣が廃(すた)れていた。
 したがって、魏はじめ中国、帯方郡、諸韓国では重大な字源銀河部となった「長方形の暗黒天体部」で精密に天頂緯度を測定する習慣は失われ、【銀河各部の形状】を【文字】とする学芸も廃れていた。だから、魏はじめとする中国、帯方郡、諸韓国と倭の夏音文字は差錯(相違)していたのである。
 夏音文字はじめ仏教の経典に用いられた楷書も、中国からわが国に伝来した。この漢字の原郷(げんきょう)である中国では、「長方形の暗黒天体部」が天頂にめぐってきた3世紀において、天頂緯度測定を基軸として体系づけられた天文地理学と【銀河各部の形状】を【文字】とする学芸が失われていた。いっぽう、わが国では「長方形の暗黒天体部」が重視され、「長方形の暗黒天体部」から神社に入口の門とする「鳥居」が作られるようになった。今日、欧米の人々には「鳥居」は「日本」を象徴するものであるが、漢字の原郷の「中国」を象徴するものではない。この「鳥居」が示すように、中国では【銀河各部の形状】を【文字】とする学芸は失われていたが、わが国では栄えていた。

 3回前の〔24〕で説明したように、子午線経過するときの「長方形の暗黒天体部」の南半分には「2連菱形の銀河部」がある。この「2連菱形の銀河部」は、日本で最も多い神社名の「八幡宮」の「八幡」の語源となった。「2連菱形の銀河部」の菱形[◇]は、「八幡」の[幡]の字源である。『説文解字』は[幡]の字源を「書兒(しょじ)、觚(こ)に拭(ふ)くの布なり」と解説する。この[幡]の字源解説は「黒板拭きの布である」と伝えるものである。
 [幡]の字源につづいて、〔24〕に「書く」の[書]の字源銀河を解説した。[書]の下の[日]の字源は「長方形の暗黒天体部」である([書]の上半分の[聿]の字源は「十字の銀河」である)。
 このように、「長方形の暗黒天体部」は「書く」の[書]の字源にして「書いた文字を消す道具・器具」の字源でもあった。それというのも、五帝時代、夏代、殷代前半期まで、文字が銀河から作られた秘密は強大な権力を手に入れた帝王の最も重大な政権基盤であったので、厳重な機密とされたからである。つまり、「文字は書いた後、そのまま残さずに必ず消す」と定めるものであったため、「長方形の暗黒天体部」は[書]と[幡]の両方の字の字源となった。
 このため、約1000年間の三皇時代の結縄は約130字ぐらい出土しているが、五帝時代~殷代前半期までの約1700年間の出土した文字数は30字あるかないかの状況である。殷代後半期の甲骨文字の出土した文字数は、一挙に急増して約3000(そのうち解読されているものは約1200)といわれる。
 このような五帝時代から殷代前半期までの出土した文字は極端に少ないのは、わが国に伝来した夏音文字が示すように、「文字は書いた後、そのまま残さずに必ず消す」と厳しく禁止されていたからである。
 だから、卑弥呼が用いていた夏音文字では、「文字を書いた後、そのまま残さずに必ず消す」と厳重に定められていた。
 倭の占いに用いられた夏音文字は――『説文解字』の序が「王政の始め」と伝えるように「王道政治の強大な権力基盤」であったので、卑弥呼は王朝の崩壊を警戒して書いたまま残すことを厳重に禁止し、怠った者は死刑にすると法で定めるものであった。ゆえに、書いた後に[幡]の字源「黒板拭きの布」のような道具・器具で消されていたのである。
 だから、今日、夏音文字は遺物として発掘されないのである。

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