枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は”世界の文字は銀河から作られた”と証言する・41
【文字】は【銀河各部の形状】から作られた。
この秘密は最も強大な権力基盤であり莫大な富を手に入れる方法であったので、この秘密を単純明快に説明する者は即刻死刑となった。
ゆえに、『古事記』に「文字は銀河から作られた」と単純明快に記述することはできなかった。
しかし、『古事記』作成においては竜安寺の石庭の設計モチーフとなる全体論的な考え方をすれば「文字が銀河から作られた」と察知できる複雑な方法を用いて伝えるように命令されていた。つまり、『古事記』の編纂(へんさん)では、中国の正史『新唐書』日本伝が記載するように、『古事記』が完成する10年前の702年に中国に渡った遣唐使が述べた「後稍(のちやや)夏音を習う」という方針が定められていた。
この「後稍夏音を習う」という史書作成の方針は「672年の壬申(じんしん)の乱の後、天武(てんむ)天皇の遺志を継ぐ持統(じとう)上皇が、夏音文字を稍々(やや)復興する方法で皇祖・天照大神が夏音文字の学芸に精通する聡明な偉大な女性であった讃(たた)える国家神話を作成せよ。しかし、伊耶那美命の陵墓を築造した時に、天照大神が多数の青年と乙女たちを殺した徇葬(じゅんそう)を決行した歴史は削除(さくじょ)せよ」とする、持統上皇が言動の端々(はしばし)で示す命令であった。
686年9月、天武天皇が世を去るとまもなく、皇后(後の持統天皇)は息子・草壁(くさかべ)皇子の脅威となる『日本書紀』が「天武天皇の第三皇子」と記して皇位継承順位が草壁皇子の次とする大津皇子を謀反のかどで自殺を命じて葬った。この大津皇子の自殺は皇后の謀略であることは明らかであった。この後、皇后と皇太子・草壁皇子の共治体制がとられたが、689年、草壁皇子が28歳で他界すると、翌690年皇后はみずから即位し、持統天皇となった。
692年2月、中納言の三輪高市麻呂(みわのたけちまろ)が上奏(じょうそう)して直言し、持統帝の伊勢行幸が、農時の妨(さまた)げになることを諌(いさ)めたが聞き入れず、翌月に天皇は伊勢に行幸した。
697年、持統天皇は孫の軽(かるの)皇子に譲位した。これが文武天皇である。
この譲位の時に、持統上皇が作った和歌は下記の『万葉集』28番である。
「春過ぎて、夏来(きた)るらし 白たへの 衣干(ころもほ)したり 天(あめ)の香具山(かぐやま)」
この和歌は「春日(かすが)の伊耶河宮(いざかわのみや)から〔春〕は伊耶那美命をあらわすことになった。しかし、今は天照大神が象徴される〔夏〕となり、伊耶那美命を象徴する天の香具山は天照大神の都であるわが藤原の宮いっぱいに夏の陽射しを浴びて干される真っ白な衣に隠れて見えない。とうとう皇祖・天照大神の時代が到来して、伊耶那美命を崇拝する時代は終わったのだ!」と意味するものであったにちがいない。
翌698年、天照大神を恒常的に鎮祭(ちんさい)させる伊勢神宮の壮大な宮殿が完成した。この時点で、天照大神は皇室の至上神の皇祖と定まったことになる。
ゆえに、1年前に上皇が作った『万葉集』28番の和歌は、702年に中国に渡った遣唐使jが述べた「後稍夏音を習う」という命令を示すものであったにちがいない。
このような経緯から、持統上皇が言動の端々で示して、従わなければ大津皇子のように殺すと脅迫(きょうはく)するところの「後稍夏音を習う」の方針に従って『古事記』は作成された。
しかし、編纂スタッフは朝廷と律令体制の欲求(よっきゅう)に背(そむ)いて天照大神が徇葬を決行した歴史を記述すると決意していた。
したがって『古事記』は反逆の史書でありながら、元明天皇が献呈を認める正史にしようと謀(はか)る史書でもあった。このため、幾つかの仕掛けが仕組まれた。
たとえば、681年に天武天皇が史書作成を命令した真意は要するに「稍夏音を習う」という虚言・マヤカシであったが、その言葉の表面だけを読みとれば「真実の歴史を記述せよ」という勅令(ちょくれい)となる。ゆえに、『古事記』の序に「諸家で所蔵する帝紀と旧辞は、すでに真実と違い、偽りが多く加えられているとのことである。そこで帝紀を書物として著(あらわ)し、旧辞をよく調べ正し、偽りを除き真実を定めて、後世に伝えようと思う」と天武天皇の詔(みことのり)を記載し、この天武天皇の詔の言葉を逆手(さかて)にとって『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話に天照大神が徇葬を決行した事実を記載した。
また、前回で指摘したように『老子』25章の〔反実仮装〕を利用して〔「黄泉国の伊耶那美命」は「天照大神」と表記して「伊耶那美命は伊耶那美命であらず、その正体は天照大神」である〕という表現して、編纂スタッフは天照大神が徇葬を決行した歴史を後世に伝えようとした。
要するに、『古事記』上巻と序は天照大神が徇葬を決行した歴史を記述する伊耶那岐命の黄泉国訪問説話を基軸(きじく)にして構築(こうちく)されるものであった。
夏音文字においては、【銀河各部の形状】が【文字】となった。この秘密は、編纂スタッフにとって好都合であった。
〔音〕という注が付く夏音文字をもって【銀河各部の形状】が【文字】であることを伝えれば、後世の人々は『古事記』に使われる夏音文字以外の【すべての文字(万葉仮名)】もまた【銀河各部の形状】であると察知する。この秘密に気づけば、後人たちは【銀河】を観て上巻・日本神話の歴史の真相を正しく知ることができる。
この漢字の秘密を、字源を解説する聖典の『説文解字』は序で「けだし文字は経芸の本(もと)、王政の始め、前人のもって後人に垂れるところ、後人のもって古(いにしえ)を識(し)るなり」と記述する。このように、『説文解字』の序は「銀河から作られた文字は経すなわち科学(天文地理学と漢字作成原理〔鳥獣の文〕の基盤となる女性の生殖器官の医学)と芸術の根本である。また、文字は王道政治が起源した最も強力な政治基盤である。そして【字源】は【銀河各部の形状】であるゆえ、この【銀河各部の形状】によって前人が後人に正しい歴史を伝え、後人が過去の歴史を正しく知ることができる方法である」と証言する。
だから、『古事記』上巻・中巻・下巻の3巻の序は、「上巻 序并」(上巻 并(あわ)せて序)と表記された。
現存する『古事記』の諸本の中で最古の古写本は、愛知県名古屋市中区の大須(おおす)観音の真福寺(しんぷくじ)文庫が所蔵する僧・賢瑜(けんゆ)が応永4年(1371)から翌5年にかけて書写したものである。この古写本には「古事記上巻 序并」と記されている。これゆえ、現在、出版されるほとんど書物の『古事記』の序は、「上巻 并せて序」と表記する。
『古事記』の序は、上巻だけの序であった、中巻・下巻の序ではない。
上巻の随所には、〔音〕という注が付く1字1音文字が記載される。
この文字は、夏代初頭・後期縄文時代初頭に習得した夏音文字である。この夏音文字で、すべての文字は銀河から作られたことを後人に伝えるため、きわめて異例な序にしたのである。
『古事記』序の冒頭記事は「臣安万侶(しんやすまろ)、言(もう)す。それ混元すでに凝(こ)りて、気象いまだ効(あらわ)れず。名も無く為(わざ)も無し。誰(たれ)かその形を知らむ。しかれども乾坤(けんこん)初めて分かれて、参神造化(さんしんぞうか)の首(はじめ)を作(な)す」である。
上記の「元明天皇に臣太安万侶がもうしあげます」から「誰かその形を知らむ」までの文は、前期縄文時代より以前の縄文人たちが天頂緯度を測定した銀河の形状、すなわち「三つ輪の銀河」や「十字の銀河」の北部の混沌(こんとん)としたなんの形に相似するのか表現のしようがない銀河の形状をを表現している。
わが国の草創期と早期の縄文土器は、深鉢(ふかばち)しか作られていなかった。この深鉢の形状は、底部を丸くした土器で天頂点となる銀河部位の軌道、底部が平らな土器で天頂点に接近した状況の天頂点を通過する銀河部位の軌道、尖(とが)った底の土器で天頂点を表現するものであったにちがいない。
深鉢に水を入れて、水面を天頂点を映す鏡にしていたと考えられる。
これら草創期・早期の丸底(まるぞこ)・平底(ひらぞこ)・尖底(せんてい)の土器は口縁部(こうえんぶ)を下にして地面に置くと、底が上となり天を示すことになる。尖底深鉢の底にあっては、尖った底が天頂を指し示す。
ゆえに、これらの土器の表面の文様は、『古事記』序の初頭にて安万侶が「その天頂点となる銀河部の状況は混沌としていたので土を固めて深い鉢にしたものの、鉢に水を入れて天頂点を映してもその天頂点付近の天体部には気をまったく感じられず象(かたち)も存在しないので、名をつけることができず天頂点の個性をどうあらわしたらよいのか方法がなかった。だから、この時代の縄文人たちがどの天体部位を天頂点として土器を造形していたのか、後世のわれわれは知ることができない」と表現したとうりの文様となっている。
安万侶が「参神造化の首(はじめ)」と表現した参神は、上巻初頭部で「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、次に神産巣日神(かむむすひのかみ)」であると記される。
今から6000年前の縄文前期から、縄文人の相違工夫によって、多種の用途に対応する新しい形の土器を作る造化革命が、関東地方から起こった。ゆえに、「天之御中主神」は縄文前期に関東地方の天頂を通過した「三つ輪の銀河の緯度軸」を表現するものであったのである。
というのも、「十字の銀河」の東隣に無数の星が群がって四つの輪の輪郭(りんかく)で区分けされる。いちばん南の輪の銀河部は、関東地方の参神の時代の天頂を通過していなかった。ゆえに、わたくしは「三つ輪の銀河」と名づけた。
夏音文字に精通する天照大神と子の崇神(すじん)天皇が居住した大和の三輪(みわ)山(奈良県桜井市三輪町)は古くから最も聖なる山といわれ、神の山と崇(あが)められてきた。つまり、この山は「造化の参神」に由来する神の山であったので「三輪山」と呼ばれることになったにちがいない。ゆえに、「造化の参神」の天頂緯度軸が貫通した三つ輪で区切られる銀河部を、わたくしは「三つ輪の銀河」と名づけた。
〔歳差〕という天文現象を用いて、今から6000年前の縄文前期の東北地方北部の天頂緯度軸の状況を調べると、「三つ輪の銀河」のうちの「最北の輪の銀河」を貫通していたことが明らかとなる。そして、土器の造化革命が起きた関東地方においては「三つ輪の銀河」のうちの「中央の輪の銀河」の北部を貫通していた。この「中央の輪の銀河」の北端に、鳥や鹿のヘビや龍の首の形をした銀河部がある。この動物の首の形に相似する銀河は約1.5度、満月の直径は約0.6度であるから、肉眼で見える。ゆえに、安万侶の「参神造化の首」と表現した「参神」は「三つ輪の銀河を貫通した天頂緯度軸」であったことになる。
したがって、「高御産巣日神」は「縄文中期の三つ輪の銀河を貫通した天頂緯度軸」であり、「神産巣日神」は「縄文後期の三つ輪の銀河を貫通した天頂緯度軸」であったことになる。
日本最古の国宝は、長野県茅野(ちの)市の尖石(とがりいし)縄文考古館に常設展示される“縄文のビーナス”と呼ばれる高さ27cmの土偶(どぐう)である。この土偶は今から約5000年前の後期縄文時代初頭のものとされる。この土偶は環状(かんじょう)集落の中央広場の小さい穴の中に横たわって埋まっていた。大形完形の妊娠土偶である。この土偶が出土した尖石台地は、北緯36度である。
「造化の参神」の名は、この北緯36度の尖石台地の前期・中期・後期縄文における「三つ輪の銀河」を貫通した天頂緯度軸の形状を調べると、その三神の名の由来を容易に理解できる。
今から約4000年前の後期縄文時代初頭、夏音文字の学芸をもたらした益氏は北緯40度の男鹿半島・米代(よねしろ)川縄文文化圏に居住した。この夏音文字であると証明できる5文字を刻む「日売大可美(ひめのおおかみ)」と解読できる石板1点と「左手に弓に似る形を有するの十字の銀河」を図案化した図書を石に刻む1点の2点の遺物が尖石台地から出土し、尖石縄文考古館に所蔵されている。というのも、この石に刻まれた図書がなにゆえ夏音文字文字かといえば、たとえば後者の〔左手に弓を持つ人〕を描く図書の場合、縄文のビーナスが作られた今から約5000年前に「十字の銀河の左手に持つ弓に似る形の先端(北端)」が尖石台地の天頂点にめぐってきたからである。
この夏音文字の5文字が刻まれる石板と「左手に弓を持つ十字の銀河」を図案化した夏音文字を刻む石が示すように、縄文のビーナスのような優れた造化作品を夏音文字が伝来する約950年前に創造していた尖石台地の芸術家たちは、益氏が住む男鹿半島・米代川縄文文化圏に旅して夏音文字を習得したのである。
縄文のビーナスが作られた中期縄文時代初頭、北緯36度の尖石台地の天頂点に白鳥座α(アルファ)星が重なり、「十字の銀河の頭の上部」を通過し、「三つ輪の銀河の中央の輪の銀河の中央部あたり」を貫通していた。
縄文のビーナスの胸部は「十字の銀河」の胸部と同じく十字形である。「十字の銀河」には〔子宮〕に観える部位があり、この「十字の銀河の子宮」は「妊婦のおなかの形の銀河部」と重なる。ゆえに、縄文のビーナスは妊娠土偶である。漢字作成原理〔鳥獣の文〕は「十字の銀河の子宮」を〔女性の子宮(生殖器官)〕に見立てて、〔万物の情(イメージ)に類似するように多数の漢字を生む〕という発明である。ゆえに、尖石台地の芸術家たちには、倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成原理〔鳥獣の文〕は理解できた。
「十字の銀河」は〔鏡餅(かがみもち)〕の形に相似して、「円い十字の銀河の頭」に上部に「小さな餅が重なるような凸部」がある。この「十字の銀河の頭部の凸部」と「十字の銀河の頭部中央の冎(あな)を円形に包む銀河部」は、縄文のビーナスの頭にかぶる〔帽子〕のモデルとなる。
この帽子の頂上部には渦巻きが刻まれ、この〔渦巻きの文様〕で「尖石台地の天頂に、十字の銀河の頭部の凸部と、無数の星が渦巻く三つ輪の銀河の銀河が通過した」と表示される。
「十字の銀河の頭部中央の冎」は〔縄文のビーナスの小さな顔〕に見立てられ、その〔両目〕は「鬼の横顔に似る銀河の首につく両目」の形に作られ、〔鼻とおちょぼ口〕は〔両目〕のモデルとなった中間にある〔鼻〕に相当する部分と〔おちょぼ口〕の形をした銀河部がモデルとなって造形された。
その腰のあたりの背後からポパイのような太い腕と大きな手が縄文のビーナスの上半身を抱(かか)え上げる。「十字の銀河」は〔左手〕に見立てられて[左]の字源となり、「鬼の姿に似る銀河」は〔右手〕に見立てられて[右]の字源となった。この[右]の字源となった「鬼の姿に似る銀河」は[左]の「十字の銀河」よりもはるかに太くて大きい。ゆえに、「鬼の姿に似る銀河」の印象から〔縄文のビーナスの上半身を抱え上げる両手〕が造形されたことになる。
縄文のビーナスの両足は両足は短く、左足が前足となり前に半歩出で少しだけ長い。「十字の銀河の妊婦のおなかのように観える銀河部」は「十字の銀河の短い右足」にも相当する。ゆえに、縄文のビーナスの両足は「十字の銀河の右足」にもとづいて短くし、「十字の銀河の左足」は長いので左足を少し長めにしたことになる。
そして、縄文のビーナスの側身形は「コールサック」の形にそっくりに作られている。
また、縄文のビーナスの背中の〔頭部をおおう帽子の下端から臀部(でんぶ)まで〕の形は「十字の銀河の頭部」の形状に相似し、そのビーナスの背面の〔十字形の中心部〕は尖石台地の東西の緯度と南北の子午軸を測定した天頂点となった「十字の銀河の頭部の凸部・冎の中心」に相当するようになっている。
上記したように、縄文のビーナスの太い腕と大きな手のモデルは「鬼の姿に似る銀河」である。「鬼の姿に似る銀河」は〔右手〕に見立てられて[右]の字源となり、[又]の字源ともなった。ゆえに、[又]の字義は「みぎ(右)」であり、字音も[右]と同じ「ユウ」である。
「鬼の姿に似る銀河」は〔女性の子宮に宿る胎児〕に見立てられて[女]の字源をあらわすことになり、[女]に[又]が加わる[奴]の字源となった。この[奴]の字源の「鬼の姿に似る銀河」は東にある「十字の銀河」が歩く・通る〔地面〕のように観えるので、[奴]の字源となった「鬼の姿に似る銀河」は[土]の字源にもなり、〔通路〕に見立てられて[通]の字源にもなった。さらに、[奴]の字源「鬼の姿に似る銀河」は〔通路のように堅い土〕に見立てられて[堅]の字源にもなった。これゆえ、『説文解字』は[堅]の字源を「剛(かた)きなり」すなわち「堅い土」と解説する。
だからこそ、『魏志倭人伝』における[奴]の字義は「堅い土を開墾・耕作できる強い力がある若者の太い腕と大きな手」や「18歳ぐらいの屈強な若者」をあらわすことになった。
また[奴]の字源は「各天体部の円周運動をする原動力となる巨大な力(エネルギー)」、あるいは「洪水で氾濫する水のすさまじいエネルギーの威力を示す渦巻き」をあらわすことになった。
あるいは、『魏志倭人伝』では「鬼の姿に似る銀河」の東の「十字の銀河の子宮」と南の〔産道〕に見立てられた「長方形の暗黒天体部」のイメージが結びついて「さまざまな強い力で胎児を出産させる母体の子宮や骨盤や直腸などの仕組み」も[奴]の字義をあらわすことになり、さらに「鬼の姿に似る銀河」を〔鳥と蝶の体〕に見立てまた北側の「鳥や蝶の羽の形に似る銀河」に見立てて、「空に体を浮揚(ふよう)させて飛ぶことができる鳥や蝶の翼」も[奴]の字義を示すことになった。
『魏志倭人伝』の伊都(いと)国の隣国の「奴(な)国」は北九州の福岡市の〔博多湾〕が〔母体の骨盤〕の形に相似し、オス鹿の横顔のような形の伊都国・糸島半島が「オス鹿の横顔に似る銀河」の形に相似するので〔博多湾〕は〔産道〕に見立てられた。ゆえに、「福岡市街」は「奴国」であったことになる。
小国の「弥奴(みな)国」は愛知県西半分の「尾張」であった。尾張の地図の上南・下北にすると、南の〔知多半島〕は[弥]の字源の「カンムリカイツブリ」の〔頭・首〕に観え、「尾張」という地名のごとく〔尾に相当する北部が張って広がる地域〕はカンムリカイツブリの[奴]の字源「空を飛ぶことができる翼」のように観える。だから、「尾張」は「弥奴国」であった。
小国「姐奴(つな)国」は福井県中部・北部の「越前」である。越前は北部が広大で、若狭(わかさ)と東西二つに分かれる敦賀(つるが)半島がある南部が狭くて小さい。敦賀半島は越前の太い大きな綱(つな)と若狭の細い小さな綱の二つの綱の結び目のように観える。だから、万葉仮名式に読むと「つな(綱)」と読める「姐奴」は「越前」であったことになる。越前北部の地形は[奴]の字義「若者の隆々(りゅうりゅう)と盛り上がる二の腕の力瘤(ちからこぶ)や頑丈(がんじょう)な肩甲骨(けんこうこつ)」の形に相似する。
敦賀半島で越前と境界を分ける福井県南西部の「若狭」が「蘇奴(さな)国」であった。[蘇]は「幼虫が死骸(しがい)のような蛹(さなぎ)となって、命が蘇(よみが)えるように羽化(うか)して美しい成虫となる蝶」をあらわす。上記したように、[奴]の字源「鬼の姿に似る銀河」は[右]の字源で、また「18歳ぐらいの若者」である。ゆえに、旧国名の先頭には[若]の字が配され、福井県南部は〔狭い地形〕であるので「若狭」となった。また、「鬼の姿に似る銀河」は〔「十字の銀河」に似る人が歩いた通路〕に見立てられて、[通]の字源となり[通]の初文の[甬(よう)]の字源でもあった。この[甬]と[虫]が組み合わさる字は「さなぎ」を字義とする[蛹]である。つまり、[奴]の字源の「鬼の姿に似る銀河」は[虫]の字源でもあった。ゆえに、「若狭」の上南・下北の地形は〔蝶の幼虫と蛹〕の姿に相似するということで「蘇奴国」という名になった。
「華奴蘇奴(かなさな)国」は京都府の「山城(やましろ)」であった。東上・西下の「山城」の地形は山地の草原に生息する〔ヒメシロチョウの成虫〕の両翼を広げた形に相似し、〔蛹〕の形にも相似する。ヒメシロチョウが食べる草は、華(はな)が藤色のクサフジやツルフジバカマである。[華]の金文形は「藤やクサフジのような房状の花びらと葉」の形に相似するように図案される。ゆえに、「華奴蘇奴国」は「山城」であっことになる。
小国「鬼(き)国」は三重県南部の「志摩(しま)」であると考えられる。「志摩」の地形は「タカが嘴(くちばし)に餌をくわえる頭部」の形に相似する。志摩の〔英虞(あご)湾〕は〔タカの口〕の形に相し、〔英虞湾の南岸〕は〔餌を加えるタカの嘴〕の形に相似する。[鬼]の金文形は「北アメリカ星雲と長方形の暗黒天体部」の形に相似し、「北アメリカ星雲」を〔餌となる獲物にめがけて急降下するタカ〕に見立て、「長方形の暗黒天体部」は[皿]の字源であるので〔皿形のタカの巣〕をあわすものとなる。ゆえに、小国名の[鬼]の字義は「タカ(鷹)」となる。
小国「鬼奴(きな)国」は和歌山県と三重県の一部の「紀伊」である。「紀伊」の地形は〔[鬼]のタカが[奴]の翼で空を飛ぶ姿〕に相似するので「鬼奴国」となる。
「烏奴(あな)国」は高知県・徳島県の「土佐・阿波」、烏奴国の隣国の「奴国」は愛媛県・香川県「伊予・讃岐(さぬき)」であった。
徳島県の北東端にある「鳴門の渦潮」の潮流は時速20km以上になることもあり、世界でも最高級の速度であるといわれる。轟々(ごうごう)とすさまじい音響を立てて豪快に渦巻く渦は直径は20m以上に達するものもある。この地の底からかきまわすかのごとく巨大に渦を巻く鳴門の渦潮の地響きは、瀬戸内海の女神が妊婦のごとく怒責(どせき)すなわち怒るがごとき大きな声を挙げて四国の土地に豊かな農作物を恵み、多数の子どもたちを出産させて子孫繁栄をもたらす、「非常に強大なエネルギー」をあらわす[奴]の字義を示すものとなる。土佐・阿波南四国の中央部に浦戸(うらと)湾があり、この〔浦戸湾〕の形は〔烏〕の体のように黒い「コールサック」の形に似ている。この〔浦戸湾〕と〔鳴門の渦潮〕は、南四国全体の陸地と比較すると〔小さい穴〕のように観えるので、「南四国(土佐・阿波)」の小国名は「烏奴(あな)国」となったのである。
伊予・讃岐の北四国中央の燧灘(ひうちなだ)は人の〔首〕の形に相似し、〔伊予・讃岐〕の地は[奴]の字義となる「屈強の若者の肩甲骨や肩の筋肉」に相似する。また、〔伊予・讃岐〕の地を[奴]の字源となる「女性の骨盤」、〔燧灘〕は〔胎児が出産する骨盤口〕のようにも観える。ゆえに、伊都国の隣国の博多湾に面する福岡市街の奴国と同じ字を用いる、烏奴の隣国の「奴国」は「北四国(伊予・讃岐)」であったことになる。
奴国の次は、小国名に[奴]の字が付く狗奴(くな)国である。 この狗奴国について、『魏志倭人伝』は末部で「倭の女王・卑弥呼と狗奴国の男王卑弥弓呼(ひみくこ)は素(もと)より和せず」と書く。ゆえに、奴国は倭国の境界となり、狗奴国は倭国の一員ではなかった。この状況を、『魏志倭人伝』は前半部で「次に烏奴国有り。次に奴国あり。これ女王の境界の尽(つ)くる所なり。その南に狗奴国有り」と書く。
日本列島は東に伸びる。しかし、『魏志倭人伝』は「倭の道里を計るに、当然、呉の会稽(かいけい)や東治(とうじ)の東に所在するべし」と説明して、日本列島は〔東に伸びず〕に「南に伸びる」と記述する。つまり、卑弥呼王朝は方位規定を90度転回して〔東〕を「南」とする日本列島地理を制定し、この「90度の方位規定」は[倭]の字源をあらわすものであり、また日本列島に[人]の字源となる「長方形の暗黒天体部」がめぐってきたので、国の正式名は「倭人国」と定めた。ゆえに、「奴国の南に有る狗奴国」は現在方位だと「狗奴国は奴国の東に有る」ことになる。奴国の中心地は現在の愛媛県の県都の松山市であったとすると、松山市の東に岡山県の県都の岡山市がある。この岡山市が狗奴国の中心地ということになる。
岡山県の南の瀬戸内海に香川県の小豆島(しょうどしま)が浮かぶ。この小豆島の形は〔狗〕の形に相似するので、小豆島も狗奴国であったにちがいない。小豆島の西の児島半島の形も〔狗の背中から尾まで〕の形に相似する。[狗]の字源は〔犬の姿〕に相似する「コールサック」である。「人の横顔に酷似する銀河」は〔人の横顔〕に類似する〔中国の海岸線〕に見立てられたので、「人の横顔に酷似する銀河の東隣の「コールサック」は〔黄海や東シナ海〕に見立てられた。これゆえ「コールサック」を〔小豆島と播磨灘〕に見立てると、その北の〔岡山県の陸地〕は[奴]の字源の「鬼の姿に似る銀河」に相当する。だから、「狗奴国」は「香川県小豆島と岡山県」であったことになる。
以上のように、縄文のビーナスのポパイのように太い腕と大きな手は、『魏志倭人伝』の小国名において9ヵ国の名に使用される頻度(ひんど)が最多の[奴]の字源を示すものとなる。
日本最古の国宝・縄文のビーナスは夏音文字が日本列島に伝来する約950年前に作られた土偶である。縄文のビーナスの上半身を抱え上げる腕と手は、益氏がもたらした夏音文字の[奴]を示すものであったから、尖石台地の芸術家たちには[奴]の字源は容易に理解できたにちがいない。尖石台地の土器や土偶が示す縄文芸術ならば、夏音文字は習得できた。
縄文時代も同様に弥生時代もまた、堅い地面を開墾し耕作するには「奴」の若者の太い腕と大きな手が不可欠であったから、『魏志倭人伝』の小国名で使用頻度が最多の文字となったのである。
縄文のビーナスが作られた今から約5000年前の後期縄文時代初頭における北緯36度の尖石台地の天頂緯度軸は、白鳥座α星から「鬼の横顔に似る銀河の後頭部につく目の形に似る銀河の北端」、そしてその隣の「鬼の横顔に似る銀河の角の先端(北端)」、さらに「十字の銀河の頭部の凸部」を通過した。この天頂緯度軸が通過した「鬼の横顔に似る銀河の角の先端」と「鬼の横顔に似る銀河の後頭部につく目の形に似る銀河の北端」は、縄文のビーナスが頭にすっぽりかぶる〔帽子〕のモデルとなった。というのも、縄文のビーナスの側身形における〔帽子〕の傾きは、「鬼の横顔に似る銀河の角の先端から後頭部につく目の形に似る銀河部」までの形状に相似するからである。その〔帽子〕の頂上部が〔平ら〕であるのは、天頂点と重なる時の銀河部位の軌道は[玄]の字源となる「真東から真西へと平らな極細の線」を描くからである。
縄文のビーナスの〔帽子〕の平らな頂上部には〔渦巻き〕の文様が刻まれる。
山梨県東八代郡御坂(みさか)町の花鳥山遺跡から出土した諸磯(もろいそ)C式の深鉢は、『古事記』の上巻が記す天之御中主神の時代、すなわち今から約6000年前から約5000年前までの前期縄文時代に作られたとされる。この深鉢の中央部より下段は筒形となり、中央部分でいったんくびれ、上段は波状口縁(はじょうこうえん)に向かって朝顔の花のごとく大きく外反(がいはん)する器形となる。この上下二段に規則的な渦巻き文がくりかえされている。
山梨県東八代郡御坂町の桂野遺跡から出土した勝坂(かつさか)深鉢は、高御産巣日神の時代、すなわち今から約5000年前から約4000年前の中期縄文時代に作られた。この深鉢は底部がすぼまり、胴部は円筒形である。この胴部全面を強力なエネルギーが感じられる大中小さまざまな大きさの渦巻き文が埋めつくし、余白として残した部分に波状文、平行線文、二分の一の渦巻き文などで装飾されている。
また、縄文中期に作られた新潟県信濃川流域の火炎式土器の胴部もエネルギーあふれ出る渦巻き文で飾られ、口縁部の火炎の突起部も渦を巻くかのごとくに造形される。
そして、群馬県吾妻(あがつま)郡吾妻町の郷原遺跡から出土したハート形土偶は、神産巣日神の時代、すなわち今から約4000年前から以後の後期縄文時代に作られた。このハート形土偶の正面身体部の胸の上、両腕、両腿(もも)、また背中の首下から腹部にかけて、両腕、両腿の部分に渦巻き文がほどこされている。
このような縄文時代の土器の表面を埋め尽くす渦巻き文と土偶にほどこされた渦巻き文は、日本列島の天頂にめぐってきた無数の星がひしめきあって集まり渦を描く「造化の参神」すなわち「三つ輪の銀河」のうちの「中央の円形の銀河部と南隣の輪の銀河部」を造形するものであった。
草創期、早期の縄文時代においては、日本列島の天頂を「十字の銀河の頭部の北側の結縄(けつじょう)の銀河部」あるいはさらにその北側、また「三つ輪の銀河の北の輪の銀河部」がめぐってきた。この領域は銀河の帯からの外(はず)れるので、目星(めぼし)い星が見あたらない。この形状を太安万侶は『古事記』の序で「それ混元すでに凝りて、気象いまだ効(あらわ)れず、名の無く為(わざ)も無し。誰かその形を知らむ」と表現した。
したがって、縄文前期以後の土器や土偶にデザインされた「造化の参神」をあらわす「渦巻き文」は「気象」をあらわすものであったことになる。
前期縄文以後、天頂緯度軸の付近に縄文のビーナスがモデルとなる「十字の銀河」と「鬼の姿に似る銀河」がめぐってきた。ゆえに、天頂を通過する「三つ輪の銀河の密集する星」は〔天に輝く星〕、「十字の銀河」が〔銀河〕と〔道を切り開いて歩く人〕に、「鬼の横顔に似る銀河」が〔天頂点をキャッチする人の顔〕に、「鬼の姿に似る銀河」は〔人が歩く地〕に見立てられることになった。
このように天頂緯度軸付近に、乾坤(けんこん)すなわち「天と地」に見立てることができる天体部が出現した状況となるので、安万侶は「しかれども乾坤初めて分かれて、参神造化の首(はじめ)を作(な)す」と表現した。
「造化の参神」である「三つ輪の銀河」は[麗]の字源となった。「三つ輪の銀河」が天頂を通過した時、その下(南南西)に「オス鹿の横顔に似る銀河」がある。ゆえに、[麗]の字形の上部は「三の輪の銀河」、下部の[鹿]は〔三つ輪の銀河の下にオス鹿の横顔に似る銀河がある〕と表示するものとなる。
「三つ輪の銀河」が天頂に位置する状況は、たくさんの音の無い花火が炸裂(さくれつ)して天空いっぱいに広がる息をのむ壮麗な光景、あるいは天空いっぱいに砂金が敷きつめられるような豪奢(ごうしゃ)壮麗な極みとなる。ゆえに、「三つ輪の銀河」は[麗]の字源となった。
古代エジプトでは、【文字と学問において特に重大な銀河の形状】を【神】と呼んだ。ゆえに、古代エジプト人は、【銀河各部の銀河】から図案化した【文字】を【メドゥウ・ネチェル】すなわち【神の言葉】と呼んでいた。この【神の言葉】は精巧かつ精緻(せいち)なレリーフ(浮き彫り)、色鮮やかな壁画、贅(ぜい)を尽くした王の墓などにおいて黒・青・緑・黄・赤・白といった色を使い麗しく彩色されて装飾された。
この古代エジプト文字の【神の言葉】と同様に、縄文土器の表面を埋め尽くして飾る渦巻き文や躍動的に駆けめぐる奔放(ほんぽう)な曲線文様の装飾や火炎のようにあるいは渦を巻くように造形される異様な突起で飾られる口縁部は、壮麗な【造化の参神の言葉】をあらわすものだったのである。
中国から日本列島に渡来した益氏の王子と若者たちが話す夏音は縄文人たちにはまったく理解できない言葉であった。しかし、【造化の参神の言葉】を聞いて理解できる縄文の芸術家たちには、夏音文字の学芸を習得することができた。
このように、益氏が説明する【言葉】を縄文人が自分たちの【言葉】に訳して夏音文字を習得するものではなかった。
夏音文字は、夏音文字と造化の参神の時代の土器と土偶が作られた【銀河各部の形状】を用いて習得された。
だから、【文字】は【銀河各部の形状】であったと断定すべきことになる。
学者たちは【文字】は【言葉をあらわす記号】と断定するが、この定説は根本的に誤っている。また、学者たちは、夏音文字を刻んだり書かれている史料が出土してこそ「夏音文字はわが国に伝来していたことになる」と断定するが、この断定も根本的に間違っている。
「夏音文字は銀河各部の形状から作られた」と縄文人たちが理解して習得できたと科学的に証明できれば、夏音文字はわが国に伝来したと断定すべきことになる。
縄文人による夏音文字の習得は、学者たちの【古代文字】は【言葉をあらわす記号】であったという定義が根本的に誤っていることを科学的に証明するものとなる。なぜならば、【古代エジプト文字】も【夏音文字】も【銀河各部の形状】であったと科学的に証明できるからである。
白川静著『字統』(平凡社)の9頁から10頁にかけての「わが国の漢字音」と題する項目で次のように指摘する。
「古紐(こちゅう)や古韻(こいん)の研究は、西洋の言語学・音韻学がとり入れられ、殊(こと)にその音韻史研究によってえられた諸法則が、原理的にほぼ適用しうるという関係もあって、カールグレンがその方法を開いてから、急速な進展をみせている。そしてその結果、わが国の国語として残されている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかになった。」
1979年に小学館が刊行した『日本古代史の旅 3 邪馬台国=なぞの古代国家=』は、「中国には卑弥呼が生存した魏(3世紀)以前の中古音と上古音が残っており、〔卑弥呼〕を中国の上古音で読めば〔ピミカ〕、魏以前の中古音で読めば〔ピミエクゥオ〕である」と記す。
カールグレンの音韻学にもとづくと、『魏志倭人伝』の「卑弥呼」を〔ヒミコ〕と読む字音をはじめとする人名・小国名・官職名などの字音は、中国の上古音よりも古いことになる。
白川静博士は『字統』の19頁で「漢字は、もと1音であったはずである」と指摘する。『古事記』上巻の〔音〕という注が付く夏音文字の字音は1字1音である。
出土史料を絶対的な史料とする「わが国において漢字を初めて習得したのは応神(おうじん)天皇時代である」と断定する日本古代史学界の定説だと、わが国の最古の字音は中国の上古音よりも新しい応神朝と同時代であった百済(くだら)や北魏(ほくぎ)、あるいは梁(りょう)などの字音でなければならないことになる。
だから、学者たちが主張する定説は、わが国に応神朝よりはるか以前の中国の上古音よりもさらに古い1字1音の夏代初頭に習得した夏音が『古事記』上巻と『魏志倭人伝』になにゆえ残っているのか、矛盾もはなはだしく、科学的、合理的に説明することがまったく不可能となる。
学者たちは現在の【文字】が【言葉をあらわす記号】であるから古代漢字もまた【言葉をあらわす記号】であるにちがいないと思いこむ。しかし、わが国の夏音文字と中国の甲骨文字と金文の字形と古代エジプト文字によって、【銀河各部の形状】が【文字】であると科学的に証明される。
あるいは、「造化の参神」の秘密を科学的に具体的に解明できる縄文のビーナスが出土した長野県茅野市の尖石台地の縄文遺跡や遺物、秋田県鹿角(かづの)市の所在する夏代初頭の国の特別史跡・大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)、『魏志倭人伝』と同時代に作成された静岡県浜松市北区細江町の1千万坪の大鳥の地上絵、京都市の竜安寺の石庭、滋賀県彦根市の3千万坪の羽のない大鳥の地上絵、京都市の桂離宮の庭園によっても、【銀河各部の形状】は【文字】であった科学的に具体的に証明できる。
大嘗会(だいじょうえ)において天皇の頭上に高々と差し上げる王冠もまた、【銀河各部の形状】が【文字】であったと表示する。
日本の学界の【文字の習得の定説】には科学的根拠・理由がまったく存在しない。要するに、錯覚あるいは幻想なのである。
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