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2012年9月16日 (日)

邪馬台国学説は日本民族を虐殺する。しかも人類共通の敵である・41

 日本国は〔愛〕の理念のもとに建国した。

 『古事記』上巻にある伊耶那美命の死の記事は――伊耶那美命いいかえると『魏志倭人伝』が13歳で小国・日本の女王に就任したと記述する倭女王・壱与(いよ)は、『古事記』中巻の開化天皇紀が「開化天皇の正妃であった」と書く竹野比売(たかのひめ)であった。この伊耶那美命・壱与・竹野比売は、鉄製の農具(クワやスキ)の刃先を作る製鉄事業・火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を開発するときにおこった火災事故に遭遇して火傷を負った。この火傷が原因で、伊耶那美命は天の香具山の麓の橿原市木之本(このもと)町に所在する泣沢女神(なくさわめのかみ・現在の哭沢神社)にて没した。伊耶那美命の夫の伊耶那岐命は第9代開化天皇であり、日本の軍王であった。伊耶那岐命は『魏志倭人伝』の末部に登場する載斯烏越(そしあお)でもある。伊耶那岐命・後の開化天皇・載斯烏越は伊耶那美命の枕もとや足もとを這いまわって「我が愛する妻の命を、子の一つ木(け)に代えることができようか」と悲嘆して泣き悲しんだ――と記述する。
 この伊耶那岐命の「子の一つ木」という語の語源は「文字」の[文]の字をあらわすものであり、【文字(漢字)】は【銀河各部の形状】を図案して作った発明であった。

 “漢字の始祖”と崇拝される聖人は、今から約5000年前の五帝時代初頭の黄帝につかえた史官(記録官)の倉頡(そうきつ)である。
 倉頡は「文字を生む母親」に相似する銀河部を定めて、この「文字を生む母親となる銀河」を[文]の文字と定めた。
 「文字を生む母親となる銀河」は、五帝時代の初頭から秦代まで(わが国の中期縄文時代から晩期縄文時代まで)、中国とわが国の天頂(地上の人々の頭上)にめぐってきた。
 この「文字を生む母親となる銀河」には母乳が出る大きな乳房の形と腰の部分には女性の生殖器(子宮や卵管や卵巣がある器官)に相当する銀河部が重なる。
 この「文字を生む母親となる銀河」の西隣に「女性の子宮から生まれる子や女性の子宮に宿って育つ胎児の姿に似る銀河」が所在する。
 この「生子や胎児に似る銀河」を倉頡は[字]と定めた。
 [字]の上部の[宀(べん)](ウ冠)は「文字を生む母親となる銀河」をあらわす図案であり、[字]の下の[子]は「生子と胎児」をあらわす。ゆえに、[字]は「文字を生む母親となる銀河から生まれた子ども」と定義された。
 この「文字を生む母親となる銀河」は「女性・母親の姿」に相似するが、大字形であるので「立木」の姿にも相似した。[字]となった「生子や胎児に似る銀河」は「立木の銀河(すなわち、文字を生む母親となる銀河)」を見る(見上げる)ポーズ(姿)に観えるので、[立]の下に[木]と、この隣に[見]を加える[親]となる字は「おや」や「したしい」と意味することになった。

 このように、倉頡は文字を作成する原理を発明した。
 この文字を、中国では「書契(しょけい)」と呼び、この「書契」は「木に刻む文字」と意味した。したがって、わが国では「木に刻む文字」であるから、倉頡が考案した文字を「刻木(こくぼく)」と名づけた。
 だから、伊耶那岐命は倉頡の「刻木」の発明にもとづいて、「発明」を「子の一つ木」と言ったのである。「子の一つ木」の「一つ木」が[宀]であるので、[宀]の下に[子]が加わると[字]となる。
 伊耶那岐命が述べた「子の一つ木」という語は「倉頡が発明した刻木と同じ火之迦具土神の発明」と意味したのである。この「子の一つ木」の「火之迦具土神の発明」は上記したように「鉄製の農具の刃先を作る製鉄工法の開発」であった。

 「天の川」は「銀河」または「銀漢」とも言う。
 「銀から作られた」を略して「漢字」と名づけられた。
 倉頡は【銀河各部の形状】を【文字】と定めた。
 書いた文字は〈偽の文字〉と定めた。この【文字】の定義のもとに、[為]の字義は「人手にによって作られる」となり、[為]に[人](人篇)が加わる[偽]の字義は「にせ。いつわり」となった。
 だから、今日の「文字」は〈偽の文字〉となる。倉頡が定めた【ほんとうの文字】は【銀河各部の形状】であった。

 倉頡は、用が済んだならば直ちに書いた文字を消さない者は即刻死刑にすると厳しく定めた。
 この倉頡の厳しい掟によって〈天に多数の文字が存在する〉ことになって〈天体〉は「天文」と呼ばれることになった。
 倉頡は自分が発明した文字が強大な権力と莫大な富と最高の名誉を手に入れることができる方法であることに気づいた。倉頡は【銀河各部の形状】を図案して【文字】を作る学芸知識を反体制側が習得して革命に利用されたならば、王朝は容易に崩壊すると心配した。
 それゆえ、この秘密を漏らした者は即刻死刑にする、用が済んだならば書いた文字を直ちに消さない者も即刻死刑にする、反体制側が文字の学芸を習得しにくくするために銀河各部に名称を付けた者も死刑にすると定めた。
 この掟によって、[学]の字は「王朝が独占管理して厳しく機密保持する【銀河各部の形状】を【文字】とする知識と文字を創る芸術」となった。
 したがって、【文字】は【銀河各部の形状】となったのである。

 ゆえに、わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字統』(平凡社発行)は[学]の字源について「卜文(甲骨文字)にみえるメンズハウス(学び舎)の建物は千木形式で、わが国の神社建築と似ており、そこで秘密講的な、厳しい戒律下の生活がなされたのであろう」と解説する。
 この白川静著『字統』の[学]の字源解説が示しているように、[学]の字源は「【銀河各部の形状】を【文字】とする知識」であり、学び舎の建物がわが国の神社建築に相似していたのはわが国に殷代(いんだい)の甲骨文字よりも古い夏音文字が伝来していたからにほかならない。
 わが国には、紀元前21世紀の後期縄文時代初頭に夏音文字が伝来していた。
 

 「死刑」の[刑]の右側の字は[刅(そう)]で、この[刅]は「死刑にする者を斬る刀」である。だから、[罰]という字にも[刅]がある。
 「倉頡」の[倉]に[刅]が加わる字は[創]となる。この[創]の[刅]も「死刑にする者を殺す刀」である。
 倉頡は「【文字】は【銀河各部の形状】が作られた秘密を明らかにする者、明らかになるようなうかつな行動をした者も直ちに刀で殺す」と厳しく取り締まる掟を残したので、[倉]に[刅]が加わる[創]の字義は「【銀河各部の形状】から【文字】をつくる」の「創(つく)る」となった。
 漢字は倉頡の発明から始まる。だから、「草創」、「創世」、「創始」などの語が示すように[創]は「始め」と意味することになった。
 「芸術を創る」の[創]が「始め」を意味するのは、倉頡が“漢字の始祖”だからである。

 漢字の歴史は五帝時代の倉頡が考案した刻木、次の夏代の夏音文字、そして殷代の卜文=甲骨文字と受け継がれた。
 学者たちは、最古の漢字を殷代の甲骨文字と断定する。
 しかし、この最古の漢字は殷代の甲骨文字とする定説は根本的に誤っている。
 孔子と並ぶ中国の二大思想家の老子の教えを伝える『老子』上篇(道経)や字源を解説する字書の聖典『説文解字』と西晋の歴史編纂官であった陳寿(ちんじゅ)が著作した『魏志倭人伝』と、そしてわが国の『古事記』の序を、すべての学者たちがデタラメにあてずっぽうに読む結果、殷代の甲骨文字が最古の漢字となった。
 『魏志倭人伝』は【文字】は【銀河各部の形状】から創られたと明確には書いていない。しかし、「漢字」は「銀漢から創られた字」と発想すればすぐに【文字】は【銀河の各部の形状】から作られた真実が察知できる記事を多数記述する。
 『魏志倭人伝』以外の『老子』上篇(道経)、『説文解字』、『古事記』序はちょっと考えれば【文字】は【銀河各部の形状】であったと説明している記事によって構成される。

 新井白石以後のすべての学者たちはデタラメにあてずっぽうに読んで空理空論を主張する。
 しかし、新井白石以前の天皇や上古の卑弥呼や壱与(いよ)はじめ、中世の源頼朝、足利尊氏、足利義満、織田信長、徳川家康などは倉頡が決めた掟によって【文字】は【銀河各部の形状】となったことを知っていた。
 織田信長が築いた安土城は“わが国には【銀河各部の形状】を【文字】であった夏音文字が伝来した。我は天下を取るを生きる目的とするものでなく、朝廷が抹殺しようと躍起になる夏音文字を復興するために天下を取らんとして生きる。天下取りは夏音文字を復興するための方法であって、生きる目的は夏音文字の復興だ”と熱い情念を示すものであったのである。
 この信長の人生の目的は天下取りではなく、夏音文字の学芸を復興するために天下を取ろうとして秘密は、安土城は破壊されたものの、今回の説明の後ろのほうで列記する滋賀県彦根市の3千万坪の大鳥の地上絵のデザインとなって明確に残っている。

 信長と同様に、源頼朝、足利尊氏、足利義満、徳川家康は、『魏志倭人伝』、『老子』上篇(道経)、『説文解字』、『古事記』序を正確に読解して【銀河各部の形状】が【文字】であるという史跡を残し、この史跡は現存する。
 たとえば、頼朝が作った鎌倉市の若宮大路や足利義満が作った金閣寺と庭園は、【銀河各部の形状】が【文字】と伝える史跡である。
 だから、白石以後から現代までの学者たちは『魏志』倭人伝、『老子』上篇の37の章、『説文解字』、『古事記』序を正確に読解できる能力はゼロ、ただデタラメにあてずっぽうに読んでいると証明される。
 これらの文献をきちっと読解すれば、【銀河各部の形状】は【文字】であったと書いてある。

 『魏志倭人伝』には「倭の占いに用いる卜辞(文字とことば)は、令亀(れいき)の法の如く」と記載する。 ゆえに、倭には「令亀の法」すなわち「亀の甲羅に刻む殷代の甲骨文字のごとき文字があった」ことになる。
 『魏志倭人伝』は「卑弥呼が書く文書の文字は、魏の都や帯方郡や諸韓国の文字と差錯(ささく・相違)していたので、倭の伊都(いと)国の港で誤訳・誤解して外交上のトラブルが発生しないように点検し確認して、卑弥呼の手元に届いたときに間違いがないようにしていた」と記載する。ということは、伊都国の港で魏都・帯方郡・諸韓国の文字は卑弥呼が用いる夏音文字の字義に合致するように点検確認していたことになる。

 この倭の巫女と神官たち用いた令亀の法の卜辞に用いられた夏音文字と卑弥呼が用いた夏音文字は、倉頡が厳しく定めた掟をまもって書いた後に必ず消された、甲骨文字以前の夏音文字であった。
 中国においても夏音文字に相当する文字は、わずか5点しか発掘されていない。
 夏音文字が用いられた夏代の次の時代が、甲骨文字の殷代である。
 現在までに出土した甲骨文字の総数は10万点に近いという。
 このように、中国においてもわが国においても夏音文字は倉頡が定めた用が済んだならば必ず書いた文字を消さなければならないと定めた掟を守る文字であったために、出土点数が5点ぐらいしか存在せず極端に少ない。
 10万点にも近い多数の出土点数を有する中国の殷代の甲骨文字はこの掟を破棄した文字ということになる。

 わが国にも夏音文字と断定できる遺物は、長野県茅野市の尖石(とがりいし)縄文考古館が所蔵する後期縄文時代初頭のものとされる石板画がある。
 この石板には、5つの夏音文字が線で刻まれて「日売大可三(ひめおかみ)」と解読でき(推定でき)、文の意味は「日照りつづく大神に雨降るを祈る」であると考えられる。
 中国の夏音文字は陶器の一つの破片に一文字だけ刻まれているだけであるが、わが国の夏音文字は一つの石板に5つの文字で文章を構成するものとなる。
 学者たちが甲骨文字を最古の文字と定めた理由と根拠は、甲骨文字を刻む亀の甲羅や獣の骨に文字が二つ以上ならんで語や文章を構成するからだとする。一つの面に文字が二つ以上ある、これを“文字列”と呼ぶ。
 この“文字列”にもとづく【文字】の定義に則ると、上記の尖石縄文考古館が所蔵する後期縄文時代初頭(夏代初頭)の石板画の5つの文字は“文字列”を有する最古の漢字(夏音文字)となる。
 “文字列”に則る【文字】の定義だと、漢字が起源した中国に最古の漢字が存在せず、中国から夏音文字が伝来した最古の漢字が存在することになる。
 こんな矛盾もはなはだしい話はない!
 “文字列”で【文字】を定義する学者たちが、『老子』や『説文解字』や『魏志』倭人伝や『新唐書』日本伝や、我が国の『古事記』序と上巻をデタラメにあてずっぽうに読むから矛盾がはなはだしい状況にしてしまったことなのだ。
 【文字】は【銀漢各部の形状から創られた字】であったから【漢字】と呼ばれることになった、【漢字】は【天にたくさん存在する】ことになったから「天体」は【天文】と呼ばれることになったのだ。
 学者たちはウソ八百を述べて威張っている。 

 わが国が漢字を最初に習得したのは、5、6世紀に楷書であると――学者たちは断定する。だから、「2世紀末から3世紀半ばの倭に、文字があった」と明記する『魏志倭人伝』の記事を、学者たちは無視して排除する。
 「卑弥呼」は「ヒミコ」と学者たちは読む。
 「卑弥呼」を三国時代(220~280年)以前の上古音で読むと「ピミカ」となる。
 この3世紀の三国時代より以前の上古音「ピミカ」よりも「ヒミコ」の字音のほうが古い。
 したがって、学者たちが「ヒミコ」と読む漢字音は漢字習得の定説の5、6世紀よりも遥かに以前の、中国の上古音よりも古い漢字音となる。

 だから、わが国には紀元前21世紀の夏代初頭に【銀河各部の形状】を【文字】とする漢字が伝来していたことになる。
 白川静著『字統』は9頁の終わり3行目から10頁の最初の3行目までの、「わが国の漢字音」と題する記事は下記のごとく指摘する。
 「古紐(こちゅう)や古韻(こいん)の研究は、西洋の言語学・音韻学がとり入れられ、殊にその音韻史研究によってえられた諸法則が、原理的にほぼ適用しうるという関係もあって、カールグレンがその方法を開いてから、急速な進展をみせている。そして、その結果、わが国の国語として残されている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかになった。」と書く。
 「卑弥呼」を「ヒミコ」と読む字音は、いま残されている漢字音で最古の夏音文字の字音である。
 ということは、わが国には定説の5、6世紀よりずっと以前に、夏音文字が伝来していたことになる。

 だから、わが国には【銀河各部の形状】を【文字】とする、用が済んだならば直ちに書いた文字を消した倉頡の掟を守った夏音文字が伝来していたことになる。
 このような秘密があったために、『魏志倭人伝』には「卑弥呼が文書に書く文字は魏都・帯方郡・諸韓国の漢字と相違していた」、「倭の易に用いる文字は殷代の甲骨文字に似ている」という記述が残ったのである。
 『古事記』の序は「【銀河各部の形状】が【文字】であった。夏音文字の学芸はわが国に伝来していた」と記述するが、学者たちは『古事記』序の文章を正しく読むことができる能力をまったく有していない。彼らはデタラメにあてずっぽうに読んで平然と誤読する。

 中国の正史『新唐書(しんとうじょ)』日本伝は――『古事記』が完成する10年前の702年に中国を渡った日本の遣唐使が中国王朝に「後稍夏音(のち・やや・かおん)を習う」と伝えた――と記述する。
 この短い暗号めいた「後稍夏音を習う」という日本国の遣唐使の発言は「わが日本国は、壬申の乱の後、稍(少しだけ)、【銀河各部の形状】を【文字】とする原初漢字の夏音文字を復興することとした」と意味するものであった。
 「神仏習合」という語は「日本の神がインドの仏になって復興する」と意味するものであるから、「習う」は「復興する」と意味することになる。
 夏音文字は、『古事記』の上巻に記載されて残っている。
 『古事記』の上巻の随所に〔音〕という注が付く1字1音読みの文字が記載されている。この文字が夏音文字である。
 『魏志倭人伝』卑弥呼はじめとする人名と小国名に用いられる文字が夏音文字である。
 このように、最古の字音を有する夏音文字は、この目で見ることができるので確実に存在する。

 だから、学者たちが“『古事記』序は「わが国には夏音文字の学芸が伝来していた。【文字】は【銀河各部の形状】であった」なんて書いていない”と言い張っても、それはウソ八百ということになる。
 新井白石以前の学識者たちは『古事記』序を読んで「わが国には夏音文字の学芸が伝来していた。【文字】は【銀河各部の形状】であった」と読解していた。
 その証拠が、②の彦根の3千万坪の大鳥の地上絵、③の桂離宮の庭園、その他に金閣寺の庭園や枯山水の名園で有名な竜安寺(りょうあんじ)の石庭など、この他にもさまざまな夏音文字の学芸を伝える史跡が存在する。
 新井白石以前の人々は『古事記』序を読んで「わが国には夏音文字の学芸が伝来した。【文字】は【銀河各部の形状】であった」と読解していたからこそ、わが国には夏音文字の学芸を伝える史跡が多数現存することになったのである。
 白石以後の学者たちはわずか2000字足らずの『魏志倭人伝』の文章も『古事記』序の文章も、正しく読める能力を有していない。彼らはデタラメに読み、あてずっぽうに読む。

 わが国に夏音文字は今から約4050年前の中国の夏代初頭、わが国の後期縄文時代初頭に伝来した。この夏音文字が後期縄文時代初頭に伝来したことが科学的に証明できる史跡が、秋田県鹿角(かづの)市に所在する国の特別史跡の大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)の万座遺跡と野中堂遺跡である。
 夏音文字がわが国に伝来したことが科学的に決定できる史跡が、①260~290年に作られた、現在において静岡県浜松市北区の細江(ほそえ)町の行政区域をあらわす地図の形となる、ちょうど1千万坪の大鳥の地上絵である。
 また、②徳川家康の命令で1603年に着工して1622年に完成した、現在の滋賀県彦根市の行政区域をあらわす地図の形となる、ちょうど3千万坪の大鳥の地上絵も夏音文字の史跡である。この彦根の大鳥の地上絵の設計には、前述したように、織田信長は天下取りを人生の目的としたのではなく、夏音文字の学芸を復興することを生きる目的としたために、天下を取って夏音文字の学芸を復興せんとしたことが明確に残っている。
 家康は1616年に没した。彦根の3千万坪の地上絵を完成させた将軍秀忠と幕府は、③家康の遺志をついで1623年に天才芸術家で科学者で茶道の師匠であった小堀遠州に命令して作らせた桂離宮の庭園も夏音文字の史跡である。小堀遠州は病床に伏す1645年・67歳までの23年間も、夏音文字の全貌を後世の人々が容易に理解できる桂離宮の庭園作りに全情熱を傾けた。遠州は1608年・30歳のときに、家康に①の細江町の1千万坪の大鳥の地上絵の研究を命じられたゆえ、それまでの「正一」という名を「遠州」と代えた。細江町は旧国の遠江すなわち遠州に所在する。したがって、遠州は30歳から67歳まで、いや没する69歳までの40年間、①の1千万坪の地上絵と片時も離れない一生を送ったことになる。

 このように『魏志倭人伝』、『老子』、『説文解字』、『古事記』序、そして『新唐書』日本伝が説明する夏音文字は『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に記載されて現存し、これらの文献史料は【銀河各部の形状】が【文字】であったと書いている。
 だから、上記のような確かな夏音文字の史跡が多数、白石以前に作られしかも現存する。

 白石以後のすべての学者たちは、上記の文献を読解できる能力がゼロであるため、デタラメに読みあてずっぽうに読む。
 白石以後の学者たちの無知無学のために、夏音文字は伝来しないことになり、【銀河各部の形状】は【文字】でないことになったのである。
 その証拠に、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の文字を【銀河各部の形状】に直すと、アッとおどろく壮大な歴史が解明できて、白石以後のすべての学者たちには文献を正しく読むことができる能力がまったく無いということが否定できない事実となって証明される。

 邪馬台国学説と日本神話虚構説と5、6世紀漢字習得説を主張する世間一般が“学者”と呼ぶ人々は「誤読専門科 無知無学目  学者もどき」と分類すべきことになる。別名「ニセ学者」、「ペテン師」、「詐欺師」と呼ぶべきことになる。
 この分類が間違っているとしても、彼らが学者ではないことは否定できない事実である。

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