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2012年1月30日 (月)

枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は”世界の文字は銀河から作られた”と証言する・42

 『古事記』作成の方針は、中国の正史『新唐書』日本伝に記載される、702年に中国の遣唐使が中国王朝に伝えた「後稍夏音を習う」という説明に従って作成すると定まっていた。
  この遣唐使の説明は持統(じとう)上皇の言動の端々(はしばし)で示す命令で、正式に発した勅令(ちょくれい)ではなかった。
  というもの、上皇の「後稍夏音を習う」という要望は「壬申(じんしん)の乱は大海人(おおあまの)皇子(後の天武天皇)が吉野方の陰謀を察知して東国に逃れるときに天照大神の加護(かご)があるようにと朝明郡(あさけのこおり)・三重県三重郡で遥拝(ようはい)して勝利した。だから、天照大神の聖性は絶対にけがしてはならない。したがって、伊耶那美命の陵墓を作った時に皇祖・天照大神が多数の青年と乙女たちを殺す徇葬(じゅんそう)を決行したという歴史は闇に葬れ。皇祖・天照大神は夏音文字の学芸に精通した聡明で偉大な女性であったとする国家神話を作成せよ」という偽書(ぎしょ)作成命令であった。
 この偽の史書作成を天武天皇は正式に詔(みことのり)を発して失敗した。そこで、持統上皇は正式に詔を発しないで強大な権力をちらつかせて言動の端々で編纂フタッフを脅迫し、また言動の端々で示せば後世の歴史家が偽書作成を命令したと疑っても証明できないから後世の人々を騙(だま)すことができると考えたのである。

 いっぽう編纂スタッフは天照大神が残虐な徇葬を決行した歴史を後世に伝える、この一点に精力をそそいで『古事記』を作成すると決意していた。
  だから、『古事記』の序はきわめて異例な「上巻 序并」(上巻 并せて序)という表記になった。
  この「上巻 併せて序」という序は“『古事記』の序は上巻にある伊耶那岐命の黄泉国訪問神話のための序である。つまり、『古事記』は天照大神が徇葬を決行した歴史を後世に伝えるために作成した”という暗号であったのである。

  『説文解字』の序に下記のような文がある。
  「けだし文字は経芸の本、王政の始め、前人のもって後人に垂れるところ、後人のもって古(いししえ)を識(し)るなり」
  この文は「考えるに文字は、(中略)、前人のもって後人に垂れるところ、後人のもって古を識るなり」と伝えるものであるから、「文字は銀河から作られた。ゆえに銀河を観て字源を知れば、歴史の真実を知ることができる」と伝えていることになる。
  このように「文字は銀河から作られた知識」は「歴史」の語源であり、上古の歴史を正しく知る方法であり、結局、「歴史」と「文字は銀河から作られた知識」は同義であった。
  これゆえ、おのずと『古事記』の序の冒頭は「歴史」の語源となる「夏音文字の習得」を説明することになり、「夏音文字の習得」が「歴史の始まり」となった。だから、太安万侶(おおのやすまろ)が書く序の冒頭は「造化(ぞうか)の参神(さんしん)」すなわち「夏音文字文字の学芸を修得した縄文芸術」の説明となった。
  「歴史」と「文字は銀河から作られた知識」は同義であったから、『古事記』の原典は「本辞」または「旧辞(きゅうじ)」と称された。

 「本辞」・「旧辞」の[辞]の[舌]は「ことば」、[辛(しん)]は「文字」を意味する。というのも、[辛]の字源は「十字の銀河の胸部から鬼の横顔に似る銀河の額(ひたい)にかけて垂れる帯」であり、この「帯のような銀河」は〔亀の甲羅や獣の骨に文字を刻んだ辛(はり)〕に見立てられたので、[辛]は「文字」をあらわすことになった。

  『古事記』の原典の「旧辞」は「夏音文字で書かれた史書」であった。
  だから、『古事記』序が説明する舎人(とねり)の稗田阿礼(ひえだのあれ)の旧辞の誦習(しょうしゅう)を口伝(くでん)、すなわち「暗記したものを口ずさみ次の人に記憶させた秘伝であった」という学説は強引に単純化した結果の誤読の空論であったのである。
  もしも口伝であったならば、「旧辞」は「旧誦(きゅうしょう)」あるいは「旧言」と記されたことになる。
  “辞典”なるものを手にとって開いてみれば、ラジオのように言葉が出てくるものでなく、辞典は文字と言葉から構成される書物であるという事実がつき付けられる。それというのも、[辞]の字義は「文字と言葉」であり、[辛]は「文字」を意味するからである。
 『古事記』の原典の名は「本辞」・「旧辞」であり、「歴史」と「文字は銀河から作られた知識」は同義であるので、「歴史」と「夏音文字の学芸」は同義となる。

 『古事記』の序に記載される天武天皇の史書作成の勅令(ちょくれい)を現代語に訳すると下記のごとくになる。
  「朕(われ)が聞くところによると、諸家の所蔵する帝紀(天皇紀)及び本辞(夏音文字の史書)は、すでに真実と違い、多くの虚偽が加わっているとのことである。今この時において、その誤りを改めないならば、幾年もたたないうちに、その(むね)滅びるにちがいないであろう。この帝紀と旧辞の歴史は国家の根本であり王政の基盤となるものである。そこで、帝紀を書物として著(あらわ)し、旧辞を討覈(とうかく)して、偽りを削除(さくじょ)し真実を定めて、後世に伝えようと思う。」
  上記の文中にある「旨」は「夏音文字の史書の本辞の本旨(ほんし)」ということになるので曖昧(あいまい)にして誤魔化(ごまか)す意図が透けて観える表現となるので、“律令体制の障害となる天照大神が徇葬を決行した歴史を削除せよ”と示唆(しさ)するものとなる。
  「討覈」は「調べて誤りを正す」と意味する。しかし、[討]を「討伐」と考え、[覈]の上の図書は「上からものを覆(おお)う」の[覆]の初文であり、下の[敫(きょう)]は「屍(しかばね)となる骸骨や殴(う)って責めて、求めるところを実現しようとする呪(のろ)いの儀式」をあらわすので、「討覈」は「旨」よりも明確に「天照大神が決行した徇葬と、出雲王朝・宗像王朝などの討伐の歴史と、そして天照大神が呪った日本建国の〔愛〕の理念を覆い隠せ」と指示しているものとなる。
 これゆえ、諸家は――天武天皇の史書作成の勅令は、天皇の権力を絶対化して律令体制を完成させるため、国威宣揚(こくいせんよう)の国家神話を作成するために諸家の本辞を焚書(ふんしょ)消滅するという企(たくら)み――を示すものと解釈した。だから、諸家は所蔵する帝紀と本辞(旧辞)を提出しなかった。
  しかし「討覈」を誤字とすれば、当時の学問は全体論的に思考するので、天武天皇の史書作成の勅令は「〔愛〕の理念が掲げられた日本国誕生史の真実を伝える国民神話を作成せよ」と解釈することができた。ゆえに、編纂スタッフは天武天皇の史書作成の勅令の言葉の裏をひっくりかえして、その勅令を「天武天皇は、真実の歴史を作成せよと詔(の)りたまわった」という証拠すなわち言質(げんち)に利用した。

  要するに、天武天皇の史書作成の勅令は持統上皇の「後稍夏音を習う」という偽書作成の欲求(よっきゅう)と同じであった。
  しかし、天皇が発令する勅令は騙しや誤魔化しを絶対に混ぜてはならない神聖な指令であるべきということを示して、『古事記』の序の末部に、元明天皇が安万侶に「旧辞の誤り違っているのを惜しまれ、先紀の誤り乱れているのを正そう」と命令した詔(みことのり)を言質に取って、“先紀すなわち帝紀の誤りだけを正しました。しかし、旧辞については誤り違っているような記事は存在しませんので削除しませんでした。それでも偽りの史書を作成せよと欲求なさるのですか”と編纂スタッフは迫り、伊耶那岐命の黄泉国訪問説話に真実の歴史を記述した。
  編纂スタッフが願ってやまない大和王朝の基礎を築いた天照大神が徇葬を決行した歴史を後世に伝える『古事記』の献呈を承認することは、まさに「神慮(しんりょ)」すなわち「神の心・天子の心」がなす大英断であった。ゆえに、安万侶は序に「名は文命よりも高く、徳は天乙(てんいつ)にも冠(まさ)りたりと謂(い)ひつべし」と記し、元明天皇に最大の賛辞をささげることにした。
  この賛辞は「お名前の尊さは夏の禹王(うおう)よりも高く、徳は殷の湯王(とうおう)よりも優れていると申し上げることができます」と意味する。
  中国の歴史では夏の禹王を補佐した益と、殷の湯王を補佐した伊尹(いいん)が有名である。このうちの益の命令で孫の王子と若者たちが日本列島に移住して夏音文字の学芸が習得された。だから、わが国では禹よりも補佐役の益のほうが偉大であると讃(たた)えるものであったので、「名は文命よりも高い」という文は最大の賛辞となった。

  那智の大滝の精霊である伊耶那美命を敬愛する編纂スタッフは、伊耶那美命の陵墓を築造する時に天照大神が徇葬を決行した歴史を後世の人々に伝えるために、『古事記』を作成した。
 この徇葬の歴史は、伊耶那岐命の黄泉国訪問説話に記述された。
  伊耶那美命は呉の遠征軍が襲撃する小国・日本の女王であり、[瀧(滝)]の字源「黄河の氾濫の形状に似る銀河」に見立てられた日本軍の媚蠱(びこ)であった。この[瀧]の字源となる「黄河の氾濫の形状に似る銀河」は〔水に潜る龍の顔〕のような形をしているので「潜龍(せんりょう)」の語源となった。これゆえ、序を書く安万侶は天武天皇を讃える文の箇所で「潜龍 元(げん)を体(たい)する(天武天皇は皇太子の時にすでに天子たるべき資質をそなえていた)」と表現している。
  序の末部で解説する夏音文字の説明や上巻の〔音〕という注が付く夏音文字によって、後人が文字が銀河から作られたことが察知できて銀河を仰ぎみたとき、「潜龍」の語源となる「黄河の氾濫の形状に似る銀河」は〔印象深い、水が氾濫して激流となる河川〕の様子に似ているので目ざとく見つけることになる。この〔水が氾濫して激流となる河川〕の形状から「雷」も連想される。
  当時は、雷が鳴り大雨が降って地面がやわらかくなると開墾(かいこん)や耕作がたやすくなるので、雷は“神鳴り”と称する神であった。伊耶那美命は鋤(すき)や鍬(くわ)の鉄の刃先を作る製鉄事業・火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)の火災事故で火傷を負って死去した。このため、伊耶那岐命の黄泉国訪問説話では「徇葬の犠牲に青年と乙女たち」を「八(やくさ)の雷神(いかづちがみ)」と表記した。
  この「潜龍」という一例に限らずに、安万侶が書く序の文には伊耶那岐命の黄泉国訪問神話の解明に必要なヒントとなる語が幾つも用意されている。

  夏音文字は銀河から作られた説明は、序の末部でなされる。
  この末部の前に、元明天皇に『古事記』を完成するように命令されて編纂スタッフが急ぐ様子を表現する「柯(えだ)を連ね穂をあわす瑞(しるし)、史書(ふひとしる)すことを絶えず」という文に登場する[柯(か)]は、末部の「日下(にちげ)」と「帯(たい)」の字源銀河を指し示すために選んだ語である。
   [柯]の木編を三水偏に変えると、[河]となる。
  [河]の字源は「十字の銀河の子宮と重なる乳房・妊婦のおなか・右足」に観える銀河部と「鬼の横顔に似る銀河の舌」の中間の「帯状の銀河部」である。この「帯状の銀河部」は〔大雨が降って水が激流する河〕に見立てることができる。だから、この「帯状の銀河部」「河の銀河」でもある。この銀河を「帯状の銀河部」・「河の銀河」と名づける。

  「人の横顔に酷似する銀河」の額(ひたい)にある「北天の最輝部」が子午線経過するとき、「オス鹿の横顔に似る銀河と三つ輪の銀河」は〔葉が生い茂る葉冠部〕に観え、オス鹿の角となる「十字の銀河」と「長方形の暗黒天体部」とそして「帯状の銀河部」・「河の銀河」は〔葉の茂みから現れる木の柯(えだ)〕に観え、「鬼の姿に似る銀河」は〔樹木の幹〕に観える。
  この〔北天の最輝部が子午線経過するときの樹木の銀河の光景〕は、これから解説する「日下」・「玖沙訶(くさか)」、「帯」・「多羅斯(たらし)」の語源、各字の字源を解明するための基準の銀河光景とする。

  〔歳差〕によって、日本列島の天頂を縄文時代は「十字の銀河」が、弥生時代は「長方形の暗黒天体部」がめぐってきた。
  ゆえに、上古の史実を後世に伝えるには、「十字の銀河」と「長方形の暗黒天体部」が重大となる。
   だから、【文字】は【銀河各部の形状】であったと伝えるために、序の末部は「姓(うじ)において日下を玖沙訶といい、名において帯の字を多羅斯」と記述するように、「日下」と「帯」という語を選んだのである。

  この「日下」と「帯」が登場する前の文で「すなわち上古の言(ことば)と意(こころ)において、辞理(じり)の見えがたきは、注をもって明らかにし、意況(いきょう)の解(さと)りやすいのには別に注はつけませんでした」と説明する。
 この記事が明確に示すように、上古の言葉と意味を伝える稗田阿礼が誦習した「旧辞」は「口伝」ではなく、夏音文字で記述される「文献史料」であったことになる。そして、この夏音文字は「辞理」すなわち「辞(文字と言葉)の原理」を有し、「意況」つまり「意味。意義」を有するものであったことになる。
  だから、「辞理」の意味は「【銀河各部の形状】が【文字】であるという原理」であった。

  古語の「垂乳根(たらちね)」の語源は「十字の銀河」を横にして、「十字の銀河」を〔二つの乳房をならぶ母親の正面形の胸部〕に見立てて成立する。
 ゆえに、①「“M39”という散開星団と重なる十字の銀河の乳房の形に似る銀河部」が〔北の乳房〕に、②「十字の銀河の子宮と重なる十字の銀河の乳房(妊婦のおなか・右足)の形に似る銀河部」が〔南の乳房〕に見立てられた。
  この①北の「乳房に似る銀河部」から「鬼の横顔に似る銀河の額」に垂れる銀河部は、上記の「帯状の銀河」と同じく「帯状の銀河部」となる。②南の「乳房に似る銀河部」から「鬼の横顔に似る銀河の舌」に垂れる銀河部は、上記にて説明した「帯状の銀河部」・「河の銀河」である。

  この①と②の「帯状の銀河部」が[帯]の字源・「多羅斯」の語源となる。
  『説文解字』は「多羅斯」の[多]の字源を「重ぬるなり」、白川静著『字統』は[多]の字源を「二夕を重ねる。夕は肉の省略形。肉の多い意である」と解説する。
  「十字の銀河」の「乳房の銀河部」には“M39”という名の散開星団と子宮となる銀河部が重なり、女性の乳房は男性の乳房よりも肉の多い箇所となる。だから、[多]の字源は「十字の銀河の乳房の銀河部」ということになる。
  [羅]の甲骨文字の字形に「网(あみ)で鳥を小鳥・隹を覆う」ものがある。
  [隹]の字源は〔小鳥の姿〕に似る「十字の銀河の子宮」である。
 『説文解字』は[隹]の字源を「鳥の短尾なるものの総名なり」と解説する。「十字の銀河の子宮」の「隹」の形はスズメ・ヤマセミ・カワセミに類似するが、これらの小鳥は短尾ではない。“短尾の隹・小鳥”といえば、鳰(カイツブリ)・ハジロカイツブリである。
 [隹]の字源「十字の銀河の子宮」が子午線経過するとき、その南に〔正午の太陽に〕に見立てられた同心円形の半分形がある。この「同心円形の半分形の銀河部」は〔カイツブリが水中に潜った後の水面の波紋、あるいは鳰の浮き巣の形〕に観える。約1.7度の「十字の銀河の子宮」の北の“M39”は満月(0.6度)ぐらいの大きさの肉眼でも見える散開星団であり、その形は〔鳰と浮き巣〕にそっくりである。鳰の体は水中の生活に適している。全身の羽は油をよくふくんで密に生えているので、体を水に浮かせ、また水中でも濡れないようになっている。
  子宮に宿る胎児を浮かせ、羊膜(ようまく)との癒着(ゆちゃく)をふせぐ羊水は卵膜(らんまく)の袋の中にある液体で、はじめは無色透明であるが、妊娠末期には胎児の皮脂(ひし)などが混じるため淡黄色を帯びる。
   この〔卵膜と無色透明の羊水〕と〔鳰の水中でも濡れない羽〕を〔网(あみ)〕に見立て、〔卵膜につつまれる胎児〕を〔隹〕に見立てて、甲骨文字は「网に隹を覆う」ように図案化したのが[羅]の甲骨文字の字形であったのである。
 このような[羅]の甲骨文字の字形の秘密は、『魏志倭人伝』と同時代の3世紀後半に作られた静岡県浜松市北区細江町(ほそえ)の1千万坪の大鳥の地上絵によって明らかとなる。この細江町の北は引佐(いなさ)町であり、細江町と引佐町金指(かなざし)地区の境界線の形は[隹]の字源「十字の銀河の子宮」の北半分の形に設計されて〔鳰の頭部・首〕の形となる。「十字の銀河の子宮」の北半分は〔嘴(くちばし)の部分が無い鳰の頭部・首〕の形となる。そして、引佐町金指地区と北隣の井伊谷(いいのや)の形は〔鳰と浮き巣〕の形となる。いいかえると、金指地区と井伊谷は〔“M39”という散開星団の形〕にして〔十字の銀河の子宮の北半分とM39の南半分の合体形〕となる。『魏志倭人伝』は細江町・引佐町の「遠江」の小国名は「不呼(ふこ)国」であったと書く。この「不呼」の[呼]の字源は「鳰」である。ゆえに、引佐町の金指地区・井伊谷の〔嘴が無い鳰と浮き巣〕の形を注目すると、[羅]の「网で隹を覆う」を図案化した甲骨文字の図案は「M39」と「十字の銀河の子宮」から成立したということが解明できる。
  [隹]の字源となる「十字の銀河の子宮」は〔精密に緯度が測定できる天頂点〕に見立てられた。 だから、[羅]の甲骨文字の「网で隹を覆う」字形は「天頂点をキャッチする、つまり天頂緯度測定する人がみずから命を网でキャッチする」を表現していることになる。だから、[羅]の字は「緯度と経度を精密にキャッチする」と意味する字となったので、「羅針盤」という語が生まれたのである。
  [斯]の[斤]は「斧」であり、『説文解字』は[斯]の字源を「柝(さ)くなり」と解説する。[隹]の字源の「十字の銀河の子宮」を横にすると〔斧の刃〕の形となる。この「十字の銀河の子宮」と重なる「帯状の銀河部」は上記したとおり「河の銀河」であるので、この「帯状の銀河部」・「河の銀河」は[河]と同じ[可]を有する[柯]の字源銀河ということになる。
 「柯(か)を伐(き)る」という語句は「木を切って斧の柄を作るには、自分の手元にある斧の柄を見て切ればよい。人の手本とすべきものは、遠くに求めなくても手近な所にあるものだ」と意味するが、この[柯]は「木の枝」を意味せずに「斧の柄」を意味する。
  ゆえに、「十字の銀河の子宮」が〔斧の刃〕、「十字の銀河の子宮」と連結する「河の銀河」は〔斧の柄〕に見立てられた[柯]の字源となる。
  だから、[斯]の銀河は「十字の銀河の子宮」と[柯]の字源となる「帯状の銀河部」・「河の銀河」となる。
  そうすると、[帯]の字源・「多羅針斯」の語源は「十字の銀河の子宮・南の乳房・柯(斧の柄)の銀河」となる。
  また、[舌]の字源の「鬼の横顔に似る銀河の舌の銀河部」と[辛]の字源の①の「帯状の銀河部」とで、[辞]の字源が成立する。

  弥生時代、日本列島の天頂にめぐってきた「長方形の暗黒天体部の西の辺」もまた[帯]の字源、「多羅斯」の語源となる。
  というのも、「長方形の暗黒天体部の西の辺」は「北アメリカ星雲」と〔重なり〕、「北アメリカ星雲」は〔鬼の姿に似る銀河の胸部の大きな乳房〕のような形をしているので、[多]の字源解説に適合するので、「北アメリカ星雲」は[多]の字源となる。
  また、「北アメリカ星雲」は〔隹の姿〕にも相似するので、[羅]の字源「天頂点のキャッチ」・「网で隹を覆う」に適合することになる。というのも、[眔(とう)]の字義は「なみだ」を意味し、ヒエログリフの(古代エジプト文字)の「ホルスの眼」の字源となる「北アメリカ星雲・ペリカン星雲とその東西の白目となる銀河部」を〔目〕に見立て、この[目]の南となりにある「3本の閃光(せんこう)を放つ銀河部」を〔目から出る涙〕に見立てるからである。甲骨文字と金文の字形の場合は[眔]の上部は[目]の形となるが、楷書では[网]は“横目”と呼ばれる部首名となる。つまり、楷書の字形においては〔角膜(かくまく)〕を〔网(あみ)〕に見立てている。角膜は眼球全体を覆う透明な、目の最外層で最前部である。上記したように、[羅]の字源における「网」は〔無色・透明な羊水〕に見立てるものであるので、〔眼球全体を覆う透明な角膜〕も「网」をあらわすことになる。
   だから、〔角膜〕は〔隹〕の姿に似る「北アメリカ星雲」を覆う〔网・あみ〕となる。
 網(あみ)のようなう網目のある紗(うすぎぬ)を「羅」という。したがって、〔透明な角膜〕は〔眼球を覆う「羅」〕に見立てられたことになる。
  〔天頂点周辺の銀河部位〕に見立てられた「十字の銀河の子宮」は見える。しかし、〔女性の子宮〕は腹部の内側にあって目に見えない。そこで、目に見える「十字の銀河の子宮」は〔女性の子宮と違って、透明で見えるをあらわす〕ために、〔十字の銀河の子宮がある腹部が透明にすることができる網〕すなわち「网」が想定されたにちがいない。
  そして、「北アメリカ星雲」は〔斧の刃〕にも類似し、「北アメリカ星雲」とつながる「長方形の暗黒天体部」は〔斧の柄〕となるので、[斯]の字源が成立する。
  だから、「北アメリカ星雲」と連結する「長方形の暗黒天体部」が「多羅斯」の語源となる。

  「日下」の[日]の字源は「三つ輪の銀河」である。つまり、「十字の銀河」の東隣の「三つ輪の銀河」は〔朝日〕に見立てられたゆえに、「三つ輪の銀河」は[日]の字源となった。次に「十字の銀河」を横にして、[日]の字源の「三つ輪の銀河」の下にある「十字の銀河」と「鬼の姿に似る銀河」が「日下」の語源とする。
  そして、「玖沙訶」の「玖沙」を「草」と解する。なぜならば「草壁」は「日下部」とも表記するからである。
  「日下」・「玖沙訶」は、『古事記』作成目的となった伊耶那岐命の黄泉国訪問説話末部に記載される、天照大神の呪詛(のろい)の誓いに登場する「人草(ひとくさ)」の語源を説明する役目がある。
  天照大神は千引(ちびき)の石(いわ)の前で「汝の国の人草、一日に千頭(ちがしら)(くび)り殺さむ」と呪(のろ)い誓った。
  このように天照大神言の呪詛(じゅそ)の誓いには「人草」という語が登場する。この「人草」の少し前に「青人草(あおひとくさ)」という語が登場する。
 「人草」も「青人草」も意味は「人民」であるが、この語源は人の姿にそっくりな「十字の銀河」と〔胎児の姿〕に見立てられた「鬼の姿に似る銀河」である。
  ということは、「日下」となる「十字の銀河」と「鬼の姿に似る銀河」は〔人〕に見立てられ、また〔草〕・「玖沙(くさ)」に見立てられて、「青人草」と「人草」の語源になったことになる。
 「十字の銀河」を横にすると〔天〕あるいは〔天頂にめぐってくる銀河部〕に見立てることができるので、〔木の幹〕に相似する「鬼の姿に似る銀河」は〔天頂緯度測定する人が植(た)つ姿〕になる。
  [植]の字は[木]と[直]が組み合わさる字であるから「木が地面に直角に立つ」とあらわすものであり、天頂緯度測定する人は地面に直角に立つので、「植つ」は「立つ」を意味した。これゆえ、「鬼の姿に似る銀河」は〔天に向かって生える植物のように立って、天頂測定する人〕ということになり、「人草」の語源となった。
  [植]の字源は「鬼の姿に似る」であるが、[立]の字源は「十字の銀河」である。「十字の銀河」は[天]の字源となり、「鬼の姿に似る銀河」は[土]と[地]の字源となった。「十字の銀河」は[地]の字源の「鬼の姿に似る銀河」に対してほぼ直角に立つので、〔天に向かって生える植物のように立って、天頂緯度測定する人〕に見立てられて、「十字の銀河」も「人草」の語源となった。

  「夏音」の[夏]の金文形に〔人の横顔の頭髪が上に突っ立ち、片手を挙げる人の上半身の姿」を図案化するものがある。
  この[夏]の金文形の〔人の横顔〕は「人の横顔に酷似する銀河」を、〔上に突っ立つ頭髪〕は「鬼の姿に似る銀河」と「十字の銀河」を、〔挙げる片手〕は「オス鹿の横顔に似る銀河の口の部分」と「鼻となる長方形の暗黒天体部」を(この部分は「人の横顔に酷似する」銀河が挙げる〔左手〕に観える)、〔上半身〕は「人の横顔に酷似する銀河」に隣接する〔人の上半身に相当する銀河〕を図案化したものである。
 というのも、「十字の銀河」の東隣は〔三つの太陽〕のように観える「三つ輪の銀河」であるので、「十字の銀河」は〔夏の強い陽射しを浴びる人〕に観える。「人の横顔に酷似する銀河の額」には銀白色の「北天の最輝部」がある。この「北天の最輝部」もまた〔夏の強い陽射し〕をあらわすものとなる。
 また、[眔]の字源となった円形の「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」と「3本の閃光を放つ銀河部」は、ヒエログリフの「光線を発している太陽円盤」の字源となった。
  [眔]の字義は①「涙」と②「見送る」である。
 つまり、「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は「見送る目」に観えるのは、上記の[夏]の金文形の字源となった銀河の範囲が〔人が片手を挙げて見送る姿る〕に相似するからである。中国の海岸線は〔東を向く人の横顔〕に相似し、山東半島から朝鮮半島にかけての陸地は〔挙げる左手〕に相似するので、銀河と中国から朝鮮半島までの地宜(ちぎ・平面的な地図の形)は、[夏]の字源となった。ゆえに、『説文解字』は[夏]の金文形が示すように〔中国の海岸線が人の横顔と左肩と左腕の形〕に相似するので、[夏]の字源を「中国の人なり」と解説した。

   「玖沙訶」の[玖]の字義は「玉に似た黒い石」の意味であるから、[玖]の字源は〔黒い瞳〕に相似する「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」となる。これゆえ、[玖]の編[王]は[玉]であり、[玉]の字源は〔玉〕のように円い「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」となる。
 [弥]の字源は首から下の体下面が銀白色の「カンムリカイツブリ」であり、[弥]の字源銀河は銀白色に輝く「北天の最輝部」である。つまり、「北天の最輝部」は「カンムリカイツブリの正面形」に相似する。この[弥]の字源を『説文解字』は「久長なり」、白川静著『字統』は[久]の字形を「屍体(したい)を後ろから木で支えている形」と解説する。「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」と「3本の閃光を放つ銀河部」から「北天の最輝部」までは〔後ろから木で支えている形〕となり、「鬼の姿に似る銀河」は〔屍体〕のように見えるので、「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」から「北天の最輝部」までの「コールサックの北部の暗黒天体部」が[久]と[玖]の字源となる。
  [沙]の[少]の甲骨文字の字形は「3本の閃光を放つ銀河部」の〔中央の閃光を途中に隙間を入れて4本の短い線〕であらわしている。[眔]の「涙」は「3本の閃光を放つ銀河部」があらわすので、[沙]の三水偏の字源は「涙」となる「3本の閃光を放つ銀河部」となる。[眔]の上部の[网]は〔角膜〕を〔紗(うすぎぬ)の羅〕と見立てるものである。ゆえに、「3本の閃光を放つ銀河部」は[紗]の字源であることになり、この[紗]の糸編を三水偏に変えると[沙]となる。『説文解字』は[沙]の字源を「水の散らせる石なり」すなわち「砂(すな)なり」と解説する。「3本の閃光を放つ銀河部」は「水の散らせる石すなわち砂」に観える。
 [訶]は[言]に[可]を加えた字である。「鬼の横顔に似る銀河の口」は〔言葉を吐く口〕であるから、[言]の字義を示すものとなる。この「鬼の横顔に似る銀河の口」の東隣は[柯]の字源の「河の銀河」・「帯状の銀河部」である。だから、[訶]の字源は「鬼の横顔に似る銀河の口の銀河部」と「河の銀河」・「帯状の銀河部」となる。
  『説文解字』は[訶]の字源を「大言して怒るなり」と解説する。「鬼の姿に似る銀河」は〔胎児が宿る子宮〕と見立てられ、胎児の頭を産道へと押し出すために母親は怒責(どせき)つまり怒るように大声をあげる。この怒責を『説文解字』は「大言して怒るなり」と解説した。ゆえに、[訶]の字義は「しかる」となった。また、[訶]の字義は「うた(歌)」となった。[訶]の字源銀河は「口と歌」に観えるからである。

  上記したように、「玖沙訶」という語は[夏]の字源と密接にかかわる。
  ということは、「玖沙訶」という語は「夏草」を意味するものと考えられる。
  「玖沙訶」の意味は「夏の日の下で丈(たけ)高く伸びて生い茂る草」であるから「日下」と表記されることになったにちがいない。ゆえに、「玖沙訶」は「夏の陽射しで堅くなった地面をものともせずに、ぐんぐん生気みなぎって空へと高く伸びる夏草」と意味した。
  それゆえ、〔元気いっぱい生きる〕という意味をこめて「人」または「人民」を「青人草」、「人草」と言うようになったにちがいない。

  『古事記』の序は稗田阿礼の〔誦習〕について、下記のごとく記載する。
 「目に度(わた)れば口に誦(よ)み、耳に払るれば心に勒(しる)す」
  学者たちは、上記の文は「口伝」を説明すると解釈するが、この意見は誤っている。というのも、上記の文には「口伝」を意味する字も語も存在しないからである。
  この文は、現在の流行歌手のように、「旧辞の文の意味の情景や字源と語源となる銀河の形状を訶(歌)で描いて、私たちが古語が聞いてもよく理解できないように、夏音文字の語や文が理解ない人々によく理解できるようにした」と説明するものだったのである。
  「目の度れば」という文は、〔天の銀河〕に見立てた「十字の銀河」と「鬼の横顔に似る銀河の両目」までの「河の銀河」・「帯状の銀河部」を「度(渡)る」と表現したのである。
  「口に誦み」の[誦]の[甬]の字源は「鬼の姿に似る銀河」である。というのも、「鬼の姿に似る銀河」は「十字の銀河」が歩いた通路に観えるからである。「通路」の[通]の初文は[甬]である。
  ゆえに、「口に誦み」は「鬼の姿に似る銀河の口から心臓がある銀河部」までを表現するものとなる。
  次の「耳に払るれば」という文の「耳」は、「鬼の姿に似る銀河の心臓部」に隣接する「北アメリカ星雲」である。「北アメリカ星雲」は一般的に呼ぶ“耳”すなわち耳介(じかい)の形に相似する。これゆえ、[耳]の甲骨文字は「北アメリカ星雲」を図案化したものである。
  「耳に払るれば」の意味は「聞く」である。
 「聞く」の[門]の字源は〔門〕の形に観える「長方形の暗黒天体部」である。耳介の形に似る「北アメリカ星雲」を[門]の字源の「長方形の暗黒天体部」の中に入るように払い落す、だから[門]の中に[耳]を入れて[聞]となった。
  耳介に似る「北アメリカ星雲」は中耳にある〔耳小骨(じしょこつ)〕の形にも相似する。「北アメリカ星雲」を〔耳小骨〕に見立てると、内耳にある三半規管(さんはんきかん)がある位置は「長方形の暗黒天体部の中」となる。
 だから、「耳に払るれば」の「音をキャッチする。きく」をあらわす字は[聞]となった。
 三半規管は平衡感覚を担当するので、異常をきたすと直立できなくなる。「鬼の姿に似る銀河」は〔天頂緯度測定する時に、直立する人〕に見立てられた。
 三半規管は半規管と前庭(ぜんてい)に分かれる。「河の銀河」・「帯状の銀河部」は〔3本の線〕が列となるものであるので〔3つに分かれる半規管〕に見立てられ、「鬼の姿に似る銀河」は〔前庭〕に見立てられた。
  [天]の字源となる「十字の銀河」は〔黄帝〕に見立てられ、黄帝に跪(ひざま)づいて敬うように観える「鬼の姿に似る銀河」は黄帝につかえた“漢字の始祖”の〔倉頡(そうきつ)〕に見立てられた。『易経』繋辞(けいじ)下伝は、倉頡について「上古は結縄(けつじょう)して治まる。後世の聖人これに易(か)うるに書契(しょけい)をもってする」と記述する。
 これゆえ、〔倉頡〕に見立てられた「鬼の姿に似る銀河」は「聖人」の[聖]の字源となった。
 前述したように、「鬼の姿に似る銀河」は[通]の字源であったので、『説文解字』は[聖]の字源を「通なり」と解説した。
  次の「心に勒す」は前の「口に誦み」が「鬼の姿に似る銀河の口から心臓部まで」と意味するものであった。ゆえ、この「口に誦み」の「心臓部まで」の繋(つな)がりを示して、[心]の字を用いる「心を勒す」という文にしたのである。
 「鬼の身に相当する銀河」は中央が暗黒部となるので「唇を少し開ける口」の形に相似する。この「唇を少し開ける口」は〔鞣革(なめしがわ)を作る口〕に見立てられた。古代は、獣の革(かわ)を口にくわえてなめしてやわらかくした鞣革を作った。
  〔鞣革を作る口〕に見立てられた「鬼の身に相当する銀河」は[奴]の字義は「堅い地面を開墾し耕作できる強い力を有する若者の太い腕」をあらわすことになった。ゆえに、「鬼の身に相当する銀河」は、[勒]の[力]の字源となった。だから、「鬼の身に相当する銀河」は〔鞣革〕の[革]に[力]が加わる[勒]の字源となった。
  この「鬼の身に相当する銀河部」の一部分に〔心臓〕があり〔心〕のある箇所となる。
  ゆえに、「心に勒す」の意味は「口で訶(うた)う声を心に深く記す」ということになる。
  学者たちは「口に誦み」だけの字句を注目し、それ以外の語句や字は無意味であると傲慢に単純化して、この「目に度れば口に誦み、耳に払るれば心に勒す」という文は「暗誦して後継者に受け継がせる口伝」であると解釈する。しかし、この意見は誤読となる。
 この文の後に「帝皇の日継(ひつぎ)と先代の旧辞とを誦み習はしめたまひき」という文があるが、この文中の「旧辞」の[辞]の意味は「文字と言葉」であり、また「習う」は「後稍夏音を習う」の「習う」と同じ「復興する」と意味であるから、「口に誦み」は「諳(そら)んじる。暗記する」と意味するものではない。
 だから、「口に誦み」はもちろん、「帝皇の日継と先代の旧辞とを誦み習う」の「誦み習う」も「口伝」を意味しない。

  1980年代に入って湯川秀樹博士が先駆者となって欧米の世界の先端科学者や科学論家たちは、幾つかの国際会議を開いて、日本人本来の超合理の考え方のほうが優っている、デカルトから始まる西欧近代科学の考え方には傲慢な単純化はじめとして幾つかの誤りがあると警告した。
  しかし、現在の日本の歴史学者や漢字学者たちは18世紀前半に新井白石が取り入れた西欧近代科学の考え方に支配されて奴隷と化し、日本人本来の超合理の考え方を未だ復興しない。だから、「目に度れば口に誦み、耳に払るれば心に勒す」という文を傲慢に単純化して「口伝を伝えるもの」と主張する。
 『魏志倭人伝』は「倭の使節が大海を往来した」と説明し、「日本列島は東に伸びずに南に伸びる」と説明するのは卑弥呼王朝の政治基盤が天頂緯度の測定を最も重視する学術であったからである。中国では紀元前1世紀に天の北極を最も重視するシナ天文が完成して天頂緯度測定の習慣は廃(すた)れたために、当時、天頂緯度測定の最も理想的な羅針盤となる「長方形の暗黒天体部」が天頂にめぐってきたのにもかかわらず、魏と帯方郡の使節は大海を渡ることができなかった。もしも邪馬台国説のとおり、「日本列島は南に伸びる」と証言する幾つかの記事が著者の誤った地理観であり、卑弥呼王朝は天の北極を最も重視して日本列島が東に伸びると制定していたとしたならば、倭の使節は魏と帯方郡の使節と同様に大海を渡れなかったことになる。ゆえに、西欧近代科学の傲慢な単純化を用いて立論する邪馬台国説が正しかったならば、倭と魏は国交が結ぶことができなかったので、『魏志倭人伝』は1字もこの世に存在する史料ではなかったことになる。このように、〔大海を往来することができる天頂緯度測定と大海を渡ることができなくなる天の北極の緯度測定〕を注目すれば、白石以来約280年も続けられた邪馬台国研究は完全なる誤読の空論であることが証明される。
  卑弥呼が居住した王国の名は『魏志倭人伝』が表記するように「邪馬壱(やまい)国」であり、日本列島の方位を90度転回して[倭]の字源にもとづく地理にもとづくと、すべての記事に矛盾せず合理となり【科学】という語の定義が成立するのは山陰出雲地方(石見・出雲・伯耆)だけである。このように、山陰出雲地方だけが一点の矛盾もなく【科学】が成立する地であるから、倭女王・卑弥呼が居住した王国・邪馬壱国は山陰・出雲地方であったことになる。
  学者たちは西欧近代科学の考え方に支配されて〔傲慢な単純化〕の奴隷となるため、中国の正史『新唐書』日本伝の「後稍夏音を習う」という文とそれにつづく「倭の名を悪(にく)み」などの記事は『古事記』上巻に記述された3世紀半ばに日本国が誕生した歴史の秘密を端的(たんてき)に表現したものであることをまったく察知できない。何人かの学者たちは“『新唐書』日本伝の記事を8世紀初頭(702年)に日本国が誕生した”と指摘して、完全に〔傲慢な単純化〕の奴隷となる。
  西欧近代科学の考え方に支配されて真実を知る考え方を奪われた学者たちは、下記の『隋書』倭国伝の記事を「文字が無かった」と読解する。
   「文字無し。ただ刻木(こくぼく)・結縄のみ。仏法を敬いて百済(くだら)において仏経を求得(きゅうとく)し、始めて文字有り。卜筮(ぼくぜい)を知り、尤(もっと)も巫覡(ふげき)を信ず」
  中国の易卜の書に用いられる楷書を知ろうとした巫女(みこ)と覡(かんなぎ・神官)たちは三皇時代の結縄と五帝時代の刻木に精通していたので、銀河を辞典にして、百済から輸入した仏教の経典に用いられる文字すなわち楷書を解読した。「刻木」を中国では「書契」と称する。「書契」も「刻木」という名称は、天頂を通過した「十字の銀河」を〔木〕に見立てて、この「木に緯度の目盛りを刻む」の略称である。したがって、「十字の銀河」が天頂を通過した時代に使用された五帝時代の文字はじめ、夏音文字・甲骨文字・金文・篆文・隷書も本来ならば「書契」または「刻木」と称されなければならない。ゆえに、「ただ刻木・結縄のみ」という語句は「わが国には五帝時代の文字・夏音文字と三皇時代の結縄があった」と遣隋使は隋王朝に伝えるものであったことになる。だから、7世紀初頭に、始めてわが国に隋代に完成した楷書が習得された。この巫覡たちの楷書の解読を倭の人々は偉大な事業と絶賛して彼らを最も信頼したのである。
  『隋書』倭国伝の「文字」は「楷書」を意味するもので、「楷書」を通称で「文字」と言ったまでのことで学術的な定義のもとづくものではなかったのである。
  だから、わが国が漢字を最初に習得したのは今から約4000年前の夏代初頭(後期縄文時代初頭)であって、学者たちが定説とする5、6世紀ではない。
 

  『易経』、『老子』、『説文解字』、『魏志倭人伝』、『古事記』上巻は、【文字】は【銀河各部の形状】であったと証言する。
   また甲骨文字・金文・篆文の字形でも、【文字】は【銀河各部の形状】であったと科学的に証明できる。
   だから、今から約4050年前、わが国には中国から名門益氏の若者たちが渡来して夏音文字をもたらし縄文の芸術家たちによって習得され、以後、【文字】は【銀河各部の形状】として存在した。
  【文字】は【銀河各部の形状】であったことは、現在においても、竜安寺の石庭にて確認することができる。また、長野県茅野市の尖石台地の遺跡・遺物、秋田県鹿角市の大湯環状列石、静岡県浜松市北区細江町の1千万坪の大鳥の地上絵、滋賀県彦根市の3千万坪の羽の無い大鳥の地上絵、京都市の桂離宮の庭園などで科学的に立証できる。
  また、天皇の王冠・菅蓋(かんがい)の意匠も夏音文字はわが国に伝来し、【夏音文字】は【銀河各部の形状】であったと証言する。
 アンドルー・ロビンソン著╱片山陽子訳『文字の起源と歴史』(創元社)は《はじめに》の冒頭で「文字が人類の歴史上、最も偉大な発明品の一つである」と書く。
 この文字が銀河から起源したことを最も科学的に具体的に立証できるのは、【文字】が【銀河各部の形状】であることを1738年に天皇の王冠の意匠が定まる時まで原初漢字・夏音文字で残したわが国しか、今となっては残っていない。
  しかし、この世界史的にも最も重大な歴史を、西欧近代科学の考え方を絶対視するわが国の学者たちは傲慢な単純化を用いてことごとく否定し、【文字】は【言葉をあらわす記号】であると思いこむ。
  西欧近代科学の考え方には幾つかの誤りがあり、絶対視できない。このことは先端科学者たちが証明して警告した。また、竜安寺の石庭がどこから見ても14個にしか見えない石はほんとうは15個在るという仕掛けで西欧近代科学の考え方は不完全あると表示する。
 西欧近代科学の学術方法では、『魏志倭人伝』の全記事が正しいことが把握(はあく)できず、『古事記』上巻の日本国誕生史の真実もとらえることもできず、【文字】が【銀河各部の形状】である真実を知ることができない。
   新井白石以来の西欧近代科学の考え方は不完全な科学であり、これを絶対視すると偽の科学になることを、わたくしはこの〔枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は“世界の文字は銀河から作られた”と証言する〕でテーマにして説明するものであったのである。 

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