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2012年4月24日 (火)

邪馬台国学説は日本民族を虐殺する。しかも人類共通の敵である・21

 すべての邪馬台国説は“文献批判”を立論基盤とする。
 いいかえると、約2000字で構成される『魏志倭人伝』の記事を忠実に読解しない。
 しかし、『魏志倭人伝』はその全文を忠実に読解すると歴史の真実を知ることができる仕組みになっている。
 『魏志倭人伝』は全文を“文献批判”をいっさい必用としない史料として存在する。
 だから、“文献批判”は100パーセント正真正銘の【誤読】である。
 学者たちが『魏志倭人伝』に加える“文献批判”は、まさに“自国民を虐殺する狂気”以外のなにものでもない。
 彼らは【誤読】でわれら日本国民を虐殺する狂人たちである。
 というのも、『魏志倭人伝』末部にある、下記の記事に登場する「倭女王・壱与(いよ)」は『古事記』上巻に記載される「伊耶那美命」であり、彼女は倭女王に就任する前に小国・日本の女王であった。伊耶那美命は小国・日本が起源する時に国作りの柱を〔愛〕と定めた。この伊耶那美命が日本建国の〔愛〕の理念を提唱した歴史は、現在において科学的に完全証明することができる。
 その問題の『魏志倭人伝』の記述は、下記のごとくである。

「卑弥呼すでに死ぬ。大きな墓を作る。円墳部の直径は百余歩。奴婢(ぬひ)を百余人イケニエにする徇葬(じゅんそう)儀式をおこなった。卑弥呼の後に男王を倭国の最高位の大王に立てたが、国中の人民は残虐な徇葬を憎悪して服従せず反乱をおこし、政府軍と武器をもって戦った。この反乱において、倭王朝は千余人の反乱者たちを殺した。また、倭王朝は卑弥呼の宗女で13歳で(小国・日本の)女王になった壱与を倭女王に選ぶと、反乱は鎮圧されて国中が遂に定まった。」

 壱与・伊耶那美命は倭女王に就任する以前の13歳の時に卑弥呼の宗女(卑弥呼が率いる巫女界の代表)となって小国・日本の女王に赴任した。彼女は小国・日本で国作りの目標として〔愛〕を掲げて治めた。この愛の女王伊耶那美命が倭女王壱与に就任したので、反乱者たちは彼女は必ずや残忍な徇葬儀式を禁止するにちがいないと信じて、武器を捨てた。ゆえに、壱与・伊耶那美命の倭女王の就任によって反乱は鎮圧された。
 この歴史を完全証明するには、『魏志倭人伝』に記述される「倭には文字があった」という、この【文字】の秘密を解明しなければならない。
 邪馬台国説学者たちは、『魏志倭人伝』の大半の記事が「倭に文字があった」と語る証言を信用しないで【誤読】を加えるが、壱与・伊耶那美命を崇拝する先人たちは日本建国の〔愛〕の理念の歴史を消滅しようとするのは日本国民を虐殺する失政であり、この日本国を滅亡させる失政であると抵抗して、3世紀半ば以後1738年まで約1490年間、天照大御神を至上神と崇拝する皇室と戦った。
 壱与・伊耶那美命が〔愛〕の理念を提唱した歴史は、『魏志倭人伝』に書かれている「倭には文字があった」という、この漢字を先人たちは1738年まで保存して、後人のわれわれに残した。
 だから、『魏志倭人伝』に“文献批判”という名の【誤読】を加える学者たちの意見は、まさに自国民を虐殺する狂気であり、まさに自国を滅亡させる狂気となる。

 この後世に日本建国の〔愛〕の理念を伝えるために必用不可欠であった『魏志倭人伝』が証言する【倭にあった文字】は、世界の古代文字の起源が科学的に解明できる現在まで残った極めて重大な文字である。
 したがって、『魏志倭人伝』を忠実に読解しないで【誤読】を加える学者たちは人類共通の敵でもある。
 アンドルー・ロビンソン著╱片山陽子訳『文字の起源と歴史』(創元社)の〔はじめに〕の冒頭は「文字は人類の歴史上、最も偉大な発明品である。文字がなければ歴史もなかったことを考えると最大の発明といえるかもしれない。」と書く。
 この人類の歴史上、最も偉大な発明品である世界中の古代文字の起源の秘密は、『魏志倭人伝』が「倭には文字があった」と証言する、1738年まで先人たちが保存したこの原初漢字によって科学的に具体的に解明できる。
 だから、“文献批判”という妄想・空理を加える邪馬台国説学者たちは、人類の歴史上の最も偉大な発明品である古代文字の起源の秘密を科学的に完全証明できる、絶対に消滅してはならない極めて重大な歴史を【誤読】という最も愚かな方法で抹殺する人類共通の敵である。

 日本人の虐殺の先頭に立つ学者の一人が、考古学者の森浩一・同志社大学名誉教授である。森浩一は「仁徳天皇陵」を「大山古墳」という地名を冠するものにしたため、現在はこのデタラメが定着して教科書に記載されることになった。森浩一は、「仁徳」という漢風諡号(かんぷうしごう)は古墳時代にはなかった、奈良時代に創られた名称であるから「仁徳天皇陵」という名称はウソであるというデララメをデッチあげた。
 しかし、古墳時代以前の卑弥呼時代(2世紀末から3世紀半ばまで)のわが国の様子を記述する『魏志倭人伝』は「わが国には令亀(れいき)の法のごとき卜辞があった」と証言する。この「令亀の法のごとき卜辞」は「中国の殷代(いんだい)の亀の甲羅に刻む甲骨文字のごとき卜辞」と意味するものであるから、卑弥呼時代には甲骨文字のような文字があったことになる。 
 この文字は殷代より以前の夏代(かだい)初頭、すなわち今から約4000年前の夏代初頭(後期縄文時代初頭)に中国から日本列島に伝来した夏音(かおん)文字であった。

 今から約4000年前の夏代初頭に相当する縄文史跡である、秋田県鹿角市に所在する国の特別史跡の大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)の万座遺跡と野中堂遺跡には夏音文字が伝来した痕跡が明確に残る。
 『日本書紀』神武天皇紀の冒頭に天祖降臨説話がある――夏の始祖の帝禹(う)の後を継いだ帝益(えき)の孫の王子と益氏の若者たちが日本列島に移住した。ゆえに、「天祖」は「帝益の孫の王子」であった。
 『古事記』上巻の天孫・邇邇芸命(ににぎのみこと)説話にも――司馬遷『史記』夏本紀に記載される〔帝益が箕山(きざん)の南に隠棲(いんせい)した歴史〕を演出して、天照大神の孫の邇邇芸命が率いる大和の遠征軍は北九州の宗像(むなかた)王朝を征服した――と記述する証言がある。この天孫の宗像王朝征服によって、宗像大社の壮大な辺津宮(へつみや)の宮殿が創建された。
 だから、宗像大社の辺津宮の千木(ちぎ)がそびえ立つ壮大な宮殿は、名門益氏の王子と若者たちが大海を越えて日本列島に移住して夏音文字の学芸を根付かせた歴史は事実であったと伝えるものとなる。

 益氏の王子(天祖)と若者たちは、夏の始祖・帝禹の遺志である国家を樹立せず氏族共同体制の王政を新天地・日本列島に植えつけるために移住した。
 禹の息子の啓(けい)は国家を樹立する世襲王朝体制を望んだ。そこで、禹は帝位を補佐役の益にあたえたが、諸侯は五帝時代以来の氏族共同体制の継続を望まず、世襲王朝国家体制の創設を主張する啓のもとに入朝した。それゆえ、帝益は先帝の禹の氏族共同体制を後世まで継続せよという遺志は中国ではもはや望めないことを知って、3年の禹の喪が終わると天下を啓にゆずって箕山の南の地に隠棲して、禹の遺志を新天地・日本列島で存続させる決意をした。
 しかし、帝益は老いていたので、中国大陸と日本列島の間を遠く隔てる大海を渡ることができる体力を失っていた。この大海を小舟を幾日も漕いで渡るには、強力な腕力とたくましい肉体を有する屈強な若者たちでなければ達成できなかった。ゆえに、日本列島に夏音文字の学芸を根付かせて禹の遺志・氏族共同体制を継続させる事業は、益氏の若者たちによって決行された。
 益氏の若者たちは荒波逆巻く大海を越えた。ゆえに、この歴史は「益荒男(ますらお)」という語源となった。「益荒男」は今日「弱音などをはかない、りっぱな男性」と意味する。
 「ますらお」は「大丈夫」とも表記する。益氏の若者たちは[大][丈][夫]の字源となる天頂にめぐってくる銀河部を羅針盤にして緯度(東西)と子午線(南北)を測定して大海を渡った。
 これゆえ、“[大][丈][夫]の字源となる銀河部を羅針盤にすれば大海原でも精密に位置と方角を測定できるので命を失うことはない。心配ご無用である”ということで、「大丈夫」という日本語は今日「心配ご無用」と意味することになった。
 この「大丈夫」という日本語は、益荒男たちが日本列島にひろめた【夏音文字】が【銀河各部の形状】であった証拠となる。
 なお、「卑弥呼」の[卑]の字源は「益なり」である。つまり、[卑]と「益氏」の[益]は同義ともいうべき文字であった。

 今から約5000年前の五帝時代初頭の黄帝につかえた記録官の倉頡(そうきつ)は、【銀河各部の形状】を万物の情(イメージ)に類似するようにデザインすれば多数の【文字】が作成できる原理〔鳥獣の足跡〕を発明した。
 この漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕の発明は強大の権力と莫大な富と最高の知性と名誉を手に入れることができるので最も堅固な王朝基盤となるが、反体制側が習得して革命に利用すれば王朝滅亡の強力な武器になることに倉頡は気がついた。
 そこで王朝が文字の学芸を独占管理して厳重な機密とするために、倉頡は〔書いた文字が用済みとなったら、直ぐに消せない者は直ちに死刑にする〕という厳しい刑罰を定め、また文字の学芸を習得されにくくするために【文字】となる【銀河各部】には名称を付けなかった。
 このような倉頡に関する歴史は、中国では不明となった。しかし、夏音文字の学芸の秘密を1738年まで保存したわが国の幾つかの史跡と遺跡と史料と遺物は倉頡に関する歴史をも保存するものであるので、倉頡に関する歴史が明確に科学的に解明することができる。

 倉頡以来、中国では銀河各部の名称はつけられなくないことになった。
 というのも、王朝が滅亡しない重大な政策として【銀河各部の形状】が【文字】であることを反体制側に容易に察知できないようにするために、【銀河各部】に名称をつけない方法が必要とされたからである。
 五帝時代の次の夏王朝も、次の殷王朝も、周王朝も、秦王朝も、漢王朝も、楷書が完成した隋王朝も、〔漢字は銀河から作られた学芸〕、言い換えると【銀河各部の形状】が【文字】である秘密をまもるために【銀河各部】には名をつけなかった。
 【銀河各部】に名称をつけなかったのは、歴代王朝が【銀河各部の形状】から作られた【文字】を最も強力な王朝基盤であると認識していたからにほかならない。
 ある大会社の存亡を決めることになる特許はその会社における最も重大な機密であり、その機密は独占管理して最も厳重にする。
 この大特許以上の機密が、中国古代王朝における〔漢字は銀河から作られた学芸の秘密〕であったのである。

 倉頡は〔書いた後に、用済みになった文字を消さなかった人物を直ちに死刑にする〕と決めた。ゆえに、当然、〔【銀河各部の形状】が【文字】であることを明らかにした者も直ちに死刑にする〕と定められた。
 このため、中国において五帝時代・夏代・殷代前半期の文字の出土史料は、現在において多分20種(20字)以下であると思う。
 だから、わが国に伝来した【夏音文字】は「大丈夫」の語で証明したように【銀河各部の形状】であった。
 わが国の【夏音文字】は倉頡が定めた刑罰を厳重にまもったために、『魏志倭人伝』が「倭の卜辞は令亀の法のごとし」と証言する文字は、現在にいたってもいまだ1例も発掘されていない。

 わが国の【夏音文字】は倉頡の掟を厳重にまもる【銀河各部の形状】であった。
 わが国においても、中国同様に、天下を治めた歴代天皇と王朝はじめ鎌倉時代から江戸時代までの歴代将軍と幕府は【銀河各部の形状】が【文字】であることを明らかにした者は直ちに死刑にすると定められた。
 日光東照宮を建造するとき、当時の有名な大工、名工、芸術家たちが集められた。これら芸術家たちには【銀河各部の形状】は【文字】であることは芸術の専門分野となるので、幾人かの芸術家たちは知っていた。また、知らない芸術家たちも日光東照宮は【銀河各部の形状】が【文字】である夏音文字の学芸もとづいて建造されるものであったので、おのずと洩れてくるひそひそ話が耳に入るので【銀河各部の形状】が【文字】であることが容易に察知できた。
 当時の名工・左甚五郎は、日光東照宮が【銀河各部の形状】が【文字】である学芸を復興して建造される秘密に気づき、彼は〔【銀河】から【文字】が作られた秘密を暴露する者は死刑になること〕を題材にして「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿彫刻を作った。
 この「見ざる・聞かざる・言わざる」の三匹の猿のポーズは「銀河を見ると漢字の字源・字形・本義が観えるようですが、私はそのような学芸の秘密は命が惜しいので絶対に観ません。この日光東照宮の建造にたずさわる人々は密(ひそ)かに漢字は銀河から作られたと噂(うわさ)をしているようですが、私はそのような話には耳をかたむけません。また、そのような秘密は命に誓って私は口を固く閉ざして一言も言いません。」と表現するものであったのである。

 『魏志倭人伝』には「古(いにしえ)より以来、倭の使者は中国の地に到着すると皆みずから“大夫”と称す」という記述がある。
 この倭の使者が皆みずから称した「大夫」は万葉仮名では「益荒男」・「大丈夫」と同じく「ますらお」と読む。
 つまり、倭の使者たちは皆「益氏の王子と同じく、天頂点と重なる銀河部位を羅針盤にして精密に緯度と子午線を測定して大海を渡った」と述べていたのである。
 いいかえると、卑弥呼時代のわが国の【文字】は夏音文字であったので、【文字】は基本的に【銀河各部の形状】であった。
 『魏志倭人伝』は「魏の都・帯方郡・諸韓国から送られてくる文書と倭の卑弥呼が書く文書の文字は差錯(ささく・相違)していたので、倭の伊都(いと)の港で点検し、確認して女王卑弥呼のもとに届いたとき間違いのないようにしていた」と証言する。
 卑弥呼が用いる文字は紀元前21世紀の夏音文字であり、魏・帯方郡・諸韓国の漢字は3世紀の楷書(“真書”と呼ばれる隷書に近い楷書)であった。だから、卑弥呼の文書と魏都・帯方郡・諸韓国の文字は差錯した。
 しかし、倭の伊都国において、卑弥呼の【夏音文字】と魏・帯方郡・諸韓国の文字との間で間違いが起こらないようにすることができた。
 だから、森浩一の古墳時代には漢風諡号が無かったから「仁徳」は創られた名であるという根拠・理由はまったく成立しない。
 古墳時代以前の3世紀において、楷書と夏音文字は間違いのないように正すことができた。だから、古墳時代以前の3世紀に倭には楷書知識が存在したので、森浩一が主張するように「仁徳」を創られた名という指摘は成立しない。
 天皇の本名の「大雀命(おおきざきのみこと)」の[大雀]の字源となる【銀河の形状】にもとづくと「仁徳」となる。この秘密は、この〔邪馬台国学説は日本民族を虐殺する。しかも人類共通の敵である〕シリーズの5回前の〔16〕の後半部で立証した。
 森浩一の天皇陵を地名に変える説は理由・根拠はまったく成立しない、完全なる空理空論でウソ八百の詐欺(さぎ)である。

 古代、世界各地で星座が形成され、その星座に名称が付けられた。
 この星座の形よりもはるかに明確な銀河各部の名称は、世界中いくら探しても存在しない。
 この秘密は、漢字を作った中国に限ったことでなかったからである。
 古代エジプトでも古代中東でも古代ヨーロッパでも古代インドでも古代マヤでも古代イースター島でも、【銀河各部の形状】が【文字】となった。
 だから、【銀河各部】の名称は作られなかった。
 世界中のすべての古代王国において、【銀河各部の形状】から作った【文字】は強大な権力と莫大な富と最高の知性と名誉を手に入れることができる方法であった。
 ゆえに、倉頡が定めたように銀河各部に名称をつけないようにして古代の王と王朝は革命に利用されるのを厳重に警戒した。
 ゆえに、世界中一様に【文字】となった【銀河各部】に名前がつけられないことになった。
 この結果、現在にいたっても【銀河各部】の名称は存在しない。
 中国と日本に限らず、【文字】が【銀河各部の形状】である学芸を習得した革命者が天下を掌握すると、この革命者と新設の王朝体制も【文字】が【銀河各部の形状】であることを厳重な機密にして独占管理した。
 この結果、世界中探しても銀河各部の名称が存在しないことになった。
 世界中の文字は、左に表示した前年7月、幻冬舎ルネッサンスから出版された拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』の資料Bに示した【銀河各部の形状】から作られた。

 米国のジョン・ダーネル博士によって1997年に報告されたエジプト南部のワディ・エル・ホルの大きな岩のかたまりに刻まれていた二つの碑文は、紀元前20世紀ごろに書かれた世界最古のABCアルファベットとされることとなった。
 この「ワディ・エル・ホル文字」は拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』の資料Bの【銀河各部】から作られた。
 この証明を、私はインターネットのブログで公開した。したがって、「ワディ・エル・ホル文字」と入力すれば、ワディ・エル・ホル文字が夏音文字はじめすべての漢字が作られた資料Bの【銀河各部の形状】から作られたことを知ることができる。
 また、私はインターネットのブログで〔枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は“世界の文字は銀河から作られた”と証言する〕シリーズの〔14回〕から〔35回〕までで、古代エジプト文字のヒエログリフも資料Bの【銀河各部の形状】から作られた証明を公開した。

 「銀河」は「銀漢」とも称するので、「銀漢から作られた字」の略して「漢字」と呼ばれることになったのである。
 銀漢から多数の文字が作られたので、「天に多数の文字ありき」となった。この「天に多数の文字がある」ことになったので、「銀河が輝く天」は「天文」と呼ばれることになった。
 古代エジプト文字はギリシャ語で「聖なる神の言葉を刻む文字」と意味する「ヒエログリフ」と呼ばれることになった。
 古代エジプト王朝では古代エジプト文字を「メドゥ・ネチェル」つまり「神の言葉」と呼んだ。
 古代エジプト文字も漢字も、まったく同じ【銀河各部の形状】から【文字】を作った。
 ゆえに、〔漢字〕は“メドゥ・ネチェル(神の言葉)”と称してもよく、“ヒエログリフ”と呼称できることになる。
 したがって、〔メドゥ・ネチェル〕または〔ヒエログリフ〕は“漢字”または“天文”と呼んでもよいことになる。
 わが国に伝来した〔夏音文字〕は〔メドゥ・ネチェル〕であり〔ヒエログリフ〕であった。つまり、〔夏音文字〕は〔神の言葉〕であり、この〔神の言葉〕は【銀河各部の形状】であった。

 インターネットのブログで公開して証明したように、【字形】と【銀河各部の形状】との類似・相似性による合理の成立によって、メドゥ・ネチェル、ワディ・エル・ホル文字、中国の甲骨文字、金文、篆文、隷書、楷書の区別なく、どの【銀河部】がどの【字】の字源・字形・字義となるのかが矛盾点や不合理な点もなく合理的に論証することはできる。
 だから、夏音文字の発掘史料が存在しなくても、『魏志倭人伝』はじめ『古事記』上巻に記載された夏音文字や学者たちが“上代特殊仮名”と呼ぶ、楷書で表記される夏音文字は確かにわが国に約4000年前に伝来し、『魏志倭人伝』が「倭に文字があった」と語る証言は真実であったことになる。
 資料Bの【銀河各部の形状】によって古代エジプト文字つまりメドゥ・ネチェルとワディ・エル・ホル文字の字形・字義から字源が矛盾・不合理な点もなく合理的に論理的に解明することができる。
 ということは、【すべての文字】は【銀河各部の文字】であることが証明される。
 インターネットで公開していないが、紀元前16世紀ごろに出現した原シナイ文字も、紀元前11世紀ごろに出現したフェニキア文字も、【すべての漢字】が作られた資料Bの【銀河各部の形状】から作られたことを立証することができる。
 だから、古代エジプト文字であろうが甲骨文字であろうが楷書であろうがまったく関係なく、【すべての文字】は【銀河各部の形状】から作られたことが立証されるので、現存する夏音文字は原形の象形文字ではなく楷書に表記されていても卑弥呼時代に確かに存在したと断定すべきことになる。

 【世界のすべての古代文字】が【銀河各部の形状】から作られた、また【すべての文字】は【銀河各部の形状】から作られたことは、各々の文字と銀河各部の形状の相似・類似性によって科学的に論証できる。
 歴史学の証明は論証だけでは不完全となる。
 【すべての文字】が【銀河各部の形状】から作られた完全証明は、【すべての文字】が【銀河各部の形状】から作られたことを科学的に証明できる物的証拠となる史跡・遺跡・史料が必用とする。
 この【すべての文字】が【銀河各部の形状】から作られたことが科学的に証明できる確かな物的証拠となる史跡と史料はわが国に存在する。
 おそらく世界中探しても、【すべての文字】が【銀河各部の形状】から作られたことが科学的に証明できる物的証拠となる史跡・史料は日本しか存在しないと思われる。

 ワディ・エル・ホル文字以後のアルファベットの字数は30字以下であるので、このような少数の文字が銀河から作られた秘密は暗記すればすむことであるので、わざわざ反体制側が習得したならば革命が容易になるような史跡・遺跡・史料が作られるはずがない。
 古代エジプト文字・ヒエログリフの字数は多くても800字ぐらいと言われるが、【銀河各部の形状】は【文字】であることは神話で巧妙に隠す工夫がなされたので、わざわざ史跡・遺跡・史料を作る必要がなかった。
 漢字のすべての漢字の字源を知ることができる基本文は1400字前後であるが、【銀河各部の形状】が【文字】である秘密は、紀元前4、5世紀に生存した老子が『老子』上篇(道経)の37の章に記述し、2世紀初頭の許慎(きょしん)が字書の聖典『説文解字』を著作して解説した。そして、史跡・遺跡・史料を作って残さなければならないような重大な歴史上の真実は中国の【銀河各部の形状】を【文字】とした殷代前半期までの上古においてはおこらなかった。これゆえ、この中国の上古において【銀河各部の形状】が【文字】であると後世に伝える史跡・遺跡・史料はまったく作られなかったと考えられる。だから、『老子』と『説文解字』で【すべての漢字】は【銀河各部の形状】であることは論証はできるが、史跡・遺跡・史料を挙げて立証することはできない。
 これゆえ、日本建国の〔愛〕の理念を滅ぼすことができなかったわが国では、【銀河各部の形状】が【文字】である学芸の秘密を後世に伝える史跡・史料が必要不可欠となったので、わが国だけに世界の古代文字が【銀河各部の形状】から作られたことが証明できる史跡・史料が現存することとなったのである。

 【すべての文字】が【銀河各部の形状】から作られたと科学的に証明できる、世界的にきわめて重大な史跡と史料は下記のごとくである。
❶ 『魏志倭人伝』と同時代の3世紀後半に作られた静岡県浜松市北区細江町の1千万坪の大鳥の地上絵(現在の細江町の行政区域をあらわす地図の形として現存する)
❷ 枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭
この竜安寺の石庭は臨済宗妙心寺派の僧侶たちが学芸と禅の真理を探求して修得するための施設(道場)であった
❸ 徳川家康が彦根藩井伊氏に命令し、彦根藩近隣の7ヵ国12大名が助勢して、1603年に着工し20年後の1622年に完成した滋賀県彦根市の3千万坪の大鳥の地上絵(現在の彦根市の行政区域をあらわす地図の形として現存する)。この彦根の大鳥の地上絵は“未だ夏音文字は復興されず”とデザインするものであるので、鳥の翼の部分が無い。
❹ 小堀遠州が23年間、精魂を傾けて作った京都市に所在する桂離宮の庭園
将軍秀忠と江戸幕府は家康が一生追い求めた夏音文字を復興せんとした願望を、家康の遺志として受け継いだ。将軍秀忠と江戸幕府は、当時の天才芸術家にして科学の才能に優れる小堀遠州を京都の伏見奉行に任命して、【すべての漢字】が【銀河各部の形状】であること後世に伝える施設を作ることを命じた。この命令のもとに1623年から病床に倒れる1645年まで23年間、小堀遠州が情熱を傾けて作ったのが桂離宮の庭園である
❺ 1738年に霊元(れいげん)上皇が本格的に復興した大嘗会(だいじょうえ)と天皇が即位するときに用いる王冠・菅蓋(かんがい)

 この霊元上皇が本格的に復興した大嘗会は、【すべての漢字】が【銀河各部の形状】から作られた学芸を復興することを目的とするものであった。
 【すべての漢字】が【銀河各部の形状】であることが明らかになると、『古事記』上巻に記述された皇祖・天照大御神が伊耶那美命の墓を作る時に残虐な徇葬儀式を決行し、「伊耶那美命が掲げた日本建国の〔愛〕の理念を尊重する人民の首を一日に千人ずつ絞(し)め殺す」と呪い誓った通りの横暴な政策をおこなった歴史が完全証明されることになった。
 この皇室が最も崇拝する天照大御神の歴史が完全証明されて暴かれると、国民に憎悪されて皇室が滅亡する心配があった。だから、歴代天皇は夏音文字の学芸の消滅に躍起となった。しかし、日本建国の〔愛〕の理念は永遠なる真実で絶対に失うことはできないと抵抗する欲求がいっこうに衰滅せず、ついに家康が出現して夏音文字の復興の願いをもはや消滅させるのは不可能となった。
 壱与・伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念は永遠不滅であれという欲求は、『魏志倭人伝』末部の卑弥呼の陵墓を作った時の徇葬への憎悪から始まって約1490年間も続いて。これゆえ、この1490年の歴史は「日本民族」と「日本国」が未来永劫にこの地上に存続するための最も神聖なる“壮大な真理”となった。
 ゆえに、上皇は天子である以前に一人の人間に立ちかえって、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に記載された夏音文字の学芸の歴史を消滅させないために大嘗会を復興して、即位する時の天皇の王冠の上の飾りで夏音文字の学芸を表現し、下の飾りで日本建国の〔愛〕の理念を表現することにした。

 日本民族が日本民族であり、日本国が日本国である、この“永遠なる真理”を完全証明することができる『魏志倭人伝』を、学者たちは【誤読】する方法こそ正しいとほくそ笑んで自慢する。しかし、学者たちの邪馬台国説は日本民族を虐殺する狂気であり、日本国を滅亡させる狂気である。また、邪馬台国学説は人類共通の敵である。
 邪馬台国学説は世界で最も愚かな、この世に存在する必要がまったくない、日本におおいかぶさる福島原発以上に禍々(まがまが)しい災いであり、世界中の人々に憎悪され軽蔑されるべき最低最悪の妄想である。
 邪馬台国学説や森浩一の大ウソを認めると、霊元上皇が心配したように日本民族と日本国の消滅が決定的となり、おそらく2050年ぐらいまでに先人たちが必死に残した“壮大な真理”を失って、この世から“日本”は消滅するにちがいない。
 なぜならば、邪馬台国説学者たちと森浩一などの【誤読】から生まれたデタラメがこの国を支配することになるので、日本の歴史は【誤読】によってご破算となって“ゼロからの出発”となるからである。

 先人たちは1490年におよぶ長い年月においてあきらめずに必死にまもりきって、〔愛〕の理念のもとに誕生した日本の歴史を完全にいつの時代にあっても絶対的真実として解明・証明できるように、きちっとわれわれに残した。
 それを世にもくだらない最悪の【誤読】の空論によって失えば、間近に迫る2050年ころに必ずや日本民族と日本国の滅亡すると思えてならない。
 この日本民族と日本国の滅亡をおそれたから、先人たちは絶対的に完全証明できる史跡を残し、霊元上皇は皇室の滅亡を覚悟して大嘗会を本格的に復興して天皇の王冠で夏音文字の学芸と日本建国の〔愛〕の理念と表示したのである。
 このまま年月が過ぎれば、真実の歴史を失ったわれわれはいのちと心の根元を失い、日本人としての魂も尊厳も失い、なんのために生きてゆくのかを知ることができるアイデンティティも無くし、日本は完全に溶けて無くなってしまうのである。
 “真実の歴史を失えば民族も国家も滅亡する”、これはおそらくこの世を支配する絶対的な掟(おきて)であるにちがいないのだ。
 日本民族と日本国は、先人たちが必死になって残した完全証明できる絶対的真実の歴史を失ったならば滅亡する。
 これが日本民族と日本国の滅亡の筋書きであるにちがいないのだ。

 

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