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2012年3月18日 (日)

邪馬台国学説は日本民族を虐殺する。しかも人類共通の敵である・13

 とうとう、つきとめました‼

 とうとう、絶対証明することができるようになりました!

 やっぱり、邪馬台国学説は完全に【誤読】の空論でした。

 前回〔12〕にて指摘しましたとおり、邪馬台国学説が【誤読】の産物であることを証明できる証拠は❶細江町の1千万坪の大鳥の地上絵、❷彦根の「夏音文字は習わず」の3千万坪の大鳥の地上絵、❸桂離宮の庭園の3つの史跡と、❹大嘗会(だいじょうえ)と天皇の王冠です。

 この4つの証拠で、本来ならば邪馬台国学説は【誤読】の空論であることがほぼ完璧に証明されるものでありました。
 しかし、“新井白石以来約280年間も学者たちが【誤読】という単純ミスをはたして犯すであろうか? そんなことはとても信じられない”と学者たちを庇う一般常識に阻まれて、また人々の歴史における真実探求への無関心によって学者たちが単純ミスを犯した実情をストレートに説得できる状況になっていませんでした。
 けれども、ついに絶対的な証言(『古事記』上巻の記述)を見つけ出し、誰がなんと反論し反対しても邪馬台国説は【誤読】の妄想であったことが決定的となる、誰でもが直接に目で見て邪馬台国説はウソ八百であることを明確に容易に知ることができる、決定的な証言と証拠とが一致する絶対的な状況となりました。

 このブログを閲覧している人々は、ラッキーです。
 白石以来約280年間続いた邪馬台国学説は、学者たちが【誤読】に夢中になって生まれた妄想であったことを、この報告でいちはやく知ることができますから、“ラッキ!”、“万歳‼”と喜んでください。
 なぜならば、同志社大学名誉教授の森浩一とその仲間たちのウソ八百のために、日本人は一日に千人ずつ首を絞(し)められて殺されるような状況に陥っていたからです。
 彼らのウソ八百を暴くことができる状況が、間近に迫っています。
 われわれはウソ八百の邪馬台国学説のために一日に千人づつ殺されるような状況からもう少しで脱出できるようになりました。

 学者たちは、280年間も【誤読】に夢中になって、大嘗会と天皇の王冠となった夏音文字の学芸と日本建国の〔愛〕の理念を闇に葬り、日本人の魂と命の根元を消滅させ、日本民族の尊厳を侮辱していたのです。

 最近、朝日新聞などが報道した、纏向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)邪馬台国説は真っ赤なウソです。
 考古学者・森浩一をはじめとする学者たちが【誤読】でデッチあげた真っ赤なウソだったのです。
 彼らは、その【誤読】を“文献批判”などと呼び方を変えていますが、その“文献批判”は紛れもなく【誤読】です。 

 上記の❶❷❸の3つの史料と❹の大嘗会と天皇の王冠によって、前回〔12〕で説明したように、『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問神話に登場する「黄泉国の伊耶那美命」の正体は「天照大御神」であることが科学的に証明することができます。
 この神話の末部で、伊耶那岐命に離縁を言い渡された天照大御神は、下記のように呪詛(じゅそ)の誓いを立てました。
 「日本国の人民を一日に千頭(ちがしら)(くび)り殺さむ」すなわち「日本国の人民を一日に千人の首を絞(し)めて殺さん」となります。
 この天照大御神の呪詛の誓いに対して、伊耶那岐命は生前に伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念を受け継ぐ決意を示して下記のごとく宣誓します。
 「汝がそのように誓うならば、吾は一日に千五百の産屋を立てることにする」

 この〔愛〕の宣誓をした伊耶那岐命は第9代開化天皇です。
 『古事記』中巻の開化天皇紀は、下記のように記述します。
 「開化天皇は春日(かすが)の伊耶河宮(いざかわのみや)に居住して天下を治めた。この天皇が丹波の大県主(おおあがたぬし)で名は由碁理(ゆごり)という方の娘である竹野比売(たかのひめ)と結婚された。また、継母の伊迦賀色許売命(いかがのしこめのみこと)と結婚されてお生まれれになった御子は崇神(すじん)天皇である。」

 竹野比売の出身国の「丹波」を、『魏志』倭人伝は「伊耶(いや)国」であると記します。
 「伊耶国の美しい女王」の略称は「伊耶那美命」となります([那]の字義も「美しい」です)。
 そして、「伊耶河宮」の先頭2字の「伊耶」は「伊耶那美命」と「伊耶那岐命」の先頭2字「伊耶」と合致します。
 ですから、竹野比売は伊耶那美命、開化天皇が伊耶河宮に住んだ伊耶那岐命、崇神天皇の生母の伊迦賀色許売命が天照大御神ということになります。

 『魏志』倭人伝末部に記載される年号の魏の「正始八年」は西暦247年です。
 この247年の記事を慎重に全体論的に思考しますと、「載斯烏越(そしあお)」という名の武将は小国・日本の王であったことが察知できます。
 白川静著『字統』は「載斯烏越」の[載]の字源について「載はおそらく兵車を祓う儀礼で、これによって軍行が開始されるのであろう」と解説します。この字源解説に登場する「開始」の[開]は天皇名の「開化」の先頭字[開]と一致します。
 ゆえに、載斯烏越は伊耶那岐命であり、後の開化天皇だったのです。
 そうしますと、正始八年直後の『魏志』倭人伝末部に登場する倭女王となる壱与は、伊耶那美命にして竹野比売であったことになります。
 またいろいろの遺跡・遺物からして、伊迦賀色許売命すなわち天照大御神は正始八年・247年ころに生存していたことになります。
 そして、森浩一が率いる学者や学士たちは纏向遺跡近くの箸墓(はしはか)は247年ころに築造されたと言い張りますので、後述する通りに箸墓の被葬者の崇神天皇の生母の伊迦賀色許売命・天照大御神は247年頃に生存していたと考えるべきことになります。

 “天皇陵の疑念を、世に問う”などと大見得を切る森浩一のために、幾人かの学者と学士たちが扇動され、奈良県桜井市に所在する箸墓は卑弥呼の墓となってしまい、「纏向遺跡こそが邪馬台国である」という状況になってしまいました。
 しかし、『日本書紀』は「箸墓は倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)の墓」であると明記します。
 だから、箸墓は卑弥呼の墓であるはずがないのです。したがって、纏向遺跡が邪馬台国ではありません。
 ところが森浩一にとっては自分の研究テーマ(天皇陵への疑)にとって都合がよいので、「箸墓は断じて卑弥呼の墓でない。倭迹迹日百襲姫命の墓である」と否定しませんでした。これゆえ、箸墓は卑弥呼の墓となって、纏向遺跡が邪馬台国ではないかとなって発掘されることとなったのです。

 箸墓の被葬者の倭迹迹日百襲姫命は天照大神です。
 もしも、纏向遺跡の発掘によって“箸墓が卑弥呼の墓と思われる。纏向遺跡が邪馬台国であると思われる”となり、あるいは“箸墓は卑弥呼の墓である。纏向遺跡は邪馬台国である”となり事実とまったく異なることが学者たちによって主張されて――かつてそうであったように、吉野ヶ里遺跡を邪馬台国として約2千万人の見学者を集めたように――纏向遺跡・邪馬台国説の施設が建てられてウソ八百がまかり通ったならば、伊耶那美命・壱与・竹野比売が提唱し、伊耶那美命・載斯烏越・開化天皇が宣誓した日本建国の〔愛〕の理念は消滅することになります。
 したがって、森浩一と学者と学士たちの【誤読】から生まれたウソ八百にもとづいて始まった纏向遺跡の発掘は、日本人の魂と命の根元を抹殺することになりますので、天照大神が「日本国民を一日に千人ずつ殺さん」と誓った呪詛を、天照大神に代わって彼らがおこなうことになります。
 どうして森浩一たちが【誤読】でデッチあげた出鱈目(でたらめ)のために、日本人の魂と命の根元を奪われ、日本人としての尊厳を侮辱されなければないのでしょうか。
 彼らは日本人の疫病神にして、人類共通の敵です。

 『日本書紀』の崇神天皇紀に箸墓の被葬者の倭迹迹日百襲姫命が登場します。
 この『日本書紀』崇神天皇紀は「天皇の姑(おば)で、聡明で叡智があり、よく行く末のことを知っていた」と記述しますから、倭迹迹日百襲姫命は伊耶那岐命に離婚された天照大御神・伊迦賀色許売命であったことになります。
 つまり、[女]に[古]を組み合わさると[姑]という字になりますから、「古い女」の[姑]の字義は「祖母」であると考えられます。
 伊耶那岐命に離婚された天照大神・伊迦賀色許売命は、伊耶那岐命・開化天皇の父孝元天皇の妻でしたので、伊耶那岐命の継母でもあります。そうしますと、伊耶那岐命に離縁された天照大神・伊迦賀色許売命の戸籍は崇神天皇の祖父孝元天皇の妻ですので、彼女は崇神天皇の祖母(姑)となります。
 ですから、崇神天皇の姑(祖母)の倭迹迹日百襲姫命は天照大神であったことになります。

 『日本書紀』の崇神天皇6年の記事を注目しますと、「倭迹迹日百襲姫命・崇神天皇母子王朝」が「天照大神」であったことが明確にわかります。
  この記事は、下記のごとくです。
 「これより先に、天照大神倭大国魂(やまとのおおくにたま)の二神を、天皇の大殿(皇居)の中に並び祭られた。しかしながら、二神は、互いの神の勢いを畏(おそ)れて、合祀されることを不安に思った。そこで、天照大神には、豊鋤入姫命(とよすきいりびめのみこと)をお託(つ)けになって、倭(やまと)の笠縫邑(かさぬいむら)に祭られた。そして、磯堅城(しかたき)の神籬(ひもろき)〔神籬、これを比莽呂岐(ひもろき)という〕を立てた。また、日本大国魂神(にほんおおくにたまのかみ)には、渟名城入姫命(ぬなきのいりびめのみこと)をお託けになって、お祭りさせた。しかし、渟名城入姫命は、髪がぬけ落ち、身体が痩せ細って神(倭大国魂神・日本大国魂神)を祭ることができなかった。」

 『古事記』上巻においては英雄たちの尊称を[命]と表記しますが、大和の「天照大御神」と出雲の「大国主神」の二人の尊称は[神]と表記します。
 ゆえに、上記の「大国」の字を配する「倭大国魂神・日本大国魂神」は「出雲の大国主神」をあらわすことになります。
 天照大神が伊耶那岐命に離縁されたことを記述する『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問神話では、「小国・日本」を「葦原中国(あしはらのなかつくに)」と表記します。
 そして、『古事記』上巻は大国主神が治めた出雲も、小国・日本と同じく「葦原中国」と表記します。
 伊耶那岐命に離縁されたとき、天照大神は「汝の国、つまり小国・日本の人民を一日に千頭 絞り殺さむ」と誓いました。
 したがって、天照大御神は葦原中国・日本の建国理念の〔愛〕を尊ぶ人々を一日に千人ずつ殺すと誓ったことになります。
 天照大神が憎悪した〔愛〕の理念を提唱した伊耶那美命を、出雲王朝の大国主神は崇拝しました。ゆえに、大国主神は島根県松江市大庭(おおば)町に所在する神魂(かもす)神社を建て、伊耶那美命を祭りました。ですから、『古事記』上巻は〔小国・日本〕と〔出雲〕を「葦原中国」と表記したのです。
 しかし、大国主神が治めた出雲は国でありました。でも、大国主神が崇拝した伊耶那美命は小国・日本の女王でした。そして、大国主神が伊耶那美命を祭った神社名には[魂]が配されますので、崇神天皇は大国主神を「倭大国魂神・日本大国魂神」とあらわしたのです。
 離縁されたときに天照大神は“小国・日本の女王であった伊耶那美命を崇拝する人々、日本建国の〔愛〕の理念を尊ぶ人々を一日に千人ずつ殺す”と誓いましたから、伊耶那美命を崇拝する大国主神(倭大国魂神・日本大国魂神)を詛(のろ)い、渟名城入姫命に大国主神を祭らせ、渟名城入姫命に毒薬でもだまして飲ませたのでしょう、渟名城入姫命は髪が抜け落ち痩せ細って衰弱したのです。
 この大国主神への呪詛からして、「倭迹迹日百襲姫命・崇神天皇母子」の渾名(あだな)は「天照大神」であったと証明されます。

 『古事記』崇神天皇紀は「天皇は磯城(しき)の水垣宮(みずがきのみや)に居住して天下を治めた」と記述します。
 崇神天皇が住んだ宮殿名の「水垣宮」の[垣]と[籬]は同義で「垣根・かきね」です。
 ゆえに、『日本書紀』崇神天皇6年の記事に登場する「磯堅城の神籬」と『古事記』の崇神天皇の宮殿名「磯城の水垣宮」の両者の名称は相似することなります。
 崇神天皇は10代、11代は垂仁(すいにん)天皇、12代は景行(けいこう)天皇です。
 『古事記』景行天皇紀は「天皇は纏向に日代宮(ひしろのみや)に居住して、天下を治めた」と記述します。
 ゆえに、“邪馬台国! 発見‼”と騒いで決定打とされた纏向遺跡は、良識ある学者ならば“景行天皇の宮殿、発見!”と言って発掘しなければならなかったはずです。
 2009年1月31日の朝日新聞の夕刊が記載した、学者たちが示した「纏向遺跡の範囲内」の南側に箸墓が所在します。また「纏向遺跡の範囲」のすぐ北隣には景行天皇陵が所在します。景行天皇の北隣には、崇神天皇陵が所在します。
 景行天皇は、『古事記』上巻の天孫、すなわち天照大神の孫の日子番能邇邇芸命(ひこほのににぎのみこと)であると証明できます。
 これゆえ、纏向遺跡内の箸墓は崇神天皇の生母である天照大神・倭迹迹日百襲姫命の墓であり、最初から纏向遺跡は邪馬台国ではなかったのです。
 纏向遺跡・邪馬台国説は森浩一が【誤読】を駆使して論ずる天皇陵の疑念に手助けする学者と学士たちがデッチあげた、日本建国の〔愛〕の理念を抹殺し、日本人の魂と命の根元を凌辱し、日本人の尊厳を侮辱する詐欺だったのです。

 卑弥呼の後に男王が倭の大王となり、この男王の後を壱与・伊耶那美命・竹野比売が倭女王を継ぎ、伊耶那美命の後を天照大神・伊迦賀色許売命が倭女王となり、この天照大神・伊迦賀色許売命に代わって載斯烏越・伊耶那岐命・開化天皇が倭の大王となり、伊耶那岐命が没すると倭迹迹日百襲姫命・崇神天皇母子の天照大神が天下を掌握しました。
 だから、箸墓の被葬者は天照大神であって、絶対に卑弥呼ではありません。
 したがって、纏向遺跡・邪馬台国説は【誤読】にもとづく森浩一の天皇陵への疑念を手助けする真っ赤なウソだったのです。

 森浩一はじめ纏向遺跡・邪馬台国説学者たちが『魏志』倭人伝と『古事記』上巻を【誤読】した箇所の文字や語句を、わたくしは忠実に読解し、「歴史」の語源・本義にしたがって、【科学】という語の定義を優先して、『魏志』倭人伝の重大な記述と合致する『古事記』上巻の記述と、この両史書の記述を現在でも目で目撃できて真実であると確信できる、まったく疑う余地がない絶対的な証拠を見つけました。
 『魏志』倭人伝は❶「一海を渡る千余里末盧国に至る」と書いて一大国から末盧国の方角を記述していません、❷「女王国の東、海を渡ること千余里にして復(ま)た国有り。皆倭種なり」と書き、この倭国の国名だけを書いていません。
 この二つの秘密が『古事記』上巻の記述で解明できて、邪馬台国学説が【誤読】することになった原因の①「倭には文字があった」と言う説明は「倭には【銀河各部の形状】が【文字】となる原初漢字の夏音文字があった」、②「日本列島は東に伸びずに南に伸びる」という説明は「卑弥呼王朝は、日本列島は東へ伸びずに南に伸びるという地理を制定した。この東が90度転回して南となる転回日本列島地理は[倭]の字源となるものであるので、国名を“倭”と定めた」という、約1700年前の歴史の秘密が約1300年前に作られた『古事記』によって、現代のわれわれが絶対的な証拠で目で見て確認できます。ですから、このような証明は“絶対証明”というべきことになります。
 ですから、この絶対的な証拠によって森浩一の天皇陵の疑念や纏向遺跡・邪馬台国説をとなえる学者たちは【誤読】を正しい考え方であると思い込む、「歴史」の「レ」の字も知らない、歴史学の基礎知識をまったく有していない、【科学】とは何たるかをまったく知らない人物たちであったことが白日のもとに晒(さら)されます。

 この絶対的な証明と証拠の存在を解説する論文をまとめるために、1ヵ月あるいは2ヵ月くらいかかると思いますが、その間、この“邪馬台国学説は日本民族を虐殺する。しかも人類共通の敵である”のシリーズが少し間があくようになると思いますが、中止しませから時々閲覧していただきたいです。
 このブログで皆さまに会えるのは、わたくしは楽しみにしているからです。

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