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2012年3月 7日 (水)

邪馬台国学説は日本民族を虐殺する。しかも人類共通の敵である・10

 『魏志倭人伝』は①「倭に文字があった」、②「日本列島は東に伸びずに南に伸びる」と記述する。
 この2つの証言のために、学者たちは【誤読】を“文献批判”という名で呼ぶところの似非(えせ)科学の虜(とりこ)になって、『魏志倭人伝』が伝える真実をことごとく闇に葬った。

 しかし、『魏志倭人伝』は「倭の使節は大海を渡り、朝鮮半島に所在する魏の出張機関の帯方郡政庁(たいほうぐんせいちょう)と魏の都に到着できた」と明記する。この〔倭の使節が大海を往来することができた方法の〔精密な天頂緯度測定〕の一点に絞(しぼ)れば、新井白石以来の約280年間におよぶ邪馬台国研究は【誤読】を【科学】に見せかけた出鱈目(でたらめ)であったことが白日の下に晒(さら)されることになる。

 学者たちが主張するように、実際に合致して〔東に伸びる日本列島地理を定める〕ためには、倭の卑弥呼王朝において〔天の北極〕を最も重視していなければならないことになる。でも、この〔天の北極〕を最も重視すると、倭の使節は大海を往来できなかったことになる。
 倭の使節が大海を往来できないと、魏と帯方軍との国交によって成立した晋(しん)の歴史編纂官の陳寿(ちんじゅ)が著作した『魏志倭人伝』の約2000字は1字たりとも実在しなかった、空中に消える煙や蒸気のような存在になってすべてが“無”となることになってしまう。

 このように倭の使節が大海を往来できた方法の〔精密な天頂緯度〕という、この一点に論点を絞って考えれば、『魏志倭人伝』の①「倭には文字があった」と②「日本列島は東に伸びずに南に伸びる」と証言する記事は正しく、邪馬台国学説は【誤読】に則った荒唐無稽(こうとうむけい)のウソ八百という化けの皮をいとも簡単にはがすことができる。
 学者たちは【誤読】に魂を奪われて夢中になっている。
 このため、①仏教の経典から楷書を初めて習得した5、6世紀以前の「3世紀、倭に文字があった」、②「日本列島は東に伸びずに南に伸びる」と立論した転回日本列島地理、この『魏志倭人伝』の2つの証言を科学的に証明できる史跡が存在するという事実を想像したことも夢の中でもお目にかかったことがないにちがいない。

 学者たちが【誤読】の虜(とりこ)になった原因の『魏志倭人伝』の2つの証言を証明できる代表的な史跡は、下記に示す5つの史跡と1つの史料である。
 ❶今から約4050年前の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)のものとされる、秋田県鹿角(かづの)市の国の特別史跡・大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)の万座遺跡と野中堂遺跡には夏音文字の学芸が伝来した形跡が明確に残る。
 ❷日本最古の国宝“縄文のビーナス”という土偶が発掘された長野県茅野(ちの)市の尖石(とがりいし)遺跡群には、夏音文字の学芸が習得された形跡が明確に残る。
 ❸『魏志倭人伝』と同時代の3世紀後半に作られた静岡県浜松市北区細江(ほそえ)町の1千万坪の大鳥の地上絵には①倭に夏音文字の学芸が存在し、②卑弥呼が東に伸びずに南に伸びると転回日本列島地理を立論し、この〔転回日本列島地理〕は[倭]の字源を示すために卑弥呼が治める国の名は「倭」となったと秘密が現在も保存されている。
 ❹徳川家康の命令で彦根藩井伊氏が中心となり、近隣7ヵ国12大名に動員を命じて助勢させて1603年から着工し20年後の1622年に完成させた彦根の3千万坪の羽の無い地上絵もまた、『魏志倭人伝』のすべての記事は正しいと証明できる史跡である。
 この史跡は中国の正史『新唐書(しんとうじょ)』日本伝が「702年に派遣された日本の遣唐使が『後稍(のちやや)夏音を習う』と述べた」という記事にもとづいて「夏音は習わず(未だ夏音文字の学芸は復興せず)」とあらわすために、羽(翼)の無い大鳥の地上絵となった。
 この彦根の3千万坪の大鳥の地上絵の設計モチーフは「夏音は習わず」であるので、『魏志倭人伝』の人名・小国名・官職名に用いられる文字は〔夏音文字〕であったことになる。したがって、幾つかの箇所で「倭に文字があった」と証言する『魏志倭人伝』の記述は事実を伝えたものであったことになる。
  現在の滋賀県彦根市の行政区域をあらわす地図の形が、家康の命令で作られた「夏音は習わず」とあらわす『魏志倭人伝』の全記事が正しいと証明できる史跡である。
 ❺1608年に家康は30才の駿府城作事奉行の小堀正一を遠江守に任命し、静岡県浜松市北区細江町の1千万坪の大鳥の地上絵の研究を命じた。以後、正一は「遠州」と号した。
 家康は夏音文字の学芸の復興に一生をささげる生涯を送ったために、1616年に家康が死去すると、『魏志倭人伝』に記載される夏音文字の学芸の復興は歴代将軍と江戸幕府が達成する宿題となった。
 彦根の3千万坪の「夏音は習わず」と設計する大鳥の地上絵が完成した翌1623年、45才の小堀遠州は京都の伏見奉行に任命され、夏音文字の学芸を復興するための桂離宮の庭園作りを命じられた。以後、病床に伏した67才までの23年間、遠州は桂離宮の作庭に情熱を傾け、伏見奉行屋敷にて69才で没した。
 桂離宮の庭園は夏音文字の学芸の全貌を容易に知ることができる設計された施設である。これゆえ、『魏志倭人伝』の全記事は正しい、邪馬台国学説は【誤読】の空理空論であると明確に示す史跡となる。
 ❻1738年、霊元上皇は本格的に大嘗会(だいじょうえ)を復興し、桂離宮の庭園池の北側の両岸の設計を基(もと)に、大嘗会の祭儀と即位する天皇の王冠・菅蓋(かんがい)の意匠を定めた。
 ゆえに、皇室最大の神事の大嘗会と天皇の王冠によって『魏志倭人伝』のすべての記事は正しい、邪馬台国学説は【誤読】の空論であると明示する祭儀と王冠となる。
 だから、【誤読】という方法を用いて立論された邪馬台国学説は大嘗会と天皇の王冠を侮辱し、日本人の魂と命の根元を侮蔑し、ほくそ笑(え)みながら日本国の尊厳を汚す理不尽な暴力ということになる。

 上記の❸細江町の1千万坪の大鳥の地上絵と❹彦根市の「夏音は習わず」とあらわす3千万坪の地上絵は、現在の国土地理院の精密な地図作製方法と同じく、精密に天頂緯度を測定して緯度と子午線を測量して経緯度原点を設置してこそ大地に図化できる。
 天の北極の高度で緯度換算して子午線を測量する方法では、❸1千万坪の細江町と❹3千万坪の彦根市の、両方の大鳥の地上絵は絶対に作成することができない。
 1千万坪の細江町の大鳥の地上絵には、天頂緯度測定して経緯度原点を設置し、三角形となる三角点を設定して、1千万坪の大鳥の地上絵を作成したと明確に示す三つの基点跡が現在も残っている。だから、卑弥呼没後の3世紀後半にも〔精密な天頂緯度測定〕を最も重視する夏音文字の学芸と〔精密に天頂緯度を測定する眼力と技(わざ)を鍛錬する習慣〕が健在であったと証明される。
 
 だから、邪馬台国学説は【誤読】の空論であることが簡単に証明できる。

 上記の❶秋田県鹿角市に所在する国の特別史跡・大湯環状列石の万座・野中堂両遺跡には、今から約4050年前の中国の夏代初頭に夏音文字の学芸が伝来した形跡が歴然(れきぜん)と残る。
 これゆえ、3世紀の倭の卑弥呼王朝において、夏音文字の学芸が栄えていた。
 ゆえに、『魏志倭人伝』は①「倭に文字があった」と書き、夏音文字の学芸の基盤は〔精密な天頂緯度測定〕であったゆえ②「日本列島は東に伸びずに南に伸びる」と証言されることになった。

 『魏志倭人伝』は「中国の魏と朝鮮半島にある魏の出張機関の帯方郡政庁の使節は大海を越えて日本列島に到着することができなかった」と書く。というのも、紀元前1世紀に天の北極を最も重視するシナ天文が完成したからである。
 中国の正史『後漢書(ごかんじょ)』倭伝は――シナ天文が完成しない紀元前3世紀、秦の始皇帝に命令された方士の徐福(じょふく)は多数の青年乙女(童男女)たちを率いて大海を渡って日本列島に到着した。しかし、命じられた蓬莱(ほうらい)の神仙が探すことができなかったので帰還しないで日本列島の地所に定住した。この徐福一行の子孫は卑弥呼が生存した3世紀においては数万家となり、その国は「東鯷人(とうていじん)国」と呼ばれていた。この東鯷人たちは中国の呉の会稽(かいけい)にてやってきて交易をするが、中国の人々には東鯷人国までの海の道は途中で絶たれ、その所在する日本列島は遥か遠くで往来することはできない―と説明する。
 徐福が生存した時代は〔天の北極〕を最も重視する世ではなく、方士(現在の天文地理学者)である徐福は太古以来の〔精密に天頂緯度を測定する眼力と技(わざ)〕をまもって日々鍛錬していた。
 3世紀の中国ではシナ天文が栄えることになったために〔天の北極〕が重視されて、太古以来の〔精密に天頂緯度を測定する鍛錬と習慣〕が廃(すた)れた。このため、中国の呉や魏や朝鮮半島の帯方郡の人々は大海の道が途中で絶たれてしまうことになって日本列島に到着できなくなった。

 大海には位置や方位を精確に表示する目印になるものがない。しかし、大海を渡るには精密に緯度と子午線が測定できなければ、位置と方位が不明となってさ迷うことになって漂流し遂には海の藻屑(もくず)となって落命した。
 〔緯度を測定する方法〕は2つしかない。
 〔緯度の測定〕は❶天の北極、❷天頂緯度測定(天頂点のキャッチ)
 この2つの方法しかない。
 天の北極の高度は緯度に換算できるが、不精確であるので大海に入った途端(とたん)に緯度と子午線が不明となるので、海の道は途中で絶たれることになり航海者たちは命を失った。
 3世紀においては、天頂点をキャッチできれば眼力や技(わざ)を有すれば大海を往来できた。
 天頂点と重なる天体部(銀河部位や恒星)は一日で大きな円を描いて一周する。
 この大円の軌道にあって、その天頂点と重なる天体部が天頂点の真東から真西へ移動する4秒~6秒間ぐらいの軌道は円弧ではなく平らな一直線となる。
 この短い天頂緯度線となる一直線の東・西の端と結ぶと三角形となる天体部(天頂点近くの西に寄った北にある天体部)を選ぶと、精密に緯度と子午線が測定できる。

 
 この「精密な緯度と子午線の測定できる小さな三角形」は[命]の上部の[亼(しゅう)]の字源となった。
 [亼]の下部の[一]が「真東から真西に平らに移動する天頂点の軌道、すなわち4秒~6秒ぐらいで測量する天頂緯度緯度線」である。
 [亼]の上部の[Λ]の三角形の頂角は「天頂点の真北となる天体部」を示す。[亼]の下の[一]の中央(天頂点)と三角形の頂角を結ぶと〔南北を示す子午線軸〕となる。
 [亼]の下の[一]の〔天頂緯度線に合致する線〕は、弓の弦(つる)や腰につける縄や勾玉(まがたま)を結びつける首飾りや頭髪に巻きつける勾玉を貫き通す紐(ひも)の両端を握(にぎ)り、天頂に向けて目の上に差し上げれば作ることができる。
 というのも、天頂点と重なる天体部の軌道を、両手で握る弓の弦・縄・首飾り・頭髪に巻きつく紐で作った線上に乗せることができるからである。
 両手で掴む弓の弦や縄の中央天頂点をキャッチするために印を点(つ)け、あるい首飾りや髪の毛に巻きつける紐の勾玉が中央になるように握れば、その中央の印や勾玉が天頂点をキャッチするので、子午線が測量できることになる。
 [命]の下の[口]の字源は「産道」であり、[卩(せつ)]の字源は「出産する胎児」である。
 天頂点をキャッチするには、出産するときに狭い産道を潜(くぐ)る胎児のように無心無欲にならなければ、両手の位置や背中を反(そ)る具合が正しい姿勢になることができない。だから、[亼]の下の[口]は「産道」を示し、[卩]は「出産する胎児」をあらわした。
 もしも精確に天頂点をキャッチできるのであろうかと雑念を抱いたり、絶対に天頂点をキャッチして家族が待つ家に帰るのだという慾を抱いたりすると、日頃正しい姿勢になるように鍛錬して体得した感覚に狂いが生じて緯度の測定が不精確になって道に迷うことになった。だから、「道」という語には「陸や海で人が通る所」の意味の他に、“道を究(きわ)める”の「道」には「鍛錬して身につける深奥(しんおう)な技術や極意(ごくい)」という意味がある。
 人間の目は日々鍛錬すれば、天頂点をキャッチする神秘的な能力がそなわり、天頂緯度を精密に測定できる姿勢(ポーズ)も会得(えとく)できる能力もそなわっている。
 “名人”と呼ばれる技術者たちが精密機械でも計れない驚異的な神秘的な精密な眼力を有するのは、日々その技を鍛錬している賜物(たまもの)だからである。
 原始のときから〔天頂点のキャッチ〕は〔いちばん大事な命にまもる方法〕であった。
 だから、ヒトは日課として訓練して、その感覚を研ぎ澄ましていたことになる。もしも、この能力がそなわっていなかったならば、人類は絶滅していたことになる。

 卑弥呼が生存した3世紀、中国と日本列島の天頂に、わたくしが「長方形の暗黒天体部」と名づけた銀河部がめぐってきた。
 この「長方形の暗黒天体部」が[命]のほんとうの字源であった。
 この「長方形の暗黒天体部の北部の形状」は[亼]の字形に相似し、「長方形の暗黒天体部」は[産道]や「胎児」に見立てられた。
 [命]の甲骨文字と金文の字形には[亼]の下に[人]を配するものがあるが、この[人]は「産道を潜る胎児の生と死が神によって決定される」をあらわすものである。[命]の金文の字形には[亼]の下に[口]と「胎児の姿」をあらわす[人]を配するものがある。ゆえに、[亼]の下に[人]を配する[命]の甲骨文字と金文の字形の[人]は「胎児」をあらわすものと考えるべきことになる。

 [命]の字源となった「長方形の暗黒天体部」は夏音文字の夏代、甲骨文字の殷代、金文の周代には天頂を通過しなかったが、〔精密な天頂緯度測定〕に最も理想的な銀河部であると定められて、[命]の字源銀河となった。

 卑弥呼が生存した三国時代、〔天頂点〕をキャッチするのに最も理想的な「長方形の暗黒天体部」が中国の天頂にめぐってきた。しかし、当時、中国ではシナ天文が栄えて最も〔天の北極〕が重視されて、原始以来の〔精密に天頂緯度測定を鍛錬する習慣〕が廃れていた。このため、中国と帯方郡の人々には、大海の道は途中で絶えてしまうことになって日本列島へ渡ることができなくなった。
 日本列島においては原始以来の〔天頂点をキャッチする習慣〕はますます栄えていたので、倭の使節は天頂にめぐってくる「長方形の暗黒天体部」を測量して大海を往来した。
 この「長方形の暗黒天体部」は南の幅が少し広がる〔鳥居〕の形に相似し、〔鳥居〕は〔精密に天頂緯度を測定する道具〕となった。ゆえに、今日、「鳥居」は「神社の入口に建つ門」となり、欧米の人々にとって「日本」を象徴する代表的な文化遺産となった。
 ところが、[命]の字源銀河がモデルとなって設計された「鳥居」は、漢字の原郷である「中国」を象徴する文化遺産ではない。それというのも、「鳥居」の設計モデルとなった「長方形の暗黒天体部」が天頂にめぐってきたとき、中国では〔天の北極〕が最も重視されて〔天頂点をキャッチする習慣〕が廃れていたからである。
 なお、左に表示した幻冬舎ルネッサンスから出版された拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』の資料Bに銀河各部の写真を掲載し、資料Cに銀河各部の名称を記入した。この資料Bと資料Cで「長方形の暗黒天体部」の位置と形状を参照していただきたい。

 『魏志倭人伝』の3世紀に文字があったと証明できる文字を刻む遺物が出土しない。だから、学者たちは『魏志倭人伝』の「倭に文字があった」という幾つかの記述を排除する。
 学者たちは【人が話す言葉をあらわす記号】が【文字】であったと思い込む。しかし、「漢字」の語源は「銀漢から作られた文字」であったことに気づかず、すべてと言ってよいほどのほとんどの甲骨文字と金文の字形が【銀漢各部の形状】に似せて作られていることに気づかない。
 学者たちは〔地中から出土する遺物に刻まれる文字〕を“第一義的な真の文字”と思い込む。
 しかし、“第一義的な真の文字”といえる【文字】は拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』の資料Bの【銀河各部の形状】である。
 〔地中から発掘された遺物に刻まれる文字〕は「第二義的な文字」で、「第一義的な真の文字」は【銀河各部の形状】であった。
 だから、【銀河各部の形状】を【文字】とする夏音文字が存在し、卑弥呼は夏音文字の学芸に精通していた。

 上記した[命]の字で証明したように、現代の当用漢字の字形も【銀河各部の形状】が察知できるように形成されている。
 上記の『魏志倭人伝』のすべての記事が正しい、邪馬台国学説は【誤読】の空論であると断定できる5つの史跡と1つの史料によって、〔第一義的な真の文字〕は【銀河各部の形状】であることが科学的に証明される。
 〔第一義的な真の文字〕は【銀河各部の形状】であったので、「天にある多数の文字」から「天文」という語が生まれ、「銀河」は「銀漢」とも言うので前述したように「銀漢から作られた字」から「漢字」と名づけられた。
 〔第一義的な真の文字〕は【銀河各部の形状】であったから甲骨文字と金文のほとんどの字形は【銀河各部の形状】に相似・類似するようにデザインされた。
 また、字源を解説する字書の聖典の『説文解字』の字源解説は【銀河各部の形状】に適合するものが多数存在する。このため、白川静著『字統』は「『説文解字』の字源解説は誤っているものがある」と指摘する。しかし、その誤っていると指摘された大多数の字源解説は【銀河各部の形状】を説明するものであるので、白川静著『字統』の文献に用いられる文字や甲骨文字や金文の字形だけを参考にする字源解説と相違することになった。
 【銀河各部の形状】が〔第一義的な真の文字〕であることは漢字の始祖である倉頡(そうきつ)伝説でもあらわされ、中国の五経の第一に挙げられる古典『易経』の繋辞(けいじ)上・下伝の記事でも語られる。
 【銀河各部の形状】が〔第一義的な真の文字〕であることは、中国を代表する思想家老子の教えを伝える『老子』上篇(道経)の第1章から第37章まででも伝えている。
 『老子』第1章冒頭の「道の道とすべきは常の道に非ず」という文は「ほんとうの〔道〕は陸や海の人が通る所ではなく、天辺に存在して天頂点と重なる天体部の軌道であった」と指摘するものであり、途中にある「万物の母」は倉頡が発明した「漢字作成原理〔鳥獣の文〕」(倉頡伝説では〔鳥獣の足跡〕と言う)を老子が新たに作った別称である。
 この「万物の母」以後の末尾までの「ゆえに常に無欲にして以て其の妙を観、常に有慾にして以てその徼(きょう)を観る。この両者は、同じく出てて名を異(こと)にし、同じく之(これ)を玄(げん)と謂(い)う。玄のまた玄、衆妙の門」という文は、上記で説明した[命]の字源を解説するものである。
 [命]の上部の[亼]の字源となる「三角形」で精密に緯度と子午線を測定するには産道を潜る胎児のように無欲でなければ神秘的な妙なる眼力と技を発揮できず、慾を有すると「徼を観る」すなわち「死去して骸骨となる」と指摘する。「玄」とは[亼]の下の[一]の「4秒~6秒間の真東から真西に一直線となる短い天頂緯度軸」であり、「衆妙の門」とは「[命]の字源となった長方形の暗黒天体部の形状に相似する門で、上古の人々(衆)は神秘的な絶妙な能力(研ぎ澄まされた眼力と技)を発揮して天頂点をキャッチしていた」と表現するものである。
 この第1章と同じく第37章までの文は、【銀河各部の形状】こそが〔第一義的な真の文字〕であると証言し、歴史上の真実を後世に伝えている。
 
 だから、〔ほんとうの文字〕は【銀河各部の形状】であった。
 『魏志倭人伝』もまた〔ほんとうの文字〕は【銀河各部の形状】であったことを伝える重大な史料であったが、学者たちの【誤読】によってこの秘密が解明できなくなってしまったのである。

 正気な人の判断や認識を狂わせて不幸にする霊能者たちは、似非科学を用いてウソや妄想を事実や真実だと思い込ませる人々である。
 したがって、邪馬台国説学者たちは似非科学を正しい科学と思い込ませる霊能者たちということになる。
 ほとんどの日本人は邪馬台国説学者たちが最も簡単な“誤読”というミスを絶対に犯すはずがないと信じている。
 しかし、『魏志倭人伝』の「倭の使節が大海を往来できた」と記述する証言によって示される〔精密な天頂緯度測定〕の一点に論点を絞って考えるならば、邪馬台国説学者たちは“誤読”というミスを駆使する似非科学者たちであることが簡単に明らかとなる。
 日本国民は邪馬台国説学者たちの“誤読”にマインドコントロールされているために思考が停止し、邪馬台国学説が【誤読】によって成立した真っ赤なウソであることに気づかない。
 上記に示した大嘗会と天皇の王冠は邪馬台国学説が真っ赤なウソであると明確に表示する。
 したがって、大嘗会と天皇の王冠の証言に反して、『魏志倭人伝』には【誤読】を加える考え方こそが正しいと主張する邪馬台国説学者たちは大嘗会と天皇の王冠を徹底的に侮辱して汚す理不尽ということになる。
 似非科学の真っ赤なウソを駆使する霊能者が正気の人の人格を破壊するように、邪馬台国説学者たちも大嘗会と天皇の王冠が表示する日本国民の魂と命の根元を踏みにじり、日本人の一人一人のアイデンテイティを抹殺する。
 だから邪馬台国説学者たちの【誤読】の真っ赤なウソに支配されていると、いずれ日本民族は消滅し、日本国は滅亡するにちがいない。

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