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2012年3月25日 (日)

邪馬台国学説は日本民族を虐殺する。しかも人類共通の敵である・15

 2009年5月29日、朝日新聞は「国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)は全国の5千点を超す土器の付着物や年輪の年代を測定。その結果、箸墓の堀や堤からも出土し、箸墓が築造された時期の土器と考えられている“布留0式”が使われていた期間を240~260年に絞り込んだ」と報じた。この日のあさひテレビの報道ステーション(午後9時54分開始)は――箸墓がけずられた住宅地から出土した土器(布留0式)の表面についていた煤を放射性炭素年代測定して240~260年に算出した――と説明した。

 これによって、『日本書紀』崇神天皇紀の「倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)は箸墓に葬られた」という記述は無視され、箸墓は卑弥呼の墓と定められて、箸墓が所在する纏向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)は卑弥呼が居住した邪馬台国とする説の決定打となり、強引に再発掘が開始された。
 しかし、国立歴史民俗博物館が用いた「放射性炭素年代測定」という〔科学的手法〕こそが【科学】であると思い込むのは一大妄想である。
 というのも、【科学】と〔科学的手法〕は別種だからである。
 『日本書紀』崇神天皇紀の「倭迹迹日百襲姫命を箸墓に葬った」という記述は〔科学的手法〕によって【科学】が成立して事実であったと証明されると、国立歴史民俗博物館の〔科学的手法で測定した箸墓・卑弥呼陵説〕は【科学】に反する幻想・錯覚であったと断定される。

 【科学】と〔科学的手法〕は同義ではない。この事実は、箸墓・卑弥呼陵説が朝日新聞とあさひテレビで報道された丁度一週間後(6月4日)に報道された足利事件で証明された。
 1990年に栃木県足利市で当時4歳の女児がされた事件を「足利事件」という。
 栃木県警は、導入したばかりのDNA型鑑定で女児に付着していた体液と菅家利和受刑者の体液が一致したとして、菅家さんを殺人と死体遺棄の疑いで逮捕した。菅家さんは無罪を主張したが、彼の証言は無視され、2000年に最高裁で無期懲役判決が確定した。しかし、菅家さんの再審請求で、東京高検は2009年6月4日、以前のDNA型鑑定は再鑑定の結果誤っていたことが証明されたと表明したため、菅家さんは17年ぶりに釈放された。
 菅家さんが犯人と断定された最大の根拠はDNA型鑑定であり、このDNA型鑑定を菅家さんの無罪を主張する証言よりも優先・重視して栃木県警は捜査を進めた。これゆえ、このような真実と異なる冤罪事件がおこった。
 箸墓を卑弥呼陵であるとする最大の根拠は放射性炭素年代測定であり、この意見は『日本書紀』崇神天皇紀の「倭迹迹日百襲姫命を箸墓に葬った」という記述(証言)を無視する。そして、『古事記』景行天皇紀は「天皇は纏向の日代宮(ひしろのみや)に居住して天下を治めた」と書く。だから、纏向遺跡は真っ先に景行天皇の居住跡と考えるべきで、邪馬台国の決定打であるはずがない。なぜならば、地図で見れば纏向遺跡の範囲を示す境界線の直ぐ近くの外に景行天皇陵が所在するからである。素人目にも、纏向遺跡は纏向の日代宮ではないかと思えるほどの近くに景行天皇陵が存在する。

 菅家さんが釈放された日から22日後の2009年6月26日の朝日新聞のメディア衆論「科学報道を科学的に検証する」という記事は足利事件に対する栃木県警と最高裁と新聞報道の在り方を反省して「足利事件は〔科学的手法(DNA型鑑定)〕と【科学】とを同一視した思い込みによって成立するものであった」と総括した。
 この朝日新聞の総括が示すように、【科学】と〔科学的手法〕は別なるものである。
 だから、箸墓は卑弥呼の墓ではなく、倭迹迹日百襲姫命の墓である。
 したがって、箸墓を卑弥呼の墓と決めつけて纏向遺跡を邪馬台国であるとする意見は強引にこじつけた暴論であって、栃木県警の足利事件の冤罪事件よりもはるかに悪質で下劣なデタラメである。

 2回前の〔13〕で明らかにしたように、『魏志倭人伝』の247年の記事に登場する「載斯烏越(そしあお)」の[載]の字源について、白川静著『字統』は「載はおそらく兵車を祓う儀礼で、これによって軍行が開始されるのであろう」と解説する。この字源解説に登場する「開始」の[開]は、第9代の天皇名「開化」の[開]と一致する。
 『古事記』開化天皇紀は「天皇は春日の伊耶河宮(いざかわのみや)に居住して天下を治めた。この天皇が丹波出身の竹野比売(たかのひめ)と結婚された。また継母の伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)と結婚されてお生まれになった御子は崇神(すじん)天皇である」と記述する。
 開化天皇が居住した「伊耶河宮」の先頭2字の「伊耶」は「伊耶那岐命」の先頭2字の「伊耶」に合致する。だから、「開化天皇」は「伊耶那岐命」であったことになる。
 前述したように、[載]の字源からして『魏志倭人伝』に登場する「載斯烏越」は「開化天皇」であったことになる。
 開化天皇の子である崇神天皇の〔姑(おば)〕は箸墓に葬られた倭迹迹日百襲姫命である。そして、放射性炭素年代測定によって、箸墓古墳は240~260年ころに築造されたと算出された。
 『魏志倭人伝』に記述されるように、崇神天皇の父の開化天皇・載斯烏越・伊耶那岐命は247年に生存していたゆえ、その子の崇神天皇の姑が倭迹迹日百襲姫命であり、この倭迹迹日百襲姫命が箸墓の被葬者であるので、崇神天皇は箸墓の放射性年代測定によって240~260年ころに生存していたことになる。
 『魏志倭人伝』の正始4年、すなわち243年の記事に「倭王」が登場する。この「倭王」は「卑弥呼が没した後を継ぐ倭の最高位の男王」と考えるべきことになる。というのも、『魏志倭人伝』は載斯烏越・伊耶那岐命・開化天皇が登場する247年の記事の後ろで「卑弥呼はすでに死んだ。大きな墓を作った。円墳部の直径は百余歩(約150m)。百余人の奴婢(ぬひ)を殺して卑弥呼の墓に埋葬する徇葬(じゅんそう)を行った。この時、卑弥呼の後に男王を立てたが、国中の人民が徇葬を憎悪して武器を持って政府軍と戦い殺しあった。政府軍は千余人の反乱者を殺した」と記載するからである。この記事の文中にある「男王を立てし」の「男王」は「卑弥呼の後を受け継ぐ、正始4年・243年の倭王」であったことになる。
 ゆえに、卑弥呼は243年より以前に生存したことになる。
 しかし、倭迹迹日百襲姫命もまた240~260年に生存していた。
 だから、『日本書紀』崇神天皇紀の「倭迹迹日百襲姫命を箸墓に葬った」という記述は、国立歴史民俗博物館がおこなった放射性炭素年代測定に合致する。

 足利事件が証明したように、菅家さんの証言を無視したから真実に反する冤罪事件がおきた。菅家さんの証言にもとづく捜査をおこなっていたならば、冤罪事件はおこらなかった。
 箸墓がけずられた住宅地から出土した土器についていた煤を放射性炭素年代測定して算出された240~260年という年数は、243年以前に生存した卑弥呼には確かに合致する。しかし、卑弥呼イコール倭迹迹日百襲姫命と証明しないかぎり、箸墓は卑弥呼の墓にはならない。
 足利事件に示すように、菅家さんの証言と東京高検の以前のDNA型鑑定は再鑑定の結果誤っていたという事実によって、菅家さんは無罪であることが証明された。放射性炭素年代測定の240~260年という算出年数は、『日本書紀』崇神天皇紀の「倭迹迹日百襲姫命を箸墓に葬った」という証言(記述)に合致する。だから、箸墓は倭迹迹日百襲姫命の墓であって、卑弥呼の墓ではない。

 上記した『古事記』開化天皇紀に登場する「伊耶河宮」の先頭2字は「伊耶那美命」の先頭2字の「伊耶」に合致する。そうすると、開化天皇の正妃「竹野比売」が「伊耶那美命」ということになる。『魏志倭人伝』の載斯烏越・伊耶那岐命が記載される直後に、倭王・男王の後に倭女王となる壱与が登場する。この倭女王「壱与」が「伊耶那美命・竹野比売」と考えるべきことになる。あるいは、「壱与」は「崇神天皇の生母の伊迦賀色許売命」であったと考えるべきことになる。
 『古事記』上巻に「伊耶那美命・壱与」が登場し没した数10年後に、伊耶那岐命・開化天皇の息子は崇神天皇が生存し、崇神天皇の姑の倭迹迹日百襲姫命は箸墓に葬られた。

 卑弥呼の後を男王が継いで、この男王の後に壱与が継ぎ、この壱与ではなかったかもしれないが、しかし壱与と思われる可能性がある伊迦賀色許売命が生んだ子が崇神天皇である。この崇神天皇の姑が倭迹迹日百襲姫命である。
 卑弥呼は男王の前に死去している。だから、卑弥呼の後に倭女王となった壱与である竹野比売や伊迦賀色許売命を飛び越えて、一気に卑弥呼=倭迹迹日百襲姫命となるはずがない。
 だから、箸墓は卑弥呼の墓ではないと断定できる。
 このように、国立歴史民俗博物館の放射性炭素年代測定は、『日本書紀』崇神天皇紀の「倭迹迹日百襲姫命を箸墓に葬った」という証言(記述)が“事実であった”と証明できる【科学】が成立する方法となる。

 なお、2回前の〔13〕で解説したように、開化天皇の正妃・丹波出身の竹野比売が伊耶那美命であり、開化天皇の継母にして第二后の伊迦賀色許売命が、『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉(よみの)国訪問説話に登場する「黄泉国の伊耶那美命」である。
 

 『古事記』編纂スタッフは「黄泉国の伊耶那美命」、言い換えると「天照大御神」が多数の奴婢を殺す徇葬=八(やくさ)の雷神(いかづちのかみ)の儀式を決行した歴史を後世に伝えるために、「天照大御神」を「黄泉国の伊耶那美命」と記す反実仮装の方法(事実と異なる名前を用いて歴史の真実を伝える表現方法)を用いた。
 『古事記』上巻に「皇室が“絶対に聖性を汚してはならない”と厳しく禁ずる皇祖の天照大御神は徇葬を決行した」と証言する歴史を記述するには、徇葬を陣頭指揮した倭女王の名を「天照大御神」と記載したならば、『古事記』は反逆の史書となり正史にはならない。
 そこで、編纂スタッフは「伊耶那美命の墓」を築造した「熊野本宮大社の旧社地の大斎原
(おおゆのはら)」を「黄泉国」と表現した。また、「天照大御神」は〔伊耶那美命の後を継ぐ倭女王〕にして〔伊耶那美命の墓の築造に陣頭指揮した人物〕であるので「黄泉国の伊耶那美命」と表記した。
 このような反実仮装の方法ならば、『古事記』編纂の完成を命じた元明天皇は「伊耶那美命が徇葬を決行した」と事実と異なる歴史を後世に伝える記述であると満足して、『古事記』の献呈を許可して正史にするであろうと、編纂スタッフは期待した。
 しかし、このような反実仮装の方法でも後世の学者たちは「黄泉国の伊耶那美命」を「伊耶那美命の墓の築造を陣頭指揮した天照大御神」と解釈するにちがいないと判断した元明天皇は『古事記』献呈を拒否して抹殺をはかった。この事実は『古事記』の記述通りに熊野路を歩けば直ぐに察知できる。また、『古事記』が完成した712年当時においては、伊耶那美命を敬愛するをあらわす地名や伊耶那美命を敬愛する古老たちが天照大御神が徇葬を決行したと伝承するものであったから、元明天皇は『古事記』編纂スタッフの反実仮装の表現を怒って認めず抹殺をはかった。
 
このように、『古事記』は元明天皇の怒りをかった反逆の史書であったために、正史『続日本紀(しょくにほんぎ)』には〔元明天皇の『古事記』の完成の命令〕と〔『古事記』の完成〕の記事は削除されて存在しない。本来ならば、現代まで残って消滅しなかった日本民族の魂と心の根元を伝える名著『古事記』は元明天皇における最も偉大な業績となったゆえ、『続日本紀』に〔元明天皇の『古事記』完成の命令〕と〔『古事記』の完成〕の記事は削除されるはずがなかったことになる。
 この点に注目すれば、『古事記』は「皇祖天照大御神が徇葬を決行した」と、歴史の真実を後世に伝える反逆の史書であったことが簡単にわかる。
 

 皇室が崇拝する皇祖の「天照大御神」は伊耶那美命の墓を作ったときに残虐な徇葬を決行した「黄泉国の伊耶那美命」であった。
 この「天照大御神」は開化天皇の継母の「伊迦賀色許売命」であった。
 『日本書紀』崇神天皇紀の「倭迹迹日百襲姫命は天皇の〔姑〕である」という記述の「姑」は[姑]は[女]に[古]を加えた字であるので「古い女」つまり「祖母」を意味した。
 『古事記』の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話末部は「天照大御神・伊迦賀色許売命は伊耶那岐命に離縁された」と記述するので、開化天皇の継母の天照大御神・伊迦賀色許売命の戸籍は崇神天皇の祖父孝元天皇(開化天皇の父)となる。
 したがって、天照大御神・伊迦賀色許売命は崇神天皇の祖母(姑)となるので、伊耶那岐命に離縁された天照大御神・伊迦賀色許売命は倭迹迹日百襲姫命であったことになる。
 だから、箸墓は天照大御神の墓であったと確信でき、卑弥呼の墓ではないと断定できる。

 なお、箸墓の円墳部の直径は『魏志倭人伝』の「卑弥呼の墓の円墳部の直径は百余歩(約150m)」という記述に合致することで、卑弥呼の墓と指摘されることになった。
 しかし、出雲大社の境内は前方後円墳の前方墳の形に相似し、境内とつながる裏山は円墳部の形となり、その直径も『魏志倭人伝』の記述通りの「百余歩」となる。わたくしは財団法人の日本地図センターが撮影した出雲大社の航空写真を取り寄せた。また、出雲大社を訪れて確かめると、まさに裏山は円墳部の形に合致する円丘であり、地図で調べると直径が百余歩あろう円丘であった。ゆえに、出雲大社の裏山と境内はつながっているので、破壊された前方後円墳ということになる。
 『魏志倭人伝』は「卑弥呼の墓を作った時の徇葬によって、人民が徇葬を憎悪して武器をもって反乱をおこして政府軍と殺しあった」と記述する。だから、卑弥呼の墓は破壊された可能性大となる。出雲大社の境内は前方墳の破壊された平らな地となる。だから、出雲大社の境内と裏山こそが卑弥呼の墓であったと考えるべきことになる。
 『魏志倭人伝』は「日本列島は東に伸びずに南に伸びる」と書く。
 卑弥呼王朝は、日本列島は東に伸びずに南に伸びると論証した転回日本列島地理を制定したのである。
 この転回日本列島地理の証拠ならば、幾つもある。その代表的な史跡は❶卑弥呼の同時代に作られた静岡県浜松市北区細江町の行政区域の地図の形となる、1千万坪の大鳥の地上絵。❷17世紀前半に家康の命令で作られた彦根市の行政区域の地図の形となる、「夏音は習わず」とデザインする3千万坪の大鳥の地上絵。❸17世紀に作られた桂離宮の庭園の平面図。❹702年に派遣された日本の遣唐使が説明した小国・日本の様子を記載する『旧唐書』倭国日本伝にある転回日本列島地理の方位規定に合致する転回方位記事など、いくらでも存在する。

 『魏志倭人伝』に文献批判=誤読をいっさい加えないで忠実に読めば、卑弥呼が居住した邪馬壱(やまい)国は山陰出雲地方(石見・出雲・伯耆)となる。この転回日本列島地理に則る邪馬壱国・山陰出雲地方説は『魏志倭人伝』の記事に対して一点の矛盾点も不合理な点も存在せずに【科学】が成立する。
 しかし、現在の日本列島地理に則る邪馬台国・大和説は『魏志倭人伝』の方位記事に対して幾つかの矛盾点と幾つかの不合理な点を有してまったく【科学】が成立しない。

 以上のように、箸墓・卑弥呼陵説と纏向遺跡・邪馬台国説は①『魏志倭人伝』の全体的に【科学】が成立する全記事に対して【誤読】を駆使してデッチあげた妄想であり、②『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話と『日本書紀』崇神天皇紀の記述を無視してデッチあげた詐欺であり、③国立歴史民俗博物館の放射性炭素年代測定が算出した年数に則ると早合点のウソ八百ということになり、④足利事件に則ると栃木県警の冤罪と同じく完全なる捏造(ねつぞう)であり、⑤朝日新聞のメディア衆論「科学報道を科学的に検証する」の総括に則ると〔科学的手法〕と【科学】とを同一視した思い込みによって成立したあまりにも下劣きわまりない馬鹿げたデタラメであるということになる。

 問題なのは、箸墓に葬られた倭迹迹日百襲姫命は天照大御神であり、②『古事記』の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話において、天照大御神は「一日に千人ずつの日本人の首を絞め殺す」と誓った呪いの歴史が、【誤読】でデッチあげた学者や学士たちの箸墓・卑弥呼陵説の詐欺によって闇に葬られてしまうことである。
 彼らが【誤読】による錯覚だったと気がついても、絶対に国民にほんとうのことを言うはずがない。
 
 日本の良民を愚民あつかいして、学者たちは――自分たちが犯した【誤読】の失敗を馬鹿な愚民が気づくはずがない、たとえ気づいても愚民の分際で学者をウソ呼ばわりするなんて百年早い、学者だって間違いはする、天照大御神が「一日に千人ずつの日本人の首を絞め殺する」と呪った誓いは過去の出来事であるゆえ現実におこるはずがない、この【誤読】のミスが日本人の尊厳を害することもたとえあったとしても大したことではないから愚民たちがツベコベとわめくではない! 愚民は愚民らしく黙っていればよい、そうすればすべてが塩梅(あんばい)よく片付く――と保身するにちがいない。
 福島原発事故の東京電力や通産省の高級役人たちの厚顔無恥と保身の様子から考えれば、きっと学者たちも同じ態度をとるにちがいない。

 箸墓・卑弥呼陵説と纏向遺跡・邪馬台国説を主張した学者や学氏たちは【誤読】という致命的な下劣きわまりない失敗で「一日に千人ずつ、日本人の首を絞め殺す」という歴史をうやむやにして責任をとらないならば、本来ならば、日本の愚民たちに彼らは“最低人間! クソ野郎”と中傷されても一言も反駁できないデキソコナイたちなのである。

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