邪馬台国学説は日本民族を虐殺する。しかも人類共通の敵である・25
現在、日本古代史に関する“ほんとうの歴史学者”と呼べる人物は、この世に一人も存在しない。
たとえば、朝日新聞が今年の3月28日に「ひと」の欄で「日本の考古学研究をリードしてきた学者のひとりだ。」と讃える同志社大学の名誉教授の森浩一氏は、絶対に“学者”に呼べる人物ではなく、間違いなく正真正銘の似非(えせ)学者である。
というのも、森浩一氏の『魏志倭人伝』・日本神話(『古事記』上巻・『日本神話』神代紀)・古墳時代の天皇陵に関する意見は、その大半が根本的に誤っているからである。
なぜ、森氏はその意見の大半を誤っているかといえば、❶森氏の考古学に則る意見は、1980年代から欧米の先端科学者たちがいくつかの国際会議を開いて世界に「デカルトから始まる西洋近代科学の合理のパラダイム(考え方)には、傲慢(ごうまん)な単純化、無秩序から秩序が創造できないなど、いくつかの誤りや欠点がある」という警告を無視するものだからである。森氏の意見は西洋近代科学の合理思考方法が有する傲慢な単純化と無秩序から秩序が創造できない誤り・欠点を駆使(くし)してこじつける、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に証言された真実の歴史を抹殺する妄想(もうそう)である。
❷森氏は『魏志倭人伝』・『古事記』上巻・古墳時代の天皇陵についての歴史について意見を述べるが、この時代の歴史は「歴史」の語源を正確に知っていなければ歴史の真相を解明できない。にもかかわらず、森氏は正確に「歴史」の語源を知らない。字書の聖典『説文解字』は序で、「歴史」の語源を「けだし文字は経芸の本、王政の始め、前人のもって後人に垂れるところ、後人のもって古(しにしえ)を識(し)るなり」と示し、「【歴史】の語源は『説文解字』が語る字源・本義である」と指摘する。
❸したがって、『魏志倭人伝』・『古事記』上巻・古墳時代の天皇陵に関する歴史は、『説文解字』が全巻を通して伝えようとした【文字】は【銀河各部の形状】であったという知識が不可欠となる。森氏は今から約4050年前の後期縄文時代初頭に中国から夏音(かおん)文字がわが国に伝来していることをまったく知らない。それゆえ、【文字】が【銀河各部の形状】であることもまったく知っていない。だから、森氏は『魏志倭人伝』・『古事記』上巻・古墳時代の天皇に関する歴史を解明するにあたって、当然、有していなければならない基礎知識をまったく有していないので、彼の大半の意見は妄想・虚偽となったのである。
森氏の意見は、古墳時代の天皇陵には人名が付くが、この漢風諡号(かんぷしごう)は古墳時代にはなかったという先入観を思考基盤とするが、この先入観は西洋近代科学の傲慢な単純化から生まれた錯覚・幻想であるゆえ、その意見は根本的に間違っていることになる。古墳時代に付けられた漢風諡号は、【文字】は【銀河各部の形状】にもとづき、その天皇陵の立地場所と被葬者(天皇)の事績などを正確な字源・本義であらわすものである。だから、森氏の意見は傲慢な単純化による根拠・理由なき空論である。
森氏にかぎらず、日本の古代史学者たちは『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に加えられた〔文献批判〕という思考方法が西洋近代科学の合理の考え方の誤り・欠陥である傲慢な単純化の産物、すなわち誤読であることにまったく気づいていない。
『魏志倭人伝』と『古事記』上巻には西洋近代科学の傲慢な単純化(文献批判)で排除された共通の真実の歴史がある。
その共通した真実の歴史は、二つある。
その一つは約4050年前に中国から夏音文字が伝来しているゆえ、『魏志倭人伝』の幾つかの記事で「倭に文字があった」という記述は、当然、真実を伝えるものとなる。この記事群は「倭の文字は銀河各部の形状であった」と証言するものであり、また『古事記』上巻は『魏志倭人伝』が「倭の文字は銀河各部の形状であった」と示す、この事実を後世に正確の歴史を伝える方法に用いて作成されている。
二つ目の真実の歴史は、『魏志倭人伝』の「日本列島は東に伸びずに南に伸びる」という証言である。この証言は、卑弥呼が立論した転回日本列島地理論を説明するものであり、『古事記』の天照大御神と須佐之男命の誓約説話末部に、この転回日本列島地理を神として祭る宗像(むなかた)の天菩比命(あめのほひのみこと)が登場する。
中国の正史『新唐書(しんとうじょ)』日本伝には――702年に中国に渡った日本国の遣唐使が「後稍(のちやや)夏音を習い云々(うんぬん)」という記述がある。だから、この記述を注目すれば、わが国には夏音文字が伝来していたことは容易に察知できる。
にもかかわらず、学者たちは『魏志倭人伝』の「倭に文字があった」という記事群を機械的に傲慢な単純化を用いて排除し、また「日本列島は東に伸びずに南に伸びる」という転回日本列島地理論をも機械的に傲慢な単純化を用いて抹殺する。
しかし徳川家康は、『新唐書』日本伝の「後稍夏音を習い、倭の名を悪(にく)み、あらためて日本と号す。云々」という、この記述にその生涯をささげて、3千万坪の「夏音は習わず」という羽の無い大鳥の地上絵を彦根藩に命じて作成させた。
この3千万坪の大鳥の地上絵は、現在の彦根市の行政区域を表示する地図の形と現存する。
この彦根市の地図の形によって、森氏はじめとする学者たちの2世紀末から4世紀末までの歴史意見は西洋近代科学の傲慢な単純化によって生まれた完全なる妄想であり、誤読の空論であることが証明される。
『魏志倭人伝』と『古事記』上巻が記述して証言する真実の歴史を、学者たちは傲慢な単純化(文献批判)を用いてすべて抹殺・排除した。
よって、上記の❶❷❸からして、歴史学者ならば当然に「歴史」の語源を知っていなければならないのにもかかわらず、「歴史」の語源に反する方法を正しいと思い込んでいるので、“ほんとうの歴史学者”と呼べる人物は一人も存在しないことになる。
森氏はじめ学者たちは今から約4050年前の後期縄文時代初頭に、中国から夏音文字が伝来していることをまったく知らない。
『魏志倭人伝』は小国名・人名はじめ幾つかの記事で「倭には文字があった」と証言する。この【文字】は夏音文字であり、夏音文字は【銀河各部の形状】を【文字】と定めた。そして、当時は魏・帯方郡・諸韓国が楷書の文字を使用していたので、【銀河各部の形状】を【文字】とする夏音文字文の字形は楷書で表記された。
わが国には、今から約4050年前の中国夏代初頭(わが国の後期縄文時代初頭)、原初漢字の夏音文字が伝来していた。
この夏音文字の伝来した痕跡に明確に残る遺跡が、後期縄文時代初頭に相当するとされる国の特別史跡・大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)の万座遺跡・野中堂遺跡である。大湯環状列石は秋田県鹿角(かづの)市に所在する。
今から約5000年前の“漢字の始祖”の倉頡(そうきつ)は、銀河を見て万物の情に類するように多数の文字を作る漢字作成原理〔鳥獣の文〕を発明した。倉頡は自分が考案した文字が強大な権力と莫大な富と最高の名誉を手に入れるもっとも強力な方法であることに気づき、反体制側が文字の知識を習得して革命に利用したならば王朝が容易に崩壊して滅亡してしまう事態を警戒した。
そこで、倉頡は①〔書く(表記する)図書〕を〔文字〕と定めず、【銀河各部の形状】を【文字】と定め、②字形は銀河の形状を見たままでなく、簡単に【文字】が【銀河各部の形状】から作られたことが察知できなくするために、字形作成方法を〔文字となる銀河部の北が南に成るように180度反転し、さらに南が西に90度転回する形にする〕ように定め、この作字形式は現在の中国の簡略字とわが国の当用漢字まで受け継がれている、さらに③倉頡は【銀河各部の形状】をあらわす図書(文字)を地面や木片などに書いて用が済んだならば、直ちに消さない者は即刻死刑にすると厳重な刑罰を定めた。ゆえに、倉頡の[倉]に[刅(そう)]を加えると「創造」の[創]の字となり、「死刑に用いる刀」を字義とする[刅]は「死刑」の[刑]、「刑罰」の[罰]の字に加えられることになって、倉頡が定めた厳しい刑罰は[刅]の字部を有する文字の字源・本義となって表示された。
中国の正史『新唐書(しんとうじょ)』日本伝に――702年に中国に渡った日本国の遣唐使が「後稍(のちやや)夏音を習い云々(うんぬん)」と中国王朝に語った――という記述がある。
この「後稍夏音を習い」と日本の遣唐使が証言したように、今から約4050年前に中国から伝来した夏音文字がわが国には存在した。
「後稍夏音を習い」という短い文は「壬申の乱の後、天武・持統両天皇が皇祖・天照大御神が夏音文字に精通する聡明な女王であったことを後世に伝える、夏音文字で書かれる史書『旧辞(きゅうじ)』に記載される歴史を稍(一部だけ)習う(復興する。蘇らせる)ところの偽の歴史書を作成せよと命令した」という、複雑な意味を秘めるものであった。
しかし、歴史書編纂スタッフは702年から10年後の712年に、天武・持統両天皇の命令に背く反逆の史書『古事記』を完成して元明天皇に献呈して正史にしようと企んだ。
『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国(よみのくに)訪問説話に、「天照大御神」の名を「黄泉国の伊耶那美命」という名にして、「天照大御神が八(やくさ)の雷神(いかづちがみ)すなわち18歳の青年くらいの青年と13歳くらの乙女たちを残酷にも多数殺す徇葬(じゅんそう)儀式を決行して、亡き倭女王・伊耶那美命の墓に埋めた」と記述した。また、葦原中国のことむけ説話で「天照大御神・崇神(すじん)王朝は日本建国の〔愛〕の理念を提唱した倭女王・壱与(夏音名)すなわち小国・伊耶(いや)国=丹波出身の“伊耶那岐命”と愛称された竹野比売(たかのひみ・本名)を崇拝する大国主神が治める出雲王権を狡猾(こうかつ)な策謀(さくぼう)をめぐらし、さらに強引に武力で征服した」と真実の歴史を記述した。また、天孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)説話で「『魏志倭人伝』が証言する卑弥呼が立論した転回日本列島地理を神としてつかえる天菩比命(あめのほひのみこと)が治める宗像(むなかた)王権が伊耶那美命を崇拝するのは許すことができないと憎悪し、天孫邇邇芸命が大軍を率いて遠征して宗像王権を征服して服従させた」と記述した。
現在の学者たちは『古事記』上巻の文字づらを撫でるだけの雑な読み方をしたうえにさらに傲慢な単純化をして、『古事記』上巻は天照大御神を崇拝して偉大視する書物であると解釈する。
だから、現在、書店や図書館などにあるすべての現代訳本は、この文字づらだけを見て雑に読んだうえに傲慢な単純化がなされた解釈にもとづいて、天照大御神を讃える書物となる。
しかし、『古事記』上巻は天照大御神の聖性を徹底的に汚す反逆の史書であった。ゆえに、書店や図書館にある天照大御神を讃える書物はすべて誤読・誤訳の産物ということになる。
元明天皇は『古事記』が皇祖・天照大御神の聖性を汚す反逆の史書であると読解した。だから、元明天皇は『古事記』献呈を即座に拒絶した。そして、元明天皇は『古事記』上巻に証言された真実の歴史の抹殺をはかった。
『古事記』が完成した翌713年、元明天皇は『風土記(ふどき)』の編纂を全国に命令して、『古事記』に記載されている地名と天照大御神の聖性を汚す歴史を伝える地名と伊耶那美命・伊耶那岐命の歴史を知ることができる地名、また古老たちの真実の歴史を語る伝承などの一掃をはかった。
このような事情であったから正史『続日本紀(しょくにほんぎ)』には『古事記』序に記載される元明天皇が『古事記』作成を命じた年月日や完成した年月日の記事が削除(さくじょ)され、天皇と律令政権に『古事記』はこの世に存在しなかった書物のごとくに扱われた。
『古事記』編纂スタッフは、天武・持統両天皇の「後稍夏音を習い」という欲求を逆手(さかて)にとって、上巻の随所に〔音〕という注を付けて多数の夏音文字を記載した。
夏音文字は【銀河各部の形状】であり、『古事記』が作成された当時、楷書で表記されるようになっていた。
夏音文字は【銀河各部の形状】であったので、伝来した当時の象形文字で表記されるものではなくなっていて、楷書で表記されるのが定式となっていた。
この楷書で表記する定式によって、〔音〕という注が付く楷書で表記される夏音文字から【銀河各部の形状】が【文字】であることが察知できれば、他の楷書で表記されるすべての文字(万葉仮名)も【銀河各部の形状】ということになる学理が確立されることになった。
つまり、『古事記』上巻の【すべての文字】が【銀河各部の形状】であることは、夏音文字が伝来した当時の象形文字ではなく、楷書で表記されることによって確立されたのである。
現在の当用漢字の字形も銀河各部の形状に相似・類似するので、実際に実権すれば【すべての文字】は【銀河各部の形状】であるという学理は成立する。
したがって、『古事記』上巻は【すべての文字】は【銀河各部の形状】であるという学理を利用して、後世に真実の歴史を伝える方法に活路を求めて作成された史書である。
この学理によって、『古事記』上巻に記述された上古の歴史は、まるで今朝の出来事であったかのごとくによみがえる。
強大な天皇と律令制国家の権力でも、天にある【文字】である【銀河各部の形状】を削除・消滅することができない。
ゆえに、反逆の史書『古事記』の上巻に用いられる【すべての文字】は楷書ではなく、楷書で表記される【すべての文字】は【銀河各部の形状】に直して正しい字義を知って読解する史書であった。だから、【銀河各部の形状】は【真実の歴史を記述する文字】となった。
『古事記』上巻に用いられる【すべての文字】は【銀河各部の形状】となる――この事実を後世に伝えるために、『古事記』上巻・中巻・下巻の計三巻冒頭は「上巻 序并」(上巻 并せて序)として「序は上巻だけに序であって、序は中巻・下巻と無関係である」という世にも珍しい序が考案された。
この序を受け持つ太安万侶(おおのやすまろ)は、序の冒頭から末部まで、後世の人々に『古事記』上巻に用いられる【すべての文字】が【銀河各部の形状】であることを巧妙な文で伝えるようにした。
しかし、西洋近代科学の合理思考の傲慢な単純化に取りつかれる学者たちは、【歴史】の語源も調べず、【文字】はいかにして起源したかまったく考えようともせず、倉頡が発明した漢字作成原理〔鳥獣の文〕を正確に伝える史跡は中国には存在しないが日本に存在することも知らず(①細江町の1千万坪の大鳥の地上絵、②京都の竜安寺の石庭 ③彦根の3千万坪の大鳥の地上絵、④桂離宮の庭園に保存される)、いきなり“文献批判”という名の“誤読”を用いて『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の真実の歴史をことごとく排除し抹殺して、平然と“吾輩は学者である”と自称するが、自らが正真正銘の似非学者であることにまったく気づかない。
『魏志倭人伝』と『古事記』上巻は、前述したように傲慢な単純化で排除された二つの真理の歴史を伝え、その一つが❶「倭に【すべての文字】が【銀河各部の形状】である学理を知ることができる夏音文字があった」と証言する。
『魏志倭人伝』と『古事記』上巻が後世に伝える二つ目の真理の歴史は、❷「日本列島は東に伸びず、南に伸びる」と定めた転回日本列島地理論はほんとうに実在したものであったのである。
倭女王となった一女子は日本列島の西端の玄界灘に浮かぶ沖ノ島と同緯度の東端となる伊豆諸島・神津島とその気候の〔西冷東暖〕と中国全土を包み込む海岸線沿いの〔北冷南暖〕とを注目して、中国の〔北冷〕と日本列島の〔西冷〕が合致し、中国の〔南暖〕と日本列島の〔東暖〕が合致するので、日本列島は東に伸びずに、中国の暖かい南の方に伸びるという転回日本倭列島地理を立論した。
この〔方位を90度転回する転回日本列島地理〕の立論基盤となった中国全土を包みこむ海岸線は[卑][弥][呼]の字源・本義を表示するものであったので、転回日本列島地理を立論した一女子は“卑弥呼”と呼ばれることになった。
卑弥呼が立論した〔方位を90度転回させる方位規定〕は[倭]の字源・本義を示すので、卑弥呼が統治する国の名は“倭”と号することになった。
『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話の末部は「宗像王権の天菩比命は卑弥呼が立論した転回日本列島地理の東の基点となった沖ノ島に沖津宮(おきつみや)を設営して神として祭り、宗像市大島に辺津宮(へつみや)、宗像氏玄海町田島に中津宮(なかつみや)を設営して鎮座ささせた。ところが、この宗像の三女神を祭る天菩比命を首領とする7人の建比良鳥命(たけひらとりのみこと)たちのグループは天照大御神・崇神天皇王朝を倒すクーデターを計画するとともに伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念を後世に正確に伝える夏音文字の学芸運動をおこなった」と記述する。それゆえ、天孫邇邇芸命説話は「大和から出発した天照大御神の孫となる邇邇芸命が率いる遠征軍は宗像王権を征服した」と記述する。
なにゆえ宗像の天菩比命はクーデターを計画したかと言えば、天菩比命が敬愛する伊耶那美命を天照大御神・崇神天皇王朝は伊耶那美命を憎悪し侮辱しただけでなく、大和の三輪山の頂上近くに奥津磐座(いわくら)・中津磐座・辺津磐座の3ヵ所を設けて、[倭]の字源となる転回日本列島地理の聖なる基点を勝手に遷(うつ)してしまったからである。
天照大御神・崇神天皇王朝は倭の天下を手に入れて、転回日本列島地理で国号が「倭」と定まる国の首都が所在する地としての権威を示すために、卑弥呼が立論した転回日本列島地理の聖なる神を強引に大和に遷した。
だから、沖の島に棲む転回日本列島地理の神に奉仕する天菩比命は天照大御神・崇神天皇王朝を倒すクーデターを画策したのである。
なお、『古事記』の天照大御神と須佐之男命の誓約説話は「宗像市玄海町田島に中津宮が鎮座し、宗像市大島に辺津宮が鎮座する」と記述するが、現在の宗像の三女神は玄海町田島に辺津宮が鎮座し、大島に中津宮が鎮座するゆえ、両者の中津宮と辺津宮は相違する。
以上のごとく、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻は「日本列島は東に伸びずに南に伸びると立論された転回日本列島地理は真実の歴史であった」と証言する。
現在の静岡県浜松市北区の細江町の行政区域の範囲を示す地図の形は、『魏志倭人伝』と同時代の3世紀後半に作成された1千万坪の大鳥の地上絵の史跡である。
この細江町の1千万坪の大鳥の地上絵は、『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話末部に記載される天菩比命クーデターグループに参加した7人目の建比良鳥命として名を連ねる、遠江国造(くにのみやつこ)の先祖の建比良鳥命が作成した。
彼は首領・天菩比命の“〔愛〕の理念が掲げられた小国・日本誕生史は絶対に後世に伝えなければならない。この歴史は天照大御神王朝が抹殺しようとするが、絶対に失ってはならない”という呼びかけに応じて、1千万坪の大鳥の地上絵を作成した。
この1千万坪の大鳥の地上絵は、【すべての文字】は【銀河各部の形状】である学理を後世に伝える。また、天照大御神・崇神天皇王朝が抹殺せんとした『古事記』上巻に記述された3世紀半ばから4世紀末までの歴史を後世の人々が1時間前の出来事を見るがごとくになるように作られた史跡である。
要するに、この1千万坪の大鳥の地上絵は、後世の人々が客観的に考え矛盾・不合理を排除して論理が完結して【科学】が成立するように作成された、すべての漢字の字源・本義を知ることができる字源字書と科学事典の機能を有する史跡である。
これゆえ、この『魏志倭人伝』と同時代に作成された1千万坪の地上絵によって、現在の学者たちの『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に対する意見は、矛盾と不合理が満ちあふれる、「歴史」とはなんたるかをまったく知らない、「文字」とはなんたかをまったく知らない、無知と妄想が渦巻く学問から程遠い誤読の空論であったと断定しなければならないことになる。
細江町の1千万坪の大鳥の地上絵を守る建比良鳥家の子孫は、1010年に武家の井伊家を創設し、井伊家24代頭首の直政は徳川軍最強の“井伊の赤備え”を率いる大将となり、井伊氏は譜代大名筆頭の地位についた。
徳川家康は信長をが主君と仰いでつかえた。
この織田信長にとって、天下統一は手段であって、生きる目的は細江町の1千万坪の大鳥の地上絵の作成目的と同じであった。
信長は【すべての文字】が【銀河各部の形状】であることを知ることができる夏音文字の学芸と日本建国の〔愛〕の理念の復興に命を賭けた。
彼は伊耶那美命に熱烈にあこがれていた。
だから、信長は夏音文字の学芸と日本建国の〔愛〕の理念の歴史は“絶対に失うことができない歴史である”という熱い情念を胸に秘め、その復興に一生をささげた。しかし、明智光秀の謀反で本能寺の火炎に包まれて命が尽き、人生の目的を果たすことができなかった。
信長の命が本能寺で尽きたことを、堺に旅して滞在していた家康は知ったとき、「手勢で明智光秀と一戦を交えて斬り死する!」と半狂乱となった。
というのも、家康も熱烈に伊耶那美命にあこがれ、夏音文字の学芸と日本建国の〔愛〕の理念の復興を一生の願いとして、“わが夢をかなえてくれるわが君主”と信長につかえていたからである。
信長という支えを失った家康は、信長の死から4ヵ月後に、小姓組の一員としてつかえる弱冠22歳の井伊家の24代頭首・直政に武田家の遺臣74騎と坂東武者43騎を与えて、深紅の武具をまとう赤備えを率いる大将に抜擢(ばってき)した。
この建比良鳥命の子孫にして細江町の1千万坪の地上絵の守り番である直政は、信長と家康同様に伊耶那美命に熱烈に憧れ、夏音文字の学芸と日本建国の〔愛〕の理念は“絶対に失うわけにはいかない歴史である”という情念を魂でくるんで鬼と化し、その復興に命をささげるものであった。ゆえに、直政は敵から「赤鬼」と恐れられ、戦場を疾駆(しっく)する井伊の赤備えは連勝不敗の徳川家最強の軍団であった。
信長と直政と家康は同じ夢を抱き、夏音文字の学芸と日本建国の〔愛〕の理念の復興を人生の目的として生きるものであったのである。
関ヶ原合戦で勝利すると、家康は、早速、直政に信長の居城の安土城の北側の西軍の大将・石田三成の居城・佐和山城へ移住するように命じた。直政は関ヶ原で島津隊が撃った鉄砲傷を負っていた。しかし、彦根藩初代藩主となった直政はて夢の実現にせき立てられて、関ヶ原合戦の直後の1601年正月に佐和山城に入るが、鉄砲傷は悪化して翌1602年に42歳で死去した。
信長と直政を失った家康は、彦根藩の近隣の7ヵ国12大名に動員を命じて助勢させ、702年に日本の遣唐使が中国王朝に「夏音を習い云々」と述べた言(ことば)から発想した「夏音は習わず(夏音文字はいまだ復興しない)」と設計する3千万坪の大鳥の地上絵の完成を急がせた。
この彦根の3千万坪の大鳥の地上絵は1603年に着工され、20年後の1622年に完成した。1616年に家康は没しているので、家康は3千万坪の地上絵の完成を見ていない。
信長と直政と家康が生きる目的とした『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に記述された夏音文字の学芸と日本建国の〔愛〕の理念の歴史は卑弥呼が立論した転回日本列島地理をも明確に設計する、3千万の大鳥の地上絵として現存する。
この3千万坪の地上絵は、現在の彦根市の行政区域の範囲を示す地図の形となって現存する。
地図を開くと、彦根市の西端となる琵琶湖の東岸に沿って、愛知川(えちがわ)の河口と彦根城の本丸を結ぶ線は緯度軸に対して29度に傾いて〔夏至の日の出〕を指さして「夏音文字」を示すものとなる。また、グニョグニョと曲がる彦根市の東端の境界線は〔羽の根元の形状〕を表現するものであるが、〔羽の形〕は存在しない。だから、羽の無い彦根市の大鳥の地上絵は「夏音は習わず」つまり「夏音文字は未だ復興されず」という信長と直政と家康の怨念(おんねん)と怒りを示すものとなる。
この〔鳥の羽〕の部分となる彦根市の東隣の多賀町に、伊耶那美命を主神として祭る多賀大社がある。ゆえに、伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念は夏音文字の学芸が復興したならばよみがえるを示して、彦根の3千万坪の大鳥の地上絵には〔羽の根元の形状〕があっても、〔羽の無い鳥の地上絵〕となった。
この地上絵は信長の出身地の〔尾張の地図の形〕を〔カンムリカイツブリの姿〕に類似すると見立て、直政が居住した〔引佐町井伊谷(いなさちょういいのや)の地図の形〕は〔鳰(にお・カイツブリ)の姿〕の形をあらわすものであると示し、家康を出生地の〔三河の地図の形〕を〔ハジロカイツブの姿〕に類似すると見立てて、3種のカイツブリの姿が合体する設計となる。
なぜ、3種のカイツブリを用いて表現したかといえば、卑弥呼が立論した転回日本列島地理は中国全土を洩れなく包み込む海岸線があらわす[卑〕[弥〕[呼〕のうち、[弥]の字源・本義は「カンムリカイツブリの姿に相似する銀河」であり、[呼]の字源・本義は「鳰の姿に似る銀河」であるからである。また、倉頡が発明した漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕はハジロカイツブリと密接な関係があり、信長の居城の名の「安土」の語源の由来は〔ハジロカイツブリ〕に原因するものであったからである。
このように、彦根の3千万坪の羽の無い地上絵は、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の記述が真実の歴史を伝えるものであると後世の人々は確信して断定できるように、字源字書と科学事典の機能をそなえる史跡である。
そして彦根の羽の無い3千万坪の地上絵は、信長と直政と家康が“絶対に失うことができない歴史がある。なぜ、真実の歴史を排除するのか!”と胸に秘めて生きた執念と怒りを鮮烈に表示する史跡である。
これゆえ、現在の学者たちが『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に文献批判を加えてとなえる意見は誤読の産物の空理空論であり、虚偽と妄想で捏造(ねつぞう)した出鱈目(でたらめ)であることが科学的に明確に証明できる史跡である。
彦根の3千万坪の地上絵は『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に記述された2世紀末から4世紀末までの歴史が1時間前の出来事のごとく鮮烈によみがえるように作られた信長と直政と信長の執念と怒りが結集する史跡である。
細江町の1千万坪の大鳥の地上絵と彦根の3千万坪の大鳥の地上絵によって、歴史学の基礎知識を備えず基礎的ルールを無視して『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に記述される真実の歴史を闇に葬る考古学者・邪馬台国説学者・日本神話虚構説をとなえる学者たちは“誤読の空論村の一族”ということになる。
今日、テレビで菅直人前首相が東電の経営者たちや原発安全神話をでっちあげた原子力科学者や技術者たちの集団を“原子力村”と表現していた。
この“原子力村”の勢力と同様に“誤読の空論村”の勢力は、この日本を滅亡させる、日本民族を虐殺する族(やから)である。
建比良鳥命と井伊氏の人々と信長と直政と家康は、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に記述された真実の歴史を失ったならば日本人の心と魂を失うことになり、生きる意味が無くなって日本人が消滅してしまうと考えた。
だから、“誤読の空論村”の学者たちは日本民族を虐殺する“ろくでなしの役立たず”ということになる。
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