枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は”世界の文字は銀河から作られた”と証言する・4
前回(3)で指摘したように、竜安寺の方丈の間の南側にある石庭は、『魏志倭人伝』が記述する卑弥呼と壱与(いよ)が生存した3世紀に、中国とわが国の天頂にめぐってきた「鳥居の銀河」すなわち「長方形の暗黒天体部」をモデルにして作られている。
前回(3)にて、モデルとなる「長方形の暗黒天体部」が二つの正方形二つからなるので 石庭も二つの正方形からなると説明した。
しかし 西川孟(もう)著『龍安寺』(集英社)の64頁にある石庭平面図は東西24m・南北10mとなって、二つの正方形から形成される長方形ではない。
私が前回において指摘した正方形の二つの部分つまり東西20mの部分は、第5群の石組の西端までとなる。この第5群の西端は雨落溝(あまおちみぞ)の西端となり、また土を焼いた平たい板の磚(せん)が敷きつめられる西端となる。
このように、第5群の石組・雨落溝・磚が敷きつめられる西端までは、二つの正方形が明確に示されている。
でも、第5群の石組の西方には東西4m・南北10mの石組がまったく配置されない庭(余白の空間)がつづく。前回で解説したように、「長方形の暗黒天体部」は[命]の字源となった。「長方形の暗黒天体部」の北側は、[亼(しゅう)]の字源となる「二等辺三角形の暗黒天体部」が隣接する。そうすると、東西4m・南北10mの余白の部分は[亼]の字源部をあらわすものであろうか? しかし、余白の平庭の部分は長方形であるのに対して、[亼]の字源は二等辺三角形で合致しない。
二つの正方形(東西20m・南北10m)に余白の部分(東西4m・南北10m)が加わる長方形の庭園の設計は、すべての漢字の基本字(約1400字)が作られた銀河部分を表現するものと考えられる。
左に表示した幻冬舎ルネッサンスから出版した拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』の資料Bで、すべての漢字の字源が明らかとなる基本字が作られた銀河全域すなわち「秋の銀河と夏の銀河」の範囲を示した。
この漢字が作られた銀河全域の範囲を示すと、余白の部分をふくむ東西24m・南北10mの割合となる石庭の長方形となる。だから、石庭の全域はすべての基本字が作られた銀河全域を示すものと考えられる。というのも、二つの正方形におさまる5群の石組は 漢字が作られた銀河全域(秋の銀河と夏の銀河)を表現する仕組みになっているからである。
気になるのは、なぜ石庭の寸法は東西24m・南北10mとメートル法にぴったりと合致するのであろうか? この点である。
石庭が作られていた時代の土地の面積をあらわすとのき寸法は、メートルではなく尺寸法であったはずである。この尺寸法の間(けん)を単位にすると、石庭は東西13.2間・南北5.5間となって、中途半端な寸法になる。
しかし、石庭は銀河をあらわすものであるゆえ、その単位は天文学が用いる「1丈(じょう)=10度」(1丈=10尺)であったと考えるべきことになる。石庭の北側の「方丈」と呼ばれる建物の名からしても、石庭における基準となった寸法は天文学の「丈」であったにちがいない。ゆえに、石庭の1丈は2mであったことになる。
紀元前10世紀の中国の周代の1丈は2.25m、3世紀の魏の1丈は2.412m、14世紀の明の1丈は3.11m、現代の中国の1丈は3.33m、現在の日本の1丈は3.03mである。このように各時代、1丈の長さはさまざまに変わって一定ではなかった。
このことからして、石庭の1丈は竜安寺の禅僧が使う「2mの杖(つえ)」を「1丈」と定めたと考えられる。
私の家の菩提寺は臨済宗円覚寺(えんかくじ)派に属する寺であるが、この菩提寺に新しい青年僧が住持(じゅうじ)として就任する時の儀式において、青年僧は鹿の角(つの)の形に似る木の枝を杖にして登場した。この儀式に用いられた杖は、僧侶の背丈よりも高く、およそ2mぐらいであった。臨済宗妙心寺派の竜安寺と私の菩提寺は同じ臨済宗である。だから、臨済宗では鹿の角に似る木の枝を聖なる杖として用いるものであったと考えられる。
「文字」の[文]の字源となる銀河を、私は「十字の銀河」と名づけたが、この「十字の銀河」の見かけの大きさは[1丈=10尺=10度]であり「丈」の基準となり[丈]の字源となった。
『説文解字』は[丈]の字源「十字の銀河」の形状を「十尺なり。又の十を持するに従ふ」と解説する。この[丈]の字源となった「十字の銀河」は「杖」の形に相似するので[杖]の字源となった。
わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる白川静博士が著作した『字統』(平凡社)は『説文解字』の[丈]の「十尺なり。又の十を持するに従ふ」という解説を「十は手にもちうるものでなく、杖を持つ形」と批判する。しかし、『説文解字』の[丈]の解説は「[又]の字源となる右手の形に相似する銀河部が[十]の字源となる〔十字の銀河〕を杖のように持つように観える」と解説するものである。つまり 『説文解字』の「十尺なり。又の十を持するに従ふ」という解説は――[又]の字源の「右手」をいっぱい伸ばした、その前に見える「小指の幅」は「1度」 「親指の幅」は「2度」 「握りこぶしの幅」は[杖]の字源となる10尺・1丈の「十字の銀河」の「10度」となる――と 中国でも日本でも西洋でも、天文学においては度数の目安が定まっていた。だから、『説文解字』と『字統』の字源解説は誤っていない。
『古事記』は伊耶那岐命(いざなきのみこと)が持っていた剣を「十拳剣(とつかつるぎ)」と記載する。この「十拳剣」は『説文解字』が[丈]について「十尺なり。又の十を持するに従ふ」と字源解説する「握り拳(こぶし)の幅となる十度の「十字の銀河」をモデルにして作られた剣」であったにちがいない。
前々回(2)にて指摘してように、5群の石組はすべての字源が解明できる基礎知識を示す『易経』繋辞(けいじ)上伝の文(中国全土を洩れなく包む海岸線の形)をあらわす役目がある。
この文は「易は天地と準(なぞら)う。ゆえによく天地の道を弥綸(びりん)す。仰いでもって天文を観、俯してもって地理を察す」である。
この文中に「天地の道」という語句が登場する。「天の道」となる[道]の字源は私が「オス鹿の横顔に似る銀河」と名づけた銀河部であり、「地の道」は中国のオス鹿の横顔に似る「山東半島と廟島(びょうとう)列島の地図の形」である。5群の石組は上記の『易経』繋辞上伝の文をあらわす機能を有しながら、5群の石組はじめ石庭には大事な「天地の道」の[道]の字源を表示する造形が設計されず不明となる。ゆえに、字源を解明する基礎知識となる重要な [道]の字源を暗示するために、臨済宗の僧侶たちが用いる〔鹿の角の枝に相似する杖〕を石庭の〔1丈の寸法〕に用いられたのであろう。
[道]の金文形は「オス鹿の横顔に似る銀河」と「山東半島と廟島列島」の「天地の道」をあらわして「オス鹿の横顔」の形に図案化されている。この「オス鹿の横顔に似る銀河」において「十字の銀河」は「鹿の角」の部分に相当する。
石庭は竜安寺の僧侶たちが禅を修業する「道場」であり、また夏音文字の学芸を学ぶ「道場」である。ゆえに、この[道]の字に[場]の字を加える「道場」の1丈は「十字の銀河」に見立てた鹿の角の形をした背丈2mの杖を用いて、石庭の規模を東西12丈(12杖)・南北5丈(5杖)と定め、5群の石組にて表示されない不明な[道]の字源を補足説明したものと考えられる。
前回で指摘したように、「石庭の東」は「長方形の暗黒天体部の南」となる。
第1群の主石の大石は、拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』の資料Cにて私が「胎児の姿に似る銀河」と名づけた銀河の形に相似する。この「胎児の姿に似る銀河」は〔夏の銀河の西南部の西半分の形〕である。第1群の石組を数字の「8」の字の形をした白砂の紋様が包みこむ。この「8」の砂紋は「龍の横顔と首」の形に観える。〔夏の銀河の西南部の東半分〕は「龍の横顔と首」の形に観える。ゆえに、第1群の石組は「夏の銀河の西南部」に見立てることができる。
西端の第5群は夏の銀河の西南部の北側に所在する夏の銀河の東南部にある「人の横顔に酷似する銀河」に見立てることができる。なぜならば、第5群の大石は「人の横顔に酷似する銀河」に酷似するからである。
ゆえに、第2群は「たて座が漬(つ)かる銀河」、第3群は「人の横顔に酷似する銀河の右の胸部から腹部に相当する銀河部」、第4群は「わし座が漬かる牛の顔のような形の銀河部(人の横顔に酷似する銀河の左肩に相当する銀河部」に見立てることができる。
次に、西端の第5群から東端の第1群を見渡すと、第1群の「僧侶の横顔に似る大石」は私の「鬼の横顔に似る銀河」と名づけた銀河をあらわしていることが察知できる。ゆえに、 第4群・第3群・第2群は 第5群の「人の横顔に酷似する銀河」から第1群の「鬼の横顔に似る銀河」の中間に相当する「鬼の身に相当する銀河」や「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」の各部分の形に似ているように観えるようになっている。
次にまた最初と同じように、第1群から第5群を見渡すと、第5群の「人の横顔に酷似する首」の形をなす大石は、『古事記』序初頭部に登場する「参神造化(さんしん・ぞうか)の首(はじめ)を作(な)す」という語句をあらわすものであることが察知できる。この「首の銀河」は、私が「三つ輪の銀河」と名づけた無数の星が渦を巻き円を描き重なりあいひしめく三つの輪の形となる壮麗な銀河に包まれる。「三つ輪の銀河」のうちの「中央の輪(正円形)の北端に「首の銀河」が所在する。
今から約6000年前の縄文前期初頭において、「中央の輪の銀河の中央部」が日本列島の関東地方の天頂にめぐってきた。この「中央の輪の銀河の中央部を貫通する天頂緯度軸」を『古事記』は「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」と記す。というのも縄文前期に関東地方に煮炊き用以外の土器が作られるという土器の造形革命がおこったからである。この関東地方におこった土器の造形革命は「中央の輪の銀河」はじめ三つ輪の銀河の形状によって右脳が刺激されて起こった芸術の芽生えを示すものであったのである。 ゆえに この土器の造形革命を『古事記』序は「参神造化の首を作す」と記述した。縄文中期になると土器の表面にさまざま形の渦の紋様を刻み、 奔放(ほんぽう)な円形曲線で造形する装飾性豊かな土器や芸術性が優れた土偶が多数作られた つまり縄文中期には新潟県信濃川流域の火炎土器様式、関東地方の勝坂様式などの土器が作られ、あるいは日本最古の国宝の長野県茅野市尖石遺跡から出土した”縄文のビーナス”など、縄文芸術の最高峰の作品が数多く作られた。この縄文中期初頭の信濃川流域や関東地方や長野県の天頂に、「中央の輪の銀河の南部」がめぐってきた。縄文中期の天頂緯度軸を 『古事記』は「高御産巣日神(たかみむすひのかみ)」と表記する。縄文後期初頭の天頂緯度軸は 「三つ輪の銀河」の内の「南側の輪の銀河」を貫通した。この後期縄文時代初頭の天頂緯度軸身を『古事記』は「神産巣日神(かむむすひのかみ)」と記す。
この神産巣日神が天頂を通過した今から約4050年前の縄文後期初頭に、中国から帝益の孫の王子と若者たちが小舟を漕いで大海を越え、日本列島に移住して夏音文字を根づかせた。
益氏の若者たちが話す夏音は縄文人にはチンプンカンプンで理解できなかった。
しかし、益氏の若者たちが銀河を指さし手振り身振りで説明する夏音文字の学芸は、銀河から土器や土偶を創った縄文の芸術家たちには理解できたのである。
だから、わが国は卑弥呼や天照大御神が精通していた夏音文字の学芸が習得できた。
中国の『老子』上篇(道経)は〔文字〕で「銀河から文字が作られた」と解説し、『説文解字』の〔文字〕で字源を解説する。これに対し、竜安寺の石庭は〔造化(芸術)〕で「銀河から文字が作られた」と説明し、すべての字源が察知できるように作られている。
この相違は、わが国において夏音文字の学芸は〔造化(芸術)〕の右脳思考によって習得されたからである。
説明は横道にそれたが、第1群の石組は「鬼の横顔に似る銀河」を見立てることができ、 第5群の石組は「三つ輪の銀河と首の銀河」に見立てることができるので、第2群はその中間の[滝][川][水][為][偽]の字源となった「早瀬のように観える銀河」、第3群は「十字の銀河の下半身」、 第4群は「十字の銀河の上半身」に見立てることができる。
以上のごとく、 夏の銀河の西南部から秋の銀河の三つ輪の銀河までが、すべての字源が解明できる1400字前後の基本字が作られた銀河の全域であり、5群の石組はこの銀河全域の形状に見立てることができるようになっている。
このように、石庭はすべての字源が解明できる仕組みになっている。
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