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2012年5月12日 (土)

邪馬台国学説は日本民族を虐殺する。しかも人類共通の敵である・23

 日本の考古学者たちはじめ邪馬台国説を立論する学者たちや日本神話虚構説を立論する学者たちは、歴史学における考え方の基礎的ルールをまったく知らないだけでなく無視しあるいは排除する。
 このように基礎を身につけていない人々を、歴史学を除くすべての分野においては“ド素人”と定めて“プロ”として認めない。
 たとえば、3つのストライクでアウトになることを知らない人物はプロの野球選手ではない。オフサイドであったならばいくらゴールしても点にならないことを知らない人はプロのサッカー選手ではない。マグロとカツオの区別ができない人はプロの寿司屋の職人あるいはプロの魚屋にはなれない。

 日本には歴史学の基礎知識や基本ルールを厳守する学者は一人も存在しない。
 歴史学の基礎知識や基本ルールを備えると、邪馬台国説と日本神話虚構説は【誤読の空理空論】であることが即座に断定できるようになる――ところが、邪馬台国説と日本神話虚構説を即座に誤読の空論であるとできる学者は一人も存在しない。
 ということは、日本には歴史学の基礎知識や基本ルールを厳守するプロの学者は一人も存在しないことになる。
 考古学者はじめ邪馬台国説と日本神話虚構説を主張する学者たちは❶当然知っていなければならない「歴史」の語源を知らない、❷文献史料の記述のとおりに読まない〔文献批判〕は多分に〔誤読〕の可能性があるのに、文献批判が間違っているなんてことは絶対にありえないと信じて『魏志』倭人伝と『古事記』上巻に相変わらず〔誤読〕を加え続けている、❸歴史学は科学が優先される学術であるというルールを無視する、❹多くの学者たちは歴史は支配者の所有物であると考える先入観・偏見にもとづいて立論する、❺過去の人しか知りえない極めて特殊な出来事を証言する文献史料の記述が史跡・遺跡・遺物で実在したと証明されたならば、その証明が文献批判を加えて成立する定説とまったく反していても、文献史料のとおりの事柄こそが真実であったことになり、過去の定説は誤読の空論であったと断定しなければならない、この❺の証明は歴史学における最も理想的な証明であり絶対的な史実を示すものとなる。

 また、わが国が初めて漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀という定説は根本的に間違っている。
 わが国が最初に漢字を習得したのは今から約4050年前の後期縄文時代初頭(中国の夏代初頭)であった。
 この原初漢字の夏音(かおん)文字は【銀河各部の形状】を【文字】とした。
 この夏音文字は『魏志倭人伝』の卑弥呼はじめ人名・小国名などで残り、『古事記』上巻の〔音〕と注が付く1字1音文字として随所に多数残っている。
 この事情によって、『古事記』序は「夏音文字は銀河各部の形状であった」と証言する、世界史的にとってきわめて貴重な史料ということになる。
 『古事記』上巻の随所に記載される〔音〕という注が付く文字だけでなく、上巻のすべての文字や文章によって【文字】は【銀河各部の形状】であったことが科学的に立証することができる。

 『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に記載された【夏音文字の字形】は、左に表示した前年の7月末日に幻冬舎ルネッサンスから出版された拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』の資料Bの写真の【銀河各部の形状】であった。
 『古事記』編纂スタッフは、【夏音文字の字形】が【銀河各部の形状】である点に注目した。編纂スタッフは『古事記』上巻のすべての文字を【銀河各部の形状】に図化して読解すれば真実の歴史が明らかになるように作り上げた。
 元明天皇は“夏音文字を少しだけ復興させて、皇祖・天照大御神は夏音文字に精通する聡明な人物であったと後世に伝える偽書を作成せよ”と、編纂スタッフに命令した。
 この命令に背いて、『古事記』上巻(日本神話)を著作された。
 だから、『古事記』は編纂スタッフが命を賭けて完成させた反逆の史書であった。
 このような事情があったゆえ、『古事記』は上巻のすべての記述は使用される文字の字源・本義を【銀河各部の形状】に図化しなければ真実の歴史を知ることができない史書となった。

 日本神話虚構説は――『古事記』が完成した万葉時代は、天皇と国家の権力の強大化が求められたものゆえ、当然、『古事記』上巻の日本神話は国威宣揚を意識した国家神話となった。だから、日本神話は虚構であると断定しなければならない――という指摘が最大の理由にして根拠となる。
 この学者たちの“歴史は支配者の所有物である”と考える先入観に反して、『古事記』上巻は“強大な天皇と国家の権力よりも、〔愛〕の理念が提唱された日本国が誕生した歴史の真実のほうがはるかに優る”という編纂スタッフの信念によって作成された。
 このような『古事記』上巻の秘密は、文献批判で排除された『魏志倭人伝』に記述された①「倭には文字があった」、②「日本列島は東に伸びずに南に伸びる」と記事群と、そして末部に登場する③「卑弥呼の宗女・壱与(いよ)」の記述と直接的に結びつくものであった。

 『古事記』上巻のすべての文字の字源・本義を字書の聖典『説文解字』や白川静著『字統』などの字源字書の解説文を参考にして、拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』の資料Bの【銀河各部の形状】に図化すると、『古事記』上巻の歴史の真相はことごとく解明できる。
 したがって、『魏志倭人伝』も『古事記』もまったく文献批判は無用の史書であった。
 『魏志倭人伝』と『古事記』に加える「文献批判」は【100パーセント・完全なる誤読】であったのである。

 『古事記』編纂スタッフは皇室と律令体制が「後稍(のちやや)夏音を習う」すなわち「壬申の乱の後、夏音文字を稍々(少しだけ)復興して、皇祖天照大御神が偉大であったと伝える偽書を作成せよ」という命令を逆手(さかて)にとって――伊耶那美命は『魏志倭人伝』末部に登場する倭女王の壱与(いよ)であり、開化天皇の正妃の竹野比売(たかのひめ)であり、天照大御神・伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)=のちの倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)が多数の青年と乙女たちが殺して伊耶那美命の墓・熊野本宮大社の旧社地の大斎原(おおゆのはら)に埋葬する徇葬(じゅんそう)を決行した。そして、倭迹迹日百襲姫命と伊耶那岐命の間に生まれた崇神(すじん)天皇の天照大御神母子は、伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念を尊重する人民を敵視して苦しめ、伊耶那美命を崇拝した出雲王朝の大国主神と北九州の宗像(むなかた)王朝を武力で征服して滅亡した――と伝える、皇祖・天照大御神の聖性をいちじるしく汚す歴史を『古事記』上巻に記載した。
 このように『古事記』は反逆の史書でありながら、元明天皇の献呈承認を得て正史にして後世に真実の歴史が伝わるようにする、複雑な編纂目的のもとに作られた史書であった。
 この編纂目的を達成するために、編纂スタッフは伊耶那岐命の黄泉(よみの)国訪問説話において、伊耶那美命の墓を作る時に残虐な徇葬を決行した「天照大御神」を「黄泉国の伊耶那美命」と表記することにした。
 このような表記ならば、天照大御神が徇葬を決行したことにならずに伊耶那美命が徇葬を決行したと解釈できる。それゆえ、元明天皇は献上を承認して『古事記』を正史にするのではないかと、編纂スタッフは期待した。
 しかし、元明天皇は編纂スタッフの【すべての漢字の字形】は【銀河各部の形状】である秘密を利用した反実仮装(はんじつかそう)の方法、すなわち「天照大御神を黄泉国の伊耶那美命という事実と反する表記で、真実の歴史を後世に伝えようとする」、この反実仮装の策略に気づいて即座に『古事記』献上を拒絶した。

 だから、正史『続日本紀(ぞくにほんぎ)』には『古事記』序に記載される元明天皇の『古事記』を作成せよという勅令も完成記事も削除され、『古事記』はあたかもこの世に存在しなかった史書のごとくになってしまった。
 本来ならば、今日まで残った日本古代史書の金字塔となる『古事記』の成立は元明天皇にとって最高の事績となるべきものであったはずである。
 にもかかわらず、『続日本紀』には『古事記』に関する記事がすべて削除され、今日の学者の中には『古事記』はこの世に存在しなかった偽書ではないかと疑われることになった。それというのも、『古事記』が皇祖・天照大御神の聖性をいちじるしく汚す反逆の史書であったからにほかならない。
 しかし、『古事記』は日本人にとって最も重大な真実を記述するものであったので、心ある人々の熱き魂と情念にまもられて現在まで保存されることになった日本古代史書の金字塔となった。

 『古事記』上・中・下の3巻から成る。
 『古事記』冒頭の序は「上巻 序并」すなわち「上巻 并せて序」である。
 したがって、『古事記』の「序は上巻だけの序であって、中巻と下巻の序ではない」ことになる。
 この世にも稀(まれ)なる『古事記』の〔序〕は「【すべての言葉と文字】が【銀河各部の形状】から作られた辞理(じり・ロゴス)」を伝える、この秘密を伝えることに集中して作成されるものであった。
 だから、序の冒頭は「臣安万侶(しんやすまろ)申し上げます。およそ宇宙の初めにありましては」というぐあいに【銀河】が見える宇宙の話題から始まっている。
 このように『古事記』序の冒頭は上巻に記述された真実の歴史は「歴史」の語源である【銀河各部の形状】を見れば察知し解明できる辞理・ロゴスの仕組みから説明を始めている。
 また、巧妙な表現をもって〔すべての言葉と文字は【銀河各部の形状】から作られた辞理〕を伝えることができる幾つかの例を挙げながら、途中で天武天皇の史書作成命令は「後稍夏音を習う」という偽書の作成命令であったので天武天皇の時代に偽書を作成すれば伊耶那美命を崇拝する人民の反乱が必至となることを指摘して編纂スタッフが説得したために史書が作成できなかった事情を伝えるものとなる。
 そして、末部で「辞理の見えがたきは、注をもって明らかにし、意味が分かりやすいものには注を加えませんでした。また姓における日下(にちげ)を音(夏音文字)の〔玖沙訶(くさか)〕と読ませ、名で帯(たい)を夏音文字で〔多羅斯(たらし)〕を読ませるなど、こういう類例は従来の記述に従い、改めませんでした」と記述して、【すべての言葉と文字】は【銀河各部の形状】から作られたことを後世の人々が直感できるようにした。
 【銀河】を見上げれば、「日下」すなわち「太陽のように円い銀河」は「草(玖沙)や草原」のようにも観える。その「日」と「草」のように観える銀河部の下にある銀河部は「垂乳根(たらちね)」のような「母親の乳房」が直ぐに連想できる形となり、この母親の乳房から乳児や人の口に向かって帯状の銀河が垂(た)れている。ゆえに、「帯」が「多羅斯(垂らし)」であることが後世の人々には直感できる。
 この〔すべての言葉と文字が【銀河各部の形状】から作られた原理すなわち辞理〕に気づけば、伊耶那岐命の黄泉国訪問説話に登場する「黄泉国の伊耶那美命」の正体は「皇祖・天照大御神」であると断定できる。
 だから序の末部にある「辞理の見えがたきは、注をもって明らかにし」という文は、「上巻の文の言葉や文字の意味が理解できない時には、銀河を見上げればよい。それというのも、随所にある〔注=〔音〕という注が付く1字1音読みの夏音文字・上代特殊仮名〕は【銀河各部の形状】を【文字】とする中国から伝来した原初漢字であるからである。したがって、言葉と文字の意味が見えない(理解できない)時は、すべての【辞(言葉と文字)】は【銀河各部の形状】を原理とするものであるので、【銀河】を見上げるすべての辞(言葉と文字)の意味が明らかとなる」と指摘するものであったのである。

 
 つまり、『古事記』序の末部にある「辞理」という語は「現在の当用漢字も当用漢字以前の正字も万葉仮名もすべての文字の字源と本義は【銀河各部の形状】から成立したものである」と伝えていることになる。
 
 “そんなことは絶対にありえない”と思うかもしれないが、これは事実である。
 この『古事記』末部で指摘される「辞理」の事実を証明するために、私はインターネットの昨年(2011年)9月6日から29日までの掲示板に、ABCアルファベットのルーツとされるワディ・エル・ホル文字が拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』の資料Bの【銀河各部の形状】から作られたことを証明して公開した。
 さらに、2011年12月16日から始めた〔枯山水の名園で有名な竜安寺の石庭は“世界の文字は銀河から作られた”と証言する〕シリーズですべての漢字が銀河から作られた証明と、このシリーズの14回~35回までは古代エジプト文字(ヒエログリ)もまた漢字とワディ・エル・ホル文字と同じ資料Bの【銀河各部の形状】から作られた証明を、インターネットの掲示板で公開した。

 『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の記載された〔音〕という注が付く夏音文字(上代特殊仮名)は【銀河各部の形状】だったのである。
 このわが国に伝来した夏音文字の秘密によって、漢字(古代中国文字)はもちろん古代エジプト文字(ヒエログリフ)やABCアルファベットのルーツとされるワディ・エル・ホル文字、原シナイ文字╱カナン文字、フェニキア文字、古代ギリシャ文字、ラテン(ローマ)文字、イースター島のコハウ・ロンゴ・ロンゴ文字などの古代文字はすべて銀河から作られたという、人類の一大共通文明の秘密が科学的に具体的に明確に証明される。
 わが国には【銀河各部の形状】を【文字】とする夏音文字が『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に記載されて現存する。
 しかも、「『魏志倭人伝』と『古事記』序・上巻の記述が真実である」と伝えるために作られた史跡・遺跡・遺物が複数も現存する。
 
これらの極めて奇跡的な史跡・遺跡・遺物によって【夏音文字】が【銀河各部の形状】であったことが科学的に完璧に証明される。
 わが国の夏音文字の史跡・遺跡・遺物は世界の古代文字は銀河から作られた秘密が科学的に具体的に解明できるきわめて貴重な遺産である。
 このように、証言と証拠が完全な形で残った国は世界でただ一つ日本にしか存在しないと考えられる。

 文字は人類にとって最も偉大なる発明品であり、古代王朝における最も強力な政権基盤となった。
 このため、世界の古代王朝は〔文字が銀河から作られた学芸〕を独占管理して厳重な機密にして、この秘密を漏らした者は即刻死刑にした。
 したがって、旧来の王朝を倒して成功する支配者となるには、〔銀河から生まれた文字の学芸〕を習得する必要があり、また政権奪取に成功したならば旧王朝と同じく〔銀河から生まれた文字の学芸〕を独占管理して厳重な機密にして王朝の崩壊を食い止める努力をしなければならなかった。
 このような人類共通の秘密があったために、星座の形よりもはるかに優って明確な形を有する銀河各部の名称が作られないこととなった。
 だから、世界中を探しても銀河各部の名称は存在しない。この銀河各部の名称が存在しない秘密は、世界の文字が銀河から生まれた秘密の名残りである。
 各種のアルフェベットのうち原シナイ文字の27字が最多であるので、このような少数の字源銀河部は暗記すればよいので、銀河から文字が生まれた辞理・ロゴスを示す史跡はわざわざ作る必要がなかった。

 古代エジプト文字は800字とあると言われるように多数であった。それゆえ、【銀河各部の形状】が【文字】である学芸の基礎知識は神話を作って表示されることになった。古代エジプト神話は、【文字】が【銀河各部の形状】であることを説明しまた理解するために巧妙に作られた物語であったのである。
 この古代エジプト神話が巧妙であったゆえに、古代エジプトではあらためて【銀河各部の形状】が【文字】である秘密を伝えるのための史跡を作る必要もなかった。
 ゆえに、わが国と異なって【銀河各部の形状】が【文字】であるという秘密を伝える史跡は作られなかったにちがいない。
 およそ3000年続いた古代エジプトは、いまから約2000年前に衰退した。
 この時点で、古代エジプト神話は【銀河各部の形状】が【文字】であることを説明し理解する物語であることをギリシャやローマの王朝は知っていたであろうが、ギリシャやローマの文字・アルファベットは少数であったゆえ頭に記憶しておけば済んだので、両国の王朝は古代エジプト文字が【銀河各部の形状】であることを後世に伝える史跡を作る必要がなかったからわざわざそのような史跡を作ったとは思えない。

 すべての漢字の字源・本義を解明できる基本字は1400前後の古代中国においては、「銀河」を「銀漢」と言い、「銀漢から作られた字」すなわち「漢字」と名づけた。「天に多数の文字ありき」となったので、「銀漢が輝く天」を「天文」と名づけた。
 この「漢字」と「天文」という語は【銀河各部の形状】が【文字】であることを明確に示した。
 また、紀元前4、5世紀ごろ、老子は役人に捕まれば死刑になるので日々追われる逃亡者となって【銀河各部の形状】が【文字】であることを教える大罪を犯す書物、すなわち37章からなる『老子』上篇(道経)を作った。
 また、字書の聖典『説文解字』を許慎(きょしん)は西暦100年ころに完成していたが、当時は和帝(わてい)が天下を掌握し、続いて和帝の皇后の鄧太后(とうたいこう)が実権を手に入れる時代であった。この二人は『説文解字』が【銀河各部の形状】が【文字】であると暴露する大罪を犯す書物であることを見抜く学識豊かな秀才であった。それゆえ、鄧太后が没して安帝(あんてい)の時代が到来するのを、許慎は辛抱強く待った。
 安帝は【銀河各部の形状】が【文字】である学芸が王朝の最も強力な政権基盤であるとする、この世の仕組みをまったく理解できず馬鹿げていると考える、この世は賄賂(わいろ)で成り立っていると考えていたであろう、【銀河各部の形状】が【文字】である学芸を侮蔑する愚帝であった。これゆえ、『説文解字』が大罪を犯すことを忠告する臣下がたとえいても、彼は耳を傾けて聞き入れるような人物ではなかった。
 許慎は安帝が天下を手に入れた121年、『説文解字』を献呈して安帝の承認を得ることに成功し、この大罪を犯す字書は焚書(ふんしょ)されず今日まで残ることとなった。
 このように、中国では『老子』と『説文解字』が存在したうえに、【銀河各部の形状】が【文字】である学芸の秘密を教える史跡をわざわざ作って後世に伝えなければならない出来事もおこらなかった。
 ゆえに、中国においても、【銀河各部の形状】が【文字】である秘密を教える史跡は作られなかったにちがいない。

 ところが、わが国ではどうしても【銀河各部の形状】が【文字】である学芸を用いて後世に伝えなければならない重大な歴史が存在した。
 
 この歴史は、伊耶那美命によって〔愛〕の理念が提唱された日本国誕生史であった。
 この伊耶那美命が提唱した〔愛〕の理念を大和朝廷の基礎を築いた天照大御神が憎悪して抹殺しようと躍起となった。
 この天照大御神王朝政策に抵抗して“日本建国の〔愛〕の理念は天皇と国家の強大な権力よりも優る。日本民族の命と魂の根元であり、日本人一人一人の尊厳となる真実である。だから、この日本建国の〔愛〕の理念が掲げられた歴史は絶対に失うわけにはいかない。どうしても後世に伝えなければならない”と考える先人たちによって、【銀河各部の形状】が【文字】であると後世に伝える史跡が作成されることになった。
 このため、天皇と国家の強大な権力に立ち向って日本建国の〔愛〕の理念を後世に伝えるために、【銀河各部の形状】が【文字】となる学芸を伝える史跡がわが国では複数作られて現存することとなったのである。

 現在、『魏志倭人伝』の記述によって2世紀末から3世紀半ばまでの時代のほうが歴史イメージがはっきりし、3世紀半ばから以後の150年間の歴史イメージのほうがむしろ多くの謎に包まれることになった。この多くの謎に包まれる時代を、「謎の世紀」と言う。
 『魏志倭人伝』末部に記載される最も新しい年号の「正始八年」は西暦247年である。この魏の正始八年の記事の後ろにまだ少しの記述があるので、おおまかに言うと『魏志倭人伝』は西暦250年ころの記述で終わっていることになる。
 『梁書(りょうじょ)』諸夷伝倭条に「安帝の時、倭王讃(さん)あり」という記事がある。この東晋の安帝の在位期間は396~418年であるので、400年から“倭の五王”の時代が始まるとされる。この“倭の五王”と呼ばれる大王は中国の文献に記載される。
 したがって、「謎の世紀」は「250年から400年までの150年間」となる。

 このおよそ150年間の謎の世紀の歴史は『古事記』上巻の日本神話に記述されている。
 この『古事記』上巻に記述された「謎の世紀」の歴史の真相は、“文献批判”という名の【誤読】で立論した日本神話虚構説によってことごとく排除された。
 これゆえ、❶日本神話虚構説の立論基盤である「文献批判」は「誤読」であると定め、❷『説文解字』はじめとする現代の字源字書に記述される字源解説を参考にして、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻のすべての文字が【銀河各部の形状】になるように図化し、❸記事を忠実に読解して合理で統一されるように科学的な考え方をするならば、『古事記』上巻に記述された歴史のすべての真相はよみがえる。

 わが国の先人たちは、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に記述された証言は文献批判をまってく必要としない、すべての記述は正しく真実を伝えるものであると科学的に証明できる史跡を後世に残した。
 この世界の古代文字は銀河から作られた秘密の全貌が解明され、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に用いられた【すべての言葉と文字】は【銀河各部の形状】である辞理(ロゴス)を伝える史跡を、まず今回は2つ取り上げることにする。

❶ 夏代初頭(後期縄文時代初頭)に相当する、秋田県鹿角(かづの)市に所在する国の特別史跡の大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)
 この大湯環状列石の万座遺跡と野中堂遺跡とそして周辺地域の地名には、今から約4050年前の夏代初頭、夏王朝2代の帝王・益の孫の王子と若者たちが大海を越えて日本列島に移住して夏音文字の学芸を根づかせた痕跡が明確に現存する。
 益氏は、司馬遷著『史記』五帝本紀・夏本紀に記載されて登場する名門である。
 名門益氏の若者たちが夏の始祖の帝禹(う)の遺志の氏族共同体制を新天地・日本列島にて継続するために、荒海逆巻く大海を小舟を漕いで日本列島に移住した――この歴史は「益荒男(ますらお)」という日本語になって現在に伝えられる。
 禹の息子の啓(けい)と諸侯は禹が益に帝位をゆずって継続を願った氏族共同体制を廃して、世襲国家体制の夏王朝を樹立した。
 これゆえ、帝益は啓に帝位をゆずった後、禹の遺志を日本列島で継続することにした。
 しかし、帝益は老いていたので大海を渡る体力を失っていたために、「益荒男」の語源となった禹の遺志を継ぐ事業は太い腕とたくましい肉体を有する孫の王子と若者たちによってなされることとなった。
 司馬遷著『史記』陳杞世家(ちんきせいか)の「帝王となった益の子孫はどこに封ぜられたか不明である」という記述は、帝禹の遺志を受け継ぐために益氏の王子と若者たちが日本列島に移住したために、益氏の子孫は中国の歴史から忽然(こつぜん)と消えるたことを示すものであったのである。
 この益氏の日本列島移住の歴史は、『日本書紀』神武天皇紀初頭にある天祖降臨(てんそこうりん)記事と『古事記』天孫邇邇芸術命(ににぎのみこと)の北九州宗像(むなかた)王朝征服記事の中に織り込まれて記述され、そして「基山(きざん)」「鳥栖(とす)」「真木(まき)」などの地名などで残り、また大湯環状列石と周辺地域の地名で残っている。

 今から5000年前の五帝時代初頭の黄帝時代から夏王朝2代の帝益までの約950年間、歴代王朝は精密に天頂緯度を測定して中国の海岸線地図を作成する事業を継続して行った。
 この950年におよぶ精密な中国海岸線地図を益氏の王子は携(たずさ)えて日本列島に移住した。
 益氏は五帝時代の最後の帝・舜(しゅん)の世において「虞(ぐ)」という重職に就いた。この「虞」は「精密な中国海岸線地図を作成する官職」であった。「中国の山東半島の付け根から南のの海岸線までの形はの横顔に相似する」と見立てられ、精密な中国海岸線地図を作成する官職は[虎]に[呉]の字が合体する「虞」と名づけられた。
 したがって、日本列島に移住した名門益氏は中国王朝が最も厳重な国家機密とする中国海岸線地図に最も精通していた氏族であった。
 この〔中国全土を包みこむ海岸線の精密な地図の形〕は、『易経』繋辞(けいじ)上伝に「易は天地と準(なぞら)う。ゆえに能(よ)く天地の道を弥綸(びりん)す。仰いでもって天文を観、俯してもって地理を察す」と記述されることになった。
 「弥綸」という語は「海岸線が中国全土を洩れなく包みこむ」と意味する。
 というのも、「中国の山東半島は[弥]の字源の〔カンムリカイツブリ〕という水鳥の頭部(横顔)に類似すると見立てられ、山東半島より南と北の海岸線は[弥](カンムリカイツブリ)の両翼に相似して、この[弥]の海岸線は中国全土を包みこむ形状となる」からである。

 それから約2200年後の2世紀末、夏音文字の学芸に精通する一女子が中国海岸線地帯における気候の北の地が冷たく南の地が暖かい〔北冷南暖〕と、この〔北冷南暖〕の中国海岸線の南北距離にほぼ同じ距離となる、日本列島の西端の北九州の沖ノ島と同緯度(北緯34度15分)の東端の伊豆諸島の神津島(こうづしま)の〔西冷東暖〕の気候を比較して、中国の〔北冷〕に日本列島の〔西冷〕が合致し、中国の〔南暖〕に日本列島の〔東暖〕が合致するので、「日本列島は東に伸びるのではなく、中国の呉がある南のほうに伸びる」と立論する転回日本列島地理を唱えた。
 沖ノ島は中国の北京のごとく冬に雪が降るが、同緯度の亜熱帯地区伊豆諸島の神津島は中国南部の呉の会稽(かいけい)や東治(とうじ)の沿岸地域と同じく冬に雪が降らない。
 この転回日本列島地理は真実である諸国の王たちに絶賛されることになり、この転回日本列島地理を立論した一女子は最高位の女王に選ばれて、わが国の最初の国家が創設された。
 夏代初頭までの原初漢字において、「卑湿な(低くて湿気がある)中国の海岸線」は[卑]の字源・本義を示すものと定められた。
 「山東半島と南北の海岸線」は[弥]の字源・本義「カンムリカイツブリ」を示すものと定められた。
 呉の揚子江の南にある〔杭州湾(こうしゅうわん)は上を南・下を北にする形が鳰(にお)の形に相似する〕ので、「杭州湾」は[呼]の字源・本義である「鳰(カイツブリ)」を表示するものと定められた。
 これゆえ、[卑][弥][呼]の3字の字源をあらわす中国全土を弥綸する海岸線の気候にもとづき転回日本列島地理を立論した倭女王の名は「卑弥呼」と定められた。
 したがって、「卑弥呼」という名は上記した『易経』繋辞上伝の「易は天地と準う。ゆえに能く天地の道を弥綸す。仰いでもって天文を観、俯してもって地理を察す」と記述された、中国の五帝時代初頭から夏代初頭までの歴代王朝が継続事業とした精密に天頂緯度を測定して作成された中国海岸線地図にもとづく名であったことになる。
 「日本列島は東でなく、南に伸びる」いいかえると「日本列島の東は、中国の南になる」とする「時計の針が進む方向に90度転回して、〔東〕を〔南〕と定める方位規定」は[倭]の字源・本義を示すものであった。ゆえに、卑弥呼が統治する国の名は「倭」となった。
 だから、『魏志倭人伝』のすべての方位記事は[倭]の字源・本義の「〔東〕は東ではなく、〔東〕を〔南〕」に90度転回して、南→西、西→北、北→東」の方位規定に統一されて記述されている。
 この転回日本列島地理が容易に理解できる『魏志倭人伝』の記事は「その道里を計るに当(まさ)に会稽の東治の東に在るべし」である。
 実際の地図の場合、日本列島は会稽・東治の東北に所在することになるので矛盾する。しかし、[倭]の字源・本義にもとづく転回日本列島地理は会稽・東治の東に所在して矛盾しない。

❷ 『魏志倭人伝』が作成された同時代の3世紀後半、精密に天頂緯度を測定できる構造となる銅鐸(近畿式と三遠式の銅鐸)を使用して、遠江国造(とおとうみのくにのみやつこ)の先祖の建比良鳥命(たけひらとりのみこと)がちょうど1千万坪の大鳥の地上絵を作成した。
 この大鳥の地上絵内から出土した近畿式と三遠式の9口の銅鐸の使用・製作年代は260~290年とされ、『魏志倭人伝』は280~289年に著作された。ゆえに、大鳥の地上絵と『魏志倭人伝』は同時代の3世紀後半に作成されたことになる。
 この1千万坪の巨大な鳥の地上絵は、現在、静岡県浜松市北区の細江(ほそえ)町の行政区域を表示する地図の形となって現存する。

 おどろくべきことには、まさに奇跡であるが、この1千万坪の大鳥の地上絵の頭部とその両翼の部分は益氏が携えて日本列島に渡来したときの中国全土を弥綸する海岸線地図の形となっている。
 したがって、細江町の1千万坪の大鳥の地上絵の頭部と両翼は[弥]の字源・本義「山東半島とその南北の海岸線の形」を表示するものとなる。
 また、この[弥]の中国海岸線地図を[倭]の字源に合致させて90度転回させる形となる。
 さらに、この1千万坪の大鳥の地上絵を作成することができた絶対的条件となる最も重要な基点すなわち経緯度原点は、大鳥の地上絵の中央を流れる都田(みやこだ)川の河口に設置される。この経緯度原点が設置された「卑湿な河口」は[卑]の字源・本義を示す。
 前述したところ細江町の大鳥の地上絵における[弥]の字源・本義「カンムリカイツブリの頭と両翼の形」に類似すると見立てられた「山東半島とその南北の海岸線の形」を図化する部分は南端と東端の境界線で表示される。
 この[弥]の字源「山東半島とその南北の海岸線の形=カンムリカイツブリの頭と両翼の形」となる境界線の北側は引佐(いなさ)町の金指(かなさし)と井伊谷(いいのや)である。
 この「金指・井伊谷」の地図の形は[呼]の字源・本義を表示して「鳰の形」に作られて、中国の呉地の「杭州湾」は[呼]の字源であると表示する。

 このように、細江町の1千万坪の大鳥の地上絵を構成する3基点は[卑][弥][呼]の字源を明確に表示する。
 この1千万坪の大鳥の地上絵で注目すべきことは、今から約4050年前の後期縄文時代初頭に名門益氏の王子が日本列島に移住する時に携えてきた精密な中国海岸線地図が約2300年後の3世紀後半においても失われずに保存されていたことである。
 このような地図が保存されていたからこそ、『魏志倭人伝』に記述された転回日本列島地理を一女子が立論し、この転回日本列島地理が“真実である”と諸国の王や巫女・神官たちに絶賛されたためにその一女子が倭女王に選ばれて「卑弥呼」と名乗り、「倭」という国家が創設されたのである。
 したがって、『魏志倭人伝』に記述された「日本列島は東に伸びずに南に伸びる」という数々の記述は、「益荒男」の語源となった益氏の王子(天祖)が中国から携えてきた中国全土を弥綸する海岸線地図にもとづいて卑弥呼が立論した転回日本列島地理を証言するものであったのである。
 このような極めて特殊な歴史の事実が、細江町の1千万坪の大鳥の地上絵に現存されている‼

 このため、司馬遷が著作した『史記』にまったく記述されていない極めて特殊な歴史上の事実を、我々は目撃できるのである。
 今から約5000年前の五帝時代初頭から約4050年前の夏代初頭までの950年間、中国の歴代王朝は【銀河各部の形状】を【文字】とする学芸を発展し進化させるために、精密に天頂緯度を測定する方法を用いて精密中国海岸線地図作成事業を行っていた。
 その成果は『易経』繋辞上伝の「易は天地と準う。ゆえに能く天地の道と弥綸す。仰いでもって天文を観、俯してもって地理を察す」という文になって残った。
 この文でその存在が示された中国全土を包みこむ中国海岸線地図が、ほんとうに実在して現存することになったのである。
 この中国全土を弥綸する海岸線地図は卑弥呼が立論した転回日本列島地理に用いられ、「倭」という国名となり、卑弥呼の死去から間もない3世紀後半に作成された1千万坪の大鳥の地上絵に図化されて、現存して現在の我々が目撃できるのである。

 このように我々は、邪馬台国説と日本神話虚構説は【誤読】を駆使して構築した虚妄・ウソ八百であることを目撃することができる。
 だから、邪馬台国説と日本神話虚構説は、【誤読】を“文献批判”と称して巧妙に誤魔化す詐欺であり、日本民族を虐殺する暴論であり、人類共通の敵となる。
 今回は、ここまでの説明とする。次回も、世界史においても類をみない奇跡を示す益氏が携えてきた中国海岸線地図を目撃することができる細江町の1千万坪の大鳥の地上絵の追加説明から始めることにする。
 

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