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2011年12月 2日 (金)

枯山水の名園で有名な竜安寺の庭園は”世界の文字は銀河から作られた”と証言する・13

 1716年、徳川吉宗が8代将軍となると、新井白石(1657-1725)は幕政から追放された。白石は、17世紀初頭のデカルトから始まる西欧近代科学の【合理】のパラダイム(理論的枠組み)を取り入れて、『古史通或問(こしつうわくもん)』を著作して『魏志倭人伝』に記述される「邪馬台国は大和である」と定めた。この白石から始まる西欧近代科学の【合理】のパラダイムが、現在までの日本古代史学界の権威の立論基盤となった。白石は晩年『外国之事調書(がいこくのことしらべしょ)』ほかの著作で、「邪馬台国は筑後山門(やまと)郡である」と意見を変えた。 

 しかし、古代史研究家の古田武彦氏は著書『「邪馬台国」はなかった』(朝日新聞社)にて、 『三国志』全体に出てくる[壹](壱)86個 [臺](台)56個の文字を一つずつ調べ、 [壹]を[臺]と書く誤記の事例が1例も無いことを証明した。
 白石は『魏志倭人伝』(『三国志』魏書・東夷伝の倭人伝)の「邪馬壱(やまい)国」を、西欧近代科学の傲慢(ごうまん)な単純化をもちいて「やまと」と読めると解したのかそれとも「邪馬台国」の書き違いであろうと推測したのか、その理由・根拠について判然としないが、卑弥呼が居住した王国の名を「邪馬台国」と定めた。 しかし、古田武彦氏が証明したように、 「邪馬壱国」が正しく「邪馬台国」という国は最初から存在しなかった。

 比較補助資料となる『後漢書』倭伝は「その倭大王は、邪馬臺国に居る」と記述する。 この「邪馬台国」の後ろに「案今名邪摩惟国音之訛也(今案ずるに”邪摩惟国”の音の訛りなり)という注がある。この「邪摩惟国(やまいこく)の訛(なま)りなり」という注の「邪摩惟」は「邪馬壱(やまい)」と音するものと考えるべきであろうが、『後漢書』倭伝は「邪馬臺=邪摩惟」と記すので、学者たちは『魏志倭人伝』の「邪馬壱国」は「邪馬台国」の誤りと定める。
 しかし、『後漢書』倭伝は補助資料であって、本資料ではない。だから、古田氏が立証したように「邪馬壱国」が正しいと考えるべきであろうが、古田氏の意見は無視されている。 

 このような本資料でない別の比較資料の「邪馬台国」という記述が正しいと主張するがごとく、現在の古代史学界は白石以来の傲慢な単純化を存続させて西欧近代科学の【合理】思考を絶対視する。
 しかし、西欧近代科学の【合理】のパラダイムは絶対視できるほど万全ではなく、白石以前の日本人本来の考え方すなわち竜安寺の石庭に示される【合理】の上に【合理】を成立させる【超合理】のパラダイムのほうが優っていることを知らない。だから、学者たちは新井白石を”日本古代史学界と邪馬台国研究の始祖”と崇拝し、日本古代史学界の権威を保持するものとなる。
 しかし、白石から始まる現在までの邪馬台国研究史は日本人民にとってまったく無意味な誤読の空論史であったのである

 というのも、今から約30年前の1980年代、欧米の先端科学者や科学論家たちは、 新井白石以前の禅の思想の【超合理】の考え方に注目して、日本古代史学界が絶対視する”西欧近代科学の【合理】の考え方は――傲慢な単純化をおこなう、無秩序から秩序を創造できない、複雑なものを複雑なままにあつかうことができない――など、はじめ幾つかの誤りや欠点がある”と、数度の国際会議を開いて警告した。 

 歴史学は科学に属する学術である。ゆえに1980年代において、いちはやく先端科学者たちの警告や指摘に耳をかたむけて、日本古代史学界は白石以来の西欧近代科学の【合理】の考え方から生まれた【文献批判】は【誤読】であるまいかと検討すべきであったはずである。
 しかし、この検討に、いまだ日本古代史学界は着手せず、学者の誰一人も日本人のからだと血に受け継いだ【超合理】で『魏志倭人伝』の全記事を見なおして、邪馬台国説が【誤読の空論】であることに気づいていない。
 これは日本古代史学界のいちじるしい怠慢であり詐欺であり、学者たちの無責任きわまりない横暴でありペテンであると、日本国民は憤(いきどお)る権利を有するものであり、また日本人として命の尊厳をまもらなければならない。

 なぜならば、今上陛下が大嘗会(だいじょうえ)において天皇を即位したとき、その頭上に高々とかかげられた王冠・菅蓋(かんがい)は、『魏志倭人伝』のすべての記事は正しいと表明する意匠となっているからである。
 この証明は左に表示した幻冬舎ルネッサンスから出版された拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』にて詳細に証明した。 

 『魏志倭人伝』のすべての記事は正しく【文献批判】はいっさい加える必要でないと表明する天皇の王冠の意匠は、皇室の繁栄を願いその権威を誇示するものではない。
 天皇の王冠の意匠は、日本人民が絶対に失ってはいけない なんびとにも排除されてはいけない、先人たちが全民族の欲求として切望した日本の理想を造形表現するものである。
 1980年代において学界が白石以来の【合理】の考え方ははたして正しいであろうかと疑問を抱き、日本人本来の【超合理】の考え方をとりもどしていれば、邪馬台国説は正真正銘のウソ八百であり【誤読の空論】であることが簡単に発見できた。
 だから、先端科学者たちが西欧近代科学の【合理】の考え方には幾つかの誤りや欠点があると警告したとき、日本古代史学界と学者たちは旧態依然(きゅうたいいぜん)として『魏志倭人伝』の真実を抹殺(まっさつ)しつづけることは、日本民族を虚仮(こけ)にして愚弄(ぐろう)して日本人民の理想を葬る大罪であると気づかなければならなかったはずである。
 だから、今日、学界が”『魏志倭人伝』には【文献批判】を加えてはならない。邪馬台国説は【誤読の空論】である”と警告しないという怠慢は、まさに詐欺でありペテンであるということになる。

 竜安寺の石庭は、計15個の石の数で【超合理】の考え方を示し、14個しか見えない仕掛けで【合理】の考え方の誤りを具体的にあらわしている。

 『魏志倭人伝』の対馬国から邪馬壱国までの旅程における方位記事を注目すると”日本列島は東に伸びず、南に伸びる”と説明している。

 また『魏志倭人伝』は「その道里を計るに当(まさ)に会稽(かいけい)・東治(とうじ)の東に在るべし」とも記述して ”日本列島は東に伸びずに南に伸びる”と証言する。東へ伸びる実際の日本列島の場合だと、中国の会稽と東治の東北になるが、旅程記事に則(のっと)って90度方位を転回すると日本列島は会稽と東治の東になって【合理】となるからである。

 旅程記事に則って対馬から邪馬壱国までの各小国の位置を日本地図にあてはめると、 卑弥呼が居住した「邪馬壱国は山陰出雲地方(石見・出雲・伯耆)であった」と考えれば【合理】が成立する。なぜならば、『魏志倭人伝』は「女王国の東、海を渡ること千余里にして復(ま)た国有り。皆倭種なり」と記述するからである。
 邪馬壱国=出雲の北に隠岐群島が所在し、この「隠岐群島」は「女王国・邪馬壱国の海を渡ること千余里ほど隔たる、皆倭種の国」と記述されるとおりの【合理】の国となる。なぜならば、転回する日本列島地理の方位は天体の運行に則って北が東になるように90度転回すると定めているからである。この転回方位に則ると、邪馬壱国の北が東となる。転回方位にもとづく邪馬壱国・出雲の東(現在方位の北)に所在する隠岐群島は知夫里島(ちぶりじま)・西ノ島・中ノ島で構成する島前(どうぜん)と、最も大きな島の島後(どうご)の4つの大島と約180の小島からなる。このような多数の島からなる隠岐群島を「皆倭種なり」と記述するは【合理】となる。
 隠岐群島のほかに日本海上の北に佐渡も所在するが、佐渡は一つの島からなるゆえ「皆倭種なり」という記述に対して【不合理】となる。
 だから、卑弥呼が居住した女王国・邪馬壱国は山陰出雲地方であったことが簡単にわかる。 

 上記の3種の【合理】の記事が相互に【合理】が成立しあう転回日本列島像論邪馬壱国山陰地方説の場合、『魏志倭人伝』の「女王国より以北は、その戸数・道里は略載(りゃくさい)を得可(うべ)きも、その余の旁国(ぼうこく)は遠絶(えんぜつ)にして詳(しょう)を得可べからず」という記述にも【合理】となる。 

 以上のごとく、転回日本列島像論邪馬壱国出雲地方説は ①対馬国から邪馬壱国までの旅程記事と【合理】となり、②「会稽・東治の東に在るべし」という記述に対しても【合理】となり、③「女王国の東の海を渡る、皆倭種なりの国」という記事にも【合理】となり、④「女王国の北の、その余の旁国」という記述にも【合理】となり、この4種の【合理】の記述は相互に【合理】が成立しあって全体論的にも【合理】が形成されて、いっさい矛盾せず不合理な点もまったく存在しない。だから、【超合理】が成立するものとなる。

 いっぽう、すべての邪馬台国説は、『魏志倭人伝』の記述に則って日本列島の方位を90度転回させない現在方位を基盤にして立論する。このため、上記の1種ごとの記事において部分的に【合理】が成立しても全部の【合理】が成立せず、4種の記述が相互に【合理】が形成しあうものではないので全体的にも【合理】はまったく成立しない。このように4種の記述に対して何一つ【合理】が成立しないから、この時点で、すでに邪馬台国説は【誤読の空論】であると証明される。

 すべての邪馬台国説は日本列島が90度転回するはずがないと主張する、この考えは西欧近代科学にもとづく【合理】の意見であると主張するものであろうが、この意見にもとづいても、上記の4種の記述に対して矛盾し不合理な点を有して【合理】が成立しない。
 だから、すべての邪馬台国説の実体は、西欧近代科学の【合理】の考え方の産物ではなく、西欧近代科学の傲慢な単純化の産物であり、無秩序から秩序が創造できない所以(ゆえん)の【誤読の空論】であったのである。

 邪馬台国説は日本列島が90度転回するはずがないと主張する。
 この主張が成立するためには、倭王朝はじめ倭国において、当時の中国で栄えていたシナ天文と同じく天の北極を最も重視していなければならないことになる。中国では天の北極を最も重視したために、当時の魏・蜀(しょく)・呉の使節はじめ人民たちは大海を渡ることができなくなり、日本列島に到着できなくなった。 

 紀元前1世紀、中国では天の北極を重視するシナ天文が完成した。このシナ天文学が完成しない以前においては、中国から大海を越えて日本列島に到着できた。
 『後漢書』倭伝の末部は「紀元前3世紀、徐福一行は大海を越えて日本列島の東鯷人(とうていじん)国に定住した」と記述する。このように、シナ天文が完成した紀元前1世紀以前ならば、中国でも天頂緯度測定の習慣が廃(すた)れていなかったので、中国に住む人たちは大海を渡って日本列島に到着できた。さらに、『後漢書』倭伝の末部は「3世紀、東鯷人は定期的に呉の会稽にやってきて交易するが、この東鯷人が往来する海の道は遥か遠くまでつづき途中で道が絶えてしまって、中国の人々には往来することができない」と明記する。
 『魏志倭人伝』にも「魏の出張機関がある朝鮮半島の帯方郡(たいほうぐん)の使節の張政(ちょうせい)一行は大海を渡ることができないので、倭の使節・載斯烏越(そしあお)一行が帰還する船に便乗して倭国に渡った」という記述がある。中国と帯方郡政庁では天の北極を重視するシナ天文のために天頂点をキャッチする習慣を失った。この結果、中国と帯方郡政庁の人々は大海を渡ることができなくなったのである。しかし、日本列島の倭国や東鯷国では。夏音文字の学芸が最も重視する天頂点をキャッチする習慣が栄えていた。だから、 倭人も東鯷人も大海を渡ることができた。

 『図詳ガッケン・エリア教科事典』第7巻〔地球・宇宙〕(学習研究社)における「緯度の測定」と題する文章は、日本列島に居住した倭人と東鯷人が大海を往来できたのに対して なぜ中国人や帯方郡の使節が大海を往来できなくなったのか、この原因を明示する。この文は下記のごとくである。

「緯度は天の北極の高度だから、簡単な方法は北極星の高度を測定すればよい。日付・時刻が決まれば、北極星の天の北極からのかたよりが計算できるので、天の北極の高度に換算できる。もっと精密に測る方法は、子午線経過を天頂の南側と北側とで行い、そのときの天頂距離がほとんど等しいような一対の恒星を選んでおき、その天頂距離の差を測るのである。」

 したがって、シナ天文が重視する天の北極の高度で緯度を換算する方法は天頂で緯度測定するよりも不精確である。また天の北極の高度で緯度換算する方法の場合は、上記の説明が「時刻が決まれば」という条件を付けているように、今日のように精確な時刻を表示する時計が必要となった。しかし、当時においては今日のように精確な時刻を表示する時計が発明されていなかったので、天の北極の高度で緯度を換算して自分の居る位置を定めるとかなり不精確となった。それゆえ、天の北極の高度で緯度を計測すると、 精密さが求められる大海においては位置と方位がまったく不明となり、茫漠(ぼうばく)たる大海原をあてどなく漂流し落命して家に帰ることができなかった。 

 だから、『魏志倭人伝』に記述される転回日本列島の記述は天頂緯度測定を基軸にして構築される夏音文字の学芸が栄えていた卑弥呼王朝が制定した日本列島地理であったことになる。
 というのも、邪馬台国説の主張のとおりだと倭王朝は天の北極を最も重視して日本列島は東に伸びると制定したことになるが、この考えにもとづくと魏と帯方郡の使節と同様に倭の使節も大海を渡ることができなくなる。そうすると 魏・帯方郡と倭は国交を結ぶことができなかったことになるので、『魏志倭人伝』のすべての文字はヤカンが吐き出す湯気のごとく蒸発してことごとく消えてしまうことになる。
 このように、邪馬台国説の”日本列島地理は90度転回するはずがない”という立論基盤は【合理】がまったく成立しない無意味な空論となる。だから、この立論基盤は、上記の『図詳ガッケン・エリア教科事典』が指摘する「緯度の測定」の科学を無視した西欧近代科学の傲慢な単純化から生まれたデタラメだったのである。 

 すべての邪馬台国説が【誤読の空論】であり、日本古代史学界と学者たちが絶対視する西欧近代科学の【合理】思考には誤りや欠点が存在することは、上記の「緯度の測定」記事を注目すれば簡単明瞭に察知できる。

 【誤読の空論】の邪馬台国説になぜ学者たちが夢中になるかといえば、日本古代史学界と学者たちは西欧近代科学の傲慢な単純化を用いて『魏志倭人伝』の記事を誤読してもよいとした白石を”邪馬台国説の始祖”と定めているからにほかならない。
 白石の意見はすべて【誤読の空論】であって、すべてが無意味であったのである

 左に表示した拙著『邪馬台国説は日本を滅ぼす』において、なぜ卑弥呼は日本列島が東に伸びずに南に伸びるかと考えたかまた証拠・理由・根拠について、図50~図60まで用いて詳細に立証した。

 『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の二神の誓約(うけい)説話には、『魏志倭人伝』に記述される卑弥呼が立論した転回日本列島地理の原理を説明する記述が存在する。また、この説話の末部に記載される「遠江国造(とおとうみのくにのみやつこ)の先祖の建比良鳥命(たけひらとりのみこと)」は、『魏志倭人伝』が作成された同時代の3世紀後半に1千万坪の大鳥の地上絵を制作した。この史跡は静岡県浜松市北区細江町の行政区の地図の形となって現存する。この大鳥の地上絵を学術調査すれば、卑弥呼が転回倭地理を立論したことが具体的に科学的に証明できる。

 また、この〔枯山水で有名な竜安寺の石庭は”世界の文字は銀河から作られた”〕における〔3〕や〔8〕などで指摘したように、竜安寺の石庭は”卑弥呼が統治した国の名の[倭]の字源は「銀河の運行に則って方位を90度転回して、北を東・東を南・南を西・西を北にする」ことであった”と証言する。だから、邪馬台国説のごとく『魏志倭人伝』における「日本列島は90度方位が転回する」という記述を事実でないと断定すると、「倭」と名づけられた国が存在しなくなってしまうので、邪馬台国説は【誤読の空論】であることが確かなことになる。 

 上記の「緯度の測定」にもとづくと、邪馬台国説の主張だと倭の使節も大海を渡ることができなかったことになるので、『魏志倭人伝』という史料は1字も存在しないこの世にまったく存在しなかったものとなる。このような邪馬台国説を、竜安寺の石庭をもって表現すると 石庭には15個の石からなる5群の石組が存在するが、邪馬台国説は「石庭には1群の石組もなく、一個も石も存在せず、石庭なるものもまったく存在しない」と主張するデタラメということになる。

 このような愚劣きわまりない傲慢な単純化から生まれたデタラメが、その意匠で天皇の王冠が”絶対に失ってはいけない、なんびとにも抹殺(まっさつ)されてはいけない”と表明する日本人の最も気高き理想を愚弄し虚仮にし、 約280年間も闇に葬りさらにこれからも葬りつづけようとしている。したがって、こんな自国民の理想を凌辱(りょうじょく)する馬鹿げた空論は世界中探しても存在しない。
 邪馬台国説は明らかに学者たちが傲慢な単純化を使ってデッチあげたウソ八百であり詐欺でありペテンである。

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