G-T0XYQT12LL 邪馬台国学説は日本民族を虐殺する。しかも人類共通の敵である・24: 卑弥呼の逆襲

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2012年5月26日 (土)

邪馬台国学説は日本民族を虐殺する。しかも人類共通の敵である・24

 山尾幸久著『魏志倭人伝』(講談社)は「『魏志倭人伝』は280~289年に成立した」と指摘する。
 『魏志倭人伝』は2世紀末~3世紀半ばの日本列島の様子を記述する。
 この『魏志倭人伝』の記事の大半は、下記の二つ記事グループで作られている。
 ① 倭には文字があった
 ② 日本列島は東に伸びずに南に伸びる

 日本古代史学界の定説は、日本が漢字を習得したのは5世紀あるは6世紀と定める。
 だから、『魏志倭人伝』の記述は誤っていると文献批判を加えて否定する。
 今回は「① 倭に文字があった」という、この記事群が真実の歴史を証言するものであったことを解説する。
 「② 日本列島は東に伸びずに南に伸びる」という記事群が事実であったことについては前回〔23〕で解説した。この記事群は、卑弥呼が立論した転回日本列島地理を証言するものであり、この日本列島の「〔東〕を90度転回して〔南〕と定める方位規定」は[倭]の字源を表示するものであるので、事実を伝えるものであったことになる。

 わが国の中国古代漢字の第一人者とされる故人の白川静先生が著作した『字統』(平凡社)は、下記のごとく指摘する。
 「古紐や古韻の研究は、西洋の言語学・音韻学がとり入れられ、殊にその音韻史研究によってえられた諸法則が、原理的にほぼ適用しうるという関係もあって、カールグレンがその方法を開いてから、急速な進展をみせている。そしてその結果、わが国の国語として残されている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかになった。
 千賀四郎編集『邪馬台国 =なぞの古代国家=』(小学館)は「卑弥呼の文字を中国漢字の上古音で読めば〔ピミカ〕になる。また、魏以前の中古音で読めば〔ピミエクェオ〕となり、(中略)、いずれにしても〔ヒミコ〕と読むことはできない。」と指摘する。
 中国の漢字音では〔ヒミコ〕と読むことはできないうえに、中国の魏(当時)以前の最古の上古音よりも、わが国の漢字音〔ヒミコ〕のほうが古いことになる。
 だから、『魏志倭人伝』の倭女王名の「卑弥呼」を〔ヒミコ〕と読む字音は、中国の上古音よりもさらに古い、中国が失った漢字音ということになる。
 最古の字音の〔夏音〕が「卑弥呼」はじめとするて人名、また小国名などとなって『魏志倭人伝』に記載される。ということは、夏音文字がわが国に伝来して存在していたと考えるべきことになる。
 ゆえに、『魏志倭人伝』が「倭には文字があった」と記述して証言することは真実を伝えるものであったのである。
 第一、倭に文字が無かったならば魏・帯方郡と外交をまったく結べなかったことになるので、約2000字で構成される『魏志倭人伝』には文字が1字も存在してはならないことになってしまう。それゆえ、学者たちの見解・意見は完全なる妄想(もうそう)・出鱈目(でたらめ)であることが決定的となる。

 この【文字】に関する問題で、学者たちは【文字】の定義を根本的に誤る。
 学者たちは【文字】は「ことばをあらわす記号」と考える。
 しかし、【文字】は【銀河各部の形状】であった。
 だから、『魏志倭人伝』の「① 倭には文字があった」という記事群が真実を語るものであることを、学者たちは理解することができない。
 『魏志倭人伝』の「① 倭には文字があった」という記事群は、人類の偉大な発明の一つとされる「文字は銀河から作られた」と人類共通の歴史の秘密を伝えるきわめて重大な証言である。

 

 『魏志倭人伝』は「倭の占いの卜辞(ぼくじ)は、令亀(れいき)の法の如(ごと)く」と説明する、すなわち「倭の占いの卜辞(文字と言葉)は中国の殷代(いんだい)の亀の甲羅に文字と言葉を刻んだ甲骨文字の卜辞のごとくであった」と証言する説明がある。
 現在、学界は甲骨文字の卜辞を最も古い祖型と定める。
 しかし、中国の正史『新唐書(しんとうじょ)』日本伝は――702年に中国に渡った日本国の遣唐使が「後稍(のちやや)夏音(かおん)を習い……」と中国王朝に告げた――と記述する。
 この「後稍夏音を習う」という記述は「壬申の乱の後、稍(上古の史書の旧辞の全部だけでなく一部分だけ)復興する」と意味するものである。
 702年の10年後に完成した『古事記』上巻には、『新唐書』日本伝に記述された「後稍夏音文字を習う」という、「卑弥呼」を〔ヒミコ〕と読む1字1音の最古の字音の夏音文字が〔注〕と指摘されて随所に記載されて多数現存することになった。
 だから、『魏志倭人伝』の「倭には文字があった」という証言は真実を伝えるものとなる。
 『魏志倭人伝』に記載される人名・小国名に用いられる楷書で表記された文字が最古の字音の〔夏音〕を伝える。したがって、この〔夏音〕の文字は甲骨文字よりも古い原初漢字であったことになる。
 
この「夏音文字」を、学者たちは「上代特殊仮名」と呼ぶ。

 今から約6000年前、三皇時代初頭の包犧氏(ほうぎし)の発明から始まる文字は「結縄(けつじょう)」という名称で呼ばれた。この結縄は現在まで、約120種ぐらい発掘している。
 今から約5000年前、五帝時代初頭の黄帝につかえる倉頡(そうきつ)が考案した文字を中国では「書契(しょけい)」、わが国では「刻木(こくぼく)」という名で呼ぶ。
 包犧氏が考案した結縄は、「包犧」「女媧(じょか)」「神農」という三皇の氏族名をあらわす文字を作れなかった。いっぽう、倉頡は銀河(銀漢)各部の形状を観て万物の情(イメージ)に類似して字形をデザインする漢字作成原理〔鳥獣の文(もん)〕(あるいは〔鳥獣の足跡〕)を発明した。
 これゆえ、倉頡は“漢字の始祖”と崇拝された。
 包犧氏が考案した方法では自らの氏族名をあらわす文字が作れず、後世に歴史を伝えることができる文字ではなかった。ゆえに、包犧氏の王は“漢字の始祖”になれなかった。
 左に表示した昨年の7月日に幻冬舎ルネッサンスから出版された拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』の資料Bに示した銀河の全範囲の形状から、倉頡は1400字前後を基本字とするすべての漢字を作成することができる漢字作成原理〔鳥獣の文〕を発明した。

 倉頡は自分が考案した文字が強大な権力と莫大な富と最高の名誉を手に入れることができる方法であることに気づいた。この文字の学芸知識を反体制側が手に入れたならば、容易に革命が成功して王朝が崩壊することになる。
 ゆえに、倉頡は〔銀河各部の形状から文字を作られたこと〕や漢字作成原理〔鳥獣の文〕の秘密を暴露した者は即刻死刑にするという法(掟)を定め、文字の学芸を王朝が独占管理して最も厳重な機密にした。
 このため、倉頡は❶文字の学芸知識が容易に洩れることをふせぐために銀河各部に名称をつけなかった ❷占いにおいて地面などに書いた卜辞の文字は、用が済んだならば直ぐに消さなかった人物は即刻死刑するだけでなく、その一門の人々をも殺すと法を定めた ❸〔文字が銀河から作られた学芸の秘密〕を容易に察知されなくするために、文字の字形は〔銀河の形状を見たままの形に作らないで、文字となる銀河各部の形状の北→南に180度転回し、さらに南→西に90度転回して図案する〕と定めた。つまり、この作字方法が、倉頡が発明した漢字作成原理〔鳥獣の文〕の核心となる。
 現在の中国の簡略字とわが国の当用漢字はじめ甲骨文字・金文などすべての漢字の字形は、倉頡が発明した漢字作成原理〔鳥獣の文〕にもとづき〔拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』の資料Bの【銀河各部の形状】を北→南、南→西に転回する形〕に作られている。
 この「すべての作字定式」は[真]の字源・本義となり、「作字定式に反する形式」や「人が地面や亀の甲羅に書く図書」は[偽]の「いつわり。うそ」の字源・本義となった。

 だから、❶❷❸からして【真の文字】の【銀河各部の形状】である。学者たちは「人が地面・亀の甲羅・紙などに書く図書」を勝手に独断で“文字”“漢字”と定義するが、ほんとうは「人が地面・亀の甲羅・紙などに書く図書」は【偽(にせ)の文字(漢字)】であったのである。
 
の【銀河各部の形状】は【真の文字】、現在われわれが“文字”と呼ぶものは【偽の文字】である事実は、前回〔23〕にて説明した『魏志倭人伝』と同時代(3世紀後半)に作成された細江町の1千万坪の地上絵によって科学的に明確に完璧(かんぺき)に証明される。
 この細江町の1千万坪の地上絵によって、現在の中国の簡略字と日本の当用漢字は【銀河各部の形状】を[真]の字源・本義をあらわす漢字作成原理〔鳥獣の文〕に則る字形であるので、【すべての真の文字】は【銀河各部の形状】であると断定すべきことになる。
 

 これゆえ、五帝時代の刻木(書契)、夏代(紀元前2070~同1600年)の夏音文字、殷代前半(紀元前1600~同1300年)においては、【銀河各部の形状】こそが【文字】であったことになる。
 「銀河」は「銀漢」ともいう、ゆえに「銀漢から作られた字」から「漢字」と称されることになった。また、「天に多数の文字が存在する」ことになったので、銀漢が輝く「天」は「天文」と名づけられることになった。
 だから、「漢字」と「天文」という語は「【銀河各部の形状】が【真の文字】であった」と証言するものとなる。

 前述したように、三皇時代の結縄は約120種出土しているが、五帝時代の刻木は5種ぐらいしか出土せず(そのうちの1種は文字に近いマーク・紋章であり)、夏音文字の図書も5種ぐらいしか発掘されず、殷代前半の図書は28種ぐらいしか発見されていない。これらの図書は倉頡が定めた掟に反する死刑にあたいするものであるが、なにかの理由で見逃された希少(きしょう)なる史料ということになる。しかし、これらの図書は【偽の文字】であり、【真の文字】は【銀河各部の形状】であったことになる。
 ゆえに、もちろん“漢字の最も古い祖型”と呼ぶ亀の甲羅に刻む【甲骨文字】も【偽の文字】ということになる。
 甲骨文字における【真の文字】は【銀河各部の形状】であった。
 このため、特例もあるにはあるが、そのほとんどの甲骨文字の字形は【銀河各部の形状】をデザインする図書(作品)となる。
 中国の周代に用いられた金文においても、そのほとんどの字形は【銀河各部の形状】を表現する図書(作品)である。

 『魏志倭人伝』が「倭の卜辞は殷代の亀の甲羅に刻む図書の法のごとく」と記述する。
 この倭の占いに用いられた辞(文字と言葉)の【真の文字】は【銀河各部の形状】であったのである。この【文字】は倉頡が定めた法にもとづいて用が済んだならば直ぐに消されてしまったので、今日、『魏志倭人伝』に記述されて証言された夏音文字は1例も出土しないことになったのである。

 上記したとおり、わが国に最古の漢字音〔夏音〕が『古事記』上巻に多数記載される。
 また、『魏志倭人伝』にも人名・小国名で多数記載される。
 このため、『古事記』上巻と『魏志倭人伝』を見ればわれわれは〔夏音〕を目撃できるので、確かに夏音文字は存在したことになる。
 この夏音文字の【真の文字】は【銀河各部の形状】であった。
 【銀河各部の形状】は実際に存在するものであるから、夏音文字は【銀河各部の形状】で存在したことになる。

 『新唐書』日本伝に、日本国の遣唐使が「後稍夏音を習い……」と記述された、この「夏音文字」の【真の文字】は【銀河各部の形状】であった。
 
 上記にて指摘した五帝時代の刻木の5種くらいの図書と夏代の5種くらいの図書は【銀河各部の形状】を観て、甲骨文字に相似する象形文字となる。
 したがって、現代のわれわれの【文字】の認識からすると、倭の夏音文字も【銀河各部の形状】ではなく、象形文字が出土して存在したと示さないかぎり“夏音文字は存在した”といえないと考えるかもしれない。
 しかし、もしも象形文字の夏音文字が発見されても、この文字は【偽の文字】であって、ややこしい話になるが【真の文字】は【銀河各部の形状】ということが事実以外のなのものでもないことになる。
 実は長野県茅野(ちの)市に所在する尖石(とがりいし)縄文考古館に、【銀河各部の形状】に類似するように図案する象形文字の夏音文字が5種(5字)刻まれる遺物が所蔵される。
 この夏音文字は後期縄文時代の石板画に線刻される図書である。
 この5つの図書は“絵画”と認識されているが、【銀河各部の形状】を図案する夏音文字の図書であると証明することができる。
 この尖石考古館が所蔵される夏音文字の字形から、卑弥呼時代の卜辞に用いられた夏音文字の字形は“銅鐸絵画”と呼ばれるような絵文字であったと推測される。
 だから現在より以後において、卑弥呼時代の象形文字の夏音文字が出土する可能性がまったくないわけではないが、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に記載される【〔夏音〕をあらわす楷書】も「夏音文字」であると認識しなければならないことになる。
 というのも、卑弥呼が生存した2世紀末から3世紀の中国の漢字は楷書であったからである。
 これゆえ、『魏志倭人伝』が「① 倭に文字があった」と伝える夏音文字は〔夏音〕を楷書で表記するものであったことが証明できることになる。

 
 『魏志倭人伝』には「卑弥呼が書く文書の文字(夏音文字)は魏・帯方郡・諸韓国の文字と差錯(ささく・相違)していた。ゆえに、倭の伊都(いと)国の港で、卑弥呼と魏・帯方郡・諸韓国と交わす文書を点検し、確認して、間違いがないように無いようにしていた」という記述がある。
 これゆえ、倭では魏・帯方郡・諸韓国の楷書を使用していたことになる。
 だから、当時の倭の〔夏音〕は楷書で表記するものであったにちがいない。
 〔夏音〕を表記するのに、【銀河各部の形状】を図案する象形文字は手間がかかって不便きわまりない。
 卑弥呼王朝は日本最初の国家体制を樹立するものであったから、王や諸国の高級役人が文書に用いる文字は象形文字(絵文字)ではなく楷書であったと考えるべきことになる。
 したがって、巫女と神官たちの卜辞の〔夏音〕をあらわす字形は楷書であったと考えべきことになる。

 白川静著『字統』の10頁に「五世紀後半とみられる稲荷(いなり)山古墳の鉄剣銘は、漢文形式の文中に、乎獲居(ヲワケ)・意富比垝(オホヒコ)・多加利足尼(タカリスクネ)・弖已加利獲居(テヨカリワケ)……」という記述がある。
 
 この鉄剣に刻まれた象形文字の字形ではなく“楷書風”の字形の「乎獲居」以下の片仮名ルビが付けられた1字1音読みは〔夏音〕をあらわすものであり、その人名は〔夏音名〕ということになる。
 この鉄剣が出土した稲荷山古墳は、埼玉県行田(ぎょうだ)市にある埼玉古墳群中の1基である。埼玉古墳群は、北武蔵一帯の地を支配した首長の歴代首長墓を含む大古墳群である。稲荷山古墳は全長120mの前方後円墳で、この墳墓から115個の文字(ただし、この「文字」は現在の学者たちが言う“文字”である)の金象嵌(ぞうがん)の銘文を刻む鉄剣が発掘された。この銘文は「北武蔵の一首長が、畿内大和に成立した倭王朝の傘下に入って代々杖刀人首(じょうとうにんのかしら)となった」と記述する。
 前回〔23〕にて説明した『魏志倭人伝』と同時代・3世紀後半に作成された静岡県浜松市北区の細江町の1千万坪の地上絵によって、この鉄剣の銘文が証言する「杖刀人首」は『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命(すさのおのみこと)の誓約(うけい)説話に記載される「正勝吾勝々速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)」であることが科学的に明確に証明される。
 そして、杖刀人首の「正勝吾勝々速日天之忍穂耳命」は、鉄剣銘文にある夏音名の「乎獲居」の渾名(あだな)ということになる。

 細江町の1千万坪の地上絵によって、乎獲居は3世紀後半に生存し、『魏志倭人伝』の末部に記載された載斯烏越(そしあお)・伊耶那岐命・開化天皇の後を受け継ぐ小国・日本の軍王(いくさのおおきみ)であったことが科学的に明確に立証される。
 そうすると、この5世紀の鉄剣の銘文は“わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀である”と主張する定説の根拠・理由となる史料であるが、細江町の1千万坪の大鳥の地上絵によって鉄剣の銘文にある「乎獲居は3世紀後半に生存した小国・日本の軍王であり、倭の大和王朝の杖刀人首であった」という事実が科学的に証明されることになる。
 なお、夏音名の「乎獲居」は、[乎][獲][居]の字源・本義となる銀河部の形状によって「日本列島の東端となる日の出ずるところに近い、現在の埼玉県行田市周辺地域を手に入れる(支配する)首長」と表現するものであることが明らかとなる。
 ゆえに、鉄剣に刻まれる「乎獲居」という名は3世紀にはわが国には楷書で表記される夏音文字が存在したことになるので、『魏志倭人伝』の「① 倭には文字があった」という記事群は真実を伝える証言であったことになる。

 『古事記』上巻の葦原中国(あしはらのたかつくに)のことむけ説話の冒頭は「天照大御神が命令を下して、『豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきのながいおあきのみずほのくに)は、わが御子(みこ)の正勝吾勝々速日天忍穂耳命(乎獲居)が治める国である』と告げて、その統治を委任した」と記述する。
 この文中に登場する「御子」は「天照大御神の子」という意味ではない。
 「葦原中国」は「大国主神が治める山陰・出雲王権」であり「ことむけ」は「出雲王権が大和王朝に服従することの説得」であるからして、天照大御神・大和王朝は葦原中国を服従させるために乎獲居を杖刀人首に任命したことになる。
 これゆえ、「御子」とは「天照大御神に服従する征夷大将軍」、要する「天照大御神の子分」を意味する。
 葦原中国こと山陰出雲の大国主神王権に天菩比神(あめのほひのかみ)を派遣したが出雲に住みついて帰還せず、天若日子(あめのわかひこ)も同様で役立たずであったので「雉(きざし)の頓使(ひたつかい)」という方法で暗殺した。
 そして、これ以上使者を派遣して説得する方法を断念して、杖刀人首の乎獲居は配下である行田市に近い東方の地に居住した現在の茨城県鹿島町の住人・建御雷(たけみかづち)に出雲への遠征を命令した。建御雷神が率いる遠征軍は、武力で出雲王国を征服して、大国主神を大和王朝に服従させた(国譲りをさせた)。この歴史にもとづき、鹿島町宮中に所在する鹿島神宮には建御雷神が祭られる。

 このような天照大御神・大和王朝の大国主神・出雲王権の征服の歴史は、細江町の1千万坪の大鳥の地上絵を調査すると詳細に科学的に解明できる。
 というのも、出雲王朝へ最初に派遣された天菩比神は、『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話末部に記載される九州宗像(むなかた)の王・天菩比命の王子であり、この説話の末部は「九州宗像・天菩比命は天照大御神を倒さんとするクーデターを計画し、この天菩比命クーデターグループに7人の建比良鳥命(たけひらとりのみこと)が参加し、最後の7人目の建比良鳥命は遠江国造(とおとうみのくにのみやつこ)の先祖である」と記載するからである。
 この遠江国造の先祖の建比良鳥命が参加した天菩比命グループはクーデターを計画するともに、【文字】が【銀河各部の形状】である夏音文字の学芸と日本建国の〔愛〕の理念を後世に伝える運動をもおこなうものであった。
 この運動にもとづいて、遠江(現在の静岡県浜松市北区引佐町)に住む豪族・建比良鳥命が夏音文字の学芸の全貌が解明できる“字源字書と科学事典”の機能を有する引佐町の南隣に1千万坪の地上絵(現在の細江町の行政区域をあらわす地図の形)を作成して、今日まで残った。
 いいかえると、この細江町の1千万坪の大鳥の地上絵は夏音文字が記載される『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に記載されて証言された真実の歴史の全貌が直(じか)に目で見て確認できるゆえ、約1700年前の上古の日本列島でおきた横暴きわまりないを天照大御神・崇神(すじん)王朝を倒さんと謀(はか)ったクーデター計画がまるで1時間前の出来事のように明快に解明できる〔字源字書と科学事典〕の機能を有する史跡である。

 これゆえ、『魏志倭人伝』に文献批判を加えた邪馬台国学説は誤読の空論でありすべて妄想であったということが事実となる。
 また、『古事記』上巻に文献批判を加えた日本神話虚構説も誤読でデッチあげた虚妄(きょもう)・ウソ八百であったと断定すべきことになる。
 『魏志倭人伝』と同時代・3世紀後半に作成された、この細江町の1千万坪の地上絵によって『魏志倭人伝』の全記事が正確に事実を伝えるものであることが科学的に証明される。
 また、『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命説話・天照大御神と須佐之男命説話・須佐之男命の大蛇胎児説話・大国主神の事績説話・葦原中国のことむけ説話・天孫邇邇芸命(てんそん・ににぎのみこと)説話は3世紀半ばから4世紀初頭の歴史を証言するものであることが、細江町の1千万坪の大鳥の地上絵によって科学的に解明される。これによって、『古事記』上巻末部の火遠理命(ほおりのみこと)説話は4世紀後半の歴史を証言するものであることも、細江町の1千万坪の大鳥の地上絵によってまるで1時間前の出来事のごとく、鮮烈に真実の歴史がよみがえる。

 それというのも、『古事記』上巻に記載される夏音文字はじめ万葉仮名のすべての【真の文字】は【銀河各部の形状】だからである。
 左に表示した拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』の資料Bの【銀河各部の形状】は【真の文字】となるものであるので、1700年前の歴史は1時間前あるいは現在この瞬間に目の前でおきている出来事のようにに鮮烈によみがえる。
 
今日の朝日新聞の〔天声人語〕の初頭は「漢字の多くは、一字の成り立ちに濃密な事柄を秘める。たとえば[民]の字は、目を突き刺している形だという。漢字学者の故・白川静さんによれば、視力の失った人を民と言い、神への奉仕者とされた。それがいつしか〔たみ、ひと〕の意味で使われるようになったそうだ」という文で始まる。
 しかし、この白川静先生の[民]の字源は【偽の文字】の金文の字形でを見て解説するものであるので明確に誤っている。
 【真の文字】である【銀河各部の形状】に則ると、[民]の字形は「眼の形にそっくりな形の銀河部が、金文が使用された中国の周代の都の天頂にめぐってきて、この周の首都の緯度を精密に測定できる天頂緯度軸が眼の形に酷似する銀河を刺すかのように真東から真西へ貫通する形状」を図案するものとなる。だから、[民]の金文形の字義は「【真の文字】が夜に輝く【銀河各部の形状】であることを知らない人々」ということになる。
 [目]に「恨む」の[艮]で[眼]となるのは、[眼]の字源銀河部の「眼は恨みに満ちた鋭い切れ長の目の形」をしているからである。
 [眠]の字義が「眠る」は〔天頂緯度軸が通過する様子が、瞼が垂れて目を閉じ、眠るときの目〕のようにイメージとなるからである。白川静先生の「目を突き刺している形」だと、その傷で目が痛くて一睡もできなくなるので、結局、矛盾することになる。
 [泯]の字義が「ほろびる」であるのは、[民]の字源銀河の南に[水]や[洪]の字源となる銀河があり、この[水]と[洪]の字源銀河は「洪水のような形の銀河」であるので、この〔「洪水のような形の銀河」が[民]の字源銀河まで水をかぶる状況〕のイメージによって「国が滅びる」という字義が成立することになるからである。
 この他にも[民]の字部を有する[罠][岷][愍][珉][緡]などあるが、すべて白川静先生の【偽の文字】である金文形にもとづく[民]の字源解説だと不合理で矛盾するが、上記にて解説した【真の文字】である【銀河各部の形状】が示す[民]の字源銀河にもとづけばすべて合理となる。

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