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2011年12月15日 (木)

枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は”世界の文字は銀河から作られた”と証言する・22

 エジプトの史跡にあって、全長57m・高さ20mの大スフィンクスは、3大ピラミッドとともに世界的に有名である。
 古代エジプトでは多くのスフィンクスが造られたが、ギザのスフィンクスが最大にして最古のものである。
 胴体の部分はもともとあった岩山を彫ったもので、そのあと石灰岩で造った頭部を載せたのではないかと考えられている。

 この大スフィンクスの建造目的と建造した年代について諸説がある。

 そのなかの一つは、スフィンクスはカフラー王のピラミッドの前、ピラミッドに付属する河岸神殿に隣接していることから、カフラー王のピラミッドを守護するために造られたとする説である。したがって、ピラミッド複合体の一つとしてカフラー王の時代に建設され、スフィンクスの顔はカフラー王に似せて造ったと、最初は考えられていた。

 しかし、カフラー王の河岸神殿とスフィンクス神殿は石材もその組み方も違うので、スフィンクスはカフラー王のピラミッドよりも以前、クフ王の時代に建造され、スフィンクスそのものが太陽神としての信仰の対象だったという説が登場した。
 この説の場合、カフラー王のピラミッドとその他の複合建築(河岸神殿・参道・葬祭殿など)は、あらかじめ建造されていたスフィンクスを取りこむようにして、後に建設されたということになる。 

 ゆえに、これからの意見は、スフィンクスはクフ王の時代に建造されたという説にしたがうことにする。

 なお、スイフィンクスの前にある神殿跡を「スフィンクス神殿」と呼ぶ。このスフィンクス神殿は、スフィンクスの周辺から石材を運んで建設されたことが判明した。このため、スフィンクスとスフィンクス神殿は同時代に建設されたことになった。

 仁田三男著『図説 古代エジプト1』(河出書房新社)の37頁は、ギザの大スフィンクスの古称について下記のように記す。

 「古代名は〔ホル・エム・アケト(地平線のホルス)〕と太陽神ラーの化身であるホルス神と同一視されていた。ホルス神がまた、現世の王のことであるから、スフィンクスは王権と太陽信仰の結びつきを象徴するものであったのだ。」

 この〔枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は”世界の文字は銀河から作られた”と証言する〕の17回と18回に解説したように、ヒエログリフ「ホルスの眼」の字源となった銀河は「北アメリカ星雲・ペリカン星雲とその周辺の目の形に似る銀河部」である。そして「ホルス神」は「二重冠」を頭上に戴(いただ)くゆえ、ヒエログリフ「二重冠」の字源「鬼の姿に似る銀河」から「ホルス神」が創造された。「鬼の姿に似る銀河の首から心臓部まで」の部分にヒエログリフ「ホルスの眼」の字源となった「北アメリカ星雲・ペリカン星雲とその周辺の目の形に似る銀河部」が隣接し、「鬼の姿に似る銀河の首につく両眼」が〔ホルスが父オシリスを殺した叔父セトを敵視して憎悪する両眼」となる。
 だから、上記の『図説 古代エジプト1』が指摘するように、〔ホル・エム・アケト(地平線のホルス)〕すなわち「ホルスの眼」と太陽神ラーの化身である「ホルス神」は同一視されたのである。 

 前回(21)で指摘したように、「クフ王のピラミッド」は「ホルスの眼」の一部となる「北アメリカ星雲」に呼応して造られた。
 上記に示したように、スフィンクスはクフ王の時代に建造されたゆえ、「クフ王のピラミッド」のモデルとなった「北アメリカ星雲」はヒエログリフ「ホルスの眼」の字源銀河の一部であった。ゆえに、スフィンクスは”地平線のホルス”と称されることになったのである。

 ”地平線のホルス”という名のとおり、今から約4500年前のクフ王の時代のヒエログリフ「ホルスの眼」の字源銀河部が地平線上に出現する状況を再現すると――「ホルスの眼」は春分の日の午前零時の1時間前(23時)に、東からほぼ45度の東北の地平線上から出現していたことになる。
 このとき 「ホルスの眼」の西側の「人の横顔に酷似(こくじ)する銀河」が東から30度の東北東の位置にあり 地平線から10度~20度の高さまで昇っていた。反対側の西の地平線にあっては 「獅子(しし)座」の鼻先が高度5度となって西から25度の西北西の地平線へ没しようとしていた。そして、地平線の北から35度・南から25度まで120度におよぶ東の地平線を占拠し 鼻の先端が高度47、8度まで達する巨大な夏の銀河全像の横顔が天頂のほうに向いて横たわっていた。

 この〔地平線の上にヒエログリフ「ホルスの眼」が出現する状況〕がいわゆる”地平線のホルス”である。
 この「ホルスの眼」が地平線上に在る状況にもとづき、スフィンクスは①オシリス神が創造された「人の横顔に酷似する銀河」、②横たわるライオンの姿に似る「獅子座」、③ライオンの顔よりちょっと長いが ライオンの横顔に相似する「夏の銀河全像」に似せて作られたのである。

 上記にて紹介した仁田三夫著『図説 古代エジプト1』の36頁には、スフィンクスについて下記のごとく説明する記事がある。

 「その起源については、おそらくライオンのもつ獰猛さ、強きもの、それでいて精悍な容姿への憧れがこの聖獣を創造させたにちがいない。スフィンクスとは古代エジプト語で〔シェセプウ アンク(またはシェセプウ)〕とよぶが、それは〔シェセプ(似姿)〕の語に由来し、文字通り〔(力強き王の)生ける似姿〕を意味している。」

 この『図説 古代エジプト1』の指摘からしても、スフィンクスは①「人の横顔に酷似する銀河」、②「獅子座」、③「夏の銀河全像」を合体させて創造されたと考えるべきことになる。
 というのもオシリス神が創造された「人の横顔に酷似する銀河」はライオンの顔にも相似するからである。
 前に足を出してすわるスフィンクスの姿は「獅子座」の形と共通する。
 ③の「夏の銀河全像」にあっても――視界に光が入らない真っ暗な場所から見ると、瞳孔の直径が最大(8mmぐらい)に拡大されて暗い銀河部まで見えるようになると「夏の銀河全像」はライオンの横顔に相似するようになる。だから、このライオンの横顔に相似する「人の横顔に酷似する銀河」・「夏の銀河全像」と前に足を出して座るライオンの姿に観える「獅子座」にシェセプ(姿が似るように)、”地平線のホルス”=スフィンクスは創造されたことになる。

 スフィンクスの頭部は”ネメス”と呼ばれる頭巾(ずきん)をかぶる。
 「人の横顔に酷似する銀河」の後部となる北側に、全天第四 北天では第一の輝星で強烈な光を放つ”空のアーク燈”と呼ばれる琴(こと)座α(アルファ)星のベガ(高度0.1等)がある。「人の横顔に酷似する銀河から後方のこと座ベガ」までの銀河の形状は スフィンクスの頭巾”ネメス”の形にそっくりである。 

 春分の日の午前零時になると、クフ王のピラミッドからスフィンクスの方角(東から49度の南南東)に、ライオンの横顔の口部となる=夏の銀河の西南部にある「銀河系の中心」が位置した。
 この「銀河系の中心」方向には、無数の星が群がり星間物質が入り乱れて、渦を巻いてわきあがる入道雲のような迫力に満ちた圧巻的な形状でせまる。
 この「銀河系の中心方向の渦巻き」と同様に、ヒエログリフ「ホルスの眼の瞳」となる「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」もまた「渦巻き」の形となる。
 つまり、「銀河系の中心方向」は”巨大なホルスの眼(の瞳)”ということになる。
 だから、360度の地平線のうち3分の1の120度の地平線を占拠してライオンの横顔に相似する「夏の銀河全像」をモデルして作られたスフィンクスは”地平線のホルス”と呼ばれたのである。 

 春分の日の午前零時の2時間後の午前2時、ヘルクレス座のα星のラスアルゲチ(美しい二重星で、光度が3.5等の橙色の星と5.4等の鮮緑色の星とから成る)が、3大ピラミッドが建造されたギザ(北緯30度)の天頂点上に重なって輝いた。
 このラスアルゲチは、ライオンの横顔に相似する「夏の銀河全像」の鼻先に隣接する。
 
ゆえに春分の日の午前零時になると、クフ王のピラミッドからライオンの横顔に相似する「夏の銀河全像」の鼻先とラスアルゲチが在る方角(南南東)に、スフィンクスが建造されたのである。

 なお、エジプト暦では夏至の日が1月1日であったゆえ、今日の3月2日は3月2日ではなかったが、春分の日より21日前の今日の3月2日となる日の午後6時、座るライオンの姿に相似する「獅子座」のγ(ガンマ)星(光度2.3等の美しい重星)が首都メンフィスの天頂点上にめぐってきた。ゆえに、スフィンクスは獅子が座る姿に似せて造られたのである。

 さらになお、この〔枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は”世界の文字は銀河から作られた”と証言する・5〕で指摘したように――竜安寺の石庭における第1群の石組は 獅子の横顔に相似する「夏の銀河全像」の獅子の口となる「銀河系の中心方向」の〔わきあがる入道雲のような渦巻き〕をあらわす役割があり、竜安寺の山号「大雲山」の[雲]の字源・字形・字義をあらわすものであった。

 クフ王のピラミッドの葬祭殿とつながる参道は、東から15度の東北東を指すように作られている。
 クフ王のピラミッドの東から、天の赤道が出現する。「ホルスの眼」が地平線上にあるつまり”地平線のホルス”の状況のとき、東の地平線から昇る天の赤道となるポイントはじめとする天の赤道より北の地平線上にある天体部が天の北極を中心した角距離で15度歩行(移動)すると、春分の日の午前零時となった。ゆえに、クフ王のピラミッドの「参道の先端」は「春分の日より1日前の23時」をあらわしていたのである。

 カフラー王のピラミッドの東南東(東から8度ばかり南)に、クフ王の時代に造られたスフィンクスがある。そして カフラー王のミラミッドの葬祭殿から河岸神殿をつながる参道は、東から15度の方向を指さす。 
 ということは、この参道はスフィンクスが造られたクフ王のピラミッドの東から15度の東北東を指さす参道と密接に連関するものと考えるべきことになる。
 カフラー王のピラミッドはクフ王のピラミッドより西によって建造され。スフィンクスはライオンの座る姿に似せて造られ、”地平線のホルス”の状況のとき、座るライオンの姿に似ている「獅子座」が西北西の地平線の近くに位置した。前述したように、この「獅子座のγ星」は首都メンフィス(北緯29度59分)の天頂点となり、「しし座の主星のα星・レグルス(光度1.4等)」は子午線経過するときにメンフィスより約8度南に位置した。このような獅子座を構成する光度6.5等までの肉眼星が136個の星たちは、エジプト各地の緯度を測定する羅針盤(目星や物差し)となった。
 ”地平線のホルス”の状況のとき、メンフィスの天頂点と重なった「獅子座γ星」が天の北極を中心とする角距離15度・1時間 南から北へ向かって東から33度の西北西の地平線上について没する状況になると春分の日の午前零時となった。だから、カフラー王のピラミッドの東より15度南の東南東を指差す参道もまた、「春分の日より1日前の23時」をあらわしていることになる。

 メンカウラー王のピラミッドの葬祭殿と河岸神殿をつなぐ参道は東を指さす。
 この参道が指さす東の地平線から天の赤道が出現した。天の赤道の近くに、鷲(わし)座の主星・α星の彦星=アルタイル(光度0.9等)が位置した。鷲座の彦星は天の赤道が出現する東から7度の東北東の地平線から昇った。「ホルスの眼」の目尻の隣となる箇所に 白鳥座の主星・α星のデネブ(光度1.3等)が輝く。
 この鷲座と白鳥座と上記にて取り上げた琴座の3星座の主星が形成する三角形を”夏の大三角”と称する。この”夏の大三角”は真正ピラミッドの一辺の側面形(三角形)に相似する。
 春分の日の一日前の23時における”地平線のホルス”の状況のとき、白鳥座α星と鷲座α星の両星は地平線と平行に高度5度ぐらいの位置にあった。ゆえに、この両星と琴座α星を結ぶ”夏の大三角”は 高い台地に建設されたカフラー王ピラミッドの側面形に相似する。
 春分の日の午前零時になると、”夏の大三角”は一段と高い位置にあり、鷲座α星はメンカウラー王のピラミッドの参道が指さす東の上空に昇っていた。だから、メンカウラー王のピラミッドは「春分の日の午前零時」をあらわすものとなる。  

 前回(21)にて解説したように、ギザの3大ピラミッドはエジプト暦の元旦の始めとなる「夏至の日の午前零時」をあらわす建造物であったのである。実際には人間の目では、明るい太陽光線にさえぎられて見ることができないが、「夏至の午前零時の夜空」は「冬至の正午の空」の様子を示しているものとなる。ゆえに、3大ピラミッドは「夏至の午前零時の夜空」で「冬至の正午の空」を観察する。いいかえると「冬至点と冬至点の真北の夏至点」を知るための建造物であったことになる。 

 上記にて明らかにしたように、大スフィンクスと3大ピラミッドの葬祭殿・参道・河岸神殿の複合体は「春分の日の午前零時」=「秋分点」をあらわす表示する建造物であったのである。ゆえに、大フィンクスと3大ピラミッドの複合体は「春分の日の午前零時の夜空」は「秋分の日の正午の空」=「秋分点の真北の春分点」を表示する施設であったのである。

 エジプト暦は夏至の日を元日とし、1年を「アケト(洪水)」「ペロイェト(芽生え)」「ショム(欠乏)」の3季に分けられていた。
 しかし、春分・夏至・秋分・冬至の日も重視したのである。 
 この証拠が、3大ピラミッドと3大ピラミッドの複合体(葬祭殿・参道・河岸神殿)と大スフィンクスということになる。
 3大ピラミッドは「夏至点・冬至点」を示す(象徴する)建造物であり、3大ピラミッドの複合体と大スフィンクスは「春分点・秋分点」を表示する(象徴する)建造物であったのである。

 天の赤道上の「冬至点」がある南より90度東の天の赤道上に「春分点」があり、「冬至点」がある南より90度西の天の赤道上に「秋分点」がある。だから、「夏至の日の午前零時」で「冬至点」がわかると「春分点」と「秋分点」が明らかとなり、「春分の日の午前零時」で「秋分点」の位置を知ると、「秋分点」の90度西の天の赤道上にある「夏至点」の位置もわかる。「大スフィンクス」の古称「地平線のホルス」は――3大ピラミッドが建造された当時(今から約4500年前)、春分の日の一日前の23時にヒエログリフ「ホルスの眼」の字源・字形となった銀河部が地平線上にあった――と伝えるものであった。

 3大ピラミッドの3人の王は、北緯29度59分の首都メンフィスに居住した。
 首都メンフィスは、夜間に家々で灯(とも)す燈火で「北天の最輝部」のごとく明るかく輝く都市であった。ゆえに、明るいメンフィスの街路から銀河を観察すると 瞳孔の直径が最小(1.5mm~2mm)に縮小されて暗い銀河部が見えないため、夏の銀河はライオンの横顔に相似する形に観えなかった。少し光が視界に入るメンフィスの郊外で瞳孔径(どうこうけい)が5mmぐらいとなる目で、夏の銀河を見ると〔鼻の長い象(ゾウ)の横顔〕の形に観えた。つまり、「夏の銀河」は漢字の[象]の字源・字形・字義となった。メンフィスから緯度が2分北の人家の明かりがまったくとどかない真っ暗なギザ(北緯30度1分)の砂漠だと瞳孔径が最大(7mm~8mm)に拡大するので、「夏の銀河」の形は「ライオンの横顔」に相似し、また「長い人の横顔」に似ているように観えた。ゆえに、この瞳孔径が最大になる目で観る「夏の銀河」は「人の横顔」に似ているので、漢字の[人]に[象]が加わる[像]の字源となった。
 ギザの砂漠ならば、暗い銀河部まで見て銀河の全像が見える。だから、3大ピラミッドと大スヒンクスは、首都のメンフィスではなく、人里離れた見渡すかぎり地平線で包囲されるギザの砂漠に建造されたのである。 

 前回(21)で解説した3大ピラミッドに呼応する3つの銀河部すなわち①〔三角形に近い半円形〕の「北アメリカ星雲」、②〔三角錐〕の形に観える「ペリカン星雲より放たれた3本線の閃光のような銀河部」、③〔三角形〕の「人の横顔に酷似する銀河の頭髪の生え際にある小さな三角形の銀河部」は、子午線通過するときに首都メンフィスの天頂緯度線より北側に位置した。ゆえに、3大ピラミッドは首都メンフィスの南の地ではなく、メンフィスの北の地・ギザに建造された。


 
首都メンフィスの夜は人家が灯す明るい光で瞳孔径が縮小して精密に天頂点周辺の緯度が測定ができない。しかし、360度地平線となるギザの砂漠においては、夜になれば真っ暗闇になって瞳孔径が最大に拡大される。
 だから、ギザに3人の王の棺を葬るピラミッドを建造すれば、王の魂は迷わずに天上のピラミッドに呼応する銀河に到着して霊となり、さらにその霊は最も精密に天頂緯度が測定できる「長方形の暗黒天体部」にて地上にもどる新しい生命の芽生えが生じて、やがて生前住んだメンフィスの王の家(ファラオ)に命が甦(よみがえ)って生き返る――このように古代エジプトの王たちは死んでも命は再生すると考えていた。
 ゆえに、昇天する出発点から瞳孔径が縮小して緯度が精密に測定することができないメンフィスにはピラミッドを建造しなかった。
 漆黒(しっこく)の闇となるギザならば瞳孔径が最大に拡大して、ピラミッドから魂が出発して天にて霊となり新しい生命が芽生える「長方形の暗黒天体部」に到着できると確信するものであったのである。

 現在のエジプトの首都カイロから南へ約670km、その昔”テーベ”とよばれた今日のルクソールである。
 ルクソールは中王国時代から新王国時代にかけて、エジプトの中心地であった。このルクソールのナイル川東岸に所在する王家の谷に造られた王の墓には、「死者の書」と称する壁画があり、この「死者の書」の中には 死者の再生を助ける呪文(じゅもん)が書かれている。壁の絵には、死んだ王とその埋葬用の像が生き返ったときに行う儀式が描かれている。

 だから、死んだ王が再生するために、3大ピラミッドは人家がまったく無い精密に天頂緯度が測定できる砂漠の台地に建造されたのである。

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