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2012年8月 4日 (土)

邪馬台国学説は日本民族を虐殺する。しかも人類共通の敵である・36

 学者たちは『魏志倭人伝』を誤読して邪馬台国説をデッチあげた。
 学者たちは『古事記』の序と上巻を誤読して日本神話虚構説をデッチあげた。
 この「誤読」を学者たちは“文献批判”と称するが、この“文献批判”は歴(レッキ)とした完全なる【誤読】である。

 『魏志倭人伝』にいっさい誤読(文献批判)を加えなければ【科学】が成立して、すべての記事は真実を伝える仕組みになっている。
 この真実を失うと、確実に“日本”は滅び“日本人”は消えてゆくにちがいない。
 学者たちの【誤読】によって“日本”あるいは“日本人”が消滅しようとしている。
 『魏志倭人伝』を誤読して学者たちがデッチあげた邪馬台国説は「日本民族は全滅せよ。日本の人民はこの世に生きる価値がない! 生まれる価値もないゴミだ!」と、われら日本人を罵(ののし)り祟(たた)る金切り声でわめきちらす。
 『古事記』の序と上巻にいっさい誤読(文献批判)を加えなければ、日本人にとって最もな重大な歴史と真実と真理が明らかとなる。
 『古事記』の序と上巻をまったく正しく読解することができる能力がゼロの無知無学の学者たちは【誤読】という方法で詐欺(さぎ)をはたらき日本神話虚構説をブチあげて、「日本民族は全滅せよ。日本の人民はこの世に生きる価値がない! 生まれる価値がない屑(くず)だ!」とわれらを呪(のろ)い侮辱する。

 『魏志倭人伝』と『古事記』に“文献批判”という名の【誤読】をいっさい加えずに記事を忠実に読めば、真実・真理を知ることができる方程式が解ける仕組みになっている。
 完全なる誤読の空論である邪馬台国と日本神話虚構説を排除すれば、眼前に先人たちが残した真実の歴史とその歴史の真理が目撃できる。
 この真実と真理は、日本人が日本人と生きてゆく目標を示し、日本人が日本人として生きてゆける誇りと尊厳を示し、日本人の命と魂の根元を示し、永遠に輝きを失ってはならない日本文化と学術と芸術の根元が明らかとなる。

 邪馬台国説と日本神話虚構説は“文献批判”という名の【誤読】を用いてデッチあけた妄想であるゆえ、もとより【科学】がまったく成立しないウソ八百である。
 『魏志倭人伝』と『古事記』序と上巻にいっさい【誤読】を加えなければ【科学】が成立して歴史学の方程式に則って輝かしい真実・真理が明らかとなる。
  『魏志倭人伝』と『古事記』の序・上巻には共通した重大な歴史の記述がある。
 この共通した日本古代史における重大な歴史の秘密が三つある。
 この三つの歴史の秘密を今回〔35回〕から1回ずつ解説する。
 今回は原初漢字の〔夏音文字の秘密〕について解説する。

 ❶ 『魏志倭人伝』の卑弥呼をはじめとする人名・小国名と、『古事記』の序は上巻の〔音〕という注が付く1字1音の文字は、今から約4050年前の夏代初頭(わが国の縄文時代初頭)にわが国に伝来した夏音文字である。

 司馬遷(しばせん)著『史記』夏本紀や『日本書紀』神武天皇紀の天祖降臨説話や『古事記』上巻の天孫・邇邇芸命(ににぎのみこと)説話の後半部は、下記のような歴史を説明する。
 中国の“夏の始祖”の帝禹(う)は五帝時代以来の氏族共同政治体制の継続を願望した。
 ところが、禹の子の啓(けい)は氏族共同体制を廃して、国家を樹立して、特定(禹と啓)の家の家督者が代々帝となる世襲王朝体制を要求した。ゆえに、帝禹が臨終するとき帝位を、禹の政治を補佐した益(えき)にさずけた。ところが、禹の三年の喪が終わると、益は啓に位を譲って、箕山(きざん)の南に隠棲(いんせい)した。というのも、諸侯はみな益から去って啓のもとに入朝したからである。
 益はもはや中国では氏族共同体制を継続することは不可能であるとさとり、禹の遺志は新天地・日本列島にてかなえることを決意した。しかし、帝益は年老いていたので、中国大陸と日本列島を隔てる荒波逆巻く大海を小舟で漕いで渡る体力を有していなかった。
 この禹の遺志を成就させる事業は、小舟を幾日も漕いで大海を渡ることができる腕力と屈強な体格を有している帝益の孫の王子と若者たちによってなされた。
 この名門益氏の若者たちの移住によって、日本列島に夏音文字の学芸が伝来して根付いた。
 この偉業は、「荒海を越えた益氏の男たち」を語源とする「勇ましく雄々しい立派な若者」を意味する「益荒男(ますらお)」という語で今日に残る。古語では「益荒男」は「大夫」や「武士」などと表記される。
 また、『魏志倭人伝』は「古(いにしえ)より以来、倭の使者は中国に至ると皆自ら“大夫”と称する」という記事で、「大海を越えて中国に到着した倭の使者たちは皆が皆“大夫”すなわち“帝益の王子と若者たちのように大海を渡ってきた”と誇示した」と伝える。
 そして、司馬遷著『史記』陳杞世家(ちんきせいか)には「帝王になった益氏の子孫は、どこに封ぜられたか不明である」という記述があり、名門益氏は中国の歴史から忽然(こつぜん)と姿が消えたと伝える。
 『日本書紀』神武天皇紀には「天孫」と記される帝益の孫の王子と若者たちが日本列島に移住した歴史が記述される。
 『古事記』上巻の天孫・邇邇芸命説話の末部の筑紫降臨説話は――天照大御神の孫の王子(天孫)は、大和王朝を率いる天照大御神が夏音文字の学芸に精通するゆえ倭を統治する女王にふさわしいことを示すために、夏代初頭の帝益が箕山の南の地に隠棲の歴史を演出して伊耶那美命を崇拝する宗像王国を征服した――と説明する。
 この大和の天孫軍が〔益の箕山の南へ隠棲した歴史〕を演出した歴史は、今日、「基(きざん)」という山の名や「鳥栖(とす)」という地名や宗像大社の宮殿創建の由来となって残っている。

 したがって、わが国の最初の漢字の伝来は紀元前21世紀であって、定説の5、6世紀の漢字習得説は『魏志倭人伝』と『古事記』序とそして『隋書』倭国伝を学者たちが誤読してデッチあげた真っ赤なウソ八百であったことになる。
 益氏が日本列島に根づかせた夏音文字の学芸は、1738年に本格的に復興した大嘗会(だいじょうえ)の即位する天皇の頭上に差し上げられる王冠・菅蓋(かんがい)の意匠となって、日本人にとって最も輝かしい真実・真理であると示されて、日本人の命と魂をあらわすものとなる。
 今上陛下も、この天皇の王冠の儀式をおこなって天皇に即位した。
 ゆえに、この天皇の王冠の歴史を調べると真実の歴史にもとづいて日本人民の命と魂の根元を即位する天皇の頭上に高らかに差しあげるものであることが明らかとなるとともに、邪馬台国説と日本神話虚構説は真っ赤なウソであることが明らかとなるので、夏音文字は実際に日本列島に伝来した原初漢字であったことは事実であったと確信できる。
 しかも、この事実を科学的に鮮烈に証明できる史跡はわが国には幾つも存在する。
 だから、これら史跡によって邪馬台国説と日本神話虚構説は学者たちが誤読でデッチ上げた詐欺であり、「日本民族を全滅せよ。日本の人民はこの生きる価値は最初(はな)から無かった、生まれてくる価値がないクソたれだ!」とわめきちらす暴論であることが紛れもない事実となる。

 『隋書』倭国伝には「文字無し。ただ刻木(こくぼく)結縄(けつじょう)のみ。仏法を敬い、百済において仏経を求得して、始めて文字あり。卜筮(ぼくぜい)を知り、尤(もっと)も巫覡(ふげき)を信ず」という記述がある。
 この文中の「文字」は「楷書」と訳さなければならない。
 
仏教の経典に用いられる隋代に完成した楷書を解読した巫女(みこ)と覡(かんなぎ)たちは名門益氏が日本列島に根づかせた夏音文字の学芸を修得していた。これゆえ、難解な思想を画数の多いむずかしい字を羅列して伝える仏教の経典に用いられるすべての楷書を解読するという、偉業をやりとげた巫女と覡(神官)たちは国中の人々に最も信頼されることとなったのである。
 巫女と覡たちは楷書は夏音文字を短時間で書くことができる簡略字であり、夏音文字と楷書の字源と本義は【銀河各部の形状】であることを知っていた。
 その証拠に、『隋書』倭国伝はわが国に今から約6000年前に出現した三皇時代の結縄と今から約5000年前の五帝時代初頭の刻木が存在したと記載している。
 中国では「刻木」を「書契(しょけい)」と称し、「書契」は「に文字をむ」と意味するので、わが国では「刻木」と称した。
 この「刻木」は「五帝時代の文字と夏代初頭にわが国に伝来した夏音文字」と意味した。

 紀元前21世紀の三皇時代から紀元前3世紀の秦代まで、中国と日本列島の天頂に「文字」の[文]の原字・字源となる銀河が通過した。
 この「[文]の原字である銀河部」を注目して、五帝時代初頭の黄帝につかえた“漢字の始祖”と崇拝された倉頡(そうきつ)はすべての漢字を作成することができる原理「鳥獣の文」を発明した。
 すべての漢字を作られた倉頡が発明した漢字作成原理は、「[文]の原字となる銀河部」の頭部が胎児の命が宿る子宮を保護する「女性の骨盤」、「[文]の原字となる銀河部」の西側半身は乳房・生殖器(子宮)・妊婦の円いおなかの形に相似するので、この「[文]の原字となる銀河部」を倉頡は「すべての漢字を生む母体」と定めた。
 この「すべての漢字を生む母体・[文]の原字となる銀河部」は〔木〕の形にも相似すると見立てられて、倉頡が考案した文字は「木に文字を刻む」と意味する名称で呼ばれることになり、中国では「書契」、わが国では「刻木」と称されることになったのである。
 上記したように、三皇時代から秦代まで「[木]の原字となる銀河部(すべての漢字を生む母体・[文]の原字となる銀河部)」が中国と日本列島の天頂にめぐってきた。
 ゆえに、〔五帝時代の文字・夏代の夏音文字・殷代(いんだい)後半期の甲骨文字・周代の金文と大篆・秦代の小篆と隷書〕は一括まとめて「書契」あるいは「刻木」と呼ぶのが正しいことになる。
 したがって、わが国の遣隋使は隋王朝に「五帝時代の文字と夏代初頭の夏音文字」を「刻木」という名で伝えたのである。

 ゆえに、学者たちは『隋書』倭国伝には“文献批判”という名の【誤読】をいっさい加える必要がなかった。
 あるいは、学者たちはただ「無文字」という3字の「文字無し」という書き下し文に目がくらみ、早合点・独断憶測して後ろに続く文字・語句・文章をすべて無視して、短絡的に「倭には文字がなかった」と思い込んだだけのことだったのかもしれない。

 先人が著作した文献史料を読解する後人は、真っ先に1字1字を忠実に読解するを歴史学の必須ルールとしなければならない。というのも、この方法は真実の歴史を洞察できる原理原則だからである。
 その証拠に、『隋書』倭国伝の記事の1字1字を忠実に読解すると下記のごとく証言するものと解釈することができる。
 「倭では隋王朝が完成させた楷書は存在しない。しかし、三皇時代の結縄と五帝時代の文字と夏代初頭に伝来した夏音文字は存在する。そして、隋王朝は倉頡が定めた【銀河各部の形状】を最も短い時間で表記する簡略字・楷書を完成させた。これゆえ、夏音文字と楷書はともに【銀河各部の形状】を造形・デザインする文字となったので、夏音文字の学芸に精通する巫女と神官たちは【すべての文字】となった【銀河】(秋の銀河と夏の銀河)を字書にして、仏教の経典に用いられた楷書の解読に成功した。」

 『隋書』倭国伝は「倉頡が漢字作成原理を発明したときに【すべての文字】は【銀河各部の形状】と定めた。この五帝時代以来楷書が完成した隋代まで【すべての文字】は【銀河各部の形状】と定められて、時代とともに【銀河各部の形状】をデザインする漢字の簡略化が推進されたものであったゆえ、夏音文字に精通する巫女と神官は仏教の経典に使用する楷書を解読できた」と説明するものであったのである。
 
 学者たちは、【すべての文字】の原字が【銀河各部の形状】であることにまったく気がつかない。

 『魏志倭人伝』と『古事記』序・上巻と『隋書』倭国伝は「【すべての文字】は【銀河各部の形状】である」という、この事実を伝える史料である。
 学者たちは『魏志倭人伝』と『古事記』序と上巻と『隋書』倭国伝の記事の1字1字を忠実に読まずに、【誤読】を使って記事を闇雲(やみくも)に切って切って切りまくるため、『魏志倭人伝』と『古事記』序・上巻と『隋書』倭国伝の記事に秘められた「【すべての文字】は【銀河各部の形状】である」という真実・真理をまったく把握できない。
 だから、学者たちの【誤読】によって、【すべての文字】は【銀河各部の形状】であった真実と真理を日本人は誰一人も知ることができなくなったのである。
 したがって、『隋書』倭国伝の「無文字」を「倭に文字が無かった」と解釈した定説はまさに誤読の産物であり、このように解釈する人々は〔史書の文字を忠実に読解しなければならない〕という原則を知らない、日本古代史学を研究するに不可欠な基礎知識と才能にまったく欠ける偽学者であったことになる。
 

 『隋書』倭国伝の記事の約100年後の702年、日本国の遣唐使が中国王朝に「わが国には夏音文字が存在する」と語ったと記述する史料が存在する。
 この史料は中国の正史『新唐書(しんとうじょ)』日本伝である。
 『新唐書』日本国伝には――中国に渡った遣唐使が「後稍(のち・やや)夏音を習い……」と中国王朝に告げた――という証言が記述され、わが国に夏音文字の学芸が伝来していたと明記される。
 この「後稍夏音を習い」という文は「壬申の乱の、わが国では楷書を習得した以後に使用しなくなった夏音文字を稍々(少しだけ)復興することにした」と意味する。
 9世紀の半ばころから密教が流行(はや)らせた日本固有の神と外来宗教の仏教とを結びつけた「神仏習合」は、「神が仏となって復興する(蘇える)」と意味する。
 これゆえ、[習]の字義は「復興する。蘇える」である。
 したがって、702年の遣唐使の「後稍夏音を習い……」の「習い」もまた「復興する」と意味するものであったことになる。

 相賀徹夫発行『日本古代史の旅3 邪馬台国』(小学館発行)の30頁の注〔卑弥呼の発音について〕は「中国の魏以前の上古音で読めば“ピミカ”になる」と指摘する。
 ところが「卑弥呼」を“ヒミコ”と読む字音は、魏以前の上古音よりも古い字音となる。
 というのも、わが国の中国古代文字研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字統』(平凡社発行)の9~10頁の〔わが国の漢字音〕の冒頭は下記のごとく指摘するからである。
 「古紐や古韻の研究は、西洋の言語学・音韻学がとり入れられ、殊にその音韻史研究によってえられた諸法則が、原理的にほぼ適用しうるという関係もあって、カールグレーンがその方法を開いてから、急速な進展をみせている。そしてその結果、わが国の国語として残されている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものを示すものであることが明らかになった。」
 だから、「卑弥呼」を“ヒミコ”という字音は、3世紀の魏以前の上古音よりも古い字音、すなわちいま残されているもののなかで最古の字音をあらわす。
 このわが国に存在した最古の漢字の字音と言えば、『新唐書』日本伝に記載される「夏音文字」しか適合する文字は存在しない。

 夏代初頭(後期縄文時代初頭)の遺跡とされる秋田県鹿角市に所在する国の特別史跡の大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)の万座遺跡と野中堂遺跡には夏音文字の学芸が保存される痕跡がいまなお明確に残る。
 夏代初頭の遺跡群が所在する長野県茅野市の尖石(とがりいし)台地から発見された尖石縄文考古館に所蔵される石板画に刻まれる5つの図書は、中国において未発見の、文を構成する夏音文字の史料であるにちがいない。
 この石板画中央の[大]字形の図書こそが「刻木」という語源となった「[木]の原字となる銀河部」を図案するものである。
 この「[木]の原字となる銀河部」は「[文]の原字となる銀河部」であると同時に「すべての文字を生む母体となる銀河部」である。そして、この「すべての文字を生む母体となる銀河部」を図案する[大]の原字となる。
 この5つの図書(夏音文字)は「日・売・大・可・美(ひめおかみ)」の5文字を線刻するものと考えられ、この5文字の字義は「日照り・続く・大(神)・雨降るを・祈る」とあらわすものと考えられる。
 中国においては今から約6000年前から約5000年前までの1000年間における結縄は、約120種(字)ぐらい出土している。
 にもかからわず、今から約5000年前から約3600年前までの1400年間の五帝時代の文字と夏代の夏音文字の発見点数は極端に少なく、5~10種(字)しか発掘されていない。
 これらの文字は、いずれも陶器の破片に1個だけ単独に刻まれていて、尖石遺跡の石板画のように1個の面上に5つの図書を刻むものは発見されていない。
 学者たちは1個の陶器の破片や石の表面に存在する〔複数の文字の連なり〕を“文字列”と名づけ、〔文字列を有する図書〕が確実に【文字】であると断定できると定義する。
 したがって、この“文字列”の定義にもとづくと、尖石遺跡の石板画の5つの図書が最古の漢字となって、本来、中国の五帝時代の“文字列”を有さない単独図書は最古の漢字ではないことになってしまう。
 こんな漢字の原郷である中国の書契よりも中国から伝来したわが国の夏音文字が最古の漢字となるというような馬鹿げたことがあるはずがない。
 だから、学界が定める漢字の定説は根本的に誤っていることになる。

 『魏志倭人伝』と『古事記』序・上巻と『隋書』倭国伝が伝えるように、【すべての漢字】は【銀河各部の形状】であったのである。
 【すべての漢字】は【銀河各部の形状】であった――これが真実であった。だから、陶器の破片に1個だけ刻まれた中国の三皇五帝時代の図書は最古の漢字であり、尖石縄文考古館に所蔵される石板画の5つの図書は、夏代初頭に夏音文字を習得した縄文人が雨乞いするために線刻した夏音文字であったことになる。

 【すべての文字】が【銀河各部の形状】であった、この真理・真実は倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成原理の秘密を解明すれば証明できる。
 倉頡が発明した漢字作成原理については、今日となってはおそらく中国では科学的に明確に証明することができないにちがいない。
 ところが、夏音文字が伝来したわが国においては倉頡が発明した漢字作成原理を科学的解明できる史跡が幾つも現存する。これらの代表的な史跡は下記の5つである。

 ⑴上記した大湯環状列石の万座遺跡と野中堂遺跡
 ⑵『魏志倭人伝』と同時代の3世紀後半に作られた静岡県浜松市北区の細江町の行政区域を表示する地図の形として現存する――1千万坪の大鳥(カンムリカイツブリ)の地上絵
 ⑶1603年に着工してから20年後の1622年に完成した滋賀県彦根市の行政区域を表示する地図の形として現存する――3千万坪の大鳥(カンムリカイツブリイ・ハジロカイツブリ・鳰の3種のカイツブリを一つに合体させる)の地上絵
 ⑷将軍秀忠と江戸幕府に命令されて1623年から1645年までに小堀遠州が作成した京都市に所在する桂離宮の庭園
 ⑸京都市に所在する枯山水の平庭で有名な竜安寺(りょうあんじ)の石庭 

 上記の5つの史跡によって、邪馬台国説と日本神話虚構説は【誤読】の空理空論であることが否定できない事実であると明確に証明される。
 この5つの史跡によって、わが国には確かに夏音文字が伝来していたと証明され、倉頡が発明した漢字作成原理の全貌が科学的に明確に解明される。
 5つの史跡によって、甲骨文字・金文・篆文・隷書・楷書は文字を短時間で書くことができる簡略字を示すものであって、楷書は倉頡が定めた【すべての文字】は【銀河各部の形状】とする原則を守る文字であることが証明され、学者たちの「文字」の定義が根本的に誤っていたことが証明される。
 そして、⑴の大湯環状列石を除く4つの史跡によって、邪馬台国説と日本神話虚構説は「日本の人民はこの世に生きる価値がない! 生まれてくる価値もないクズだ!」とわめきちらす傲慢きわまりない意見であることが白日のもとにさらされる。 

 三皇時代初頭に結縄を考案した包犧(ほうぎ)氏は“漢字の始祖”ではない。
 包犧氏は天頂を通過する尖石遺跡の石板画の中央の[大]の原字となった「すべての文字を生む母体となる銀河部の頭部」から結縄を作ったが、この方法では自らの氏族名の「包犧」という二つの結縄を作ることができなかった。
 五帝時代初頭の黄帝につかえた史官の倉頡(そうきつ)によって「包犧」「女媧(じょか)」「神農」の三皇氏族の名を表示することができるようになった。

 倉頡は[すべての文字〕を作るものではなかった。
 しかし、倉頡は〔すべての文字〕を作成する原理を発明し、【すべての文字】は【銀河各部の形状】と定めた。
 そして、楷書は倉頡が発明した漢字作成原理に則って作成された簡略字であったので、【すべての文字】は【銀河各部の形状】という真理・真実が成立することになったのである。

 倉頡は【秋の銀河の西部と夏の銀河の全域の各部の形状】から万物の情(イメージ)に類似する多数の図書をデザインできることに気づいた。
 そこで倉頡は、この【秋の銀河と夏の銀河】の各部は別々に分化しているが、この銀河全域の各部のすべてが相集まって一つの形を成立させ、「鳰(にお)」(カイツブリ)という水鳥の姿に観える形状に注目した。
 そこで、倉頡は「鳰の姿に観える銀河全域」を〔多〕とし、「すべての文字を生む母体となる銀河部」(尖石遺跡の石板画中央の[大]の原字となる銀河部)を〔一〕として、〔多即一、一即多〕と考えて、〔多〕と〔一〕は同一のものと考えるようにすると定めた。次に、「すべての文字を生む母体となる銀河部」における「生殖器(子宮・卵管・卵巣・産道)のような箇所」から多数の文字を生むように図案すれば、万物の情に類似する多数の文字を作ることができる――と、倉頡は漢字作成原理を発明した。

 要するに、倉頡はその各部の形状から数万字にも及ぶ多数の漢字を作れることができる「鳰の姿に似る銀河全域」(秋の銀河と夏の銀河)と天頂にめぐってくる見かけの大きさが10度ぐらいの「妊婦のような形をした銀河部」は同一のものであると想定し、この「妊婦のような銀河部」にある「生殖器の銀河部」から「鳰の姿に似る銀河各部全域の形状」をあらわす図案を生むようにすれば、この世に存在するすべての事物・事柄の情(イメージ)に類する形・意味を表現する多数の(数万字にも及ぶ)漢字が作成できるという原理を発明した。

 「文字」の[字]の上部の[宀(べん)](ウ冠)は「鳰の姿に似る銀河全域=妊婦のような銀河部」とそして「生殖器の銀河部」をあらわす。下部の[子]は「うまれて字」をあらわす。
 だから、上記の倉頡が発明した作成原理は[字]の字形に表示されていることになる。
 字書の聖典の『説文解字』は、[字]の字源を「乳するなり」と解説する。
 というのも、「[子]の字源となる銀河群」は「乳児」のように観え、この「乳児の顔に相似する銀河の口に相当する銀河部」は「妊婦のような銀河部の生殖器と重なる部位」が「乳房」のような形となり、「乳児の顔にする相似する銀河の口に相当する銀河部」は「妊婦のような銀河部の生殖器と重なる部位の乳房の形の銀河部位」」を〔舌で嘗(な)めて乳房を吸う〕ように観えるからである。

 
 上記したように、この「すべての文字を生む母体となる銀河部」は[文]の原字となったので、倉頡が発明した漢字作成原理の名称は「鳥獣の文」となった。
 上記したように、すべての漢字が作られた【秋の銀河と夏の銀河全域】は「鳰」という〔水鳥〕の姿のごとくに観える。また、女性の生殖器の側身形も〔水鳥〕の姿に類似する。そして、子宮に宿る第5週目ごろの胎児の側身形は〔獣〕の[牛]の原字となるジャコウウシの姿に類似すると見立てられた。また、第7週ころの胎児の顔の両端につく両目は〔獣〕の[馬]の原字となるフタコブラクダの顔の両端にある両目のようであると見立てられた。この「フタコブラクダの両目に類似する銀河部」が「すべての文字を生む母体となる銀河部の生殖器」の北隣にあるので、漢字作成原理は「鳥獣の文」と称されることになったのである。
 「すべての文字を生む母体となる銀河部の生殖器」の形は[正]の原字となる〔指が3本しかない、人の足の形〕に相似するので、倉頡伝説では漢字作成原理「鳥獣の文」は「鳥獣の足跡」という名で呼ばれることとなった。

 上記したように『説文解字』は[字]の字源を「乳するなり」と解説する。
 この「乳するなり」の[乳]の字源を、『説文解字』は「人及び鳥の生子を乳といふ。獣には産といふ」と解説する。
 [字]の[子]の字源銀河部となる「母親の乳房を嘗めて吸う乳児に観える銀河部」は〔人の生子の姿〕に相似し、その北隣は〔鳥の羽のような形状の銀河部〕となる。
 だから、『説文解字』は「人及び鳥の生子を乳といふ」と字源解説した。
 そして、「出産」を意味する「分娩」の[娩]の字が[兔(うさぎ)]の字に相似する「免れる」の[免]であるのは、〔産道を潜る胎児が、全速力で突っ走る獣の兎のように狭い骨盤産道を素早く免れて(止まらずに)誕生する〕からである。ゆえに、『説文解字』は「獣には産といふ」という解説を付け加えた。
 字源解説文の表層だけを解釈すると「人の子どもと鳥の生子が乳で共通して、獣が産となる」と奇怪なことになる。
 しかし、【すべての文字】は【銀河各部の形状】であったゆえ、『説文解字』の字源解説は[乳]の原字となる銀河部の形状を説明するものであったのである。
 この[乳]の字となる銀河部の南隣は三水偏(水)の字源となった〔河川の水〕と〔産道内の不潔物を洗い出す羊水〕に相似する。そして、[乳]の原字の中枢部となる「人と鳥の生子となる銀河部」は〔水にうく舟〕や〔子宮内の羊水にうく胎児〕のように観えるので、「水にうく」の「うく」の字は三水偏と[乳]の左の[孚]が組み合わさる[浮]となった。
 このように、楷書の[字][乳][浮]でも【文字】が【銀河各部の形状】であったことが表示されるものであったので、7世紀の夏音文字に精通する巫女と神官たちは鳰のような銀河各部の形状を観て仏教の経典に用いられる楷書を解読できたのである。
 2世紀初頭に後漢の許慎(きょしん)が『説文解字』を完成することができたのも、【すべての文字】が【銀河各部の形状】であったからにほかならない。

 倉頡は、〔鳰の姿〕のごとくに観える【秋の銀河と夏の銀河】から作る文字の学芸知識は強大な権力と莫大な富と最高の名誉と大王にふさわしい英知を手に入れることができるゆえ、反体制側が習得して革命に利用したならば容易に王朝は崩壊してしまうことに気づいた。
 そこで、倉頡は【文字】が【銀河】から作られた秘密を明らかにする者、書いた【文字】が用が済んだならば直ちに消さない者、銀河各部に名称を付けて【文字】を習得しやすくした者を直ちに死刑にすると定め、文字の学芸を王朝が独占管理して厳重な機密にした。
 このように倉頡が定めた掟によって、現在のわれわれの「文字」に対する抱く考えと異なって、【文字】は【鳰の姿に観える銀河領域の銀河各部の形状】(秋の銀河と夏の銀河の各部の形状)と定まった。

 この【銀河各部の形状】を「文字」とする【文字】でも、王道政治の権力基盤となる深遠な真理・真実を知ることができる学芸が確立された。
 だから、【文字】は王道政治の権力基盤となる学芸で起源したもので、〔ことばをあらわす記号〕として【文字】は起源するものではなかったのである。
 わが国の中国古代文字研究の第一人者とされる白川静博士が著作した『字通』(平凡社)の1399頁は【文字】は「」ことばをしるす記号。中国ではいわゆる漢字。」と定義する。
 このように、白川博士はじめ学者たちは『古事記』の序が解説し、上記の5つの史跡によって科学的に証明される〔【すべての文字】が【銀河各部の形状】であるという真理・真実〕を知らない。

 
 紀元前4、5世紀に生存した中国の思想家の老子は、【すべての文字】が【銀河各部の形状】であることを知っていた。
 【銀河各部の形状】が作られた【文字】の学芸が衰退するのを食い止めようとした老子は、【銀河各部の形状】を【文字】とする原字の状況のほうがむしろ深遠な真理・真実を知ることができることを示して、『老子』第33章で「足(た)るを知る者は富み」、第46章では「知足の足は常に足(た)る」と表現した。
 上記したように、【銀河各部の形状】を【文字】とする学芸において、この学芸の中枢となる「すべての文字を生む母体となる銀河部の生殖器」の形は〔3本指の、人の足の形〕に観える。
 ゆえに、この「人の足の形をした銀河の秘密を知る」ことは「深遠な真理・真実を知る」ことになったので、老子は〔足の形の銀河の秘密を知る〕を「足りるを知る者は富み」、また「知足の足は常に足る」と表現したのである。
 上記した京都市に所在する竜安寺の石庭は、この「知足」の学芸の秘密と「【すべての文字】は【鳰の姿に観える秋の銀河と夏の銀河の各部の形状】である」と造形表現する白砂の平庭である。

 本来、尖石遺跡の石板画に刻まれた5つの夏音文字や、中国の陶器に破片に刻まれた5~10字の書契は、倉頡が定めた掟に則って出土・発見されてはならないものであったゆえ、極めて特殊な事例である。
 五帝時代から殷代(いんだい)前半期までは倉頡が定めた「用が済んだならば書いた文字は必ず消せなければならない」という掟がまもられていたゆえ、出土数が極端に少ないことになったのである。
 『魏志倭人伝』に「倭の占いの卜辞(文字と言葉)は、令亀(れいき)の法のごとくであった」と記述されるように、倭には殷代の亀の甲羅に刻んだ甲骨文字で表記する卜辞に相似する夏音文字の卜辞が存在した。
 この夏音文字の卜辞が出土・発見されないのは、倉頡の掟に則って書いた後に直ちに消される文字であったからにほかならない。
 わが国における最多の神社名の「八幡」の[幡]の字源は「書いた文字を直ちに消さなければならない掟、または文字を消す器具」である。
 この〔八幡宮〕〔八幡神社〕は、日本列島の天頂に[幡]の原字・字源となる銀河部がめぐってきた時から起源した。

 『魏志倭人伝』は「魏の都、魏の出張機関がある朝鮮半島の帯方郡(たいほうぐん) 、諸韓国と卑弥呼が取り交わす文書の文字は差錯(ささく・相違)していたので、すべての文書を倭の伊都(いと)国の港において点検し、確認をして、卑弥呼のもとに届いた時に間違いのないようにしていた」と記述する。
 この記事が伝えるように、魏・帯方郡・諸韓国の文字(隷書に近い楷書)と卑弥呼の夏音文字の字義は相違するものであったので、九州の一角に所在した伊都国の港で役人が夏音文字の字義に合致する文字に直して、卑弥呼へ送っていたことになる。
 したがって、伊都国の役人には魏・帯方郡・諸韓国が用いる楷書の知識があったことになる。
 卑弥呼が用いる夏音文字は尖石遺跡の石板画や当時の銅鐸絵画のような夏音文字ではなく、楷書で書かれていたと思われる。というのも、まづ楷書のほうが短時間で書くことができたうえに、楷書は【銀河各部の形状】から図案した痕跡のリアル性に欠けて秘密をより守ることができる便利な文字であったからである。
 卑弥呼が書く夏音文字は銅鐸絵画のような絵文字であったとしても、卑弥呼の夏音文字を伊都国の役人たちは魏・帯方郡・諸韓国が用いる楷書に変換していたことになる。
 もしも変換できなかったならば、魏と倭は国交を結ぶことができなかったので、『魏志倭人伝』という文献史料はこの世に存在しないことになって、まったく【科学】が成立しないことになる。
 なお、魏が用いる「卑」は「賤(いや)しい」と意味したが、倭女王の夏音文字「卑弥呼」の[卑]は「益なり」すなわち「五帝時代の帝舜(しゅん)の時代から〔虞(ぐ)〕という官職に任命されて卑湿な土地の中国海岸線の地図を作成を担当した益氏」と意味するものであったのである。
 ゆえに、「卑弥呼」の[卑]は「中国全土を洩れなく包みこむ海岸線」、[弥]は「カンムリカイツブリの頭部と両翼の形に相似すると見立てられた山東半島とその南北の海岸線」、[呼]は「鳰に姿に相似する中国南部の杭州湾の形」を意味するものであった。

 学者たちの【文字】の定義は完全に誤っている。
 【すべての文字】は【銀河各部の形状】であった。
 ゆえに、伊都国の役人たちは【銀河各部の形状】を短時間で書ける当時の簡略字の魏の楷書と相違する卑弥呼の【銀河各部の形状】から作られた夏音文字の字義が合致するように変換できた。
 だから「卑弥呼が生存した3世紀に文字が無かった」と断定する邪馬台国説は、まさに【誤読】の空論以外のなにものないことになる。

 邪馬台国説や日本神話虚構説の学者たちがなんやかんやと反論しても、倭には【銀河各部の形状】が【文字】となった夏音文字が実在したことは、上記の5つの史跡によって科学的に明確に証明できる。 
 『古事記』序は、その全体を通していろいろな工夫と手段・方法を用いて「【すべての文字】は【銀河各部の形状】である」と説明するものであった。
 ところが学者たちには、これを読解できる能力をまったく有していなかった。
 もしもその能力を有するものであったならば、『古事記』序の文に合致する上記の5つの史跡が当然発見できたことになる。
 しかし、学者たちはそんな史跡なぞ絶対に存在するはずがないと荒唐無稽(こうとうむけい)のデタラメの世界に踏ん反りかえり、“文献批判”が完璧に【誤読】であると証明される事態は絶対におこるはずがないと思い込んでいる。
 しかし、上記の5つの史跡によって邪馬台国説と日本神話虚構説は学者たちが【誤読】を“文献批判”と別名で呼ぶ詐欺をはたらく空理・妄想であることが否定できない事実となる。 
 

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