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2012年1月15日 (日)

枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は”世界の文字は銀河から作られた”と証言する・36

 わが国の【夏音文字】は【銀河各部の形状】で保存された。

 というのも、約5000年前の五帝時代初頭の黄帝につかえた倉頡(そうきつ)が万物の情に類する多数の漢字を作ることができる原理〔鳥獣の文〕を発明したとき、文字は強大な権力と莫大な富を手に入れる最も強力な方法であることに気づき、反体制側の人々が習得して革命に利用すれば王朝は崩壊する。このように文字は王朝の繁栄と滅亡の両刃(もろは)の剣(つるぎ)であったので、倉頡は文字が銀河から作られた秘密を明らかにする者は即刻死刑にすると定めのである。

 中国の第一に挙げられる古典『易経』の繋辞(けいじ)下伝に、「易の興(おこ)るや、それ中古においてするか」という記事ある。この記事は「易が盛んになったのは中古、すなわち殷(いん)代の後半期のことであったであろうか」と述べていることになる。
 この記事が示すように、今から約3300年前の中古(殷代後半)から易が盛んになって、亀の甲羅や獣の骨に文字が刻まれるようになって、倉頡が「書いた後に、必ず文字は消さなければならない」と定めた掟(おきて)が廃絶(はいぜつ)された。
 しかし、この禁忌(きんき)・タブーは殷代後半より以前の五帝時代、夏代、殷代前半まで厳重に守られていた。
 ゆえに、9回前の〔27〕の末部で指摘したように――約1000年間における三皇時代の結縄(けつじょう)は現在まで約130種類が出土しているが、三皇時代以後の約1700年間におよぶ五帝時代の書契(しょけい)と夏代の夏音文字と殷代前半の文字においては極端に少なく現在まで30種類ぐらいしか発掘されていない。次の殷代後半の甲骨文字は一挙に増大して約3000種類も出土している。

 [命]と[死]の字源銀河は、精密に天頂緯度が測定できる理想的な羅針盤(物差し)となった「長方形の暗黒天体部」である。
 この「長方形の暗黒天体部」の[死]の字源は、倉頡が「書いた後に必ず文字は消さなければならない。この天の神との盟誓(めいせい)を守らない者は直(ただ)ちに死刑にする」と定めた掟を示すものとなった。
 [命]の上部は[亼(しゅう)]、その下に「産道」をあらわす[口]と「産道をくぐる胎児」をあらわす[卩(せつ)]が加わる。
 この[亼]の字源銀河の北半分は「鬼の横顔に似る銀河の首につく、死刑をおこなう人の冷酷な切れ長の細い目の銀河」である。この「冷酷な切れ長の細い目の銀河」は前回で幾度なく取り上げたヒエログリフの「ホルスの眼の目頭側の白目の北半分」となる。ゆえに、この「冷酷な切れ長の細い目の銀河」の隣は「ホルスの眼」の〔瞳〕となる「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」である。

 この「冷酷な切れ長の細い目の銀河」と「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は、[罪]と[罰]の字の上部につく、“横目”と呼ばれる部首の字源となった。
 『説文解字』は[罪]の字源を「法を犯すなり」と解説する。
 つまり、[横目]の字源は「冷酷な切れ長の細い目の銀河」、下の[非]の字源は「長方形の暗黒天体部」である。ゆえに、[命]と[罪]の字源は同一銀河となる。
 『説文解字』は[非]の字源を「違うなり。飛下する翅(はね)に従ふ。その相背(あいそむ)くを取るなり」と解説する。
 「十字の銀河の背景となる銀河」(三つ輪の銀河部)は〔鳥の左の翅〕、「鬼の姿に似る銀河の北側の銀河」は〔鳥の右の翅〕、「十字の銀河」が〔鳥の首〕、「鬼の姿に似る銀河」は〔鳥の胴体〕に観えるので、この4つの銀河部を合体した形状が[鳥]の字源となる。
 そして、「長方形の暗黒天体部の東と西の辺」は〔飛下して、すなわち降下して地に肢(あし)が着く鳥の姿〕に観えるので、神社の入口に建つ門の「鳥居」の語源となった。
 したがって、『説文解字』の[非]の字源解説に登場する「飛下する翅」は「鳥居」の語源となった「鳥の姿に似る銀河の左右の翅となる銀河部」となる。
 この「飛下する右の翅の銀河部」すなわち「鬼の姿に似る銀河の北側の翅の銀河部」は「鬼の姿に似る銀河」のうちの「鬼の横顔に似る銀河」の顔が東に向いているので、「飛下する右の翅の銀河部」は西から東へ向かって去るものとなる。「飛下する左の翅の銀河部」すなわち「十字の銀河の背景となる銀河」の付け根は「黄河の氾濫の形状に似る銀河」であり、この銀河は西から東へ向かって去る形状となる。このように「飛下する左右の翅」の去って行く方向は相背いて違う。
 ゆえに、『説文解字』は[非]の字源を「違うなり。飛下する翅に従ふ。その相背くなり」と解説した。
 「黄河の氾濫の形状に似る銀河」の水の流れは東から西へ向かって去る形状となる。しかし、黄河の水は東から西へ去るものでなく、西の上流から東の河口に向かって去る。この「黄河の氾濫の形状に似る銀河」の東から西へ去る水の移動は「銀河」の東から西への運行をあらわすものとなる。であるから、「黄河の氾濫の形状に似る銀河」は「銀河の運行。天体の運行」をあらわすものとなった。
 そして、銀河の運行を示す「黄河の氾濫の形状に似る銀河」は神威(しんい)を示すものとなって〔天の神が示す道理を犯して背く不正行為〕や〔天罰(てんばつ)がくだる人間の不正行為〕をあらわすことになった――このような「不正行為」は「つみ」すなわち「罪」となる。
 ゆえに、『説文解字』は[罪]の字源を「法を犯すなり」と解説した。

 白川静著『字統』は[罰]の金文の字形にもとづき、[罰]の字源を下記のごとく解説する。
 「詈(り)と刀に従ふ。詈は神に盟誓(めいせい)することを意味する言(げん)が、真正でないときに、その上に网(あみ)を加えて、その盟誓が不実であることを示す字。それに刀を加えてその器を取り、その盟誓を破棄すべきであるとする。すなわち盟誓の不正を罰することを原義とする字である。」
 この白川静著『字統』の「盟誓すなわち神に誓った約束を破棄する行為」は「神との約束を破ったこと」であるから「罪」を意味することになる。ゆえに、『字統』が「すなわち盟誓の不正を罰する」と指摘する意味(原義)にはならない。
 『字統』の[罰]の字源解説の「その盟誓を破棄すべきであるとする」と「すなわち盟誓の不正を罰することを原義とする字である」との中間には両者の文が直結する説明が必要となる。しかし、この説明が欠落しているから、強引な単純化をもって「ばつ」の意味に結論をこじつけたものとなる。
 そもそも、金文の[罰]の字源解説で白川静著『字統』が「网・あみ」と断定した部分は「長方形の暗黒天体部南部の東と西の辺」につく「2連菱形の枡(ます)の銀河部」を図案化したものである。だから、『字統』の[罰]の字源解説は誤っている。
 『字統』が「网」と断定した部分の中央は菱形「◇」となり、その上下は「菱形の半分形」となって「◇が二つ」になる図案になっている。
 ゆえに、[罰]の金文形は「神に銀河から文字が作られた秘密を言わないと誓った約束を守らない者は、骨盤出口をくぐれないで死産した胎児のように、刀で斬って殺す」とあらわすものとなる。つまり、『字統』が「网」と断定した部分の中央の[◇]につながる上と下は[×]の半分に割る形となる。この[×]の中央を上下に二つに割る(切断する)[V]と[Λ]の形で、狭い骨盤出口を頭が通過できないで死産した胎児や臍(へそ)の緒が首にからまって窒息死した胎児などをあらわす。
 白川静著『字統』の697頁に掲載される[罰]の金文形は、左上に配する「2連菱形の枡の銀河部」を図案する図書で「胎児が産道をくぐれないで命が断たれる死の状況」を示す。左下の[言]で「文字が銀河から生まれ秘密を言う」をあらわす。右に配する大きな[刀]で「刀で斬り殺す」と表示するものとなる。だから、[罰]の金文形は「文字が銀河から生まれた秘密を言うと死刑に処せられて罰せられる」と表現するものとなる。

 9回前の〔27〕の末部で指摘したように、「2連菱形(◇)の枡の銀河部」は日本の神社名で最も多い“八幡宮”の「八幡」の語源となり、[幡]の字源銀河部である。
 『説文解字』は[幡]の字源を「書兒(しょじ)、觚(こ)に拭(ふ)くの布なり」と解説する。
 この『説文解字』の[幡]の字源解説を、白川静著『字統』は「黒板拭きの布である」と訳する。
 「書兒」の[書]の字源上部は[聿(いつ)]と[者]の合体形である。[聿]の字源は〔筆〕に見立てられた「十字の銀河」、[者]の字源は〔筆を握る箇所〕と漢字作成原理〔鳥獣の文〕に見立てられた「十字の銀河の子宮(となる銀河部)」である。[書]の下部の[日]の字源は〔文字を書く平面(地面、砂、灰、雪、平らな石、板、などの平面)〕に見立てられた「長方形の暗黒天体部」である。
 このように、[書]の字形は「筆記する道具で平面に文字を書く」とあらわす。

 [兒]の字源銀河は「コールサック」であり、この「コールサック」は〔頭の骨の縫合部(ほうごうぶ)がまだ堅(かた)まらない幼児〕に見立てられた。
 そして、[兒]の上部[臼]の部分はコールサックの北部の「長方形の暗黒天体部」を〔縫合部がやわらかい幼児の頭の骨〕に見立てて図案したものであり、下部は長方形の暗黒天体部より南の「コールサック」を図案化したものである。
 [兒]の上部の字源となる「長方形の暗黒天体部の北と東の辺が交わる隅(すみ)」には「黄河の氾濫の形状に似る銀河」が交わり、「長方形の暗黒天体部」は〔洪水に見舞われてやわらかくなった農地(田)〕をあらわすと定められた。ゆえに、「長方形の暗黒天体部」は〔縫合部がやわらかい幼児の頭の骨〕に見立てられることになった。
 また、「幼児」の[幼]の初文は[幺(よう)]である。白川静著『字統』は[幺]の字源を「糸たばを拗(ね)じて結んだもの」と解説する。この[幺]の字源解説は「2連菱形の枡」の形状に合致する。そして、『説文解字』は[幺]の字源を「小なり。子の初生の形に象(かたど)る」と解説する。
 「長方形の暗黒天体部」は基本的に〔胎児が生まれる産道〕に見立てられた。
 「長方形の暗黒天体部」は基本的に「産道」と定められたために、[兒]の字源では〔縫合部がやわらかい幼児の頭蓋骨(ずがいこつ)〕をあらわし、「子の初生」すなわち「誕生して間もない幼児(赤ん坊)」をあらわす[幺]の字源にもなったのである。

 [幡]の字源解説に登場する[觚]は[角]に[瓜]を組み合わせた字である。
 [瓜]の字源は〔瓜(うり)や瓜の蔓(つる)〕の形に相似する「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」である。
 [角]の字源は〔牛の左の角(つの)〕に見立てられた「十字の銀河の妊婦のおなかに観える銀河部」ということになる。この〔牛の頭につく左の角〕に見立てられた「十字の銀河の妊婦のおなかに観える銀河部」は「十字の銀河の子宮」と連結する。
 『説文解字』は[告]の字源を「牛、人に触(ふ)れる。角に横木を著(つ)く。人に告げる所以(ゆえん)なり」と解説する。
 この[告]の字源解説に登場する「人」は「人の横顔に酷似する銀河」のことである。「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は〔牛の目〕に観え、〔牛の口〕は「鬼の姿に似る銀河の両足となる銀河部」となる。この「牛の口に相当する銀河」は「銀河」という語の由来となった銀白色に輝く「人の横顔に酷似する銀河の額(ひたい)にある北天の最輝部(さいきぶ)」に連結する。ゆえに、「牛、人に触れる。人に告ぐる所以なり」と解説された。
 北天の最輝部が子午線経過するとき、〔木〕に観える「十字の銀河」は横になっているので、「横木」と表現された。この「横木」には漢字作成原理〔鳥獣の文〕に見立てられた「十字の銀河の子宮」がある。この「十字の銀河の子宮」と[告]の字源解説の〔牛の左の角〕に見立てられた「十字の銀河の妊婦のおなかに観える銀河部」は連結する。これゆえ、「角に横木が著く」と解説されることになった。
 そして、[告]の字源における〔牛の右の角〕に見立てられる部分は「長方形の暗黒天体部」と「黄河の氾濫の形状に似る銀河の西端」に所在することになる(この銀河部は「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」の東隣となる)。
 『説文解字』の[幡]の字源解説に登場する[觚]の字義は「酒をついで口につけて飲む器具」すなわち「さかずき」である。
 『説文解字』の[告]の字源解説における「横木に著く牛の左の角」となる「十字の銀河の妊婦のおなかに観える銀河部」は〔人の顔〕に相似する「鬼の横顔に似る銀河」の口の部分と連結する。ゆえに、「牛の左の角に相当する銀河部」(十字の銀河の妊婦のおなかに観える銀河部)が、[觚]の字義の「さかずき」となる。

 上記したように、〔瓜や瓜の蔓の形〕に相似する「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」が[瓜]の字源となる。そして、『説文解字』の[告]の「牛の右の角に似る銀河部」は「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」の東南部に隣接する「長方形の暗黒天体部」である。この「長方形の暗黒天体部」は[酉(ゆう)]の字源となった。この[酉]は[酒]の初文である。[酉]の字源「長方形の暗黒天体部」と[亼(しゅう)]の字源部とで[酋(しゅう)]の字源となり、[酋]の字形は「酒器の形」を図案化したものであり、字義は「酒樽。酒器」となった。「長方形の暗黒天体部の東と北の辺」に交わる「黄河の氾濫の形状に似る銀河」は〔三水偏〕となった[水]の字源である。ゆえに、三水偏に[酉]を加える字は[酒]となった。
 [告]の字源における「牛の右の角に相当する銀河部」は瓜の蔓のように拗(ね)じれる2連菱形の枡に触れる。
 だから、「牛の右の角に相当する銀河部」は『説文解字』の[幡]の字源解説に登場する[觚]の字源となった。

 中国の殷墟(いんきょ)から出土した觚は、酒を飲む口の部分が吹奏楽器のラッパの形のように開いた細長い酒器である。わが国における神前結婚するときに新郎・新婦が酒を飲む觚は、平たい円形の皿である。ということは、殷墟から出土した觚は[告]の字源における「左の角」をあらわした酒器であり、わが国の神前結婚するときに用いる平たい皿の酒器は[告]の字源における「牛の右の角」をあらわした觚となる。この皿が円形であるのは「長方形の暗黒天体部」の西と北の辺に交わる円形の「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」に由来すると考えられる。
  [皿]の甲骨文字の字形上部は「長方形の暗黒天体部」の枠となる「東・西・南の辺」を線だけであらわす。この「長方形の暗黒天体の3辺」を線で枠どりする図案は縄文時代の「深鉢(ふかばち)」のような形になる。しかし、竜安寺の〔平らな石庭〕が「長方形の暗黒天体部」をあらわすように、「長方形の暗黒天体部」は〔平らな面〕をあらわすものであったので、深鉢のような形をした[皿]の甲骨文字の字形は浅くて平たい「平皿」を表現するものとなる。

 『隋書(ずいしょ)』倭国伝に「倭では、互いに好意を抱いた者たちが結婚する。新婦は、新郎の家に入るとき、必ずまず犬をまたいだ後、新婦と新郎はたがいに顔を見交わす」という記事がある。「長方形の暗黒天体部」は[犬]の字源であり、犬はたくさんの子を生むので子孫繁栄のために新婦は犬をまたいたのである。「長方形の暗黒天体部」は〔抱擁した男女がたがいに顔を見交わすような形〕であるので、結婚式は「長方形の暗黒天体部」の形に則っておこなわれていたことになる。
 「長方形の暗黒天体部」は[觚](さかずき)の字源である。ゆえに、今日の神前結婚式における三三九度の夫婦の約束の固めは、『隋書』倭国伝に記述された結婚儀式と同じく「長方形の暗黒天体部」に則るものということになる。その証拠に、“角隠(つのかく)し”と称される花嫁が頭にかぶる飾りのついた布と髪型は、「長方形の暗黒天体部」と「コールサックの中ほどまで」の形に相似する。
 この〔角隠し〕のモデルとなった「長方形の暗黒天体部とコールサック」は、[髪]の字源銀河部である。

 以上からして、『説文解字』の[幡]の「書兒、觚に拭くの布なり」という字源解説は、「長方形の暗黒天体部」の東西の辺につく「2連菱形の枡の銀河部」を説明するものとなる。
 この[幡]の字源は、倉頡が「神に誓って、書いた文字は必ず消せなければならない。この掟を守らなかった者は直ちに死刑に処する」と定めた厳しい掟をあらわした。
 だから、五帝時代の書契、夏代の夏音文字、殷代前半の文字の出土点数は極端に少ない。
 この掟はわが国では厳重に守られた。このため、わたくしが夏音文字の発掘例と証明できる史料は、長野県茅野市の尖石考古館に所蔵される“石刻画“と“石板画”と称される石の表面に刻まれる計6種の図書のみである。
 わが国には夏代初頭(後期縄文時代初頭)に確かに夏音文字は伝来した。
 しかし、倉頡が定めた[幡]と[罰]の字源となった「神に誓って、書いた文字は必ず消せなければならない。この掟を守らなかった者は直ちに死刑に処する」という掟が忠実に守られた。この結果、夏音文字はまるで伝来しなかったかのごとく出土点数は無いにもひとしい状況になった。
 この掟が中国で廃絶されることになったのは、上記したように『易経』繋辞(けいじ)下伝の「易の興るや、それ中古においてするか」という記事が示唆(しさ)するように――殷代後半になって殷王室が公的行事を決定する易の占いを頻繁(ひんぱん)におこなうようになったために、神聖な記録として所蔵しなければならなくなったことが原因となった。
 日本列島では国家が創設されたのは卑弥呼の時代が最初であり、その後において皇室が殷代後半の殷王室のように公的行事を決定する易卜を頻繁におこなわなかったので、夏音文字の記録を所蔵する必要がなかった。ゆえに、わが国の夏音文字の出土数は無いにも等しいほど極端に少なくなったのである。
 だから、『古事記』の序が解説しているように、実際は【夏音文字】は【銀河各部の形状】で存在していたのである。

 『説文解字』の[幡]の字源解説に使われた[觚]の字が、『魏志倭人伝』の伊都(いと)国の副官の「泄謨(せまこ)」、「柄渠(へここ)」という名に用いられ、奴(な)国の長官の「兕馬(しまこ)」という名に使用される。
 『魏志倭人伝』は、倭の易卜
(えきぼく)について、下記のごとく記述する。
 「倭の習俗にあって、祭事をおこなうときや遠くに旅するとき、また何かをしようとするときに、骨を焼いて卜し、吉凶を占う。最初に卜する骨の箇所を告げる。
その辞(言葉と文字)は令亀(れいき)の法のごとくであり、吉凶の兆(しるし)を占う。」
 上記の青く太くした部分の原文は「其辞如令亀法」である。
 「其の辞」の[辞]の字義は「言葉と文字」であり、「令亀の法の如く」は「中国の殷代の亀の甲羅でおこなう易卜の法のごとく」と意味する。
 だから、わが国には殷代の甲骨文字に相似する文字があった。
 この「令亀の法のごとき文字」は、古代史料として痕跡が残ったものは『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に記載された夏音文字しか存在しない。
 だから、『魏志倭人伝』に記された「令亀の法のごとき文字」は「夏音文字」であると断定できる。
 『魏志倭人伝』の「令亀の法のごとき辞」の記事は、倭に渡った魏や帯方郡
(たいほうぐん)の使者たちが文字として見て報告したか、倭の国書に記述されていたことになる。だから、わが国には夏音文字は習得されて、確かに存在したことになる。
 『魏志倭人伝』には「伊都国の港で、魏や帯方郡や諸韓国と倭の女王・卑弥呼が交わす国書はじめ小国の王たちが交わす文書を点検し確認して、差錯
(ささく)して国交に支障がおこらないようにしていた」という記述もある。
 ゆえに、夏音文字は
書く文字であったことになる。

 にもかかわらず、甲骨文字のごとく易卜において書いた夏音文字がまったく出土しないのは、倭の占いの夏音文字は地面などの平面に書かれるものであったが「幡」の字源で示される道具で必ず消されていたことになる。
 上記に示すように、『説文解字』の[幡]の字源解説に登場する[觚]の字が伊都国の副官の名に用いられることからしても、倭では確かに倉頡が定めた掟が廃絶されず厳重にまもられていたことになる。

 夏音文字は倉頡が定めた掟をまもって書いた後に必ず消される文字であったことは、『魏志倭人伝』と同時代に作成された静岡県浜松市北区細江町の1千万坪の大鳥の地上絵を調査すれば証明される。
 細江町の大鳥の地上絵には[幡]の字源の「書いた字を必ず消せなければ直ちに罰して死刑に処する」という秘密が保存されていた。
 これゆえ、桂離宮の庭園池の東北に作られた細江町の大鳥の地上絵を設計する庭園にも、[幡]の字源を表現する手水鉢
(ちょうずばち)と砂雪隠(すなせっちん)が設置された。
 次回は、桂離宮の細江町の大鳥の地上絵を設計する庭園に設置された手水鉢と砂雪隠における[幡]の字源の秘密を解明して、わが国の【夏音文字】は【銀河各部の形状】で存在するものであったことを立証することにする。

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