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2012年1月 4日 (水)

枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は”世界の文字は銀河から作られた”と証言する・31

 古代エジプトでは、小さな虫の「タマオシコガネ」つまり“フンコロガシ”が、神々の中で最も位の高い太陽神のシンボルとされた。
 このような小さな昆虫が尊重され神聖視された事情は、ヒエログリフが銀河から作られたからである。
 糞(ふん)を丸めて地面に転がすフンコロガシがなぜ神々の仲間入りができたのか、この事情は我が国の史書『古事記』序の冒頭に記述されている。この『古事記』序の冒頭の記事は、現代語訳すると下記のごとくになる。
 「およそこの世の歴史の始まりにありましては、混沌(こんとん)たる天地万物の根元をとらえることができる知性がとうとう凝り固まって芽生えましたが、万物の生(いのち)あるものを形にしてとらえることができる芸術のきざしは、いまだ起源していませんでした。それゆえ、天と地は一体化されて区別もないものとして草創期・早期の縄文時代に作られた土器には表現され、天上の銀河各部には名も無く、名をつける術(すべ)も無く、銀河各部に個性的な形があるものとして考えられていませんでした。しかしながら、天と地が初めて区別されるようになって、6000年前の前期縄文時代には天頂にめぐってくる銀河の形にもとづいて天之御中主神(あめのみなかのかみ)という名をつけ土器を作って敬うようになり、5000年前の中期縄文時代には天頂にめぐってくる銀河の形から高御産巣日神(たかみむすひのかみ)という名をつけて芸術性豊かな造形で飾られる土器や土偶(どぐう)を作って神聖視するようになり、4000年前の後期縄文時代には天頂を通過した銀河の形状にもとづき神産巣日神(かむむすひのかみ)という名をつけて崇拝して多数の土器や土偶などが作られて、神の姿形(すがたかたち)を表現する参神造化(さんしんぞうか)の芸術が起源しました。」
 この後期縄文時代初頭、大海を越えて日本列島に渡ってきた名門益氏の王子と若者たちの話す夏音は縄文人たちにとってまったく意味不明で理解できなかったが、益氏がもたらした夏音文字の学芸は参神造化の知識を有する芸術家たちによって習得されることとなった。

 フンコロガシの姿に相似する銀河は、エジプト全土の最北端から最南端までの各地の緯度が精密に測定できる物差しとなった。ゆえに、その銀河は“フンコロガシの形に相似する”と知られるようになり、フンコロガシは神聖視されて地位の高い太陽神として崇拝されることになった。
 旅するとき、我ら日本民族の祖先も古代エジプト人も、天頂に位置する銀河から精密に緯度を測定すれば、道に迷わって途中で野垂(のた)れ死せずに命をまもることができて家族が待つ家に帰ることができた。だから、天頂にめぐっくる銀河は地上に住む人々のいちばん大事な命を委(ゆだ)ねる“神”となった。この“神”を地上に存在する事物の形を用いて形が有るものとし、名をつけて【神】と敬った。
 今から6000年前から以後、最北端から最南端までの約10度の緯度となる広大なエジプトの各地の天頂にめぐってくる銀河の形は、真上からフンコロガシを見た形に相似する。だから、フンコロガシは【神】と崇拝され、フンコロガシの姿は図案化されてヒエログリフとなった。
 このように、銀河から【神】と【ヒエログリフ】が作られ、この【ヒエログリフ】によって古代エジプトの学術と芸術を高められ、そして国家が繁栄することになった。

 エジプト全土の天頂を通過する銀河の形は“フンコロガシ”すなわち「スカラベ(タマオシコガネ)」の真上から見た姿に相似する。ゆえに、真上から見た「スカラベ」の姿は図案化されて文字となった。
 真上から見た「スカラベの姿」を図案した表意文字は〈ヘベル(hpr)〉と発音する。この〈ヘベル〉と発音する「スカラベの姿」を図案する文字は、「スカラベ」を意味する〈へペレル(hprr)〉と発音する語の中の決定詞として使われる。

 「スカラベの姿」をデザインする絵文字は、中央に頭・羽を有する胴体を描く。スカラベの頭には、太陽の光線のように観えるのこぎり(鋸)状のギザギザがある。
 「スカラベの姿」を図案する文字の最上部は糞を丸めて地面を転がす前足の図案を配し、最下部に後ろ足の図案を配する。
 前回の〔30〕にて、学術と文字の神「トト」をあらわす文字の字源は「トキの全身の姿(側身形)に似る銀河」であると証明した。
 この「トキの全身の姿に似る銀河」はじめ「コールサック」、「コールサックの東隣の銀河」、「十字の銀河」が一塊(ひとかたまり)となる銀河の形は、真上から見たスカラベの前足から後ろ足までの姿に相似する。
 そのうち、「トキの全身の姿に似る」・「コールサック」・「コールサックの東隣の銀河」がスカラベの頭と羽が生える胴体の形に相似する。
 「スカラベの前の両足」は「十字の銀河」と「鬼の姿に似る銀河の北隣の銀河」の形に相似する。
 「スカラベの後ろの両足」は「トキの肢の形に相似する銀河」と「鷲(わし)座α(アルファ)星・アルタイルより北側の銀河」の形状に相似する。

 「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は、「スカラベの頭にある光線のように観えるギザギザ」の位置に相当した。
 この「スカラベの頭の光線のように観えるギザギザ」の位置に合致する「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は、古代において、エジプトの北限となるナイル川河口北端(北緯31度35分)の天頂にめぐってきた。
 (ただし、精密にいうと、「北アメリカ星雲の南端」がナイル川河口北端の天頂にめぐってきた)。
 また、「スカラベの後ろの両足に似る銀河」は、エジプトの南限の境界線地域(北緯21度38分~北緯22度)の天頂を通過した。
 したがって、古代において子午線経過する「スカラベの頭の光線のように観えるギザギザの位置から後ろ足までの銀河」は、〔エジプト全土の最北端から最南端までの天頂〕にほぼ合致して位置した。
 ゆえに、「スカラベの姿に似る銀河」が子午線経過したとき、エジプト全土の各地の緯度を測定できる物差し(羅針盤)となった。

 なお、上記の「スカラベの頭の光線のように観えるギザギザから後ろ足までの銀河」が子午線経過するときに〔エジプト全土の最北端から最南部までの天頂〕に合致したのは、紀元前3000年の第1王朝から紀元前2180年の第6王朝末期までであった。
 「スカラベの頭の光線のように観えるギザギサ」に相当する「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は次第に緯度が高くなった。このため、紀元前2180年から始まる第7王朝は、第1王朝から第6王朝の首都メンフィスより南の北緯28度35分のヘラクレオポリスに遷都(せんと)した。
 「長方形の暗黒天体部」の南部の東西の辺に二つの菱形の枡(ます)が連なる。この二つの菱形枡の上下の枡の連結部は、ナイル川河口北端の天頂にめぐって「北アメリカ星雲の南端」より3度南となる。ゆえに、第7王朝はナイル川河口北端より3度南のヘラクレオポリスに首都を遷(うつ)したのである。
 〔歳差〕という天文現象によって、「スカラベの姿に似る銀河」の緯度の距離が伸びて次第に長くなった。ということは、「スカラベの姿に似る銀河」はあたかも横になって寝ていた人が徐々(じょじょ)に徐々にゆっくりと起き上がって次第に立ち姿になる状況であったことになる。徐々に徐々にわずかずつ「北アメリカ星雲」の緯度は高くなった。
 「スカラベの姿に似る銀河」の尻の部分は白鳥座β(ベータ)星がある。この白鳥座β星の緯度は、徐々に徐々にわずかずつ逆に低くなった。
 『魏志倭人伝』の末部に登場する壱与(いよ)・伊耶那美命(いざなみのみこと)が生存した西暦250年頃における「北アメリカ星雲」は、紀元前3000年の第1王朝よりも3度10分ほど高くなった。逆に、白鳥座β星は緯度が3度40分低くなった。
 第1王朝時代と250年の「スカラベの姿に似る銀河」の大きさは変わらない。にもかかわらず、その3250年の間に「スカラベの姿に似る銀河」の緯度が6度50分も増大したということは、前述したように子午線の方向に合致するように起き上ったことになる。
 この結果、250年になると、ナイル川河口の北端の天頂に「北天の最輝部」がめぐってきた。この「北天の最輝部」は「スカラベの胴体の上部」に相当する。
 (なお、250年当時、「スカラベの頭の光線のように観えるギザギザ」に見立てられた「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は北緯42度のローマの天頂を通過していた)。
 以上のように、西暦3000年から250年まで、「スカラベの姿に似る銀河」は〔エジプト全土の最北端から最南端までの天頂〕を覆(おお)っていた。
 紀元前30年、クレオパトラ7世がローマの属州になって、エジプト王朝は滅亡した。
 したがって、エジプト王朝が滅亡するまで、「スカラベの姿に似る銀河」を仰いで天頂緯度測定すれば、エジプト全土の各地の緯度が精密に測量できた。

 左に表示した幻冬舎ルネッサンスから出版された拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』の資料Bは、すべてのヒエログリフと漢字が作られた銀河の全域を示す。
 この資料Bの写真において、「夏の銀河の東北部」と記した領域が「スカラベ」の字源となった「スカラベを真上から見た姿に相似する銀河」である。

 この資料Bの写真の右下の巨大な球形の銀河を、私は「夏の銀河の西南部」と名づけた。
 9回前の〔22〕で説明したように、「夏の銀河の西南部」の中央に「銀河系の中心」がある。
 この「銀河系の中心方向」に無数の星が群がり星間物質が入り乱れるので、「夏の銀河の西南部」は渦を巻いてわきあがる入道雲のように迫力に満ちた圧倒的な形をしている。「ホルスの眼」の〔瞳〕にして「スカラベの頭の光線のように観えるギザギザ」に見立てられた「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」もまた〔渦巻きの形〕となる。
 ゆえに、「夏の銀河の西南部」は“巨大な「ホルスの眼」の〔瞳〕”ということになる。

 この資料Bの上を下に・下を上になるように180度転回すると、“巨大な「ホルスの眼」の〔瞳〕”となる「夏の銀河の西南部」は〔球状に丸めた糞と、この糞を転がすスカラベの姿(側身形)〕に相似する。
 つまり、資料Bに「巨龍の銀河」と記した部分が「自分の身長よりも少し大き目に丸めた糞を転がすスカラベ」に、「夏の銀河部の西南部」が「球形に丸めた糞」に観える。
 この「糞を転がすスカラベの姿に似る銀河」の西側に、さそり座のα星・アンタレスが輝く。この「スカラベの姿に似る銀河」における〔スカラベの姿〕は東から西のアンタレスがある方へ向かって糞を転がして行くように観える。
 太陽はじめすべての天体は、天の北極を中心にして東から西へと円周運動をする。ゆえに、「夏の銀河の西南部」の〔糞を転がすスカラベの姿〕はまるで太陽を転がすかのように観える。
 さらに、さそり座α星・アンタレスから「糞を転がすスカラベの姿に似る銀河=夏の銀河の西南部」にかけて、「黄道(こうどう)」つまり「天球上において太陽が通過する道」が通過していた。だから、「夏の銀河の西南部」の〔糞を転がすスカラベの姿〕は〔太陽を転がすスカラベの姿〕に観えたのである。

 マリア・カルメラ・ベトロ著╱南條郁子訳『[図説]ヒエログリフ事典』(創元社)の116頁は、古代エジプト人のスカラベへの思いを、ローマ帝政期のギリシャの文人・プルタルコス(46?-120?)が下記のごとく述べていると記述する。
 「彼らによるとスカラベにメスはいない。すべてはオスで、球形に丸めたある種の物質に精子をまき、天空を横切る太陽にまねて、その球を転がして歩くという。」
 〔糞を転がすスカラベの姿〕に相似する「夏の銀河の西南部」に、「太陽が通過する道」の「黄道」が通過する。
 また、黄道の北側を「天の赤道」も通過していた。
 だから、〔糞を転がすスカラベの姿〕に観える〔さそり座α星・アンタレスと球形の夏の銀河の西南部〕は「スカラベが球形に丸めたある種の物質に精子をまき、天球(夏の銀河の西南部)を横切る太陽をまねて、その球を転がして歩く」と信仰されることになったのである。

 9回前の〔22〕で解説したように、「夏の銀河全像(夏の銀河の東北部・夏の銀河の西南部)」はライオンの顔よりもちょっと長いが〔ライオンの横顔〕に相似する。大スフィンクスが建造された4500年前の春分の日の午前零時の2時間後の午前2時、美しい二重星のヘレクレス座のα星・ラスアルゲチが、クフ王のピラミッドの天頂で輝いた。このラスアルゲチは、「夏の銀河全像」が相似するライオンの横顔の鼻先に隣接する。これゆえ、クフ王のピラミッドからライオンの横顔に相似する銀河の鼻先にあるラスアルゲチが位置する方角(南南東)に、ライオンの座像に似せて作られた大スフィンクスが建造された。
 このラスアルゲチと「黄道」の中間を、「天の赤道」が通過した。
 「黄道」は“巨大な「ホルスの眼」の〔瞳〕”となる「夏の銀河の西南部の北部」を通過した。
 「天の赤道」は、“巨大な「ホルスの眼」のうちの目頭(めがしら)あるいは目尻のほうにある白目(しろめ)”となる部分を通過した。いいかえると、「天の赤道」は「夏の銀河全像が相似するライオンの開ける口」となる部分を通過した。
 また、「黄道」も「夏の銀河の西南部の北部」も「夏の銀河全像が相似するライオンの開ける口」となる箇所を通過した。

 「天の赤道」は緯度0度(地球の赤道)の天頂にめぐってくる。
 「夏の銀河全像が相似するライオンの開ける口」に、「天の赤道」と「黄道」が通過していた。この「ライオンの開ける口」を通過する「天の赤道」の南を「黄道」が通過した。
 このような「ライオンの開ける口となる銀河」が子午線経過するとき、「真上から見たスカラベの姿に似る銀河」はエジプトの東から東北東30度の天空に位置した。
 「真上から見たスカラベの姿に似る銀河」は「夏の銀河全像が相似するライオンの横顔における目・鼻よりの上のたてがみ」の箇所に位置する。
 これゆえ、「ライオンの開ける口となる銀河」が子午線するとき、「真上から見たスカラベの姿に似る銀河」が上(北)、「ライオンの開ける口となる銀河」は下(南)に位置することになる。

 ステファヌ・ロッシーニ著╱矢島文夫訳『図説 古代エジプト文字入門』(河出書房新社)の89頁に、〈ヘパル(hpr)〉とする「~に成る」と意味する語が記載される。
 この語は2字で構成され、上に表意文字の「スカラベ」を下に〈ル(r)〉と発音する「口」を意味する語に用いられる「口」を図案化した表意文字が配置される。
 この上の「スカラベ」の字源は「真上から見たスカラベの姿に似る銀河」であり、下の「口」の字源は天の赤道と黄道が通過する「ライオンの開ける口となる銀河」であるにちがいない。
 「太陽が通過する道」すなわち「黄道」は「糞を転がすスカラベの姿」に観える「夏の銀河の西南部」を通過する。この「夏の銀河の西南部」は「ライオンの開ける口」である。
 だから、「~に成る」の語に使われる「口」の文字の字源は「糞を転がすスカラベの姿に似る夏の銀河の西南部」であると考えるべきことになる。
 この「~に成る」と意味する語を構成する下の「口」の字源銀河の「夏の銀河の西南部」の形状は、上に配した「スカラベ」のごとく「糞を転がすスカラベの姿に成る」。
 
ゆえに、上に「スカラベ」、下に「口」の文字を配する語の意味は「~に成る」となったのである。

 『図説 古代エジプト文字入門』の2字で「~に成る」と意味する語の上に、5字で〈ヘペレル(hprr)〉と発音する「スカラベ」を意味する語が記載される。
 この語の決定詞は右端の真上から見た「スカラベ」を図案化する表意文字である。
 この「スカラベ」の左隣は2字とも同じ「口」を図案化した文字が上下に並ぶ。
 下の「口」の字源は「ライオンの開ける口となる銀河」である。この「黄道」が「ライオンの開ける口となる銀河」は”巨大な「ホルスの眼」の〔瞳〕”となる「夏の銀河の西南部」であり、「天の赤道」が通過する「ライオンの開ける口となる銀河」は”巨大な「ホルスの眼」の目頭または目尻のほうにある白目”である。
 ゆえに、上の「口」の字源は表意文字「ホルスの眼」の字源となる「目の形に似る銀河」とであると考えられる。「ホルスの眼」の〔瞳〕となる「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」の東隣の暗黒天体部」は「ホルスの眼の目頭のほうにある白目」に相当し、「北アメリカ星雲・ペリカン星雲の西隣の暗黒天体部」は「ホルスの眼の目尻のほうにある白目」に相当する。このように、「北アメリカ星雲・ペリカン星雲と東西の暗黒天体部」は〔目の形〕に相似する。

 『図説 古代エジプト文字入門』の58頁に、〈イレト(irt)〉と発音する「目」という語を意味する、決定詞の「目」と表音文字2字の計3字で構成される語が記載される。この表意文字「目」の字形においては、〔白目は白く、瞳は黒く塗りつぶされる〕。この「目」の語の右横は〈イル(ir)〉と発音する「行う」を意味する、表意文字「目」の異体字(いたじ)である。この「目」の異体字の字形は、「瞳となる北アメリカ星雲・ペリカン星雲と白目となる東西の暗黒天体部」と同様に、〔白目は黒く、瞳は白く〕デザインされる。つまり、この〈イル〉と発音する「目」の異体字は〔夜、天頂緯度測定を行う〕ことから「行う」を意味することになったにちがいない。

 説明をもとにもどし、5字で「スカラベ」を意味する語に使用される上下の2字が同じ「口」の字源の秘密を解説する。
 表意文字「目」の字源となる〔北アメリカ星雲・ペリカン星雲が瞳、東西の暗黒天体部が白目〕となる「目の形に似る銀河」は、表意文字〔口〕の字源でもあったのである。
 というのも、表意文字「口」の字形は表意文字「目」の字源「目の形に似る銀河」に似せて作られているからである。
 5字で「スカラベ」を意味する語に使用される、二つの「口」の文字における上の「口」は「ホルスの眼」と「目」の表意文字の「行う」を意味する異体字「目」の字源となった「目と口の形に似る銀河」ということになる。
 だから、上の「口」の字源は「ホルスの眼」の字源となった「口の形に似る銀河」、下の「口」の字源は“巨大な「ホルスの眼」の白目”となる「天の赤道」が通過する「ライオンの開ける口となる銀河」であったことになる。
 この二つの「口」の表意文字の左隣、いいかえると「スカラベ」を構成する語の左端には、上に「黒い円●の中に横に3本の白線が入る」文字を配し、下に「黒塗りの長方形の中に6本の短い白線が2列に並ぶ」文字を配列する。
 この上の「●の中に3本の白線が入る」文字は「黄道」をあらわすと考えられる。
 つまり、上の線は「天の赤道より北側(上)となる夏至点周辺の黄道」を、中央の線は「天の赤道と黄道が交わる春分点と秋分点周辺の黄道」を、下の線は「天の赤道より南側(下)となる冬至点周辺の黄道」を示すものと考えられる。
 前回の〔30〕にて指摘したように、エジプト暦は夏至の日に太陽が地平線から昇る直前に、おおいぬ座α星・シリウスが東の空に姿をあらわすを基準とする太陽暦にして恒星暦であった。ゆえに、下に配する「黒塗りの長方形の中に6本の短い白線が2列に並ぶ」文字は「正午の太陽の高度、午前零時の測量、日の出における太陽の方角、日の出直前のシリウスの位置を測量するために使用された道具」を図案化したものではあるまいか。
 あるいは、前述した「スカラベの姿に似る銀河」の傾き(起き上がる様子)の変化を測量する道具であったのかもしれない。紀元前3000年から250年までの3250年間に、「スカラベの姿に似る銀河」の緯度は6度50分も増大した。そうすると、「スカラベの姿に似る銀河」の傾きは10年間に1分18秒ずつ緯度が増えたことになる。このような1分18秒の変化ならば、特別に優れる目を有する人や「スカラベの姿に似る銀河」の傾きの変化を測量する役職に任命された天文士ならば日々眼力を鍛錬して感覚を研ぎ澄ましたにちがいないので、キャッチできたことになる。

 以上のように、〈ヘペレル〉と発音する5字で「スカラベ」を構成する語は――エジプト王朝では「スカラベは天空を横切る太陽にまねて球形に丸めた糞に精子をまいて歩き、糞の中から次々と子どもを生むようにして、永遠に命を受け継ぐ神聖な生物である」と見立てていた――と表示するものとなる。
 ゆえに、上に青い太字に示したプルタルコスが記述した古代エジプト人のスカラベへの思いは「スカラベが球形に丸めたある種の物質に精子をまき、天空を横切る太陽にまねて、その球を転がして歩く」という文になったのである。
 そうすると、スカラベを神々の中で最も位の高い太陽神のシンボルとするエジプト王朝においては太陽の日周運動は永遠に続くと考え、子どもたちは次から次へと生まれて、エジプトは永遠に滅亡しないと考えていたにちがいない。

 古代エジプトでは、【文字】となった【銀河】は【神】となった。
 ゆえに、①エジプト全土の天頂にめぐってきたスカラベの姿に似る【秋の銀河と夏の銀河の東北部】と②糞を転がして歩くスカラベの姿に似る【夏の銀河の西南部)】は神聖視され、スカラベは【黄道】と結びつけられて神々の中で最高位の太陽神のシンボルとなったのである。

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