« 邪馬台国学説は日本民族を虐殺する。しかも人類共通の敵である・28 | トップページ | 邪馬台国学説は日本民族を虐殺する。しかも人類共通の敵である・30 »

2012年6月12日 (火)

邪馬台国学説は日本民族を虐殺する。しかも人類共通の敵である・29

 紀元前1200年前後におこったトロイ戦争は紀元前850年ごろに生存したギリシャの詩人ホメロスの英雄叙事詩『イリアス』に記述された。 
 学者たちは〔文献批判〕という考え方で断定して、つまり『イリアス』に記述されたトロイ戦争はホメロスが創作した空想であると決めつけて歴史ではないと定めた。しかし、ドイツのシュリーマンは『イリアス』に記述されたとおりに発掘して、トロイ戦争の遺跡を発見した。
 したがって、学者たちの〔文献批判〕による意見こそが空想であったと証明された。

 もしも、シュリーマンが『イリアス』の記述と違った場所を発掘して遺跡を発見したならば、この遺跡はトロイの遺跡ではなかったことになる。
 もしも、シュリーマンが“『イリアス』の記述と違った場所の、この遺跡こそがトロイの遺跡である。『イリアス』の記述は間違っている”と主張したならば、【主観】による独断と【非科学】にもとづく思い込みであったことになる。
 しかし、シュリーマンは『イリアス』の記述するとおりの場所を発掘したので、その遺跡はトロイの遺跡であると決定された。

 シュリーマンのトロイ戦争の遺跡発見が明確に示すように、古代史学には過去の出来事を事実であると証明できる絶対原理(絶対法則)が存在する。
 この絶対原理は――たとえ後世の学者たちが文献批判して“絶対にそんなことがありえない”と断定しても、過去に生存した先人が文献に記述して証言したとおりの史跡・遺跡・遺物が発見されたならば、過去の先人の証言はなんびとにも否定できない真実であり、文献批判で否定した学者たちの意見は空想・妄想であったことは絶対的事実ということになる――
と定まる。

 この絶対原理は、古代史学に限らず、この世におけるすべての過去の出来事を事実と証明できる絶対法則でもある。
 この絶対原理は、下記のような冤罪(えんざい)事件で考えると容易に理解できる。
 ――20年前のある日、ある町で殺人事件がおきた。DNA型鑑定で被害者の着衣に付着していた体掖と容疑者Aの体液が一致したということで逮捕されたAは、犯人として刑を受けることになった。しかし、Aは無罪を主張して上告したが、ことごとく彼の無罪を主張する言葉は無視され、最高裁で無期懲役の判決が確定した。ところが、20年後に、癌を患ったBが死ぬ間際に自らの体液を示す物的証拠と真犯人しか知り得ない犯罪の子細を記述する手紙を送って没した。このような場合、容疑者Aの無罪を主張した証言と死亡したBの過去の証言と体液を示す物的証拠は真実以外の何物でもないことになり、Bが真犯人でAは殺人を犯していないと断定すべきことになる。したがって、Aの証言をDNA型鑑定にもとに批判して否定した警察の判断と最高裁の判決は空想・妄想であったことになる。

 上記の赤い太字で指摘したように古代史学には、▼〔誤読〕の可能性が多分にある〔文献批判〕では過去の真実は証明できない、●〔文献批判〕を排除して過去の先人の証言(記述)に正確に従ったとおりの証拠(史跡・遺跡・遺物)の発見によって真実(史実)が証明できるという絶対原理が存在する。
 この絶対原理によって、シュリーマンが発掘した遺跡はトロイの遺跡であると断定された。

 現代の考古学・文献史学・民族学・文化人類学などの日本古代史学は新井白石が取り入れた西欧近代科学の考え方にもとづいて“文献批判は絶対に正しい”と固執(こしつ)する。
 だから、現在の日本古代史学は全面的に信用できない、根本的な誤りを有する、誤読と空理空論と妄想が入り混じった不正確きわまりない学術であることになる。
 端的に言うと、日本古代史学の学者たちは「歴史」の字源・語源をまったく知らないのに「歴史」という語を知っていると思い込み、「学問」の字源・語源をまったく知らないのにほんとうの「学問」を知っているとうぬぼれ、「文字」の字源・語源をまったく知らないのに「文字」の学芸に精通していると妄想を抱くので、日本古代史学の史実を解明するための基礎知識がそなわっていない。
 だから、彼らはほんとうは歴史に深くかかわっていてもトンチンカンな考え方を抱いているゆえ、日本古代史における重大な歴史については素人となんら変わらない無知な御仁(ごじん)たちということになる。

 日本の古代史学者たちは、『魏志』倭人伝と『古事記』上巻の記述(証言)に文献批判を加えて邪馬台国説と日本神話虚構説は正しい考え方にもとづくと主張する。
 しかし、邪馬台国説と日本神話虚構説は日本国民を誑(たぶら)かす完璧なる誤読の空論であることは天地神明に誓って事実である。
 
 要するに、邪馬台国説と日本神話虚構説は荒唐無稽(こうとうむけい)の出鱈目(でたらめ)である。
 なぜならば、彼らは『魏志』倭人伝と『古事記』上巻を正確に読解する能力がゼロだからである。

 1980年代に入ると、先端科学者や科学論家たちは現在の日本古代史学が全幅の信頼を寄せる西欧近代科学の考え方には傲慢(ごうまん)な単純化、無秩序から秩序が創造できない、複雑な状況・混沌(こんとん)とした状況が立論できないなど、いくつかの誤り・欠点があることを証明した。そして、彼らは数度の国際会議を開いて西欧近代科学の考え方では【科学】が成立しないことが多々あるから全面的に信用できないと警告した。

 先端科学者たちは、白石以前の――日本の禅や中国の老子が説く道教の考え方は、大脳のあらゆる記憶情報は大脳全体にひろがっていて局所的でないという最近の大脳論の科学と共通する――ことに気づき、白石以前の日本人本来の考え方は西洋近代科学の考え方に誤りがあることを証明できる強力な力を有する壮大な理論であると指摘した。
 このように先端学者たちは西欧近代科学にはいくつかの誤りと欠陥が有する、西欧近代科学の考え方よりも日本人本来の考え方のほうがより正しくより【科学】に優っていると指摘した。
 そして、現在、この先端科学が地球的規模で席巻し支配するようになった。
 ゆえに、現在は、日本古代史学者たちが正しいと思い込む〔文献批判学は科学に反する、時代遅れの科学に劣る考え方〕となり、〔先人たちが有していた日本人本来の考え方こそが西欧近代科学の歴史学よりも科学に優る、正しい科学の考え方〕となった。
 上記したように日本古代史学の学者たちは、『魏志』倭人伝と『古事記』上巻の語句や文章を正しく読んで理解する能力がゼロでまったく有していない。さらに、彼らは文献批判を使用して思考し立論するので、その意見はおのずと〔先入観〕と〔傲慢な単純化〕とがごちゃ混ぜとなる妄想にして空理空論となる。

 『魏志』倭人伝と『古事記』上巻は、下記の重大な歴史の秘密を証言する。
❶ 卑弥呼王朝は日本列島は〔東〕に伸びるのではなく〔南〕に伸びると立論する転回日本列島地理を制定した。
 倭女王は中国全土を弥綸(びりん)する、すなわち中国全土を洩れなく包み込む海岸線の形状を基準にして転回日本列島地理を立論した。この転回日本列島地理の基準となった〔中国全土の洩れなく包み込む海岸線の形状〕は「卑湿な土地(海岸線)」の[卑]の字源をあらわすものとなり、山東半島とその付け根から北と南に伸びる海岸線は[弥]の字源「カンムリカイツブリの横顔と翼」に相似するので[弥]の字源をあらわすものとなり、南の杭州湾(こうしゅうわん)と渤海(ぼっかい)は[呼]の字源となる「鳰(にお・カイツブリ)」と「息をはく人の口」に相似する」ので[呼]の字源をあらわした。このように、「中国全土を包みこむ海岸線の形状」は[卑][弥][呼]の3字の字源をあらわすものと定まっていたゆえ、転回日本列島地理を立論した倭女王の名は「卑弥呼」となった。
 また「天文が示す〔東〕を地理の〔南〕と定める、方角を90度転回させる方位規定」は[倭]と[人]の字源をあらわすものと定まっていたので、卑弥呼が統治する国の正式名は「倭人国」、略称は「倭国」となった。
❷ わが国には今から約4050年前に、夏音(かおん)文字が伝来していた。ゆえに、『魏志』倭人伝は随所で「倭には文字があった」と記述する。
 『魏志』倭人伝の卑弥呼はじめ小国名が用いられる文字は夏音文字であり、『古事記』上巻の随所に記載される〔音〕という注が付く1字1音読みの文字が多数記載されているが、この多数の文字が夏音文字である。
 『古事記』序は、その全体を通して――神産巣日神(かむむすひのかみ)の時代(後期縄文時代初頭)においてわが国には夏音文字が伝来して習得され、象形文字の夏音文字・甲骨文字・金文などの象形文字と表語文字の楷書の区別が無く【すべての文字】は【銀河各部の形状】である――と解説する。
 だから、『古事記』上巻に記載される夏音文字は本来の象形文字でなく後世の楷書で表記されるから夏音文字ではないという考え方は根本的に誤っていることになる。
 要するに歴史上において事実そのようになってしまったのであるが、結果的に【楷書の文字】もまた【銀河各部の形状】ということが事実となった。この真実は容易に理解できないであろうが、歴史の結果の事実となって象形文字も表語文字の楷書の区別がなく、【すべての文字】は【銀河各部の形状】となった。この歴史の事実を伝える史料が、『老子』上篇(道経)の第1章から第37章までであり、字源を解説する字書の聖典の『説文解字』であり、そしてわが国の『古事記』上巻である。『古事記』上巻は【すべての文字】を【銀河各部の形状】に直せば3世紀半ばから4世紀末までの歴史の全貌が解明できる仕組みになっている。
 以上のごとく、『魏志』倭人伝と『古事記』上巻に記載されているように、わが国には夏音文字が伝来していたことは絶対に否定できない事実となる。

 また、『古事記』序は、その全体をもって――“漢字の始祖”の倉頡(そうきつ)は「書いた文字が用が済んだならば文字を消さない者は王朝を崩壊させる大罪人と定めて即刻死刑にする。また、その罪は犯罪者の一門にも及ぶ」と厳しい掟を定めたので、文字の秘密を語るときにはおのずと難解な語句や言い回しで説明することになった。
 中国の思想家の老子が考案した〔事実と異なることを用いて事実を伝える・反実仮装(はんじつかそう)〕の方法をも『古事記』上巻は利用した。この〔反実仮装〕は上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話にて用いられ、この説話に登場する「黄泉国の伊耶那美命」の正体は「伊耶那美命」であらず「天照大御神」である――と後世の人々が理解することを願って、『古事記』序には〔反実仮装〕を示す記述がある。
 今から5000年前の倉頡が生存した五帝時代初頭から約3300年前の殷代(いんだい)前半期までの原初漢字は、倉頡が定めた掟が厳守された。このため、中国においてもその文字の出土例は30字以下で極端に少ない。
 中国における夏代における夏音文字に限っていえば5字ぐらいしか出土していない。
 わが国にも5字からなる象形文字の夏音文字を刻む石板画が出土していて、長野県茅野市の尖石(とがりいし)考古館に所蔵されている。この石板画の夏音文字(図書)の5字は「日売大可三(ひ・め・お・か・み)」と1字1音読みして「➀日照り、➁売(つづ・続)く、➂天の神、➃雨降るを、➄折る」と意味するものと考えられる。この石板画が示すように、わが国には確かに夏音文字が伝来していたのである。
 卑弥呼時代の夏音文字の象形文字は銅鐸絵画のような字形をしていたと考えられる。また、『魏志』倭人伝は「卑弥呼が書く文書の文字は魏や帯方郡の文字と差錯(ささく)していたので、誤訳・誤読による外交上のトラブルを避けるために伊都国の港で点検して確認して魏や帯方郡へ送っていた」と記述するので、この卑弥呼の文書の文字は書くのに時間がかかる非能率的な象形文字でなく、また伊都国の役人たちにも象形文字の夏音文字は正しく解読できなかったゆえ、その字形は魏が用いる楷書(隷書に近い楷書)であったにちがいない。

 前述したように、西欧近代科学に全幅の信頼を寄せる日本古代史学者たちは『魏志』倭人伝と『古事記』序の語句や文章や彼らの有していた全体論的な考え方による文書構成に対する読解力・理解力がゼロである。
 ゆえに、『魏志』倭人伝と『古事記』序や上巻に記述されている、上記の❶と❷に示した重大の歴史の秘密の証言をまったく読解することができない。
 
 上記の❷の「夏音文字の秘密」は❶の「転回日本列島地理の秘密」よりも複雑で難解である。
 『魏志』倭人伝の全文章は著者の陳寿(ちんじゅ)の全体論的な考え方にもとづいて構成されているので、❶の証言が事実であるという科学的な証明によって、❷の証言も自動的に事実であることが解明できる仕組みになっている。
 というのも、❶の「転回日本列島地理」は精密な天頂緯度測定を最も重視する天文地理学によって立論されたからである。また、❷の「夏音文字」は精密な天頂緯度測定を基軸にして全体論的な考え方で構築される学芸であった。
 だから、❶も❷も〔精密な天頂緯度測定〕に直結・共通するものであるゆえ、❶が事実であると証明されると❷も事実であることが自動的に証明される仕組みとなる。

 現存する紹煕(しょうき)刊本の『魏志』倭人伝は使用される文字数の合計は1983字、これに5世紀の裴松之(はいしょうし)が加えた56字の注がある。
 したがって、『魏志』倭人伝は4000字詰めの原稿用紙のマス目に1字づつ字を書くとたった5枚ですむほどの史料ということになり、そのうちの❶の「転回日本列島地理」についての記述はわずか原稿用紙2枚の800字より以下となる。
 このような2000字からなる全文の『魏志』倭人伝のうちのわずか800字にも満たない文字による「転回日本列島地理」に関する説明は完璧なる【科学】が成立するものとなる。
 このよに『魏志』倭人伝の800字以下の文字で説明する「転回日本列島地理」が完全に【科学】が成立するものであるにもかかわらず、古代史学者たちは白石以来伝統的な慣習となる〔文献批判〕は正しいと信じる〔先入観〕と西欧近代科学の〔傲慢な単純化〕に取りつかれて支離滅裂(しりめつれつ)な【科学】がまったく成立しない荒唐無稽(こうとうむけい)の邪馬台国説を主張する。
 この邪馬台国説が荒唐無稽の妄想であることは「転回日本列島地理」に関する記述によって簡単に証明できる。
 この証明によって、古代史学者たちの読解力はゼロであることも露見する。

 人間の目を鍛錬すると精密に天頂緯度を測定して天頂点と子午線を寸時にキャッチできる能力がそなわっている。人類は氷河期において、日々食料となる獲物を求めて移住する生活を営んでいたため、一団の長や魔術師が自分たちは絶対に迷っていないと人々を説得するために、日々天頂点をキャッチして位置(緯度)と子午線(経度、方角)を教えていた。というのも、一団が迷っていると感じると“直ぐに死んでしまう”と一同がパニック状態におちいって収拾がつかないことになり、一人が発狂すると次々と連鎖して一団が崩壊して全滅してしまうからである。ヒトは迷うと感じた途端に死ぬと恐怖を抱く本能を有している。ゆえに、人類が“迷った、死ぬにちがいない”という恐怖を乗り越えて氷河期に滅亡しなかったのは、人間の目には精密に天頂緯度を測定できる能力がそなわっていたからにほかならない。
 縄文時代・弥生時代・古墳時代の日本列島に住む人々は食料を求めて山野に入り深い森に入り海に入って天頂点をキャッチして生活を営むものであったのである。

 この天頂点をキャッチする眼力の鍛錬は、遣唐使船の出発港となった河内国の難波の港の船乗りたちは、17世紀においてもおこなっていたと証明できる史料(小堀遠州が作った桂離宮の庭園の北部の池の中に漬かる岩)が存在する。
 中国・朝鮮半島と日本列島を間を遠く隔たる大海を往来するには、天の北極で緯度と子午線を測量すると、緯度が精密に測定できないので大海に入った途端に迷い漂流して落命した。しかし、天頂点をキャッチする方法の場合、緯度が精密に測定でき子午線も精密に測定できたので大海を往来できた。
 天の北極による緯度と子午線の測量では大海を渡ることができない。
 しかし、天頂緯度測定による緯度と子午線の測量ならば大海を往来できる。
 
このことは、天文地理学における学理にもとづく絶対的事実である。
 中国では紀元前1世紀に天の北極を最も重視するシナ天文が完成したので、卑弥呼が生存した3世紀になると、天頂緯度測定の習慣が廃(すた)れた中国の人々と朝鮮半島の魏の出張機関・帯方郡(たいほうぐん)の人々は日本列島に渡ることができなくなった。
 中国の正史『後漢書』倭伝は「日本列島の倭の隣国の東鯷人(とうていじん)国の人々は定期的に呉の会稽(かいけい)までやってきて交易をするが、この東鯷人国の人々が往来する海の道ははるか遠くまで続き途中が絶えてしまうので、中国の人々には往来することができない」と記述する。
 人間の目には本来、精密の天頂緯度を測定する能力を有するものである。ゆえに、1年くらい訓練すれば、その潜在能力は回復して精密に天頂緯度を測定できる眼力がそなわって、中国の人々も東鯷人たちが往来した大海の道を往来できたのである。

➀ 『魏志』倭人伝は「倭国の使節は大海を渡って帯方郡政庁を訪問し、また魏の都にも到着できて、大海を渡って倭に帰還した。しかし、帯方郡の使節は倭の使節の船に便乗して大海を往来した」と記述する。
 だから、天の北極を最も重視するシナ天文のために天頂天緯度測定の眼力を失ったために、帯方郡の使節は自分たちでは日本列島に渡ることができなかったのである。
➁ 『魏志』倭人伝は対馬から卑弥呼が居住する邪馬壱(やまい)国までの旅程記事において日本列島は〔東〕に伸びずに〔南〕に伸びると指摘する。
 この➀と➁の記事によって、倭では天の北極をまったく重視せず天頂点をキャッチする眼力を鍛錬する習慣は存続し、精密な天頂緯度測定を最も重視されていて権力と富と名誉と学識を手に入れる方法であったので、[卑][弥][呼〕という字源を示す中国の海岸線の【北冷南暖】と日本列島の西端の北九州の沖ノ島と東端にある同緯度の伊豆諸島の神津島の【西冷東暖】の気候を比較して日本列島の暖かい〔東〕(神津島)は中国の暖かい南の地に合致することから、日本列島は〔東〕に伸びるのではなく〔南〕に伸びると定めた転回日本列島地理が制定された。
 この「転回日本列島地理」は倭を統治する大王の学識が高いことを表示すものとなったために「倭を統治する大王の権威」を象徴する「神」となった。
 『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男神の誓約説話は「転回日本列島地理の西端の基点となる沖ノ島を宗像(むなかた)の三女神のうちの奥津宮で祭る神と定めて、宗像王の天菩比命(あめのほひのみこと)は奉仕した。しかし、大和の天照大御神王朝が三輪山の頂上近くに奥津磐座(いわくら)・中津磐座・辺津磐座を設置して遷座(せんざ)して、倭を統治した」と記述する。
 この『魏志』倭人伝が➀と➁の記事で証言する[東→南・南→西・西→北・北→東]と方位を90度転位する転回日本列島地理にもとづくと、卑弥呼が居住した邪馬壱国は山陰出雲地方(石見・出雲・伯耆)となり、旅程記事からして邪馬壱国の都は出雲に所在したことになる。
 宗像の天菩比命は出雲に居住した卑弥呼が立論した転回日本列島地理の神の三女神に祭ってつかえたため、卑弥呼の死後、天菩比命の王子か一族を代表する者かは定かではないが、大国主神が治める出雲王朝政権に参加し、その後、大国主神が大和の天照大御神王朝に征服されて国譲りすると、天照大御神が大国主神のために建造した天日隅宮(あめのひすみのみや・今日の出雲大社)の祭祀を天菩比命がつかさどった。
 『魏志』倭人伝の対馬国から邪馬壱国までの旅程記事に先入観をいっさい抱かずに文献批判を何にも加えないで、1千万人の人々が忠実に正確に読むとその1千万人の人々は卑弥呼が居住した邪馬壱国は山陰出雲であったと断定することになる。
 だから、古代史学者たちが「邪馬壱国」と書く記事を「邪馬台国」と書いてあるという意見はそもそも誤読の空論であり、彼らは読解力がゼロであったために邪馬台国が九州に在ったとか畿内に在ったかという荒唐無稽の冗談を述べることになったのである。
 『魏志』倭人伝は「卑弥呼が居住した邪馬壱国の中心は出雲であった」と明記する。

➂ 『魏志』倭人伝にある「女王国より以北は、その(対馬国から邪馬壱国までの)戸数・道里の概略を記載したが、その傍(そば)の余って空白となる国は邪馬壱国から遠く、卑弥呼の統治が絶える国なので詳細の情報が得られない」と説明する。この記述に対して、邪馬壱国・出雲地方説は矛盾せず合理となって【科学】が成立する。しかし、学者たちの邪馬台国九州説と畿内説は矛盾してまったく【科学】が成立しない。
➃ 『魏志』倭人伝は日本列島に位置を「その道里を計るに当(まさ)に会稽(かいけい)・東治(とうじ)の東に在るべし」 と記述する。会稽は現在の浙江省(せっこうしょう)の紹興(しょうこう)市、東治は福建省の福州市である。地図で調べれば、現在の日本列島地図は会稽・紹興市の東北に所在するが、『魏志』倭人伝の➁と➂の記述が説明する〔東〕を〔南〕と定める転回日本列島地理は東に所在するので矛盾しない。したがって、邪馬台国九州と畿内説をとなえる学者たちの〔南〕に伸びる日本列島地理は【科学】が成立せず当に不合理以外の何物でもないことになる。
➄ 『魏志』倭人伝は「女王国の東、海を渡ること千余里にしてまた国有り。皆倭種なり」と記述する。➃の記事に合致する転回日本列島地理の東の海中に隠岐群島がある。隠岐群島は3つの島の島前(とうぜん)と最も大きな島の島後(とうご)の4つの大島と約180の小島からなるので、これらの島々は一括すると「皆」と表現されることになる。邪馬台国九州説と畿内説には、この➄の文に合致する多数の島からなる地所が存在しない。

 学者たちの意見は➁から➄までの記述にたいして明らかに矛盾する。
 文献批判を加えないで『魏志』倭人伝を忠実に読めば学者たちが加える〔文献批判〕は【科学】が成立しない〔誤読〕以外の何物でもないと断定すべきことになる。
 彼らが〔文献批判〕を〔誤読〕と察知できないのは、彼らの読解力がゼロであることに原因する。
 ましてや、この世には〔日本列島が東に伸びることを察知できる天の北極で緯度と子午線を測量する方法では大海を渡ることができず、天頂点をキャッチすれば精密に緯度と子午線が測量できて大海を往来できるという学理〕が存在するので、①の記述によって学者たちは➁と➄までの記述が正確に読解できないことが証明され、学者たちの読解力はゼロであるために荒唐無稽の妄想を述べるものであると証明される。
 学者たちが主張する日本列島が東に伸びる地理を成立させる天の北極では、魏と帯方郡と倭の使節は大海を渡ることができないことになる。ということは、【実は魏と倭は国交を結ぶことができなかったので、『魏志』倭人伝には1字の文字も書かれていなかった】という、完全なる荒唐無稽のウソ話になってしまうことになる。
 学者たちの言い分だと『魏志』倭人伝が1字も存在しないことになるが、こんな妄想をこの世では“荒唐無稽”と表現するのである。

 上記したように、先端科学者たちは“西欧近代科学の考え方の欠陥を〔あらゆる記憶情報が全体にひろがっていて局所的でないとする大脳論〕が理解できない”と指摘する。
 『魏志』倭人伝の➀の「倭の使節は大海を往来できた」という記述は➁と➄までの4つの記述にひろがり、これら5つの記述は分化しながら相互に関連しあい、また相集まって〔天の北極では大海を渡ることができないが、精密に天頂緯度を測定する方法ならば大海を往来できる天文地理の学理〕に統一されて【科学】が成立する仕組みになっている。

 『魏志』倭人伝に記述される「転回日本列島地理」の記述を注目すると、先端科学者たちが警告したとおり、西欧近代科学の考え方には〔全体論的思考ができない欠陥〕を有することが明確に察知できる。
 学者たちは“南に伸びる日本列島は著者の陳寿の誤記であるにちがいない。だから、南に伸びる日本列島を説明する記事は絶対に信用してはならない”と主張するが、この主張を信じると、『魏志』倭人伝は1字も記述されていなかったという結論になるので、西欧近代科学の致命的な欠陥〔傲慢な単純化〕を有するものであると確信できる。

 西欧近代科学の考え方を立論基盤とする日本古代史学者たちは西欧近代科学の考え方はまったく正しいと考えているうえに読解力がゼロである。
 このために、上記の❶の「転回日本列島地理」の記述よりもさらに複雑でむずかしい❷の「倭には夏音文字があった」という記述が学者たちにはまったく理解できない。
 この『魏志』倭人伝の❷の「倭に夏音文字があった」という記述よりさらに複雑で難解な『古事記』序の「わが国には夏音文字が伝来しており、【すべての文字】は【銀河各部の形状】である。ゆえに、【象形文字でなく表語文字の楷書で表記される夏音文字】も結局【銀河各部の形状】である」と解説する学理は、❶の「転回日本列島地理」は事実であることが容易に理解できるにもかかわらず理解できない古代史学者たちの読解力ではまったく理解できないと考えるべきことになる。
 古代史学者たちは「歴史」と「学問」と「文字」の字源・語源を知り、西欧近代科学の考え方では『魏志』倭人伝と『古事記』序・上巻の語句や文章は読解できないことを知り、日本人本来の考え方をよみがえらして始めて『魏志』倭人伝と『古事記』序・上巻が正しく読解できることを知らなければならない。

 上記の❶「転回日本列島地理」と❷「夏音文字」の秘密を後世に伝える、【科学】史跡がわが国には現存する。
 この現存する史跡は下記の3つである。
➀ 『魏志』倭人伝と同時代に作成された建比良鳥(たけひらとり)の地上絵(静岡県浜松市北区の細江町の1千万坪の大鳥の地上絵)
➁ 徳川家康が彦根・井伊藩に命令して近隣の7ヵ国12大名に助勢させて、1603年から1622年までの20年間の歳月を費やして作成された、現在の彦根市の行政区域を示す地図の形として現存する「夏音文字はいまだ復興せず」と造形する3千万坪の羽の無い大鳥の地上絵。この大鳥の地上絵作成の中心となった井伊氏は1601年に➀の建比良鳥の地上絵の北隣の引佐(いなさ)町井伊谷(いいのや)に居住して、建比良鳥の地上絵を1300年余も守って保存していた
➂ 1616年に没した家康の遺志を継ぐ将軍秀忠と幕府は小堀遠州に❶「転回日本列島地理」と❷の「夏音文字の学芸」が容易に理解できるように設計する施設の作成を命令した。この施設が1623年から1645年まで遠州が情熱をかたむけて作った桂離宮の庭園である。遠州は家康から30歳(1608年)のときに➀の建比良鳥の地上絵の研究を命ぜられ、以来彼は建比良鳥の地上絵が秘める❶「転回日本列島地理」と❷の「夏音文字」の研究に専念することになり、その研究成果をすべて桂離宮の庭園の設計にして残した

 この3つの史跡によって、古代史学者たちが西欧近代科学の〔文献批判〕と〔傲慢な単純化〕と【科学】に対する無知の荒唐無稽の妄想でことごとく闇に葬った『魏志』倭人伝と『古事記』序・上巻のすべての記述が真実の歴史を伝えるものであることが、この目で確認できる。
 『魏志』倭人伝と『古事記』序と上巻を正確に読解して作られた、これらの3つの史跡によって現在の古代史学者たちの読解力がゼロであることが露見する。
 冒頭に記述したように、『イリアス』の証言を文献批判した学者たちの意見が妄想であったように、上記の3つの史跡は邪馬台国説と日本神話虚構説は荒唐無稽の妄想であることが目で見て確認できるように作られている。 
 学者たちは『魏志』倭人伝と『古事記』序・上巻の記述を正しく読解できる能力を有していない。
 ということは、彼らは最初の段階から正しい歴史を解明できる資格をまったく有するものでなかったことになる。

|

« 邪馬台国学説は日本民族を虐殺する。しかも人類共通の敵である・28 | トップページ | 邪馬台国学説は日本民族を虐殺する。しかも人類共通の敵である・30 »

学問・資格」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

映画・テレビ」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

卑弥呼」カテゴリの記事

邪馬台国」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

漢字の起源」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 邪馬台国学説は日本民族を虐殺する。しかも人類共通の敵である・29:

« 邪馬台国学説は日本民族を虐殺する。しかも人類共通の敵である・28 | トップページ | 邪馬台国学説は日本民族を虐殺する。しかも人類共通の敵である・30 »