枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は”世界の文字は銀河から作られた”と証言する・43
今から約6000年前の三皇時代初頭(わが国の前期縄文時代初頭)、黄河中流地域に居住する包犠(包犧・ほうぎ)氏は天頂を通過する「十字の銀河の頭部」や「三つ輪の銀河」から起源漢字の「結縄(けつじょう)」を作った。
陝西(せんせい)省西安市の郊外に、半坡(はんぱ)遺跡がある。半坡遺跡の放射性炭素測定値は6080年(±110)~5600年(±105)である。この半坡遺跡から出土した彩色土器の表面に、合計で110余点、22種類にまとめられる記号が刻まれていた。これらの記号は甲骨文字や金文によって現在ほとんど解読されている。
これらの記号は、1個の彩陶(さいとう)の破片に1個だけ単独に刻まれ、複数個の記号が同一の破片上に刻まれたものは一例も発見されていない。この半坡遺跡から出土した彩陶の記号を漢字の原始段階を示すものと見なす学者もいるが、〔文字列(もじれつ)〕つまり〔同一面上に複数の文字の連なり〕が存在しないことから、学界は〔文字〕であると定義しない。しかし、この〔文字列〕の定義は矛盾して【科学】の定義に反する。というのも、同一面上に[龍]だけ1個の記号がある[龍]は〔文字ではない記号〕、同一面上に[龍]と[竹]の記号がある場合の文字ではない記号の[龍]は〔文字となる記号〕となるので、この〔文字列〕で〔文字である〕か〔文字でない〕かを決定する方法はあまりにも非科学でいい加減である。
漢字も古代エジプト文字・ヒエログリフも「神の言葉」すなわち「遠くへ旅する人々が家族が待つ家へ必ず帰還するために、精密に緯度と子午線が計測できる天頂緯度測定の記号」として起源した。
ゆえに、〔天頂点をあらわす複数の記号を同一破片上に刻むこと〕は〔どちらの銀河部位を天頂点にしようかと迷う〕ことになって「死」を意味したから、結縄は陶器の同一破片上に複数の記号を刻むはずがなかったのである。
[易]の字源は「蜥蜴(トカゲ)」であり、トカゲには「必ずもとの巣にもどる帰家性」がある。ゆえに、[易]の字源は「遠くの地に旅しても必ず家に帰ってくる術」すなわち「天頂点をキャッチする術」であって、この「天頂点をキャッチする術」を象徴するのが「トカゲ」であったのである。
易は包犠氏が始めたとされる。だから、半坡遺跡から出土した記号は、包犠氏が発明した起源漢字だったのである。
〔歳差〕で約6000年前~約5600年前の天文図を再現すれば、北緯34度16分の半坡遺跡が包犠氏が居住した集落であることが簡単に科学的に解明できる。
当時、半坡集落の天頂に「十字の銀河の頭部」がめぐってきた。この「十字の銀河の頭部」は〔中央の暗黒天体部の冎(あな)を円形の銀河が包む形〕となる。この円形の「十字の銀河の頭部の銀河」の所々に隙間(すきま)がある。
司馬遷著『史記』五帝本紀は「黄帝軍は駐屯(ちゅうとん)するとき、円形に軍兵をめぐらして自衛した」と記述する。この黄帝軍の陣形は、『魏志倭人伝』にある「倭には牛馬は無し」すなわち「倭には[牛]の字源の『ジャコウウシ』と[馬]の字源の『フタコブラクダ』は生息していない」という記事の、[牛]の字源の「ジャコウウシ」の生態から学ぶものであった。
ジャコウウシは天敵のオオカミに襲われると、子どもを真ん中に隠して円陣を作る。
このジャコウウシの円陣は、中央の円形の暗黒天体部の包囲する円形「十字の銀河の頭部の銀河」の形状に相似する。ジャコウウシの群れは、中央の子どもまもるために、オオカミの餌になって犠牲となるものもいる。この円陣の隙間となって犠牲となる牛は「十字の銀河の頭部の銀河の所々の隙間」に見立てられた。
だから、「十字の銀河の頭部」が天頂にめぐってきた半坡集落は「十字の銀河の頭部の銀河」と「中央の子ども包囲して犠牲になるジャコウウシ」から「包犠」と名づけられたのである。
ジャコウウシの円形は、オオカミに立ち向かうには大いに役立ったが、犬のように伏せてジャコウウシの群れに近づいて矢で射る人にはかっこうの目標となった。ゆえに、「包犠」という名は、[人]と[犬]が組み合わさる[伏]と[犠]の「伏犠(ふくぎ)」とも呼ばれた。
この「包犠」・「伏犠」という名は、包犠氏みずからが結縄で表記したものではない。
包犠氏が考案した天頂を通過する「十字の銀河の頭部」と「三つ輪の銀河の中央の輪の銀河」だけから作る結縄では、みずからの氏族名をあらわす文字を生み出すことができなかった。
「包犠」という名をあらわす文字は、今から約5000年前の五帝時代初頭(わが国の中期縄文時代初頭)の黄帝につかえた記録官の倉頡(そうきつ)の漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕の発明によって作ることができるようになった。
黄帝は女性の生殖器を中心とする医学を研究し、東洋最古の医学書『内経』を作ったといわれる。
この『内経』は内臓器官の名は、包犠氏が考案した結縄ではあらわすことができなかったので、絵で表示された。ゆえに、この女性の生殖器はじめとする内臓器官の名をあらわす文字を作るのは記録官の倉頡の役目であった。
倉頡は「十字の銀河」の妊婦のような円い腹部、乳房、右足にも観える部分に「女性の生殖器」に相当する銀河部位が重なっていることを着目して、「十字の銀河」を〔母体〕に見立て「十字の銀河の子宮」を〔文字を生む生殖器〕に見立てて、万物の情(イメージ)に類似するように多数の文字を生むことができる漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕を発明した。
この結縄に代って倉頡が作った文字の名は書契(しょけい)、わが国では「刻木(こくぼく)」と称された。
この「書契」・「刻木」という名称は「木に文字を刻む」と意味するものつまり「木のように観える十字の銀河に各地の天頂緯度の目盛りを刻む。この緯度の目盛りは文字となる」と意味するものであったことになる。
倉頡は文字は強大な権力基盤、莫大な富を手に入れる最も強力な方法であることに気づいた。ゆえに、反体制側の手に入れて革命に利用されると王朝が崩壊すると考えた倉頡は、文字の知識を王朝が独占管理して厳重に機密を保持し、銀河から文字が作られた知識を有する者やこの秘密に気づいて研究する者は体制の中に組み入れ、体制の中に組み入れられることを拒んで銀河から文字が作られた秘密を暴露する者は即刻死刑にすると定めた。
倉頡が発明した漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕は黄帝の医学研究と倉頡の銀河各部の形状を文字にする学芸の合体作品であったので、倉頡の顔には黄帝と倉頡の両目で計四つの目が描かれることになった。
ゆえに、倉頡は“四つ目の怪人”と呼ばれる。
倉頡は「十字の銀河」を「母体」に見立てたので、羊水が黄色くなると出産間近くになるので女性の生殖器研究の不可欠となる[黄]の字を「十字の銀河」から作った。そして、[黄]の字源となる「十字の銀河」から[天]と[吉]の文字を作り、「鬼の姿に似る銀河」から[倉]と[地]と[頁]の文字を作った。これらの書契(刻木)を用いて主君の帝王の名を「黄」とし、自らの名を「倉頡」と定め、[吉]と[頁]が組み合わさる[頡]で黄帝と倉頡は主従関係であることを示し、倉頡の主君は〔天〕に見立てられる黄帝であり、自らを〔地〕に見立てるようにして黄帝に跪(ひざず)いてつかえて忠義を尽くす臣下であるように銀河を観れば明確にわかるようにしたと考えられる。
というのも、[倉]と[地]の字源となる「鬼の姿に似る」の首の部分には、古代エジプト文字のホルスの叔父セトへの復讐の目や毒蛇コブラの目となった「人を殺すときの冷酷な切れ長の目の形をした銀河部」があるからである。ゆえに、倉頡の「四つ目」のうちの「二つの目」は、この「鬼の姿に似る首につく冷酷な両目」をあらわして“文字が銀河から作られた秘密を暴露する者は容赦なく殺す”と表示するものとなった。つまり、倉頡の「四つ目」は〔文字が銀河から作られた秘密を暴露する者は容赦なく死刑にする〕と示す厳しい掟(おきて)をあらわすものだったのである。
だから、倉頡は目が四つあったわけではない。
柳亮・中田功著『レタリング』(美術出版社)は、倉頡伝説について下記のように記述する。
「太古、黄帝の時代に、倉頡という四つ目の怪人がいて、鳥獣の足跡からヒントを得て、はじめて文字を創り、古来の結縄法に代えたので、天は祝福して穀物を降らせ、死霊の感泣(かんきゅう)する声が夜な夜な空に聞えたというのである。」
上記の文に登場する「鳥獣の足跡」は「雪や土や砂の上に残る鳥や獣の足跡」ではない。「鳥獣の足跡」は「多数の漢字を生む子宮」すなわち「十字の銀河の子宮」であり、要するに漢字作成原理の名称である。
『説文解字』は「文字」の[字]の字源を「乳するなり」と解説し、[乳]の字源を「人及び鳥の生子を乳と曰(い)ふ。獣には産と曰ふ。孚(ふ)に従ひ乙(いつ)に従ふ。乙なるものは玄鳥なり。」と解説する。
「十字の銀河の乳房・妊婦のおなか・右足」に観える銀河部に「十字の銀河の子宮」がある。女性の子宮の卵膜(らんまく)の袋の中の羊水に胎児は浮いている。この羊水が入る〔卵膜〕は〔鳥の卵の中の膜〕に相似するので、『説文解字』は「人及び鳥の生まれる子を乳と曰ふ」と解説した。
胎児は産道を猟師から全速力に逃げる兎(うさぎ)のように飛び出すを「娩出(べんしゅつ)」あるいは「分娩(ぶんべん)」という。この「分娩」の[娩]の字源を『説文解字』は「兎(うさぎ)、兎逸(といつ)するなり」と解説する。「兎逸」は「タカや猟師に見つかって全速力で逃げる兎のように、胎児が産道を飛び出す」を意味する。白川静著『字統』は[娩]の金文形を「分娩の象」で「兎と免は全く異なる字である」と解説するが、「分娩の象」と「兎逸の象」は同義となる。ゆえに、『字統』の「兎と免は全く異なる字である」という指摘は間違っている。
〔兎〕は「獣」であるから、『説文解字』は[乳]の字源を「獣には産と曰ふ」と解説した。また、「十字の銀河の子宮」が〔獣の鼻〕の形になり、その両側に微(かす)かに〔獣(虎、牛など)の両目〕のように観えるえる銀河部がある。だから、『説文解字』は[乳]の字源を「獣には産と曰ふ」と解説したのである。
「十字の銀河の子宮」は〔小鳥の姿〕に相似するので「小鳥」を意味する[隹]の字源となった。〔羊水に浮かぶ胎児〕は〔全身の羽が油を含んで密に生えているために体を水に浮かせ、また水中に潜っても水にぬれない鳰(にお・カイツブリ)〕」に見立てられた。ゆえに、[隹]は「鳰」をあらわすことになった。したがって、『説文解字』の「孚に従ひ乙に従ふ。乙なるものが玄鳥なり」という解説は「水に浮かぶ鳰は乙の字源であり、鳰は玄鳥である」と意味することになる。
以上のごとく、『説文解字』の[乳]の字源解説から、足跡を残して東に向かって歩く人の姿に似る「十字の銀河の右足」と重なる「十字の銀河の子宮」が「鳥獣の足跡」ということになる。
〔女性の生殖器官の側身形〕は〔鳥(水鳥)の側身形〕に相似する。第5週頃の胎児の姿は[牛]の字源である獣の「ジャコウウシ」の姿に相似する。また、第7週の胎児の両目の位置は[馬]である獣の「フタコブラクダ」の両目の位置に相似する。そして、東に向いて歩く人の姿に相似する「十字の銀河の子宮」と重なる「十字の銀河の足」は〔足跡〕を示すものとなる。だから、倉頡伝説に登場する〔鳥獣の足跡〕は倉頡が発明した漢字作成原理の名称であったと解明できる。
上記の『レタリング』が記載する倉頡伝説には「はじめて文字を創り」という文がある。
この文に登場する[創]の字源を、『説文解字』は下記のように解説する。
「刅(そう)、傷つくなり。刃に従ひ一に従ふ。創、刅あるいは刀に従ひ、倉聲」
「刅、傷つく鳴り」という解説は「人を殺して刀に傷つく」と意味である。「創、刅あるいは刀に従ひ、倉聲」は「[創]と[刅]の字源銀河と[倉]の字源銀河は同じである」と解説するものとなる。そして、[倉]の字源は「鬼の姿に似る銀河」であるので、[創]と[刅]の字源も「鬼の姿に似る銀河」となる。
つまり、『説文解字』の[創]の字源説明は――「鬼の横顔に似る銀河」を〔文字は銀河から作られた秘密を暴露した大罪人〕に見立て、「鬼の身に相当する銀河」を〔首を斬って殺す刀〕に見立て、「文字が銀河から作られた秘密を暴露した者は容赦なく死刑にすると、倉頡は法を定めた――と解説するものであったのである。
[罰]の上部の[网]の字源は前回〔42〕で解説したように「十字の銀河の子宮」であり、下部の左側の[言]は「倉頡が定めた掟(おきて)を無視して文字が銀河から作られた秘密を言う」と示すものであり、[言]の右横の[刅]は「死刑に用いる刀」をあらわすものとなる。
[刑]の左側の字源は「長方形の暗黒天体部」であり、右の[刅]は「文字が銀河から作られた秘密を暴露した人物を処刑する刀」を示す。
倉頡の〔鳥獣の足跡〕の発明によって多数の文字を作ることができるようになったので、倉頡は“漢字の始祖”となり、[創]の字義は「始め」となりまた〔銀河から文字をつくる〕から芸術的行為の「創(つく)る」をあらわすことになった。
上記の『レタリング』の倉頡伝説の「天は祝福して穀物を降らせ」は「文字の学芸の発達とともに天文地理学が発達し、暦が作成されるようになり、豊かな穀物に恵まれるようになった」と表現するものとなる。
次の「死霊の感泣する声が夜な夜な空に聞えた」は「倉頡が発明した漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕によって、三皇時代の氏族の名をあらわす文字が作られるようになった。これゆえ、死んだ三皇氏族の霊魂は感激し泣いて雨を降らせた。この雨は洪水となり、黄河中流地域の土地に上流から肥沃(ひよく)な土を押し流し、また氾濫で土地は泥状にやわらかになって開墾や耕作が容易にできて豊かな食べ物と富を生む“命の水”となった」とあらわすものとなる。
あるいは「夜な夜な空に聞えた」は「文字は夜な夜な出現する銀河から作られた」と表現するものとなり、「感泣」は「雨」とあらわすことになるので「夜な夜な雨が降る」は「銀河は見えない」と示すものとなる。この「夜な夜な死霊が感泣する雨が降る」ということは「文字が銀河から作られた学芸はあたかも存在しないようにして、その秘密は絶対に暴露してはならない」と禁じる法をあらわすものとなる。
このように倉頡伝説も、上記にて解説した[創][罰][刑]の字源も、「倉頡は文字が銀河から作られた秘密を暴露する者は死刑に処すと禁じた法」をあらわす。
ゆえに、『論語』には「子曰く、我に数年を加(か)し、五十にしてもって易を学べば、もって大過なかるべし」という文があり、孔子は「三皇時代から起源する、銀河から文字が作られた易の研究は、晩年となる50歳から学んで死刑になっても大きな人生の過ちとは言えない」と弟子たちに説いたのである。
だから、倉頡が定めた厳しい掟をまもって人々は書いた文字を必ず消して死刑から逃れるようになったので、おのずと【文字】は【銀河各部の形状】となり、今から約5000年前の五帝時代初頭から今から約3300年前の殷代前半期末までの1700年間の出土文字史料の点数は極端に少ないことになったのである。
今から約4050年前の夏代初頭(後期縄文時代初頭)、我が国に名門益氏の王子と若者たち移住し、夏音文字の学芸は縄文の芸術家たちによって習得された。
この夏音文字は倉頡の厳しい掟をまもって【銀河各部の形状をあらわす文字】となった。
この夏音文字は、日本国誕生史を後世へ伝える文字となった。小国・日本の女王となった伊耶那美命は小国・日本の国作りの柱を〔愛〕と定め、それから間もなくして卑弥呼の墓を作った際におこなわれた徇葬を憎悪する反乱がおき、そして伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念を後世に残さんと願った先人たちの熱き情熱から熱き魂へと受け継いだ約1490年間の歴史によって日本建国の〔愛〕の理念は夏音文字と一体化するようになり、この一体化は1738年に本格的に大嘗会(だいじょうえ)が復興されて天皇の頭上に高々と差し上げられる王冠・菅蓋(かんがい)の意匠で表示されることとなって〔日本人の魂と命のみなもと〕となった。
紀元前3100年頃、突然、古代エジプト文字はほとんど完成された形で出現した。
それというのも、それ以前は銀河の各部の形状から作られる芸術作品となって存在して発達した。ところが、これら芸術作品をより記号化すれば文字になることに、第1王朝が始める少し前に気づいた。このために、突然、古代エジプトイ文字はほぼ完成された形で出現することになったのである。
古代エジプトでは、【文字と学問において特に重大な銀河の形状】を【神】と呼び、わが国の夏音文字と同じく【銀河各部の形状】を【文字】とした。
ゆえに、この秘密を知っている王と神官と書記たちは銀河を辞典にして文字が読め、意味が理解できたのである。
古代エジプト文字・神の言葉(メドゥウ・ネチェル)・ヒエログリフは、すべての漢字が作られた銀河の範囲と同一の銀河全象から作られた。
このすべての漢字とヒエログリフが作られた銀河の範囲は、左に表示した幻冬舎ルネッサンスから出版された拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』の資料Bに示した。
ゆえに、ヒエログリフにも【字源】が存在する。この【字源】は【銀河各部の形状】である。
ヒエログリフに【字源】が存在し、その【字源】が夏音文字と同じく【銀河各部の形状】であるという事実を科学的に明らかにした証明は、この〔枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は“世界の文字は銀河から作られた”と証言する〕にて公開した。
アンドルー・ロビンソン著╱片山陽子訳『文字の起源と歴史』(創元社)の209頁に、〔ヨーロッパの主要アルファベットの発展(ヒーリーの文献より)〕と題する系統図が掲載される。
この系統図は――古代エジプト文字・ヒエログリフから枝分かれして、現代ヨーロッパ文字、現代ペルシャ文字、現代アラビア文字、現代ヘブライ文字、現代アムハラ文字が成立したと示す。
1993年末から1994年の年頭にかけて、エジプト南部で二つの碑文が発見された。この成果は、1997年に米国のイェール大学中近東言語・文明部教授のジョン・ダーネル博士によって発表され、2005年に論文にまとめられた。この碑文は、発見された南部のルクソールの北西にある谷の地名から「ワディ・エル・ホル碑文」と名づけられた。ゆえに、この碑文の文字は「ワディ・エル・ホル文字」と呼ばれる。
ダーネル博士は、「ワディ・エル・ホル文字は紀元前20世紀ごろに書かれ、世界最古のアルファベット、ABC・アルファベットのルーツである」と指摘する。
それと言うのも、ヒエログリフは文や語を構成するときに複数の文字をつなげて書くが、ワディ・エル・ホル文字は4世紀後に出現した原シナイ文字と同様に各文字が完全に独立して書かれているからである。
ダーネル博士は、ワディ・エル・ホル文字の種類は14種類であると発表した。
わたくしは2011年9月7日からインターネットで〔ABC・アルファベットのルーツとされるワディ・エル・ホル文字の全字源を解明します〕という掲示板から公開を始め、23日後の9月29日までかかってワディ・エル・ホル文字は18種類ではないかと論証し、ダーネル博士が主張する14種類とわたくしが主張する4種の計18種の字源銀河部を解明して公開を終了させた。そして、ワディ・エル・ホル文字の大半がヒエログリフと同じ字源銀河部から図案化されたことを立証した。だから、ワディ・エル・ホル文字はヒエログリフから生まれた子であったことになる。
ワディ・エル・ホル文字は、紀元前20世紀に書かれた文字である。
わが国に伝来した夏音文字は紀元前21世紀の文字であり、紀元前21世紀にわが国に伝来した。というのも、夏王朝は紀元前2070年に創設され、わが国に夏音文字をもたらした名門益氏が渡来したのは紀元前2050年頃~2040年頃であったと考えるべきことになるからである。
ゆえに、わが国における夏音文字の伝来は紀元前21世紀ということになり、ワディ・エル・ホル文字が出現するおよそ1世紀ぐらい以前であったことになる。
ワディ・エル・ホル文字が出現した後に、紀元前16世紀ごろに原シナイ文字が出現し、紀元前11世紀頃に作られたフェニキア文字によって絵文字的要素が減少し、紀元前8世紀頃にに出現したギリシャ文字によって子音に使われていた文字が母音に転用されるようになり、紀元前6世紀頃にラテン文字が開発されるようになって、現代ヨーロッパ文字となる。現在の主にヨーロッパで使われるアルファベットは、基本のラテン文字26字の他に地域ごとの文字が追加されている。
このヨーロッパのABC・アルファベットはアメリカ、アフリカでも使用されている言語によって文字数が異なるが、世界70ヵ国以上で公用語の文字として用いられる。
上記したように、『文字の起源と歴史』に掲載される〔アルファベットの系統樹〕が示すように、現在、世界中で使用されているアルファベットはヒエログリフから枝分かれした文字である。ワディ・エル・ホル文字は世界70ヵ国以上の公用語をあらわす【人の言葉をあらわす記号】となる【表音文字】の出発点となった。
しかし、その親のヒエログリフは【神の言葉をあらわす記号】の【表語文字】であった。
【表音文字】とされるフェニキア文字は音しか存在しないと考えられている。
わたくしが証明したように、ヒエログリフから生まれたワディ・エル・ホル文字は【銀河各部の形状】が字源・字形となる、【表語文字】の形式を払拭(ふっしょく)できた文字ではなかった。同様に、原シナイ文字も、そして【表音文字】とされるフェニキア文字も【銀河各部の形状】が字源・字形となる文字であったので、【表語文字】から完全に脱皮できた【表音文字】ではなかった。ゆえに、フェニキア文字は絵文字要素が減少するものであったが、絵文字要素が完全に消滅できなかったのである。この事実は、わたくしがワディ・エル・ホル文字の字源を解明した方法を使用すれば科学的に証明できる。
ワディ・エル・ホル文字は【銀河各部の形状】が【文字】となる【表語文字】を払拭できなかった文字である。しかし、ワディ・エル・ホル文字は【表語文字】への分岐点となった言わざるをえない、ABC・アルファベットのルーツである。
一方、わが国の夏音文字はヒエログリフと同一の銀河範囲から作られた、また天頂緯度測定を最も重視する学芸で共通する【表語文字】である。
わが国に18世紀まで存続された【表語文字】の夏音文字の歴史は紀元前21世紀から始まり、紀元前20世紀のエジプトの南部において現代のアルファベットの系統へ枝分かれする【表音文字】が起源した。
この現代のアルファベットへつながる【表音文字】の歴史によって、文字は【人が話す言葉をあらわす記号】として起源したと思いこまれるようになり、文字は【神の言葉をあらわす記号】いいかえると【銀河各部の形状】が【文字】である事実が排除された。
表音文字を用いる欧米の人々は【表音文字】は【音しかない文字】と考える。これゆえ、ワディ・エル・ホル文字、原シナイ文字、フェニキア文字には【銀河各部の形状】という【字源】があることにまったく気がつかない。このため、ヒエログリフを研究する欧米の多数の文字学者たちは、ヒエログリフに【字源】があり、その【字源】が【銀河各部の形状】であるということを想像することも仮説することもしなかった。
また、欧米の文字学者たちには、中国で起源した漢字を取り入れた日本にヒエログリフと同じく【銀河各部の形状】が【文字】であった夏音文字が習得されたなんてことは思いもつかないことであった。
【最初の文字】は【銀河各部の形状】であったという事実を科学的に証明できるのは、現在、日本でのみしかできなくなっている。
『隋書』倭国伝が「唯刻木結縄」(ただ刻木と結縄のみ)と記述するように、わが国の夏音文字は結縄が起源した今から約6000年前から天皇の王冠の意匠が定まった1738年までの約5750年間の歴史を有する文字である。
わが国には、夏音文字を造化の参神で習得したと証明できる尖石台地(長野県茅野市)における幾つかの遺跡はじめ多数の縄文の土器・土偶が出土される。また、夏音文字の学芸が伝来した痕跡が現在も明確に残る、国の特別史跡・大湯環状列石(秋田県鹿角市)が現存する。また、夏音文字が記載される『魏志倭人伝』と同時代に作られた静岡県浜松市北区細江町の1千万坪の地上絵によって、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に使用される夏音文字はじめすべての文字の字源が科学的に解明できる。また、すべての漢字の字源が解明でき、しかも西欧近代科学の考え方の誤りや欠点を目で見て確認できるように表示する竜安寺の石庭がある。さらに、細江町の大鳥の地上絵の守り番であった井伊氏が藩主となって家康の命令で作られた「夏音文字は未だ復興せず」と図化する彦根の3千万坪の大鳥の地上絵も現存する。さらに、細江町の大鳥の地上絵に出会ってから37年間もの研究成果をそそぎこんだ小堀遠州が作った、夏音文字の学芸が容易に理解できるように設計された桂離宮の庭園も存在する。
さらに、中国の正史の第一番目に挙げられる司馬遷著『史記』は、夏音文字の日本列島伝来が証明できる史料となる。また、中国の五経の第一に挙げられる古典『易経』でも、また中国の二大思想家の老子の教えを伝える『老子』でも、また字源を解説する聖典『説文解字』でも夏音文字が日本に伝来した歴史が科学的に証明できる。
上記した『隋書』倭国伝に記述されたいるように今から6000年前に起源した結縄を益氏が伝えたために、わが国の夏音文字は18世紀に天皇の王冠の意匠が定まるまで、言い換えると約280年前に新井白石が【誤読】を用いて邪馬台国説を書き残す以前であった、約5750年の歴史を有するものであった。
この夏音文字によって中国の古代文字はじめ古代エジプト文字・ヒエログリフも、ABC・アルファベットのルーツ・ワディ・エル・ホル文字、原シナイ文字、フェニキア文字などのすべての字源が科学的に解明できる。
わが国の夏音文字によってヒエログリフとワディ・エル・ホル文字のすべての字源が解明できると言うことは、わが国の夏音文字でアメリカ・ヨーロッパ・アフリカで使用される公用語のABC・アルファベットのすべての字源が解明できることになる。
また、わが国の夏音文字で現代のペリシャ文字、現代のアラビア文字、現代のヘブライ文字、現代のアムハラ文字のすべての字源が解明できることになる。
ということは、わが国の夏音文字は世界の8割から9割の人々が使う文字の起源の秘密が科学的に具体的に解明できる稀有(けう)にしてきわめて貴重な人類全体の宝物ということになる。
人類の歴史上、最も偉大な発明である文字の起源の秘密を最も科学的に解明できる文字は、今となってはわが国の夏音文字のみしか残っていないにちがいない。
中国の漢字はわが国の漢字よりも数段も進化するものであった。このため、古代文字の出土史料は多く出土しても、【銀河各部の形状】が【文字】であったことや〔鳥獣の足跡〕が漢字作成原理の名称であることが科学的に具体的に証明できる史跡は存在しないと考えられる。
というのも、もしも存在するならば、文字は万人の財産だと考えて銀河が作られた文字の学芸を明らかにすることに命を賭けた老子が発見していて『老子』にその史跡について記述したにちがいないであろうが、そのような記述は『老子』に見当たらない。また、倉頡は【銀河各部の形状】が【文字】である史跡や〔鳥獣の足跡〕が漢字作成原理の名称であることを伝える史跡の作成を禁じたゆえに、わが国よりも強大な古代国家体制を有した中国においては王朝の滅亡を警戒してそのような史跡を密かに作っても発見されてことごとく破壊されたにちがいない。さらに、そのような史跡を作る必要とする歴史事件は中国にはおきなかった。また、中国は進化した漢字を有したために、左脳文化が発達し、『説文解字』や『老子』のように【銀河各部の形状】が【文字】であった秘密は【言葉をあらわす文字】で記述して残すことができた。ゆえに、わざわざ巨大・大規模な10年も20年も費やして作らなければならない面倒な地上絵や言葉の説明よりも難解となる右脳芸術で説明する庭園などを作る必要はなかった。
しかし、わが国では夏音文字を残せばならない、その真実だけは絶対に失うことはできないと朝廷と国家体制に反抗する重大な歴史的欲求が発生し、また右脳文化が発達した。つまり、わが国では伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念は絶対に失うことはできないと朝廷に反抗する先人たちによって、【銀河各部の形状】が【文字】であり〔鳥獣の足跡〕は漢字作成原理であることを設計する細江町の大鳥の地上絵と彦根市の羽の無い大鳥の地上絵が作られ、右脳芸術の極致の竜安寺の石庭と桂離の庭園が作られた。
上記したアンドルー・ロビンソン著╱片山陽子訳『文字の起源と歴史』の《はじめに》の冒頭は、下記のごとくである。
「文字は人類の歴史上、最も偉大な発明品の一つである。文字がなければ歴史もなかったことを考えると最大の発明品といえるかもしれない。」
この最も偉大な文字の起源が【銀河各部の形状】であったことが科学的に具体的に証明できる文字は、今となってはわが国の夏音文字しか残っていない。
また、天皇の王冠の意匠が定まるわが国の1738年までの歴史は、【銀河各部の形状】が【文字】であってこそ全体的に辻褄(つじつま)があって合理となり、「科学」が成立し、真実に到達できるようになっている。
にもかかわらず、学者たちは「歴史」と「夏音文字」が同義であることさえ知らない。
「歴史」の語源を知らない歴史学者は医学の基本知識を知らない医者と同じであり、マグロとカツオの違いがわからない魚屋と同じなり、オフサイドでは点にならないことを知らないプロサッカー選手と同じである。ゆえに、彼らは“歴史学者”と呼べない。
だいいち、歴史学者たちは、「歴史」と「夏音文字」が同義なんてことはありえないと思っているにちがいない。上記の『文字の起源と歴史』が「文字がなければ歴史もなかった」と指摘するように、『古事記』の序が夏音文字を習得した造化の参神の記述から始めるように、『説文解字』の序が「けだし文字は経芸の本、王政の始め、前人のもって後人に垂れるところ、後人のもって古を識るなり」という文の「前人のもって後人に垂れるところ、後人のもって古を識るなり」という文が示すように、わが国の「歴史」という語は「夏音文字の習得」によって成立した。『三国志』の[志]が「歴史」を意味するのも[志]の字源銀河によって明らかとなり、わが国の優れた古代中国文字学者の加藤常賢博士が著作した『漢字の起源』(角川書店)が「[歴]」は整然たる間隔の歩行である。日月星辰の運行を『歴象』と言うのは、本義的な使い方である」という解説は、結局、「[日][月][星][辰]の字源となる銀河各部は整然たる間隔で歩行するので、銀河各部の運行は[歴]の本義であり字源である」と解説するものとなる。だから、【銀河各部の形状】が【文字】となる「夏音文字」と「歴史」は同義となる。
わが国の歴史学者たちは、歴史学においては【科学】が成立してこそ「歴史が証明された」と言えることをまったく知らない。新村出編『広辞苑』は【科学】は「世界の一部分を対象領域とする経験的に論証できる系統的な合理的認識」と解説する。学者たちが【科学】という語を知っていたならば、卑弥呼が居住した国の名は「邪馬台国」ではなく「邪馬壱(やまい)国」であると断定し、転回日本列島地理は天頂緯度測定を基軸として構築される夏音文字の学芸を政治基盤とした卑弥呼王朝が定めた地理を伝えるものであると解明し、邪馬壱国は山陰・出雲地方(石見・出雲・伯耆)であったと断定する。『魏志倭人伝』は邪馬壱国は出雲地方であると明記してあり、これによって系統的(全体的)に合理が成立して矛盾点が一点も存在しない状況となって【科学】という語が成立する。いっぽう、学者たちの主張する邪馬台国説は、系統的にまったく合理が成立せず多数の矛盾点を有して【科学】がまったく成立しない。
というのも、彼らは文献史料の文字・語句・記事の通りに忠実に読解する方法こそが、歴史学における基本中の基本であることを知っていないから、邪馬台国説が完全なる【誤読】の空論であることにまったく気づかず、【科学】に反するなんてことは絶対にありえないと思っている。だから、邪馬台国説のような非科学きわまりない意見を正しいと考えるのである。
『魏志倭人伝』は記事の中に「倭には文字が有った」と明記し、『古事記』の序は極めて異例な「上巻 并せて序」と表記して隅から隅まで細心の注意をはらって「わが国には【銀河各部の形状】を【文字】とする夏音文字があった」とする。にもかかわらず、学者たちは「文字とは」はいったいどのようなものなのかとまったく考えようともせず、“5、6世紀以前、わが国には文字は無かった”と断定する。
さらに、1980年代に湯川秀樹博士が先駆者となって先端科学者や科学論家たちが数回の国際会議を開いて新井白石が取り入れた西欧近代科学の考え方には傲慢な単純化はじめ幾つかの誤りと欠点があり、日本人本来の全体論的に考える超合理のほうが優っていると警告した。この日本人本来の超合理のほうが西欧近代科学の合理思考よりも優っていることは、15個の石をどこから見ても14個しか見えないように作る竜安寺の石庭が教えてくれる。
以上のように、日本の歴史学者たちは「歴史」の語源の[レ]の字も知らないド素人であり、夏音文字を解明するための基礎知識どころか、【科学】という語の定義を知らず無視するので【科学】に則って解明する歴史学の基本的の心得さえもまったく有していないことになる。
ただ、“文献批判”と言う名の【誤読】を闇雲(やみくも)に駆使して、彼らは人類の歴史において最も偉大な発明の文字の起源が解明できる夏音文字を滅多斬りにして抹殺する。
だから、邪馬台国説と日本神話虚構説をとなえる学者は人類共通の敵であり、日本の恥さらしであり、日本人の〔魂と命のみなもと〕を虐殺する不届きな輩(やから)である。
この回で〔枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は“世界の文字は銀河から作られた”と証言する〕というシリーズは終了します。
次は、1週間後~10日後頃から、〔邪馬台国説は日本民族を虐殺する。しかも人類共通の敵である〕と題して、【誤読】で夏音文字の学芸とその歴史を抹殺し、また日本民族の〔魂と命のみなもと〕を凌辱(りょうじゃく)する学者たちの不条理な暴力に、何回も何回も立ち向うことにする。
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