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2012年4月12日 (木)

邪馬台が学説は日本民族を虐殺する。しかも人類共通の敵である・19

 学界は“文献批判”は正しい考え方であると主張するが、この“文献批判”に則(のっと)る邪馬台国説と日本神話虚構説は正真正銘(しょうしんしょうめい)の【誤読】の産物である。
 “文献批判”が【誤読】であると証明された歴史学における有名な事例は、ドイツ人のシュリーマンによるトロイの遺跡の発見である。

 紀元前1200年前後におこったトロイ戦争を、約350年後の紀元前850年ころに生存したギリシャの詩人ホメロスは英雄叙事詩『イリアス』を作成して後世に伝えた。学者たちは『イリアス』が書くトロイ戦争の記述を文献批判して“空想の産物である”と断定した。しかし、シュリーマンは『イリアス』に記述されたとおりに発掘して、歴史上の事実であったことを証明した。これによって、学者たちの“文献批判”は【誤読】であったことが白日のもとに晒(さら)された。 

 『魏志』倭人伝における大半を占める記事は下記の2種類に秘密について証言する。
 ❶  倭には文字があった
 ❷  日本列島は東へ伸びずに南へ伸びる

 ❶の記事グループの証言は、中国の正史『新唐書』日本伝が「702年に派遣された日本国の遣唐使が『後稍夏音(のちやや・かおん)を習う』と中国王朝に伝えた」と記述される秘密であった。
 この「夏音」とは「夏音文字の学芸」のことであり、夏音文字の学芸は今から約4000年前の夏代黎明(れいめい)、つまりわが国の後期縄文時代初頭に伝来していた。
 
 ゆえに、702年の10年後の712年に完成した『古事記』の上巻には〔音〕という注が付く1字1音読みの夏音文字の語や文が多数記載されて現存する。
 また、『魏志』倭人伝に記載される人名と小国名は夏音文字を示すものであるゆえ、夏音文字は『魏志』倭人伝にも現存することになった。

 『魏志』倭人伝が幾つかの記事で❶「倭には文字があった」と語る証言は「倭に夏音文字の学芸があった」と伝えるものであった。
 だから、この❶の幾つかの記事に“文献批判”すなわち【誤読】を加えなければ❷「日本列島は東に伸びずに南に伸びる」と説明する幾つかの記述は「卑弥呼が〔南に伸びる〕と立論した転回日本列島地理によって倭国の乱が鎮(しず)まり、これによって倭政府は転回日本列島地理を制定した」と伝えるものであったのである。

 新井白石以来現在まで、約280年間も学者たちは【誤読】に夢中になる。
 【誤読】を千年続けても1万年続けても、歴史の真相はいっこうに解明できない。
 この学者たちの【誤読】のために、『魏志』倭人伝に記述された真実の歴史がまった解明できなくなった。

 下記の3つの史跡と1つの史料によって、上記の『魏志』倭人伝の2種の記事群は真実を伝えるものであったと明確に科学的に証明することができる。

① 『魏志』倭人伝と同時代の3世紀後半に作られた静岡県浜松市北区細江町の1千万坪の大鳥の地上絵。

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 この大鳥の地上絵の作成した基準点は[卑][弥][呼]と明確に示す三角点(3つの基点)となり、[倭]の字源・本義は「時計が針が進む方向に90度転回して〔東〕が〔南〕に転位する方位規定」であると今日に伝える。
 『魏志』倭人伝の❷「日本列島は東へ伸びずに南に伸びる」と説明する幾つかの記事群は[倭]の字源・本義を伝えるものであるゆえ、卑弥呼が統治する国の名は「倭」と定められたのである。
 また、中国の一国の名の[魏]の偏の[委]も、[倭]と同じく「〔東〕を90度転回して〔南〕に変位する方位規定」をあらわすものであった。
 なお、「時計の針が進む逆方向に〔東〕を〔北〕に転位する方位規定」は[呉]の字源・本義となる。
 このように、細江町の1千万坪の大鳥の地上絵によって[卑][弥][呼]と[委][倭][魏]と[呉]の字源・本義の秘密が解明できるので、『魏志』倭人伝に一点の【誤読】を加えなければ真実の歴史が明確に科学的に完全解明できる方法が確立される。

② 徳川家康が①の1千万坪の大鳥の地上絵を守って、細江町に隣接する[呼]の基点を設置する引佐(いなさ)町井伊谷(いいのや)に居住する井伊氏に、近江・佐和山に移住を命令して作成させた3千万坪の大鳥の地上絵。
 この彦根藩井伊氏が1603年に着工して20年後の1622年に完成させた3千万坪の大鳥の地上絵は、今日の滋賀県彦根市の行政区域の地図の形として現存する。
 この彦根市の3千万坪の大鳥の地上絵には〔羽〕が無い。それというのも、彦根の大鳥の地上絵は702年に派遣された遣唐使が「後稍夏音を習う」と中国王朝に伝えた、この〔わが国に伝来した夏音文字の学芸の秘密〕を明らかにするものであったからである。
 つまり、彦根の3千万坪の大鳥の羽の無い地上絵は「夏音は習わす」と設計するものである。「習う」の[習]の字源・本義には「復興する。よみがえる」という意味があった。したがって、彦根の大鳥の地上絵は〔羽を無くして〕「いまだ夏音文字の学芸は復興しません。どうか陛下よ、国家と人民のために日本建国の〔愛〕の理念を復興するために、夏音文字の学芸の復興を認めるように奉(たてまつ)る」と欲求する地上絵であった。
 また、彦根の3千万坪の大鳥の地上絵の全体は、[委]と[倭]の字源・本義は「〔東〕を〔南〕に転位する方位規定」を表示する設計にもなっている。
 家康は、「夏音は習わず」と[倭]の字源・本義をモチーフとする彦根の3千万坪の大鳥の地上絵を、①の大鳥の地上絵の守り番であった井伊氏を譜代大名筆頭の地位にして彦根への移住を命じ、彦根の近隣7ヵ国12大名に動員を命じて作らせた。家康は夏音文字の学芸の復興に全情熱をかたむける一生を送るものであったが、1616年に没して彦根の大鳥の地上絵の完成を見ていない。

③ 1608年、家康は30歳の駿府作事奉行の小堀正一に遠江守を命じて、遠江にある①の細江町の大鳥の地上絵の研究を命じた。小堀正一は天才芸術家で科学の才能も優れていた。
 ①の大鳥の地上絵に出会った正一は、以後「遠州」と号した。小堀遠州は以後、没するまで家康が追い求めた夏音文字の学芸を復興する事業を達成するために、家康の遺志を成就させるために、①の大鳥の地上絵と常にかかわる一生を送った。
 ②の彦根の大鳥の地上絵が完成した翌1623年、家康が願った夏音文字の学芸の復興の遺志を受け継いだ将軍と江戸幕府は、小堀遠州に京都の伏見奉行に命じて桂離宮の庭園作りを命じた。
 この京都市に所在する桂離宮の庭園は夏音文字の学芸の全貌が明快に科学的に解明できる学芸施設である。
 だから、桂離宮の庭園によって『古事記』や『日本書紀』が「わが国には約4000年前に、中国から夏の2代帝の益の孫の王子(つまり、天祖)と若者たちが日本列島に移住して原初漢字・夏音文字の学芸を広めた」と説明する記述は真実の歴史を伝えるものであったことが具体的に証明できる。
 また、桂離宮の庭園に設計された夏音文字の学芸を研究して習得すれば、『魏志』倭人伝と『古事記』上巻の日本神話に記述された事柄はすべて真実の歴史を証言するものであると科学的に手に取るように明確に解明できる。

 小堀遠州は1623年から病床に倒れる1645年までの23年間、桂離宮の庭園作りに全情熱を傾けた。伏見奉行の最も重要な任務は、家康が願った夏音文字の学芸の復興事業の成就であった。1647年、遠州は伏見奉行屋敷にて死去した。

 夏音文字の学芸が研究され習得されると、『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉(よみの)国説話と天照大御神や大国主神の説話に――皇室が崇拝する皇祖・天照大御神が残虐非道な徇葬(じゅんそう)を決行し、「一日に、伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念を尊重する人民の千人の首を絞(し)めて殺す」と呪(のろ)い誓って、伊耶那美命を崇拝した大国主神が治める出雲王朝と九州宗像(むなかた)王朝を征服した――と記述された歴史の真相が明白となる。
 このような天照大御神の歴史の真相が暴露されると、歴代天皇は皇室が必ず滅亡すると心配した。ゆえに、家康が願望した夏音文字の学芸の復興を歴代天皇は認めなかった。
 しかし、家康の死から122年後の1738年、霊元(れいげん)上皇は皇室の滅亡を覚悟して一人の人間に立ち返り、夏音文字の学芸の復興を承認した。

④ 霊元上皇は大嘗会(だいじょうえ)を本格的に復興し、大嘗会で用いられる即位する天皇の王冠の上の飾りで〔夏音文字の学芸〕、下の飾りで〔日本建国の〔愛〕の理念〕をあらわされた。
 この天皇の王冠は「菅蓋(かんがい)」と名づけられた。

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 上皇は、日本人民と国家のために、③の小堀遠州が作った桂離宮の庭園における❷「日本列島は東へ伸びずに南に伸びる」と設計する転回日本列島地理と①の細江町の大鳥の地上絵を②の彦根の大鳥の地上絵のごとくに羽の無い形に設計が一体化する庭園部を注目して、天皇の王冠の上の飾りは大鳥の造形で〔夏音文字の学芸〕をあらわすことにした。
 桂離宮の庭園で有名な小竹を曲げて編んだ生垣“桂の笹垣(ささがき)”は「伊耶那美命」の本名「竹野比売(たかのひめ)」をあらわし、家々の神棚にある「水器(すいき)」は「伊耶那美命」を象徴する神具であった。
 水器を手に取って間近で見れば、〔水器の容器〕は「妊婦のおなか」、〔容器に入れる水〕は「子宮で育つ胎児の命をまもる羊水(ようすい)」、〔水器の蓋(ふた)〕は「女性の乳房」、〔水器の蓋のツマミとなる突起〕は「女性の乳首」の形になっていることが察知できる。ゆえに、〔水器〕は伊耶那美命が提唱した「日本建国の〔愛〕の理念」を表現する神具である。
 このように天皇の王冠の下の菅笠(すげかさ)は〔水器の蓋〕をもって〔日本建国の〔愛〕の理念〕を表現する。
 だから、菅(すげ)で作られる天皇の王冠の名は水器の〔蓋〕を表示して「菅蓋」となった。

 朝廷は皇祖・天照大御神の聖性を著しく汚すと厳重に禁じて『古事記』完成以来1000年以上も夏音文字の学芸の復興を拒(こば)んだ。この夏音文字の学芸が、1738年の霊元上皇の大嘗会の復興によって遂(つい)によみがえった。
 ところが、大嘗会が本格的に復興したおよそ20年前、新井白石(1657-1725)は西欧近代科学の致命的欠点である“文献批判”を用いる【誤読】の考え方を取り入れ、その後の学者たちがこの誤りを引き継ぎ、現代の日本古代史学界の学術方法として定着した。
 新井白石の西欧近代科学の傲慢な単純化による【誤読】の立論方法から約20年後に大嘗会が復興された。ゆえに、白石の【誤読】で立論する邪馬台国説の出現によって、上皇はこんな無茶苦茶な下劣な似非(えせ)学術が流行したならば、日本古代史における最も重大な歴史が失われて日本が滅亡することになるのではないかと心配して、もしかしたならば夏音文字の学芸の復興を決意したことかもしれない。

 かくして、日本古代史学界は【誤読】に支配されることになった。
 だから、一点も【誤読】を加えず忠実に読解してこそ解明できる『魏志』倭人伝と『古事記』上巻に記載される真実の歴史が闇に葬られることになった。
 上記の3つの史跡(細江町の大鳥の地上絵、彦根の大鳥の地上絵、桂離宮の庭園)と1つの史料(大嘗会と天皇の王冠)に表示された真実の歴史は、日本古代史学界の【誤読】する方法こそが絶対に正しいと定める滅茶苦茶な考え方によって闇に葬られて、国民はまったく知ることができなくなった。

 新井白石以来現在まで、『魏志』倭人伝を【誤読】(文献批判)する意見は正しく、忠実に読解して❶「倭には夏音文字があった」すなわち「倭には夏音文字の学芸があった」、❷「日本列島は東へ伸びずに南へ伸びる」すなわち「卑弥呼王朝は〔南へ伸びる転回日本列島地理地〕を制定した」、この歴史の真実を解明しても、それは虚偽であり正論ではないと学者たちも一般市民も断定するようになった。
 この真偽が逆転する似非(えせ)学説を放置したままでいると、日本は滅亡の坂道を転げおちる事態なるにちがいない。
 というのも、❶と❷の真実は❸『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命説話に記載された日本建国の〔愛〕の理念を解明できる基礎知識であり、この日本建国の〔愛〕の理念を失えば日本人の魂と命の根源を失うことになり〔日本人が日本人ではなくなること〕となるので〔日本滅亡〕が決定的となるからである。
 われら日本の前人たちは、日本建国の〔愛〕の理念と、この〔愛〕の理念が高々と掲げられた日本国誕生史を知ることができる夏音文字の学芸こそ日本人と日本国にとって最高の学芸であると定めた。
 彼らは強大な王政の権力よりも国家の権力よりも、日本建国の〔愛〕の理念と夏音文字の学芸のほうが優っていると定めた。
 だから、『古事記』以来1000年も朝廷に反逆して前人たちが存続させた〔強大な王政権力と国家権力よりも日本建国の〔愛〕の理念と夏音文字の学芸のほうが優っている〕という思想は、縄文のときから日本人のからだに吹き貫く深遠な哲理となった。
 だから、霊元上皇は皇室の滅亡を覚悟して、天子である以前の一人の人間に立ち返って夏音文字の学芸の復興に理解を示し認めたのである。

 日本の古代史学界は“文献批判”という名の【誤読】に支配されている。
 邪馬台国研究の伝統となった立論基盤の【誤読】を『古事記』と『日本書紀』に加えて研究する、1981年に88歳で没した早稲田大学教授・津田左右吉(そうきち)によって日本神話虚構説が確立された。
 津田教授の代表的な著作は『神代史の研究』『古事記及び日本書紀の研究』『上代日本の社会及び思想』『日本神代史研究』(4つの著作はいずれも岩波書店から刊行された)である。
 岩波書店から昭和8年3月10日に第4刷発行された津田左右吉著『神代史の研究』の525頁は下記のごとく記述する。
 「すべてが皇室と其の権力とについてのみ語られてゐる証拠である。さまざまの神の物語はあるが、さうして其の物語の主人公たる神々は一種の英雄と目すべきものであらうが、それに国民的生活が反映せられてゐるやうな形跡は見えず、国民的活動の面影などは、勿論、認められぬ。全民族の欲求なり理想なりによって動いてゐると思はれる神は少しも無い。いひかへると、神代史上の神々は民族的もしくは国民的英雄では無いのである。」

 津田教授は「日本神話に登場する神々は、国民の欲求や理想を表示する国民的英雄は少しも無い(いない)」と断定する。
 しかし、『古事記』上巻・日本神話に登場する主な英雄は、①伊耶那美命、②伊耶那岐命、③天照大御神、④須佐之男命、⑤大国主神、⑥天孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)、⑦山幸彦(やまさちひこ)の火遠理命(ほおりのみこと)、⑧海幸彦(うみさちひこ)の火照命(ほでりのみこと)などの8人である。
 この神々のうち、伊耶那美命、伊耶那岐命、須佐之男命、大国主神、山幸彦の火遠理命の5人は国民に慕われる国民的英雄であると明確に記述される。特に、伊耶那美命は日本建国の〔愛〕の理念を提唱した国民の最高神であり、夫の伊耶那岐命は伊耶那美命の日本建国の〔愛〕の理念を柱にして国作りをすると宣誓して実行し、大国主神と火遠理命は伊耶那美命を敬愛して日本建国の〔愛〕の理念を尊重した。この5人の国民的英雄に対して、天照大御神、邇邇芸命、海幸彦の火照命の3人だけが国家権力を誇示する英雄である。
 だから、津田教授の「日本神話に登場する神々には国民的英雄は少しも無い」という指摘はトンチンカンもはなはだしい荒唐無稽(こうとうむけい)のでたらめであることは明白である。
 この津田教授の指摘が明確に示すように、“文献批判”の正体は【誤読】である。

 日本神話虚構説を主張する学者たちは――『古事記』や『日本書紀』が完成した万葉時代は、天皇と国家の権力が強大化が求められたものであるゆえ、当然、日本神話は国威宣揚(こくいせんよう)を意識した国家神話となった。だから、日本神話は虚構であると断定できる――と根拠・理由を挙げる。
 しかし、編纂スタッフは元明天皇と律令体制に歯向って、上記で指摘示したように「皇祖・天照大御神が残虐な徇葬を決行した」、また「天照大御神は『一日に、伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念を尊重する人民の千人の首は絞めて殺す』と呪い誓った通りに、伊耶那美命を尊敬する大国主神が治める出雲王朝と九州の宗像王朝を征服した」と『古事記』に記載した。
 だから、津田説はじめ他の学者たちが主張する日本神話虚構説は誤読、語訳、誤解、空論などをごっちゃ混ぜにしてデッチあげた100パーセントの荒唐無稽のでたらめであったとになる。
 日本の古代史学界は【誤読】に支配される。だから、きわめて簡単に察知できる日本神話虚構説が学者たちには察知できない。

 以上のように、【誤読】から生まれた日本古代史学界は邪馬台国説と日本神話虚構説は日本人の尊厳と誇りを根底から粉砕(ふんさい)し、日本人を虚仮(こけ)にして愚弄(ぐろう)し、日本の劣化と衰弱をはかる、日本国を滅亡させる最大の災厄(さいやく)にして、日本人をことごとく死滅させる最悪の病巣ということになる。
      

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