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2012年5月 2日 (水)

邪馬台国学説は日本民族を虐殺する。しかも人類共通の敵である・22

 『魏志倭人伝』は280~289年に著作された。
 現存する最古の『魏志倭人伝』は12世紀に作成された紹煕(しょうき)刊本である。
 この紹煕刊本『魏志倭人伝』は1983字で構成され、5世紀に生存した裴松之(はいしょうし)の56字の注が加わる。したがって、紹煕刊本の『魏志倭人伝』は合計2039字で構成される。

 すべての邪馬台国説は“文献批判”を用いて立論する。
 いいかえると、2039字で構成される『魏志倭人伝』紹煕刊本の記事に何ヵ所かの批判を加えるので、1ヵ所も批判せずに忠実に読解しようとしない。
 『魏志倭人伝』に加える“文献批判”は記事を忠実に読まない。だから、言い方を換えると“誤読”である。
 “文献批判”は“誤読”か“正しい考え方”か、この根本的な問題を考えることは、本来、学者にあたえられた任務であり義務でありまた責任が問われる問題である。にもかかわらず、学者の誰ひとりもこの問題についてまったく考えず究明しようとしない。
 この学者の当然行うべきことをまったくしない怠慢と無責任は人間として資質が問われる道義的問題であり、近日起こった無免許で居眠り運転して幼児と付添いの若き妊婦を殺害した青年よりもはるかにまさって悪質きわまりない“犯罪行為”となる。

 『魏志倭人伝』に加える“文献批判”という名の【誤読】は『魏志倭人伝』だけでなく、『古事記』上巻の日本神話にも加えられ、この説は“日本神話虚構説”と呼ばれる。
 【誤読】から生れた邪馬台国説と日本神話虚構説によって、われわれ日本人はのいのちと心の根元を侮辱され、日本人としての魂と尊厳をも失い、なんのために生きてゆくのかを知ることができるアイデンティティも紛失して探し当てることができなくなってしまったために、もはや日本民族と日本国家は滅亡の坂道を転げ落ちていくしかないことになった。 
 だから、邪馬台国説と日本神話虚構説は“自国民を虐殺する狂気”ということになる。
 邪馬台国説と日本神話虚構説を構築する理由・根拠はすべて妄想・空論の産物である。
 “そんなことは断じてありえない”と即座に否定するかもしれないが、邪馬台国説と日本神話虚構説は【誤読】から産まれた妄想・空論であることが絶対的に事実であると証明できる史跡を先人はわれわれに残した。
 この現存する史跡によって、邪馬台国説と日本神話虚構説が“自国民を虐殺する狂気”であることが否定できない事実となる。

 『魏志倭人伝』と『古事記』上巻は日本国が誕生した歴史を記述するものであった。
 しかし、学者たちは『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に【誤読】を加える方法が正しい考え方であると定めた。このため、日本国誕生史の真相は排除されて不明となった。
 『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に【誤読】を一点も加えずに忠実に読解すると、中国の幾つかの正史との関連によって、下記のような歴史が明確となる。
 日本国の誕生は小国・日本の歴史から始まる。この小国・日本は倭国の隣国の東鯷人(とうていじん)国であった。
 208年の中国の戦争史で有名な赤壁(せきへき)の戦いにおいて、5万の呉と蜀の連合軍は80万の魏の大軍を撃破して劇的な大勝利をおさめた。この呉・蜀連合軍を勝利に導いた中心的役割は2万の呉の水軍がになった。230年、呉の黄帝の孫権は東鯷人国へ1万の呉の水軍に遠征を命令した。この情報をキャッチした東鯷人国の国王は当時の無敵艦隊の呉の水軍と戦ってもまったく勝ち目が無いと考えて、卑弥呼が統治する隣国の大国・倭に服属して、防衛の支援を求めた。ゆえに、233年ころに東鯷人国は国名が改められてた「日本」となった。これが、日本国が起源した小国・日本の誕生である。
 この小国・日本を防衛する女王に13歳の伊耶那美命が選ばれた。13歳の乙女の瞳孔は最も澄んでいるので、敵の戦力の呪力(じゅりょく)を奪う媚蠱(びこ・魔女)に最もふさわしいと考えられていたからである。日本国の軍王(いくさのおおきみ)に18歳の伊耶那岐命が選ばれた。当時のクワの刃先は鉄製ではなく原始的な木製であったので、堅い土地の開墾や農地を耕作する最適任者は太い腕と筋骨たくましい18歳の若者たちであった。これゆえ、戦いを指揮する王は18歳の青年が最もふさわしいと定まっていた。
 紀元前1世紀、中国では天の北極を最も重視するシナ天文が完成したため、約320後に呉の水軍が小国・日本へ遠征したとき、天頂緯度を測定する習慣が廃(すた)れていた。大海を渡るときの緯度と経度を測量する物差しを天の北極にすると精密に緯度と経度は測定できないので、決まって大海原で迷い漂流して藻屑(もくず)となって落命した。
 大海を渡る方法は精密に緯度と経度(子午線)が測定できる天頂点をキャッチする眼力と技(わざ)を鍛錬しなければならなかった。
 中国では精密に天頂緯度を測定する習慣が廃れていたので、呉軍の8割から9割の兵士たちは大海原に消えて落命して壊滅して、呉の水軍の遠征は大失敗した。

 小国・日本の女王となった伊耶那美命は国作りの柱を〔愛〕と定め、熱心に人民に説いた。
 伊耶那美命と伊耶那岐命の間に生まれた長男・淡島である。伊耶那美命は淡島が成長して小国・日本の王や小国の王になることに拒否して、王子の数に入れなかった。だから、『古事記』上巻は「淡島を伊耶那美命と伊耶那岐命が生んだ子どもの例(かず)に入れなかった」と記述する。
 この淡島が後の須佐之男命(すさのおのみこと)である。
 伊耶那岐命の正妃は伊耶那美命である。
 伊耶那岐命の第二后は天照大御神・伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)であった。
 この伊迦賀色許売命は伊耶那岐命に離縁され、後に「倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)」と名を改めた。
 伊耶那岐命と天照大御神(倭迹迹日百襲姫命)の子が第10代・崇神(すじん)天皇である。この天照大御神から生まれた崇神天皇もまた“天照大御神”と呼ばれた。つまり、“天照大御神”は倭迹迹日百襲姫命と崇神天皇母子であった。
 したがって、10代崇神天皇の父の第9代開化天皇が伊耶那岐命である。
 『古事記』上巻は「開化天皇は春日の(かすが)の伊耶河宮(いざかわのみや)に居住して天下を治めた」と記述する。この「伊耶河宮」と「伊耶那岐命」の先頭2字は「伊耶」で合致するゆえ、伊耶那岐命が開化天皇であることは容易に察知できる。
 『古事記』上巻は「開化天皇の正妃は竹野比売(たかのひめ)である」と記述するゆえ、「伊耶那美命」の本名は「竹野比売」であったことになる。
 なお、『古事記』中巻の開化天皇紀は「竹野比売は丹波の大県主(おおあがたぬし)の由碁理(ゆごり)の娘」と記述し、竹野比売の出身地の「丹波」は『魏志倭人伝』の小国「伊耶(いや)国」であった。小国・日本の人民は「伊耶国出身の那(うつく)しい美しい女王」であるから“伊耶那美命”と愛称したのである。
 中国の正史『後漢書』倭伝は「紀元前3世紀に生存した徐福の一行が中国から大海に入って東鯷人国に定住した。3世紀当時、徐福氏の子孫は数万家になっていた」と説明する。この「東鯷人国」が「小国・日本」となり、中国の正史『旧唐書』倭国日本伝は「小国・日本は日本列島の日辺(にちへん)にある」、『新唐書』日本伝は「日本は日の出ずる所に近い」と説明する。これゆえ、小国・日本はいわゆる「東国」、現在の「静岡県中部以東の東海・関東地方」であったことになる。
 小国・日本の南の大海には伊豆諸島が浮かぶ、さらに小笠原諸島、さらに南のマリアナ諸島が所在して海洋民族の古代ポリネシア人が進出したミクロネシア圏へつながっている。それゆえ、小国・日本(旧東鯷人国)にはミクロネシア圏の島々から北上した古代ポリネシア人も多数居住していたにちがいない。
 東海大学の海洋学部教授の茂在(もざい)寅男氏が著作した『日本語大漂流』(光文社)は古代ポリシア語の「イサナミ」は「聖なる愛人」、「イサナキ」は「聖なる祖始神」と意味すると解説する。つまり、ポリネシア系の人民は伊耶国・丹波出身の竹野比売“を“聖なる〔愛〕の女王”であるから“イサナミ”と呼んだ。ゆえに「伊耶那美」を「いや(伊耶)なみ」ではなく「いさなみ」と愛称されたため、「伊耶那美」は「いざなみ」と読まれるようになったと考えられる。伊耶那岐命は新生・日本の最初の王であるから、古代ポリネシア語の“聖なる祖始神”を意味する“イサナキ”と愛称されて「伊耶那岐」と表記されるようになった。そして、伊耶那岐命の漢風諡号(かんぷうしごう)は“聖なる祖始神”から“開祖”に類似する「開化」と定まったと考えられる。

 
 伊耶那岐命・開化天皇と天照大御神・倭迹迹日百襲姫命の子の崇神天皇の本名を、『古事記』中巻は「御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにえのみこと)」と記す。
 前述したように、伊耶那岐命・開化天皇と伊耶那美命・竹野比売の子の王子の数に入れなかった淡島は後の須佐之男命であり、彼の本名を『古事記』中巻は「比古由牟須美命(ひこゆむすみのみこと)」と記載する。
 『古事記』中巻は須佐之男命・比古由牟須美命を兄とし、天照大御神の子の御真木入日子印恵命を弟とする。
 しかし、『古事記』上巻の三貴子の分治説話では、御真木入日子印恵命を跡取り(皇太子)と定めたので、須佐之男命・比古由牟須美命を「弟」と記された。つまり、「兄」と「弟」の字義は現在と違って、「兄」は「弟よりも上位の人物」、「弟」は「兄を補佐する人物」と意味するものであった。
 開化天皇・伊耶那岐命は愛妻・伊耶那岐命の「成長して国王となる王子の数に入れて育てたくない」という願いをかなえて、須佐之男命を跡継ぎに選らばなかったのである。
 『古事記』に“文献批判”をまったく加えなければ、このような史実が明らかとなる。
 このような史実は、邪馬台国説と日本神話虚構説が【誤読】の妄想・空論であると断定できる現存する史跡によっても明らかになる。
 
 

 『魏志倭人伝』末部に「載斯烏越(そしあお)」という武将が登場する。この載斯烏越が伊耶那岐命である。白川静著『字統』は「載斯烏越」の[載]の字源を「載はおそらく兵車を祓う儀礼で、これによって軍行が開始されるのであろう」と解説する。前述した古代ポリネシア語の“イサナキ”と[載]の字源を併合させると〔新生・日本国で最初に軍行を開始する聖なる王〕と意味することになるので、伊耶那岐命の漢風諡号は「開化」となったのである。
 『魏志倭人伝』末部に「倭女王・壱与(いよ)」が登場する。この壱与が〔愛〕の女王・伊耶那美命・竹野比売である。
 『魏志倭人伝』は「卑弥呼はすでに死ぬ。大きな墓を作った。円墳部の直径は百余歩(約150m)。百余人の奴(18歳くらいの青年)と婢(13歳くらいの乙女)を殺して卑弥呼の墓に埋める徇葬(じゅんそう)をおこなった。卑弥呼の後に男王が倭の大王となったが、徇葬を憎悪する人民が武器を持って男王に服従しなかったので、倭の政府軍は千余人の反乱者を殺した。また、倭政府は13歳で卑弥呼の宗女(卑弥呼が率いる巫女界の魔女・媚蠱)として小国・日本の女王となった壱与を倭女王に就任させると、反乱はついに鎮静化した」と記述する。
 壱与・伊耶那美命は小国・日本で人民に〔愛〕を熱心に説いた。だから、彼女は聖なる〔愛〕の女王“イサナミ”と愛称されたのである。この壱与は倭国の伊耶国・丹波から小国・日本の女王となったために、倭の人々も彼女を敬愛した。ゆえに、壱与が女王になれば残虐な徇葬を必ずや禁止するにちがいないと反乱者たちは武器を捨てたので、国中の反乱はついに静まったのである。
 『魏志倭人伝』と『古事記』上巻にいっさい文献批判すなわち【誤読】を加えずにひたすら忠実に読解すれば、こうした歴史が明らかにすることができるる。

 『魏志倭人伝』は「倭には文字があった」と明記する。
 学者たちは“文献批判”すなわち【誤読】を用いて「倭に文字があった」という記事を排除・無視する。
 邪馬台国説学者たちの「倭に文字があった」という記事の無視・排除は〔漢字(古代中国文字)はもちろん古代エジプト文字やABCアルファベットのルーツとされるワディ・エル・ホル文字、原シナイ文字╱カナン文字、フェニキア文字、古代ギリシャ文字、ラテン(ローマ)文字、古ヘブライ文字、サマリア文字、南アラビア文字、古典エチオピア文字、初期アラム文字、ユダヤ文字、ナバテア文字、パルミラ文字、イースター島のコハウ・ロンゴ・ロンゴ文字などの古代文字はすべて銀河から作られた〕という人類一大共通文明の秘密が科学的に具体的に明確に解明できる、世界にただ一つ残った貴重な歴史を抹殺する大犯罪となる。
 

 わが国には、上記のすべての古代文字の起源と【文字の原形】の秘密を科学的に明確に解明できる確かな文献史料すなわち『魏志倭人伝』・『古事記』上巻と、そして史跡と遺跡と遺物が現在まで残った。
 この史跡と遺跡と遺物は〔世界の古代文字がすべて銀河から作られた〕ことが科学的に証明できるだけでなく、上記の伊耶那美命、伊耶那岐命、天照大御神、御真木入日子印恵命(崇神天皇)、須佐之男命の歴史が科学的に解明できて絶対的事実となる。
 この結果、邪馬台国説と日本神話虚構説の根拠・理由はすべて妄想・空論であり、「日本民族を虐殺する狂気」であることが絶対に否定することができない事実となる。
 要するに、文献批判は日本古代史の最も重大な歴史の真実を抹殺して日本国民を虐殺する詐欺でありペテンであり、そして【誤読】で最も重大な真実を凌辱(りょうじょく)するゆえ狂気ということになる。
 邪馬台国説と日本神話虚構説が完全なる100パーセントの【誤読】の空論であることが【科学】が成立して絶対証〕できる史跡は残っており、次回はこのことについて詳細に解説する。
 だから、この史跡が存在するので、邪馬台国説と日本神話虚構説の立論基盤の〔文献批判〕は日本人民を虐殺する狂気であることは絶対に否定できない。
 

 上記のすべての古代文字の秘密を伝える文献と史跡・遺跡・遺物によって科学が成立する歴史(過去の事実)の証明は、〔まったく疑うことができない1分前の真実とまったく同一の絶対事実〕となる。
 この世の〔絶対事実〕は〔証言と証拠が合致して、まったく矛盾点が無く【科学】が成立する証明でなければならない。このような証明のうえに、さらに過去の当事者だけが知っている極めて特殊な過去の事柄を語る証言に一点の矛盾もなく合致する証拠の発見〕によって成立する。
 いままで一度も失敗したことがすることがなかった老練な天才マジシャンが1分前から始まった手品のトリックを数人の客に見えてしまったという、極めて特殊な事態が起きた。この失敗を見た数人の客が一致して矛盾のなく語る手品のトリックを明かす証言と手品に使用した道具の指摘は絶対事実であり、天才マジシャンの巧妙な話術による手品のトリックを否定する誤魔化(ごまか)しは【科学】に反する虚言(ウソ)となる。

 だから、この世に存在する〔絶対事実〕すなわち「真実」は、〔証言と証拠が合致して、まったく矛盾点が無く【科学】が成立する証明でなければならない。このような科学的な証明のうえに、さらに過去の当事者だけが知っている極めて特殊な過去の事柄を語る証言に対して一点の矛盾もなく合致する証拠の発見〕によって成立する。
 したがって、刑事事件において犯人だけしか特別に知っている特殊な事柄を自白した証言とその証拠物件の科学的な一致は、過去の犯罪が絶対的事実であったと証明されることとなる。
 歴史学は、この〔過去の絶対事実(真実)〕を知ることができる方法を基盤にして確立される学芸である。
 だから、1分前の手品のトリックの〔絶対的事実〕が証明できるならば、1分前の手品のトリックと同じ条件・状況を成立させる過去の100年前、1800年前の歴史を証明する証拠を発見による【科学】の成立は〔絶対事実〕であると断定しなければならないことになる。
 もし、これを〔絶対事実〕の法則を日本考古学界が否定するならば、日本考古学界はウソ八百の悪の巣窟で、詐欺師の集団ということになる。

 『魏志倭人伝』は「卑弥呼が生存した3世紀、倭には文字があった」と証言する。 
 この「倭にあった文字」の出土史料は、未だ一点も発見されていない。
 ゆえに、『魏志倭人伝』の「倭には文字があった」という記事は絶対的にウソであると断定する考古学者の意見は正しいかと言えば、さにあらず絶対的誤りであり完全なるウソ八百、真っ赤なデマである。
 なぜならば、『魏志倭人伝』が「倭に存在した」という【文字】は【銀河各部の形状】であったからである。
 卑弥呼が生存した3世紀、わが日本列島の空には銀河が輝き存在した。
 考古学者たちが「倭に文字が無かった」と証明するには、〔3世紀の日本列島の全天には銀河はスッポリ抜けて存在しなかった〕、あるいは〔3世紀の日本列島は、現在と同じく何基かの原発が存在し、夜間においても煌々(こうこう)とまばゆく電燈が輝いていたので、銀河がまったく見えなかった〕ということを【科学】が成立するように証明しなければならない。このようなことを、日本考古学界が【科学】が成立するように絶対に証明できるはずがない。
 「銀河」は「銀漢」とも称するので、「銀漢から作られた字」を略して「漢字」という語が生まれた。その結果、「に多数の字が存在することになった」ので、「天」は「天文」と称されることになった。
 上記した世界の古代文字は、【銀河各部の形状】が【文字】であった。
 「中国古代文字」は【銀河各部の形状】を【文字】としたから「漢字」と呼ばれたように――現代ヨーロッパ文字・現代ペリシャ文字・現代アラビア文字・現代ヘブライ文字・現代アムハラ文字の起源文字となる古代エジプト文字(ヒエログリフ)もまた、『魏志倭人伝』が「倭に存在した」と証言したと同じく【銀河各部の形状】が【文字】であったのである。
 古代エジプト王朝は【銀河各部の形状】が【文字】である学芸の基礎知識を神話を作って示し、王と神官と書記は【銀河各部の形状】を【文字】とする学芸を厳重な機密にして独占管理していたのである。
 だから、出土史料が一点も発見されなくても、卑弥呼王朝は【銀河各部の形状】を【文字】とする学芸知識にもとづき、卑弥呼は文書を書いていたことになる。
 これゆえ、日本考古学者の「倭には文字が無かった」という意見は、正真正銘のデマであり、【科学】がまったく成立しない【誤読】の産物であったのである。

 『魏志倭人伝』の「倭に文字があった」という証言は【銀河各部の形状】が【文字】であったから〔絶対事実〕であった。
 したがって、『魏志倭人伝』の「倭には文字があった」という〔絶対事実(真実)〕は考古学にも証明できない真実があることを証明するものであり、考古学でも証明できない限界があり万全ではない学術であることを明確に示すことになる。
 歴史学における基軸は考古学ではない。考古学よりも【科学】のほうが優る。
 歴史学において考古学者たちは考古学が一段と優っていると上から目線で威張りくさる。ゆえに、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻にたとえ【科学】が成立しなくても文献批判を加えることができると平然と言い放つ考古学者たちの傲慢(ごうまん)な考え方は根底から間違っており、考古学は他の歴史学に属する分野と同等の思考方法でしかなく、【科学】が成立しない現在の日本考古学は学問ではなく詐欺であり出鱈目(でたらめ)である。

 学者たちが邪馬台国説と日本神話虚構説を立論するために排除した、すべての記述が〔絶対事実(真実)〕であった解説は、今回はこれでひとまず終わりとする。
 次回は、前述したとおりに〔『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の証言と先人が残した証拠(史跡)が合致して、まったく矛盾点が無く【科学】が成立する証拠となる史跡について説明する。
 この史跡によって、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻はともに❶「今から約4050年前、夏代黎明期の中国から日本列島に夏音文字が伝来した」、❷「卑弥呼王朝は“日本列島は東に伸びずに南に伸びる”と立論する転回日本列島地理を制定し、この転回日本列島地理は[倭]の字源を示すものであったので、卑弥呼が統治する国の名は『倭』となった」、❸「倭女王壱与・伊耶那美命・竹野比売は日本建国の〔愛〕の理念を提唱した」と証言する史料であることが〔絶対事実〕であると立証される。
 この史跡は、『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約(うけい)説話に記載されるクーデターの失敗を後世の人々に詳しく伝えるために作成された。天照大御神・御真木入日子印恵命の跡継ぎ(皇太子)決定に反対する須佐之男命・比古由牟須美命をかつぐクーデター計画が国中にわきおこった。しかし、大王(天皇)になる気が無い須佐之男命はクーデター計画を天照大御神に事前に伝えて阻止した。このクーデターは天照大御神が大王となったならば須佐之男命は即座に殺され、伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念も抹殺されると悲嘆・悲憤する諸国の王たちが立ちあがっておこすものであったが、須佐之男命は母の伊耶那美命が提唱する〔愛〕の理念にクーデターは反すると考えた。ゆえに、須佐之男命はクーデターをもちかけた5つの王たちの勢力の名を即座に分からない暗号で示して、天照大御神に自分は天下を治める野望を抱いていないと誓約してクーデターを失敗させた。このクーデターに参加した不呼(ふこ)国・遠江国造(とおとうみのくにのみやつこ)の祖先である建比良鳥命(たけひらとりにみこと)は、クーデターの真相を後世に伝えるために1千万坪の大鳥の地上絵を作った。この巨大な鳥の地上絵は静岡県浜松市北区細江町の行政区域を示す地図の形となって現存する。
 この1千万坪の大鳥の地上絵は天照大御神に反対するクーデターの秘密を保存し、また宗像の天菩比命(あめのほひのみこと)を首領とするク-デターグループは7人の建比良鳥命で構成され、このグループはクーデター失敗後に日本建国の〔愛〕の理念を後世に伝えるために近畿・三遠式銅鐸を表(しるし)とする夏音文字の学芸運動をおこなったと伝える。
 さらに、細江町の行政区域として現存する、この1千万坪の大鳥の地上絵は上記の❶❷❸の歴史を伝える極めて特殊な事柄も伝える史跡である。
 今から、約4050年前に日本列島に夏代黎明期の帝益の孫の王子(天祖)と若者たちが大海を越えて日本列島に渡来して定住して夏音文字の学芸を根づかせた。このとき、名門益氏の王子・天祖は五帝時代初頭の黄帝時代以来から夏代黎明期までの約950年におよぶ間、中国の歴代王朝が天頂緯度測定によって作製した精密な中国海岸線地図をたずさえて日本列島に移住した。この益氏がもたらした精密な中国海岸線地図にもとづき倭女王の名は「卑弥呼」と定まり、この卑弥呼が転回日本列島地図を立論したと、この1千万坪の大鳥の地上絵を調査すると明らかになる。
 さらに、卑弥呼が立論した転回日本列島地理の聖性を汚す天照大御神母子の大和王朝を憎悪して、転回日本列島地理の神に奉仕する宗像の天菩比命と7人の建比良鳥命はクーデター計画に加わったことを示す機能が、細江町の行政区域を示す1千万の大鳥の地上絵に備わっている。
 このような極めて特殊な歴史の秘密、つまり司馬遷著『史記』陳杞世家(ちんきせいか)に「帝益の子孫はどこに封ぜられたか不明である」と記述された名門益氏の王子と若者たちが日本列島に移住したときに精密な中国海岸線地図を携(たずさ)えた歴史の秘密は中国の五帝時代・夏代の歴史にもまったく登場しない。その2350年後に、益氏が持ってきた精密な中国海岸線地図にもとづいて『魏志倭人伝』が「日本列島は南に伸びる」と証言する転回日本列島地理を卑弥呼が立論した歴史が1千万坪の大鳥の地上絵には保存されて、現在でもわれわれの眼で直に目撃することができて確認できる。
 次回は、このような極めて特殊な歴史の秘密が一点の矛盾もなく【科学】が成立して証明できることができること〕について具体的に表示して、邪馬台国説と日本神話虚構説が【誤読】の空理空論であることは否定できない〔絶対事実〕であることを明らかにする。

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