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2012年8月 1日 (水)

邪馬台国学説は日本民族を虐殺する。しかも人類共通の敵である・35

 知識人やジャーナリストたちは“安全神話”という語をよく使う。
 この「神話」は「しっかりした根拠もなく信じこまれてきたことがら」と意味する。
 この「神話」の語源は「津田左右吉(そうきつ)の日本神話虚構説」である。
 しかし、この「日本神話虚構説」こそがまさに〈しっかりした根拠もない空論・妄想〉であった。
 ゆえに、“安全神話”という語は「しっかりした根拠がある絶対に確実なことがら」がほんとうの意味となる。
 だから、「しっかりした根拠もなく信じこまれてきたことがら」は、これからは「安全津田説」という語で表現しなければならないことになる。

 日本神話は絶対に虚構(作りごと)ではなく、真実を伝えるものである。
 『古事記』は上巻・中巻・下巻の三巻からなる。
 この『古事記』上巻に、日本神話が記述される。
 『古事記』の冒頭にある序は、「『古事記』序」と表記しない。
 『古事記』の序は、「『古事記』 序并」(『古事記』 并あわせて序)と表記する。
 したがって、『古事記』の序は上巻だけの序であって、中巻と下巻のための序ではない。

 『古事記』の序は「『古事記』上巻に記述された歴史を正しく読解する方法を、『古事記』序で解説した」と説明するものであった。
 ゆえに、この秘密を読者に気づかせるために、「『古事記』 并序」ときわめて特殊な序が表記されたのである。
 『古事記』序は、その全体をとおして「【すべての文字】は【銀河各部の形状】である。ゆえに、上巻の【すべての文字】を【銀河各部の形状】に変換して読解してこそ真実の歴史を知ることができる」と解説している。

 日本神話虚構説や『古事記』を研究する学者たちは「『古事記』序にはそんなことは書いていない。“【すべての文字】は【銀河各部の形状】である”なんて説明していない」と即座に反論するにちがいない。
 しかし、『古事記』の序は「【すべての文字】の【銀河各部の形状】である」と解説していることは紛(まぎ)れもない事実である。
 この事実は下記の5つの史跡に科学的に完全に証明されるからである。

 学者たちには、従来の誤った学問の伝統の虜(とりこ)になって、『古事記』の序を誤読をつづけている。
 あるいは、学者たちは『古事記』序の全記事の文字の表層だけをつまみ食いして粗雑に読んで誤読・誤訳する。
 だから、学者たちは『古事記』に記述されていないデタラメを根拠・理由にして日本神話虚構説をデッチあげた。

 学者たちには『古事記』序が「【すべての漢字】は【銀河各部の形状】であると」と解説するものであることを、正しく理解する能力をまったく有していない。
 『古事記』序の冒頭の「参神造化(さんしんぞうか)の首(はじめ)を作(な)し」という文は一体どのような意味なのか、『古事記』序の末部に登場する「辞理(じり)」とは何なのかと追究してその実体に迫れば――『古事記』の序の冒頭は「約4050年前の後期縄文時代初頭に中国から原初漢字の夏音(かおん)文字が伝来していた」と解説するものであり、末部は「夏音文字は【すべての文字】は【銀河各部の形状】であるという辞理の基礎知識となる。この夏音文字は『古事記』の上巻の随所において〔音〕という注が付く楷書で表記するが、この楷書で表記される【夏音文字】は【銀河各部の形状】であることは勿論、『古事記』上巻に用いられる【すべての楷書】もまた【銀河各部の形状】である。だから、この学理は【銀河】を仰ぎ見れば確かに事実であると察知できるので、『古事記』の序は『古事記上巻 序并』と変則的な表記にした」と説明していることになる。

 “論より証拠”ということわざのとおり、【銀河】を見れば『古事記』序が解説する【すべての文字】は【銀河各部の形状】である学理は実在したと察知できる。
 そして、この学理が実在したことは下記の5つの史跡によって否定できない事実となる。
 ⑴今から約4050年前の後期縄文時代初頭に作られた遺跡の国の特別史跡の秋田県鹿角(かづの)市の大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)

 ⑵『魏志倭人伝』と同時代の3世紀後半に作成された現在において静岡県浜松市北区の細江町の行政区域をあらわす1千万坪の大鳥の地上絵
 ⑶1603年に着工して20年後の1622年に完成した現在の滋賀県彦根市の行政区域をあらわす3千万坪の大鳥の地上絵
 ⑷1623年から始め病床に伏す1645年までに小堀遠州が作った京都市に所在する世界的に有名な桂離宮の庭園
 ⑸京都市に所在する世界的に有名な竜安寺(りょうあんじ)の石庭

 上記の5つの史跡によって、『古事記』序は「日本古代史には、【すべての文字】は【銀河各部の形状】である学理が実在した」と解説するものであって、学者たちはトンチンカンもはなはだしい誤読の虜になっていたことになる。
 その証拠に、学者たちは最初から“『古事記』の記述は歴史を記述するものではない。だから、『古事記』の記事は信用してはならない”という先入観を抱く。
 この先入観の正体は誤読だったのである。
 この先入観を基に立論する“文献批判”という名の〔誤読〕を母体にして産まれた意見が日本神話虚構説である。
 ゆえに、日本神話虚構説は〔トンチンカンな空理空論〕であることは上記の5つの史跡を発見しなくても、最初から事実と決まっていたことだったのである。

 私は学者たちが絶対視する“文献批判”という〔誤読〕をいっさい排除して、『古事記』序を正確に読むことにした。
 これゆえ、『古事記』上巻には真実の歴史を記述するもの
あると科学的に証明できる先人たちが作った確かな上記の5つの史跡を発見できた。
 もしも私の『古事記』序の読解が誤っていたならば、『古事記』上巻のすべての記事が正しい歴史であると伝えるために先人たちが20数年以上の年月を費やして上記の史跡を作るはずがなかった。
 【銀河】を見上げれば「【すべての漢字】は【銀河各部の形状】であった」と確信でき、さらに上記の5つの史跡によって【すべての漢字】は【銀河各部の形状】であったと科学的に事実であると立証できる。
 ゆえに、『古事記』序は「【すべての文字】は【銀河各部の形状】であったという学理は実在する」と解説するものであったのである。
 だから、学者たちが『古事記』の序と上巻に加える文献批判が
誤読であることは紛れもない事実となる。

 古代史学においては――前人が作った文献にある記述について、たとえ後世の学者たちが「この記述は絶対に誤っている、信用してはならない」と批判・否定しても、その前人が作った文献に記述したとおりの史跡・遺跡・遺物が発見されたならば、前人の記述はなんびとにも否定できない真実であり、学者たちが文献批判して否定した意見は誤読の空想であり、妄想であったことがなんびとにも否定できない事実となる――このような絶対原理が存在する。

 『古事記』序は「【すべての文字】は【銀河各部の形状】であるという学理が存在した」と解説するものであり、『古事記』上巻は実際に起きた真実の歴史を【銀河各部の形状】を【漢字(文字)】とする方法で記述するものであったことが、上記の5つの史跡によって科学的に明確に証明される。

 
 『古事記』序と上巻の記事と上記の5つの史跡によって、日本神話虚構説は学者たちが“文献批判”という名の【誤読】を用いてデッチ上げた空論であり、学者たちの一大妄想であったことが疑う余地もない事実となる。
 したがって、日本神話虚構説は『古事記』序と上巻をデタラメに読んだ
学者たちのウソ八百であったのである。

 「日本神話は歴史を説明するものでない」と断定されたのは、1961年に88歳の生涯を終えた早稲田大学教授・津田左右吉が主張した日本神話虚構説によって確立された。
 この津田左右吉が「日本神話は虚構である。ゆえに、歴史とは無関係である」と断定した理由・根拠は、彼の代表的な著書『神代史の研究』『古事記及日本書紀の研究』『上代日本の社会及び思想』『日本上代史研究』(この4著はいずれも岩波書店より発刊された)に説明される。
 

 この4書にて指摘した津田左右吉が誤読(文献批判)を用いて立論した日本神話虚構説の主なる根拠・理由は下記の二つのことがらである。
 ●日本神話に登場する神々は、国民の欲求や理想を表示する国民的英雄は少しもいない
 ●『古事記』や『日本書紀』が完成した万葉時代は、天皇と国家の権力の強大化が求められたものゆえ、当然、日本神話は国威宣揚(こくいせんよう)を意識した国家神話となった。だから、日本神話は虚構であると断定できる。

 津田左右吉著『神代史の研究』(岩波書店刊行・昭和8年3月10日第4刷発行)の525頁には、下記のごとく記事がある。
 「すべてが皇室と其の権力とについてのみ語られてゐる証拠である。さまざまの神の物語はあるが、さうして其の物語の主人公たる神々は一種の英雄と目すべきものであらうが、それに国民的生活が反映せられてゐるやうな形跡は見えず、国民的活動の面影などは、勿論、認められぬ。全民族の欲求なり理想なりによって動いてゐると思はれる神は少しも無い。いひかへると、神代史上の神々は民族的もしくは国民的英雄では無いのである。」

 『古事記』上巻・日本神話は、❶伊耶那美命、❷伊耶那岐命、❸天照大御神、❹須佐之男命、❺大国主神、❻天孫・邇邇芸命(ににぎのみこと)、❼山幸彦(やまさちひこ)の火遠理命(ほおりのみこと)、❽海幸彦の火照命(ほでりのみこと)などが登場する説話で構成されている。
 この神々のうち、伊耶那美命、伊耶那岐命、須佐之男命、大国主神、山幸彦の火遠理命の5人は国民に慕われる英雄であると説明される。
 天照大御神、天孫邇邇芸命、海幸彦の火照命の3人だけが国家権力を誇示する英雄である。
 ゆえに、●津田教授の「日本神話に登場する神々には国民的英雄は少しも無い」という指摘は実際には国民的英雄は5人も登場するので、津田説は根も葉もないデタラメであることが容易に証明される。

 ●津田説は「『古事記』や『日本書紀』が完成した時代は、天皇と国家の権力の強大化を求められたゆえ、当然、日本神話は国威宣揚を意識した虚構の国家神話が作られることになった」という推断を根拠・理由にするが、『古事記』と『日本書紀』は時の強大な国家権力に反抗する伊耶那美命崇拝運動の先頭に立つ舎人(とねり)親王の命を投げうっての情熱によって完成した。
 だから、津田説の推断と真逆の事情(強大な天皇と国家への反抗)によって『古事記』と『日本書紀』は作成されたので、津田説は誤読の空理空論であることが舎人親王の一生によっていとも簡単に証明できる。

 舎人親王が天皇と国家の強大な権力に立ち向った、つまり皇室が崇拝する至上神の皇祖・天照大御神が憎悪して何としても抹殺しようとした伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念を何としても後世に残さなければならないと抵抗した反逆は――『日本書紀』の672年の壬申の乱から、そして『続日本紀(しょくにほんぎ)』に記載される『万葉集』が完成した778年までの舎人親王に関する全記事を調べれば手に取るように鮮烈によみがえる。
 『続日本紀』聖武天皇紀736年(天平8年)11月11日の箇所には『万葉集』の書名になったとされる有名な「橘(たちばな)氏の殊名を流(つた)へ、万歳に窮(きは)みなく、千葉に相伝へむことを」という文があり、この文より前の記事は「舎人皇親王が『古事記』上巻に記述した日本建国の〔愛〕の理念を後世につたえるために〔愛〕の和歌集作成を計画して、『万葉集』編纂を葛城王(かつらぎおう)兄弟に命令した。この『万葉集』は聖武(しょうむ)天皇を騙して勅撰(ちょくせん)和歌集にしようと企むものであったので、葛城王は舎人親王に“死を覚悟して主君舎人親王のことばを聞き遂げて必ず完成させます”と決意を示した」と説明する。
 この『続日本紀』の736年11月11日に舎人親王が『万葉集』作成を計画したという記事が存在することについて、学者たちはまったく知らぬ存ぜぬを決め込む。
 この聖武天皇を騙して勅撰和歌集にするための『万葉集』の編纂の計画・目的が知れると天皇と国家の反逆する大罪となる命が懸けの事業であったので、〔『万葉集』の編纂〕は“橘”という暗号で表示することになった。ゆえに、葛城王は橘諸兄(もろえ)と姓名を改めた。
 橘諸兄の『万葉集』編纂事業は舎人親王の抵抗が没してもなおも続くことを示すものであり、また作成目的が知られたならば諸兄は聖武天皇を欺いて皇室と律令体制の崩壊をはかる大罪人となって即刻死刑に処せられるため、誰にも気づかれないように密かにおこなわなければならなかったうえに、皮肉なことに諸兄は主君の仇(かたき)である憎き聖武天皇に厚く信頼されて王朝を支える重職の政務に時間がすっかり奪われてしまい、『万葉集』の編纂は遅々として進まなかった。
 このような事情のため、年老いて死期間近になった諸兄は主君舎人親王の命令を成就させるために、若い大伴家持に『万葉集』編纂を受け継がせた。
 諸兄から家持は『万葉集』の作成目的が〔元明天皇に献呈拒否されて正史になれなかった『古事記』上巻に記述された日本建国の〔愛〕の理念を後世に伝えること〕であると知った。
 ゆえに、家持は『万葉集』の最終巻の巻二十における4321番から4436番までの116首の防人(さきもり)歌で――この防人歌を詠む作者たちの出身国・東国が233年ころに伊耶那美命が赴任した小国・日本であり、伊耶那美命は人民が生きるために最も大事なものは〔愛〕であると考えて小国・日本の国作りの柱を〔愛〕と定めて、国民に熱心に〔愛〕を尊重するように説いた。『古事記』上巻は、この日本建国の〔愛〕の理念の歴史を伝えるために作成された。このような歴史が実際にあったからこそ、7世紀にあっても小国・日本国の東国出身の防人たちは伊耶那美命の教えをまもって、妻や子どもや両親や恋人を気づかう愛の歌を作って兵役につとめている。この防人歌こそが『古事記』上巻に記述された〔愛〕の理念を尊んだ上古史がいまだ続いていることを示すものである――という『万葉集』作成の目的を完成させて、舎人親王の遺志を成就させた。

 このように天皇と律令体制に盾突いた日本古代史上における希代な反逆児・舎人親王によって、『古事記』上巻の日本神話は明確に国民神話であると断定できる。
 つまり、『古事記』上巻の日本神話は――伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念が夫の伊耶那岐命が受け継ぎ、伊耶那美命と伊耶那岐命の間に生まれた子の須佐之男命にうけつがれ、また出雲王朝の大国主神へ受け継がれ、山幸彦の火遠理命が受け継いだ。また、伊耶那岐命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念を天照大御神は憎悪して人民を苦しめ、強大な権力こそが国家の柱でなければならないとする天照大御神の政治思想は天孫邇邇芸命と海幸彦の火照命に受け継がれた――上古の歴史を記述するものである。

 『古事記』『日本書紀』『万葉集』が作成された万葉時代においては、強大な権力を有する天皇と律令体制が崇拝する皇祖・天照大御神の聖性を汚すことは厳重に禁止されていた。
 しかし、舎人親王はじめとする熱き心の人々は、日本建国の〔愛〕の理念を憎悪して天照大御神の権力の強大化をはかっておこなった数々の悪政を後世に伝えようとした。
 これゆえ、当時においては、真実の歴史を後世に伝える方法は今日の〔文字(漢字)〕と同じ「文字」の機能では伝えることはできなかった。
 しかし、この「文字」には中国の思想家の老子が『老子』上篇(道経)の37の章で伝え、字書の聖典である『説文解字』の字源解説が伝えるように――【文字】には今日の「文字」とまったく異なる、【銀河各部の形状】が【文字】であるという学理が存在した。
 つまり【夏音文字】も【楷書】もおなじく【銀河各部の形状】であったのである。
 いいかえると、【夏音文字】と同様に【すべての楷書】も【銀河各部の形状】から作られたものであったので、楷書は【銀河各部の形状】から作るという原理原則を廃止した革命的な文字ではなく、楷書は【銀河各部の形状】からデザインする図書を最も短時間で書くことができる簡略字であったにすぎなかったのである。
 これゆえ、[学]の字源は「王朝が絶対に秘密を暴露してはならないと定める、【すべての文字】は【銀河各部の形状】であるという知識」であった。
 『老子』第20章の「学を絶てば憂い無し」の「学」は[学]の字源の「王朝が絶対に秘密を暴露してはならないと定める、【すべての文字】は【銀河各部の形状】である知識」であった。
 そこで、歴史書編纂スタッフは『古事記』上巻を『老子』第20章の「学を絶てば憂い無し」の[学]の字源の秘密である「【すべての文字】は【銀河各部の形状】である」という学理に活路を求めたのである。
 なぜならば、強大な権力を有する天皇と国家にあっても、天に輝く【銀河各部の形状】は消滅できなかったからである。
 「銀河」は「銀漢」ともいうので、「漢字」という語は「銀漢からつくられた字」の略称であった。「天に多数の文字が存在した」から「天文」と言った。
 この「漢字」「天文」から歴史書編纂スアタッフは――後世の人々が『古事記』の序を読んで【すべての文字】は【銀河各部の形状】である学理(真理)に気づき、上巻の【すべての文字】を【銀河各部の形状】で変換して真実の歴史を知るにちがいない――と考え、この考えに活路を求めて『古事記』上巻を著作したのである。
 だから、『古事記』序は「【すべての文字】は【銀河各部の形状】である学理」について解説することになったのである。

 3世紀において夏音文字の学芸に精通する人物が偉大とされた。
 ゆえに“天照大御神”という異名(あだな)は“天照”から「夏」を連想して「夏音文字の学芸に精通する倭を統治する大王に最もふさわしい偉大な人物」と誇示するものであった。
 それゆえ、歴史書編纂スタッフは『古事記』上巻においては、大和王朝の基礎をきずいた崇神(すじん)天皇の生母は「天照大御神」と表記することにした。
 というのも、天皇と律令国家体制は歴史書編纂スタッフに“崇神天皇の生母が夏音文字の学芸に精通する偉大な女王であったと絶賛する偽書を作成せよ”と欲求していたからである。
 ゆえに、「天照大御神」という異名は「最も偉大である」とあらわすものであったゆえ、『古事記』上巻においては「天照大御神」と表記されることになった。この「天照大御神」の本名は「伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)」、伊耶那岐命に離縁されて改名された「倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)」である。
 「天照大御神」が異名で表記したゆえ、これにならって『古事記』上巻に記載された歴史上の人物は異名で表記されることになった。
 『魏志倭人伝』の末部に登場する夏音名の「壱与(いよ)」は「伊耶那美命」という愛称で表記されることになり、彼女の本名は「竹野比売(たかのひめ)」であり、『魏志倭人伝』に記載される「伊耶(いや)国」(旧国・丹波)の出身者であったから人々は“伊耶国出身の美しい女王”と讃えて“伊耶那美命”と愛称したのである。
 伊耶那岐命の正妃が壱与・伊耶那美命・竹野比売であり、第二后が天照大御神・伊迦賀色許売命・倭迹迹日百襲姫命であり、伊耶那岐命と天照大御神の子が崇神天皇である。
 ゆえに、崇神天皇の父の第9代開化天皇が伊耶那岐命ということになる。
 『古事記』中巻の開化天皇紀は「天皇は春日(かすが)の伊耶河宮(いざかわのみや)に居住して、天下を治めた。この天皇が丹波の大県主(おおあがたぬし)の由碁理(ゆごり)という方の娘の竹野比売と結婚されてお生みになった御子は比古由牟須美命(ひこゆむすみのみこと・須佐之男命)である。また継母の伊迦賀色許売命と結婚されてお生みになった御子は崇神天皇である」と記述する。
 このように、「伊耶那美命」と「伊耶那岐命」の先頭2字「伊耶」は「伊耶河宮」」の先頭2字の「伊耶」と合致するから、開化天皇は「伊耶那岐命」と愛称され、開化天皇の正妃の「竹野比売」が「伊耶那美命」であることがいとも簡単明瞭に証明される。
 というのも、【銀河各部の形状】は【文字】であったゆえ、【銀河】を字源字書にすると『魏志倭人伝』に記載される小国「伊耶国」の「伊耶」は「霧深い山里」と意味するものとなり、竹野比売が育った丹波は“霧の丹波”と言われて有名であるので、「伊耶国・霧深い山里」となるからである。
 【銀河】を字源字書にすると開化天皇の「開化」と『魏志倭人伝』の末部に記載される「載斯烏越(そしあお)」は小国・日本の軍王(いくさのおおきみ)の伊耶那岐命であったと証明できるので、竹野比売・伊耶那美命は『魏志倭人伝』の記述で13歳で小国・日本の女王となり、247年ころに倭女王に就任したことが明らかとなる。

 上記の⑵静岡県浜松市北区細江町の1千万坪の大鳥の地上絵も、⑶彦根市の3千万坪の大鳥の地上絵も、⑷桂離宮の庭園によっても、竹野比売が伊耶那美命・壱与、開化天皇が伊耶那岐命・載斯烏越、伊迦賀色許売命が天照大御神・倭迹迹日百襲姫命であったと証明できる。
 だから、『魏志倭人伝』と『古事記』と『日本書紀』に加える“文献批判”の正体は「誤読」だったのである。
 元来、『魏志倭人伝』と『古事記』と『日本書紀』にいっさい文献批判を加えなければ真実の歴史が解明できる仕組みになっていたのである。
 『古事記』や『日本書紀』が成立した万葉時代、天皇と国家の権力の強大化が求められたものゆえ、天皇と律令国家体制は3世紀後半に大和王朝の基礎をきずいた倭迹迹日百襲姫命と崇神天皇の天照大御神母子王朝を皇祖と崇拝した。
 この天照大御神母子王朝が伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念を憎悪しておこなった理不尽な人民を苦しめ憂い悩ませた数々の悪政の歴史を後世に伝えることは、皇室の至上神である皇祖天照大御神の聖性を汚す最大の謀反であると定められて厳重に禁止された。
 ところが、舎人親王を頭領とする歴史書編纂スタッフは、この天皇と律令国家体制の命令・指示・欲求に背いて真実の歴史を後世に伝える『古事記』を作成して、そのうえ元明天皇の献呈許可を得て正史にしようと企んだのである。
 それゆえ、『古事記』上巻は文字の表層を深く考えもしないで読むならば日本神話虚構説が立論されたこと証拠となるように、天照大御神を称賛する偽書と理解できるように仮装・カムフラージュする作りとなった。
 しかし、序にて解説する【すべての文字】は【銀河各部の形状】である学理に則って読むならば天照大御神の数々の悪政を知ることができる。
 津田左右吉はじめ学者たちは何の考えもなしに文字面(もじづら)を撫でる粗雑粗略な読み方をし、さらに誤りを重ねる短絡的な考えで「当然、万葉時代には国威宣揚を意識した国家神話のみが作られた」と推断する。
 これゆえ、日本神話虚構説は根も葉もないデタラメだったのである。

 だから、津田説の「●日本神話に登場する神々には、国民的英雄は少しもいない ●日本神話は天皇と国家の強大化をはかるために作られた国家神話である」という二つの理由は、トンチンカンもはなはだしい根も葉もないデタラメということになる。
 津田左右吉の頭には『古事記』と『日本神話』の文を正しく読解できる脳ミソが0.1ミリグラムもつまっていない、無知無学の似非(えせ)学者であったのである。

 学界やメディアが津田左右吉はじめ日本神話虚構説の学者たちが『古事記』と『日本書紀』の文を正しく読解できる頭脳は0.1ミリグラム以上あると弁解してそれがたとえ事実であったと証明しても、日本神話虚構説は正真正銘の誤読の空論・虚妄であることは上記の5つの史跡によって弁解できない事実となる。
 また、彦根の3千万坪の地上絵によって日本神話虚構説は「日本人民はこの世に生まれてきてはならない。狭い母親の骨盤産道に頭がはさまって絞め殺されるべきで、生まれてくる価値がまったくない屑(くず)だ」と呪い祟(たた)る暴論であることが事実となる。

 このように傲慢(ごうまん)きわまりない日本神話虚構説は『魏志倭人伝』の邪馬台国説と、彦根の3千万坪の大鳥の地上絵とに直結するものとなる。
 というのも、邪馬台国説と日本神話虚構説はともに「書いてあることは全面的に信用してはならない。自説に都合悪い事柄を書く記事は無視せよ」という“文献批判”の考え方から産まれた意見であるからである。
 また『古事記』序の「【すべての文字】は【銀河各部の形状】であった」と解説する知識の基礎知識となる夏音文字は『魏志倭人伝』の卑弥呼はじめとする人名や小国名は【銀河各部の形状】にて表示されるものであったが、当時は魏・帯方郡・諸韓国と国交に結ぶときに魏・帯方郡・諸韓国の人々が読解できる楷書で表記したために、『魏志倭人伝』においては夏音文字は楷書で表記されて現存することになり、さらに『魏志倭人伝』は幾つかの箇所で「倭には文字があった」と明確に記述するからである。
 このような『古事記』序と上巻と『魏志倭人伝』に楷書で表記された夏音文字の秘密を保存する史跡が彦根の3千万坪の大鳥の地上絵である。

 そして『魏志倭人伝』の幾つかの記事と『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話末部の記事は――卑弥呼王朝と以後の倭の王朝は日本列島は東に伸びずに南に伸びると立論する転回日本列島地理を制定した。この「〔東〕が天の運行にしたがって〔南〕に転位する方位規定」は[倭]の字源であったゆえ、略称の国名を「倭国」、日本列島の天頂には[人]の字源となる「鳥居の形をした銀河」がめぐってきたので、正式名は「倭人国」と定めた――と証言する。
 この転回日本列島地理と[倭]と[人]の字源の証言は事実であったことは、上記の⑶琵琶湖の東岸に図化された巨大な彦根の大鳥の地上絵はじめ⑵1千万坪の静岡県浜松市北区の細江町の大鳥の地上絵、⑷桂離宮の庭園、⑸竜安寺の石庭によって事実であると証明される。

 この明確なる結果によって、邪馬台国説と日本神話虚構説は誤読でデッチ上げたウソ八百であったことになる。
 この誤読でデッチあげた根も葉もないウソ八百の邪馬台国説と日本神話虚構説はわれらが日本人として生きている尊厳と権利をまったく認めない虫ケラ扱いをする。
 彦根の3千万坪の大鳥の地上絵によって、邪馬台国説と日本神話虚構説は「日本民族は全滅せよ。日本の人民はこの世に生きる価値がまったく無い! 生まれる価値もない屑(くず)だ。とっと死ね! お前らが生まれてきこと事体がそもそも間違いだ!」と、日本人を罵(ののし)り侮蔑するものであることが明ら
かとなる。
 このような理不尽な邪馬台国説と日本神話虚構説を、このまま放置してよいとはとても思えない。
 邪馬台国説と日本神話虚構説は真っ赤な大ウソと科学的に完全に証明できる史跡を幾つも先人たちはチャンと残した。
 だから、邪馬台国説と日本神話虚構説をさっさと廃棄処分することにしようではないか。
 
 

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