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2012年3月31日 (土)

邪馬台国学説は日本民族を虐殺する。しかも人類共通の敵である・16

 同志社大学名誉教授の森浩一は堺市にある国内最大の古墳「仁徳天皇陵」を、何らまともの根拠を示さずに、ただ闇雲に天皇陵を掘りたいという欲望をむき出しにして、「仁徳天皇陵」の名称を古墳が所在する地名にすり替えた。
 ゆえに現在の教科書は、仁徳天皇陵の名を所在する地名を採用して「大山(だいせん)古墳」と表記する。
 彼は、「発掘調査も許さない天皇陵古墳を人名で呼ぶのはおかしい」と訳のわからない能書きを述べ、発掘を許さないという宮内庁への逆恨みを臆面(おくめん)もなく前面に出す。
 仁徳天皇陵がある地の名が「大山」と称されることになったのは、「天皇陵」が「山」と呼ばれたからである。正史『続日本紀』聖武天皇紀の天平20年(748年)4月22日の記事は、元正天皇陵を築造する役職の長官たちを「山作司(やまつくりのつかさ)」と表記する。このように「天皇陵」は「山」と名づけられ、「仁徳天皇陵」は「大きな山」であるので、仁徳天皇陵の所在地の名は「大山」となった。このことぐらいのことは、多分、森浩一は知っているにちがいない。
 だからと言って、「仁徳天皇陵」を「人名で呼ぶのはおかしく、地名で呼ぶとおかしくないことになる」と、このような不条理きわまりない理由で地名にすべきであると勝手に決めつける強心臓にはただただ感服しざるをえない。
 でも、天皇家に限らず大半の墓にはその家の名前すなわち人名が彫られている。墓石に住所を彫る事例に、わたくしはお目にかかったことがない。だから、森浩一の主張はまったく非常識で馬鹿げている。
 彼は大学や新聞社が“考古学者”ともてはやすのをいいい気になって、考古学者には特別に天皇家の墓荒しもゆるされていると威張りくさる。しかし、彼は“学者”と呼ばれるのにふさわしいちゃんとした学識を持ちあわせていない。彼は「考古学」という学問を鼻にかける単なる土掘り屋にすぎない。
 彼は「発掘」のエキスパートかもしれないが、「歴史」の語源も知らないド素人であり、「歴史は科学が最も優先される」と基礎知識も有していない、また〔文字〕についてまったく無知な似非(えせ)学者である。
 
 だから、そんな似非学者には天皇陵について口出しする資格がまったく無い。

 字源の研究で有名な加藤常賢博士が著作した『漢字の起源』(角川書店)は「[歴]は整然たる間隔の歩行である。日月星辰の運行を『歴象』と言うのは、本義的な使い方である」と解説する。
 「日」すなわち「太陽」は1日24時間で一周する整然たる運行をし、月の満ち欠けも整然たる間隔でおこなわれ、「星辰」すなわち「星と銀河の各部位」は1時間で15度ずつの整然たる間隔で歩行(移動)する。「歴史」の[史]の字義は「記録」である。
 ゆえに、『漢字の起源』の[歴]の本義解説に則ると、「歴史」の語源は「整然たる間隔で歩行する各銀河部の運行による記録」ということになる。

 わが国には、約4050年前の夏代(かだい)初頭、すなわち後期縄文時代初頭に夏音(かおん)文字が伝来している。この夏音文字は、『古事記』上巻に〔音〕という注が付く1字1音読みの文字となって多数記載されている。
 また、『魏志倭人伝』には「卑弥呼」はじめとする人名・小国名に用いられる文字となって現存する。
 ゆえに、図書館や本屋などを訪れて『魏志倭人伝』と『古事記』上巻を手に取って開けば、夏音文字を目でキャッチすることができる。だから、夏音文字は間違いなくわが国に存在したと確信できる。
 秋田県鹿角(かづの)市に所在する国の特別史跡・大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)は夏代初頭(後期縄文時代初頭)のものであり、この万座遺跡と野中堂遺跡には夏音文字の学芸が伝来した痕跡が現在も明確に残る。
 たとえば、万座遺跡の中心と万座遺跡の日時計組石の中心と、そして野中堂遺跡の中心と野中堂遺跡の日時計組石の中心を結ぶと〔夏至の日没(西から29度の西北)の方角〕を指さす。この「夏至の日没の方角」は「夏音文字が伝来した」と表示するものとなる。
 また、万座遺跡の外帯部東側の配石群の形(平面図)は「夏の銀河像」(夏の星座が漬かる、夏に最も長時間見ることができる銀河像)が4000年後の現在にあっても全壊せずに大半残っているが、これには思わず“ほんとうだ! たまげた! 夏の銀河の形だ”と感嘆・感服しざるをえない。この「夏の銀河像」も「夏音文字が伝来した」と証言するものとなる。
 銀河には、春の銀河、秋の銀河、冬の銀河も存在するが、夏の銀河が最も巨大である。左に表示した幻冬舎ルネッサンスから出版された拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』の資料Bに「夏の銀河」を撮影する写真を、資料Cに「夏の銀河の範囲」を表示したので、興味を抱く御仁(ごじん)は参照していただきたい。
 その他にも、大湯環状列石には夏音文字が伝来した様々な証拠が存在する。

 夏音文字の学芸が伝来した代表的な史跡や史料は――❶『魏志倭人伝』と同時代の3世紀後半に作られた現在の静岡県浜松市北区細江町の行政区域を示す地図の形となる丁度1千万坪の大鳥の地上絵、❷17世紀前半に徳川家康の命令で作られた現在の滋賀県彦根市の行政区域を示す地図の形となる「夏音文字は未だ復興しない」と表現して皇室に夏音文字の学芸の復興を欲求する、羽の無い丁度3千万の大鳥の地上絵、❸17世紀に生存した天才芸術家にして科学者の小堀遠州が作成した桂離宮の庭園、❹は❷と❸より以前の室町時代から18世紀まで、夏音文字の学芸を習得するための禅宗の道場として、庭の面積や石の数・配置があれこれと模索して現在の形となった枯山水の名園で有名な竜安寺(りょうあんじ)の石庭、❺1738年に本格的に復興された大嘗会(だいじょうえ)と天皇の王冠――などが存在する。

 中国の正史『新唐書』日本伝は――702年に派遣された日本の遣唐使が「後稍(のちやや)夏音を習う」と中国王朝に伝えた――と記述する。
 つまり遣唐使は「壬申の乱の後、稍(少しだけ)夏音文字が復興されることになった」と伝えた。
 この10年後の712年に『古事記』が完成し、その上巻に〔音〕という注が付く1字1音読みの夏音文字が多数記載されている。

 『古事記』の序は――夏代黎明期(れいめいき)の2代目帝王となった益の孫の王子と若者たちが大海を越えて日本列島に移住して夏音文字の学芸を広めようとした。時は、縄文の芸術の神、すなわち「造化(ぞうか)の参神(さんしん)」すなわち縄文の前期・中期・後期の内の後期縄文時代初頭であり、「神産巣日神(かむむすひのかみ)」と名づけられた銀河部が天頂を通過する時代であった。移住してきた益氏の王子一行の言葉は縄文人にはチンプンカンプンでまったく理解できなかった。しかし、益氏の王子一行が天を指さし、手振り身振りであらわし、地面に図を書いて示す説明を、土器や土偶を作る芸術家たちは理解して夏音文字を習得した。というのも、夏音文字が創られた銀河各部は縄文の土器と土偶を創造するモデルとなったからである。
 『古事記』には『古事記』の原典となった上古の史書「旧辞(きゅうじ)」に記された夏音文字の象形文字ではなく、楷書(万葉仮名)で夏音文字が表記された。しかし、【夏音文字】も【楷書】も【銀河各部の形状】から創られた。だから、【楷書で表記される夏音文字】も【本来の象形文字で表記される夏音文字】も同じように、【銀河】を観れば字源・字形・字義を知ることができる。
 要するに、後世の人々よ、【文字】は【銀河各部の形状】である。
 たとえば、楷書の「日下(にちげ)」は夏音文字の「玖沙訶(くさか)」、楷書の「帯(たい)」は夏音文字の「多羅斯(たらし)」であるが、2字の「日下」と3字の「玖沙訶」はまったくの同一の銀河部であらわされ、1字の「帯」と3字の「多羅斯」も同一の銀河部であらわされる。この夏音文字の「玖沙訶」と「多羅斯」は原形の象形文字ではなく、楷書で表記されるからと言って【銀河部】が変わるものではなく、共に同一の【銀河部】であらわされる。つまり、”はじめに【銀河各部の形状】という【文字】がありき”ということであり、【夏音文字】・【甲骨文字】・【金文】・【篆文】・【隷書】・【楷書】もすべて【銀河各部の形状】であらわすことができる。これを「辞の原理」すなわち「辞理(じり)」と言う。
 にわかに信じられないかもしれないが、後世の人々よ、頭で考えずに、まず銀河を観て【象形文字の夏音文字】も【楷書の夏音文字】も【銀河各部の形状】であらわすことができる事実を体験せよ。
 この序の冒頭で「上巻 并せて序」と記す。この異様な序は、【銀河各部の形状】が【文字】である秘密を後世の人々に伝えるためである。
 天武天皇は「事実を伝える正しい歴史書を作れ」と勅命しながら、われら編纂スタッフには「稍夏音を習う」と命令して「皇祖天照大御神すなわち崇神天皇の生母の伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)・倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)は聡明な女性であったことだけを強調し、彼女が残忍非道な徇葬(じゅんそう)を決行し、「伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念を尊重する人々を一日に千人ずつ絞め殺す」と呪い誓ったとおりに政事(まつりごと)をおこない、強大な大和朝廷の基礎を築いた歴史を削除する偽書を作れ」と欲求した。そこで、われら編纂スタッフは命を賭けて抵抗して後世に真実の歴史を残すことにした。そこで、この真実の歴史を後世に残すには、「天照大御神」という実名で表記すれば『古事記』は直ちに焚書(ふんしょ)・抹殺されて後世に残すことができないので、天照大御神が陣頭指揮して作った「多数の徇葬者たちを殺して埋めた伊耶那美命の墓の所在地」を「黄泉国」と記し、「天照大御神」をわれらが敬愛してやまない「伊耶那美命」という名で表記するが、この「黄泉国の伊耶那美命」という反実仮装(事実に反する記述を装って、実際にあった歴史の事実を証言する方法)で記載した人物の正体は「天照大御神」であることは、【銀河各部の形状】が【文字】であるという辞理によって手に取るように明らかとなる。つまり、『古事記』は【銀河各部の形状】が【文字】となる辞理で真実の歴史を後世に伝える史書である――と説明していたのである。

 「銀河」は「銀漢」とも言う。「銀漢から作られた字」であるから「漢字」となった。このため「天に多数の文字がある」ことになったので「天文」と称されるようになった。「漢字」と「天文」という語は、『古事記』編纂スタッフが真実の歴史を残さんとして命を賭けた【銀河各部の形状】が【文字】である秘密を伝えるものだったのである。
 『古事記』は皇室と律令体制が絶対に聖性を汚してはならぬと禁じた皇祖天照大御神の徇葬や呪いの事績を証言する反逆の史書であった。ゆえに、元明天皇は「黄泉国の伊耶那美命」という反実仮装の方法であっても、後世の学者たちはきっとその正体を「天照大御神」と見破るにちがいないと考えて献呈を拒絶し、『古事記』を抹殺するために翌713年に『風土記』の編纂を命じた。
 元明天皇は『古事記』に記載された地名や古老たちの伝承を消滅して、『古事記』に記述された地名から真実の歴史が暴露されないようにした。
 『古事記』序に記載された「元明天皇の『古事記』完成の命令」と「『古事記』の完成日(和銅五年正月廿八日)」の記事は、正史『続日本紀』には見当たらない。『古事記』は正史『日本書紀』にはるかに優る、日本古代史書の金字塔である。したがって、『古事記』は元明天皇がおこなった最も偉大な燦然(さんぜん)と輝く事業であったはずなのに、どうして『古事記』の完成の命令と完成日の記述が正史『続日本紀』から削除されたのかと言えば、『古事記』が反逆の史書だったからにほかならない。
 『古事記』が完成した翌年に元明天皇が編纂を命令した『風土記』は、『古事記』に記載された真実の歴史が暴露されないために著作された書物であった。ゆえに、『風土記』を真実の歴史を抹殺するための書物であったので、人々は『風土記』を嫌悪して保存に努力しなかった。このため、そのほとんどは失われ、完全な写本の残るのは出雲国1ヵ国のものだけで、不完全な形で残ったものもわずか4ヵ国分にすぎない。
 いっぽう、『古事記』は皇室に敵視・憎悪されて後世に絶対に残してはならないと厳しく禁じられた書物であったが、真実を記述するものであったために、消滅せずに完全な写本となって残った。

 『古事記』上巻は【銀河各部の形状】が【文字】であるという辞理で真実の歴史が解明できるようになっている。
 上記したように、「歴史」の語源は「整然たる間隔で歩行する各銀河部の運行によるところの記録」である。だから、「歴史」の語源は「【文字】すなわち【銀河各部の形状】で記述する記録」となる。
 つまり、『古事記』序の冒頭の「臣安万侶言(もう)す。それ混元すでに凝(こ)りて、気象いまだあらわれず。名も無く技(わざ)も無し。誰(たれ)かその形を知らむ。しかれども乾坤(けんこん)初めて分かれて、参神造化の首(はじめ)をなし」という文は、❶「天球を整然と歩行する銀河部を文字とする記録」が「歴史」の語源であることを示し、❷この夏音文字の天文地理学の解明に必要となる【科学】が歴史学においては最も優先されることを示し、❸「参神造化の芸術」すなわち『古事記』上巻冒頭に記載される「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ・前期縄文の土器・土偶芸術)と高御産巣日神(たかみむすひのかみ・中期縄文の土器・土偶芸術)と神産巣日神(後期縄文の土器・土偶芸術)」の前期から後期縄文初頭までの2千年におよぶ銀河から創造された縄文芸術の蓄積によって夏音文字の学芸が習得されたと伝えるものである。
 そして、この冒頭文は末部に記載した「辞理」に関する説明と直結する。
 この「辞理」についての記述は「夏音文字を本来の象形文字ではなく楷書で表記するが、すべての【文字】は【銀河各部の形状】であると還元できるので、【銀河各部の形状】を【文字】と定めれば上巻・日本神話の全貌の真相を解明することができる」と解説していることになる。
 だから、『古事記』上巻に記述された歴史を解明できる方法「楷書も夏音文字も【銀河各部の形状】に還元できる、すべての【文字】は【銀河】から生まれた(創造された)。歴史の真相は銀河を観れば解明できる」という、この方法を後世の人々が着目することを願って、「『古事記』の序は上巻だけの序であり、中巻・下巻の序ではない」と表示するために「上巻 并せて序」と異様・特別な表記となったのである。
 また、中ほどにある「諸家が保存する帝紀(天皇記)と旧辞(夏音文字で書かれる史書・『古事記』上巻の原典)は、すでに真実と違い、偽りが多く加えているとのことである。今この時において、その誤りを改めないならば、幾年もたたないうちに、その本旨は滅びてしまうであろう。帝紀と旧辞の歴史は国家の基礎であり、王政の基盤である。そこで帝紀を書物に著し、旧辞をよく調べて正し、偽りを除き真実を定めて、後世に伝えようと思う」と記述する、この天武天皇の歴史書編纂の企ての勅令はその言葉の額面通りに意味するものではなく、702年に日本の遣唐使が中国王朝に伝えた「後稍夏音を習う」と脅迫した偽書作成命令を伝えるものとなる。
 上巻にある伊耶那美命の黄泉国訪問説話は「天照大御神」を「黄泉国の伊耶那美命」と表記する反実仮装を用いて「天照大御神は残虐な徇葬を決行した」また「天照大御神は伊耶那岐命に離縁された時に『伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念を尊重する人々を一日に千人ずつ首を絞め殺す』と誓った」と記述する。そして、その後の天照大御神に関する説話で、「天照大御神は日本建国の〔愛〕の理念を尊重する須佐之男命を追放し、伊耶那美命を崇拝した大国主神が治めた出雲王朝を憎悪して征服した」と記述する。
 このような天照大御神の横暴な事績の歴史を消滅するために、天武天皇は歴史書作成を企てて編纂スタッフたちに「稍夏音を習う」と脅迫して偽書作成を命令した。ゆえに、この天武天皇の歴史書作成の勅令の記述もまた、事実と異なる・その言葉の裏に真逆の本音があると伝える反実仮装の表現だったことになる。 

 『古事記』の序は「【銀河各部の形状】は【文字】である」と説明する。
 わたくしは〔ABCアルファベットのルーツとされるワディ・エル・ホル文字の字源解明〕というブログを1回から20回まで公開して、ワディ・エル・ホル文字の全字が【銀河各部の形状】であることを証明した。
 また、〔枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は“世界の文字は銀河から作らてた”と証言する〕というブログを1回から43回まで公開して、古代エジプト文字の【メドゥウ・ネチェル】(ヒエログリフ・聖刻文字)もまた【銀河各部の形状】であったことを証明した。
 このように、漢字に限らず、ABCアルファベットのルーツと指摘されるワディ・エル・ホル文字も古代エジプト文字のヒエログリフも【銀河各部の形状】であると証明される。
 だから、『古事記』序の「辞理」に関する記述は「【すべての文字】は【銀河各部の形状】である」と伝えるものとなる。
 「古代エジプト文字」の名称「メドゥウ・ネチェル」は「神の言葉」と意味する。
 ゆえに、【銀河各部の形状】が【神の言葉】であり、古代エジプト文字はもちろんワディ・エル・ホル文字と漢字の【夏音文字】・【甲骨文字】・【金文】・【篆文】・【隷書】・【楷書】もすべて【神の言葉】すなわち【銀河各部の形状】となる。
 だから、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の夏音文字は楷書で表記されるものであるが、【神の言葉】の【銀河各部の形状】として確かに存在していたのである。

 約5000年前の五帝時代初頭の黄帝につかえた史官の倉頡(そうきつ)は多数の文字を作成できる漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕を発明した。ゆえに、倉頡は“漢字の始祖”と崇拝された。
 倉頡は〔鳥獣の足跡〕によって作られる多数の文字は強大な権力と莫大な富と最高の名誉を手に入れる方法であることに気づき、もしも反体制側に習得して革命に利用されたならば王朝が崩壊するにちがいないと考えた。そこで、文字を王朝が独占管理して反体制側が習得できないようにするために、「文字を柔らかい地面や砂や灰の上に書くようにして、用が済んだならば直ぐ消さなければならない。これを怠った者は即刻死刑にする」と定める厳しい掟を決めた。この厳しい掟を守るためにいろいろの方法が取られた。
 「倉頡」の[倉]に[刅](立刀)が加わると[創]の字となる。この[刅]は「死刑」の[刑]や[罰]という字に配置される。要するに、[刅]の字源・本義は「用が済んだならば直ぐに消すことを怠った者の首を切る刀」である。
 夏音文字は倉頡が定めた厳しい掟をまもる原初漢字であった。
 だから、『魏志倭人伝』には「倭の占いに用いる卜辞(占いの文字と言葉)は令亀(れいき)の法のごとし」すなわち「倭の卜辞に使われる文字は中国殷代(いんだい)の亀の甲羅に刻む甲骨文字のような象形文字である」という記述がある。
 この卜辞に用いられた夏音文字は出土されていない。しかし、3世紀の銅鐸の身(筒)の表面に絵を刻むものがあるように、この銅鐸絵画は令亀の法の卜辞に用いられた甲骨文字に相似する。ゆえに、夏音文字の字形は銅鐸絵画に相似していたと考えられる。
 夏音文字は用が済んだならば即刻消さなければ死刑にすると定められるものであったゆえ、銅鐸絵画は夏音文字ではないが、夏音文字に似ていたにちがいない。 

 『古事記』下巻の仁徳天皇紀は、天皇の名を「大雀命(おおきざきのみこと)」と記載する。
 この「大雀命」の「大雀」は[弥]の字となった「北天の最輝部」すなわち「北半球に住む人々にとって、最も明るく輝いて見える銀河部」をあらわす。
 この「北天の最輝部」は「銀白色に輝く」ので「銀河」「銀漢」の語源となった。
 また、「中国の鳥の頭の形に相似する山東半島とその南北に伸びる鳥の翼に相似する海岸線」は[弥]の字となり「大雀」となった。
 この[弥]は「首から以下の体下面が銀白色に輝くカンムリカイツブリ」に見立てられた。
 中国と日本で観察されるカイツブリ類は、鳰(にお・カイツブリ)、ハジロカイツブリ、ミミカイツブリ、アカエリカイツブリ、カンムリカイツブリの1属5種である。
 この5種のカイツブリは海岸線や内陸水面の湖沼で生息するため、「巨大な鳥の形となる山東半島と南北の海岸線」はカイツブリ中最大の「カンムリカンツブリ」に見立てられた。
 「山東半島」は「カンムリカイツブリの頭」に見立てられた。
 この山東半島の西南の山東省曲阜(きょくふ)に孔子廟が所在する。この孔子廟は〔山東半島と南北に伸びる大鳥(大雀)の形をした海岸線〕の心臓部に相当する。
 孔子廟の真西から遠く離れた陝西(せんせい)省黄)陵(こうりょう)県に黄帝陵が所在する。
 孔子廟は北緯35度37分、黄帝陵は北緯35度36分で、わずか1分しか違わないゆえ、両地は同緯度であると言える。
 孔子は特に「仁」をよりどころとして人のふむべき道を示した。これは、有名な話である。「孔子」と言えば「仁」と言うことになる。
 [徳]の字源・本義は「精密に天頂緯度を測定する能力がそなわった人格」であり、黄帝は揚子江付近まで遠征して帰還した[徳]の大王である。
 だから、孔子が[仁]、黄帝が[徳]、孔子廟の東北にある「山東半島」は「大雀」すなわち「カンムリカイツブリの頭」に見立てられて「仁徳」となった。

 「琵琶湖」の古称は「鳰の海」である。「鳰」は「雀と同じくらいの小型のカイツブリ」である。したがって、「大雀」の「大」は「大きなカンムリカイツブリ」、「雀」は「鳰」をあらわした。
 琵琶湖の西南に琵琶湖の形に相似する淡路島がある。この淡路島は琵琶湖に相似するので「鳰(雀)の島」と「大きいカンムリカツブリ」に見立てられた。海面または広い湖沼に生息するカンムリカイツブリは、長時間潜水するので「八丁もぐり」の俗称がある。ゆえに、海上に浮かぶ淡路島は「カンムリカイツブリ」の姿に類似すると見立てられて「大雀」となった。
 この「大雀」の「淡路島が琵琶湖の方に向く先端部」と同緯度の堺市の土地に「仁徳天皇陵」が築造された。
 ゆえに、「東の大雀命が葬られた前方後円墳」は「孔子廟」、「西の大雀命の墓と同緯度の淡路島の先端部となる地所」は「黄帝陵」に相当するので、大雀命の漢風諡号(かんぷうしごう)は「仁徳」と定められた。
 孔子廟から東北に「大雀の頭」となる「山東半島」がある。
 ゆえに、仁徳天皇陵も同じ東北に向いて築造された。
 仁徳天皇・大雀命は天照大御神を崇拝せず、伊耶那美命を崇拝した。

 『古事記』仁徳天皇紀には「おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて わが国見れば 淡島 淤能碁呂島(おのごろしま) 云々」と伊耶那美命に熱烈に憧れる情念を詠む和歌が記載される。そして、吉備の黒日売(くろしめ)に「陛下はわたくしを愛していると言いますが、ほんとうは上古の伊耶那美命だけを愛しているのではありませんか。わたくしは伊耶那美命の代わりをつとめることはできません」と詠む反歌を渡されたと、仁徳天皇紀は記述する。
 また、伊耶那美命を主神として祭る熊野那智大社は仁徳天皇の御代に那智山系の一つ光ヶ峯から神光が発して滝に示現したのを祀ったのに始まるとの伝承がつたえられている。
 仁徳天皇は日本建国の〔愛〕の理念を提唱した伊耶那美命を崇拝して「仁」をよりどころにして人のふむべき道を示し、[徳]の字となる「精密な天頂緯度測定」による測量に基づいて国内最大の陵墓が築造された。だから、大雀命の漢風諡号は「仁徳」となったのである。

 森浩一は「古墳時代には漢風諡号はなかった。だから、奈良時代に創られた漢風諡号で古墳時代に築造された陵墓の名称に人名で呼ぶのはおかしい。古墳の所在地で呼ぶべきである。宮内庁は今の仁徳天皇陵という名称で問題がないなら、そう言明すればいいし、疑いがあると思うなら、今後、計画的に発掘すればいい。素早い決断を望みたい」と脅迫して発掘を迫る。これは、明らかに無礼千万な墓荒しの能書きである。
 森浩一は「発掘」のエキスパートであるが、「歴史」の「レ」の字も知らないド素人であり、歴史学は【科学】が最も優先される学術であることも知らず、「発掘」のほうが【科学】より優ると考える似非学者であり、漢風諡号へ抱く疑問を世に問うならば当然慎重に時間をかけて研究をおこなっているかと思えばまったく研究していない厚かましい徒(やから)であり、考古学を鼻にかけるが鼻もひっかけるにおよばない鼻くそや鼻毛のような徒である。
 このような人物が平然と日本の考古学をリードする。
 彼は“天皇陵の疑念を世に問う”などと能書きをほざき、天皇陵の発掘ならぬ墓荒しを企てるが、この傲慢不遜な振る舞いは日本の考古学者たちもこぞって下品・下劣であるかのごとく映ってしまうゆえ、考古学にとってもその気高き尊厳を著しく損なうものとなる。
 したがって、森浩一が著作した『古墳の発掘』は彼の所にもどして、彼にすべて地中に埋めていただきたいものである。
 天皇の墓を侮辱し、日本建国の〔愛〕の理念を闇に葬って日本国が衰微する災いとなり、人類の偉大な発明品・世界中の古代文字の起源を科学的に解明することができる文献と史跡が共にそろう日本古代史の奇跡を台無しにしてしまう、荒唐無稽の間違いだらけの『古墳の発掘』は地中に埋めてしまうのが最良の方法だと思う次第であるが、皆様方はどう思いますか。

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