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2012年3月 5日 (月)

邪馬台国学説は日本民族を虐殺する。しかも人類共通の敵である・9

 31年前の2月の寒い日だった。
 居酒屋でかなり酒を飲んで自宅に帰り、寝室に向かったとき、書斎の隙間から乱雑な机の上の状況が目に入ったので少しだけ整理しようと思って部屋に入った。
 そして、その混然たる状況の机の上から、何気に手に取った書物が山尾幸久著『魏志倭人伝』(講談社現代新書)であった。
 この本は、歴史を研究しようと思って買ったものではない。
 わたくしは1980年から1981年にかけて特許を出願したが、この特許出願をきっかけに〔文字と絵(図象)〕の研究に着手した。というのも、わたくしの職業は文字と絵(図象)を専門に取り扱うグラフィック・デザイナーであったからである。わたくしが究明しようとしたことは、甲骨文字や金文や古代エジプト文字(ヒエログリフ)はどのような原理や方法を用いて、太古の芸術家たちは文字をデザインしたのであろうかということであった。
 したがって、山尾幸久著『魏志倭人伝』はわたくしが研究しようと思った動機からほとんど無関係であったわけであるが、今となってはどうして研究動機と無関係の本を買ったのかそのときの心境はまったく思い出すことはできない。

 この本はパラパラとめくって一読した後に、もったいないがゴミ箱に捨ててしまおうと思って、手にとりパラパラと最後の附録の頁で手を止めた。
 そこは、伊都(いと)国の一大率(いちだいそつ)を説明する箇所で「倭には魏と帯方郡と諸韓国と差錯(相違)する文字があった」と書かれていた。その前の頁の箇所には「倭には令亀(れいき)の法のごとき卜辞があった」と記述される。「令亀の法の卜辞」とは「殷代(いんだい)の亀の甲羅に刻んだこう甲骨文字の卜辞」ということになるから、わが国には卑弥呼が生存した3世紀に、甲骨文字に相似する文字があったことになる。
 一大率の箇所では「伊都国の港で魏、帯方郡・諸韓国の文書を点検し確認して、卑弥呼のもとにとどいたときに差錯しないようにしていた」と記述する。ということは、卑弥呼の差錯する文字も漢字ではないかと直感した。というのも、魏、帯方郡、諸韓国の文字は漢字であるから、「卑弥呼」の[卑]の倭の漢字は魏・帯方郡・諸韓国の「賤(いや)しい」と差錯する意味があるので、[卑]を「賤しい」と解釈したならば外交上のトラブルが発生すると思えたからである。また、『魏志』倭人伝は「倭には甲骨文字のような卜辞があった」と伝えるから、卑弥呼の差錯文字は甲骨文字や金文に相似する漢字であったと考えるべきことになる。
 このように『魏志』倭人伝は証言するゆえ、5、6世紀以前にもわが国では漢字が存在したので、定説は誤っていると言わざるをえない。
 『魏志倭人伝』は「倭には文字があった」と明記する。
 この記述に対して邪馬台国説学者たちは「このような記述は著者陳寿(ちんじゅ)の誤記である」と断定するが、この見解は【誤読】によるものであったことになる。

 また、山尾幸久著『魏志倭人伝』の附録の南宋紹煕(しょうき)刊本の『魏志倭人伝』には「邪馬壱国」と書いてあって「邪馬台国」という国はまったく存在しない。だから、倭女王卑弥呼が居住した王子の名は「邪馬台国」であったという意見も【誤読】によるものとなる。(これについては、わたくしより以前に、古代史研究家の古田武彦氏が「邪馬壱国が正しい」と証明している。)
 『魏』倭人伝』の対馬国から邪馬壱国までの旅程記事に忠実に読解すると、日本列島は東に伸びずに南に伸びて、卑弥呼が居住した邪馬壱国は「山陰出雲地方(石見・出雲・伯耆)」となる。だから、邪馬台国学説は対馬国→一大国→末盧国→伊都国→奴国→不弥国→投馬→邪馬壱国までの一連の記述をすべて【誤読】していることになる。邪馬台国学者たちは、この部分とこの部分の箇所は記述に合致するから、対馬国から邪馬壱国までのすべての記述は【誤読】していないと反論するにちがいない。しかし、彼らは【科学】という語の定義についてまったく知らない。歴史学で最も尊重しなければならない【科学】にもとづくと、【科学】についてまったく無知の邪馬台国説学者たちの意見は対馬国から邪馬壱国までの一連の旅程記事をすべて【誤読】していることになる。
 『魏志倭人伝』は対馬から邪馬壱国までの一連記事をもって「日本列島地理は〔東〕が〔南〕となるように時計の針が進む方向に90度方位規定を転回するものであった」と証言する。この転回日本列島地理にもとづくと、〔北〕は〔東〕に転位し、〔西〕は〔北〕となる。末盧国から不弥国までの旅程方位記事は〔東〕へ〔東〕へ向かうので、現在の方角だと〔北〕へ〔北〕へ進み北九州の北端の宗像(むなかた)地方が不弥国となり、不弥国・宗像地方から南へ水行20日の投馬国は宗像大社奥津宮がある沖ノ島に立ち寄って倭の易卜の風習に接して周防(すほう)=山口県萩市見島(みしま)を経由して萩の港までに至る旅程を説明していることになる。そして、投馬国・山口県から邪馬壱国に至るまでの〔南〕に進む旅程は現在の〔東〕へ向かっていることになるので、石見・出雲・伯耆の島根県・鳥取県西部までの地域が邪馬壱国であったことになる。
 『魏志倭人伝』は「女王国より以北は、その戸数・道里についての概略を記載できるが、その名が記載されない余白となる周辺地域は女王国から遠いうえに倭と国交が絶えているので、その地方の詳細の様子の情報は得ることはできない」と記述する。この記述に邪馬台国学説は矛盾する。というのも、この「余の旁国(ぼうこく)」は、戸数・道里の記述がある末盧国・伊都国・奴国・不弥国・投馬国の近くの余った地域(その余りの旁国)は、現在方位にもとづく九州東部地域が女王国(出雲地方)より北となるからである。ゆえに、邪馬台国学説は転回日本列島地理にもとづかないうえに、幾つか邪馬台国学説はこの記述に矛盾するゆえ、【誤読】の空理空論となる。
 『魏志倭人伝』は「女王国の東、海を渡ること千余里にして、また国がある。皆、倭種である」と記述する。転回日本列島地理の〔東〕は現在方位の〔北〕であるから、島根県東部・出雲地方の中心地の北にある隠岐群島が「皆、倭種なり」の国となる。というのも、出雲の島根半島に近い知夫里島(ちぶりじま)・西ノ島・中ノで構成する島前(どうぜん)と、最も大きな島・島後(どうご)と4つの大島と約180の小島からなるからである。このような「群島」は「皆、倭種なり」と表記される。ところが、邪馬台国学説には「皆、倭種なり」に相当する地域が見当たらないので、邪馬台国学説は【誤読】の産物であると断定できる。
 『魏志倭人伝』は「その道里を計るに、当(まさ)に、会稽(かいけい)の東治の東にあるべし」と記述する。したがって、日本列島は中国の浙江省(せっこうしょう)の会稽と福建省の東治の東に所在しなければならない。『魏志倭人伝』に記述される転回日本列島地理だと日本列島は会稽と東治の〔東〕に位置するが、実際の日本列島地図の場合は会稽と東治の〔東北〕に所在するので、邪馬台国学説は【誤読説】であると断定すべきことになる。

 わたくしは、1983年10月4日、邪馬台国説学者ちが【誤読】という単純ミスを犯したと証明し解説する『怒りの魏志倭人伝論』を自費出版した。
 わたくしの意見を学者たちが取り入れて本格的に研究してくれればよいという思いが動機となって、『怒りの魏志倭人伝論』を自費出版することにした。ところが、思うようにいかなかった。わたくしは、周辺の人々に少しでもわたくしの意見を知ってもらおうとはたらきかけた。
 そうした中で、鷲巣和夫氏と出会った。彼は京都市の平安博物館館長の角田文衛教授と面識があった。角田先生が古代史学者とひきあわせてくださるという。
 『怒りの魏志倭人伝論』を発行してから4ヵ月後の1984年2月、鷲巣氏と二人で京都に向かった。
 角田先生は、平安博物館で待っていてくださった。角田先生は古代史学を専攻するK助教授を紹介されると、すぐに部屋を出てゆかれた。
 K助教授は、30代半ばから40代前半ではないかと思われる若い学者であった。
 K助教授は、わたくしの『怒りの魏志倭人伝論』をざっと目を通すと、顔色が変わった。
 「あなたのように、『魏志倭人伝』の記事のすべてが正しいと考えるのが、そもそも非常識なんだ」
 とK助教授はわたくしをにらんだ。彼は、わたくしの本を極めて俗悪で歴史学と歴史学者を軽視するものであると批判した。
 このように批判されたわたくしは内心穏やかでなくなった。
 「『魏志倭人伝』の文を忠実に読むことが、学問の基本原則じゃないですか。なにが間違いですか。間違っているのはあなたや学界の見識ではないですか」
 とやり返した。
 「現在の史学は実証が優先される。したがって、遺物や遺跡による考証を優先すべきであって、その考証にそぐわない『魏志倭人伝』の記事は誤っていると考えるのが古代史学の常識だ。きみの説論は常識外れもはなはだしく、素人の単なる思いつきで、こんな思いつきはえらい迷惑だ」
 わたくしは、助教授の激しい言葉に、思わずにらみかえした。その態度がかえって、怒りをあおったらしい。
 「君、『魏志倭人伝』という書物は、100ヵ所も200ヵ所も記事を変えて読んで良い書物なんだ。物的証拠こそ歴史の真実をとらえるもので、遺物や遺跡による考証にそぐわない『魏志倭人伝』は200ヵ所も300ヵ所も改めてもよい三流文献なんだ」
 わたくしは、もはや堪忍の緒が切れた。
 「あなたの言い分は、まったく馬鹿げている。『魏志倭人伝』の文字は1字たりとも改めることはできない。1文字も改めないで解釈すれば【科学】が成立する。これゆえ、多数の箇所の字を改めて解釈する意見は【科学】に反する。だから、『魏志倭人伝』の文章は1ヵ所も改めてはいけないものなのだ。あなたの見識は、根本的に間違っている。学者たるもの、【誤読】すなわち虚偽説という理屈がわからないでなにが学者だ」
 鷲巣氏は、わたくしたちの怒鳴りあう様子になすすべもなく、ただもうあきれて傍観していた。
 わたくしはK助教授の学問的姿勢を軽蔑してしまった。K助教授もそう思ったのか、もうこれ以上お互いに話すことはありませんね、と言い返した。
 鷲巣氏とわたくしは、角田教授に挨拶をして、博物館を出た。

 その後の研究でK助教授が指摘したとおり、邪馬台国学説は『魏志倭人伝』の記事を200ヵ所も300ヵ所も間違っていると決めつけて【誤読】しても良いとする考え方から産まれたシロイモノであることを思い知った。この考え方にはずいぶん洒落た“文献批判”という名称がついている。
 しかし、「文献批判」は「【科学】に反する滅茶苦茶な考え方」である。
 邪馬台国学者たちは『魏志倭人伝』の各記事をバラバラに分化して思考する。このように、各記事をバラバラにして考えるので【科学】がまったく成立しない。
 なぜならば、新村出編『広辞苑』(岩波書店)は【科学】を「世界の一部分を対象領域とする経験的に論証できる系統的な合理的認識」と定義するからである。
 つまり、邪馬台国学説のごとく各記事をバラバラに分化したままで放置していると、『広辞苑』の「系統的な合理的認識」という部分は永遠に成立しないことになるので、絶対に【科学】が成立しないことになる。

 上記に示したように、『魏志倭人伝』の転回日本列島地理の各記事は、バラバラに分化するものでなく、すべて〔対馬から邪馬壱国までの方位記事〕に相集まって1つの統一を形成する。ゆえに、各記事をバラバラに分化しなければ、「系統的な合理的認識」の【科学】が成立する。
 邪馬台国学説は「系統的に合理的認識」が成立しないように、『魏志倭人伝』の各部の記事をバラバラに分化したままに放置する。だから、もとより「系統的な合理的認識」が成立しないように作為する【非科学】を屋台骨とする考え方であるから、200ヵ所も300ヵ所も【誤読】してもよいと考えるシロモノとなる。

 邪馬台国学者たちは「天の北極を基準にすれば、日本列島は東に伸びて南に伸びたなんでことは絶対に考えない」と主張する。しかし、紀元前1世紀に天の北極を最も重視するシナ天文が完成したために、魏と帯方郡の使節は大海を渡って日本列島に到着することができなくなった。
 天の北極の高度を緯度に換算する方法だと不精確であるので、大海に入った途端に緯度(位置)と子午線(経度)が不明になって大海の藻屑(もくず)となって落命する。ゆえに、天の北極が最も重視したシナ天文学のために〔天頂緯度を測定する習慣〕が廃(すた)れた中国の魏と朝鮮半島の帯方郡の使節は大海を渡ることができなくなった。
 魏と帯方郡の使節が大海を渡ることができなかったゆえ、倭の使節も大海を渡ることができなくなったならば、中国で編纂された『三国志』魏書東夷伝末部の倭人伝すなわち『魏志倭人伝』はこの世に存在しなかったことになってしまう。
 使者が大海を往来するには、倭において精密に緯度と子午線が測量できる〔天頂緯度を測定する習慣〕が栄えていなければならない。『魏志倭人伝』は「倭の使節は大海を渡って朝鮮半島の帯方郡政庁や魏都に到着することができた」と記述する。そうすると、倭においては〔精密に天頂緯度を測定する習慣〕が廃れずに栄えていたことになる。
 邪馬台国説学者たちの「天の北極を基準にすれば日本列島は南に伸びるなんて考えるはずがない」と主張する。この意見の通りだと、倭の使節も大海を渡ることができなくなる。
 というのも、倭の卑弥呼王朝においても天の北極を最も重視すると、倭の使節も『魏志倭人伝』の記述に反して、魏・帯方郡の使節と同様に緯度と子午線を精密に測定できなくなって大海を渡ることができなくなるからである。
 邪馬台国説学者の考え方だと、倭と魏と帯方郡の使節は大海を渡ることができなくなるので、約2000字の『魏志倭人伝』の文字は1字もこの世に存在してはいけないものになってしまう。
 邪馬台国学説の実体は「この世に1字も存在するものではなかった『魏志倭人伝』から“邪馬台国”という5字だけの国名は日本列島内に実在した」と主張する意見となる。
 このように1字も存在しないものから自分たちの意見に適する5字以上の文字が存在したという都合のよい事実は絶対にこの世に存在しないゆえ、邪馬台国説は「この世に実在する事実として経験することができない虚妄(きょもう)」となる。
 だから、『魏志』倭人伝が「卑弥呼王朝においては、転回日本列島地理を制定していた」という証言を排除する邪馬台国説は、「経験的に論証できる系統的な合理的認識」である【科学】にまったく反する荒唐無稽(こうとうむけい)の空想であったことになる。

 現存する『魏志倭人伝』と同時代の3世紀後半に作られた静岡県浜松市北区細江町の1千万坪の大鳥の地上絵は、『魏志倭人伝』のすべての記事は正しい・邪馬台国学説は【誤読】の空論であると科学的に証明できる史跡である。
 このように、邪馬台国学説は妄想であったと証明できる確かな物的証拠があるゆえ、実証を優先する現代の古代史学においても邪馬台国学説は【誤読説】であったことが決定的となる。
 この1千万坪の細江町の大鳥の地上絵によって、『魏志倭人伝』に記述される転回日本列島は中国の五経の第一に挙げられる古典『易経』繋辞(けいじ)上伝の「易は天地と準(なぞら)う。ゆえによく天地の道に弥綸(びりん)す。仰いでもって天地を観、俯してもって地理を察す」という文に則って立論されたことが解明される。この文は[卑][弥][呼]の3字の字源を表示し、しかもすべての漢字の字源を知ることができる基礎知識を示すものである。
 だから、転回日本列島地理を立論した一女子の名は「卑弥呼」と呼ばれ、この卑弥呼は倭女王に選ばれたことが、『魏志倭人伝』と細江町の大鳥の地上絵で解明される。というのも、細江町の大鳥の地上絵は『易経』繋辞上伝の「易は天地と準う。ゆえによく天地の道に弥綸す。仰いでもって天文を観、俯してはもって地理を察す」という文を図化する地上絵であることが一目でわかるように作られているからである。
 また、この細江町の大鳥の地上絵は[倭]の字源は「〔東〕を〔南〕に改定する転回方位規定」であると明確に示す。ゆえに、『魏志倭人伝』は卑弥呼が治めた国の名を「倭」であったと記す。
 だから、[倭]の字源の秘密を示す「転回日本列島地理」を著者・陳寿の誤った観念によると断定して排除する邪馬台国学説は【誤読】から生まれた妄想以外のなにものでもないことになる。

 1千万坪の細江町の大鳥の地上絵は、現在の国土地理院の精密日本地図を作製する原理と同じ方法に則って、精密に天頂緯度測定して[卑]の字源をあらわす「卑湿」な地点に経緯度原点を設置し、三角点測量して作成された基点(遺跡)が明確に残っている。
 この細江町の大鳥の地上絵は、『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の二神の誓約説話末部に登場する「遠江国造(とおとうみのくにのみやつこ)の先祖の建比良鳥命(たけひらとりのみこと)」が作成したことも科学的に証明することができる。
 これゆえ、わたくしは細江町の大鳥の地上絵を「建比良鳥の地上絵」または「建比良鳥の地宜(ちぎ)」と呼ぶ。
 この建比良鳥の地上絵によって、『魏志倭人伝』の「卑弥呼が用いた差錯文字」にして「殷代の甲骨文字に相似する倭の卜辞に使われる文字」は、『古事記』上巻の〔音〕という注が付く1字1音文字であると証明される。
 そして、『古事記』が完成される10年前の702年、中国の正史『新唐書(しんとうじょ)』日本伝は「日本の遣唐使が『後稍(のちやや)夏音(かおん)を習う』と述べた」と記述するので、わが国には殷代の甲骨文字以前の約4050年前の夏代初頭(後期縄文時代初頭)に夏音文字が伝来し習得されたことが明らかとなる。
 なぜならば、1千万坪の建比良鳥の地上絵の中央を流れる都田(みやこだ)川の沖積平野は秋田県鹿角(かづの)市の花輪盆地に相似する地宜(平面的な地図の形)になっていて、後期縄文時代初頭に伝来した夏音文字の歴史は花輪盆地から起源すると表示するからである。
 この花輪盆地に所在する国の特別史跡・大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)の万座遺跡と野中堂遺跡には夏音文字の学芸知識が保存され、わが国に夏音文字の学芸が伝来していたことが科学的に証明することができる。
 これゆえ、『魏志倭人伝』に記載される人名・小国名・官職名に用いられる文字と『古事記』上巻の〔音〕という注が付く文字は夏音文字であったことになる。

 『古事記』の序の全文によって「夏音文字は銀河各部の形状」であったことが察知できる。左に表示した幻冬舎ルネッサンスから出版された拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』の資料Bの銀河領域の【銀河各部の形状】が【夏音文字】であった。
 そして、殷代の甲骨文字と金文の大半の字形も【銀河各部の形状】をデザインするものとなる。要するに、【銀河各部の形状】が【甲骨文字】にして【金文】となる。
 さらに、現代の日本の【当用漢字】も中国の【簡化文字】も【銀河各部の形状】と考えても、考え方が乱暴であるがあながち間違っていないことになる。というのも、当用漢字と簡化文字のすべての文字の【字源】は【銀河各部の形状】であることが、日本に伝来した夏音文字の史跡(遺跡)・史料によって科学的に証明されるからである。
 学者たちは「文字は人が話す言葉をあらわす記号」であると思い込む。
 しかし、わが国の【夏音文字】の秘密が示すように【文字】は【銀河各部の形状】であった。

 文字は強大な権力と莫大な富を手に入れることができる最も強力な政治基盤であることに気づいた“漢字の始祖”の倉頡(そうきつ)は、反体制側が手に入れて革命に利用されて王朝が崩壊・滅亡することを恐れ、王朝が独占管理する厳重な機密にした。
 このため、倉頡は地面や灰の上に書いた文字は用が済んだら即座に消せない者は死刑にする、また【銀河各部の形状】が【文字】であることを暴露した者も死刑にすると定めた。
 これゆえ、中国において倉頡が生存した約5000年前の五帝時代初頭から約3300年前までの殷代前半期の出土文字の字数は約30字ぐらいしか存在せず極端に少ない。
 しかし、約6000年前から約5000年前の三皇時代の「結縄(けつじょう)」である文字は“陶文”と呼ばれ、約120種(120字)も出土している。また、3300年前より以後の殷代の甲骨文字は約3000(そのうち解読されるものは約1200)も出土している。
 したがって、三皇時代と殷代後半の中間の文字が1000字ぐらい出土しても当然ということになるが、倉頡が定めた掟によって約30字しか出土していない。
 わが国でも夏音文字に相当する文字は、長野県茅野(ちの)市の尖石(とがりいし)縄文考古館に所蔵する石板画に刻まれる5字、石に刻まれる1字の6文字ぐらいしか出土していない。
 『魏志倭人伝』に殷代の甲骨文字に似た「令亀の法のごとく卜辞に用いられた文字」が出土しないのは、倉頡が決めた掟を守っておそらくすぐに消すことが容易になる地面や灰の上などに書かれ、その文字が占い済んだ後に必ず消されたからである。
 したがって、【夏音文字】は【銀河各部の形状】として実在するものであったので、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に記載されることになったのである。
 『古事記』序に登場する、『古事記』上巻の原典であった「本辞」(旧辞、先代の旧辞)という名の古文書に記載されていた文字は夏音文字であり、「令亀の法のごとき卜辞に使われる文字」であったから夏音文字が記載されていた古文書の名は[辞]の付く「本辞」「旧辞」と呼ばれることになったのである。

 すべての漢字の字源が解明できる1400字前後の基本字は拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』の資料Bの銀河全域の【銀河各部の形状】から作られた。
 この資料Bの銀河全域の【銀河各部の形状】から古代エジプト文字・ヒエログリフも作られたことが、建比良鳥の地上絵によって解明される。
 「ヒエログリフ」という名称は古代ギリシア人が付けた名称であるが、古代エジプト人たち自身は「メドゥウ・ネチェル=神の言葉」と呼称した。
 古代エジプトでは【銀河各部の形状】を「神の言葉」と定義したのである。
 というのも、古代エジプトにおいても文字は強大な権力と莫大な富を入れることができる最も偉大な発明品であったので、王朝が滅亡しないために、「神の言葉」という暗号で王と神官と書記たちは【銀河各部の形状】が【文字】であることを示し合わせて、反体制側が習得できないように機密化をはかっていたからである。
 【銀河各部の形状】が【文字】であったので、中国では「天に多数の文字ありき」から「天文」と呼んだ。また、「銀河」の別名は「銀漢」であり、この「銀漢から作られた字」を略して「漢字」と呼ばれるようになった。
 前述したように、卑弥呼が転回日本列島地理を立論した『易経』繋辞上伝のすべての字源を知ることができる基礎知識を伝える「易は天地と準う。ゆえによく天地の道を弥綸す。仰いでもって天文を観、俯してもって地理を察す」という文が示すように、道無き山地・森林・原野・大海の道を旅する太古・上古の人々にとって、【銀河各部の形状】は精密に緯度と子午線を測定する天頂点をキャッチする目印となっていちばん大切な命をまもった。さらに、学術・科学を発達させて豊かな食糧を手に入れて命をまもった。
 だから、“漢字”と呼ばれた【文字】は「人が話す言葉をあらわす記号」ではなく、【銀河各部の形状】であった。
 それゆえ、【漢字】もまた【メドゥウ・ネチェル=神の言葉】であったのである。

 【漢字】も「天の神の言葉(銀漢)をあらわす記号」であった。
 『魏志倭人伝』と『古事記』上巻と夏音文字の学芸の史跡・史料によって、すべての古代エジプト文字が【銀河各部の形状】から作成されたことが科学的に解明される。
 古代エジプト文字から始まって枝分かれして現代にいたる文字は、ヨーロッパ文字、ペルシア文字、アラビア文字、ヘブライ文字、アムハラ文字などである。これらの文字は世界の7割から8割の人々が使用する。
 また、漢字を加えると世界の8割から9割の人々が使用する文字の起源と字源の秘密が、日本の学者たちの【誤読】という単純ミスによって解明できない状況となる。
 この【誤読】という単純ミスは学者たちの邪馬台国研究から起源するものであるから、邪馬台国学者たちは人類共通の敵となる。

 今日、オセロ中島知子事件を話題とする朝のテレビで「霊能者」とは「似非(えせ)科学を正しいと信じこませる人」であると定義していた。
 したがって、邪馬台国学者たちは似非科学を正しいと信じ込ませる霊能者ということになる。
 ほとんどの日本人はわが国の学者たちが最も簡単きわまりない【誤読】という、そんなミスを絶対に犯すはずがないと思い込んでいる。
 しかし、『魏志倭人伝』が示す〔精密に天頂緯度を測定して倭の使節は大海を渡った事実〕に注目するならば、邪馬台国学者たちが『魏志倭人伝』の各記事をバラバラに分化して【似非科学の誤読】を【科学】であるかのごとく思い込ませてマインドコントロールしている実体に気づくことができる。
 このように邪馬台国学者たちにマインドコントロールされているために、日本国民は思考停止し、邪馬台国学説が【誤読】によって成立するウソ八百であることに気づかない。
 【誤読】を屋台骨とする似非科学を正しいと言い張る霊能者たちが主張する邪馬台国説は日本民族の尊厳を徹底的に侮辱するだけでない、人類共通の敵でもある。
 日本は“邪馬台国学者”という名の霊能者たちに支配されている。
 
 似非科学のウソを駆使する霊能者が個人の人格を破壊するように、霊能者たちに支配されていると、いずれ日本民族は破壊され、近い将来に日本国は滅亡するにちがいない。

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